釜ヶ崎の"ルール"。
「釜ヶ崎」担当スタッフのひとり、ダイメディアの眞舘です。
番組をご覧いただき、ありがとうございました。
そして、取材に応じてくださった方々、また、応じていただけなかった方々からも、釜ヶ崎を知るヒントを与えていただきました。
皆さまのご協力、心より感謝申し上げます。

釜ヶ崎には、様々な事情を抱えたおっちゃんだけでなく、女性や若者、子どもたちも暮らしています。中でも圧倒的に多いのが、日雇い労働者や、肉体労働ができなくなった、高齢のおっちゃんたち。過去のことをベラベラと話したくない、という方も多いです。
取材当初は、この通称「しょんべんガード」をくぐって、釜ヶ崎に入ると…
「カメラ持って何を撮る気や!」
「事情がみんなあるんやろが。考えろ!」
「見せもんちゃうぞ!」と、怒鳴られることしばしば。
いくら声をかけても、取材に協力してくれるおっちゃんが、一向に見つかりません。
撮影期間は過ぎていくばかり。このままでは番組が成り立たない。えらいことや、なんとかしなければ…。悲壮感漂うなか、泊まり込んでいたドヤを出た先にいたのは、取材当初に怒鳴ってきたおっちゃん。
「お前誰か知らんけどな、まあがんばりや」と、50円自動販売機のあたたかい缶コーヒーを、おごってくれました。さらに、取材協力者探しにつきあってくれ、他のおっちゃんから話を伺えることに。
“男くさい”思いやり。気にかけてくれてありがとう。
1日2日の物見遊山では、そんなシチュエーションは、ないかもしれません。そこで今回は、取材スタッフが、釜ヶ崎的と感じたスポットをご紹介させていただきます。
釜ヶ崎のど真ん中。萩之茶屋本通商店街にあるこちらの喫茶店。
営業開始は朝の4時。日雇い労働者の多くは、あいりん総合センターが開く、朝5時までに仕事の準備を整えるため、超早朝に店を開くようになったのだとか。
こちらの釜ヶ崎的思いやりは、濃いコーヒー。目覚ましに、もってこい!
寝ぼけたままでは仕事はできぬ。現場でケガをしないように。
ちなみに、こちらの喫茶店。質屋を併設しています。
仕事現場に向かう交通費を捻出するために、質入れする日雇い労働者が昔は多くいたそう。
銀行の通帳を持たない人にとっては、唯一の金融機関。日銭で暮らす人たちに、欠かせない存在だったといいます。
気さくなご主人が、釜ヶ崎のことを詳しく話してくれるかもしれませんよ。
続いては、釜ヶ崎的腹ごしらえ。
こちらの食堂もオープンが早い。朝5時から、定食や鍋、50種類を超える一品ものをいただけます。仕事に向かうだけでなく、夜勤上がりのおっちゃんも多いため、朝早くからでも、たくさんのメニューを用意しているんです。
定番は、肉体労働者のパワーめし、豚汁定食450円。うまい、安い、ボリューム満点です。

びっくりするほど熱い豚汁。冷えた体に効きます。
単身者が多い釜ヶ崎で、家庭を感じるごはん。おっちゃん御用達の食堂です。
最後は、ドヤ。
釜ヶ崎の北の端に、戦前から営業を続けるドヤがあります。大半のドヤがビル化したなか、こちらは木造2階建て。

