文研ブログ

2023年6月

調査あれこれ 2023年06月28日 (水)

"メディア"と"多様性"の足跡をたずねて【研究員の視点】#496

メディア研究部(メディア動向)熊谷百合子

venue_long1.jpg企画展の会場

 6月21日、世界経済フォーラムが2023年版の「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」1) を公表しました。日本は146か国中125位と、前年の116位を更に下回る結果となりました。2006年に調査が始まって以来、過去最低の水準です。ジェンダー・ギャップ解消のペースが今のままでは、男女平等の実現には131年かかるという試算も出されました。皆さんはこの現実をどのように受け止めますか?
 メディアがこの課題に果たすべき役割について改めて考えたいと思い、私は、8月20日まで開催中の企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」2) を見るため、横浜のニュースパーク(日本新聞博物館)を訪ねました。
 日本新聞協会が運営するこの博物館は「歴史と現代の両面から確かな情報を見きわめる大切さと新聞の役割を学べる展示」を意識し、体験型ミュージアムとして中高生の体験学習の場としても活用3) が期待されています。今回の取材でも、館内は総合学習の一環で訪れている中学生や高校生でにぎわいを見せていました。
 新聞やテレビ、通信社は、報道を通じて差別や人権侵害に関する問題を提起し、社会制度そのものの改善を働きかける役割を担ってきました。一方で、社会のさまざまな分野で多様性(ダイバーシティー)が重視されるようになるなか、メディアの中の多様性は進んでいないのではないかという指摘もあります。SDGsの機運が高まり、Z世代を中心とした若い世代が多様性教育を受けるなかで、世代間で意識の差が生まれていることも否めません。そんな今だからこそ「多様性」をキーワードに、「メディアが変えてきたもの」と「メディアを変えてきたもの」を時代の変化とともに振り返ろうというのが、今回の企画展です。展示資料はおよそ300点。病気や障害、子ども、性的マイノリティー、日本で暮らす外国人や少数民族をメディアはどのように取り上げてきたのか。明治期から現代までの日本の多様性の足跡を追体験しながら、メディアと人々との新しい関係性や未来のメディアの役割についても考えさせられる企画構成になっています。このブログでは、この多様性展から見えてきたメディアのジェンダー平等の足跡に注目して取り上げます。

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 「第1章 近代日本と女性」の展示では、明治から昭和初期までの新聞紙面から、この時代の新聞が女性をどのように取り上げてきたかを確認することができます。気になった記事を1つ紹介しましょう。

 「當世婦人記者」と題したこの記事は、東京朝日新聞(現在の朝日新聞)の松崎天民記者が執筆したものです。記事の冒頭を引用します。
「文明開化の世界になつて、女の職業が段々殖(ふ)えて来た、遂(つい)には男の領分をも犯す様(よう)になつたは、婦人界のため祝着(しゅうちゃく)至極(しごく)だ、などゝ云つている間に油断は大敵、何時(いつ)しか新聞記者の領分にまで侵入して来た、あゝこれ何等(なんら)の珍現象ぞ」。

 明治20年代以降、新聞各紙で新設された家庭欄の編集担当として女性が採用されるケースも多くなっていました。この記事からは、女性記者が増えつつあることを「珍現象」として男性記者が捉えていた、当時の時代の空気がひしひしと伝わってきます。

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 時は流れて令和の時代。かつてに比べると今の日本は女性にとってだいぶ働きやすい社会になっているように感じます。その土台を作ったのは「男女雇用機会均等法」。就職、昇進、定年など職場における男女の平等をうたった日本初の法律です。
 企画展「第3章 メディアの中の多様性は」の冒頭に展示されていたのは、均等法が成立した1985年5月17日の夕刊の一面記事、そして当時の労働省婦人局長で“均等法の母”と呼ばれた赤松良子さんによって2021年12月に連載されていた日本経済新聞の「私の履歴書」の記事とメッセージでした。連載は去年、「男女平等への長い列」4) のタイトルで単行本化されました。女性官僚の先駆けでもある赤松さんが、戦後日本の女性の地位向上を目指して奮闘してきた歩みを辿ることのできる一冊で、会場でも手に取って読むことができます。

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 赤松さんの連載の編集を担当したのは、日本経済新聞社の編集委員兼論説委員の辻本浩子さんです。均等法施行後の89年に入社し、女性労働を長く取材してきた辻本さんにとって、赤松さんの連載に関わることには特別な思いがありました。

(辻本さん)
「私が就職活動をするころには均等法がもう施行されていて、女性も働く時代だということが当たり前のようにテレビや新聞でも取り上げられていました。働く女性を当たり前の存在として社会の中で映し出していたことが大きかったですね。そういう意味でも私は均等法の恩恵を受けた一人です。社会部や生活情報部の記者として、働く人の現場や厚生労働省を担当していたので、レジェンドでもある赤松さんのことはずっと存じ上げてきました」

 projectX_akamatsuW.jpg2000年12月放送「プロジェクトX」より

 日本の男女共同参画の道を切り開いてきたパイオニアとして知られる赤松良子さん。かつてNHK総合で放送していた「プロジェクトX」でも、赤松さんら労働省の女性官僚が均等法成立に注いだ情熱を克明に描いています。20世紀最後の放送回となった2000年12月19日に「女たちの10年戦争~『男女雇用機会均等法』誕生~」5)と題して放送された番組では、経済界や労働運動からの激しい反発を受けながらも、苦渋の末に法律が生まれた過程を描いています。“男女平等への長い列”が連綿と今の時代にも続き、まだ道半ばであることを感じさせる番組でした。ちなみに、2000年春に放送が始まった「プロジェクトX」が女性たちのプロジェクトとして初めて取り上げたのが、この「女たちの10年戦争」です。番組冒頭のスタジオでは、「今世紀最後のプロジェクトX、ついに女性たちのプロジェクトの登場です」と紹介されていました。
 「結婚退職制」、いわゆる“寿退社”の慣例に終止符を打った男女雇用機会均等法は、その後、1997年、2006年、2016年、2019年と4回の改正を経て現在に至っています。2度目の改正となった2006年には妊娠、出産を理由とした不利益取り扱いの禁止が盛り込まれたほか、直近の2016年の改正では事業主に対して妊娠、出産などに関するハラスメントの防止措置義務が新たに盛り込まれました。「プロジェクトX」の放送から21年後の2021年12月にNHK News Webに掲載された「News Up寿退社って、定年退職のこと?」6) と題した記事では、“寿退社”という言葉がもはや若い人には通じないことが紹介されています。
仕事と育児を両立する女性の先輩たちの背中を見ることができたのも、均等法が切り開いた新たな職場の風景と言えるでしょう。均等法は女性の働き方を変えたのみならず、この企画展のタイトルにもある「メディアを変えたもの」そのものだと感じました。
 辻本さんは、“均等法の母”と呼ばれる赤松さんの言葉に今だからこそ触れてほしいと言います。

(辻本さん)
「連載したのは均等法の施行から35年の節目でした。若い人たちには、均等法はあって当然の法律だと思いますが、なぜこの法律ができたのか、どんな経過で作られてきたかはあまり知らないですよね。今もまだ女性が働きやすい社会とはなっておらず、均等法が目指した完全な男女平等のかたちにはなお遠い状況です。『男女平等への長い列に加わる』というのは赤松さんが好きな言葉なんですが、今回の連載を若い人へのバトンのつもりで書いてくださいました。長い列にはたくさんの人がいるわけです。悩んでいるのは自分だけじゃない、そして長い列で進むわけですから、変えようとする人たちがずっといて、変えようとする動きがあるということに、私自身も励まされる思いでした」

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 今回の企画展では「メディアが変えたもの」として象徴的な展示もあります。
 会場のテレビモニターに映し出されていたのは1980年代にTBSが展開した「ベビーホテル・キャンペーン」の報道番組です。スタジオで解説する女性のテロップは「堂本記者」。2001年~2009年まで千葉県知事を務めた、堂本暁子さんの記者時代の姿でした。無認可の保育所に「ベビーホテル」と呼び名をつけて、子どもの置かれた劣悪な環境を週に1回のペースで夕方6時からのローカルニュースで1年にわたり放送しました。キャンペーン報道の概要を伝えるパネルでは「ベビーホテルの運営実態、預ける親の声や独自の利用者実態調査結果、識者の意見、厚生大臣のインタビューなどさまざまな角度から問題を伝え続けた」ことが紹介されています。この報道をきっかけに81年6月には児童福祉法が一部改正され、行政の監督権限が与えられるなどの改善につながりました。
 「問題に気づいた時に、入り口で止まるのではなく、課題を洗い出し、改善できるまで闘い抜くことが求められています」という堂本さんのメッセージが、報道の現場に身を置いてきた私にはずしりと響きました。

odakadirector6.jpg尾高泉館長

 開館以来、ニュースパークではさまざまな企画展を開催してきました。報道写真展や従軍取材展のほか、大震災や環境、太平洋戦争など取り上げたテーマは多岐にわたります。ミニ展示を含めるとその数は140を超えますが7)、「多様性」をテーマとした企画展は、20年あまりにわたる歴史のなかで今回が初めてのことです。館長の尾高泉さんが企画展のきっかけについて教えてくれました。

(尾高館長)
「男性中心の新聞業界でキャリアを重ねてきた均等法第一世代の全国の女性記者の皆さんが、定年や役員就任の時期を迎え、この40年弱の足跡からメディアや社会の変化をまとめてみよう、という機運が業界内外にありました。同時にグローバリズムやデジタル化でDE&I(Diversity, Equity and Inclusion)推進の流れも高まってきました。当時の報道業界は女性用の宿直室がなく、取材先に女性用のトイレもない時代でした。採用される女性も少なかったのですが、深夜勤務の多い報道界では、結婚や出産を機に辞めた人も多いので、今も残る女性はさらに少数派です。新聞博物館としてもまず、女性記者の歩みやジェンダー平等について、過去、現在、未来に時間軸を広げてまとめることから準備し、マイノリティーなどの多様性の視点の資料も収集していきました。」

 均等法が施行された1987年に日本新聞協会に就職した均等法第一世代でもある尾高館長。今回の企画展は、子育て中の男性学芸員や女性学芸員も含めた多様なメンバーで構成することも意識したそうです。メンバーの年齢も多様にすることで、互いの視点を生かしながら展示の内容を深めることにもつながったと手応えを感じていました。当初から企画展の準備に関わってきた学芸員の平形さゆみさんと工藤路江さんは、来館者からの反応に驚かされていると言います。

curators7.jpg学芸員の平形さんと工藤さん

(平形さん)
「企画展の会場でベテランの女性記者の方に声をかけていただくことがあります。展示をご覧になってこれまでの記者人生でのさまざまな思いがめぐるようなんですよね。男性が圧倒的に多い職場や取材先で、女性であるがゆえに味わった悔しい経験についても蕩々(とうとう)と語ってくださるので、私たちも新たな気づきを日々もらっています。それだけでなく、他の業界で働く女性からも声をかけられます。働く女性、過去に働いたことのある方なら誰でも胸に響く展示になっているのかなと感じます。ぜひ多くの方に来館してほしいです」

(工藤さん)
「展示物について聞かれるということよりも、展示物からさまざまな思いがめぐって、語らずにはいられないという方が多いのが今回の企画展の特徴かもしれないですね。見てくださる方の熱量を感じます。閉館後は毎日、展示室の清掃をしているのですが、ショーケースにはたくさんの指紋の跡が残っていて、熱心にご覧になっていったんだなぁというのが伝わってきます」

womensday8.jpg国際女性デーの地方紙の記事

 会場の中でひときわ印象的だったのが、国際女性デーの3月8日付けの全国紙や地方紙の朝刊を並べたコーナーです。沖縄タイムスと琉球新報は題号にシンボルフラワーのミモザをあしらい、国際女性デーならではの紙面を演出していました。また北海道新聞や東京新聞、西日本新聞など10紙以上の地方紙が一面トップでジェンダー・ギャップに関する記事を掲載しています。

newspaper_article9.jpg地方紙の一面記事 

 記事に共通して出てくるのが「都道府県版ジェンダー・ギャップ」というワードです。「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」は、共同通信が上智大学の三浦まり教授らと去年から始めた新たな取り組みで、世界経済フォーラムが算出するジェンダー・ギャップ指数を参考に「政治」「行政」「教育」「経済」の4分野の指数と順位を都道府県ごとに分析し、毎年国際女性デーの3月8日に公表しています。公表されたデータは加盟社の地方紙や放送局が活用することができます。地方紙の一面トップでジェンダー・ギャップが取り扱われていることに、館長の尾高さんも変化の兆しを感じています。

(尾高館長)
 「国際女性デーにこれだけ多くの地方紙が向き合っていることを知ったのは、今回の企画展の原動力の一つとなりました。『都道府県版ジェンダー・ギャップ指数』が可視化されたことで、地方紙の各紙がジェンダー・ギャップを『地域の社会課題の一つだ』という認識で独自に取り組めるようになったのだと思います。地方紙でジェンダーに取り組んでいるのは20代、30代の若い女性記者です。均等法1期生の女性は組織の中で圧倒的に少数派なので、ジェンダーやフェミニズムとはあえて距離を置いてきたという人も少なくありません。若い世代の記者の皆さんが地域のジェンダー・ギャップを真正面から描写して記事化していることに、活力を感じますね」

 男女間の格差がいまだに深刻な日本。ジェンダー平等の実現に向けて、変化を加速させていくためにメディアが果たしていくべき役割は、これまでにも増して大きくなっていると感じます。7月15日(土)には「多様性とメディア」8) 、そして7月29日(土)は「新聞とジェンダー平等」9) をテーマにした2つのシンポジウムも企画していて、メディアに関わる新聞記者や研究者が議論を交わす予定です。ニュースパークの「多様性展」は、日本のジャーナリズムの現在地、そして未来に向けて果たしていく役割を見つめ直す一つの契機となりそうです。


1) https://www.weforum.org/reports/global-gender-gap-report-2023

2) 企画の詳細は https://newspark.jp/exhibition/ex000318.html

3) ニュースパークの概要・沿革 https://newspark.jp/about/

4) https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/22/06/23/00255/

5) https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A200012192115001300100

6) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211215/k10013389061000.html

7) これまでの企画展一覧 https://newspark.jp/exhibition/archive/

8) https://newspark.jp/news/2023/0609_000324.html

9) https://newspark.jp/news/2023/0609_000325.html

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【熊谷 百合子】
2006年NHKに入局。福岡局、報道局、札幌局、首都圏局を経て2021年11月から放送文化研究所。
メディア内部のダイバーシティやジェンダーをテーマに調査研究中。

★こちらの記事もあわせてお読みください
#457北欧メディアに学ぶジェンダー格差解消のヒント
#466テレビのジェンダーバランス~国際女性デーのメディア発信から日常の放送・報道を見直すことを考える~
#475アナウンサーが探るジェンダーギャップ解消のヒント
 

メディアの動き 2023年06月26日 (月)

NHKを巡る政策議論の最新動向④  いまNHKに何が問われているのか【研究員の視点】#495

メディア研究部(メディア動向)村上圭子

はじめに
 本ブログでは、「NHKを巡る政策議論の最新動向」と題し、NHKのネット活用業務の今後に向けた議論を中心に整理しています。今回はその4回目です1)
 ブログの当初の目的は、総務省「デジタル時代の放送制度の在り方に関する検討会(以下、在り方検)」の「公共放送ワーキンググループ(以下、公共放送WG)」で行われている議論をできるだけわかりやすく整理することでした。しかし、NHKにおいて、現在は認められていないBS番組の同時配信を名目とする不適切な設備調達の手続き(以下、BS同時配信設備調達問題)が進められていた事案が明らかになったり2)、自民党の情報通信戦略調査会(以下、自民党調査会)において非公開で行われたヒアリングでNHKが答えた内容が公共放送WGの説明より踏み込んだ内容であると新聞で報じられたり3)、NHKによる“日本の放送業界への貢献”という観点から放送業界のプラットフォーム(以下、PF)について検討するタスクフォース(以下、TF)が立ち上がったり4)と、NHKのネット活用業務を巡る新たな動きが次々と出てきました。図1はこうした最近の動きを整理したものです。これらを単独の動きとしてではなく、関連付けて総合的に捉えていかなければ、NHKを巡る政策議論は正しく認識できないと考えています。

replacement_dayandtime.jpg図1 NHKのネット活用業務をめぐる最近の主な動向

 この他、いまNHKでは、ネット活用業務に関すること以外にも、複数の番組制作を巡って問題が指摘されたり5)、私が所属する文研でも個人情報を紛失するという問題が起きたりしています6)。本ブログとはテーマが異なるので詳細は取り上げませんが、受信料で業務を行う職員の一人として改めて身を引き締め、社会に対する責任をしっかりと果たしていきたいと思います。
 さて、今回は6月7日に行われた第9回の公共放送WGの議論を取り上げます。様々な動きの最中で開催された会合であったため、これまで以上に議論の論点は多岐にわたりました。またこの日は、ネット活用業務の必須業務化を求めるNHK、その姿勢に対して以前から懸念を表明してきた民放連、日本新聞協会の三者が一堂に会し、直接意見を述べあう場にもなりました。以下、主な議論のポイントを整理していきます。

1.問われる「ガバナンス」
 NHKについてはこれまで、在り方検の前身である「放送を巡る諸課題に関する検討会7)」(2015年~2020年)の頃から、①業務②受信料③ガバナンスの「三位一体改革」が求められてきました8)。本WGではこのうち、①のネット活用業務のあり方と②の受信料制度の将来像が中心に議論されてきましたが、第9回会合ではNHKのBS同時配信設備調達問題を巡り、③のガバナンスが大きな論点となりました。
 まずNHKの根本拓也理事が、これまでの経緯と再発防止策に関する説明を行いました9)。それに対して大谷和子構成員からは、NHK内の企業風土に問題があるのではないかとの指摘が、そして宍戸常寿構成員からは、経営委員会や監査委員会は十分機能しているのかとの疑問が投げかけられました。宍戸氏は、2018年にNHKがかんぽ生命保険の不正販売を番組で取り上げた際の経営委員会の対応10)などでも、経営委員会のガバナンスについて問題提起を行っています。また新聞協会からは、受信料で運営する組織であるにもかかわらず意思決定の過程における透明性を軽視している、ネット業務の今後を論じる以前に三位一体改革の進捗(しんちょく)状況を確認すべきで、夏に予定していたとりまとめは見送るべきだ、との声もあがりました。

