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トップ  バックナンバー  2009年  4月  第1回 愛あるケンカ 武士の世をひらく

愛あるケンカ 武士の世をひらく
~北条政子・源頼朝 夫婦の革命~

●本放送 平成21年 4月 1日(水) 22:00~22:43 総合 全国
●再放送 平成21年 4月 4日(土)
平成21年 4月 8日(水)
平成21年 4月 8日(水)
16:00~16:43
 8:15~ 8:58
16:05~16:48
総合
BS2
総合
全国
全国
全国
※再放送の予定は変更されることがあります。当日の新聞などでご確認ください。

エピソード1 はじまりは…禁じられた恋

二人が出会ったのは、平安時代も末の伊豆の国。頼朝は、平治の乱で平氏に敗れ、伊豆の蛭ヶ小島に流刑になっていた。政子は、そのすぐ近くに住む、中小武士・北条家の長女だった。しかし、時は、平氏全盛の世。政子が頼朝と恋仲になっていると知った、父・北条時政は、他の武士との縁談を決めてしまう。しかし、政子と頼朝は、決死の駆け落ちを敢行する。
出典  源平盛衰記 曽我物語 吾妻鏡
頼朝の流刑地:「蛭ヶ小島」
静岡県伊豆の国市韮山
 

エピソード2 「いい国つくろう」浮気騒動

鎌倉幕府の公式歴史書「吾妻鏡」は、頼朝の浮気について詳しく記録している。頼朝は、戦や政治の重要な時期をぬって、「こと」を起こしている。そのタイミングは全て政子が身ごもっている時期。実は、都の貴族の間で育った頼朝にとって、
一夫多妻は当たり前だった。しかし、政子の育った関東では、一夫一婦が常識。政子は激怒し、愛人の家を壊したり、
愛人を匿った武士を流刑にするなど、騒動は国を揺るがすほどだった。
関東武士の娘、政子と都の良家の嫡男、頼朝という組み合わせだったからこそ、鎌倉幕府を支える武士達の支援が集まりやすかったという側面もある。そう考えると、一連の浮気騒動は、鎌倉幕府誕生のためには避けて通れないものだった
のかもしれない。
出典  吾妻鏡
 

エピソード3 黒髪の誓い

頼朝の菩提を弔うため、政子が自らの黒髪で刺繍させた曼陀羅が、熱海の伊豆山神社に残る。全国の武士たちと、いわゆる「ご恩と奉公」という絆によって、鎌倉幕府の勢力を強めていった頼朝。その力は、朝廷にも認められ、1192年には、征夷大将軍に任命される。しかし、頼朝は落馬をきっかけに急逝してしまう。政子は、頼朝の残した宝である、子どもたちを守るために生きようと決意し出家。身代わりとして自らの黒髪を曼陀羅に縫い込み、頼朝に捧げたのだ。
しかし、その思いは空しく、4人の子ども達は次々に命を落とす。そこへ、朝廷が幕府追討の命令を出す。「承久の乱」のはじまりだった。絶体絶命の政子は、武士たちに語った。「頼朝のご恩を忘れるな」。夫と共に築いたものを守りたい、という政子の思いは、武士達の心を一つにした。
この戦いに勝利したことで、鎌倉幕府は朝廷に対し圧倒的な力を持つようになり、その後、700年にわたる武士の世の礎が築かれることになった。
出典  吾妻鏡 承久記
「黒髪の曼陀羅」:伊豆山神社所蔵
 

参考文献

「現代語訳 吾妻鏡」      五味文彦 本郷和人[編]  吉川弘文館
「人物叢書 北条政子」     渡辺保  吉川弘文館
「北条政子 尼将軍の時代」  野村育代  吉川弘文館
「源 頼朝」            永原慶二  岩波書店
「日本の歴史7 鎌倉幕府」  石井進  中央公論新社

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