2021年12月

【みえDE川柳】 お題:湯気

天 有り難く湯気をいただく二番風呂/田舎のマダムさん

橋倉久美子先生 まだ浴室が十分暖まっていない一番風呂と違い、二番風呂はほどよく湯気が立ち込め、いかにもお風呂らしい状態で入ることができる。それを「湯気をいただく」と表現したところに心惹かれた。しかも「有り難く」と重ねることで、感謝の気持ちが強く伝わり、作者の謙虚な性格までが窺える(うかがえる)ようである。
 この句は特別なことを言っているわけではないが、何だかほっとするとともに、しみじみと共感させられる。日常生活の中に句の素材はたくさんあるのだと、改めて教えられた。

 

地 蓋を取る一瞬湯気の晴れ舞台/福村まことさん

橋倉久美子先生 家族で囲んだ大きな土鍋。ぐつぐつと音をたて、いい匂いも漂ってきた。今日のお鍋の中身は何かなとみんなが注目する中、ぱっと蓋を取る瞬間が、映像として浮かぶような句である。
 鍋を詠んだ句はたくさんあったし、茶碗蒸しの蓋を開ける句もあったが、「蓋を取る一瞬」を切り取ったこと、また、「晴れ舞台」という比喩を使って、題の「湯気」に焦点を当て主役に仕立てたことで、この句が一歩抜きんでていると感じた。

 

人 コーヒーの湯気がなくなり終わる恋/久実さん

橋倉久美子先生 文字通り読めば、「コーヒーの湯気がなくなる」ことと「恋が終わる」ことには何の因果関係もない。しかし、「あ、確かにコーヒーの湯気がなくなるぐらいなら、恋が終わっても仕方ないよね」と、何となく納得させられてしまう。
 「コーヒー」の持つイメージ(苦み、大人の飲み物、喫茶店など)と、「湯気がなくなる」イメージ(熱かったものが冷める、値打ちがなくなるなど)をうまく使った、テクニックが心憎い。

 

<入選>

すぐ湯気は消えてしまった流行語/デリバリーさん

いたずらな湯気が目隠しする眼鏡/火の鳥さん

蒸籠の湯気まで売れたまんじゅう屋/谷てる子さん

便箋の湯気で恋文だとわかる/汐海 岬さん

湯気上げる力士に貰う力水/スイッチさん

まだ早い湯気の奥から鍋奉行/ウクレレみっちゃんさん

左脳から湯気が出てきた物理学/せいじさん

この湯気を土産にしたい美人の湯/おくだよしさん

撮り鉄へ汽車の多めに出す蒸気/ほのぼのさん

風邪引かぬように湯気ごとパジャマ着せ/伊東真さん

 

橋倉久美子先生 橋倉久美子先生

 396句のご投句をいただきました。ありがとうございます。
 「湯気」という題は、案外発想が広がりにくかったかもしれませんが、穏やかで優しい雰囲気や生活感のある句が多く、楽しく選をしました。
 内容は、大きく分けて①風呂や温泉に関わる句、②鍋料理など食べ物・飲み物に関わる句、③その他でした。①や②の句は、共感できる句がたくさんありましたが、これまでにも多く詠まれていて、目新しさは出しにくかったかと思います。その中で、表現に工夫があるものや、日常生活の一コマをうまく切り取ったものを入選としました。③の中では、朝稽古やスポーツの句、叱る姿や喧嘩の句、生まれたて、でき立ての句が比較的たくさんありました。意外性があり、しかも納得させられるものを入選としました。

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:18:50 | 過去の入選作 |   | 固定リンク


"戦病死" 父親の形見は未完の戦記

shinjumie22.jpg

 

「やっぱり宝かな、世界でひとつしかない、私たちに残してくれた父の生きた証かなと思って」

三重県御浜町に住む、79歳の女性の言葉です。

女性は、終戦1か月後に戦病死した父親が書き残そうとした戦記を大切に保管してきました。真珠湾攻撃にどのような思いで臨んだかなど、詳しく書き残された戦争の記録。保管してきた遺族の思いを、開戦80年の節目に聞きました。

(津放送局 伊藤憲哉)

 

 

古びた日記帳に太平洋戦争の記録

 shinjumie01.jpg

 

ことし11月。太平洋戦争開戦80年を前に、1冊の日記帳と出会いました。
小豆色の表紙には、紀元二千六百三年の文字が印刷されています。
いわゆる皇紀で、西暦に直すと、1943年の日記帳とわかります。つまり開戦2年後の日記帳です。
ところが中に書かれていたのは日記ではなく、太平洋戦争の記録でした。序文には次のように書かれています。

 

 shinjumie16.jpg

 

「本書に寄せ読者各位をして当時の陸海空戦を瞼の中に追憶想記せしめられん事を望んで止まず」

「拙筆を顧みず公開す」

 

 shinjumie17.jpg

 

