文研ブログ

2018年4月

放送ヒストリー 2018年04月27日 (金)

#123 「災害報道」の後に残された"モノ"の意味 ~特別展「東日本大震災」を振り返る~

メディア研究部(メディア動向) 入江さやか
メディア研究部(メディア史研究) 東山一郎

2011年の東日本大震災の災害報道に関わったNHKの各放送局や職員の手元には、取材のメモや写真など多くの資料が残されました。これらの資料は、未曾有の大災害の報道の背景を伝える貴重な「記録」であり、「記憶」でもあります。NHKではこれらの資料を収集、時系列・項目別・地域別にアーカイブ化し、 昨年NHK放送博物館(東京都港区)で開催した特別展「東日本大震災 伝え続けるために(2017年3月7日~9月10日)においてその一部を公開しました。
こうした取り組みはNHKでは過去に例がありません。そこで、特別展の概要と開催までの経過を総括した「災害報道資料のアーカイブ化と活用の試み」『放送研究と調査』4月号に掲載しました。

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NHK放送博物館で開催された特別展の会場

一口に「災害報道の資料の収集」と言っても、収集を始めた時点で大震災から5年近くが経過しており、容易な作業ではありませんでした。記者・キャスター・カメラマンなどに広く資料の提供を呼びかけたほか、仙台局・盛岡局・福島局に直接足を運び、居室から地下の倉庫まで、時にはホコリにまみれながら「探索」しました。

「特別展」では、東日本大震災の発生した瞬間をとらえた各地の映像、取材にあたった記者やカメラマンの手記、被災地の取材前線の「引き継ぎメモ」に記された若い記者の思い、被災地などからNHKに寄せられた救援を求めるFAX、東京電力福島第一原発事故の状況を解説するためにスタジオで使用した模型など、約100点を展示しました。
特別展開催期間中の放送博物館の来場者は6万4,952人。特別展についてのアンケートを実施したところ、3,360人から回答をいただきました。「印象に残った資料や展示物は何か」という問いに対しては「東日本大震災大震災発生時の映像」25%で最も多く、次いで「被災地の写真と記者・カメラマンの手記」12%「記者の取材ノートやメモ」が9%でした。
アンケートの自由記述を整理すると、震災の記憶の風化を懸念し「これからも伝え続けてほしい」という趣旨のコメントが60件以上ありました。また、同様の展示を「全国で」「常設化して」という意見も目立ちました。

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特別展は昨年9月に閉幕しましたが、2018年2月にオープンしたNHK仙台放送局の新放送会館に設けられた恒久的な「東日本大震災メモリアルコーナー」にその一部が活用されています。さらに5月6日までは企画展「東日本大震災を伝え続けるために」も開催されています。

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NHK仙台放送局での企画展(5月6日まで)

「放送」、その中でも「報道」は、常に新しいものを追いかける仕事であるだけに、過去の資料の大半が置き去られ、消え去っていきます。しかし、それらの中にも見る人の心に響くものがあるということを私たちは学びました。
東日本大震災から7年。「伝え続けてほしい」という多くの人々の声にどのように応えていくか。これからも模索を続けていきます。

放送ヒストリー 2018年04月20日 (金)

#122 ドキュメンタリーの「作品性」 

メディア研究部(メディア史研究) 宮田 章

テレビ番組には作品性が濃いジャンル薄いジャンルがあります。

たとえばドラマは作品性が濃いジャンルです。ドラマの1カット1カットは基本的にすべて、作り手(俳優を含む)の思惑が映像・音声として具現化したもので、まぎれもない作り手の産物(作品)です。ドラマ作品を支えているのは作り手の優れた技巧(創造力)に裏付けられた表現としての魅力です。一片のフィクション(虚構)であるドラマが、現実、あるいは現実に取材した番組に伍していくためには、表現としての独自の魅力が必要です。ドラマの作り手に現実の取材力は求められませんが、魅力的な虚構を構築する創造力は必須です。

反対に、ニュースは作品性が薄いジャンルです。ニュースの中身は、ニュース記者の思惑とは関係なく存在している事実・現実です。ニュース記者の仕事はこれをできるだけ客観的に記録して人々に伝えることです。ニュースは作品ではなく記録であり、原理的に言えば、個々のニュースは、それが記録した事実の力以外に表現としての魅力をもつ必要はありません。ニュース記者に取材力は必須ですが、創造力はむしろ抑制の対象です。