2.問われる「WGへの姿勢」
 また、自民党調査会で行われたヒアリングに関する報道を巡り、NHKの公共放送WGに向き合う姿勢が問いただされる場面もありました。この事案はNHKが今後デジタル情報空間で果たすべき役割や、民間事業者との公正競争といった最も重要な論点に直結するものでもあったため、本ブログでも触れておきたいと思います。
 経緯を確認するため、5月26日に行われた第8回の公共放送WGの議論を少し振り返っておきます。この会合ではNHKの井上樹彦副会長が、ネット活用業務を必須業務化する場合には「放送と同様の効用をもたらすものに限って実施していくことが適切である」と述べ、業務の基本は「放送の同時配信・見逃し配信(NHKプラス)」と「報道サイト」であると説明しました。その上で、「放送と同様の効用をもたらすもので異なる態様のもの」についても、一部必須業務化することが考えられると述べました。その具体例として、テレビを保有しない人たちを主な対象とした「インターネット社会実証11)」で検証した結果を踏まえ、視聴者の関心の幅を広げるための一覧・連続再生のようなサービスや、放送より細かいエリアで情報を伝える災害マップなどをあげました。
 説明を受け、構成員から質問が相次いだのが「異なる態様のもの」についてでした。NHKはどのような考え方でこのサービスに臨もうとしているのか、どのくらいの費用をかけて行うつもりなのか、そして、現在は任意業務として行っているネットサービス、「理解増進情報」との関係はどうなるのか、などです。
 「理解増進情報」とは、NHKとの受信契約の有無を問わず、現在、全ての視聴者・国民向けに提供しているネットサービスです(図212))。番組の周知・広報のためのSNSなどでの発信、放送では伝えきれなかった内容を深掘りし再構成したテキスト記事、課題解決に向けたコミュニティーや視聴者との対話の場作りなど、様々な取り組みが行われています。NHKは毎年、総務大臣の認可を得た上でこうしたネットサービスを行っていますが、民放連と新聞協会からは、NHKはなし崩しにサービスを拡大させているのではないかと繰り返し指摘されてきました。公共放送WGでも、このサービスについては、受信料での負担のあり方や、民間事業者との公正競争の観点から度々議題にあがっていました。そのため構成員からは、この理解増進情報が必須業務化したら「異なる態様」として衣替えするだけではないか、必須業務化してもサービスに歯止めがかからないという同じ問題が生じてしまうのではないか、といった疑問が呈されていたのです。

bolg4-2.png図2 NHKのネットサービス「理解増進情報」

 これらの質問、疑問に対し、NHKは、今後はむしろ必須業務化することで、公共放送としてこれまでやってきた正確な情報の提供、情報空間において信頼できる情報の参照点という内容に、より“純化”して業務を行っていくことになるだろう、という趣旨の回答を行いました。ただ、構成員からはより詳細な説明を求められたため、次回のWGで改めて回答することになりました13)
 この3日後、5月29日に行われたのが、自民党調査会によるNHKへのヒアリングでした。テーマは公共放送WGと同様、ネット活用業務の必須業務化に関するものでした。ヒアリング後、日本経済新聞は「NHK、ネットの文字ニュース縮小を示唆 自民党調査会で」、朝日新聞は「NHK幹部、文字ニュースの見直しを示唆 「映像や音声伴うものに」」と報じました。記事によるとNHKの井上副会長は、民間との役割分担に関して「一部適切とは言い切れないものがあった」とし、ネット活用業務におけるニュース配信については、「映像と音声がともなったものに純化したい」と発言したとのことです。会議自体は非公開で行われているため議事録は公開されておらず、記事は自民党調査会事務局長による記者団への説明をもとに書かれていました。
 この自民党調査会の9日後に開かれたのが、今回のブログで取り上げている第9回の公共放送WGです。公開の場でNHKがどのような発言を行うのかが注目される中、NHKの根本理事は資料14)を示しながら、前回の第8回の回答を補足していきました。ネット活用業務の「異なる態様のもの」についてどのような回答を示したのか、資料から引用しておきます。
 「NHKに最も求められている「正確な情報」「多様な番組」「信頼できる情報空間の参照点」といった内容により純化して、業務を行っていく考えである」。「個別放送番組の理解を促すコンテンツ群が増えていくようなことにはならないと認識している」。「ネット全体で見た場合に、もっと純化すべきではないか、という声があることは承知している。(中略)「理解増進情報」ではなく「必須業務」となることで、公共放送のミッションそのものを体現する、引き締まったものになると考えている」。
 NHKのこの補足回答に異を唱えたのが曽我部真裕構成員でした。曽我部氏はNHKに対し、自民党の調査会でテキストニュースを縮小する方針を説明したとみられるが、この点については前回のWGでも、また今回も関連質問があるにも関わらず説明にも書面にも特段言及がないのはWGに向き合う姿勢として疑問に感じるとコメント。その上で、もしも自民党調査会に関する報道が正しいとすれば、テキストベースの報道の配信についてNHKはどうするつもりなのか、改めてこの場で説明してほしい、と要望しました。
 これに対しNHKは、放送でやらないようなものはなるべくやらない、NHKの本来業務としての仕事をやっていきたい、それによってNHKの役割が純化していく、ネット活用業務においてどういう業務が放送と同様の効用になるのかについては、これまで理解増進情報で提供してきた内容の再整理をしっかり行っていきたい、と回答しました。

3.問われる「情報社会の参照点としての役割」
 NHKが繰り返し述べた「整理」もしくは「再整理」という言葉について、民放連は業務の「縮小」と受け止めたとして、NHKは理解増進の名のもとで膨らんだネット活用業務を絞り込み、ネットには放送と同じものを出すとの姿勢を打ち出したものと理解した、という趣旨のコメントをしました。長田三紀構成員からは、テレビ受信機を持っていない人もネット上でNHKの放送が見られるといいとは思っているが、放送で省略しているものをネットで補うから放送と同じというわけにはいかない、との発言がありました。長田氏の発言に共鳴したのが新聞協会でした。新聞協会は、我々はテレビ非保持者へのNHKプラスの拡大に反対しているわけではない、懸念しているのは放送と同一とされていても、次第にその幅が広がってネット上で放送とは異なる別な報道の空間ができてしまうことであると述べました。
 こうした議論の流れに異を唱えたのが瀧俊雄構成員でした。瀧氏は一連の議論の中でNHKが頻繁に用いる「整理」という言葉を「縮小」と解釈することついては若干の危うさを感じているとし、その理由を以下のように述べました。自分は新聞の購読者として記事を読んでいるが、長尺のしっかりした記事を実はNHK(のネットサービス)でしか読めない経済環境にある方もいるのではないか、その点をきちんと議論すべきであり、縮小=整理ということではないのではないか。
 また、縮小に反対する意見は、この日の午後に行われた在り方検の親会でも出されました。発言したのは奥律哉構成員でした。奥氏は、NHKが情報空間において参照点でありたいというのなら、NHKはネット上でデータとして残るものを常に出し続け、変更があればそれを訂正していくことが必要ではないか、放送と同様ということで映像や音声を中心に考え、テキスト化を抑制するかもしれないというのは、本来目指す方向とは逆向きのベクトルではないか、と述べました。

4.問われる説明責任
 瀧氏や奥氏の発言には、放送と同じ内容をそのまま配信するネットサービスや、受信契約者向けのネットサービス以外にこそ、NHKが情報空間において果たすべき役割があるのではないか、という趣旨が含まれていたと私は理解しました。NHKからは、公共放送WGや在り方検親会で踏み込んだ回答が示されることはありませんでしたが、6月21日の会見の席で、自民党調査会でヒアリングを受けた井上副会長は以下のように述べました。「値下げ等で厳しい状況になる中、経営資源の選択と集中を行うことになる。無秩序に業務が拡大するということにはならないのではないかという趣旨で申し上げた。業務全般を点検、再整理していくというふうな考え方を示した」。また、NHK稲葉延雄会長は「ネットの世界というのは日々変化していますし、5年後10年後の世界っていうのは誰も予測ができないですね。そういう将来を見越しながらこの具体的な手段を、適当か適当でないかって議論をするのはあまり意味がないなと私自身は思っています。」「必須業務化する中で、NHKでやるべき仕事としてどうなのかという見地から再整理する。したがって再整理が一概に縮小ということにはならない」と述べました。
 この会見を受け、先の自民党調査会後に「NHK、ネットの文字ニュース縮小を示唆 自民党調査会で」と報じた日経新聞は、「NHK、文字ニュース配信縮小を修正」と報じました15)。ただ、NHKの会見では、「修正」ではなく、何らかの理由で「誤解」されて伝わったというニュアンスで伝えていました。前述のように自民党調査会のヒアリングは非公開であるため、発言の詳細や雰囲気をうかがい知ることはできませんが、ヒアリングを受けた当事者であるNHKから、必須業務化に向けて、ネットサービスにおいてテキストを一概に縮小していくということにはならない、という方向性が表明された以上、今後はこの考えが前提となって議論が積み重ねられていくことになると思います。

 今回を含め、これまで4回、ネット活用業務を中心にNHKを巡る政策議論についてみてきました。議論を整理して最も感じたのは、NHKは常に説明責任を問われ続けており、それが十分に果たし切れているとは受け止めてもらえていない、ということです。制度や政策を議論する総務省の有識者会議において、「矜恃(きょうじ)」「理念」「姿勢」「ビジョン」という言葉が繰り返し構成員や競合するメディアから問われているという事実を、NHKはもっと重く受け止める必要があると思います。こうした「矜恃」「理念」「姿勢」「ビジョン」があってはじめて、具体的なサービス像や民間との競争ルールのかたちが見えてくるのではないか、という意見もその通りだと思います。
 公共放送や受信料制度の枠組みそのものが世界的に大きく揺らぐ中、NHKのみでこの難関を乗り越えていくことは困難であることは間違いありません。公共放送WGの議論を見ていても、その善しあしはともかく、これが正解、ここが落とし所、という方向を定めて進めているとは思えません。WGで投げかけられている本質的な問いにNHKが真正面から向き合い、メディアとしてどこに向かいたいのかを愚直に語ってみることでしか、もはや議論は前進しない段階にきているのではないかと思います。総務省で行われる有識者会議は誰もが傍聴できる開かれた場です。そこでNHKが説明責任を十分に果たしていると受け止められ、その説明に何らかの共感を得てもらえなければ、受信料を負担している一般の視聴者・国民、ましてNHKを視聴しないもしくはテレビを持たない人々から、NHKが必要だと感じてもらえるはずがありません。
 6月21日、総務省はNHKの受信料を1割引き下げる規約変更を認可したと発表しました16)。今年10月から、地上契約は月1100円に、地上・BS契約は月1950円に値下げすることになります。NHKが公共放送WGでも繰り返し説明していたように、これから受信料が大幅な減収に向かう中、業務における集中と選択は避けられません。放送同時・見逃し配信以外のネットサービスについても単に縮小するわけではない、と表明した以上、どの部分を強化し、そのためにNHK全体としてどこを縮小していくのか・・・。
 前述したとおり、理解増進情報についてはなし崩しに拡大しているとの批判があり、新聞協会からは具体的なサービス名もあげられています。しかし私は、批判は真摯(しんし)に受け止めつつも、ネット上のサービスやコンテンツの中身に関する判断は、メディアとしての自主自律の観点から、まずNHK自らが取捨選択を判断すべきであると考えます。以前から述べていることですが、NHKでは多くの現場で、デジタル情報空間における公共的なメディアの役割とは何かについて模索と議論が積み重ねられています。しかし、こうした現場の模索や議論を総合的に検証する中で、新たなデジタル情報空間における役割と、それを体現するネットサービスを具体的に考える作業が十分行われてきたかと問われれば疑問もあります。今一度こうした作業をしっかりと行い、そのプロセスを、NHKのネット活用業務の拡大に懸念を示す民放連や新聞協会と共有することによってはじめて、競争領域におけるルールの構築と、新たな協調領域の枠組みの議論に向かうことができるのではないでしょうか。
 議論はまだまだ続きます。引き続きブログなどで発信を続けていきたいと思います。


1) ①https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2023/05/18/
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2023/05/25/
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2023/06/07/

2) NHK広報局「インターネット活用業務に係る不適切な調達手続きの是正について」(2023年5月30日)https://www.nhk.or.jp/info/otherpress/pdf/2023/20230530_1.pdf

3) 日本経済新聞 「NHK、ネットの文字ニュース縮小を示唆 自民党調査会で」(2023年5月29日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2994G0Z20C23A5000000/
朝日新聞デジタル「NHK幹部、文字ニュースの見直しを示唆 「映像や音声伴うものに」」(2023年5月30日)https://www.asahi.com/articles/ASR5Z04R0R5YUTFK00Y.html

4) 総務省「デジタル時代の放送制度の在り方に関する検討会」「放送業界に係るプラットフォームの在り方に関するタスクフォース」(2023年6月19日初回開催)
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/digital_hososeido/02ryutsu07_04000387.html

5) NHK NEWS WEB「ニュースウオッチ9 先月15日の放送でBPOが審議入りへ」(2023年6月9日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230609/k10014095491000.html
「映像の世紀バタフライエフェクト『独ソ戦 地獄の戦場』修正について」
https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/

6) NHK広報局「NHK放送文化研究所における世論調査対象者資料の紛失について」(2023年6月2日)
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20230605_1.pdf

7) 2015年11月~2020年12月まで開催 NHKの放送同時配信などの制度改正が検討された
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/housou_kadai/

8) 三位一体改革の必要性については、2016年9月に公表された第一次とりまとめの段階で示されている
https://www.soumu.go.jp/main_content/000616366.pdf

9) NHK「NHK執行部の対応について」公共放送WG第9回資料(2023年6月7日)
https://www.soumu.go.jp/main_content/000885011.pdf

10) この問題のこれまでの経緯の詳細については
  https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/100/453059.html

11) NHK「インターネットでの社会実証(第二期)結果報告」(2023年5月23日)
  https://www.nhk.or.jp/info/otherpress/pdf/2023/20230523_2.pdf

12) 「NHKインターネット活用業務実施基準」(2023年4月)から引用
  https://www.nhk.or.jp/net-info/data/document/standards/221221-01-jissi-kijyun.pdf

13) 第8回会合で構成員からどのような疑問や質問があったかについては、6月7日の「文研ブログ」を参照
  https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2023/06/07/

14) NHK「前回会合における質問事項への回答」公共放送WG第9回資料(2023年6月7日)
  https://www.soumu.go.jp/main_content/000885014.pdf

15) 日経新聞「NHK、文字ニュース配信縮小を修正」(2023年6月21日)
  https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC21C8Z0R20C23A6000000/

16) 総務省「日本放送協会放送受信規約の変更の認可」(2023年6月21日)
  https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01ryutsu07_02000265.html

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村上圭子
報道局でディレクターとして『NHKスペシャル』『クローズアップ現代』等を担当後、ラジオセンターを経て2010年から現職。 インターネット時代のテレビ・放送の存在意義、地域メディアの今後、自治体の災害情報伝達について取材・研究を進める。民放とNHK、新聞と放送、通信と放送、マスメディアとネットメディア、都市と地方等の架橋となるような問題提起を行っていきたいと考えている。

メディアの動き 2023年06月26日 (月)

【メディアの動き】市川猿之助さんと両親,自宅で倒れ発見,両親は死亡,各社が大きく報道

 警視庁の調べによると,5月18日午前,歌舞伎俳優の市川猿之助さんと父親の市川段四郎さん,それに母親の3人が東京都目黒区の自宅で倒れているのをマネージャーが発見し,その後,両親の死亡が確認された。

 段四郎さんと母親は,自宅2階のリビングの床に布団がかけられた状態で倒れていて,前日から当日にかけて向精神薬中毒で死亡した疑いがあるという。

 猿之助さんは2人とは別の地下の部屋で意識がもうろうとした状態で発見されたが,命に別状はなく,自宅からは遺書とみられるメモが見つかった。

 猿之助さんは病院への搬送時に意識があり,同日,警視庁の事情聴取に対し「死んで生まれ変わろうと話し合い,両親が睡眠薬を飲んだ」という趣旨の説明をしたとのことで,警視庁は,両親が死亡した経緯などについて,さらに本人から事情を聞いて詳しく調べることにしている。

 人気歌舞伎俳優であり,テレビドラマでも活躍していた猿之助さんだけに,この出来事は各マスコミで大きく取り上げられ,SNS 上でも,憶測を含めたさまざまな意見や情報が飛び交った。

 一方で,連鎖した自殺などが起きないよう,マスメディアではニュースの最後にSNSや電話での相談窓口を紹介するなどの配慮もみられた。

 猿之助さんをめぐっては,同18日に発行された女性週刊誌『女性セブン』が,共演する役者たちやスタッフにセクシュアルハラスメントやパワーハラスメント行為をしていた疑惑を掲載しており,この報道と今回の出来事の間にどんな関係があったのか,今後の調べの行方を注視していきたい。

調査あれこれ 2023年06月23日 (金)

日本海中部地震から40年 北海道南西沖地震から30年 2つの大津波の教訓【研究員の視点】#494

メディア研究部(メディア動向)中丸憲一

okushirito_damage.jpg北海道南西沖地震津波の被害 (写真提供:東北大学災害科学国際研究所 津波工学研究室)

【2つの大津波の共通点】
 2023年は、日本海中部地震津波(1983年)、北海道南西沖地震津波(1993年)からそれぞれ40年、30年となります。今回はこの2つの大津波が今に伝える教訓について、かつて災害担当記者だったメディア研究者の視点から考えていきたいと思います。
この2つの津波には、共通点があります。
▼過去に何度も津波被害を受けた三陸沿岸ではない、日本海側で起きた津波だった。
▼観光地など地元に土地勘のない人が多く訪れる地域を襲った津波だった。
▼地震発生から津波到達までの時間が10分未満だった。
 この2つの災害が発生した時、当時の技術では津波警報の発表と伝達が間に合いませんでした。結果的に多くの犠牲者が出る事態となりました。
メディアの災害報道のあり方にも大きな課題を突きつけ、防災教育の重要性が指摘されました。

【日本海中部地震津波とは】

gyosen_2_W_edited.jpg日本海中部地震津波の被害 (秋田地方気象台ホームページより)

日本海中部地震が起きたのは40年前の1983年5月26日午前11時59分。マグニチュード7.7の大地震により津波が発生しました(※1)
東北大学の研究グループが、当時作成したシミュレーション動画では、この津波がどのような動きをしたのか詳しく見ることができます。

 日本海中部地震津波シミュレーション (動画提供:東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授)
 

地震発生後、日本海の震源付近で盛り上がった海面がほぼ東西に分かれ、高い津波となって主に秋田県と青森県の沿岸に襲来。津波の第1波は地震発生から約7分で到達しました。
その後も繰り返し津波が押し寄せ、1時間近く経過してもなかなか衰えない様子がわかります。津波は最高14mの地点まで到達したという記録が残っています。
この時、仙台管区気象台が津波警報を発表したのは、地震の発生から15分後。さらにNHKが津波警報を伝えたのが、その5分後。津波の第1波の到着から13分が経過していました(※2)。当時の技術力ではこれが限界だったと思いますが、メディアとしては情報を迅速に伝えることが責務です。しかし、結果的にそれが十分にできない中で、この津波では、秋田県と青森県、北海道であわせて100人が犠牲になりました。

【土地勘のない海岸で津波に襲われた遠足中の小学生】
犠牲者には、北秋田市の旧合川南小学校の4年生と5年生の児童13人が含まれています。子どもたちは、秋田県男鹿市の加茂青砂海岸に遠足で来ていて、ちょうどお昼のお弁当を食べていたところでした。当時のNHK社会部の記者が研究者と共同で、このときのことを記録しています。日本海中部地震の翌年に出版された本から証言を引用します。

