冬への心構え
新日本風土記事務局スタッフです。
めっきり寒くなってきましたね。秋深まり・・・というより、冬の訪れという感じです。まもなく12月だというのに、実はまだ衣替えをしていません! 洋服ダンスを見ると、半袖シャツが一番手の届きやすいところにあります。押し入れからその日必要な分だけ、長袖をひっぱりだす始末。いいのか、これで・・・。
そんな私に響いたのが、12月7日放送の「新日本風土記 東北の冬」です。厳しい寒さと雪に覆われる東北では、冬への備えがとても自然かつ万全です。そうしなければ生きていけない厳しさがあるからでしょうが、文句を言うでもなく、それを受け入れ、乗り越える知恵をお持ちです。そうして我が身を振り返ると、己の心構えのなさに反省しきり。せめて衣替えくらいはしようと、固く誓いました。(まだしていません。これからですが・・。)
というわけで、「新日本風土記 東北の冬」をどうぞ、お楽しみに!
今週は「新日本風土記 奈良」。師走を迎える心の準備ができること請け合いです。
ああ、またしてもあっという間に1年が過ぎていく・・・。
投稿時間:11:12 | カテゴリ:事務局便り | 固定リンク
坂の街 函館
「函館」を担当した久保田です。取材の愚痴のような(?)歴史のロマン(?)のような話を一つさせていただきます。今回の番組を作る際、一番辛かったもの・・・それは函館の“坂道”です。
実は函館には、無数の坂道があります。

レンタル自転車を借りて、取材先のお宅へ伺おうとすると、数百メートル近い“ながーい坂道”・・・。夏の猛暑の中、自転車の一漕ぎ一漕ぎは異様に重く、坂を登りきった時には、もう汗だくです。そこで出して頂いたよく冷えた麦茶には、本当に身も心も救われました。

しかし、坂道はこの街ならではのオススメスポットを生んでいます。坂の上から見える函館の街。両側に開けた街と、坂の先に広がる港。“街”と“港”を同時に眺められる絶好のビューポイントは、坂が作り出した賜物です。
実は、こんな素晴らしい景色が生まれたのには、開港の歴史が関係しています。函館山が自然の防波堤の役割を果たし、港は“綱知らず”とも言われた天然の良港。ロシア、アメリカ、フランス、イギリス・・・。開港以降、数多くの外国船が押し寄せました。当時、船の動向は国家の動向。今も旧・ロシア領事館は坂の頂上付近に残されているように、“船の動きを見渡せる”高台=坂の上が一等地となり、港を望む“坂”に街が発展していったのです。

函館山が港を生み、港が船を呼び、船が街を形作る。地形と歴史が、函館独特の景色を作り上げました。
ちょっぴり苦しいけれど・・・函館をこれから訪れる方には坂を頑張って登っていただき、そこから見える景色に、かつて港に溢れていた船と人々に思いを巡らせて頂きたいと思います。
投稿時間:11:06 | カテゴリ:ディレクターおすすめスポット | 固定リンク
天城山
「天城越え」を担当した堀村です。
峠越えと人生を重ね合わせた人々の物語、いかがでしたか?
様々な物語、そして数々の名作を生み出してきた、天城山隧道。なぜ、これほどまでに人々の転機の舞台となってきたのでしょうか?
実は、天城山隧道は時間、天気、季節、そして見る人の心境によって本当に様々な表情を見せてくれるんです。



写真は全て北側の出入り口を同じ場所から撮影したもの。わずかな違いで、全く印象が変わりますよね?
さらに、1枚目の写真のように隧道に直接日の光があたるのは、夏場の夕方前だけ。それに対し、南側は常に日光がふりそそぎます。地元の人の話では、トンネルをはさんで気温が2~3℃も違うとか。こうした天城山隧道と自然が織りなす絶妙な世界が、人々の心に”何か”を与え続けてきたのかもしれません。
話は変わりますが、番組の冒頭と最後に使用した、天城山と富士山の映像。

実は、天城山のハイキングコースから撮ったもの。麓に車を止め、徒歩で1時間と少し。万次郎岳の山頂近くの岩場から見ることができます。空気が澄んでいれば駿河湾もきれいに見えますので、午前中がオススメです。さらに、もう少し頑張って暗いうちに登り始め、岩場の先から反対側を臨むと、天城山と日の出を見ることができるんです。


