文研ブログ

2021年4月

放送ヒストリー 2021年04月28日 (水)

#318 太平洋戦争下、「南方」で行われた放送を振り返る

メディア研究部(メディア史研究) 村上聖一


 今から約80年前、太平洋戦争では、日本の陸海軍が一時、東南アジアの広大な地域を占領しましたが、占領地に軍が多数の放送局を設置して、ラジオ放送を行っていたことはあまり知られていないと思います。『放送研究と調査』では、戦時中に放送が果たした役割を検証するため、3回シリーズで、その「南方」と呼ばれた占領地で行われた放送について振り返っています。

 1回目の3月号、「南方放送史」再考①~大東亜共栄圏構想と放送体制の整備~」では、放送開始までの経緯について検証しています。ここでは放送の概要を見ておくことにしましょう。

 地図は、1944年12月の時点で日本軍が東南アジアの占領地に置いていた放送局の場所を示したものです。これ以外にも小規模な放送局があったことから、その数は30を超えました。当時の日本放送協会の放送局(内地で放送を行っていた放送局)の数が40余りでしたので、軍が占領地での放送にいかに力を入れていたかがわかります。

0427-1.JPG
 写真は、ジャワ島(現在のインドネシア)のバンドン放送局です。立派な外観ですが、日本軍が建設したものではなく、戦前のオランダ植民地時代の放送局を接収して使っていました。

0427-2.JPG
 こうした放送局は軍が管理しましたが、実際に番組制作を担ったのは、もっぱら日本放送協会から派遣された職員とそのもとで働く現地の住民でした。放送に求められたのは、▽現地の日本人向けの情報伝達、▽連合国軍に向けられた対敵宣伝、▽占領地の住民の民心安定、の3つの役割でした。

 しかし、開戦によって突然、「南方」に送り込まれた放送局の職員が、言葉も習慣も異なる住民向けに番組を作るのは非常に難しかったと思われます。職員の多くはこれまで海外向けの放送に携わったことがない人々でした。

 さらに、放送を出したものの、そもそも現地ではラジオの受信機がほとんど普及していませんでした。このため各放送局では、写真のようなラジオ塔(放送を受信してスピーカーで周囲に流す設備)を街のあちこちに立て、現地の人々に何とかして番組を聴いてもらおうとしていました。

0427-3.JPG
 シリーズでは、史料から浮かび上がるそうしたラジオ放送の普及策に加え、放送局が具体的にどのような番組を放送していたのか、また、日本の敗色が濃くなる中、放送局の職員はどのように対応していたのかといった点について、詳しく分析しています。ぜひご一読いただければと思います。


メディアの動き 2021年04月26日 (月)

#317 「コロナ時代の偽情報対策」

メディア研究部(海外メディア) 税所玲子


210423-0.png

 世界で深刻化する政治・社会の分断を背景に広がる偽情報や陰謀論は、新型コロナウイルスの感染に乗じるかのように拡散し、健康や生命まで左右しかねない事態となっています。この問題にメディアが連携して立ち向かおうという取り組みがあります。その一つが、イギリスの公共放送BBCが中心となって設立した“Trusted News Initiative(TNI)”です。パンデミックの宣言からおよそ1年がたった2021年3月末、オンラインによる国際会議が開かれました。不確かな情報が蔓延する「インフォデミック」に効くワクチンは生み出せるのか、そんな思いで3日間の議論に耳を傾けてみました。

 会議初日。議論の口火を切ったのは、BBCのティム・デイビー会長 でした。TNIは、前任のトニー・ホール会長が、大手新聞社や放送局、ソーシャルメディアなどに呼びかけて発足した経緯があります。デイビー会長は、「今のような時代にこそ、BBCは不偏不党という組織の核である価値観を再認識し、信頼できる情報源となって、風向きを変えていくしかない」と、就任以来、掲げてきた自説を展開しました。しかし、司会を務めた同局の北米特派員のジョン・ソープル氏は、陰謀説を信じるトランプ前大統領の支持者による議会議事堂襲撃の取材を引き合いに、「大統領の主張には根拠がないといくら説明しても、BBCは公平な立場で取材しているのでなく、反トランプを決めつけ(民主党の)肩を持っていると見られた」と、「自由世界」を標ぼうするアメリカで起きた事件を目の当たりにした動揺を隠せない様子で、論理と現実の間で必ずしも議論はかみ合いません。

210423-11.png
BBC ティム・デイビー会長(写真右)BBC ジョン・ソープル氏(同左)講演写真BBCウェブサイトより)

 世界各地のファクトチェッカーや学識経験者の講演を重ねて聴く中で、私が、偽情報の危うさと対策の難しさを実感したのは、デジタル時代のジャーナリズムを支援するために設立された「First Draft」のクレア・ウォードルさんの講演でした。例えばソーシャルメディア各社が対応策の一環として有害コンテンツに対して行う「ラベル表示」(labelling)。一定の効果はあるという意見がある一方、ウォードルさんは、陰謀説を広げる人々の手口が巧妙化し、ラベル表示をつけるかどうかの判断は、極めて難しくなっているといいます。ウォードルさんが例として挙げたのは、新聞が実際に報じた「ワクチン2回接種の4日後に死亡したユタ州の39歳の女性に検視 」という見出しでした。見出し自体は、事実関係として問題がないものの、何者かが文脈の意図を変えて、ワクチンの危険性を訴える「根拠」に流用した時、この報道機関の記事に 「有害コンテンツ」のラベルを張れるのか。同様にウェブサイトのQ&Aのセクションで陰謀説につながる質問があった場合は・・・。アマゾンに並ぶ自主出版の本は・・・。