(大地震に遭った子どもたち「日本海中部地震」の教訓 清永賢二 小出治 平井邦彦 井辺洋一著)
 午後零時ごろ 男鹿半島・賀茂青砂海岸に降りて昼食。
《一人の子どもが大声をあげるので駆けつけたところ、岩間にリュックを落としており、それを拾い上げたところに大波が来た。その後、気がついた時は、海岸で人工呼吸を受けていた》(四年担任の先生)
《海辺の方向を振り返った時、「アッ」という悲鳴が聞こえ、子どもを助けに行こうとしたところ、岩の周りの海が盛り上がってきた。二人の子どもの手をとり、助けようとしたところ、急激な力で海へ引っ張られ、体が一回転した。その時、右手の子どもの手が「スルリ」と抜けていった。》(五年担任の先生)
《わたしらでも、こんな大きな津波が来るとは少しも思ってませんでしたからね。まして、合川というところは山の中でしょう。地震と津波というのは少しも結びつけて考えなかったでしょうね。》(地元の女性・六〇歳くらい)

 子どもたちは、不意打ちで津波に遭い、一瞬のうちに波にさらわれました。また、海岸付近に住む地元の女性の話から、子どもたちは山あいの地区にある小学校に通っており、土地勘のない場所で津波に遭遇したことがわかります。

imamura_onlinecoverage.jpg東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授
(リモートインタビューの様子)

日本の津波研究の第一人者で、当時、日本海中部地震津波の被災地を調査した東北大学災害科学国際研究所の今村文彦教授は次のように話しています。
土地勘がなく、『地震のあとに津波が来る』という知識もなかったことで、適切な避難ができず、遠足や観光などで沿岸を訪れていた多くの方が犠牲になった。海に近い地域はもちろん、そうでない地域の人たちでも海の近くに行くことはある。全国各地で津波の防災教育を進めることの重要性を突きつけた津波災害だった
この時の津波では、放送による呼びかけで被害を防ぐことはできませんでした。津波警報の放送についてはこのあと見直しが進められましたが、今村教授が指摘する防災の知識を広げていくことは、放送のコンテンツを通じても可能です。メディアにそのことを意識させる大きなきっかけの1つが日本海中部地震だったと筆者は考えます。

【北海道南西沖地震とは】
北海道南西沖地震は、日本海中部地震から10年後の1993年7月12日午後10時17分に発生しました。北海道奥尻島の北西の沖合を震源とするマグニチュード7.8の地震により津波が発生。震源が島に近かったため、津波は地震発生後4分から5分で到達。高さ20m以上の地点まで達し、観光地として知られていた奥尻島を中心に230人が犠牲になりました(※3)


okushirito_damage2.jpg北海道奥尻島の被害(写真提供:東北大学災害科学国際研究所 津波工学研究室)

札幌管区気象台は、地震発生から5分後に津波警報を出しましたが(※4)、この時点で奥尻島にはすでに津波が到達していました。

【被害を拡大した津波の「挟みうち」】
津波の速度に加え、島や岬などの特有の地形によって津波に「挟みうち」されるような状態になったことも、多くの犠牲者が出た原因の1つです。当時、東北大学の研究グループが作成したシミュレーション動画を見てみます。

 北海道南西沖地震津波シミュレーション (動画提供:東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授)
 

画面中央にある岬が、奥尻島南端部に位置する青苗地区。壊滅的な被害を受けた場所です。津波はいったん地区(岬)の西側に到達したあと、南側を高速で回り込んで東側にも到達。東西から津波に挟みうちされるような状態になり、逃げ場を失った人も多かったのです。

【類似災害から読み取る教訓を伝えることの大切さ】
災害担当記者だった筆者も、これとよく似た津波災害を取材したことがあります。それはタイ南部の離島、ピピ島でのことです。ピピ島は、2004年12月26日に発生し、30万人以上が犠牲になったインド洋大津波の被災地の1つです(※5)。レオナルド・ディカプリオ主演で2000年に公開された映画「ザ・ビーチ」の舞台となったこともある人気の観光地で、当時も年末年始の休暇で多くの観光客が訪れていました。インド洋大津波が発生したとき、筆者は、仙台放送局で災害担当の記者をしていました。この大津波による被害を受けて、津波の研究者たちは調査団を結成し、筆者はその調査に同行しました。
津波発生から数日後にタイに入り、大きな被害のあった観光地のプーケットなどを取材。そのまま年が明け、2005年1月2日にピピ島に到着しました。調査の結果、ピピ島には島の北側から高さ6m、南側から高さ4mの津波がほぼ同時に押し寄せ、ホテルや土産物店などが建ち並ぶ島の中心部を襲ったことがわかりました。観光で訪れた場所で、いきなり津波が挟みうちのように襲ってきたのでは、逃げようがなかっただろうと、現場に身を置いて強く感じました。
今回のブログを書くにあたり、奥尻島を襲った津波について調べるうちに、「島が挟みうちされるように津波に襲われた」という点で、極めて類似していることに気づかされました。北海道南西沖地震の2年後、1995年に起きた阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災をきっかけに、メディアの災害報道は、減災を重視する伝え方に変わってきています。こうした過去の災害から類似点や教訓をくみ取り、伝えていくことの重要性を改めて感じました。

【過去の教訓の継承には課題も】
一方、北海道南西沖地震では、過去の災害の教訓を生かすことの難しさも明らかになりました。実は、奥尻島には、1983年の日本海中部地震でも津波が押し寄せていました。このとき、津波が到達したのは30分後で、2人が犠牲になりました。このため地震のあとに津波が来る危険性は住民たちも共有していました(※6)。しかし、当時、今村教授らの研究グループが行った聞き取り調査の結果からは、過去の津波の経験が裏目に出てしまったことも浮かび上がりました。「日本海中部地震のときは地震発生から30分後に津波が来たので、今回もそのくらいの時間があるだろう」と考え、避難の遅れにつながったと指摘しています。一方、この経験を生かし、すぐに逃げた人は難を逃れたということです。最短4分から5分という速さで到達した津波から逃げ切るには、一刻の猶予も許されない状況でした。今村教授によると、すぐに逃げて助かった複数の人が「揺れ方が違っていた」と答えました。具体的には、日本海中部地震のときは「縦揺れから始まり、その後横揺れが来た」が、北海道南西沖地震のときは「下からドンという強い揺れがいきなり来た」と話していたといいます。今村教授は、前者は震源から比較的離れた場合の地震、後者は「すぐ近くで起きた地震」の特徴を示していると指摘しています。
津波は毎回、形を変えて襲ってくる。発生条件が変われば、到達時間や来襲する方向、さらには災害の形態も変化する。過去の経験を生かすことは重要だが、以前と同じように来るとは限らない。気象庁の津波警報を待っていたら間に合わない場合もある。とにかく『強い揺れを感じたらすぐに逃げる』を徹底するしかない。
 過去の経験を生かすとともに、場合によってはそれにとらわれず臨機応変に行動することの大切さ。こうした知識は、平時から備えておかなければなりません。メディアとして日頃から伝えるべき重要なメッセージだと思います。

【2つの大津波の教訓をどう生かす】
 先にも触れましたが、日本海中部地震と北海道南西沖地震では、気象庁が津波警報を発表したのと、それをメディアがテレビ・ラジオで速報したのはいずれも津波到達のあとでした。結果的に多くの犠牲者が出る事態となりました。これをきっかけに気象庁は津波警報の発表方法を改善。現在では、地震発生から約3分(一部の地震については約2分)を目標に津波警報が発表され(※7)、その後、すぐにメディアが伝えるという体制になっています。
 しかし、それでも日本海中部地震は地震発生から約7分、北海道南西沖地震は4分から5分で津波が到達しており、現在の技術を用いたとしても、津波警報の発表を待ってから行動したのでは助からないおそれがあります。さらに地理に不慣れな観光地にいたとすれば、条件はさらに厳しくなります。
 この難しい課題を解決しようと、同じ日本海側である試みが行われています。山形県酒田市の沖合にある飛島です。海水浴や釣り、シュノーケリングなどを楽しむため、多くの観光客が訪れます。
飛島付近の海底には、複数の活断層が確認されており、これらの断層がずれて動いた場合、津波は最短2分で到達すると想定されています。津波警報の発表を待っていたのではとても間に合いません。2022年4月、酒田市が用いることにしたのは、最先端のテクノロジーではなく、古くからあるメディアの1つ、リーフレットです。

leaflet_5_W_edited.jpg飛島津波避難リーフレット表面 (酒田市ホームページより)

「飛島津波防災」と名付けられた縦約18cm、横約13cmのリーフレットの表面には「津波は最短2分で来襲!揺れが収まったら、すぐに高台へ避難を!!」と書かれ、避難場所やそこに通じる避難ルートも複数紹介されています。さらに、これをわかりやすく解説するため、新しいメディアであるネット動画も作成しました(※8)。

tsunamiopening.png飛島津波避難啓発映像 (酒田市ホームページより)

この動画の中では「飛島に上陸しました。港の景色もとてもきれいなんですけど、それを楽しみながらも『ひなん路』と書かれた看板をしっかり探しておきましょう」などと念押しし、島に到着したら、まず避難場所や避難ルートを確認するよう呼びかけています。津波が発生すれば、到達するまでに時間の余裕はありません。でもあらかじめ避難場所を把握しておけば、もともと土地勘のない場所でもすぐにたどり着けるという発想です。しかも“オールドメディア”であるリーフレットと、“ニューメディア”のネット動画を組み合わせることで理解を深めてもらおうとしています。

lesflet_back2.jpg飛島津波避難リーフレット裏面 (酒田市ホームページより 写真:コマツ・コーポレーション)

一方、リーフレットの裏面には、島の魅力が美しい写真とともに書かれています。通常、観光客向けに作られるリーフレットは、こうした観光スポットの紹介が主ですが、これは防災面での注意喚起を優先しているのです。今村教授は、このリーフレットと動画の作成を監修しました。その際には、日本海中部地震と北海道南西沖地震の教訓を念頭に置いていたといいます。

imamura_6_W_edited.jpg今村教授

地震や津波の防災教育は、どうしても地元の住民のみが対象になりがちだが、観光地ではその土地に不慣れな人たちが多く訪れる。特に島や岬は、津波の到達が早く、挟みうちも発生して逃げ場を失ってしまうことがある。安心して観光を楽しんでもらうためには、その地域の危険性を知り、避難場所と避難ルートを確認してもらうことで素早い避難をするための準備を整えてもらうことが重要だ。
 日本海中部地震津波から40年、北海道南西沖地震津波から30年。
多くの犠牲者が出た2つの大津波から、警報を伝えるための技術も進みました。また、インターネットやSNSで瞬時に情報が伝わる時代になりました。しかし、大規模な災害が起きれば、それらが使えなくなるおそれは常に付きまといます。そうした事態に陥っても、素早く避難して命を守ってもらわなければなりません。そのために今、メディアが貢献できることは、迅速な情報伝達とともに防災教育を進化させることだと思います。2つの津波を教訓に、飛島で作られた“オールドメディア”のリーフレットを手に取るたびに、それを強く感じます。

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(※1、3、5)日本海中部地震、北海道南西沖地震、インド洋大津波の各データについては、「気象庁ホームページ」「内閣府ホームページ」「20世紀日本 大災害の記録 監修・藤吉洋一郎」「TSUNAMI 津波から生き延びるために 財団法人沿岸技術研究センター編」などを参照した。
(※2、4)日本海中部地震、北海道南西沖地震ともに「オオツナミ」が発表されているが、「1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達-巨大津波と避難行動- 東京大学社会情報研究所『災害と情報』研究会」および「TSUNAMI 津波から生き延びるために 財団法人沿岸技術研究センター編」などは、いずれも「津波警報」と表記しているので、本稿もそれに合わせた。なお、日本海中部地震の津波警報発表とNHKの伝達については、日本海中部地震に関する報告書(第二管区海上保安本部作成)を参照した。
(※6)「1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達-巨大津波と避難行動- 東京大学社会情報研究所『災害と情報』研究会」には下記のような記述がある。
「奥尻町では、地震直後に津波を予想した人が少なくない。その大きな理由は、10年前の日本海中部地震における津波体験であろう。筆者らは、津波から辛くも逃れた人たちから、今回の災害では、日本海中部地震にくらべて地震の揺れが格段に大きかったことから、10年前よりも大きな津波がもっと早く襲ってくると直感して懸命に避難したという話をしばしば聞いたが、調査対象になった多くの人々が、大津波の急襲を直感的に予想したことを示唆している。しかし、10年前の津波経験が必ずしも有効に働いたとはいえないケースもある。というのは、10年前には地震の約30分後に津波が襲ってきていることから、地震直後に津波の到来を予想しながら、「日本海中部地震の経験から、津波が来るまでかなり余裕があると思った」人、また、津波経験が今回の避難にどう影響したかという質問でも、「日本海中部地震の経験がかえってわざわいして、津波が来るのにまだ余裕があると思い避難が遅れてしまったと思う」という人がいたからである。全体的にみれば、津波経験が被害の減少に大きく寄与したことは間違いないけれども、部分的には経験がマイナスに作用したケースもあった。」
(※7)気象庁ホームページ
(※8)https://youtu.be/5KxDdrWYMqA

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【中丸憲一】
1998年NHK入局。
盛岡局、仙台局、高知局、報道局社会部、災害・気象センターで主に災害や環境の取材・デスク業務を担当。
2022年から放送文化研究所で主任研究員として災害や環境をテーマに研究。

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1991年 雲仙普賢岳大火砕流から考える取材の安全【研究員の視点】#481
#473「災害復興法学」が教えてくれたこと
#460 東日本大震災12年 「何が変わり、何が変わらないのか」~現地より~
#456「関東大震災100年」震災の「警鐘」をいかに受け止めるか

メディアの動き 2023年06月22日 (木)

【メディアの動き】「線状降水帯の発生情報」,予測技術の活用で最大30分早く発表へ

 発達した積乱雲が連なり大雨をもたらす「線状降水帯」が発生し,災害の危険度が急激に高まったことを伝える情報について,気象庁は予測技術を活用し,これまでより最大で30分早く発表する新たな運用を5月25日に開始した。

 2021年に始まった「顕著な大雨に関する気象情報」では,積乱雲が連なっている領域など,気象庁が定める線状降水帯の基準に達した場合に「土砂災害や洪水による災害発生の危険度が急激に高まっている」などと発表していた。

 ただ,「線状降水帯が発生したあと」の発表だったため,すでに災害が発生している可能性もあった。そこで新たな運用では,予測技術を導入し,線状降水帯の基準に達すると予測された段階で前倒しして情報を発表できるようになった。

 一方で,注意しなければならない点がある。気象庁ホームページの「雨雲の動き」などの画面では,▽これまでのように「実際に発生した」場合は実線の楕円で,▽新たな運用による「予測」は破線の楕円で線状降水帯の位置が示されるが,「顕著な大雨に関する情報」の文面はこれまでと変わらず,両者を区別していない。

 これについて気象庁は,「予測で発表したとしても危険が差し迫っているのは変わらないので,すぐに安全を確保してほしい」と話している。

 線状降水帯は,近年起きた多くの豪雨災害で発生が確認されている,非常に危険な現象だ。

 「最大30分前」という貴重な時間を生かし,素早い行動につなげたい。

メディアの動き 2023年06月21日 (水)

【メディアの動き】RSF,リンゴ日報創業者の釈放求め公開書簡,風刺画掲載停止の香港紙も

 国境なき記者団(RSF)は5月16日,中国に批判的な論調で知られた香港紙・リンゴ日報の創業者,黎智英氏の釈放を求める公開書簡を発表した。

 同氏は詐欺罪などで服役中で,9月には香港国家安全維持法違反の罪での審理が始まる予定。

 書簡ではノーベル平和賞受賞者であるフィリピンのマリア・レッサ氏やロシアのドミトリー・ムラートフ氏に加え,世界各国の報道機関幹部など100人以上が,黎氏や同じく拘留されている13人の記者の釈放を求めた。

 香港では,香港国家安全維持法が2020年6月に制定されてから3年となるのを前に,萎縮効果がいっそう拡大している。

 香港紙・明報は5月11日,風刺画の掲載を停止すると明らかにした。

 これは,黄紀鈞氏が「尊子」のペンネームで1983年から連載してきたもので,人材募集をテーマにした風刺画では「過酷な統治に耐えられる人材を優先採用」と描くなど,皮肉やユーモアを込めて政治や時事問題を扱うのが特徴だった。

 しかし,5月9日に掲載された選挙をテーマにした風刺画では「試験の点数や健康診断の結果が不合格でも,長官が認めれば当選できる。彼らに任せておけば市民は安心だ」と,体制に批判的な候補を排除する選挙制度の変更をやゆした。

 これに当局が激しく反発し,掲載停止につながった。

 その後,香港紙・South China Morning Postの調べでは,黄氏の風刺画や天安門事件関連の書籍が公立図書館で閲覧できなくなっていることがわかった。

 言論の統制が進む中,香港社会に,国家安全維持法に触れることを恐れた自己抑制の動きがまん延している。

メディアの動き 2023年06月21日 (水)

【メディアの動き】オーストラリア公共放送の看板番組司会者, 人種差別問題めぐりメディア批判し降板

 多文化主義を掲げるオーストラリアで,公共放送ABCの看板討論番組の司会を務める先住民の著名ジャーナリスト,スタン・グラント氏が5月19日,長く人種差別にさらされ,メディアは融和ではなく対立しか見ないと指摘し,5月22日で番組を当面降板すると表明した。

 グラント氏は,5月6日のイギリスのチャールズ国王戴冠式を中継した特番の一部の討論番組にゲストとして出演した。

 イギリス国王を元首とするオーストラリアの立憲君主制に関する議論で,グラント氏は先住民の立場から,国王の名のもとで,先住民が土地や権利を奪われ,今も差別に苦しむ問題を指摘した。

 その後,保守層や一部のメディアから,ABCの戴冠式の報道への批判の矢面に立たされた。

 グラント氏によると,彼の発言は歪曲され,憎悪の対象になり,オーストラリアを中傷したと糾弾されていたとしている。

 グラント氏は19日,ABCのサイトのコラムで,そうした歪曲や偽りにABC が反論しなかったのは組織的な問題だと批判した。

 そして,番組降板について,人種差別が原因ではなく,メディアが健全な議論のために機能せず,それに自分は与(くみ)したくないためだと述べている。

 ABC会長は5月21日,グラント氏に謝罪し,一部商業メディアのABCの報道への批判は憎悪に満ちているとし,職員・スタッフへの人種差別的な発言への対応を強めると述べた。

 メディアや娯楽,アート業界関係者の労働組合MEAAは5月23日の声明で,先住民や有色人種の業界従事者がヘイト発言にさらされていると指摘し,業界全体に対応を求めた。

メディアの動き 2023年06月21日 (水)

【メディアの動き】NHK,『ニュースウオッチ9』のコロナ報道でワクチン被害者遺族の会の抗議受け謝罪

 5月15日に放送した『ニュースウオッチ9』のコロナ報道について,NHKは翌16日,放送や番組の公式サイトなどで謝罪した。

 問題とされたのは「新型コロナ5類移行から1週間・戻りつつある日常」と題した約1分間のVTRで,3人の遺族が「5類になったとたんにコロナが消えるわけではない」「風化させることはしたくない」などと話す姿が紹介されていた。

