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トップ  バックナンバー  2010年  2月  第32回 ”ひょうきん”に命がけ

”ひょうきん”に命がけ
~戦国武将・古田織部 美の革命~

●本放送 平成22年 2月10日(水) 22:00~22:43 総合 全国
●再放送 平成22年 2月17日(水)
平成22年 2月17日(水)
08:15~08:58
16:05~16:48
BS2
総合
全国
全国
※再放送の予定は変更されることがあります。当日の新聞などでご確認ください。

配役:古田織部役 川村伸彦
千利休役  竹下眞

エピソード1 ようこそ!“ひょうきん美学”の世界へ 

芸術において傷や歪みを肯定した古田織部の“ひょうきん美学”はいかに誕生したのか。
織部は美濃、現在の岐阜県に武将の子として生まれました。若くして織田信長に仕え、美しいものなら世の東西を問わず愛でる信長の斬新な美学に接します。また、千利休について茶道を学びます。武将として幾多の戦場を駆け抜けたものの武功は少なく、一方で芸術や茶道にのめり込み、やがて常識にとらわれないユニークで独創的な美の世界を見出していきます。彼が関わったり評価したりする芸術は大ブームを巻き起こすのです。
 

エピソード2 誰が?どうやって?織部焼の謎に迫る旅

古田織部の名が冠された焼物、織部焼。ダイナミックな形や斬新でアバンギャルドな色彩と文様が特徴で、16世紀後半から17世紀前半にかけて大流行しました。ところが、織部と織部焼の関係には謎が多く、両者の直接的な関係を示す証拠は見つかっていません。織部焼は織部の故郷・美濃で作られていました。美濃で織部焼の大量生産を可能にした当時最新の「連房式登り窯」は、現在の佐賀県唐津市からもたらされたもの。そして織部はこの時代に唐津にも滞在しています。また織部焼の誕生と流通には、京都などの大都市の商人や文化人たちが関わっていると考えられますが、織部はこうした大都市での文化の流行に大きな影響力を持っていました。古田織部と織部焼との関わり…それはいまだ歴史のミステリーです。
「発掘された織部焼」京都市埋蔵文化財研究所
 

エピソード3 “ひょうげもの”天下人に反抗する

古田織部は後半生、名実ともに天下一の茶道の名人となります。有力な大名や商人を弟子としたそのネットワークは大きな力を持っていました。一方、関ヶ原の戦いの後、家康は強引に豊臣家を排除しようと画策。それに対して、織部は奇妙な行動に出ています。豊臣家の和平交渉役を担っていた武将・片桐且元と行動を共にしたり、方広寺の鐘の銘文を考案して家康の怒りを買っていた僧侶・文英清韓を茶会に招待したりと、家康に反抗するかのようです。豊臣家滅亡の後、織部は家康により謀反の罪で切腹を命じられ、その生涯を終えます。独創的な破調の美、“ひょうきん”さを愛した古田織部は、その人生においても時代の流れに逆らい“ひょうきん”さを貫いたのかもしれません。
 

参考文献

『古田織部茶書 一・二』(思文閣出版)
桑田忠親『古田織部の茶道』(講談社)
池田瓢阿『利休そして織部』(主婦の友社)
矢部良明『古田織部』(角川書店)
久野治『古田織部の世界』(鳥影社)

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