210423-21.png
クレア・ウォードルさん講演(BBCウェブサイトより)

 ウォードルさんは、トランプ前大統領のツイッターについても、誤った主張に「警告」や「ラベル表示」をすることなく報じ続けた大手報道機関の責任にも言及しました。そして、旧ソビエトのスパイ組織KGBの言葉を引用してこう訴えました。「水が一滴、落ちても岩は壊れないが、ポツン、ポツンと長きにわたって水が流れれば、やがてその岩は侵食され、崩壊するだろう」と。確かに、偽情情報一つ一つが、気づかぬうちに社会基盤を脅かしていたら・・・。そして、客観的事実を土台にした議論が成立しない社会になったら ・・・。さながらスパイ映画に出てくるような暗い影が足元から伸びているような感覚を覚えました。

210423-31.png
ソーシャルメディア3社(BBCウェブサイトより)

 では、ソーシャルメディア各社は、この問題をどうとらえているのでしょうか。3日目には、偽情報や陰謀説への対応が遅れたのではないかと批判されるツイッター、フェイスブック、ユーチューブの欧州の企画・政策部門の幹部が登壇しました。ツイッターのマクスウィーニー部長は、外部のファクトチェッカーとともに進めるBirdwatchと呼ばれる新たな対策を紹介した上で、「どんな価値観を基盤に、利用者の信頼を得ていくのかが問われている」と、BBCの会長と同じキーワードを使い、対策への理解を求めました。また、フェイスブックのレイニシュ部長は、アメリカ大統領選挙などで陰謀論を拡散したQAnonをなぜ規制できなかったのか、また、今後、政治広告をどう制限するかについて問われ、「ザッカーバーグ代表も自分もこうした決定を下す合法的な権限をもっていない」と戸惑いをあらわにし、そして、「多くの国では、こうした問題に対応できる選挙法さえ備わっていない。何か有害なのか、何が違法なのか、何が合法なのか根本的な枠組み作りが必要だ」と訴えました。さらにユーチューブのウィルソン統括部長からは、ネット空間を悪用する者たちとの攻防は「軍拡競争」で「容易に勝てない」と白旗をあげるかのような発言さえ飛び出しました。

210423-41.png
会議で話し合われたさまざまなテーマ(BBCウェブサイトより)

 「誰もが発言できる自由でオープンな空間」「国境をこえてつながりを築けるツール」。そんな理想を掲げ、情報の規制に極めて消極的だったプラットフォーム各社から、規制を求める発言を聞くのは、正直、驚きでした。各国が対応を検討する間にも、偽情報問題の次の前線は地球環境問題に移るだろうという指摘もあり、「戦い」の終わりは見えそうにありません。1年でコロナのワクチンの開発にこぎつけた世界の科学者の協調の精神やスピード感こそ、いまメディアに必要なのかもしれません。


調査あれこれ 2021年04月22日 (木)

#316 「エヴァとラジオと私の25年」

世論調査部(視聴者調査) 保髙隆之


1996年3月27日の夕方。入社式を数日後に控えた私は大学の同級生の部屋にいました。
友人は地元の会社に就職して実家に戻ることになっており、ちょっと感傷的な気分だったのを覚えています。
その友人から、パソコン通信(!)で話題になっているアニメの最終回の放送があるので見よう、と誘われて戸惑いました。ツイッターもLINEもない時代、子ども向け以外のアニメは一部のマニアだけが盛り上がるもの。私は全く知らない作品だったからです。しかしながら、その後の30分にわたる放送時間は、学生時代の最後の思い出として、強烈に胸に刻まれました。
そのアニメのタイトルは「新世紀エヴァンゲリオン」です。(最終回がどんな内容だったかご存じでない方は、検索をしてみてください。リアルタイムで、しかも、人生のあの時期に見ることができたのは幸運でした。)

210422-00.png
あれから25年目の春。
現在公開中の映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は、(これはネタバレにならないと思いますが)観客が現実の世界で過ごした25年間という時間の経過さえ取り込んだ、孤高のエンターテインメントになっており、また、強く「卒業」を意識させる作品でした。見終わった後、すっかり忘れていた学生時代の自分の姿が思い出され、あれから「変わったこと」と「変わらなかったこと」を改めて考えさせられました。
自分語りが長くなって申し訳ありません。もう少しだけ、お付き合いください。
25年前から「変わったこと」。その1つが「ラジオ」です。
私の学生時代、受験勉強の友といえば、深夜のラジオでした。音楽の流行も、好きな有名人の日常も、情報源はラジオ。家族そろってお茶の間でみるテレビとは違い、自由でとんがった話や、ほかのリスナーやパーソナリティーとの「共犯感覚」は、まだまだ青く、自意識過剰だった当時の私にとって、もっとも身近に感じられるメディアでした。
しかしながら、社会人生活が続く中で、ラジオはいつのまにか遠い存在になってしまいました。それは私だけではないようで、文研の「全国個人視聴率調査」の結果をみると、25年前、1996年のラジオの週間接触者率は43%。直近の2019年調査では30%まで落ち込んでいます(NHKと民放、AMとFMを含む)。代わって、SNSやYouTubeが日々の暮らしの中に入り込むようになってきました。
ところが、2020年。コロナ禍の日本でラジオが再び脚光を集めたのをご存じでしょうか。雑誌で次々に特集が組まれ、ネットラジオ「radiko」ユーザーの急増がニュースになりました。文研が7月に実施したグループインタビュー調査でも、「ジムに行けなくなり、代わりに始めたジョギングのお供に聴き始めてハマった」とか「在宅勤務中、音がないと寂しくてラジオをつけるようになったが、暗いニュースやリモート演出ばかりのテレビと違って、以前の日常が続いている感覚がして落ち着く」など、ラジオを再評価する声が相次ぎました。いったい、ラジオは今、どのように聞かれているのでしょうか。(やっと本題です。)
次のグラフは2020年7月に文研が郵送法で実施した世論調査の結果です。(図1)

