「南方放送史」再考①

~大東亜共栄圏構想と放送体制の整備~

公開:2021年3月1日

太平洋戦争下、日本の陸海軍は「南方」と呼ばれた東南アジアの占領地に30以上の放送局を開設した。これらの放送局の活動については、1950年代にNHKによる資料収集や聞き取り調査が行われ、成果が取りまとめられたが、その後の軍政全般に関する研究も踏まえ、改めて検証を行う余地があると考えられる。このため、今号から3回シリーズで南方放送史について再考することにした。
南方地域で行われた放送の目的は、▽日本人向けの情報伝達、▽対敵宣伝、▽現地住民の民心安定の3つに分けられるが、本シリーズは、大東亜共栄圏構想を浸透させるうえで放送が果たした役割を検証する観点から、現地住民向け放送に焦点を当てる。シリーズでは、放送の概要を確認したうえで(第1回)、地域別に蘭印(第2回)、フィリピン・ビルマ(第3回)で行われた放送について検討する。
このうち今回は、放送実施までの過程を中心に、陸海軍、日本放送協会の文書に基づきつつ検証した。その結果、南方地域を軍事占領する構想が現れたのが1940年以降だったこともあり、放送に関しても開戦数か月前になって放送協会が南方の放送事情の調査を本格化させるなど、戦前にはほとんど検討がなされていなかったことがわかった。
また、開戦後も、運営主体を軍にするか放送協会にするかで議論になるなど実施の枠組みが定まらず、番組内容も放送局の設置と並行して検討が進むなど、準備不足の中で放送が始まったことが資料から浮かび上がった。長期的展望に立った計画が存在しない中、南方での放送が始まっていったことになる。

メディア研究部 村上聖一

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