文研ブログ

メディアの動き

メディアの動き 2019年09月17日 (火)

#208 NHKの常時同時配信実施と2.5%の関係

メディア研究部(メディア動向)村上圭子

今年6月に公布された改正放送法によって、
NHKはインターネットで放送と同じ番組をまるごと配信する
「常時同時配信」の実施が認められることになりました。
NHKは今後、受信契約者と同一生計の家族を対象に、
総合テレビとEテレの2チャンネルについて
同時配信と1週間程度の見逃し配信を行う予定です。

  20190917-1.jpg
(出典 総務省「放送を巡る諸問題に関する討論会」NHK報告資料より 6月25日) 

このNHKの常時同時配信について報じるニュースには最近、
必ずといっていいほど「2.5%」という数字が出てきます。
この「2.5%」とはいったいどのような数字なのか、
そして、その数字を取り巻く議論を中心に、
最近のNHKの常時同時配信を巡る論点をまとめてみます。

まず「2.5%」というのは、NHKがネット活用業務を行う際、
受信料収入のうちここまで費用として使いますという「上限」として、
自ら設定している数字です。
NHKにとってネット活用業務は現在、
放送サービスの「補完」という位置付けです。
また、発展中のネットサービスは、IT事業者はもちろん、
民放や新聞をはじめ、多くのメディアがビジネスでしのぎを削る分野です。
そのため、NHKは民間のビジネスを脅かさないよう、
ネット活用業務の種類、内容、実施方法、そして特に費用について、
自ら「インターネット実施基準」を設けて
その下で適正に行っていくことが制度として定められているのです。
受信料収入をここ数年の実績から、毎年およそ7000億円と仮定した場合、
2.5%は約175億円となります。

2.5%というこの上限は2015年に設定されたもので、
それ以降NHKは、この上限の中で様々なネットサービスを行ってきました。
今回、放送法が改正され、NHKが常時同時配信の実施を予定していることから、
この実施基準が見直されることになりました。
民放各社や新聞各社及び業界団体は、
NHKが常時同時配信を実施することになったとしても、
NHKのネット活用業務が民業を圧迫する可能性がある以上、
2.5%の上限は変えるべきではない、と強く訴え続けてきました。
現在NHKは、上限ぎりぎりまで(2019年度予算では2.4%)サービスを行っています。
常時同時配信を実施するには、権利処理料や人件費を除いても、
年間約50億円の費用がかかるとNHKは説明してきました。
同じ枠の中で常時同時配信を行う場合には、
これまで実施してきた様々なネットサービスを縮小しなければなりません。
そのため、NHKが2.5%という上限をどうするのか、
実施基準の見直し案が注目されていたのです。

※これまでの常時同時配信を巡るNHKと民放等の議論の詳細は、 
「「これからのテレビ」を巡る動向を整理するVol.10」 

「これからの“放送”はどこに向かうのか?Vol.3」 をご覧ください。 

NHKは9月10日、実施基準の素案をウェブサイトに公開しました。
実施基準はNHKの自主的な基準ですが、
素案を公表して意見募集(パブリックコメント)を行い、
総務大臣の認可を受けなければ、
常時同時配信を含むネット展開を実施することができない仕組みとなっています。
10月4日まで意見募集が行われています。

※NHKの「インターネット実施基準(素案)」のご意見募集ページ
     http://www.nhk.or.jp/mediaplan/goikenboshu/index.html 

またNHKは、翌日11日に開催された
総務省の「放送を巡る諸課題に関する検討会」でも報告を行いました。
その際の報告資料がわかりやすいので再掲します。

 

  20190917-2.jpg

 (出典 総務省「放送を巡る諸課題に関する検討会」NHK報告資料より 9月11日)

NHKは今回はじめて、ネット活用業務を2つの項目に分けて示しました。
1つが常時同時配信を含めた「基本的業務」、
もう1つが「公益性の観点から積極的な実施が求められる業務」(公益性業務)です。
「基本的業務」はこれまで通り、2.5%の上限を守ることとしました。

この素案の内容について、複数の新聞は、
これまで2.5%の枠内で行っていた業務の費用の一部を公益性業務に移行したことなどから、
「実質的に2.5%を超える基準案」「実質的な“上限の引き上げ”」と報じました。
筆者が傍聴した検討会では、
「2.5%そのままではいかないと思っていたので、公益性という形で外出しして
もらってわかりやすくなった」という構成員からの意見がありましたが、
それ以外に2.5%を巡る発言はありませんでした。
一方、公益性業務については算出根拠を明らかにすべき、との意見がありました。
こうした費用に関する意見以上に多かったのが、
NHKのネット活用業務に関する評価や検証の必要性に対する意見でした。
ネットサービスがどれだけ利用されたのか、
他の民間のサービスと比べて公共的価値を生んでいるのか等について、
内部の検証だけでなく、第三者も入れた調査や評価を行うべきとの意見です。
また、受信契約者と同一生計の家族にIDを発行する仕組みについての課題も
示されましたが、
受信契約の単位についての課題は、NHKだけでなく総務省において、
放送法改正の議論としてしっかり検討すべきだ、との意見も出されました。 

