2011年9月

2011年09月27日 (火)

松たか子さんとのひととき

「新日本風土記」事務局スタッフです。
松たか子さんによる、印象的なつぶやき。皆さん、お楽しみ頂いているでしょうか。「新日本風土記」と「もういちど、日本」の両方で、声の旅人としてご登場頂いています。収録は、だいたい月にいちど。その日に向けて、どんな言葉をつぶやいて頂くか、制作者は頭と心をフル回転させて、言葉を紡いでいきます。

この収録が、日頃の疲れもふっとぶ、とても楽しい作業。松さんがスタジオに入られると、ふんわりといい香りが漂います。私をはじめ、スタッフ一同、和やかな空気に包まれます。目尻がさがる方々も・・。

ブースに入り、声の調子を整えると、いよいよ収録スタート。制作者は、ブースにいる松さんと<トークバック>と呼ばれるボタンを介して話をすることができます。そして、<トークバック>のボタンのヨコに、<キューランプ>と呼ばれるボタンがあり、これを押すと、松さんに読み出しのタイミングが伝わります。制作者が考えた様々なシチュエーションのつぶやきを、松さんは実に見事に表現されます。思わず、「うまい!」と声をあげてしまうことも。興奮のあまり、<トークバック>と<キューランプ>のボタンを押し間違えることも、しばしばです。

「新日本風土記」そして「もういちど、日本」。松たか子さんの様々な読み分けも、どうぞお楽しみ下さい。

投稿時間:10:15 | カテゴリ: | 固定リンク


2011年09月20日 (火)

日本で一番新しい山「平成新山」まもなく登山解禁です!

「雲仙・島原」を担当した江崎です。長崎から車でおよそ1時間半、撮影に入るまで何度も島原を訪ねました。普段暮らしている長崎は、異国情調があふれ、おしゃれな町ですが、島原の暮らしは、それとは違い、素朴だけれども、豊かな生活がありました。
しかし、1番印象に残ったのは、なんと言っても「平成新山」への登頂取材。いまだ警戒区域が設定されているとあって、その道程は容易なものではありませんでした。時間の都合上、番組ではすぐ頂上まで到達していますが、実際には、道なき道を3時間かけて上りました。来年には、登山道も整備され、皆さんもその雄志を間近で見ることができるようになるそうですので、その前に、番組ではお見せできなかったおすすめのポイントを紹介したいと思います。
① 紅葉茶屋
登山ルートの最初のポイントともいえる「紅葉茶屋」。現在は、ここから先が警戒区域です。解禁後はここから平成新山を目指します。

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※写真)立入禁止の案内と紅葉茶屋

② 風穴(かざあな)
道中には、天然の氷室がいくつかあります。その1つ、風穴と呼ばれる場所です。奥行き30㍍、高さは10㍍。中は夏場でも4度しかありません。昔は、普賢岳の頂上付近には、万年氷があり、それを切り出してここに保存していたそうです。さらに、昭和初期には、ここで蚕の卵を保存していたといいます。低温で仮死状態にして、使うときにふ化させ、養蚕に利用していたそうです。今や警戒区域のこの場所も、昔は、島原の人たちの生活圏だったんですね。

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※写真)風穴

③ 土石流のはじまりはここ?
登山ルートでは、巨大な岩石が行く手を阻みます。登山と言うより、ロッククライミングのようです。(やったことありませんが…)実は、なんとこの岩石、5000年前のもの。22年前の噴火でここまで押し出されてきたそうです。で、恐ろしいことに、ここからさらに、ふもとに土石流となって襲いかかった場所でもあるそうです。いわば、土石流の発生源ともいえる場所です。

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※写真)5000年前の溶岩

④ 平成の大噴火、その痕跡も…
山を登りながら、ふっと目をやると30㌢はある岩がごろごろと。これも22年前の噴火で飛び散った溶岩、火山弾というそうです。表面に亀裂があるものは、高温の溶岩が飛び出し、急速に冷え固まった証しなんです。

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※写真)火山弾

⑤ いよいよ溶岩ドームへ
といいたいところですが、解禁されるのは、ドームのこの下の部分まで。頂上に登るには、まだ崩落の危険があり、この辺りから見学することになるそうです。それでも十分な迫力。2~3㍍はある溶岩が、200㍍近くうずたかく積み重なっている様子は、圧巻です。

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※写真)溶岩ドーム

ただし、道はかなり険しいので体力勝負です。
皆さん、万全の体制で、臨んで下さい。

 

投稿時間:10:10 | カテゴリ: | 固定リンク


2011年09月13日 (火)