 3人はいずれも,新型コロナウイルスのワクチンを接種後に亡くなった人の遺族だったが,VTRの中でそうした説明はなく,「夫を亡くした」「母を亡くした」といった紹介にとどまっていた。

 取材を受けた「繋(つな)ぐ会(ワクチン被害者遺族の会)」は,3人をコロナ感染で亡くなった人の遺族のように取り上げていたとしたうえで,「取材の趣旨と違う形で遺族のコメントが放送で使われた」などと抗議し,NHKは翌16日の放送でキャスターがお詫びした。

 公式Twitterアカウントでも動画は配信しており,NHKは番組の公式サイトやTwitterでも謝罪したが,遺族側はBPOへの申し立ても検討しているという。

 VTRは同番組の編集を担当する映像制作の職員が企画し取材した。

 24日の定例会見で稲葉延雄会長は「全く適切ではなかった」「取材に応じてくださった方や視聴者の皆さまに深くお詫び申し上げたい」と謝罪。

 「取材・制作の詳しい過程をさらに確認し,問題点を洗い出した上で,このような事態を引き起こさないために組織的にどう対応していくかを考え,対策を講じたい」と語った。

メディアの動き 2023年06月20日 (火)

【メディアの動き】米でもAI規制を連邦議会が検討

 ChatGPTやDall・Eなど文章や画像,音声,コンピュータープログラムなどを作ることができる生成AI(人工知能)の機能向上と利用が急速に進む中,アメリカでも連邦議会がAIの開発や運用に関わる法規制の検討を始めた。

 議会上院司法委員会の小委員会は5月16日,AIの規制検討に向けた公聴会を開催。

 リチャード・ブルーメンサル委員長は,ソーシャルメディアの規制で機を逸した反省をふまえ,AIの脅威やリスクが現実のものとなる前に規制を導入する必要があると述べた。

 ChatGPTを開発したOpenAIのサム・アルトマンCEOは,AIの開発や公開を一定の能力を持つ事業者に限定する国際的な許認可制度の制定などを呼びかけ,協力を申し出た。

 ニューヨーク大学名誉教授ゲアリー・マーカス氏はルール作りを開発するIT企業だけに任せてはいけないと述べ,独立した立場の科学者の協力を得て,まずはAIツールなどが公開される前に安全性を検証するよう提言した。

 議会下院の多数派,民主党の院内総務チャック・シューマー氏も同月18日,超党派による法案作りを急ぐと表明した。

 16日の公聴会は開発者自らが規制を促したことで話題になったが,大規模言語モデルなど生成AIの△学習データの透明性の確保や, △著作権侵害や情報ねつ造,差別助長の予防と損害賠償,△開発や運用に伴う環境負荷の軽減,といった喫緊の課題への具体的な対応の検証には至らなかった。

 政府と議会には生成AIに関する知見が十分になく,アメリカが世界的な競争に遅れをとらないために開発を促したい意向もあり,有害な影響を防ぐ法の整備は容易ではないとみられている。 

メディアの動き 2023年06月20日 (火)

【メディアの動き】性被害の訴え受け,ジャニーズ事務所社長が公式HPで謝罪動画公開,NHKは速報スーパー

 芸能事務所大手のジャニーズ事務所の藤島ジュリーK. 社長は5月14日,公式ホームページで「故ジャニー喜多川による性加害問題について当社の見解と対応」と題する動画と文書を公開した。

 動画では「何よりまず被害を訴えられている方々に対して深く,深くお詫び申し上げます。そして関係者の方々,ファンの皆様に大きな失望とご不安を与えてしまいましたこと,重ねてお詫び申し上げます」と謝罪し,あわせて,これまでの各方面からの質問に対する回答を文書で公表した。

 この中では,ジャニー喜多川氏が故人であるため事実の認定が容易ではないとしたうえで,性加害についてジュリー社長は知らなかったと主張。

 憶測による誹謗中傷等の二次被害についても慎重に配慮しなければならず,第三者委員会は設置しないなどとした。

 なお,記者会見などは行われていない。

 この動画については,公開のタイミングでNHKがニュース速報で伝えた。

 21日には東山紀之さんが,自らがキャスターを務めるテレビ朝日系『サンデーLIVE!! 』の中で所属タレントとして初めて言及し,「そもそもジャニーズという名前を存続させるべきなのかを含め,この問題に取り組んでいかなければならないと思っています」などと述べた。

 一方,民放各社は月末の社長会見で「推移を見守りたい」などとしている。

 ジャニーズ事務所は26日,事務所所属経験者への心のケアとして31日にウェブを通じた外部相談窓口を開設すると発表。

 また,ガバナンスに関する取り組みも発表し,対応にあたっている。             

メディアの動き 2023年06月20日 (火)

【メディアの動き】英BBCニュースに検証の専門チーム"Verify"が発足

 イギリスの公共放送BBCは5月17日,ニュースで使用される情報や映像などを検証する専門のチーム「BBC Verify」を発足すると発表した。

 同局の報道部門を率いるデボラ・ターネスCEO が発表した声明によると,新しいチームは調査報道やデータ分析などの技能を持つ約60人で構成される。

 メンバーはSNSや衛星画像などの公開情報から真実に迫るオープン・ソース・インテリジェンス(OSI NT)の手法を活用するなどしながら,ニュースで取り上げる事案のファクトチェックや,画像の真偽を確認,偽情報への対応などを行い,結果を国内と国際放送のニュースやラジオ,オンラインで伝える。

 例えば5月22日付のBBC Verifyによる記事では,ウクライナ南部や東部でのロシアによる防衛強化について,衛星画像をもとに,現状を読み解き解説している。

 使用した映像や情報は,外部の専門家を含めて原典が示され,視聴者自らも確認できるような配慮がなされている。

 ロシアのクレムリンへのドローン攻撃について伝えた動画は,同局のサイトですでに100万回以上再生されたとしている。

 ターネスCEOは,歪曲されたり操作されたりした動画があふれる現代社会では,視聴者は目にしている情報の真偽の見極めが難しくなっており,BBCは自らのジャーナリズムが生み出される舞台裏を説明する必要がある,と強調した。

 そのうえで,「視聴者の信頼は所与のものではなく我々が勝ち取っていかなければならない。透明性はその助けになるものだ」と述べた。

調査あれこれ 2023年06月20日 (火)

「復帰」50年以降のメディアの役割を考える ~『放送メディア研究』16号刊行後の動き~【研究員の視点】#493

メディア研究部 (番組研究) 高橋浩一郎

51年が経過した5月15日、メディアは「復帰」とどう向き合ったのか
 2023年5月15日、沖縄の日本「復帰」から51年が経過しました。
 今春文研が発行した研究誌『放送メディア研究』16号「特集 沖縄『復帰』50年」掲載の論考で指摘したように、「復帰」から50年の節目だった2022年は、テレビ報道量に関して、沖縄ローカル(NHK沖縄局と民放3局)との間で量と質に大きな差が見られたものの、全国向け放送でも一時的には報道が集中して行われました。それでは51年が経過した今年、「復帰」に関してどの程度の報道がなされたのでしょうか。「沖縄」をキーワードに全国向け地上波のテレビメタデータを収集し、5月15日の「復帰、返還」の報道量を確認したところ、今年は昨年の1.4%、総計で5分足らずでした。50年の節目を越え、沖縄の「復帰」とは日本にとって何だったのか振り返る機運は全国向けテレビには見られませんでした。
 その一方、「復帰」を終わった話として済ませた在京メディアとは違い、沖縄では新聞や雑誌、シンポジウムなどさまざまな形で、1年前の「復帰」50年を振り返る企画が行われ、『放送メディア研究』16号が取り上げられる例もありました。5月16日には、沖縄タイムスの文化欄に立教大学の砂川浩慶教授による書評が掲載され、また27日には那覇市で、掲載論考の執筆者などが登壇し、「復帰」50年をメディアがどう伝えたかを検証するシンポジウムが開催されました。
 刊行をきっかけに新たな対話や交流が始まることは『放送メディア研究』のねらいであり、またその後の動向を継続して取材し、報告することも研究の一環であると考え、シンポジウムでの議論を本ブログでは紹介させていただきます。

「復帰」50年報道からメディアのあり方を考える
 シンポジウムを企画したのは沖縄対外問題研究会(以下、「対外研」)です。対外研は、24年前に県内外の研究者やジャーナリスト、メディア関係者が参加して発足し、最近では「現代日本外交の文脈」「沖縄の人々の自己決定権」など沖縄と日本、国際関係をめぐる今日的なテーマについて月一回程度研究会を行っています。今年初めには雑誌『世界』2月号(岩波書店)に論文を寄稿し、台湾危機を背景として急速にかじを切った国の安全保障政策に対し、軍事衝突を回避し、安定と平和に寄与するために地域秩序の設計を追究することなどを提言しました。
 シンポジウムは5人のパネリストを含めおよそ30名が参加し、対面、オンラインのハイブリッド形式で行われました。冒頭で『放送メディア研究』に寄稿した諸見里道浩さん(元沖縄タイムス編集局長)が「『復帰』50年沖縄 新聞報道について」と題する基調報告を行い、続いて『放送メディア研究』16号を企画したジャーナリストの七沢潔さんが特集のねらいとテレビ報道分析の概要について述べました。それに応える形でそのほかの3人(朝日新聞・前那覇総局長の木村司さん、沖縄タイムス論説委員長の森田美奈子さん、琉球新報編集局長の島洋子さん)がそれぞれの「復帰」報道の取り組みを伝え、後半では会場の参加者を含めた議論が行われました。

toudansha_1_W_edited.jpgシンポジウムの様子(2023年5月27日・那覇市) 画像提供:沖縄対外問題研究会

 5人のパネリストからは多岐にわたる論点が提示されましたが、共通して感じた点があります。それは、本来であれば昨年は沖縄の日本「復帰」とは何だったのかを振り返るべき節目だったにもかかわらず、急速に変化する現実に圧倒され十分な掘り下げができなかったことへの戸惑い、そして沖縄の人々の思いとは裏腹に島々の基地化が進められ、軍事衝突への緊張が高まっていく理不尽さに対する違和感と危機感でした。
 昨年の5月15日周辺の全国紙と各県紙、沖縄県紙の「復帰」報道を検証する中で、諸見里さんは全国紙と各県紙の多くが沖縄問題の理解促進に取り組む一方で、本土と沖縄相互のまなざしに微妙なすれ違いがあることを指摘しました。そして各紙の論調を分析して、中国脅威論が沖縄の基地の重要性と結びつき、南西諸島の自衛力強化や日米一体化を肯定し、結果として新しい日米安保体制の構築を了承する流れができている可能性があることに懸念を示しました。(詳細については、本ブログの最後に関連論考のリンクを貼りましたのでご覧ください。)
 それを受け、沖縄タイムス論説委員長の森田美奈子さんは自らが担当した昨年と今年の社説を比較しながら、この1年間の変化について語りました。昨年5月15日の社説では、県内の世代間の溝の存在に触れ「基地をめぐる構造的差別は高齢世代に屈辱感をもたらしており、“尊厳”の回復が必要。現役世代や子育て世代には“希望”が持てるかが何より重要」と「復帰」50年の時点での沖縄社会の課題を提示したのですが、今年の社説では、ポスト「復帰」50年の現状を「進む要塞化」と、より踏み込んだ表現にせざるをえなかったと述べました。
 琉球新報編集局長の島洋子さんは、「復帰」50年当日と1972年当時の記事を並列し、「変わらぬ基地 続く苦悩」と全く同じ見出しをつけた、昨年5月15日の紙面展開について説明しました。そして個人的な体感として、10年前ではそうではなかった辺野古の新基地建設や、オスプレイ配備が粛々と進められるなど、「復帰」40年と比べて事態は好転しておらず、「復帰」50年は決して晴れがましいものではなかったと振り返りました。
 また朝日新聞の前・那覇総局長の木村司さんは紙面や特設ホームページなどで沖縄と日本本土の共通の土台作りを心がけたものの、節目を越えた途端に“基地の負担”から“基地の重要性”に軸足が置かれるようになったことに対して具体的な問題提起ができなかったと述べました。さらに、本来であれば「復帰」を迎える主体的な責任がある日本本土の「無自覚な無関心」に訴えかける難しさを語りました。
 節目を超えて「復帰」から「軍事」へ軸足が移ったという、パネリストたちの実感はデータからも裏付けられます。4,5月の地上波テレビで「沖縄」に言及したメタデータの中からいくつかのキーワードを抽出して昨年の数値と比較してみると、昨年「復帰、返還」が全体に占めた割合は16%、「自衛隊」は2%だったのに対し、今年は「復帰」が1%と減り、「自衛隊」は33%と大幅に増加していました。その中で4月に起きた宮古島周辺でのヘリコプター墜落関連のものが19%と大半を占めているものの、一方で「基地」を含むものが6%、「ミサイル、PAC3」が3%と、全国向けテレビの沖縄へのまなざしが「軍事」に傾斜していました。

歴史の反復への懸念
 会場で議論を聞いていた参加者からは、軍備増強の前線として巻き込まれていく沖縄の姿がかつての歴史に重なるという指摘がありました。対外研代表の我部政明さん(国際政治学者)は、日本の近代史を振り返り「沖縄県が設置された1879年から52年後に満州事変が起きたことを考えると、あと2年ほどしたら日本は再び戦争に巻き込まれるのではないか」と歴史が繰り返されることを憂慮しつつ、その一方で「有事」に関しては日本だけが浮き足だっている印象で「エコーチェンバーのような感じがする」と、メディアが一方的に伝える社会や世界の姿に対して冷静になる必要があると語りました。
 ジャーナリストの七沢潔さんは日本が戦争のできる国に変わる中で沖縄がどこへ向かっているのか、100年単位の歴史を繰り返しているような感覚があると述べ、朝日新聞の木村さんもメディアが戦前にたどった同じ道を歩んでいるのではないかと語りました。
 その中で沖縄タイムスの森田さんは「戦争が起こる可能性を摘み取ることを最優先すべき。メディアは二度と戦争の旗振り役になってはいけない」と述べ、琉球新報の島さんは「台湾有事の危険性が盛んに言われる中でも、沖縄戦の教訓である“軍隊は住民を守らない”ことを訴え、外交の重要性を主張していくことが沖縄の新聞社としての役目」と語りました。20万人もの人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦の歴史を知るジャーナリストや研究者たちから、こういった切迫した意見が出ることを重く受け止める必要があると感じました。

kaijyo_2_W_edited.jpgシンポジウムの様子(2023年5月27日・那覇市) 画像提供:沖縄対外問題研究会

メディアの役割とは
 上記のような懸念があがる背景に「安全保障のリアリズム」を指摘する声がありました。「安全保障のリアリズム」とは国家間の力の均衡を図るために結果として防衛力強化が正当化されてしまうことを意味しています。中央大学教授の宮城大蔵さん(専門 戦後日本外交)はタレントのタモリさんの「新しい戦前」発言を引用しつつ「安全保障の論理が他を圧する『安全保障リアリズム』が肥大化した時代の到来。肥大化を相対化する必要がある」と発言しました。
 基調報告をした諸見里さんは、メディアは軍事的側面だけで「安全保障のリアリズム」を語るのではなく、自国の安全を高めようとする意図が他国にも同じような行動をとらせ、結果的に双方とも望まない衝突につながる緊張を高めてしまう「安全保障のジレンマ」の視点からの報道も必要だと述べました。また、単純な正義と悪の戦いとして国際政治を捉えるのではなく、中国や台湾、米国の理解を深めることで自由な判断を促す提言をするのも研究者やジャーナリストの役割だと語りました。
 さらに、こういう状況だからこそメディアの役割が大きいと指摘する声もありました。国際基督教大学教授の新垣修さん(専門 国際法学、国際関係論)は「安全保障の中で何がリアルで何がリアルでないかはファジーな部分がある」としたうえで「安全保障という領域は言語によって作られ、その後に行為が作られる。対話によって安全保障の内容がリアルなものになる」と語り、メディアによって伝えられる言葉の重要性を述べました。
 本ブログを書いている5月31日の朝、北朝鮮が沖縄県の方向に弾道ミサイルの可能性のあるものを発射したと報じられ、「ミサイル発射、建物の中に避難してください」と呼びかける防災行政無線が町に響き渡りました。このような事態を伝える際にシンポジウムでの議論をふまえ、メディアがどういう立場から、何を、どのような言葉で、どの程度伝えているのか注視する必要があると感じました。
 3時間半と長時間に及んだシンポジウムは決して明るい見通しが持てる内容だったわけではありませんが、パネリストと参加者が応答し合うことで議論が深まり、集合的な思考がなされる貴重な場になっていたように思います。『放送メディア研究』16号の刊行という文研からの情報発信を起点として、地方のメディアや研究者が少しずつ連携を図り、さらにその反応を共有することで、次の展開につなげていきたいと考えています。

kiji_3_W_edited.jpgシンポジウムの様子を伝えた沖縄タイムスと琉球新報の記事(2023年5月28日)

関連論考
諸見里道浩「『沖縄の眼差し』と『沖縄への眼差し』」
https://www.nhk.or.jp/bunken/book/media/pdf/202303_2_1.pdf
インタビュー木村司「『沖縄が』ではなく『日本社会が』 当事者意識を持って書き続ける」
https://www.nhk.or.jp/bunken/book/media/pdf/202303_2_2.pdf


ⅰ) 対象番組はニュース、情報番組、ワイドショー、ドキュメンタリーに限定した。

ⅱ) 砂川浩慶「沖縄と全国すれ違う目線」『沖縄タイムス』(2023.5.16)

ⅲ) 沖縄対外問題研究会「『沖縄返還』五〇年を超えて」『世界』(2023.2)

調査あれこれ 2023年06月16日 (金)

「放送法4条の政治的公平について考える」 ~「メディアと法」研究会 講演から#492

放送文化研究所 渡辺健策

 本稿では、昨今あらためて議論になっている放送法4条の政治的公平をテーマに、筆者が司会進行役をつとめたマスコミ倫理懇談会全国協議会「メディアと法」研究会(5月18日、日本プレスセンタービルで開催)の講演概要をお伝えします。講師は、BPO放送倫理検証委員会の委員長を長くつとめられた川端和治弁護士です。「放送法4条の政治的公平について考える」と題して、約2時間にわたって講演いただきました。
(講演内容から一部抜粋。章ごとのサブタイトルは、筆者が補足したものです)

川端和治弁護士

1970年 司法研修所修了とともに弁護士登録 2000年~2001年 日本弁護士連合会副会長
2005年~2007年 法制審議会委員   2007年~2018年 BPO放送倫理検証委員会委員長 
2011年~2014年 法務省政策評価懇談会座長 現職:BPO放送倫理検証委員会調査顧問