受信料を活用して実施するNHKのネットサービスは、
全てが公共サービスであることは言うまでもありません。
NHKは今回、より“公益性”のある業務を抜き出して新たに設定しましたが、
2020年度に特有の④を除くと、①から③まではいずれもその中身について、
NHKが自身のみで決めるのではなく、
国民や社会からNHKに何が“求められている”のか、
NHKがその意見を受け止めた上で具体的に決めていかなければならないものです。

NHKはどこまで細かく地域の番組・情報をネットで配信すべきなのか、
NHKが民放と協力してネット展開を模索していく意義とは何なのか、
NHKは高齢者や障がい者をはじめとした人々に特化した
ネット活用サービスをどのように行っていくべきなのか、
NHKはどこまで海外(在留邦人も含む)に向けた
番組・情報を充実させていくべきなのか。
受信料を活用しなければできない公共的なネットサービス、
民業を圧迫せず民業には出来ないネットサービスとは何なのか・・・・・・。

筆者は業界の動向や総務省の検討会の議論をウオッチすることを業務としていますが、
NHKのあり方については、
より国民や社会に開かれた議論をしなければならないと常日頃から感じています。
今回はNHKのネット活用業務という観点からですが、
このブログを通じて少しでも関心を持ってもらえると嬉しいです。

※10月1日発行の「放送研究と調査」には、
常時同時配信を含む今年上半期の放送業界の動向をまとめた
「これからの“放送”はどこに向かうのか?Vol.4」 が掲載されます。
ご期待ください!

メディアの動き 2019年09月13日 (金)

#207 誤情報・虚偽情報の打ち消し報道でマスメディアが注意すべきこと

メディア研究部(メディア動向)福長秀彦


いつの時代でも、どんな社会であっても、事実の裏づけのない怪しげな情報が出回るものです。でも、今はそれがインターネットのサイトやSNSによって瞬時に、爆発的に拡散してしまいます。怪しげな情報の中には、人びとの安全や健康、民主主義社会の健全な世論形成を損なうおそれのある誤情報(間違い)や虚偽情報(ウソ)が含まれていることがあります。
マスメディアは強力な取材力と情報伝達力をもっていますから、怪しげな情報の真偽を迅速に確認して、公益を害する誤情報・虚偽情報の拡散を抑制する役割があると考えます。マスメディアが誤情報・虚偽情報を否定し、それらに惑わされたり、拡散したりしないよう呼びかける「打消し報道」を行う際に、注意すべき事柄や課題を『放送研究と調査』8月号にまとめてみました。

打ち消し報道の例(2018年6月「大阪府北部の地震」
   190913.png 
   (注)2018年6月18日NHK「ニュース シブ5時」の放送画面


190913-2.png
①正確な情報は拡散力が弱い
打ち消し報道の内容は誤情報・虚偽情報と比べると「新奇性」に欠けるので、拡散力が弱いと考えられます。そこで、打ち消し報道はできるだけ繰り返し行う必要があると思います。
②タイミングを見計らう必要がある
誤情報・虚偽情報が拡散していないのに打ち消し報道をすると、まだ知らない人にまでそれらを伝え、新奇性の強い誤情報・虚偽情報の中身だけが独り歩きしてしまうおそれもあります。
③打ち消し報道への抵抗・反発もある
人びとが信じ、あるいは信じたいと思っていることを否定し、他の人に伝えたいと思う気持ちにブレーキをかけると、抵抗や反発を招くことがあります。そうした受け手の心理に配慮することが必要でしょう。
④「流言」のすべてが誤情報とは限らない
流言とは揣摩臆測による根拠のない情報が、人びとの不安や怒りなどの感情によって拡散するものです。多くは事実に反する誤情報ですが、中には事実と間違いが混然となったものもあります。その場合「デマ」という言葉で一括りにして表現すると、すべてを事実無根、ウソと決めつけてしまうことになるので、注意が必要です。
⑤偽動画は巧妙化するおそれがある
偽動画はAIの機械学習などの手法を悪用して、ますます巧妙化するおそれがあると言われています。アメリカでは既にメディアや大学などが偽動画を見分ける技術の研究を行っていますが、日本国内でも今後は巧妙な偽動画が出回る可能性があります。
⑥放送の特性に配慮する
テレビやラジオで打ち消し報道を見聞きしても、聞き逃しや聞き間違い、早合点をしてしまうこともあります。放送画面からネット上などの打ち消し情報(活字・図表)に随時アクセスできれば便利だと思います。