では、ドキュメンタリーはどうでしょう?
結論から言うと、ドキュメンタリーはドラマのように「作品」でもあり、ニュースのように「記録」でもあるという、「どっちつかず」あるいは「どっちもあり」のジャンルです。ドキュメンタリーの作り手がいくら作品を作ろうとしても、取材対象である現実は、作り手の思惑とは違う、あるいは作り手の思惑を超えたものを必ず含んでいます。つまり、現実に取材して得た映像や音声は必ず記録性を帯びます。逆に、作り手がいくら記録を標榜しようと、ドキュメンタリーは、その作り手が(しばしば意識せずに)依拠している視点や手法の産物であることから逃れることはできません。つまり、得られた映像・音声は必ず作品性を帯びるのです。作品性と記録性が混在し、常にせめぎ合っているジャンル、それがドキュメンタリーです。

筆者(宮田)は、作品性と記録性がせめぎ合うところから生まれる、ドキュメンタリー独特の現実表現に強い魅力を感じます。ドキュメンタリーの魅力は多彩です。作品性より記録性が勝るタイプ、反対に、記録性より作品性が勝るタイプ、いずれのタイプにも多くの秀作、傑作が存在します。過去のドキュメンタリーを見ていると、この作品性と記録性のバランスは、テレビドキュメンタリーが誕生した1950~60年代から、同時録音技術が普及した70年代、そして現代に至る大きな時間の流れの中で、ゆっくり変化しているように感じます。

『放送研究と調査』4月号に発表した論考(「データから読み解くテレビドキュメンタリー研究」)は、作品性と記録性のせめぎ合いの一端を、数量的データを用いて可視化する方法を示したものです。興味を持たれた方はご一読ください。

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放送ヒストリー 2018年04月13日 (金)

#121 「ゆり戻し」としての戦前の「講談調」野球実況人気

メディア研究部(メディア史研究) 小林利行

「ジュラシック・パーク」(1993年公開)という映画をご存じですか。
DNA操作で恐竜を現代によみがえらせてテーマパークを作ったものの、恐竜が暴走してパニックになるという物語です。当時大ヒットして、今でも続編が作り続けられています。
CGを駆使したリアルな恐竜の映像が話題になった映画ですが、私にはそのこと以上に心に残っている場面があります。
恐竜をよみがえらせた科学者たちは、パーク内で恐竜が勝手に繁殖しないようにメスだけを造り出しました。しかし主人公たちは、恐竜から必死に逃れている途中で「」を見つけるのです。これは、「カエルのメスだけを長期間隔離しておくと、種の保存の本能から一部がオス化して繁殖が可能となる」という事実をベースとして原作者が創作したものですが、人間が「自然」を無理やりコントロールしようとすると、何らかの「ゆり戻し」が起こるということを強烈に印象付けた場面でした。

一見かけ離れた話なのですが、今回私が戦前の「講談調」野球実況人気の背景を調べていくうちに思い出したのが、この「自然を無理やりコントロールすること」と「ゆり戻し」の関係だったのです。

1930年前後、日本放送協会の松内則三アナウンサーの「講談調」の野球実況(以下「野球話術実況」)が大人気となりました。これはレコードにもなって、10万枚売れれば大ヒットといわれた時代に歌謡曲でもないのに15万枚も売れました。そのアナウンスは、事実を客観的に描写する“実況”というよりも、おおげさで創作的なまさに“講談”に近いものでした。
先行研究では、この人気の背景について「講談調」という日本人になじみのある口調だけに言及したものが多いのですが、私はまず「当時どんな番組がどのような割合で放送されていたか」に注目しました。

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グラフを作ってみると、娯楽番組が減少する時期と「野球話術実況」の全盛期が重なっていることが分かりました(当時、日本放送協会は “実況”を「報道」に分類していました)。
さらに調べてみると、良し悪しは別として、「娯楽」が少ないというこの状態は、聴取者の希望や外国の放送局との比較から見るとかなり不自然であることも明らかになりました。当時の聴取者調査の結果では、「娯楽」の希望が「報道」や「教養」を大きく上回っています。また、多くの欧米の放送局では、プログラムの大半を「音楽」が占めていたのです(ちなみにアメリカの聴取者調査で希望が多いのも「音楽」でした)。

これらのことから、ジュラシック・パークの「卵」にあたるのが「野球話術実況」ではないかと思ったのです。つまり「野球話術実況」は、やや無理のあった放送番組の割合の中で発生した「ゆり戻し」なのではなかということです。