210422-12.JPG
上の棒グラフは全国の7歳以上の人が、伝統的な「放送」と「インターネットラジオ」をどう組み合わせてNHKと民放のラジオを聞いているか(週間接触者率)を示しています。

「放送のみ」が3割近くを占め、まだまだネットラジオの比重を大きく上回ることがわかります。
ただ、年層別に分けてみてみると、20代では「ネットラジオのみ」で聞いている人が「放送のみ」で聞いている人と同程度に迫っています。また、図2のとおり、「radiko」は近年、利用経験率が順調に伸びていて、今回の調査では11%に達しました。

210422-2.JPG
少ないと感じられるかもしれませんが、この調査の1%は総務省の人口統計で換算すると100万人超に相当するので、おおまかにいっても1,000万を超えるユニークユーザーが利用したことになります。日本でこれだけのメディアパワーを持つインターネットサービスはそう多くないはずです。
25年という時間は、1人の大学生をくたびれた中年サラリーマン(私のことです。)にし、「エヴァンゲリオン」を完結させただけでなく、「ラジオ」というメディアが新しく生まれ変わるのに必要な時間だったのかもしれません。
コロナ禍に揺れた2020年の日本のメディア環境の動向について、「放送研究と調査」3月号の「人々は放送局のコンテンツ,サービスにどのように接しているのか」では他にも詳しく報告しています。ぜひ、ご一読ください。


文研フォーラム 2021年04月16日 (金)

#315 「NHK文研フォーラム2021」動画公開のお知らせ

文研フォーラム事務局


3月3日(水)~5日(金)にオンラインでライブ配信した「NHK文研フォーラム2021」の一部プログラムの動画を、期間限定で公開しています。

NHK文研ホームページからご覧になれます。今回公開するのは、下記の6つのプログラムです。
--------------------------------------------
■シンポジウム <3月3日(水)開催>
メディアは“機密の壁”にどう向き合うか
“豪放送局への家宅捜索”を手がかりに

0413-1.png


■研究発表&シンポジウム <3月4日(木)開催>
私たちは東日本大震災から何を学んだのか
震災10年・復興に関する世論調査報告

0413-2.png


■研究発表 <3月4日(木)開催>
市民が描いた「戦争体験画」の可能性
地域放送局が集めた5,000枚の絵から考える

0413-3.jpg


■シンポジウム <3月5日(金)開催>
新「再放送」論
コロナ禍緊急意識調査 × “放送の価値”再定義

0413-4.jpg


■シンポジウム <3月5日(金)開催>
東日本大震災から10年
災害を伝えるデジタルアーカイブとメディアの公共性

0413-5.png


■シンポジウム <3月5日(金)開催>
いま改めて“公共”とは何かを考える

0413-6.jpg



メディアの動き 2021年04月14日 (水)

#314 コロナ禍と衆議院の解散論議 ~国民の眼には"ソラサワギ"~

放送文化研究所 島田敏男


「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀(ニセ)綸旨
             召人 早馬 虚騒動(ソラサワギ)・・・」

 高校生の時分に日本史の教科書で目にした「二条河原落書」の冒頭です。最近の政治ニュースを見ていて、建武の新政(14世紀)当時の政治・社会・文化を評する傑作とされる、この落書(落首とも)を思わず思い出しました。

 野党第一党の立憲民主党の幹部は、6月16日の国会会期末を念頭に、衆議院に内閣不信任決議案を提出することは当然あると、対決姿勢を強調します。
これに対し自民党の幹部は、提出すれば衆議院の解散・総選挙で国民に信を問うことになると応じます。

 今の衆議院議員の4年間の任期が切れるのは、ことしの10月21日です。
従来の政治環境であれば、6月16日の通常国会会期末に解散、40日以内に総選挙となるのも自然の流れと言えます。

 しかし今は、コロナウイルスの感染拡大を防ぎ、ワクチンの接種をスピードアップさせることが政治にとっても、社会にとっても最優先の課題です。「より選挙に有利な解散のタイミングを探る」という政治家の常道も、この局面では単なる不要不急のあがき、虚騒動に見えてしまいます。

0414-1.JPG

 4月のNHK月例世論調査を見ると、菅内閣の支持・不支持については、「支持する」44%、「支持しない」38%でした。一時の支持と不支持の逆転を脱し、わずかですが2か月連続で「支持する」>「支持しない」という結果でした。

 一方、「あなたは衆議院選挙をいつ行うべきだと思いますか?」と選択肢を挙げての質問に対しては、次のような結果でした。

「内閣不信任案の提出に合わせて」9%
「7月の都議会議員選挙と同じ日」7%
「9月の自民党総裁選挙の前」19%
「10月の衆議院議員の任期満了に合わせて」52%

 自民党内には「内閣支持率が40%以上あるのだから、早めに解散・総選挙に持ち込むべきだ」という声があり、二階幹事長は「野党が内閣不信任案を出せば、解散・総選挙に打って出る大義になる」と強調します。
 しかしながら、自民党支持者で「内閣不信任案の提出に合わせて選挙を行うべきだ」「7月の都議会議員選挙と同じ日に行うべきだ」と答えた人は、どちらも1割に満たない少数です。