190913-3.png
打ち消し報道をしても、人びとの信頼が得られなければ、誤情報・虚偽情報の拡散抑制はおぼつかないでしょう。
災害時に拡散する誤情報・虚偽情報の打ち消し報道は、人びとの命や安全を守るという目的が分かりやすいので、比較的受け入れられやすいのではないかと思います。緊急時で人びとが強い不安や恐怖感を抱いているときには、あまり信頼していないテレビ局であっても、また信じたい情報を否定する報道であっても、マスメディアの取材力と専門性を“とりあえず方便で”信頼してみようかという心理が働くことが考えられます。
一方、政治や外交、歴史といった分野の誤情報・虚偽情報の打ち消し報道をする目的は、客観的な事実に基づく衆議によって最適解を導き出す民主主義のプロセスを守ることですが、これは人びとにとってそれほど分かりやすいものではないでしょう。誤情報・虚偽情報が何らかの主義・主張、党派的選好と結びついていると、打ち消し報道が特定の言論を正当化するために行われていると曲解されるおそれがあります。
打ち消し報道の対象を選ぶときには、どうしても記者の価値判断が入ります。だからこそ、打ち消し報道の「公益性」を如何にクリアに説明するかが追求されなければならないと考えます。


メディアの動き 2019年09月06日 (金)

#205 東京2020パラリンピックまで1年 放送の役割を改めて考える

メディア研究部(メディア動向)越智慎司


ことし3月の「文研フォーラム」で、パラリンピックの調査研究を続ける研究員たちが「共生社会実現と放送の役割~東京2020パラリンピックをきっかけに~」と題したシンポジウムを企画し、その内容を『放送研究と調査』8月号に掲載しました。2020パラリンピックの1年前という節目に、改めてシンポジウムでのパネリストの発言を振り返りたいと思います。

190906-1.png 
(「文研フォーラム」シンポジウムの様子)


パラリンピックのメダリストで、IOCとIPCの教育委員として子どもたちへの教育活動を進めるマセソン美季さんは、こう述べました。
「パラリンピックの競技映像を配信するだけで、インクルーシブな社会がつくり出せるとは思っていません。(中略)アスリートだけではなく、さまざまな障害のある人たちが、競技場以外の場所でも社会人として活躍し、社会に貢献できるようにする。そんな場をつくったり、機会をつくったりすることができるような視点というものも意識して、報道につなげていただきたいと思っています」

イギリス・チャンネル4に在籍した当時、ロンドンとリオデジャネイロのパラリンピック放送に携わり、出演者にも制作側にも障害者を起用することに取り組んだアディ・ロウクリフさんは、こう述べました。
「放送事業者としては、障害のある人たちの経験を放送に取り込んでいかなければなりません。まずは、そんなに少数派ではありませんよということを認識すること。(中略)やはり知識を共有することが一番大事だと思います。慈善団体も巻き込んで、業界全体で知識を共有する。これが、うまくいった鍵だったと思います」 

190906-maseson.png 190906-raw1.png
(マセソン美季さん アディ・ロウクリフさん)


パラリンピックには、障害のある人もない人も尊重し合える「共生社会」に結びつけるという大きな目的があります。放送もその目的に向け、2020を越えて役割を果たさなければなりません。社会を変え、人々の意識を変えるためには、放送に携わる者から意識を変えなければならない。そのことを2人は指摘しています。

『放送研究と調査』では、最新の9月号から、パラリンピック放送への提言などをパラリンピアンや外国の放送関係者などに聴いたインタビューを4回シリーズで掲載しています。10月号でロウクリフさん、12月号でマセソンさんと、2人のパネリストにもさらに詳しく話をうかがいました。8月号とあわせ、こちらもぜひご覧ください。



メディアの動き 2019年08月30日 (金)

#204 連携ジャーナリズムが挑む「ニュースの砂漠」と「ニュースのジャングル」

メディア研究部(海外メディア研究)青木紀美子


ニュースの砂漠?ニュースのジャングル?何やら言葉遊びのようですが・・アメリカのジャーナリズムが直面する危機をあらわした表現です。
デジタル化の波で地方の新聞が減り、記者の数も減り、地域に密着した取材発信がなくなった情報の空白地帯が増えているというのが「ニュースの砂漠」です。
一方で、市民の側からみると、さまざまな媒体が溶け込んだデジタル空間には不確かな情報や偽情報を含めて情報が氾濫し、必要な情報がどこにあるのか、何が信頼できる情報なのかが分かりにくい、情報の乱立状態になっているというのが「ニュースのジャングル」です。