炎の国の風景

「桜島」の回を担当した阿久根です。
鹿児島は「炎の国」。霧島や開聞岳、硫黄島などなど、県内各地に多数の活火山を抱えています。そしてそんな火山の大地で最も象徴的な存在が「桜島」です。桜島を見上げる大地で生きてきた人々は、情熱的でまっすぐ、そしてタフ。南国の雄大な風景は今も日々新たなエネルギーを与えてくれています。

というわけで今回は、鹿児島人が愛してやまない「桜島の風景」を三つ、紹介したいと思います。

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写真①
まずは、鹿児島市ほぼ中央に位置する代表的観光スポット、城山展望台からの眺め。これはもっとも有名な桜島の風景です。そして城山といえば西郷隆盛。西南戦争で敗れた西郷さんは、この城山で波瀾万丈の生涯を終えました。鹿児島の人々がここからの風景をながめるとき、桜島は西郷さんそのもの。はるか幕末明治に思いをはせながら眺めるここからの風景は、格別です。

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写真②
続いては、鹿児島市のはずれにある磯海水浴場からの眺め。磯海水浴場は鹿児島市内でもっとも賑わう浜辺です。桜島を目の前に、澄んだ海で泳ぐ気分は壮快。そしてここは番組でもご紹介した「鹿児島湾の横断遠泳」で、桜島から4キロの海を渡ってきた子供たちが最後に上陸する場所でもあります。切磋琢磨した少年少女時代の原風景。多くの人々に思い新たな再出発の気概を抱かせてくれる風景です。

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写真③
最後にご紹介するのは、麓から眺めた桜島。遠くから眺めるだけが桜島ではありません。火山の大地の鼓動を感じようと思ったら、やはり島に上陸して桜島を眺めるのが一番です。桜島の昨年の年間爆発回数は、ほとんど1000回に迫ろうかという勢いの桜島。比較的火口に近い場所ではゴオオ、という地鳴りの音も聞くこともできます。島では、いざというときの噴石などを避けるための「退避壕」や、過去の大噴火によって今も埋もれたままの「埋没鳥居」などもあり、活動続ける火山の営みを実感することができます。

それでは、機会がありましたら是非一度、炎の国へ。
雄大な火山の眺めが、元気をくれること間違いなしです。


 

投稿時間:10:00 | カテゴリ:ディレクターおすすめスポット | 固定リンク


2011年09月06日 (火)

奥深きかな、遠野

遠野を担当した澄川です。遠野の隣村に住んで十年以上になり、よく出かける場所なので遠野のことはほとんどわかったつもりになっていました。しかし、取材を始めると知らないことばかりです。たとえば、遠野ではお盆に先祖の霊魂を迎えるために「トオロギ(灯籠木)」という紅白の旗を家の前にあげます。注意して見ると実にたくさんあげられているのですが、ずっと見過ごしていました。番組では「遠野物語」で紹介された世界に一歩も二歩も踏み込んでいるので、観光などの短期滞在では触れあえない部分も多いかとは思いますが、それでも少し落ち着いて眺めてみると様々な発見があるのが“遠野”です。
 

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(写真:トオロギ)

さて、今回は馬のことについて書いてみます。遠野は古代から南部馬の産地で、特に騎馬での戦いが本格化する鎌倉時代以降は周囲の山に放牧場が作られ、たくさんの馬を送り出してきました。南部馬の特徴は足腰の強いことです。日本の在来種なので背丈は人間の大人ほどしかありませんが、今の馬のように足の着地面がひづめだけでなく踵(かかと)までと面積が広かったので踏ん張りがきき、とても馬力が出たそうです。軍馬としてばかりでなく、農耕馬、山での仕事馬として重宝されてきました。明治の開国以降、体格の良いサラブレッドなどとの交配が強制的に進められ、残念ながら明治時代の終わりには純血種が絶えてしまいました。しかし、馬を使う暮らし自体にかわりはなく、遠野では農林業の機械化が進んだ現在も田畑や山で馬を使う人がかろうじて残っています。そのひとりが番組で取材した見方芳勝さん(69歳)です。たばこや米作りのかたわら、馬とともに山に入り伐採した丸太を運び出すのが仕事です。
 

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(写真:見方さん)