 これに対し、自民党の支持者で「10月の任期満了に合わせて衆議院選挙を行うべきだ」と答えた人は6割近くに上っています。コロナ対策、ワクチン接種、東京オリンピック&パラリンピック開催の姿形を見た上でなければ、菅内閣に対する評価を有権者に求めるのは難しいという受け止めが窺えます。

0414-21.JPG
 では、解散権を持つ菅総理大臣の立場から見ると、この問題はどうなんでしょう。菅総理の自民党総裁任期は、任期切れを待たずに辞任した安倍氏から引き継いだ、ことし9月末日までの残任期です。総理大臣を続けるには自民党総裁選挙で再選されなければなりません。

 菅氏は再選を果たし、新たに3年間の自民党総裁任期を手中に収め、4年間にわたる長期政権を担いたいという強い希望を捨ててはいないでしょう。しかし、場当たり的なコロナ対策の連続で急速な事態の改善が望めない現状では、願望はあってもリアリティーがありません。

 「早めの衆議院選挙で勝ち、その功績で自民党総裁選挙を事実上の無風にすれば長期政権は実現する」と、菅氏に近い自民党中堅議員は囁きます。

 しかし、今度の衆議院選挙で自民党が勝利するとはどういうことなのか、冷静に考えてみる必要があります。

 前回、2017年の衆議院選挙で自民党は465議席の過半数233を大きく超える284議席を単独で獲得しました。その後、離党や議員辞職があって280を割っていますが、これを増やしたり、維持したりするのは容易なことではありません。

 2017年選挙は「希望の党の結党」という突発的な出来事で民主党が分裂し、これが自民党に大きなプラスとなり、水ぶくれの議席を手にしたからです。

 従って、菅総理・総裁の下で解散・総選挙に打って出る時には、自民党としては「どの程度の議席減までならば、勝利とみなすか」という物差しが必要になります。

0414-3.JPG
 これとは別に、自民党支持者でも多数を占める「10月の任期満了に合わせての衆議院選挙」とする時には、先に総裁選挙を行うことになるでしょう。自民党の国会議員や党員は、「誰ならば次の衆議院選挙を乗り切れるか」という尺度で物事を判断します。

 その時に菅総理・総裁の向こうを張って名乗りを上げる中堅・若手が出てくる可能性は十分にあります。菅氏にとっては、こちらが怖いのかもしれません。

 閑話休題。政治日程というのは、現実の有為転変で何とでも変わる、変えることができるものです。従って決めてかかるわけにはいきません。

 多くの国民にとって、コロナ禍の事態打開は誰が総理であっても簡単ではないだろうというのが実感です。であれば、常識的には事態の推移をじっくり見極めるために、衆議院選挙は任期満了ぎりぎりが望ましいでしょう。

 政治家の思惑で、そうでない展開になる時には、「なぜ今そうすることが必要なのか。妥当な判断なのか」を厳しく見極める。これが有権者の責務だと考えます。


メディアの動き 2021年04月08日 (木)

#313 「『テラスハウス』ショック」 BPO「見解」公表を機に考える

メディア研究部(メディア動向) 村上圭子


 フジテレビ(以下、フジ)系のリアリティー番組『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020(以下、『テラスハウス』)』に出演中だった木村花さんがSNS上で誹謗(ひぼう)中傷を受け、それを苦に自ら命を絶ってから1年弱が経ちます。母親の木村響子氏(以下、響子氏)は、「放送倫理・番組向上機構(以下、BPO)」の放送人権委員会に対して、「娘の死は番組の“過剰な演出”がきっかけでSNS上で批判が殺到したためだとして、人権侵害があった」と申し立てていましたが、このほど(3月30日)委員会決定が公表されました1)
 委員会では、「人権侵害があったとまでは断言できない」とする一方で、「出演者の精神的な健康状態に対する配慮が欠けていた点で、放送倫理上の問題があったと判断」する「見解」を示しました。既にこの内容については多くのメディアがニュースとして取り上げているので、ご存じの方も多いと思います。ただ、決定文は60ページに及び内容も多岐にわたっており、参加した記者会見でも共有すべき論点が多く含まれていると感じたことから、本ブログでは短いニュースでは十分に伝えきれない“メディアのあり方”という観点で、私なりにまとめておきたいと思います。

1)双方の主張は平行線のまま
 私は2020年10月に「『テラスハウス』ショック①~リアリティーショーの現在地」という論考を発表し2)、ブログでも論考をサマライズしたものを書きました3)。今回のブログでは「リアリティー番組」で統一しますが、呼称も流動的で、フォーマットも固定化しておらず、定義も非常にあいまいな番組群です。私はこの論考で、世界各地のリアリティー番組をタイプ別に分類した上で、「制作者が用意したシチュエーションに、一般人や売り出し中のタレントなどを出演させ、そこに彼らの感情や行動の変化を引き起こす何らかの仕掛けを用意し、その様子を観察する」ということを共通項としました。『テラスハウス』においては、6人の若い男女が共同生活をするおしゃれなおうちと車を用意するというのが、制作者が用意したシチュエーションと仕掛けです。欧米では、かなり過激なシチュエーションや仕掛けが用意されている番組も多いので、日本のそれとは大きく異なるように見えますが、欧米にも『テラスハウス』のようなタイプも存在しており、日本だけが特殊だという見方に偏りすぎると、特に出演者への対応策を講じていく上で見えてこないものがあるのではないかと私は考えています。これについてはまた後ほど述べます。