190830-1.png

こうした情報の空白地帯「ニュースの砂漠」と情報の乱立状態「ニュースのジャングル」に立ち向かおうとする試みの一つがコラボレティブ・ジャーナリズム(Collaborative Journalism)です。
日本ではあまり耳にしない表現ですが、複数のメディアの協力(Collaboration)によって取材発信することで、アメリカでは調査報道(Investigative Journalism)や課題解決型のジャーナリズム(Solutions Journalism)などと並んで、取材報道の一つのあり方と位置づけられるようになっています。
私はこれを「連携ジャーナリズム」と訳してみました。広辞苑によると「連携」は「同じ目的を持つ者が互いに連絡をとり、協力し合って物事を行うこと」とあり、まさしくCollaborative JournalismのCollaborationが意味するところに近いと考えたためです。
アメリカの地域メディアの「連携ジャーナリズム」では、社会の課題解決など、目的を共有する複数のメディアが取材力と発信力を持ちより、相互に補完することによって空白を埋め、市民にとって信頼できる情報の一つの指標になることをめざしています。


190830-2.png

同じ業種だけではなく、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、オンラインと、多様なメディアが垣根を越えて集まり、規模の大小にかかわらず対等なパートナーとなるチームが増えています。また、取材するテーマを決めるところからメディアどうしで話し合い、あるいは、ともに市民の意見や要望を聞きとり、単発の記事で終わるのではなく継続的に連携する例が目立ちます。
地域ジャーナリズムの支援に力を入れる非営利財団Knight Foundationは、2019年は「ローカル連携の年(A Year of Local Collaboration)」 になると予想しました。では、実際にはどのようなメディアが参加した連携ジャーナリズムが行われ、どのような成果をあげているのでしょうか。「放送研究と調査7月号」の「アメリカで広がる 地域ジャーナリズムの連携とその可能性」でさまざまな具体例を紹介していますので、ご一読ください。


メディアの動き 2019年07月17日 (水)

#196 "ロボットの存在感"は、スポーツ観戦の体験を変えることができるか?

メディア研究部(メディア動向) 谷 卓生


ディスプレイを搭載した“走行ロボット”が、音楽に合わせて会場内を動き回り、次々と映像表現を生みだしていった。

190717-1.jpg
                      “走行ロボット”によるデモンストレーション
                                                                        (ステージ正面から)


190717-2.jpg
                                                                 (ステージ上部から)


このデモンストレーションが披露されたのは、NTTサービスエボリューション研究所が主催した「スポーツ観戦の再創造展」 1)(2019年7月4~6日:日本科学未来館)。ラグビーワールドカップや東京オリンピック・パラリンピックなど、スポーツのビッグイベントの開催を控えて、テレビ局を始め、各メディアは、スポーツの魅力を伝えるために工夫を積み重ねている。4K・8KやAR・VR、AIなどのさまざまな最先端テクノロジーを使うことが検討されていて、この「再創造展」でも、高精細大画面映像や立体映像などのデモが披露されていた。

しかし、そうした取り組みとは全く違う、異色の伝え方が、上記の“走行ロボット(グランドボット)によるデモ”だった。走行ロボットは、上部に六角形のディスプレイを載せていて、自走する。しかも、このときは39台だったが、群れ(Swarm)として、遠隔制御して動かすことができるようになっている。ざっくりと言うなら、39個の六角形のディスプレイを動かして、平面上に何かを描き出せる仕掛けということだ。約20分間のデモは、ミュージシャンのパフォーマンスも含めて、「メディアアート」好きの私としては、十分に堪能できるものだった 2)


190717-3.jpg
                             “走行ロボット(グランドボット)”


しか~し。
これって「スポーツ観戦の再創造」がテーマだったよなあ、って考えると、この仕掛けは、スポーツ大会の開会式などのイベントの演出には使えるかもしれないけれども、スポーツの新しい見せ方にどうつながるのかなあ???と、モヤモヤしたのも正直なところだった。そこで、この展示に協力したアルスエレクトロニカ・フューチャーラボ 3)の小川秀明さんに聞いてみた。いろんなアイデアを検討しているということだが、例えば、競泳のパブリックビューイングの会場で、大画面のスクリーンに競技の映像を流すだけでなく、“選手の姿をディスプレイに映した走行ロボット”を、レースの状況に合わせて動かすと、観客に、映像だけでは伝えきれない“何か”、リアリティやダイナミズムのようなものが伝わるのではないか。また、走行ロボットといっしょに走ったりすれば、レースを疑似体験できるのではないか・・・等々、これまでにはなかった新しい「体験」を生みだすことを考えているということだった。走行ロボットは、現在100台あり、その数でも、全部を連携して動かすことができるという。