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<戦前の教訓と後悔が「放送法」の出発点>

 川端でございます。本日はお招きいただきましてありがとうございます。
私はBPO放送倫理検証委員会の委員長を11年やりましたけど、その間に考え、その後、『放送の自由――その公共性を問う』という本を書いたときに考えたことをお話ししていきたいと思います。
 放送法について考える時、私がいつも強調しているのは、この法律は非常に普通の法律とは違う成立の歴史背景を持っている、その歴史的背景をよく理解しないと、条文の目指したもの、真の意味を理解できないだろうということです。まず、この放送法の背後にある歴史について簡単にご説明します。
 重要なのは、戦前において日本の電波というのは軍(国)が使用するもので、放送はその余った部分について使用を許されていたに過ぎなかったということです。放送局は、政府によって予算、人事、実際の運営、実権を握られていました。政治上の講演議論、治安・風教上悪影響を及ぼす恐れのある事項、そういったものを禁止する。それを監視するため、リアルタイムで放送中に監視している人がいて、「これは駄目だ」ということになると、ただちに放送を遮断するという体制でしか放送は認められていなかった。それが戦前の放送です。しかも太平洋戦争が始まった時に放送の全機能をあげて大東亜戦争の完遂にまい進するということになりまして、放送はすべてのプログラムを国民の戦意を高揚するということに使われた。さらに悪いことに、戦争についての戦果は大本営発表しか認めないということになっていたんですけど、ミッドウエーで思いがけない大敗戦を喫し、大本営が負けを勝ちとねつ造するようになってしまった。だから相当あとになるまで、つまり本土の空襲が激しくなるまで多くの人は日本が勝っているんだと思っているという状況が生まれたんですね。戦っているうちに必勝の信念とか神風が吹くとか、そういう感情が国民の間にも起こってくる、マスコミはひたすらにそれをあおる、そういうことを続けていた。
 その結果、本来ならとっくにあきらめて降伏するべき状況だったにも関わらず、ぎりぎりまで戦争を続けて、原爆を2発落とされてようやく降伏を認めるというところまでいってしまったわけです。当時の放送を担当した人たち、放送行政、電波行政を担当した人たちにとっては、敗戦についての自分の責任とそれを悔いる気持ちを残しました。
 戦後、放送法を制定する国会で審議をした時に、担当した官僚が質疑応答の原稿を作っているんですけど、その中に「放送番組に政府が干渉すると、放送が政府の御用機関になって国民の思想の自由な発展を阻害して、戦争中のような恐るべき結果を生じる」と書いているんですね。そういうつもりで放送法をつくるということがはっきりと意識されていたということを記憶しておかなければならないと思います。

 一方でGHQ(連合国軍総司令部)は当然、日本を民主化する、軍国主義を徹底的に除去するという覚悟を持って日本に乗り込んできた。ファイスナーという人が放送関係の事項を担当したんですけどこの人は着任したときに逓信省の事務次官を呼びつけて、「私は軍国主義、封建主義、官僚主義の3つをつぶすためにきた」と宣言したということも、当時を回想した記録に残っています。
 新しい憲法ができるので、放送法制も完全にそれに合ったものにしなければならない。GHQと逓信省の官僚がやりとりしている中で「これが絶対に必要だ」ということでGHQが示した事項がありました。1つは放送の自由を確立するということ、不偏不党の放送にすること。放送の役割としては、公衆に対するサービスであるということ。技術的な水準は満足すること。もうひとつ重要なのは、その管理は政府から独立した機関によるべきだという大原則を示したんですね。その結果、放送法が作られていくんですけど、これが単純には作れなかった、何度か行ったり来たりをするということになります。

<「番組編集準則」と「停波処分」の制定経緯>
 1950年1月には、放送法を含む電波3法を制定する国会の審議が開始されました。ただ、これもそのまま素直にすんなりと成立したわけじゃなくて、4党の共同修正案が提出されてようやく1950年6月に成立するんですけど、この時の共同修正というのが非常に重要な修正で、今日にいたるまで問題となる、尾を引くような修正であったということになります。

shiryou1_2_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 もともとの放送法案では、NHKは公共放送として立案され、公共放送だからということで放送内容を規制する規定として2つ重要なものがあったんですね。1つめは「公衆に関係のある事項について事実を曲げないで報道すること」。2つめは「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」。修正案は、この2つにN H Kについての別の条項にあった「政治的に公平であること」を加え、さらに「公安を害しないこと」を加えた4項目を「番組編集の準則」とし、これを民間放送にも準用するということで、全ての放送局に適用するようにしたんです。

 もう一つ、これはほとんど当時の国会審議でも言及がなかった不思議な修正なんですけど、電波法76条(停波処分)は電波法にある技術的な条項、放送のハード面についての規定だったんですけど、そこに放送法を加え、放送法違反も電波法による停波処分の対象になると、論理的には読める規定に修正しているわけです。この4党共同提案の修正がどういう意味を持つかというと、それまでは実は民間放送についての規定はほとんど何もないに等しかったんですね、確か2か条しかなかったと思いますけど、民間の意見として「NHKの規定ばかりで民間を全く無視しているじゃないか、おかしい」という議論もあったんです。
 この修正によって番組編集準則が民間放送にも適用になるということになり、公共性をもつ放送として民間放送も位置づけられる、だから日本の放送法制は、NHKのようなピュアな公共放送に加えて本来は商業放送として考えられていた民間放送も公共性を持つ、2つの体制が二元的に並び立つという体制になったという意味では非常に大きな修正だったわけです。
 NHKはもともと公共放送として構想されていますから、とにかく受信設備を持っている人からは誰からでも受信料を取れるということのまさに裏側として、全ての受信契約者に対してサービスしなきゃいけない。政治的に一部の勢力側に付いて放送をしたのではそういうのは公共性がないということになりますから、どうしても政治的に公平であることを課す必要があった。
 しかも公共放送は民主主義の成立には必要だから、公共放送と名乗れるだけの最小限の制約を加えることは合理性がある、従って憲法上の問題はないというふうに一応考えられる。ですけど、民間放送の場合は、なぜ表現内容についての規制を受けなければならないのかという、憲法21条との間の整合性の問題を、実はこの時に生じさせているんです。ただ、国会審議を見ても、そういうことはほとんど意識されていなかった。
 電波法76条の規定に放送法違反を追加した点ですけど、なんで電波法に放送法違反を加えるという改正がなされたのかというのが、私が当時持っていた資料を読んでもさっぱり分からなかった。国会審議録、全部の審議経過を読んでも何の議論もされていなかったんですね。

pdf_3_W_edited.jpg (NHK放送文化研究所『放送研究と調査』2020年7月号 村上聖一「電波三法 成立直前に盛り込まれた規制強化」より)

 NHKの村上聖一さんが『放送研究と調査』2020年7月号に「電波三法 成立直前に盛り込まれた規制強化」という論文をお書きになっていて、それを読むと放送文化研究所の書庫に「荘宏文書」というのが残っている。荘宏というのは当時、電波庁の文書課長をしていた人で、つまり電波3法の修正の実務担当をしていた人です。その荘宏文書を見ると1月に国会審議が開始されたんですけど、その翌月に衆議院電気通信委員会と衆議院法制局と電波庁の担当者が箱根で合宿をしていて、電波法の原案がその合宿の資料として配られているんですけど、そこに手書きで「放送法」と、途中(76条)に加える修正がなされているというのが、その資料を見るとわかるんですね。これが2月なんです。翌3月の段階で参議院の電気通信委員会で「電波法の76条に放送も加えなくていいのか」という質問がなされたんですね。それに対して網島電波監理長官、この人は箱根の合宿の参加者名簿に載っている人ですけど、「放送法にもごく僅少ではございまするが、いろいろ施設者に義務づけられた事項もございまするので、ただいまのお説は私どもといたしましてもごもっともなお説ではないかと考える次第であります」と答弁している。要するに、もともと電波法はハードについての法律で、いろんな施設について書いていて放送局としてはこういうものをふまえなければいけない、それに違反したらそんな不十分な施設で放送してはいけないから停波処分という法律なんで、もっぱらそういう技術的事項の違反しか考えていなかった条文なんです。
 実はこの1月から3月で、放送法にも技術的規定があるから(電波法76条に)こういう修正をするということが国会で言われた後になってから、今の放送法4条の改正の議論が始まっているんです。そういう意味では電波法の改正というのは、そういう4条を民間放送にも適用する、政治的公平を民間放送にも課す、という議論の前にそれとは無関係に決まっていた、ということなる。そうすると、あれは放送法総則とは全然関係のない技術的事項についてだけ適用するということを考えた修正だったという説も根拠があるんだと初めて納得したんです。

<自主自律を尊重する「政府見解」>
 番組編集準則は倫理規範であることをはっきり示しているのが、1959年の放送法改正案が国会に提出された時、田中角栄郵政大臣(当時)が参議院本会議で行った法案の趣旨説明です。この時の改正案では、番組編集準則に「善良な風俗を害しない」という項目を付け加えたんですけど、その番組編集準則を守ってほしい、しかしそれを直接政府が強制したんでは表現の自由を侵害することになるからそれはできない。考えた結果、この番組編集準則を見て各放送局に自主的自律的に番組基準を作ってもらうことにした。各局はその番組基準に従って番組を作る。しかも各局に有識者からなる番組審議会をつくって、そこに必ず各局の番組基準は諮問しなきゃいけない。さらに番組基準自体全て公表するということにさせた。そうなると、見ている人は各局の番組基準を知っていますから、「これは番組基準に反するんじゃないか」と批判するだろう、審議会でも「こんな番組はわれわれが認めた番組基準に反するんじゃないか」というだろう。そういう形で批判させることによって番組基準が実行され、しかも番組基準は番組編集準則を1つの理想と放送の理念とみて作られるので結局それが実現されることになる。当時の答弁を見ても、放送事業者の自主性に任せて、番組の統制はしないと答弁しています。

 もう一つ重要なのは、国会の審議で、「極端に変な放送がされた時にどうするんだ」という質問があったんですけど、「例えば、わいせつ放送であれば電波法108条によって刑罰が課せられます、だからそういう心配はありません」という答弁をしているんです。一方、電波法76条は、当時すでにあったにもかかわらず、それについては全く述べていないんですね。だからそういう極端におかしい放送でも電波法76条の処分の対象になるというのは全然考えられていなかった、というのはこれからも明らかです。

 また、政府見解としては、1962年の臨時放送関係法制調査会という公の機関で当時の担当部局である郵政省が意見書を出しているんですけど、番組編集準則というのは1つの目標で、法的効果としては精神的規定の域を出ない、要は事業者の自律に待つほかないと答えています。さらに1977年には電波法76条の適用についての質問に対して、「検閲はできないことになっているから番組の内容に立ち入ることはできず、番組が放送法違反だという理由で行政処分をすることは事実上不可能です」とか、「放送事業者が自主的に放送法違反について判断する、あるいは番組審議会、世論というものの存在がその是非を判断する」という答弁をしているんです。
 電波法76条の停波処分の適用は論理的には可能だという意識は放送行政の担当者にはずっとあったと思うんですが、しかしそれはできない、という形でずっと守られ続けていた。それが椿発言問題でくるっとひっくり返っちゃった。そうすると番組編集準則が憲法21条違反じゃないかということが正面から問題にされるようになりまして、いろんな憲法学者がいろんな意見を述べるということになった。通説として、これは倫理規範なんだ、だからこの規定を政府が強制することはそもそもできないんだから憲法21条の問題にはならないというのが、学説として最も広く受け入れられた見解です。

shiryou2_4_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 最高裁判所も、これは女性戦犯法廷事件の判決の中にありますけれども、放送事業者がみずから定めた番組基準に従って番組の編集が行われるという番組編集の自律性について規定したものという書き方をしています。裁判所も放送法というのは自主自律の体制だというのを述べているんですね。
 しかもこれは前から言われていることですけど、総務省には強制力を持って調査する権限が法律上ない、という答弁も2022年の放送法改正時の国会審議でしています。ただ番組編集準則が法規範であって、その違反に対して電波法76条の処分ができるというこの1点は譲らなかった。たぶん「伝家の宝刀」というか、究極の脅しの手段として――それは、政府は放さないよ、という宣言だと思います。
 自主自律で編集ができるのだとすれば、これは明らかに、例えば政治的公平に反するかどうかという判断は、番組を制作する側にまず委ねられる、そこで番組編集の自由が発揮されるということになります。そういう自主自律による編集権をどこまで自由に実行しているのかという放送局側の問題が、今度は問われることにならざるを得ない。

<自主自律・報道の自由をいかせるか>
 ごく最近で言えばジャニー喜多川の(損害賠償)事件についてですね、放送に限ったことではないが、最高裁判決まであるにも関わらず、メディア全体がひたすら沈黙を守り続けてきたということがありますが、本当に放送は自分たちに与えられた自主自律による自由な編集権を行使しているのかということが問われざるを得ないと思います。
 ただ、政府見解であれは法規範で76条による処分ができるという、「伝家の宝刀」と申し上げましたけど、これがものすごい脅しの材料になっているんですね。椿発言の時に実際にテレビ朝日は、免許の更新を条件付きのものにされたということもあって、放送局の経営者にしてみれば、絶対にそういう事態は起こしたくないという意識がありますから、これが上から下までにいたる萎縮効果をもたらしているんです。そもそも政府が、何が政治的公平なのかということを判断できる体制のもとでは、政府権力はもともと権力の行使についてマスメディアによって監視されるべき立場なんですけど、監視される側が「これは政治的公平に反する、法律違反だから処分できる」ということが言えることになれば、政府批判の萎縮をもたらすような結果にならざるを得ない、そうなると一番重要なマスメディアの機能である権力監視機能が損なわれるんじゃないか、という問題があります。しかも何が政治的公平で、何が政治的公平でないのかというのは、非常に漠然としているわけですね。

 国論を二分する問題でいうと、最近の例でいえばイギリスがEU(欧州連合)を脱退するかどうかという問題の時、あのときも脱退すれば経済的にすごくイギリスが利益を受けるというキャンペーンを保守党の側がやったんですね。しかし、実際にはうそだったということが後で分かるんですが、そういう国論を二分する問題について今政府がこう言っている、憲法改正問題で言えば改正賛成の方がこう言っているけれども、それは事実に反するとか、あるいはそういう説明はでっち上げだフェイクだ、あるいは論理的にいってそういう議論は成立しないということが分かっている時に、「それはおかしい」ということを放送することは、何ら問題はない公正な放送であって、それを止めるということは、そもそも表現の自由を保障した趣旨に反するんですよね。なぜかというと、国民はそういう問題があるということを全然知らされないまま、ある候補に投票したり、あるいは選択したりすることになってしまうので、そういうことが許されるんであれば、そもそも民主主義が機能しなくなるという問題がある。もともとは民主主義をよく機能させるための基盤であるから、放送には憲法上その自由が保障されるという関係なのに、全然その機能を果たさないことになってしまう。

shiryou3_5_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 なぜそうなるかというのを考えたのが、BBCのガイドラインです。ずっとBBCが第一の絶対に守るべきものとして掲げてきたのがimpartialityなんです。このガイドラインを読むと、impartialというのは議論の全てのサイドを反映することで、そしてどのサイドもひいきにしないことである、とされています。もっと大事なのは単にimpartialであることを求めているのではなくて、due impartialityが求められている、つまり適正な、ふさわしいimpartiality。何かを報道するときの結果について考えるときには、その事柄の性質、内容において、またその報道が及ぼす結果についても、よく考えた上でやらなきゃいけないという適正な公平性でなければいけないというのがBBCの見解です。

<ジャーナリストたちへの期待>
 私が期待したいのは、ジャーナリストとしての矜持(きょうじ)、ジャーナリズムの力、それがもっと発揮できるようになれば、もっといい放送ができるんじゃないか。週刊文春は、ああいう問題を果敢に取り上げてしかも裁判で争うこともいとわない、あそこには腕っこきの弁護士がついていて、判決で勝つ。ある意味、裁判をしても闘うという、きちんと筋が通っている。日本の場合、どうも裁判沙汰になることをテレビ局の幹部は恐れているのかなという気がすることがありますが、いま文春には、とにかくいろんな情報がどんどん飛び込んでくる。「文春に駆け込めば報道してもらえる」ということで、そういう状態になっているということを文春の編集長が書いていましたけど、もっと勇気を持ってしかも文春のようにきちんとしたリーガルな備えも万全に整えた上で臨めば、重要な問題だけれど報道されないということが、少なくなっていくのかなと思います。

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 議論のある問題について、できるだけ全体を伝えるというのは、これはそもそも放送が公共性を持つ上で絶対の条件ですね。だからといって間違った意見も伝えなきゃいけないとか、事実じゃないフェイクの主張も伝えなきゃいけない、ということにはならないと思います。だからいろんな立場いろんな意見があるとして、その中でまともに取り扱うべき意見と、全然相手にならない意見があったとしたら、それを両方とも載せなきゃいけないというのは、これはおかしいですね。BBCが言うdue impartialityがというのはそういうことだと思います。impartialでなきゃいけないけど、しかしそれはdueでなきゃいけない。間違ったことなのか、うそなのか、これを判断するのは放送局の側ですから、ジャーナリストとして判断するということになります。

 「エコーチェンバー現象」というのがありますけど、それを打ち破るのは、本来の表現の自由の考え方で言えば、「モア・スピーチ」なんですね。言論の力でそれを打ち破っていかなければいけない。
 逆に言えば、放送が本当に真実を伝える場なんだ、放送というのはそういうものとしてそういう制度としてできあがっているんだ、だから信頼できる言論機関なんだということがきちんと確立できるようになれば、そちら側の方向でいろいろな事を推し進めていけば、インターネットに一方的に負けてしまうことはない、というのが私の希望的な観測です。でも、「本当にそういう意味で信頼できるような言論機関になっていますか」というのが、いま一番投げかけられている大きな疑問なのではないでしょうか。

【渡辺健策】
1989年NHK入局。報道局社会部、首都圏放送センターなどで記者として環境問題を中心に取材。
2011年から盛岡放送局ニュースデスクとして東日本大震災の被災地取材に関わり、その後、総務局法務部などを経て2022年から現所属。

おススメの1本 2023年06月14日 (水)

ロイター・デジタルニュースリポート2023 概要(Executive Summary)の日本語版を発行#491

メディア研究部(海外メディア)税所玲子

 イギリスのオックスフォード大学のロイタージャーナリズム研究所(Reuters Institute for the Study of Journalism)が、毎年、発行する「デジタルニュースリポート」。
2023年の報告書が6月14日に発表されました

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デジタル化が、人々のニュースに関する考え方や接し方にどのような影響を与えているのか、調査・分析をしているこのプロジェクトに、NHK放送文化研究所は2022年から参加しています。今回は、世界でのリリースと同時にその内容を日本語で読んでいただこうと、Executive Summary(概要)を準備しました。

今回のヘッドラインは、若者層を中心に、ソーシャルメディアを通じてニュースに触れる人がさらに増え、物価高騰の中で購読者数が伸び悩む既存のメディア組織は、さらに苦戦を強いられている、という点です。