見方さんの馬を最初に見た印象は「とにかくでかい」ということでした。愛馬はフランス産のペルシュロンという大型の白い馬で体重は1トン以上あります。南部馬が消え去った後、遠野だけでなく東北の農村には外国産の大きな馬が広がっていきました。見方さんはけっして大柄な人ではありませんが、山では自分の何倍もある大きな馬を自由にあやつって木を運びます。運び方は、まず丸太の先の方を鉄製のソリにのせます。続いて丸太に鎖のついたくさびを何本か打ち込み、馬につないで引っ張ります。見方さんは丸太の位置や運び出すコースなどを考えながら馬に細かな指示を出します。基本的な合図は「どう」が止まれ、「しー」が進め。面白いのは「後ろへ下がれ」という合図が「バイキ」ということです。これはどうも英語の「バック(BACK)」からきているそうで、なんと江戸時代から使われていました。さらに驚くのは馬が見方さんの言葉を理解することです。たとえば「足を鎖の間に入れろ」と言うと、馬はすぐに後ろ脚を鎖の間に入れます。「ゆっくり右にまわれ」と言うとその通りに動きます。こうして人馬一体となって、切株や石などの障害物を実に巧みにかわしながら丸太を運び出します。
 

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(写真:馬の山仕事)

 見方さんはこれまで40頭ほどの馬を飼ってきましたが、一度も名前をつけたことがないそうです。山で指示を出す時も名前は呼びません。理由を尋ねても答えてくれません。
見方さんの家では、馬とひとつ屋根の下で暮らしています。いわゆる「曲がり屋」です。馬小屋と人間の暮らす家をL字型にくっつけた造りになっています。座敷のガラス戸を開けるといつでも馬の様子を見ることができます。毎日見ているので体調の変化には敏感です。特に馬が餌を食べる時の様子や噛み音で、その日の体調がわかるそうです。丈夫な馬なら20歳頃まで働けるそうですが、動けなくなった馬は交換しなくてはなりません。仕事の糧ですから最後を看取ってやれることはほとんどないのです。1トンもある馬が寝込むと大変なので、弱ってきた馬は立てなくなる前に食肉業者にひきとってもらいます。見方さんが馬に名前をつけないのはこうした別れが待っているからではないでしょうか。

 そんな別れの時が取材中に訪れました。昨年8月の末、私が遠野のはずれを車で走らせていると道路の法面に見方さんがいるのです。車を止めてよく見ると、見方さんは鎌を片手にちょうど花盛りの萩を刈っていました。声をかけると大きな萩の束を抱えて下りてきてくれました。いつものように何気なく話し始めたのですが、あの白い馬が立てなくなったというのです。実はその前の年に急な崖から70メートルも落ちたことがあり、その時に腰を痛めたそうです。だましだまし働かせてきたのですが、とうとう別れの時がきたとのことでした。業者が引き取りに来る日も決まっていました。ところで、なぜ萩を刈っているのかとたずねると、萩が馬の大好物だと言うのです。それを聞いて何とも言えない気持ちになりました。ふだん、馬に対する愛情のようなことはおくびにも出さない見方さんです。しかし、その行動をつぶさに見ていると馬を大事にしていることがよくわかります。山仕事では馬の様子を見ながら細かく休憩を入れます「機械でないから。生き物だから。アクセル踏め踏めという訳にはいかない」。山から帰ると毎回きれいに洗ってやります。暑い日には近くの川へ水浴びに連れて行くこともあります。餌も「馬だっていろいろなものが喰いたいんだ」と実に様々な種類の草を取ってきて与えます。
 「なに、わざわざ来たんでねえの。萩は今の時期に刈っておかねえと太くなってわがんんねえ(ダメになる)からよ。毎年のことなのさ」見方さんはそう言ってまた日差しの照りつける斜面に登っていきました。数日後、白い馬はさからうこともなく、まるでいつもの山仕事に出かけるように業者のトラックに乗っていきました。見方さんといっしょに4年半、山で苦楽をともにした馬でした。
 

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(写真:白馬)

 見方さんが引退すれば無くなると思われていた馬の山仕事ですが、昨年から岩手県が主体となって後継者の育成を始めています。見方さんも実技の先生のひとりです。この秋に、一般向けの講習会が盛岡周辺と遠野市であります。
 9月16日(金)が滝沢村の岩手大学演習林、10月25日(火)26日(水)が遠野市総合森林センターです。参加費は無料で申し込みは9月13日までです。
詳細は岩手県のホームページをご覧下さい。
「岩手県 平成23年度遠野馬搬振興会伝承研修会(参加者募集)」
http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=34138   です。

 それでは機会がありましたら是非、遠野や岩手にいらして下さい。
 人間だけでなく、山の神やオシラサマ、河童、ザシキワラシ・・・・・たくさんの不思議なものたちが迎えてくれると思います。

投稿時間:10:20 | カテゴリ:ディレクターおすすめスポット | 固定リンク


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