『放送研究と調査』4月号では、このことを頭のすみにおいて、この時期の放送に「娯楽」が少なくなった理由や、その穴を埋めるようにエンターテインメント化した野球実況の背景について論考しています。
みなさんも、「これは一種のゆり戻しだな~」と感じられるかどうか、ぜひ一読してみてください。

最後にちょっとだけ。
「野球話術実況」の人気が終息する1934年から終戦(1945年)にかけて、「娯楽」は少ないままなのに、(少なくとも私の目には)「ゆり戻し」現象は見られなくなります。「野球話術実況」の検証を通して、これ以降のラジオ放送が、「ゆり戻し」が発生するスキさえないほど戦争遂行のために統制されたものだったと改めて感じました。

調査あれこれ 2018年04月06日 (金)

#120 東京オリンピックまで2年余り。あなたが見たい競技は!?

世論調査部(視聴者調査) 斉藤孝信

年度替りのこの時期はただでさえせわしなく感じるものですが、今年は桜の開花が早かったせいか、あるいは日本勢の活躍に沸いたピョンチャンオリンピック・パラリンピックに夢中になっていたせいか、特にあっという間に時間が過ぎ去った気がします。
あっという間といえば、2020年東京オリンピック・パラリンピック。開催決定の頃には「まだ先の話」と思っていたのに、気が付けば、残すところ2年余りに迫ってきました。
世界の一流アスリートを直接見られるチャンス!楽しみです。テレビ観戦でも、最近の夏のオリンピックは、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと、「地球の裏側(?)」で開催されたため、深夜・早朝の競技中継が多く、寝不足に悩まされた方も多かったと思いますが、2020年は「良い時間」に見られそうで楽しみですね。

皆さんは、2020年の東京オリンピックでどんな競技の観戦を楽しみにしていますか?
文研が2017年10月、全国の20歳以上の男女3600人を対象に実施した「2020年東京オリンピック・パラリンピックに関する世論調査」では、東京オリンピックでどんな競技や式典を見たいと思うかを、複数回答で尋ねました。

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トップ5をみてみると、「体操」が71%で最も多く、以下、「陸上競技」「開会式」「競泳」「卓球」も半数以上の人が見たいと回答しました。前回のリオ大会で、男子団体が「体操王国」の意地を見せて金メダルを勝ち取った「体操」や、男女とも団体でメダルを獲得した「卓球」(すさまじいラリーに、手に汗握った方も多いのではないでしょうか)など、日本勢の活躍が印象的だった競技が上位を占めています。きっと調査にご協力くださった皆さんが、あの感動を思い起こしながら調査票に○をつけてくれたのだろう、と想像しながら集計しました。

前回私が担当したブログ(2017年11月10日号)では、1964年の東京オリンピック直前にも、文研が東京都民を対象に世論調査を行っていたことをご紹介しました。再び当時の調査結果をひもといてみると、そこにも「どんな種目を見たいか」という質問項目がありました。

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当時のトップ5は、「水泳」「体操」「開会式」「マラソン」「陸上競技」。やはり直前の大会(1960年ローマ)で日本が多くのメダルを獲得した水泳や体操を見たいと答えた方が多く、「次も活躍してくれるはず!」「東京でも勇姿を見せてくれ!」という期待が大きかったのだろうと想像できます。

ちなみに、1964年東京大会終了後の11月に行われた調査では、「とくに印象に残っている競技」を1人3種目まで挙げてもらっているのですが、この結果も面白い!

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大会直前の「見たい種目」としては37%だった「バレーボール」が78%でトップになったほか、事前には8%だった「重量あげ」も44%の人が「マイ・ベスト3」に挙げたのです。皆さんご存知の通り、バレーボールでは「東洋の魔女」の愛称で知られる女子チームが当時のソ連を破って金メダル、男子も銅メダル。重量あげでは三宅義信選手が金メダルを獲得しています。こうしたデータを振り返ると、気が早いようですが、2020年の東京大会ではいったいどんな競技のどんな選手が私たちに感動を与えてくれるのか、今から楽しみです!

話を戻しますと、2017年10月調査で尋ねた「見たい競技」を男女別に集計してみると、興味深い違いが明らかになりました。果たして男性、女性、それぞれが見たいと思っている競技とは!?さらに、2020年東京大会から追加種目となる「野球・ソフトボール」「スポーツクライミング」「空手」「スケートボード」「サーフィン」は、現時点でどの程度の人が見たいと思っているのでしょうか?
こうした分析結果は、『放送研究と調査』4月号で、詳しくご報告いたします。
どうぞお楽しみに!