VRなどで、バーチャルなスポーツ観戦の体験はさらに進化していくと思うが、その一方で、存在感(“気配”と言ってもいいかもしれない)を持った“リアルな何か”があれば、“リアルな何か”を動かせば、これまでと違った、“新たなスポーツ観戦の体験”をつくることできるのではないか、そんな可能性を感じた。
そして、さらには、"リアルとは何か“、"リアリティとは何か”ということまで深く考えさせてくれる体験となった。


1) https://re-imagined.jp/

2) 走行ロボットによるデモの動画
  https://www.youtube.com/watch?v=YZwEkm_zBf4

3)「アルスエレクトロニカ・フューチャーラボ」(Ars Electronica Futurelab)は、先端技術にフォーカスした実験的なプログラムで知られる、世界的なアート×テクノロジーの祭典「アルスエレクトロニカ」の研究開発部門。オーストリアのリンツ市にある。
  https://ars.electronica.art/about/jp/


メディアの動き 2019年04月26日 (金)

#184 映画「THE ATOMIC TREE」(原爆の木)を撮るのに、 なぜ"VR"を使ったのか?

メディア研究部(メディア動向) 谷 卓生


「どうして、“被爆した松”の話を、映画にしようと思ったのか」、わたしの質問に対して、監督は、「ただただ、この松のストーリーが大好きなんだ」と答えた。

ema5.png

以前、米国の祭典SXSW1)(サウス・バイ・サウスウエスト)について書いたブログで紹介したバーチャルシネマ「THE ATOMIC TREE」(原爆の木)2)。4月、この映画の2人の監督のひとり、米サンフランシスコで暮らすエマニュエル・ヴォーンリー(Emmanuel Vaughan-Lee)さんに話を聞いた。日本のメディアからのインタビューは初めてだという。

エマニュエル監督が()かれたというストーリーとは・・・今から約400年前、神聖な島(広島の宮島)の山で生まれた松が、広島で盆栽業を営む山木家で代々育てられ、1945年に爆心地から約3キロの地点で被爆。戦後、米建国200年(1976年)を祝うために山木家から米国に寄贈され、米国立樹木園で展示されていた。その後、2001年に、盆栽の寄贈者の孫たちが米国を訪れた際に、初めて被爆の事実を伝え、樹木園はそれを公表した。それ以降、その松は、「ヒロシマサバイバー」と呼ばれ、もっとも尊い木のひとつとして、世界的にも知られるようになった。・・・

tree8.jpg

監督は、この物語を表現するために、360度カメラを使った「バーチャルシネマ」という手法を採った。スクリーン上の映像を見るのではなく、「見る人が、松の木があるのと同じ世界・空間にいる」ことができるバーチャルシネマ。“同じ空間“で、この松の年輪に刻まれた約400年の記憶を体感してもらいたい、より強く木とのつながりを感じてもらいたいと意図したという。確かに、それは、かなりうまくいったと言え、わたしは、以前のブログに、「VRならではの“木との対話”」というふうに表現して、このことを伝えた。わたしとしては、木を擬人化した、このような表現は、違和感がないものであったが、エマニュエル監督は、インタビュー中、何度も「自然をキャラクターとして捉えることは、西洋人にはないと思う」と話した。この映画の日本での撮影を、コーディネートした向井万理さん(映像ディレクター/プロデューサー)も、「ディズニーのアニメなどを除けば、自然を擬人化することはほぼない。観客は、ディズニーアニメもあくまでファンタジーと割り切ってみている」と補足してくれた。
しかし、SXSWで、この映画を見た人から、監督にとって、とてもうれしい感想が寄せられたという。

  「この映画を見ることで、“木の友だち”ができた!」

他には、涙を流しながら映画を見ている観客もいたという。バーチャルシネマという手法が生んだ“体験”が、“新たな価値観”を伝えることにも役だったと言えるのではないだろうか。

日本人としては気になる、“原爆”のことをどう考えているかを監督に聞いてみた。
「自分はアメリカ人なので、とてもセンシティブな問題だ。映画自体も、原爆のことにだけ焦点を当てたものではない。原爆のことをどう考えるかは、それぞれの観客にゆだねたい」と述べるにとどまった。この映画は、日本人にも見てもらいたいので、日本語版の制作を検討していて、日本でもぜひ上映したいという。

