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トップ  バックナンバー  2010年  5月  第40回 奈良の魔法使い

奈良の魔法使い
~日本を救った遣唐使・吉備真備(きびのまきび)~

●本放送 平成22年 5月19日(水) 22:00~22:43 総合 全国
●再放送 平成22年 5月26日(水)
平成22年 5月26日(水)
平成22年 5月28日(金)
08:15~08:58
16:05~16:48
02:00~02:43
BS2
総合
総合
全国
全国
全国(木曜深夜)
※再放送の予定は変更されることがあります。当日の新聞などでご確認ください。

出演:吉備真備役:佐渡山順久 孝謙天皇/称徳天皇役:吉田薫

エピソード1 遣唐使ってどんな旅? 

唐へ渡る吉備真備(イメージ)
630年に始まり、計15回中国の唐へと派遣された「遣唐使」。その旅は、船の約四分の一が沈没や漂流等で帰らないという危険に満ちたものだった。
内乱が多発、飢饉や疫病などに苦しみ、国を強化することが必要だった奈良時代、遣唐使は、唐との関係を良好にするとともに、その進んだ文化や学問を吸収するための国家プロジェクトだった。遣唐使に選ばれたのは、国の命運を担った精鋭たち。平城京の大学で優秀さを認められた「吉備真備」をはじめ、留学生の専門分野は、仏教や金属・ガラスの加工、舞踏など多岐にわたる。真備たち一行はおよそ3か月の旅を経て唐の都・長安に到着。長安は当時世界最大級の大都市であり、最新の文化が集まる場所だった。
 

エピソード゙2 真備は唐で何を学んだの?

吉備真備は23歳で唐の長安に留学し、猛勉強の日々を送った。その多方面にわたる秀才ぶりが日本では伝説の形で伝えられてきた。平安時代に作られた『吉備大臣入唐絵巻(きびだいじんにっとうえまき)』では、真備が唐の人々の仕掛ける罠を知恵と不思議な力で切り抜ける活躍が描かれている。その様は、鬼を操り・空を飛ぶ“魔法使い”。持ち帰った文物や帰国後の業績等から、真備は中国語はもちろん儒教や律令制度、天文学、軍事学、音楽まで幅広くマスターしていたと考えられる。最先端の知識と、それらを駆使する合理的思考が、当時の日本の人々にとってあたかも“魔法使い”のように見えたのかもしれない。
鬼を操る真備(イメージ) ⓒ2010 Museum of Fine Arts,Boston.Reproduced with permission
 

エピソード3 日本を救った真備の“魔法” 

真備と仲麻呂・道鏡(イメージ)
吉備真備は40歳で帰国し、大学改革や最新の中国語の普及に尽力し朝廷の注目を集め、政治の中枢へと抜擢されていく。天皇の信頼を得た真備だが、朝廷では権力争いが深刻となっていた。実権を握ろうとする貴族・藤原仲麻呂と孝謙上皇の争いでは、真備は上皇側の軍の指揮官となり、巧みな戦術で仲麻呂軍を倒した。その後、朝廷では僧侶・道鏡が天皇の寵愛を受けて台頭する。この頃の真備の記録は少ないが、天皇の座を狙ったとも言われる道鏡を押しとどめたのはあるいは真備ではなかったかという説もある。右大臣にまで出世した吉備真備は775年、81歳で亡くなる。激動の奈良時代を、最新の学識で支え続けた。その手際は後世に“魔法使い”とたたえられることになる。
 

吉備真備に関する絵巻の展示について

奈良国立博物館で開催中の「大遣唐使展」で、番組で紹介した「吉備大臣入唐絵巻」の一部が展示中。展覧会は6月20日(日)までです。

奈良国立博物館(奈良市登大路町50番地)
 

参考文献

東野治之『遣唐使』(岩波書店)
上田雄『遣唐使全航海』(草思社)
住吉大社編『遣隋使・遣唐使と住吉津』(東方出版)
森 公章『遣唐使と古代日本の対外政策』(吉川弘文館)
宮田俊彦『吉備真備』(吉川弘文館)
高見 茂『吉備真備 天平の光と影』(山陽新聞出版社)
中山 薫『吉備真備の世界』(日本文教出版)
黒田日出男『吉備大臣入唐絵巻の謎』(小学校)
栄原永遠男『天平の時代』(集英社)
渡辺晃宏『平城京と木簡の世紀』(講談社)
岡田芳朗『日本の暦』(新人物往来社)

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