 この論考を執筆したのは2020年の7月頃でしたが、ちょうどその頃、響子氏はBPOに申し立てを行い、フジテレビは社内横断メンバーによる検証報告を公表したばかりでした。双方の事実関係を巡る主張は大きく食い違っており、また響子氏のフジに対する不信感も非常に強く、直接的な対話も全く行われていない状況でした。そのため論考では、『テラスハウス』自体については扱いましたが、花さんを巡る動向の詳細に触れることはあえて避けることにしました。また「欧米ではリアリティー番組出演者の中に自ら命を絶った人達が数多くいる」という断片的な報道が、花さんの死後、繰り返されていました。そこで、まずはリアリティー番組とは何かを理解するため、約20年の発展の歴史や、日本ならではの特徴についてまとめることを試みました。そして、報じられていた欧米の出演者の死亡例や精神疾患例についても、その実態や背景、対策について可能な限り調べて取り上げました。
 それから約半年の間、ネット上の誹謗中傷に対する対応策の議論は大きく進み4)、新たな裁判手続きを定めたプロバイダー責任制限法の改正案が今国会に提出されています。また、花さんに対する悪質な書き込みをしたとして、これまでに2人が書類送検されています5)。こうしたことを通じて、SNS活用におけるリテラシー向上の重要性についても社会全体で少しずつ共有されてきているように思います。
 ただ、響子氏とフジの関係については、その後もほとんど変わることはありませんでした。そのことについてはとても残念に思っています。そんな中で進められてきた、BPOによる審理と関係者ヒアリング。決定文には、「委員会の事実認定は困難」という文言が繰り返し登場し、本決定を取りまとめることがいかに難しかったかがうかがえます。

2)花さんの死までの経緯を時系列で確認
 とはいえ、今回の決定文で初めて事実関係が確認されたものも少なくありません。双方の主張が対立しているものも含めて、改めて花さんが亡くなるまでの経緯を時系列で確認しておきたいと思います。なぜなら、今回の委員会の審理では、番組に人権侵害があったかどうか、放送倫理上問題があったのかどうかを判断するのに、花さんが亡くなるまでの経緯の検証にかなりの重きが置かれていたからです。決定文の中では散発的に書かれている内容を拾いあげて私なりにまとめ直してみました。

<2019年>
8月29日 花さん、フジとの「同意書兼誓約書」に署名
     (制作プロダクションのプロデューサーと1時間かけて読み合わせ。SNS炎上
      のリスクなどについて記載。また、「心のアンテナの感度レベルを1から5や10に
      や10にするつもりで、豊かな感性を(以下、略)」など番組制作に臨む心構えも
      記されていた。加えて、出演者が条項違反した場合は、番組制作費用などの
      損害を賠償することなどの規定もあった。)
9月2日  花さん、テラスハウスに入居
12月3日  第20話で花さん初登場

<2020年>
1月21日 “コスチューム事件”撮影
     (花さんが洗濯機に置き忘れたプロレスの試合用コスチュームを男性出演者A氏
      が誤って乾燥させ、縮んで着られない状態となってしまった。花さんにとっては、
      東京ドームのリングでも着た大切なもの。花さんはA氏に怒りをぶつけ、
      ごめんとしか言わないA氏に対し、被っていた帽子をとって投げ捨てた。)
1月22日 花さんの友人が、花さんから、制作スタッフから「ビンタしちゃえば」と指示

      があったと聞かされる(※フジ側はこの内容を否定)
1月23日 “事件”の相手であるA氏、テラスハウスを退去し出演も終了
1月下旬 花さん、友人に番組に起因した誹謗中傷をネット上で受けて悩んでいると相談
2月15日 未公開動画撮影
      花さん、撮影中に過呼吸に陥る。
      響子氏側は、花さんはその場から逃げたのにカメラに追い回されたと主張。
      フジ側は、花さんが落ち着いてから撮影を継続したと主張している。
3月28日 コロナで撮影中止に。テラスハウスでの共同生活も休止し、花さんは自宅へ
3月31日 Netflixで第38話(「コスチューム事件」)配信
      SNS上及びダイレクトメールで花さんへの誹謗中傷が多数あらわれる。
      花さん、自宅で自傷行為を行い、その写真を友人に送信し自身のSNSでも公開。
      SNS投稿で花さんの行為を番組スタッフが知り、電話及びLINEで連絡。
4月1日 花さん、プロレス仲間と共に整形外科を受診する。
    その後、4月中旬まで自傷行為を繰り返す。下旬までプロレス仲間宅に同居。
4月4日 制作スタッフから番組責任者(フジテレビ)に報告。
    制作責任者は花さんと直接連絡はとらず、社内でもその事実を共有しなかった。
    制作スタッフは花さんにテラスハウスでの生活再開を提案(実施されず)
4月8、9日 制作スタッフ自宅訪問。メンタルクリニック診察を提案(実施されず)
4月19日 制作スタッフが花さんにSNSアプリ削除を提案(削除するも、その後復活)
4
月28日 FOD(※フジテレビの動画配信サービス)で配信
5月3日 花さんが自身のSNSアカウントを再開していることが確認される
5
月14日 YouTubeで未公開動画を3本配信
    (花さんが、第38話で起きた“事件”の背景について視聴者に十分伝わっていないと
     不満をもらしていたとして、制作スタッフは、配信されていない内容をきちんと
     伝えて花さんの評価を回復できるのではと考えて実施を決定したとしている。
      一方、花さんは動画作成や内容について意見を求められたことはなく、公開も
     突然の出来事だったという。)
5月中旬 配信後、再びSNS上で誹謗中傷が増加し、花さんが「未公開でまた荒れ始めた」
      と制作スタッフに報告。
      配信後、A氏から花さんに連絡あり。コロナ禍が落ち着いたら食事を約束。
      花さん、自身の卒業プラン(テラスハウス退去)を制作スタッフに提案。
5月19日 フジテレビ系地上波で放送
     花さん、制作スタッフとLINEでやりとり。非難のダイレクトメールがあったことを報告。
     今後の撮影再開を前提とした相談を行う
5月23日 花さん亡くなる