エマニュエル監督たちが、バーチャルシネマを作ったのは、本作で2本目。「VRを使った表現の可能性を感じているし、この市場は伸びていくと考えているので、今後も、バーチャルシネマの制作を続けていきたい」と話した。


1)アメリカ南部テキサス州オースティンで毎年3月に開催される、最新のテクノロジーや映画、音楽、メディア、ゲームなどに関する世界最大級のイベント(https://www.sxsw.com/)

2)SXSWでの上映が、世界初。監督は、エマニュエルさんとアダム・ロフテンさんhttps://goprojectfilms.com/films/the-atomic-tree/)

 

メディアの動き 2019年04月05日 (金)

#179 「Screenless Media」の可能性

メディア研究部(メディア動向) 越智慎司 

3月29日、「Screenless Media Lab.」という研究所の設立発表会を取材しました。TBSラジオが外部の研究者とともに、「聴覚からの情報」についての研究を始めるということです。ラジオのリスナーを増やすのにつなげようということなのでしょうか?取材すると、目指すところは、もっと先にあることがわかりました。

研究所の所長に就任したのは、政治社会学者の堀内進之介さんです。スマートスピーカーなどの技術と人間との関わりについての著書があり、企業で音声に関する研究も行ってきました。

設立発表会で堀内さんは、「Screenless Media Lab.」の研究テーマのひとつとして、「『視覚からの情報』と『聴覚からの情報』のバランス」を挙げました。堀内さんによると、これまでは情報の取得や伝達の手段としては、視覚からが優位とされ、視覚からの情報に偏っている環境があるが、近年の研究では、聴覚からの情報が、内容の整理や理解、動機づけといった積極的な関わりについて、効果が高いと評価されているということです。研究所では、情報過多で受け手が疲れるなどの問題が起きている中、視覚からと聴覚からの情報の役割を切り分け、聴覚からの情報が受け手の理解や意欲にどのようにつながっているかといった視点から研究を進めることにしています。

190405ohiblog-2.jpg
(右から2人目が堀内所長)

また、TBSラジオの制作現場の人たちは経験で、「ラジオショッピングは商品の返品率が低い」とか「パーソナリティーの話を聞いていると、その気になってくる」といった、ラジオ独特の効果のようなものを感じているということです。研究所では、こうした現場で培われたものと研究者の知見とを合わせて、音声メディアでどのような情報の伝え方をすればよいか、使うワード、語順、速さ、言い方といった具体的な部分についても研究するそうです。

NHK放送文化研究所が2015年に行った「もしラジオ未利用者が1週間ラジオを聴き続けたら」という調査でも、利用者から「知らない人の話を、ラジオだとすんなり聴けた」「なぜか、話していることが頭に入る」といった、ラジオを評価する声があがっています。

単なる音声メディアでなく、視覚のメディアとも共存する「Screenless Media」としての可能性を探ろうとする「Screenless Media Lab.」ですが、ロゴなどに「TBS」の文字がありません。研究の成果は、書籍の出版やラジオ番組での報告などを通じて、業界や社会に広く還元したいと考えているそうです。

メディアの動き 2019年03月29日 (金)

#178 初めてのSXSWで「原爆」に出会った

メディア研究部(メディア動向) 谷 卓生


「VR(仮想現実)やAR(拡張現実)の技術を使ったコンテンツの最新動向を知ることができれば!」と、初めて出かけたSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)。米国テキサス州オースティンで毎年3月に行われる、最新のテクノロジーなどに関する世界最大級のイベントだ。

178032901.jpg


私は、そこで、THE ATOMIC TREE(原爆の木)という1本の「バーチャルシネマ」に出会った。

178032902.jpgのサムネイル画像 178032903.jpg

約10分間のこの映画の主役は、広島への原爆投下に耐え、生きのびた、樹齢およそ400年とされる松の盆栽だ(爆心地から約3キロの地点にあった)。盆栽は、戦後、アメリカに寄贈され、今も米国立樹木園にある。映画は、「360度カメラ」を使って盆栽に迫り、この木に刻まれた400年の歴史、“原爆の惨禍を含む400年の記憶”を浮かび上がらせようと試みている。原爆の爆発の様子は、CGを使って表現されていて、被害を受けた広島の人や街など悲惨な様子は一切描かれてはいないが、HMD(VRを体験するためのゴーグル状の装置)をつけて“没入”した空間で、わたしは、静かに、“1945年8月6日”に思いを馳せることができた。単なる情報としてではなく、VRならではの“一本の木との対話”という「体験」を通して。