1泊1500円の部屋は3畳。
綿壁で小さな床の間もあります。
出稼ぎに来た人や、様々な事情で、ふるさとを捨てた人たちが、少しでも実家を感じてもらえるように、との思いから作られました。各部屋でしつらいが違うので、ふるさとの家に、より近い雰囲気の部屋を探すおっちゃんもいるそうです。
事情はいろいろあるやろけど、詮索しすぎず、相手を察して思いやる。
それが、釜ヶ崎の“ルール”。
肌で感じてみてください。
改めて、釜ヶ崎に関わるみなさま。ご協力ありがとうございました。
投稿時間:10:59 | カテゴリ:ディレクターおすすめスポット | 固定リンク
神秘の海 不知火海。
「不知火海」を担当しました熊本放送局の畠山です。取材でお世話になったみなさま、本当にありがとうございました!また、番組を見ていただいた方々にもお礼申し上げます。
ここでは番組ではご紹介仕切れなかったことや、不知火海の旅のオススメをご紹介します。
番組制作の過程で一番はじめの疑問は、「不知火海って、何で“不知火”って名前なんだろう?」でした。
不知火は旧暦の8月1日に現れる“妖火”です。
宇城市不知火町永尾にある永尾神社では、毎年、人々が不知火観測にやっていきます。
不知火は蜃気楼の一種なので、昼夜の寒暖差、風が吹かないなど、様々な気象条件がそろわないと見られません。江戸時代の書物『不知火考』には不知火見物をする人々の様子が描かれています。
撮影に入った去年9月10日は、雨がぱらつく生憎の天気でしたが、熊本県内外から不知火観測に訪れる方々が。
みなさんと「あれが不知火じゃないか?」と双眼鏡とカメラを使い、手分けして探していると、あっという間に仲良くなりました。きっと江戸時代の人もこんなふうに探したのでしょう。この日は、条件が悪く、「これが不知火だ!」というものは残念ながら見られませんでしたが、良い出会いがありました。
ちなみに、永尾神社の鳥居は海にあるのですが、冬至の時期には、その鳥居に夕日が沈みます。昔の人はそれを考えて建てたか、偶然か、定かではないですが、これもまた神秘的でした。
【水俣の海の中】
番組でもご紹介しましたが、今の水俣の海には命が溢れていました。タツノオトシゴの出産は本当に神秘的でした。
私も、水俣でのロケのために、自腹でダイビングのライセンスを取って、潜りに行ってみました。
潜ってすぐの感想は「生き物が多いなぁ。」というものでした。メバルの子どもやコウイカの卵も見つけました。今の水俣の海は、まさに“いのちのゆりかご”でした。
過去の過ちは絶対に忘れてはいけません。ただ、自然は少しずつその姿を取り戻そうとしていると感じました。水俣は本当にきれいな風景もいっぱいあります。今回取材させていただいた方は、水俣は「カラフルな町だ」とおっしゃっていました。
なかでも「オレンジ」、不知火海に沈む夕日が本当にきれいです。海は、中も外も楽しめます。是非訪ねてみてください。
投稿時間:11:00 | カテゴリ:ディレクターおすすめスポット | 固定リンク
新橋 ビルのディープな飲み屋めぐり。
「新橋 ビル物語」を担当しました、テムジンの原賀です。
取材でお世話になった新橋の皆さま、そして番組を見てくださった皆さま、ありがとうございました。
今回は「ビル物語」ということで、ビルで働く人や暮らす人、ビルにまつわる様々な方のお話を伺いました。外側から見たら単なるハコモノでしかないビルが、取材を重ねるうちにだんだんとカラフルに見えてきたのが印象的でした。
ここでは、今回取材したビルの中でも最も古い歴史を持つ「新橋駅前ビル」の、地下一階フロアを紹介させていただきます。ビルの中とはとても思えない超ディープな飲み屋街が広がっているんです。

昭和41年竣工の「新橋駅前ビル」。東京都の「市街地改造事業」第一号として建てられました。
ビルが建つ前その場所には雑多なバラック街が広がっていて、バーや小料理屋が乱立していたそうです。
今、駅前ビルの地下一階がまるで横丁のような雰囲気なのは、その名残。
地下一階だけで、飲み屋がなんと、50軒以上!!
駅前ビルには1号館と2号館があるのですが、今回は特に、狭い通りの両側に所狭しと飲み屋が連なる、2号館のお店をいくつかご紹介します。
飲み屋はどこも、個性的な店ばかり。例えば…。
こちらは、昼間から飲める立ち飲み屋。
仕事帰りや乗り換えついでにサクッと一杯ひっかけることのできる、サラリーマン御用達のお店です。

「チューハイ1杯240円、おつまみは200円から」と懐に優しいお値段設定。
飲むたびに一杯ずつの支払いなので、予算オーバーの心配もありません。
こちらは、3坪の店内が鉄道関連グッズで溢れかえる、鉄道マニアが集う店。
酒と鉄道をこよなく愛するオーナーが開いたそうです。
共通の趣味があるから、お客さん同士の会話も弾みます。
ママに頼めば、こんな格好で接客してくれますよ!
その他にも、美人ママがもてなしてくれるカラオケスナックや40年間サラリーマンを見続けてきた名物女将の小料理屋などなど、毎日通っても飽きることはありません。
ついつい立ち寄ってしまう、個性的で魅了的な新橋駅前ビルの飲み屋街。
みなさんも、今日の仕事終わりに一杯いかがですか?
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