3)権利の侵害はあったのか?
 委員会決定は、人権侵害の観点と、放送倫理上の観点の2つに大別されています。以下、それぞれ内容の主要なポイントを押さえておきます。まず権利侵害はあったのかについてです。

*視聴者の行為を介した人権侵害に関する放送局の責任は?
 申立人である響子氏は、Netflix配信後に花さんが数多くの誹謗中傷にさらされていたにも関わらず、その後も、未公開動画の公開や地上波での放送を行うことは、花さんに対する誹謗中傷を誘発させ精神的苦痛を与えることになることは疑いようがなく、こうしたことから人権侵害は明らかである、と主張しました。
 これに対し、フジは2つの点から反論しました。花さんに対して各種の対応を行っていて漫然と放送を行ったわけではないこと。また、放送に起因する誹謗中傷が含まれる可能性が認識可能な場合に局の責任が免れない、ということになると、放送局の表現の自由や報道の自由が不当に制限されることになるため安易には認められない、という主張です。
 委員会では、放送局の表現の自由の重要性、責任を負うべきは非難を行った者であること、違法な書き込みの多くは放送の趣旨や内容と関係ないところにまで及び、放送による権利侵害と別な問題であると考えられることなどから、違法性を含まない内容のリアリティー番組の放送に関してネット上で誹謗中傷がなされることについては、放送局に人権侵害の責任を問う事は困難だとしました。

*具体的な被害(花さんの自死)は予見可能だったか
 ただ委員会では、同一の番組が放送だけでなく配信でも行われることが増えている中、今回のケースではNetflixで先行配信された時から花さんは誹謗中傷を受けていたため、フジが「特段の対応をすることなく漫然と実質的に同一の内容を放送・配信することは、(中略)人権侵害の責任が生じうる」とし、先行配信から地上波放送までの間のフジの花さんへの対応のあり方を検討しました。
 まず、Netflix配信後の誹謗中傷を苦に自傷行為を行った花さんに対して制作スタッフが行った対応について検証し、委員会は一定の対応がなされたと捉えました。次に、その1か月半後に未公開動画を公開したことについては、響子氏側は「制作陣が炎上を盛り上がりと感じ、動画を出せばおいしいと思った」と考える方が自然であると主張、一方、フジ側は配信された番組内容に対する花さんの不満・要望にこたえるために制作したものと主張し、見解は対立していました。委員会としては、響子氏の主張は採用できないものの、フジ側にも配慮に欠ける点があったとしました。そして、最終的に地上波で放送するに至ったフジの判断については、花さんの態度が前向きになった兆しが複数見受けられたことなどを総合的に判断したことには一応の慎重さがうかがえるとし、人権侵害があったとまでは断定できないとしました。

*「本人の意思に反するような言動を強要されたことによる権利侵害」はあったのか?
 平たく言えば、フジから花さんに対して“やらせ”のような何らかの強要があり、それに従わざるを得なかったのかどうか、ということです。この点については、特に双方の言い分が真っ向から対立しており、その中で委員会としての判断が行われました。委員会としては、制作スタッフから「ビンタしちゃえば」と指示されていたかどうかは不明であるが、それに類する指示があったことは否定できないとした上で、仮にこうした指示があったとしても花さんは実際にビンタをしていないこと、また、映像に収められている花さんのA氏への怒りは相当程度に真意が表現されていると理解されることから、フジからの花さんに対する「提案やアドバイス」「演出や指示」は、花さんの自由な意思決定の余地が事実上奪われているような例外的な場合に当たるという意味での自己決定権や人格権の侵害があるとは言えない」としました。また、損害賠償の規定が盛り込まれた同意書兼誓約書については、「出演者を過度に緊張させたり、精神的に拘束したりする背景となる可能性があり、適切とは言えない」としながらも、やはり権利の侵害があるとは言えないと判断しました。

4)放送倫理上の問題はあったのか?
 このように、委員会では人権侵害は認められないと判断した上で、放送を行う決定の際の配慮が十分だったかについて、放送倫理上の問題として検討しています。
 まず委員会として、リアリティー番組が、「出演者自身が誹謗中傷によって精神的負担を負うリスクがフィクションの場合よりも格段に高く」、「出演者がしばしば未熟で経験不足な若者」であり、「状況を設定し、さらに出演者を選んで制作・放送しているのが放送局」であることから、局には「出演者の身体的・精神的な健康状態に特に配慮をすることが求められる」いうことを認識の前提としています。
 その上で、未公開動画撮影の際の花さんの心的状態のシグナルを見落としていたこと、自傷行為が繰り返されるようになってから地上波放送まで1か月半しかたっていないこと、コロナ禍の緊急事態宣言という別要因によって花さんが不安な状態におかれていたこと、これらから、「いわば「素人判断」で意思決定をするのではなく、木村氏の精神状態を適切に理解するために専門家に相談するなどのより慎重な対応が求められたのではないか」としています。そして、こうした対応がなされなかった背景として、制作担当者(イースト・エンターテインメント)側と制作責任者(フジ)、また制作責任者とフジ社内での情報共有が行われなかったことがあるのではないかと指摘しました。
 一方で、申立人の響子氏側が強く主張していた、制作側による過剰な編集、演出があったのではないか、という点については、問題はあるとは言えないとしました。また、フジが検証を十分に行わなかったことに対する批判については、委員会の検証のあり方の審理はかなり距離があるとして委員会としての判断を避けました。