同じフロアで、“いかにもVR” “いかにもAR”の未来風のコンテンツが数多く並ぶ中、この作品は異彩を放っていた。今でも、アメリカでは、原爆は戦争の終結を早めたという意見が根強く、原爆について批判的な議論を行うことが難しい。私が強く反応しすぎなのかもしれないが、SXSWというたいへん注目される場で世界初上映を行った、この映画の制作者たち(アメリカの制作会社の作品だ)に拍手を送りたいし、「やられた」とも正直思った。


しかし、SXSWという祭典の性格を考えると、このような挑戦は、実は、十分にあってしかるべきなんだと思う。日本では、SXSWは、テクノロジーの祭典と思われ(誤解され!?)、IT企業やスタートアップには注目されてきたし、SONYなどの大企業は、独自にスペースを借りて、展示を行ったりもしている。確かに、TwitterやAirbnbが、ここで注目されて世に出たことを考えると、そう受け止められたとしても不思議ではない。でも、もともとが1987年に音楽イベントとして始まり、映画やテレビ、ジャーナリズム、政治、デザイン、LGBTなど多彩なテーマに関する討論や講演、展示が行われてきたことを踏まえると、SXSWは、主にテクノロジーという切り口から、“社会について総合的に問い直そう”というイベントなんだと思う。今年も、次の大統領選に名乗りを上げている上院議員が、GAFAの分割論をぶち上げたり、史上最年少で当選し、時の人である下院議員のアレクサンドリア・オカシア・コルテス氏が、テクノロジーを正しく使えば労働者を解放できるとして現在の経済システムを批判するなど、“テック礼賛”とは一線を画す講演などが少なくなかったという。

178032904-1.jpg
コルテス氏(SXSWの公式ホームページから)

「原爆の木」に、話を戻そう。どうして、この映画に、私が「やられた」とまで思ったかというと、いくつかの日本勢の出展を見たあとだったからだ。まずは、日本館「THE NEW JAPAN ISLANDS」(統括ディレクター:メディアアーティストの落合陽一氏)。経済産業省や企業らが、「発酵」などをモチーフにして“日本の未来”を発信するというものだった。私が訪れたとき(3月11日)には、展示の最終日の終わり頃だったからか、畳敷きの舞台で、盆踊りとカラオケ大会が行われていて、“打ち上げモード”。正直、意味がよくわからなかった。

178032905.jpg

そして、NHKとSONYが出展した「8K  THEATER」。8Kの超高精細映像と22.2chの臨場感を体験してもらう、コンサートや自然の風景、祭りなどをまとめたコンテンツが繰り返し上映されていた。だが、私が懸念するのは、SXSWで提示するコンテンツとして、「それだけ」で良かったのかということだ。開催期間(3月8~17日)には、ちょうど東日本大震災の「3.11」が入っている。少しずれるが、地下鉄サリン事件が起こった「3.20」もある。NHKは、広島の原爆資料館の収蔵品を、8Kで撮影したコンテンツも持っている。
「日本」が発信できる重要なテーマは、実は、いろいろあるんじゃないかと思うのだ。

178032906.jpg

ただ、まったく“希望”がないわけではなかった。
オースティンのライブハウスで、CHAIという女性4人のバンドがライブ(SXSWの公式ライブ)を行っているのを見た。会場には、数百人が詰めかけ満員。オジサン・オバサン世代にはほとんど知られていないけれど、若い世代には人気があるという日本人グループだ。彼女たちは、「女の子はみんな、生まれた時からかわいくて、かわいくない人なんていない」「かわいいってもっと種類いっぱいあっていいと思うし、それぞれの個性がかわいい」という“NEO KAWAII”を打ち出し、現地でも共感をもって迎えられていた。こんな文化的発信が、現に行われているのだ。

178032907.jpg

なお、ここに書いたことのかなりの部分は、オースティン滞在中の、いろんな人との議論や教えに負っている。一人一人名前をあげないが、あらためてお礼を言いたいと思う。
         

メディアの動き 2019年02月08日 (金)

#168 TBSラジオ、番組制作の指標にradikoの聴取データ

メディア研究部(メディア動向)越智慎司


TBSラジオは、ラジオ番組をインターネットで配信するradikoの聴取データを番組制作に活用する取り組みを始めました。

ラジオでは、番組制作や広告取引の指標として「聴取率」が利用されています。聴取率は多くの場合、調査対象者にどんな番組を聞いたかを記録してもらう方法で調べます。首都圏の民放の場合、ビデオリサーチが2か月に一度、1週間にわたって行っている聴取率調査のデータを利用しています。
TBSラジオは番組制作の指標として、こうした聴取率の代わりに、リスナーの動向をリアルタイムで把握できるradikoのデータを活用することにしました。データをグラフなどで見やすくするツールを開発し、1月末から試験運用を始めました。