これぞまさに「山が燃える~♪」。
日が昇れば、伊豆七島、相模湾、房総半島まで見渡すことが出来ます。
11月から12月にかけては、ちょうど紅葉のシーズン。紅葉狩りもかねて、伊豆半島最高峰からの絶景を味わいに出かけてみてはいかがでしょうか?
投稿時間:11:19 | カテゴリ:ディレクターおすすめスポット | 固定リンク
だし入門の旅
「日本列島 だしの旅」の制作スタッフ、松井です。
離乳食から先祖との共食まで、「だし」を巡る味覚の旅、楽しんでいただけましたでしょうか。
放送のちょうど一年前になります。「だし」についてリサーチをはじめたのはいいものの、味噌汁すらろくにつくらない自分には、「だし」ってなんだ?と首を傾げるだけで精一杯。とっかかりを得たいと築地市場に飛び込みました。

〝だしについて聞かせてください〟という僕のぶしつけな質問に〝だしは深いよ!〟と、快活に答えてくれたのが、築地場外の老舗かつお節問屋(太郎くんのだしに登場)の女将さんでした。女将さんは木片のような本枯節を削りながら言いました。 「すごいと思いません?日本人は何故こんなものを発明したのかしらね。」 僕は削り節を食べながら女将さんの「だし」講義を受け、頭だけでなく舌や鼻で「だし」の世界に入門しました。
ざっくばらんとした築地市場だからこそ、時代の本音も聞こえます。“ちゃんとしたものを子供に食べさせたい”若いお母さんたちが、ここ最近女将さんに相談しにくることも知りました。この時、本物の素材を使った「だし」が求められている、「だし」にしか応えられない“なにか”がある、という状況が見えたのは大きな収穫でした。これから「だし」のある生活をはじめてみようと思う方は、手始めに築地に行ってみるといいかもしれません。さまざまな種類の煮干しを扱う乾物屋さん、北海道中の昆布を並べる昆布商、話しかければ「だし」についてどっぷり語ってくれることでしょう。店先でつまみながら、舌や鼻から「だし」に入門することをおすすめします。

その後、「だし」を訪ねて日本各地に出向きましたが、もっとも濃厚に異郷を感じた知床番屋を紹介します。
羅臼町から車で40分。道がなくなる相泊から玉砂利の浜を歩くと番屋群が続きます。はじめて三浦さんのお宅に伺ったのは、薄暗い夜7時半ごろ。昆布漁師にとっては深夜であり、クマ達にとっては浜に出る時間帯であることも知らずに戸を叩いた僕を見て、呆れながらも笑って迎えてくださったのが、ご主人の利勝さんでした。夜はクマが歩き、朝はシカが歩き、昼は人間が昆布を抱えて歩く浜。そんな番屋で過ごす一夏は、三浦家の子供たちにとっても特別な時間。

昆布を前にすれば子供たちの顔つきは労働者そのものですが、仕事が終われば本来のあどけない顔に戻ります。礼子ばあちゃんのつくった朝食を腹いっぱい食べて駆け上がる屋根裏部屋。そこは、子供達だけの空間になっていました。いつでも休憩できるように敷きっぱなしの布団、散らばるマンガ、一着だけ大切そうに吊り下げてある学生服。

寝転がりながらじゃれあうのに最適の場所。番屋に流れる時間を子供たちは充分に楽しんでいるようでした。
食べること、働くこと、眠ること、家族といること・・・番屋でのシンプルな生活の中で、子供たちが幸福の原型のようなものをつくっているのを感じました。

滞在中、アイヌ神話のような光景に出会いました。浜に打揚げられたクジラを、クマが食べにきていたのです。羅臼の人たちも普段から警戒して過ごしてはいますが、町中で噂をしている様子を見ると、クマへの愛着も感じました。クマやシカが隣人のように顔を出して、“やあ”と挨拶する世界が、近くにある気がしました。夏の羅臼を訪れた際には、みなさまもぜひ番屋の並ぶ浜を歩いてみてください(明るいうちに)。
今回、番組で紹介できたのはわずかですが、日本各地のいろんな「だし」を見つけて、味わっていただければ嬉しいです。
投稿時間:11:18 | カテゴリ:ディレクターおすすめスポット | 固定リンク