5)今回の決定の意義と課題
 以上、委員会決定の内容に寄り添いながら、その内容をまとめてみました。ここからは、決定の意義と課題について、私なりの意見を提示してみます。

*決定の意義について
 まず、放送番組の制作や視聴において、配信サービスやSNSが密接不可分であるという今日的状況を踏まえ、局の責任の分界点や所在がどうあるべきかが本格的に議論された初のケースであったということ、これは今回の最大の意義だと思います。加えてリアリティー番組の特殊性についても深く考察された上で、出演者に対する精神的なケアの重要性と制作する放送局の責任が明確に示されたということも重要なポイントだったと思います。通常は当該局に対するものである委員会決定の結びのコメントが、今回はフジだけでなく放送界全体に向けられているというのも、委員会としての強いメッセージの表れだと思います。更に会見では、ABEMAのように、最近は配信サービスにおいて多くのリアリティー番組が制作されていることを受け、そうした事業者にも、この決定を読んで考えてもらいたいとのコメントもありました。

*決定の課題について
 この委員会決定後、申立人の響子氏は記者会見で、「人権侵害が認められない結果について、すごく歯がゆく悔しい思いです。」「フジテレビには誹謗中傷対策をするだけでなく、出演者をコマの一つではなく、ひとりの人間として大切に扱ってほしい」と述べています6)
 前述したとおり、委員会決定には何度も「事実認定が難しい」という文言が登場しており、特に響子氏が最も強く主張している点、「娘は番組の過剰な演出によって凶暴な女性のように描かれた」か否かについては、対立する双方の主張が列挙されるに留まったと強く感じました。特にフジに対しては、局の表現の自由を尊重するというBPOの立場からか、踏み込んだヒアリングがなされているとは正直感じられませんでした。
 「放送の自由・自律とBPOの役割」という論考7)で、文研・メディア研究部の塩田幸司氏はこれまでの委員会決定を読み解き、「メディアの言論・表現の自由を守りつつ、人権など市民の権利を擁護しメディアの質を高めるというジレンマの中で、BPOの各委員会が放送現場を委縮させないようにメディアの自律性を最大限尊重するという謙抑性を持ち続けていた」としています。今回の決定も、全体的にはその謙抑性を強く感じる内容でした。私はそのこと自体を否定するつもりはありませんし、その謙抑性こそが、NHKと民放連が設立した第三者機関として、自律的に運営するBPOの重要な立ち位置だとも思っています。そのため、今回の委員会決定が、番組を端緒とした誹謗中傷によって娘を奪われたと感じる母親の思いに到底応えられる内容でなかったことは、BPOという組織の宿命だと指摘されてもやむを得ない部分もあるかと思います。
 一方で、制作者側へのヒアリングについては、もう少し謙抑性を排して臨むべきではなかったか、それを排して臨んでいたらもう少し異なる決定になったのではないか、という印象を私は持っています。いくつか感じる点はあるのですが、ここでは1点だけ述べておきます。
 例えば、未公開動画制作に関して制作スタッフが発した「通常は、出演者からの『ここを使って欲しい』『ここを使って欲しくない』などの要望は受け付けていません」という発言ですが、通常のニュース取材やドキュメンタリーにおいては当てはまるけれど、リアリティー番組という特殊な番組制作においてはどうなのでしょうか。若い一般の出演者と制作者が一蓮托生の状態の中で関係を構築しながら台本なきドラマを紡いでいく、その難しさを魅力に昇華させていく力量が問われるのがリアリティー番組の制作現場だと私は思っていました。最近ではある種のドキュメンタリーにおいても、出演者と制作者が、撮られる側と撮る側という立場を超えて、相談し、共闘しながら作品を作り上げていく現場も増えてきています。そうしたことを鑑みても、この制作スタッフへのヒアリングでの言葉は、あまりに浅薄すぎると感じました。更に、通常は出演者の要望を受け付けていないものの、「花さんが3月31日に自傷行為に及んでいたこともあり、その心情に配慮することは重要であると考えて」未公開動画を制作し公開したということですが、そのプロセスで制作スタッフは花さんに一切意見を聞かず、動画の公開すら花さんにとって突然だったということにも大きな違和感を覚えました。もしも制作スタッフが心情に配慮することが重要だ、と心底思っていたとするならば、「配慮に欠ける」以上に「制作者本位」であったのではないか、そこには「動画をだせばおいしいと思った」という気持ちが本当に潜んではいなかったか……。委員会は響子氏の思いを背負い、もう一歩踏み込んだヒアリングを行うべきではなかったかと感じています。
 また、委員会決定では、制作担当者、制作責任者、フジの上層部の中の意思疎通のあり方に問題があったとの指摘がありました。現場は親身にケアを行っていたが、フジはどこまで責任を果たしていたのか、そんなトーンが委員会決定の文言でも会見でも感じられました。そのため私は会見において、花さんに向き合っていた制作担当者と、最後まで花さんと直接連絡をとらなかったフジの制作責任者の双方のヒアリングを通じて、花さんへの思いに対する温度差を感じなかったか、制作現場はNetflix配信後の花さんの状態を見て、その後の配信や放送を行うことをためらってはいなかったか、と聞きました。しかし、具体的な答えを得ることはできませんでした。私がなぜこの問いをしたかと言えば、気持ちの浮き沈みを繰り返す花さんに寄り添い、その心情をくみ取ることを最優先に考える現場であれば、これ以上、配信や放送を重ねることで花さんを傷つけたくないと考える人がいてもおかしくない、そう信じたいという思いがあったからです。フジに直接取材ができていないので、まだ私はこの点については納得できていません。
 なぜ私がこの問題にこだわるかというと、それは出演者のケアを誰が行うのか、という問題に直結するからです。親身に接してくれている制作者が、実は自分を「コマの一つ」としてしか見ていなかったら、「ひとりの人間として大切に扱う」意識が欠落しているとしたら、出演者は完全に逃げ場を失ってしまいます。更に、損害賠償をさせられるかもしれない同意書兼誓約書にも自己責任でサインをしてしまった、ということも、特にプロダクションに守られているわけではない一般人やセミプロのような若者であれば、重圧としてのしかかってくるかもしれません。
 先ほど私は、リアリティー番組の制作については、通常の取材や番組制作以上に、局において出演者の精神的ケアの責任がある、という今回の委員会決定には意義があると述べました。ただ今回の決定では、ケアの具体的内容までは言及されていません。出演者にとって制作スタッフは味方なのか敵なのか、実はここが、今回の問題の最も大きな本質なのではないかと私は感じています。
 真実を暴くための報道の現場では、たとえ相手の尊厳を傷つけたとしても伝えなくてはならないことも時にあります。また、ドキュメンタリーの撮影の現場では、取材者と被取材者の関係は信頼と緊張の繰り返しの中で進んでいきます。ドラマのような完全なフィクションの現場を私は経験していませんが、強い信頼関係のもとに制作が進められている現場が多いと聞きます。では、リアリティー番組はどうなのか。制作者の心構え次第なのか、それとも、制作当事者は出演者本位で考えることは構造上難しいため、精神的ケアは別な担当者を置くか、もしくは完全に制作体制とは切り離し、制作スタッフの対応に対する相談も受け付けられるような医療や苦情の窓口を設けるべきなのか……。
 リアリティー番組の最初の自殺者は、私が調べた限りでは1997年のことですが、その男性は亡くなる前に妻に対して、「(制作者は)私がやった良い部分をカットし、私をバカのように見せた」と語っていました。この問題は、古くて新しい、リアリティー番組そのものが抱える宿命なのかもしれない、と私は考えています。
 なお、この点については、4月5日から、イギリスの放送・通信分野の独立規制機関であるOfcomが、放送局がこれまで以上に出演者に対して保護をするように義務付けた新たな規定を発効させています8)。これは、イギリスで絶大な人気を誇るリアリティー番組『ラブ・アイランド』で、出演者3人、その恋人を加えると4人が自ら命を絶った事実を受け、広く意見を募った上で設けられた規定です。2020年10月に論考を書いた時にはまだ意見募集が終わったばかりで詳細に触れられませんでしたので、本ブログで次回、このイギリスの状況について改めて報告したいと思っています。