今回開発されたツールは「リスナーファインダー」という名前で、radikoからTBSラジオの番組をリアルタイムで聴いている人数が画面の中で1分単位のグラフで表示されます。また、延べの視聴分数や性別・年齢層、各SNSで番組がシェアされた数なども表示され、電通が開発したデータ管理プラットフォームにあるデータと合わせると、リスナーの志向性の分析につなげることもできます。TBSラジオのスタッフルームや副調整室にはこうしたデータを表示するモニターが設置されました。TBSラジオは「リスナーファインダー」のデータは外部に公表せず、広告取引にも使わないとしています。

168020801.jpg

TBSラジオの三村孝成社長は「radikoと聴取率調査の数字の関係性をずっと見てきたが、ほとんど等しい動きになっており、リアルタイムの数字で企画や演出を検証するほうがニーズに応えられると考えた。今のラジオにとってのテーマは、ラジオに接触していない人をリスナーにすることで、制作者がリスナー開拓のアイデアを出すことに、新しいツールを使っていきたい」と話しています。

168020802-1.jpg

radikoのデータという聴取率に代わる指標を活用しようとするTBSラジオの取り組みが、今後、ラジオ業界にどのような影響を与えるのか、注目したいと思います。

メディアの動き 2019年02月01日 (金)

#166 デジタル時代に放送はどう向き合うか ABU総会からの報告

メディア研究部(海外メディア研究) 吉村寿郎


アジア太平洋地域の放送の発展をめざし、お互いに協力し合う放送機関の連合体、それがAsia-Pacific Broadcasting Union(ABU・アジア太平洋放送連合)と呼ばれる組織です。今年で55回目を迎えるABU総会と関連会議が2018年9月30日から10月5日にかけてトルクメニスタンの首都アシガバートで行われ、約50の国と地域から500人近くが参加しました。

166020101-2.jpg 166020102-2.jpg
 
放送局は今、ソーシャルメディアなどの影響力が強まるデジタル時代にいかに適応し、進化していくかが問われています。一連の会議では「デジタル時代に放送はどう向き合うか」をテーマにさまざまな意見が交わされました。「放送局がこんなことまでするの?」といった斬新な取り組みから、時代に流されずラジオ放送の原点を見つめ直すような番組の紹介まで、バラエティに富んだプレゼンや議論を1週間にわたって聞き続け、アジアの放送局の最新動向を探ってきた報告が「ABUアシガバート総会からの報告」『放送研究と調査』2019年1月号です。総会では各国の放送局でデジタル戦略を担う専門家からも直接話を聞くことができ、日本とはひと味もふた味も違う発想に刺激を受けました。これからの放送メディアのありようを考えるひとつの手がかりとして、ご一読いただければ幸いです。

ところで今回の出張では、トルクメニスタンという国のメディア事情などを肌で感じることが出来たのも貴重な経験でした。「国境なき記者団」がまとめている「世界の報道自由度ランキング」によると、トルクメニスタンは世界ワースト3にランキングされ、最下位の北朝鮮などとともに言論が厳しく統制された国として知られています。現地でまず驚いたのは、ガイドと呼ばれる政府関係者が片時も離れずついてくること。ABU総会への参加が目的とはいえ、海外の報道機関の関係者が外に出て勝手な取材をしないよう、行動を見張っているのです。会議日程の合間を縫ってトルクメニスタンの国営放送が企画してくれた小旅行では、野外ミュージアムのような場所に案内され、「庶民の暮らし」をわざわざ再現して見せてくれました。

166020103-2.jpg 166020104-2.jpg

出張の最終日には、アシガバート市内を駆け足で見て回りました。実は見どころ満載です。世界最大の星形建造物に屋内観覧車、世界最長のじゅうたんなど、ユニークな「世界一」が並び、天然ガスの輸出に支えられた国の豊かさを象徴しています。

166020105-1.jpg

ここだけはじっくり見ておきたいと思っていたのは、イスラム芸術の粋を集めた荘厳な装飾で知られるキプチャク・モスクです。

166020106-4.jpg 166020107.jpg

扉の隙間から漏れる光を眺めていると、もう少し、この未知の国の扉を押し開けてみたいという欲求に駆られてしまうのでした。今回のABU総会の取材をきっかけに、今後、国ごとに異なる事情を踏まえながらアジアの放送局の現地調査などを行っていきたいと考えています。