2011年09月06日 (火)

奥深きかな、遠野

遠野を担当した澄川です。遠野の隣村に住んで十年以上になり、よく出かける場所なので遠野のことはほとんどわかったつもりになっていました。しかし、取材を始めると知らないことばかりです。たとえば、遠野ではお盆に先祖の霊魂を迎えるために「トオロギ(灯籠木)」という紅白の旗を家の前にあげます。注意して見ると実にたくさんあげられているのですが、ずっと見過ごしていました。番組では「遠野物語」で紹介された世界に一歩も二歩も踏み込んでいるので、観光などの短期滞在では触れあえない部分も多いかとは思いますが、それでも少し落ち着いて眺めてみると様々な発見があるのが“遠野”です。
 

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(写真:トオロギ)

さて、今回は馬のことについて書いてみます。遠野は古代から南部馬の産地で、特に騎馬での戦いが本格化する鎌倉時代以降は周囲の山に放牧場が作られ、たくさんの馬を送り出してきました。南部馬の特徴は足腰の強いことです。日本の在来種なので背丈は人間の大人ほどしかありませんが、今の馬のように足の着地面がひづめだけでなく踵(かかと)までと面積が広かったので踏ん張りがきき、とても馬力が出たそうです。軍馬としてばかりでなく、農耕馬、山での仕事馬として重宝されてきました。明治の開国以降、体格の良いサラブレッドなどとの交配が強制的に進められ、残念ながら明治時代の終わりには純血種が絶えてしまいました。しかし、馬を使う暮らし自体にかわりはなく、遠野では農林業の機械化が進んだ現在も田畑や山で馬を使う人がかろうじて残っています。そのひとりが番組で取材した見方芳勝さん(69歳)です。たばこや米作りのかたわら、馬とともに山に入り伐採した丸太を運び出すのが仕事です。
 

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(写真:見方さん)

見方さんの馬を最初に見た印象は「とにかくでかい」ということでした。愛馬はフランス産のペルシュロンという大型の白い馬で体重は1トン以上あります。南部馬が消え去った後、遠野だけでなく東北の農村には外国産の大きな馬が広がっていきました。見方さんはけっして大柄な人ではありませんが、山では自分の何倍もある大きな馬を自由にあやつって木を運びます。運び方は、まず丸太の先の方を鉄製のソリにのせます。続いて丸太に鎖のついたくさびを何本か打ち込み、馬につないで引っ張ります。見方さんは丸太の位置や運び出すコースなどを考えながら馬に細かな指示を出します。基本的な合図は「どう」が止まれ、「しー」が進め。面白いのは「後ろへ下がれ」という合図が「バイキ」ということです。これはどうも英語の「バック(BACK)」からきているそうで、なんと江戸時代から使われていました。さらに驚くのは馬が見方さんの言葉を理解することです。たとえば「足を鎖の間に入れろ」と言うと、馬はすぐに後ろ脚を鎖の間に入れます。「ゆっくり右にまわれ」と言うとその通りに動きます。こうして人馬一体となって、切株や石などの障害物を実に巧みにかわしながら丸太を運び出します。
 

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(写真:馬の山仕事)

 見方さんはこれまで40頭ほどの馬を飼ってきましたが、一度も名前をつけたことがないそうです。山で指示を出す時も名前は呼びません。理由を尋ねても答えてくれません。
見方さんの家では、馬とひとつ屋根の下で暮らしています。いわゆる「曲がり屋」です。馬小屋と人間の暮らす家をL字型にくっつけた造りになっています。座敷のガラス戸を開けるといつでも馬の様子を見ることができます。毎日見ているので体調の変化には敏感です。特に馬が餌を食べる時の様子や噛み音で、その日の体調がわかるそうです。丈夫な馬なら20歳頃まで働けるそうですが、動けなくなった馬は交換しなくてはなりません。仕事の糧ですから最後を看取ってやれることはほとんどないのです。1トンもある馬が寝込むと大変なので、弱ってきた馬は立てなくなる前に食肉業者にひきとってもらいます。見方さんが馬に名前をつけないのはこうした別れが待っているからではないでしょうか。

 そんな別れの時が取材中に訪れました。昨年8月の末、私が遠野のはずれを車で走らせていると道路の法面に見方さんがいるのです。車を止めてよく見ると、見方さんは鎌を片手にちょうど花盛りの萩を刈っていました。声をかけると大きな萩の束を抱えて下りてきてくれました。いつものように何気なく話し始めたのですが、あの白い馬が立てなくなったというのです。実はその前の年に急な崖から70メートルも落ちたことがあり、その時に腰を痛めたそうです。だましだまし働かせてきたのですが、とうとう別れの時がきたとのことでした。業者が引き取りに来る日も決まっていました。ところで、なぜ萩を刈っているのかとたずねると、萩が馬の大好物だと言うのです。それを聞いて何とも言えない気持ちになりました。ふだん、馬に対する愛情のようなことはおくびにも出さない見方さんです。しかし、その行動をつぶさに見ていると馬を大事にしていることがよくわかります。山仕事では馬の様子を見ながら細かく休憩を入れます「機械でないから。生き物だから。アクセル踏め踏めという訳にはいかない」。山から帰ると毎回きれいに洗ってやります。暑い日には近くの川へ水浴びに連れて行くこともあります。餌も「馬だっていろいろなものが喰いたいんだ」と実に様々な種類の草を取ってきて与えます。
 「なに、わざわざ来たんでねえの。萩は今の時期に刈っておかねえと太くなってわがんんねえ(ダメになる)からよ。毎年のことなのさ」見方さんはそう言ってまた日差しの照りつける斜面に登っていきました。数日後、白い馬はさからうこともなく、まるでいつもの山仕事に出かけるように業者のトラックに乗っていきました。見方さんといっしょに4年半、山で苦楽をともにした馬でした。
 

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(写真:白馬)

 見方さんが引退すれば無くなると思われていた馬の山仕事ですが、昨年から岩手県が主体となって後継者の育成を始めています。見方さんも実技の先生のひとりです。この秋に、一般向けの講習会が盛岡周辺と遠野市であります。
 9月16日(金)が滝沢村の岩手大学演習林、10月25日(火)26日(水)が遠野市総合森林センターです。参加費は無料で申し込みは9月13日までです。
詳細は岩手県のホームページをご覧下さい。
「岩手県 平成23年度遠野馬搬振興会伝承研修会(参加者募集)」
http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=34138   です。

 それでは機会がありましたら是非、遠野や岩手にいらして下さい。
 人間だけでなく、山の神やオシラサマ、河童、ザシキワラシ・・・・・たくさんの不思議なものたちが迎えてくれると思います。

投稿時間:10:20


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