6)フジテレビに対して思うこと
 フジはこの委員会決定を受けて、「今回の決定を真摯に受け止め、今後の放送・番組作りに生かしてまいります。番組制作に伴うSNS上の対策や課題については新設したSNS対策部門を中心に組織的に取り組んでいく所存です」とコメントを発表しています。ただ、現在も配信されている『テラスハウス』の今後についてや、それ以外のリアリティー番組を今後制作するのかどうかについては、言及を避けています。
 『テラスハウス』は2012年に始まってから、世界各国で多くの人達を魅了してきました。BPOの青少年委員会のホームページには、2012年の中高生のモニター報告に、以下のような一文があります。「(鳥取・中学2年男子)僕が最近はまっているテレビ番組は、『テラスハウス』(フジテレビ/山陰中央テレビ)です。今までの番組とは一風変わった番組で、そのアイディアは素晴らしいと思います。青春まっただ中の中高生には人気が高く、見ていて胸がときめきます。アイディアでテレビの未来は大きく変わると思います。」
 フジは今後、花さんや響子氏、花さんを取り巻く多くの関係者はもちろんのこと、こうして番組を楽しんできた視聴者に対しても、真摯に向き合うべきではないかと私は思っています。また、今回の委員会決定を公表した放送人権委員会ではなく、同じBPOの放送倫理検証委員会でこそ審議すべきではないか、という声は会見でも聞かれましたし、今からでも審議すべきと主張する専門家もいます9)。私は、SNSと最も親和性の高いリアリティー番組の課題から、制作者、出演者、視聴者との関係を再構築することが、これからのメディアのあり方を考えるために重要だと考えています。そのためには、今回の委員会決定でこの議論が終わることはとても残念なので、もしも放送倫理検証委員会で審議されるのであれば、それを歓迎する立場ですが、こうした議論の枠組み以上に大事なのは、当事者であるフジが、そして制作責任者や制作担当者個人が、きちんとこの現実に向き合うことだと考えています。今回の経験を社会で共有することが、今後のメディアのためにも、そしてコンテンツを制作する自局の、自身のためにも必要だという意識になってもらいたい。それまで私は、このテーマについて取材を続けていきたいと思っています。



1)
https://www.bpo.gr.jp/?p=10741&meta_key=2020
2) https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/20201001_6.html
3) https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/100/435552.html
4) 総務省においては、「発信者情報開示の在り方に関する研究会」で議論が重ねられ、
  2020年12月に最終とりまとめが公表された。この取りまとめをもとに、
    今国会では法改正案が提出されています。
    https://www.soumu.go.jp/main_content/000724725.pdf
5) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210405/k10012956671000.html
6)  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210330/k10012944601000.html
7) https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20190130_2.pdf
8) https://www.ofcom.org.uk/about-ofcom/latest/features-and-news/new-protections-for-people-taking-part-in-tv-and-radio-shows
9) 時事ドットコムニュース「問われるBPOの存在意義 フジテレビ「テラスハウス」に「人権侵害なし」決定」(上智大学・水島宏明氏)
     https://www.jiji.com/jc/v4?id=210331bpoterrace0003