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トップ  バックナンバー  2009年  12月  第26回 古城に眠る秀吉の“Beobo”

古城に眠る秀吉の“Beobo”
~新発見「大坂図屏風」の不思議な旅路~

●本放送 平成21年12月 9日(水) 22:00~22:43 総合 全国
●再放送 平成21年12月16日(水)
平成21年12月16日(水)
08:15~08:58
16:05~16:48
BS-2
総合
全国
全国
*再放送の予定は、変更されることがあります。当日の新聞等でご確認下さい。

エピソード1 秀吉の大坂 よみがえる幻の都

「大阪図屏風(部分)」
西日本最大の都市・大阪。およそ400年前にその礎を築いたのが豊臣秀吉。しかし、秀吉が築いた大坂は、大坂夏の陣により、わずか30年程で焼失。記録がほとんど残っていない幻の都だった。ところが、今回発見された「大坂図屏風」には、その様子が細かく描かれていた。京都の方向に対し、権威を誇るように光り輝く極楽橋、巨大な軍事施設「馬出曲輪(うまだしくるわ)」、そして、下水設備など画期的な都市計画に基づく商業地区・船場(せんば)…。秀吉の大坂は、天下人の権威と軍事力、そして経済力を併せ持つ、最先端の巨大都市だったのだ。
 

エピソード2 日本の屏風を輸出せよ 外国商人 涙の奮闘記

「大坂図屏風」が海を渡ったのは、江戸時代の初め。当時輸出された屏風で、現在も残っているのは、実はこれ一つだけなのだ。貴重な「大坂図屏風」をヨーロッパに運んだとされるのは、オランダ東インド会社。当時、屏風は海外で人気の贈答品だったが、商品としては“水濡れ・虫食い”など問題を抱えていた。オランダ東インド会社は「もうけのため」とリスク承知で輸出を実行。しかし、無事に届いたのは一度だけ…。「大坂図屏風」は、このたった一度の成功の時に運ばれたと考えられている。それは、まさに外国商人の涙ぐましい努力のたまものだった。
「悩むオランダ商館長」(再現)
 

エピソード3 偶然のいたずら? 「大坂図屏風」数奇な運命

「エッゲンベルク城」
見知らぬ世界からの極めつけの珍品として、オーストリアの貴族エッゲンベルク家にもたらされた「大坂図屏風」。やがて時の流れと共に、屏風はバラバラにされ、城の装飾として壁にはめ込まれてしまう。しかし、実はこの一見悲劇的な状態が、その後の屏風の命を救っていく。湿度の変化による破損を防ぎ、さらに第二次世界大戦・ソ連軍による城の接収時には、屏風は壁と一体化していたため、略奪を免れる。偶然のいたずらに守られた、「大坂図屏風」の数奇な運命の物語。
 

この回ゆかりの地は・・・

参考文献

『大阪城・エッゲンベルグ城友好城郭締結記念 特別展 豊臣期大坂図屏風』 
大阪城天守閣編集 (財団法人大阪観光コンベンション協会 2009)
『興亡の世界史15 東インド会社とアジアの海』 羽田正著 (講談社 2007) 
『美の架け橋 異国に遣わされた屏風たち』 榊原悟著(ぺりかん社 2002)
『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマ-の謎』 小宮正安著(集英社新書 2007)
『平戸オランダ商館の日記』永積洋子訳 (岩波書店1980 全4巻)
『長崎オランダ商館の日記』村上直次郎訳 (岩波書店1980 全3巻)

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