オンラインでニュースに触れる主な方法とその割合(2018~2023) ― 全ての国と地域
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 調査をしている46の国と地域の平均をみると、ニュースを報道機関のホームページやアプリで見る人と、ソーシャルメディアを利用して見る人の割合は、2021年以降、逆転していますが、今回はそれが加速したばかりか、TikTokやYouTubeなど動画系のプラットフォームの勢いが増しているということです。

過去1週間にソーシャルネットワークをニュースのために使用した人の割合(2014~2023) ― 一部の国の平均
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 一方、前回のリポートで話題になった「ニュース回避」の傾向も続いていて、ウクライナでの戦争や物価高などの暗いニュースを避けることなどが浮き彫りになっています。今回は、ニュースそのものを避けるのか、特定のニュースを避けるのか、など具体的にどのようにしてニュースを避けるのかにも焦点をあてています。

頻繁にまたは時々ニュースを避けようとしている人の割合(2017~2023年) ― 全ての国と地域
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その他、今回のリポートでは
●メディア批判、●アルゴリズムの影響、●誤情報・偽情報、●ニュースについての議論への参加、●ポッドキャストの動向、●公共サービス放送のほか、毎年継続調査している「ニュースへの信頼」や「関心」などがカバーされています。

余談ですが、翻訳作業では、デジタル化の中で生まれた新しい用語の使い方にも頭を悩ませました。例えば原文で出てくるpublisherという言葉。従来の「出版」だけでなく、放送やオンライン、ゲームなど広くコンテンツを発信する主体を意味していますが、日本語に置き換えるにはどうしたらよいのか。また、ニュースを「見る・読む」だけでなく、「消費する」(consume) が多く用いられています。なるべく日本語で読みやすいように、文脈によって書き分けるなどしてみましたが、果たしてそれが正解だったのか。これからも必要に応じて改善を続けていきたいと思います。

Executive Summaryの日本語版は、こちら
本編のリポート(英語)は下記からご覧になれます。
https://reutersinstitute.politics.ox.ac.uk/digital-news-report/2023

また、日本の動向と分析は、去年と同様に夏以降、NHK放送文化研究所の「放送研究と調査」にシリーズで掲載する予定ですので、あわせてご覧いただけると幸いです。


ⅰ) 調査対象国は:地域ごとに原則としてアルファベット順に
(ヨーロッパ)イギリス,オーストリア,ベルギー、ブルガリア、クロアチア、チェコ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、アイルランド、イタリア、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロバキア、スペイン、スウェーデン、スイス、トルコ(北米・中南米)アメリカ、アルゼンチン、 ブラジル、カナダ、チリ、コロンビア、メキシコ、ペルー (アジア太平洋)オーストラリア、香港、インド、インドネシア、日本、マレーシア、フィリピン、シンガポール、韓国  台湾、タイ (アフリカ大陸)ケニア、ナイジェリア、南アフリカ
調査対象は、合計93895人、調査は2023年1月下旬から2月上旬にかけて実施。

ⅱ) 調査のパートナー団体は、NHKのほか、
Google News Initiative、BBC News、イギリスOfcom、アイルランドBroadcasting Authority of Ireland (現Coimisiún na Meán)、オランダDutch Media Authority(CvdM)、フィンランドMedia Industry Research Foundation、ノルウェーFritt Ord Foundation、韓国言論振興財団(Press Foundation of Korea)、イギリスEdelman、ロイター通信のほか、学術支援団体のドイツLeibniz Institute for Media Research/Hans Bredow Institute、スペイン・ナバーラ大学(University of Navarra)、オーストラリア・キャンベラ大学(University of Canberra)、カナダCentre d’études sur les médias、デンマーク・ロスキレ大学(Roskilde University)

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【税所 玲子】
1994年入局、新潟局、国際部、ロンドン支局、国際放送局などを経て2020年7月から放送文化研究所。

ヨーロッパを中心にメディアやジャーナリズムの調査に従事。

調査あれこれ 2023年06月13日 (火)

G7サミット終えて内閣支持率足踏み ~財源問題先送りはどう影響?~【研究員の視点】#490

NHK放送文化研究所 研究主幹 島田敏男

 岸田総理大臣はG7広島サミットの議長を務め、ウクライナ支援で足並みをそろえつつ、核兵器のない世界実現の機運を盛り上げようというメッセージを発信。ゼレンスキー大統領が急きょ広島に駆けつけたことも大きなインパクトをもたらしました。外務省幹部は「このところ影が薄くなっていたG7サミットだが、今回は世界に向けた強い発信に成功した」と胸を張りました。

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 ただ岸田総理自身は「それなりの成果はあった」とやや控えめの評価に終始していました。被爆者団体の人たちから「核兵器の廃絶に向けて一歩前進したとはとても言えない」と厳しい評価が発せられたこともあるでしょう。そしてロシアのプーチン大統領がG7に反発するかのように、ウクライナと国境を接するベラルーシに核兵器の配備を打ち出したのも暗い現実です。

 サミット閉幕直後には支持率が急上昇した新聞社の世論調査もありました。しかしその直後に総理秘書官を務めていた長男が公邸の公的スペースで親族による忘年会の記念写真を撮っていた問題が発覚し、更迭されました。「はしゃぎ過ぎの岸田一族」とも評され、その後の各種世論調査には支持率低下のものが目立ちました。

 サミットからちょうど3週間後の6月9日(金)から11日(日)にかけて行われた6月のNHK月例電話世論調査も、岸田総理にとって少々厳しい結果になりました。

☆あなたは岸田内閣を支持しますか。それとも支持しませんか。

 支持する  43%(-3ポイント)
 支持しない  37%(+6ポイント)

 2月から5月にかけて4か月連続で上向いていたNHK世論調査の内閣支持率が、ここで足踏み状態になったように見えます。この数字を年代別に見ると、40歳以上では「支持する>支持しない」なのですが、18歳から39歳の若い世代では「支持する<支持しない」となっているのが目立ちます。

 もろもろの出来事に対する反応が絡み合って出てくるのが内閣支持率ですが、今回は6月1日に政府の「こども未来戦略会議」が少子化対策の方針を発表した動きも一つの要素になっていそうです。

child_2_W_edited.jpgこども未来戦略会議(6月1日)

☆少子化対策について、政府は今後3年をかけて年間3兆円台半ばの予算を確保し、児童手当の拡充策などに集中的に取り組む方針です。あなたは、この少子化対策に期待していますか。期待していませんか。

 期待している  39%
 期待していない  56%

こちらはすべての年代で「期待している<期待していない」となっています。政府が手当てをばらまくだけでは少子化に歯止めはかからないと冷静に受け止めている人が結構多いことがうかがえます。

☆政府は、少子化対策の財源を社会保障費の歳出改革や新たな支援金制度で確保するとしていますが、具体的な内容は今後検討を進めるとしています。あなたは財源確保をめぐる政府の対応についてどう考えますか。

 すみやかに全体像を示すべきだ  44%
 時間をかけて検討すべきだ  48%

これはちょっと分かりにくい数字です。与党支持者では「すみやかに<時間をかけて」ですが、野党支持者では「すみやかに>時間をかけて」となっていて逆の傾向が出ています。無党派層は相半ばです。

 「少子化対策の財源確保の方法まですみやかに示すべきだ」と考える人たちには、国民に新たな負担を求めるのかどうかを誠実に示してくれないと、いくら良い話でも賛否を判断できないという気持ちがあるのでしょう。

 この新たな国民負担のありなしに向けられる厳しいまなざしは、終盤国会で大詰めの論戦が続いている防衛費大幅増額の財源問題とつながっているように思います。

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 終盤国会の与野党対決法案として参議院財政金融委員会で審議が続く防衛力強化財源確保法案は、国の無駄な歳出を減らして防衛費増額の財源にするというものですが、結論が先送りされている増税の中身と一体のものです。

 この防衛費増額のための増税について、財務省や自民党税制調査会は東日本大震災の復興財源に充てている復興特別所得税(基準所得税額に2・1%相当を上乗せ)の仕組みを部分的に転用する案を示し、結論が先送りされているという問題があります。
 
 12日に福島市で開かれた参議院財政金融委員会の地方公聴会では、「復興の財源を国防の財源に充てるというのは筋違いだ」といった反発が相次ぎました。

fukusima_4_W_edited.jpg参院財政金融委 地方公聴会(福島市 6月12日)

 このところ足並みがそろわない野党各党ですが、この問題では「先に防衛費を対GDP2%にするという目標ありきで、後から国民負担の中身がついてくるというのでは不誠実だ」「取りやすい方法で取るというのは姑息(こそく)だ」という批判は共通です。

 通常国会の会期末21日が近づくにつれ、与党側からは衆議院の解散・総選挙もありうるという発信が相次いでいます。

 ただ、少子化対策でも防衛費増額でも、必要な財源のよりどころとなる国民負担の中身を示すことなく、『つけの先送り』が次々と国民の目に見えてくると岸田政権の先行きに対する不信感は増してくるでしょう。
こういう状況を背負ってでも、岸田総理が会期末の衆議院解散・7月総選挙を選択するのかどうか。

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 自民党内には、財源問題を先送りし続けて時間を作れば選挙に影響はないという楽観論もあります。一方で、サミット後に表面化した東京都での自民党と公明党の与党内選挙協力を巡る行き違いの影響を懸念する声もあります。

 岸田総理の自民党総裁としての任期は来年9月まで。政権の先行きをどう考え、どういう判断を示すか。注目の会期末1週間になりそうです。

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島田敏男
1981年NHKに入局。政治部記者として中曽根総理番を手始めに政治取材に入り、法務省、外務省、防衛省、与野党などを担当する。
小渕内閣当時に首相官邸キャップを務め、政治部デスクを経て解説委員。
2006年より12年間にわたって「日曜討論」キャスターを担当。
2020年7月から放送文化研究所・研究主幹に。長年の政治取材をベースにした記事を執筆。

調査あれこれ 2023年06月09日 (金)

3年に及んだコロナ禍は、人々に何をもたらしたのか? ~「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」の結果から~#489

世論調査部(社会調査)中川和明

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新型コロナウイルスの法律上の扱いが5月8日から変更されました。
法律上の扱いが変わったことによって、国が法律に基づいた行動制限を求めることができなくなったほか、医療費の扱いについても見直しが行われました。
また、新型コロナの感染者数は、医療機関などが毎日すべての感染者数を報告する「全数把握」から、指定された医療機関が1週間分の感染者数をまとめて報告する「定点把握」に変更され、3年以上続いたコロナ対策は、大きな転換点を迎えたことになります。

こうしたことを受けて、社会のさまざまな分野で、感染拡大以前の日常に戻そうという動きが加速していますが、3年に及んだコロナ禍は、人々に何をもたらしたのでしょうか。
今回は、これについて、NHK放送文化研究所(以下、文研)が行った世論調査をもとに、少し考えてみたいと思います。

コロナの感染拡大によって、さまざまな社会経済活動が制約を受け、多くの人がこれまでとは違った生活を営まざるを得ず、大きな影響を受けました。

 文研が2022年11月から12月にかけて行った「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」で、感染拡大をきっかけにした生活の変化は、自分にとって、プラスの影響とマイナスの影響のどちらが大きかったと思うかを尋ねました。
『マイナスの影響が大きかった(どちらかといえば、を含む)』と答えた人が74%で、『プラスの影響が大きかった(どちらかといえば、を含む)』と答えた人の23%を大きく上回りました。これを前回(2021年)、前々回(2020年)の調査と比べてみると、『マイナスの影響』、『プラスの影響』ともに、大きな変化はありませんでした(図①)。

図① プラスとマイナスどちらの影響が大きかったか

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

2022年の調査結果を男女年層別にみますと、各年代とも『マイナスの影響』と答えた人が多くなりましたが、特に、男性の70歳以上と女性の60代で8割を超え、全体の回答値(74%)を上回りました。一方、『プラスの影響が大きかった』は、男性の30代から50代、女性の30代と40代で30%ほどとなって、全体(23%)よりも高くなりました。中でも、男性の30代は『プラスの影響』が大きかったと答えた人が37%で、4割近くの人がコロナ禍での生活の変化を肯定的にとらえていました(図②)。

図② プラスとマイナスどちらの影響が大きかったか
       (男女、男女年層別)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

この結果をみて、コロナ禍をプラスだと思う人がいるんだ。その理由は何だろうと思われる方も多いと思います。
そこで、『プラスの影響が大きかった』と回答した人に最もあてはまる理由をひとつだけ選んでもらった結果をみてみます。
最も多いのは、「手洗いなどの衛生意識が向上したから」の42%で、次いで、「家族と過ごす時間が増えたから」が21%、「在宅勤務など柔軟な働き方ができるようになったから」が12%、「家でできる趣味など今までとは違う楽しみを見つけられたから」が8%などとなりました(図③)。

図③ 感染拡大による生活の変化『プラスの影響』の理由
(該当者:『プラスの影響が』大きいと答えた人=524人)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 回答の多かった「手洗いなどの衛生意識が向上したから」や「家族と過ごす時間が増えたから」など4つの回答について、年層別に詳しくみてみると、「手洗いなどの衛生意識が向上した」は、60歳以上で7割近くに達したのに対し、18歳から39歳では23%と若年層ほど低くなっていて、高齢層など年齢の高い人たちで多く感じられた理由であることがわかります。
一方、「家族と過ごす時間が増えた」は、40代・50代で26%と、全体(21%)を上回ったほか、「在宅勤務など柔軟な働き方ができるようになったから」と「家でできる趣味など今までとは違う楽しみを見つけられたから」は18~39歳でそれぞれ全体を上回っていて、若年層や中年層を中心に、働き方や時間の使い方の変化を肯定的にとらえている人たちが一定程度いることがわかります(図④)。

図④ 感染拡大による生活の変化『プラスの影響』の理由
(「手洗いなどの衛生意識が向上」「家で過ごす時間が増えた」
「柔軟な働き方」「今までと違う楽しみ」:年層別)
(該当者:『プラスの影響が』大きいと答えた人=524人)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 さらに新型コロナウイルスの感染拡大による人と人との関係への影響などを考えるため、次の調査結果も紹介したいと思います。
新型コロナの感染拡大の影響に関して、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」や「人とつながることに関してインターネットのありがたさがあらためてわかった」など4つの項目を挙げて、自分の考えがあてはまると思うかどうかを尋ねました。
『あてはまる(かなり+ある程度)』と答えた人が最も多かったのは、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」の76%で、次いで「人とつながることに関してインターネットのありがたさがあらためてわかった」が48%、「義理で会っていた人に会わなくなってよかった」が45%、「人と会うのがおっくうになった」が36%となりました(図⑤)。


図⑤ 感染拡大の影響に関して『あてはまる』もの

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 『あてはまる』と答えた項目のうち、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」と「義理で会っていた人と会わなくなってよかった」、「人と会うのがおっくうになった」の3つについて、男女年層別にみると、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」は、女性の60代で全体を上回っていますが、おおむね、どの年代でも7割から8割ほどに達していて、年層ごとに大きな差はありませんでした。
 一方、「義理で会っていた人と会わなくなってよかった」は、男性の40代、50代、女性の50代以下の年代で、全体を上回って半数を超えていて、これまでの職場や近所、親戚、さらに、子どもを介した親同士のつきあいなどが減ったことで、どちらかといえば、義理で会っていた人たちと会うことがなくなり、かえって、よかったと答えた人が多くなったと考えることもできます。
他方、「人と会うのがおっくうになった」は、女性の30代から50代で全体より高くなっています。この要因について、明確に判断できる材料はありませんが、特に女性で高い傾向が出ていることから、例えば、女性では、コロナ禍で家にいることが多くなった影響で、外出するために化粧をしたり、服装を選んだりすることが面倒になったと感じている人がこうした回答をした可能性も考えられます(図⑥)。

図⑥ 感染拡大の影響に関して『あてはまる』もの
(「人と実際に会うことの大切さがわかった」「義理で会っていた人と会わなくなってよかった」
「人に会うのがおっくうになった」:男女年層別)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 新型コロナの感染拡大は、人と人との接触が制限され、多くの人が今までと違った生活を余儀なくされたことで、マイナスの影響が大きかったと感じている人が多くなりました。
ただ、そうした中にあっても、若年層や中年層の人たちを中心に、家族と過ごせる時間が増えたことや、在宅勤務など柔軟な働き方ができるようになったこと。さらに今までと違う楽しみを見つけられたことなど、コロナ禍を前向きにとらえる人たちがいることも、調査結果は示してくれています。

また、社会の分断が指摘されたコロナ禍ではありましたが、人と実際に会うことの大切さがあらためてわかったなど、多くの人が人と人のつながりを大切だと思い、同じ価値観を共有した点も、コロナ禍がもたらしものと考えることができると思います。
さらに、今までの生活を変えざるを得なくなったことで、義理で会っていた人と会わなくなってよかった、かえって面倒なことをしなくてよくなったと前向きにとらえる向きもみられました。

新型コロナの感染拡大の影響について、さまざまな受け止めがあると思いますが、3年に及んだコロナ禍とは何だったのか。
その答えが出るにはもう少し時間が必要なのかもしれませんが、これからも関心をもってみていきたいと思います。

「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」のその他の結果については、「コロナ禍3年 社会にもたらした影響-NHK」で公開しています。ぜひご覧になってみてください。
また、「放送研究と調査 2023年5月号」では、3年にわたるコロナ禍によって、人々の意識や暮らしがどう変わったかなどについて詳しく紹介しているほか、本ブログでも、「マスクの着用『個人の判断』になってから2か月 その後、どうなった?」などで取り上げていますので、ぜひご覧ください。

メディアの動き 2023年06月07日 (水)

NHKを巡る政策議論の最新動向③NHKのネット活用業務の必須業務化に向けた説明に質問相次ぐ【研究員の視点】#488

メディア研究部(メディア動向)村上圭子

はじめに

 5月26日、NHKは総務省「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会(以下、在り方検)」の公共放送ワーキンググループ(以下、WG)第8回会合において、現在は任意業務として行っているインターネット活用業務(以下、ネット活用業務)について、今後は必須業務化を前提に考えたいという意思を表明しました1)。そして、必須業務の範囲については、「『放送と同様の効用』をもたらす範囲に限って実施することが適切2)」との説明を行いました。 
NHKの説明の詳細については後ほど詳しく触れますが、説明の後に行われた約80分間の議論では、NHKに対して構成員たちから数多くの厳しい質問が投げかけられました。「質疑がかみ合っていない、(NHKは)かならずしも答えていないところが多々見受けられる3) 」との指摘もあり、WGでは構成員の質問を整理した上で、再度NHKに回答を求めることになりました。

 WGの3日後の同月29日には自民党の情報通信戦略調査会が開かれ、NHKは同じテーマでヒアリングを受けました。調査会は非公開で行われましたが、NHKはWGの質疑で述べた内容よりも踏み込んだ見解を述べたことが新聞などで報じられました4)。そして、6月7日午後に開催される在り方検の親会では、再びNHKによる報告が行われます。また同日午前にはWGも開かれ、NHKのネット活用業務の必須業務化に対して懸念を述べてきた新聞協会と民放連が主張を述べることになっています。

 以上のように、NHKを巡る政策議論は急ピッチで進んでいますが、こうした最中に発覚したのが、現在は業務として認められていないBSの同時配信の開発に向けた設備整備費用として、2023年度の予算として9億円を計上することを決定し、その後、調達や契約の手続きを進めていたという問題です。5月29日、NHKは予算・事業計画との明確な関係性について内外に十分な説明が行われてないまま手続きが進められていたことは適切でなかったとして、必要な是正措置をとったことを総務省に報告しました5)。総務省は「NHKにおける契約手続きその他の意思決定のプロセスについて、ガバナンスの面で再確認」を期待するとのコメントを発表。NHKは今後、会長直下に弁護士等からなる検討会を設置し、改革を行っていくとしています。ネット活用業務の必須業務化に向けた議論が大きく注目され、また、それを審査・評価するためのNHK内部のガバナンスの強化が問われている中でなぜこのような事態が起きてしまったのか。NHKは言葉を尽くして説明していく必要があります。

 いずれにせよ、NHKのネット活用業務の必須業務化というテーマは、視聴者・国民の負担、今後の日本社会におけるNHKや放送メディアの姿、デジタル情報空間における課題解決のあり方など、非常に多くの重要な論点が複雑に絡み合ったものであることは言うまでもありません。本ブログでは政策議論にできるだけ並走しながら論点を整理し、今後の議論を読み解くための視座を示していきたいと考えています。第3回の今回は、在り方検におけるNHKの説明とその後の構成員の意見・質問の内容を論点別に私なりに整理します。なお、NHKが回答した内容については、前述したように、再度NHKに回答する機会が与えられることになりましたので、その際にきちんとまとめたいと思います。

1. NHKの説明の概要

 NHKが第8回会合で示した資料は、NHK自身が「すでに報告をしている内容も多く含まれている」と前置きで語ったように、去年11月の第3回で報告した資料をベースに作成されたものでした6) 。その資料をもとに、NHKはまず、「視聴者国民の皆様のメディアへの期待を踏まえてNHKの進むべき道を考えるのが適切である」という認識を改めて示しました。そして、ネット活用業務の必須業務化については、視聴者国民からの期待が高い「情報空間の参照点」となるような信頼できる基本的な情報の提供と、新聞や民放などの「信頼できる多元性確保」への貢献を基本的な考え方としていることを述べました。その上で、今回は①業務範囲、②ガバナンスのあり方、③負担のあり方、④(情報空間全体の)多元性確保への貢献、の4点について説明しました。以下、それぞれについて、NHKの説明とそれに対する構成員の主な意見もしくは質問を対照させて見ていきます。なお、本ブログの執筆時点では総務省のウェブサイトに議事録が公開されていないため、構成員の発言は筆者のメモからの意訳であることをあらかじめお断りしておきます。

2.必須業務の範囲と規律のあり方

*NHKの説明
 図1は、NHKが今回初めて示した必須業務の範囲に関する考え方です(図17))。ネット活用における必須業務の範囲は、『放送と同様の効用』をもたらすものに限って実施していくことが適切であるとし、放送の同時・見逃し配信ならびに放送と同一の情報内容を多元提供する報道サイトを基本とする、との考えを示しました。理由としては、視聴者・国民の間には、新聞や民放などの伝統メディア全体への期待が高いということを踏まえたとしています。 

(図1)

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 また、『放送と同様の効用で異なる態様のもの』についても一部必須業務にすることが考えられるとしました。『異なる態様のもの』、つまり、放送と同一の内容ではないけれど同様の効用をもたらすものとは何を指すのでしょうか。NHKは4つの例を示しながら説明を行いました。図2はその4例について、NHKの資料と説明をもとに、問題意識と具体的な内容に分けて私なりに簡略化して示したものです。詳細はNHKの報告資料8)を参照ください。

(図2)

table_murakami.png※OTT9)

 また、NHKはプラットフォーム等を通じた提供も含めて、サービスの横幅が広がることがある一方で、縦幅が縮まることも示唆しており(図1の下段の点線で囲った部分)、今後一層、NHKとして経営資源の選択と集中を行っていくことを強調しました。

 NHKは必須業務化した際の規律のあり方についても触れています。ネット活用業務が必須業務となった際には、「全体として公平性確保、多角的論点提示等の規律が必要」であり、「『放送』同様の自律型モデルが望ましいと考える」と述べました。

*構成員の意見・質問
 NHKが必須業務の範囲は、『放送と同様の効用』をもたらすものに限るとしたことについて、構成員からの意見が相次ぎました。まず、宍戸常寿構成員からは、「放送と同様の効用が一体何なのかについて、個別案件を説明し、NHKの独りよがりではなくファクトデータに基づく裏付けがあるということは非常に重要。ただ、ネット活用業務を必須業務化することで、全体像として何を目指していこうとしているのかを発信してほしい。どこかのタイミングで示してもらいたい」とのコメントがありました。大谷和子構成員からも、「NHKは放送と同様の効用という言葉を使っているが、国民・視聴者にとってどんな効用があるのか、必須業務とすることの意義について、NHK自身の言葉で聞きたい」と、同趣旨のコメントがありました。落合孝文構成員からは、「ネット活用業務においても放送と同様の効用という提起だったが、電波で情報発信していた時代の放送に社会的に求められるものと、ネット社会で情報が氾濫する中で求められる役割については、実態が変わっている部分もあるのでは」という問題提起がありました。
 放送と同様の効用で『異なる態様のもの』に関する意見や質問も複数ありました。その多くが、NHKが任意業務として、受信契約の有無にかかわらず広くネット上で展開してきた、番組の周知・広報、ニュースを深掘りするテキスト記事などの「理解増進情報」についてでした。「これまで理解増進情報については、なしくずし的な拡大ということを民放連や新聞協会が懸念してきたが、『放送と同様の効用』と理解増進情報とはどういう関係にあるのか?」(落合構成員)。「理解増進情報は廃止になって、『放送と同様の効用で異なる態様のもの』に衣替えしていくのではないか。その際に、これまで言われていた「歯止めがない」という問題と同じ問題が発生するのでは?」(曽我部真裕構成員)。このほか、「これまでの理解増進情報の中で、公共放送に関する理解を深めてもらうものやサービスへの誘導についてはどう考えているのか」(瀧俊雄構成員)、といった質問や、「現在の任意業務における費用は190億円強で行っており、多くは放送との共通費であると理解しているが、純粋にネット業務にかかっている費用はどのくらいか?また、この先、どのくらいの額を想定しているのか?」(内山隆構成員)といった質問もありました。また曽我部構成員からは、「成長性は低いが公共性が高いアーカイブの提供についてはより積極的に必須業務に位置づけていくことが求められるのではないか?」といった意見もありました。

 また、ネット活用業務が必須業務化された場合、放送と同様の規律はネット業務においてどうなるのか、という点についての質問も相次ぎました。まず具体的な内容としては、「NHKプラスは現状では全ての番組が流されているわけではないが、必須業務化した際には全部流す方向で考えられているのか?またBSについてはどう考えているのか?」(長田三紀構成員)、「ネット必須業務化に関して、あまねく受信義務についてはどう制度として整理していくのか?」(内山構成員)、「番組編集準則やあまねく受信義務、放送番組審議会、重大事故報告などの放送法の規律がネット活用業務にかかることを考えた場合、NHKが業務を行う上で支障はあるか?」(山本隆司構成員)という質問がありました。林秀弥構成員からは質問ではなく、「ネット上の規律を法的に措置するということには慎重であるべき。協会内部の自主自律にとどめることが妥当」という意見が述べられました。

3.ガバナンスのあり方

 NHKのネット活用業務が必須業務になったとして、民間事業者との公正競争を確保するという観点から、どのような内容のサービスをどのくらいの費用をかけて行うのか、事前の審査や事後の評価の仕組みはどうあるべきか、そして国はどこまでその仕組みに関わるべきなのか。このテーマについては、これまで約半年行われてきたWGの議論でも多くの時間が割かれてきました。中でも、構成員たちの関心が高かったのが、経営委員会を軸とした組織のガバナンス強化にNHKがどう取り組むかという点でした。NHKの取り組みの中身によって、審査や評価に関する国の関与の度合いが異なってくるためです。議論では、国の関与を強めるよりも、できる限りNHKの自発的な取り組みに期待したい、という声が多かったように思います。では、NHKはどのような説明を行ったのでしょうか。

*NHKの説明
 NHKはネット活用業務が必須業務となった場合、放送各波と同様に、毎年度の予算・事業計画で規模、内容を示すことになるのではないかと述べ、現在の放送同様のガバナンスを想定していると発言しました。また、一定の規模の新規サービスを始めるにあたっては、経営委員会の監督のもと、サービスの公共性が市場影響を上回るかどうかを審査する、BBCで実施中の「公共価値テスト」のようなものを事前に実施した上で業務範囲に追加していくことも検討したいということを述べました。「公共価値テスト」は、サービスの公共性が市場影響を上回るかどうかを審査するテストで、イギリスの公共放送BBCが実施しています。加えて、BBCが全体状況の変化に合わせ、民間企業との公正競争が確保されているかどうかを数年に一度チェックする競争レビューのようなものを行うこともあり得るのではないかとしました。

*構成員の意見・質問
 林構成員からは、「BBCがこうだから日本も横にならえ、ということにはならない。総務省内に市場検証会議のようなものを立ち上げて、定点観測的にレビューを行うべき。今回の説明で書かれている程度のことでもし競争ルールをすますというのであれば、懸念を払拭するのは難しいし賛同しがたい」と厳しいコメントがありました。また、林構成員は、事前のチェックに関しては「メディアを巡る市場構造の激変の可能性をはらむ制度改正が行われようとしているときに、チェックやガバナンスを当事者による強化だけに委ねていいのか。必須業務化するのであれば、執行部をチェックする経営委員会による監督と機能強化はマストだがそれでは足りない。少なくとも最初の数年間は費用の上限も含め、現在の実施基準を作成して総務省のチェックにかけるべき」とも発言。そして「総務省といっても電波監理審議会の諮問と議決というプロセスを踏むので、いわゆる政治色が入ることはないだろう」と付け加えました。
 宍戸構成員からも、「従来のガバナンスで本当に十分なのか、どういう工夫をするつもりなのかがはっきりしないと、外からの強い枠組みを考えていかざるを得ない。電波監理審議会もしっかりした組織だが、政府の監督が及ぶことはやはり慎重な配慮が必要。自律的な判断をNHKが行い、それを外から評価する形でないとうまく回らない。だからこそ経営委員会制度があるのだが、WGの議論の温度感が経営委員会にきっちり伝わっているのか気になっている」という厳しいコメントがありました。曽我部構成員からも、「一般的なNHKのガバナンスで処理していくということになると、個別のネットのコンテンツに対する批判があることを考えると、経営委員会でそれをチェックするというのは難しいのではないか。特別なガバナンスが求められてくるのではないか」との指摘がありました。

4.負担のあり方

 この論点についても、WGではこれまで多様な角度から議論が行われてきました。その結果、テレビを所有しておらずNHKと受信契約を締結していない人についても、アプリをインストールし、個人情報の入力など、何らかの強い利用の意思を示した場合には受信契約の対象になり得るのではないか、という一定の方向性がみられていたと思われます10)

*NHKの説明
 NHKが示した考え方も、WGでの一定の方向性と近しいものといっていいと思います。NHKは、「多機能端末であるスマートフォンを所有しただけで、現在のテレビ受信機のように扱うことは選択肢には入らない」とした上で、「公平性、公平負担の観点から、同様の効用が得られているのであれば、同様の負担を頂くのが適当ではないか」と述べました。そして制度的には、「“受益感”が無い“所有即契約”ではなく、“受益感”が公平性を上回る有料契約=“サブスク”でもない形」であるとし、詳細は詰めていく必要があるとしました11)

*構成員の意見・質問
 この論点については、WGの一定の方向性と近しいものだったこともあり、ほとんど意見はありませんでしたが、山本構成員からNHKに対し、法制度を今後WGで議論していく上で、実務上留意してほしい要望や積極的な考えはないか、との問いかけがありました。

5.(情報空間全体の)多元性確保への貢献

*NHKの説明
 NHKからは、具体的な内容として大きく2つの方向性が示されました。1つは、新たに取り組みが始まっている、伝統メディアによる情報空間全体の多元性確保に向けた動きへの貢献(図312))、もう1つが放送分野における貢献です。こちらは、民放があまねく受信努力義務などを遂行するにあたり、NHKは必要な協力をするよう務めなければならないという改正放送法の内容を意識したものであると思われます。具体的には放送ネットワークの効率的な維持・管理、日本のコンテンツ産業の後押しや放送ソフトウエア開発等を挙げていました。

(図3)

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*構成員の意見・質問
 内山構成員からは、「民放ローカル局の番組の配信としてNHKプラスへの参加を考えた場合に NHK側は協力可能か?どういった形の供給が可能か?視聴者に見える表舞台ではなかなか難しいという感じもするが、例えば(ユーザーにコンテンツをスムーズに届けるためのキャッシュサーバーのネットワークである)CDN のようなバックヤードの部分で協力するということはありえるのか?」「国際展開において、日本のコンテンツホルダーやIP(知的財産)ホルダーとの協力への展望はあるか?」といった具体的な質問がありました。さらに「2040年におけるNHKの競争相手は誰だと考えているのか?」という問いかけもありました。曽我部構成員からは、「多元性確保について必須業務として取り組むのであれば、案件があってそれに個別ベースで取り組むというのではなく、NHKが計画性をもって戦略的に施策を考えるというのがあるべき姿ではないか」との指摘がありました。

おわりに

 今回のブログは、NHKの説明とそれに対する構成員の意見や質問を整理してまとめ、できるだけWGの議論の雰囲気を伝えられればと思いましたが、いかがでしたでしょうか。80分の議論の最後には三友仁志主査から、「NHKには情報空間の健全性やメディアの多元性多様性を維持するために、ネット活用に向けた日本のリーダーとしての矜持(きょうじ)を伺いたかった」「NHKに関する様々な懸念が示されているところ。ぜひNHKにはそれらを自らが払拭する一層の努力を期待している」との重い言葉が投げかけられました。
WGや在り方検の親会の議論は、今夏のとりまとめに向けたラストスパートに向かっています。今後も引き続き議論に並走しながら、論点を整理し、議論における課題があれば、その都度指摘していきたいと考えています。


1)   在り方検・公共放送WG第8回 NHK説明資料 https://www.soumu.go.jp/main_content/000882687.pdf

2)   NHK井上樹彦副会長の発言

3)   三友仁志座長の発言。その他、落合孝文構成員からも同様の発言があった

4) 複数の新聞報道によると、ヒアリングにおいてNHKは、必須業務化後は、ネット活用業務は「映像と音声が伴うものに純化したい」とし、テキスト情報のみの報道については、今後見直す可能性についても触れたとのこと

5)   https://www.nhk.or.jp/info/otherpress/pdf/2023/20230530_1.pdf

6)   第3回のNHKの報告内容については下記で詳細を記載している
  https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/100/478763.html

7)   1)参照 P11

8)   1)参照 P13~16

9)   オーバーザトップの略。ネット回線を通じてコンテンツを配信するストリーミングサービスのこと

10)   議論の詳細については https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2023/05/18/

11)   1)参照 P20~23

12)   1)参照    P25

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村上圭子
報道局でディレクターとして『NHKスペシャル』『クローズアップ現代』等を担当後、ラジオセンターを経て2010年から現職。 インターネット時代のテレビ・放送の存在意義、地域メディアの今後、自治体の災害情報伝達について取材・研究を進める。民放とNHK、新聞と放送、通信と放送、マスメディアとネットメディア、都市と地方等の架橋となるような問題提起を行っていきたいと考えている。

調査あれこれ 2023年06月06日 (火)

中高生の悩みの相談相手は... ~第6回「中学生・高校生の生活と意識調査」から~【研究員の視点】#487

世論調査部 (社会調査) 中山準之助

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 今月6月には「父の日」、先月5月には「母の日」と、親との関係性について考える機会が多くなるのではないでしょうか。そこで、今回、中高生とその親との意識に迫る調査結果をご紹介します。
 文研世論調査部では、昨夏「中学生・高校生の生活と意識調査2022」(以下、「中高生調査」)を実施し、中高生に、「悩みごとや心配ごとを相談するとしたら、主に誰に相談するか」を尋ねました。結果は、中学生では、「お母さん(グラフのオレンジ色)」と「友だち(グラフの薄紫色)」が3割台で同程度。高校生では、「友だち」が4割で最も多いものの、次いで「お母さん」が3割となりました。「お母さん」は、「友だち」と同様、悩みごとなどの相談相手としても重要な位置を占めているのが確認できます。

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 男女中高別にみると、女子中学生と女子高校生では、「お母さん」と「友だち」がそれぞれ4割程度で、有意な差がなく、同性の親が、悩みや心配ごとの相談相手としても、友だちと並んでとても重要な存在であるのが分かります。また、男子中学生でも「お母さん」が28%、男子高校生では「お母さん」が25%で、男子の中高生も、4人に1人が「お母さん」を選び、男子からしても、「お母さん」が頼りになる存在であると言えそうです。

悩みごとや心配ごとの相談相手<男女中高別>graph2.png

 では、親から見たらどうなのか。昨夏2022年に実施した世論調査「中高生調査」では、中高生の親に、「子どもが悩みごとや心配ごとがあるときに、主に誰に相談すると思うか」を尋ねました。結果は、父親の回答では、「母親」が64%で最も多く、次いで「友だち」が16%、「父親(自分)」は6%でした。一方の母親では、「母親(自分)」が44%で最も多く、次いで「友だち」が30%、「父親」は5%でした。いずれもグラフのオレンジ色で表した「お母さん」にあたる部分が最多で、父親と母親ともに「母親の存在は大事である」と考えている傾向がみてとれます。特に父親で「母親」の傾向が強いようです。

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 なお、「中高生調査」は、これまでに1982年、1987年、1992年、2002年、2012年と5回実施し、中高生の親に「子どもが悩みごとや心配ごとがあるときに、主に誰に相談すると思うか」を尋ねてきました。
 郵送法で行った2022年の調査とそれ以前の調査は、調査手法が異なるため、単純に比較はできませんが、過去5回の変化を見ても、オレンジ色の「お母さん」にあたる部分が、父親では過半数で推移、母親も3割台で推移してきたことが分かります。

<参考・過去調査> 父母への調査 子どもが悩みごとや心配ごとを誰に相談すると思うかgraph4.png

 今回は、母親が比較的大きな割合を占めた設問を紹介しましたが、「中学生・高校生の生活と意識調査2022」では、親と子の関係や、親と子の意識の違いなど、さまざまな分野で迫っています。
 ・ 一生懸命勉強すれば将来よい暮らしができるようになると思うか。
 ・ 夫婦の子育て分担
 ・ コロナ禍のストレスは?
 ・ 将来、海外で力を発揮したいか。 将来、海外で力を発揮してほしいか。
 ・ 18歳で大人として扱われることについて などなど
ぜひ、その他の結果や論考もご覧ください!

中学生・高校生の生活と意識調査2022の結果は、こちらから!↓↓↓
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20221216_1.html

コロナ禍の不安やストレス,ネット社会の中高生
~「中学生・高校生の生活と意識調査2022 」から①~
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20230501_5.html

ジェンダーをめぐる中高生と親の意識
~「中学生・高校生の生活と意識調査2022 」から②~
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20230601_5.html

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【中山準之助】
2018年からNHK放送文化研究所で、視聴者調査や社会調査の企画や分析に従事。
これまで「視聴率調査」「接触動向調査」、「東京五輪・パラ調査」「復帰50年沖縄調査」「中高生調査」などを担当。
特に、アナウンサーとして盛岡局で勤務していたとき、東日本大震災が発生し、被災各地の取材を重ねた経験から「震災10年調査」はじめ、『災害・防災に関する調査』を実施し、ライフワークとして研究中。

執筆した記事
文研ブログ
#250 何が避難行動を後押しするのか!? ~「災害に関する意識調査」結果から~
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/429627.html
#341 被災地の人々が求めている復興とは? ~「東日本大震災から10年 復興に関する意識調査」結果から~
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/453673.html
#422 いまの沖縄の人たちの思いとは? ~「復帰50年の沖縄に関する意識調査」結果から~
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/473346.html

おススメの1本 2023年06月05日 (月)

自然番組の源流となる「生態放送」 90年前の6月5日に日本初の生放送【研究員の視点】#486

世論調査部 (社会調査) 小林利行

6月5日が何の日か知っていますか?
あまり知られていないのですが、「ダーウィンが来た!」や「さわやか自然百景」などの自然番組の源流となる、野生動物の鳴き声をラジオで流す「生態放送」という番組が日本で初めて放送された日なのです。

90年前(1933年)の6月5日の早朝、今の長野市の戸隠山から、野鳥の鳴き声が全国に生放送で届けられました。
野生動物相手の生放送という難易度の高い取り組みに、開局2年目で人も機材も少なかった当時の日本放送協会の長野放送局が日本で初めて成功したのです。

naganokyoku_1_W_edited.png日本初の「生態放送」に成功した長野局の面々

この番組はリスナーからの評判もよく、その後各放送局が競うようにして同様の番組を放送しました。
(録音機が発達していなかったことから、1941年ごろまでは「生態放送」は全部生放送でした)
そしてそのノウハウはテレビの自然番組に受け継がれ、コアなファンを持つジャンルの1つとして今でも独特の存在感を示しています。
このブログでは、日本で初めての「生態放送」について簡単に紹介したいと思います。

○キーパーソン 猪川?
そもそもの発端は、長野局の猪川?初代局長のひらめきでした。
当時の職員の手記によりますと、局の慰安旅行で戸隠山に訪れた際に、野鳥が盛んに鳴くのを聞いて、これを番組にできないかと思い立ったそうです。
猪川局長は、日頃から長野の特色を生かした全国向けの番組制作を強く意識していて、いつも「何かないか」と探していたといいます。そのアンテナに引っかかったのが戸隠の野鳥の鳴き声だったというわけです。

さっそく猪川局長は、この計画を当時の日本放送協会の中山龍次理事に相談します。しかし中山理事は、▼放送中に鳥がうまく鳴いてくれるかということと、▼鳴いたとしてもそれをリスナーが興味を持って聞いてくれるかということを心配して、なかなか承認しなかったそうです。

○「生態放送」が承認されたひとつの偶然
ところが、ちょうどそのころ中山理事は、ある事実を知ることになります。
アメリカの放送局のNBCが、伊豆諸島にある大島の三原山の火山活動の様子をアメリカ全土に生放送したいと希望しているというのです。
このとっぴな話に中山理事も驚いて関係者に事情を聴いたところ、何年か前に、NBCがイタリアの火山の噴火の音をアメリカで生放送したら、本土に火山のないアメリカのリスナーに大好評だったらしいのです。
そしてその関係者は、「その土地に直接行かなければ聞けないようなものを、自分の家や街角で聞けるという番組が、アメリカではリスナーに特に好まれている」とも話しました。
これを聞いた中山理事は、猪川局長の提案を承認することに決めたそうです。

○さまざまな制約
アメリカの事例から、野鳥の鳴き声を届ける番組がリスナーに興味を持ってもらえそうだということはわかりましたが、長野局としては、中山理事のもう1つの心配の「放送中にうまく鳴いてくれるのか」をクリアしなければなりません。

そこで局の関係者は、地元の人に話を聞きながら、放送予定の早朝に戸隠山中で最も野鳥が鳴く場所を探し始めました。
そして最終的に、戸隠神社の近くの小さな森を中継現場としました。

ただし、さまざまな制約がありました。

まず場所ですが、当時の長野局が持っていた一番長い中継線が1キロメートルだったことから、電話線につなぐ拠点となる戸隠の郵便局を中心として半径1キロ以内という制限があったのです。
1キロというと広いように感じますが、鳥がよく鳴くうえに、そこまで放送機材を安全に運べてマイクなどもうまく設置できるような場所となると、探すのはなかなか難しかったようです。

それから、中継に使う郵便局の電話線についても、放送中に急病人が出るなどの緊急事態が発生して電話を使う必要が生じたら、直ちに放送をストップするという約束で借りていました。
病人などを優先するのは当然のことですが、うまく野鳥が鳴いてくれたとしても放送を中断する可能性もあったわけです。

○ガラス細工を積み上げるように
さて、場所も決まっていよいよ放送当日を迎えます。
当日はマイクを3つ用意しました。1つは基本的にアナウンサー用で、2つが野鳥用でした。
少しでも鳥の鳴き声を拾いやすいようにと、野鳥用のマイクは木につるしました。

mic_2_W_edited.png戸隠山の木につるされたマイク

このマイクも、おいそれと設置できたわけではありません。
当時のマイクはスタジオで使うことが前提だったので、早朝の山中の湿気が故障につながる可能性が高かったといいます。
その対策として、乾燥材を詰め込んだ箱にマイクをしまっておいて、中継直前に取り出すという方法で対応しました。

このように、1つ1つの作業に神経をとがらせながら、まるでガラス細工を積み上げていくように準備を進めたのです。

○現場の喜びを代弁した青と白のきれ
そして、午前5時40分から20分間の生放送が始まりました。
実際の放送の音源は残っていないのですが、実況を担当した岡部桂一アナウンサーが、その手記の中で現場の様子をドラマチックに再現しています。
「うぐいす、ホトトギス、かっこうがトリオとなって盛んに鳴きだしたときは本当に嬉しかった。ふと操作係の平井君と青木君を見ると、白と青のきれを盛に振るではないか。ホトトギスを感じたら白、かっこうを感じたら青いきれを振るように約束していたからである」

おそらく、青と白のきれを使って、鳴いた鳥の種類をアナウンサーに知らせるという体制だったのでしょう。
岡部アナウンサーも、うまく鳴いてくれるかどうか心配していたようですが、ふたを開けてみれば予想以上にうまくいったようです。
もちろん現場では、スタッフが歓声を上げるわけにはいきません。そのかわり、青と白のきれを力いっぱい振り上げて、その喜びを表していたのではないでしょうか。

○「生態放送」の “隠れテーマ”
実は、長野局をはじめとした各放送局の「生態放送」への挑戦には “隠れテーマ” がありました。
それは「地域から中央へ!」です。
当時のラジオ放送には、中央(大都市)の文化を地域に広げるという目的もあったといわれています。つまり「中央が送って地域が受け取る」という形です。そんな中で、地域から中央に打って出ることのできる貴重なコンテンツの1つが「生態放送」だったのです。
おそらく、地域局ならではのものを全国に届けたいという関係者の思いが、野生動物相手の生放送という冒険にも踏み切らせたのでしょう。

今回紹介した長野局の取り組みは成功しましたが、中には放送枠の30分間に鳥がまったく鳴かなかったという壮大な失敗談もあります。
それも含めて「放送研究と調査 2016年4月号」では、初期の「生態放送」について詳しく紹介しています。
興味のあるかたは、ぜひご覧ください。

おススメの1本 2023年06月02日 (金)

子ども向け造形番組の変遷~『NHK年鑑』からみた『できるかな』『つくってあそぼ』『ノージーのひらめき工房』~#485

計画管理部 久保なおみ

 NHKの幼稚園・保育所向け番組『できるかな』で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが、昨年亡くなられました。相棒のキャラクター「ゴンタくん」との掛け合いも絶妙で、ひと言もしゃべらずにパントマイムでダイナミックな工作を造り出す姿が人気でした。
NHKではテレビ放送を開始して4年目の1956年から「幼稚園・保育所向け」の番組を制作しており、中でも子どもたちの表現意欲や創造力を高める“造形”がテーマの『できるかな』と『つくってあそぼ』は20年以上にわたって放送され、多くの子どもたちに親しまれました。私は『つくってあそぼ』『なかよくあそぼ』『うたってあそぼ』『かずとあそぼ』『お話でてこい』などの番組を担当していましたので、今回は幼稚園・保育所向けとして始まった造形番組が変遷していった背景を、みていきたいと思います。

 『できるかな』の前身である『なにしてあそぼう』は、1966年に“絵画制作番組”として新設されました。『NHK年鑑』1) には「幼稚園・保育所の時間」枠のひとつとして掲載されており、1970年『できるかな』に改定された際、以下のようにそのねらいが記されています。

 ―4年間継続した絵画制作関連番組『なにしてあそぼう』に終止符を打ち、新たに同じく絵画制作番組『できるかな』をスタートさせた。意図するところは前番組『なにしてあそぼう』が、あそびを通して創作意欲を育てることに主眼をおいたのに対し、制作過程そのものの興味に重点をおこうとしたものである。(『NHK年鑑』1971)

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 『できるかな』は最初、5人の男の子・女の子が「けんかしたり、失敗したりしているうちに、自然に絵画制作に必要なことをこどもの心の中にしみこませるように構成」(『NHK年鑑』1971)していました。しかしながら『なにしてあそぼう』に出演していたノッポさんの再登場を求める声が多かったため、翌年に出演者の改定を行います。

 ―番組のねらいは、こどもたちの絵画製作活動によい刺激になるよう構成。「ノッポさん」と呼ばれる工作のお兄さんと、こどもたちが共同製作で作り上げたロボットとも怪じゅうともつかない人形が、いろいろなものを作ったり、絵を描いたりする番組。(『NHK年鑑』1972)

 最初のゴンタくんは、箱の中にいて動かない“ロボットとも怪じゅうともつかない人形”で、おなじみの“動く”ゴンタくんがデビューしたのは1973年のことでした。パントマイムのノッポさんが作り役と遊び役を兼ねていて、子どもの代表ともいうべきゴンタくんが邪魔をしたり、失敗したりしながら絡んでくる名コンビで、1990年3月まで放送されました。

 『できるかな』が長く愛された要因を、当時ディレクターだった武井博さんは次のように分析しています。2)

  • ①「ハウ・ツー」の部分と、モティベーションの誘発部分とを両立させた
      作る過程も、作ったもので遊ぶ楽しさをも“ショー”として見せることに成功した
  • ②アイディアの変わらぬ新鮮さ
      造形教育研究科・枝常弘さんが現場のニーズに耳を傾けつつ、新鮮なアイディアを出し続けた
  • ③高見映さんという優れたエンターテナーを得た
      ノッポさんとゴンタくんの間に“愛情”があり、キャラクターがその“世界”の中で“生きて”いる
  • ④工作用具の進歩
      セロハンテープやフェルトペンの登場で、省略やテンポアップが可能となった
  • ⑤簡単に動かせる軽い素材を選んだ
      段ボールとプラスチック容器で、大きな切り出しが可能となり、作るのも遊ぶのも容易になった


gontatonoppo_2_W_edited.png『できるかな』 ゴンタくんとノッポさん

 武井さんと一緒に『できるかな』や『つくってあそぼ』を制作していた田村洋さんは、テレビ創成期のディレクターで、入局したばかりの私に番組づくりのいろはを教えてくださいました。私は田村さんの退職記念パーティーで初めて高見のっぽさんにお会いして、とても軽快に話されるお姿に驚いたことを覚えています。田村さんは「のっぽさんは動きがダイナミックで繊細でとてもすばらしいんだけれども、おしゃべりだから、逆に何も話さないでパントマイムにした方が面白いと思ったんだ」と、いたずらっぽく笑っていらっしゃいました。

 1990年、「幼稚園教育要領」と「保育所保育指針」の改訂に伴い、幼稚園・保育所向けの番組は大規模な改編を行いました。新しい指針では「幼児の発達に必要な体験を得るよう適切な教育環境」を創り出すことの重要性が指摘され、幼児教育の領域も6領域から5領域に変更されました。そこで、それまで領域ごとに別々に制作していた幼稚園・保育所向けの番組を『ともだちいっぱい』というシリーズに統合し、共通の舞台で、トータルに以下の5領域を演出することにしたのです。

  • ①表現~造形『つくってあそぼ』
  • ②人間関係 『なかよくあそぼ』
  • ③環境~自然『しぜんとあそぼ』
  • ④表現・音楽『うたってあそぼ』
  • ⑤ことば・数量の認識『かずとあそぼ』(1991年に新設)


 各領域の番組が『ともだちいっぱい』シリーズへと移行される中で、『できるかな』も『つくってあそぼ』へと改定されました。この改定の背景のひとつに、大量消費からリサイクルへと向かった社会的な事情もあると、田村さんに教わりました。1980年代後半は、清掃工場で焼却しきれなくなったごみが大きな問題となり、市民活動が盛んになり始めた時期でした。3)

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 そのため『つくってあそぼ』のねらいでは「身近にある素材を利用」することが強調され、実際の工作もリサイクル素材を多用するようになりました。当時はNHKの制作グループ内でも牛乳パックやトイレットペーパーの芯などを集めており、リハーサルや収録で使用していました。

 ―子どもたちの表現意欲や創造力を高める造形番組。牛乳パックやダンボール,紙コップなど, 子どもたちの身近にある素材を利用して, その素材の意外な特徴や性質を発見しながら造形活動をする。そして, 物を作る喜びや表現する楽しさを味わう。特に, 工作上手のお兄さんのワクワクさんと, 熊の人形のゴロリが, 「何ができるんだろう」「何だろう」と考えさせながら工作に挑戦する「間」を大切にする。テーマは, 「季節の風物」や「行事」「遊び」など, 子どもたちの生活の中に見つける。(『NHK年鑑』1991)

gororitowakuwaku_4_W_edited.png『つくってあそぼ』 ゴロリとワクワクさん

 『つくってあそぼ』も全国で「つくってあそぼショー」を展開するなど広く親しまれ、2013年3月まで、23年間放送されました。『できるかな』と同様、ワクワクさんとゴロリの間に“愛情”があり、キャラクターとして生き生きと存在する“世界”が確立していたからこそ、長く続いたのだと思います。

 しかしながら1990年の「幼稚園教育要領」「保育所保育指針」で幼児の直接体験の重要性が強調されたことや、2004年に日本小児科医会と日本小児科学会が「2歳までの子どものテレビ・ビデオ長時間視聴を控えること」を基調とした提言を出したことなどによって、幼稚園・保育所でのテレビ利用は漸減傾向が続きました。4)  番組の内容も、次第に家庭視聴向けとの境がなくなってきたことから、2011年には「幼稚園・保育所向け」という放送枠がなくなり、「幼児・子どもゾーン」に統合されました。

 そして2013年4月に『ノージーのひらめき工房』が始まりました。そのねらいは、以下のように記されています。

 ―4,5歳児から小学校低学年の子どもたちに向けた新しい工作番組。『つくってあそぼ』の後継番組として4月にスタートした。ひらめきの天才「ノージー」と仲間の妖精たちが遊びの国で工作に詳しいクラフトおじさんのアドバイスを受けながら, それぞれ独自の作品を作っていく。マニュアルに沿っていかに上手に作るかではなく, 自分自身の発想やひらめきを大切にしながら, 個性豊かな自分なりの工作を生み出すプロセスを大切にした番組。(『NHK年鑑』2014

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 開発を担当した大谷聡プロデューサー(当時)は、「『つくってあそぼ』が料理番組のように完成品を見せてその作り方を教える番組なら、次は素材や材料を好きに選んで自分だけの作品を作る“正解”のない番組」にしたいと考えたそうです。
「幼稚園教育要領」における「表現」領域でも、それまで「表現する意欲を養い、創造性を豊かにする」とされていたねらいが、1998年に「自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い」と改訂されたように、他の多くの子ども番組も、個性の尊重や自己表現を認める方向に向かっていきました。

sinapotonosy_6_W_edited.png『ノージーのひらめき工房』 シナプーとノージー

 結果ではなく発想のプロセスを大事にして、作品の出来不出来、失敗という概念がない『ノージーのひらめき工房』の方針は、自己肯定感につながると、保育の現場からも好評を得ました。

 このように「幼稚園教育要領」や時代背景に合わせて、NHKの子ども向け造形番組は変遷してきました。
けれども、子どもたちに作ることの楽しさを伝えたいという根底は、変わりません。
『できるかな』と『つくってあそぼ』では、子どもたちが「自分でも作れそう、作りたい!」と思えるよう、子どもが作ったかのような純粋さで、大人の造形スタッフが絵や工作を製作していました。「ほんとうの子どものような絵を描ける人は、そう多くはない。子どもの絵が描けるスタッフを、大切にね」と、田村さんは教えてくださいました。
『できるかな』と『つくってあそぼ』の造形アイディアを担当されていたヒダオサムさんは、「どんなものにも形だけでなく、いのちをみつけるこころが育ってほしい」とおっしゃっていました。ちぎっただけの紙でも、そこに目や手足を描くと、今にも動きだしそうに感じます。ヒダさんは、ものにいのちを吹き込んで遊ぶ体験が、人への思いやりや、ものを大切にする心、いのちを慈しむ心へとつながっていくと考え、常にそのことを念頭に置いてアイディアを出してくださっていました。

 ノッポさんは、子どもたちに敬意をこめて「小さい人」と呼んでいらしたそうです。番組を制作する私たちも「小さい人」に敬意をこめて、その可能性を広げるお手伝いをしていきたいと思っています。


1)『NHK年鑑』は、NHKを中心に放送界の1年間の動きを記録したもの。1931年創刊。 NHKで放送している膨大な番組の解説を放送系統別に掲載している。NHK年鑑2022-NHK

2)「放送教育50年」第1章 番組制作の展開(1)幼稚園・保育所向け番組
 A造形番組「できるかな」武井博(日本放送教育協会)1986年

3)「ごみとリサイクル」寄本勝美(岩波新書)1990年

4) 幼稚園・保育所におけるメディア利用の現況と今後の展望 | 調査・研究結果 - 番組研究 | NHK放送文化研究所

 

 

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【久保なおみ】
子ども番組が作りたくて、NHKに入局。
企画・制作した番組:『いないいないばあっ!』『にほんごであそぼ』
担当した主な番組:『つくってあそぼ』『なかよくあそぼ』『お話でてこい』『こどもにんぎょう劇場』『おかあさんといっしょ』
2022年夏から現所属。
月刊誌『放送研究と調査』や、文研フォーラム、ウェブサイトなどを担当。文研の調査・研究の成果を発信している。
好きな言葉は「みんなちがって みんないい」「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

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