日記帳を保管してきたのは、三重県御浜町に住む阪本浩子さん(取材当時79歳)。終戦後に亡くした父親の形見として、この日記帳を母親から受け継ぎ、大切に保管してきました。父親が亡くなった時、阪本さんは3歳。父親の記憶はありません。阪本さんにとって、日記帳がどういう存在なのか尋ねると「唯一、父親のぬくもりを感じるものだ」としたうえで、次のように話してくれました。

 

「やっぱり宝かな、何もないです、これだけしか残っていないですけど。たった1冊の、世界でひとつしかない、私たちに残してくれた父の生きた証かなと思って」

(阪本さん)

 

 

真珠湾攻撃に参加していた父親

 shinjumie15.jpg

 

阪本さんの父親、堀 壽さんは太平洋戦争で、海軍の飛行機を整備する兵士として、航空母艦に乗り組んでいました。80年前、1941年12月8日の真珠湾攻撃の時に乗艦していたのは機動部隊の旗艦、赤城。攻撃前の11月22日、艦長から真珠湾攻撃について聞かされた時の反応を、次のように書き残していました。

 

 shinjumie07.jpg

 

「一同が愕然とした。愕然としたことよりもより一層気高い興奮が身一杯に脈打った。“之は素晴らしい。やるぞ!”静まりかえってじっと艦長の口許目許に見入ってゐる乗員の中からはしはぶき一つだに聞き取れなかった」
(堀さんの戦記の記述)

 

 shinjumie06.jpg

 

司令が乗る旗艦・赤城に乗り組んでいたことも関係があるのか、目に付いたのは真珠湾攻撃の記録の詳しさです。日本軍の艦船の陣形や、攻撃をしたハワイ・オアフ島の地図。攻撃を行った飛行機が、真珠湾にどの方角から侵入したかまで、細かく書かれていました。

 

 shinjumie02.jpg

 

また、日本がアメリカ側に与えた損害は、大本営がラジオを通じ発表したものと、アメリカのラジオ放送を聞いて書いたとみられる内容が、記されていました。

 

 shinjumie11.jpg

 

ていねいに書かれた文字からは、戦いの合間を縫って残していた記録を、のちにこの日記帳に清書したこともうかがえます。この戦記は、真珠湾攻撃にとどまらず、その後のインド洋での戦いなどについても書かれていました。

 

 

書いてはいけなかったことまで

shinjumie12.jpg

 

三重県熊野市の作家、中田重顕さんは、地元東紀州地域出身の人々が残してきた戦争の記録を40年近く取材してきました。著書の中で、堀さんの戦記について執筆したこともあります。

 

中田さんは、堀さんの戦記の中に、インド洋での戦いで、航空母艦から飛行機で出撃した自分の直属の上官が帰還しなかったことまで書かれていることに着目しました。一兵卒が、戦争を記録し公表することなどあり得なかったであろう時代に、戦争のありさまをそのまま書き残そうとしている点が、貴重だと話します。

 

 shinjumie13.jpg

 

「軍紀にふれることがいっぱいあるんで、戦争中であれば間違いなく彼は逮捕されますよ。当時の軍人たちはそういうこと書いたらあかんのさ。不利になることも書いてあるということが非常に貴重だし面白い」

(中田さん)

 

 

未完のままの戦記


ところが堀さんの戦記は、トラック島が空襲を受ける直前、1942年9月8日の出来事を書いたところで終わっています。堀さんは終戦から1か月近く過ぎた1945年の9月11日、高熱を出し31歳で亡くなりました。最後の階級は海軍少尉。のちに、戦病死と認定されました。戦記は未完のまま残されました。当時、堀さんは航空母艦には乗っておらず、神奈川県の厚木航空隊で機密資料の焼却処分を行っていたといいます。

 

 shinjumie21.jpg

 

戦争を詳しく記録し、そのありさまを後世に伝えようとしていた人が、どういう思いで戦争の資料を焼く仕事に関わっていたのか、思わず考えさせられました。そして終戦まで生き延びたにもかかわらず、幼い娘を残したまま、命を落とすことになった父親の無念さが、私の胸を突きました。

 

 

戦争の記録が形見にならない、平和な世の中を


きちょうめんな文字で書かれた未完の戦記。父親の記憶のない阪本さんは、この戦記から父親の人柄や体温をかすかに、感じ取ることしかできません。

 

shinjumie18.jpg 

 

「私は本当の父親を知らない。ただいまおかえりとごくごく普通の平凡な父親の生活を見たかったし、本当にあったかみのある、ぬくみのある生活を少しでも覚えておきたかった。そういうことを覚える年まで父親にはいてほしかったというのは年を重ねるほど思います」「今の平和はありがたいし戦争は絶対だめやと思う。子どもや孫やひ孫には、全世界で戦争のない、2度と父親を失って泣くような人のいない世の中になってほしいです」

(阪本さん)

 

今回の取材で、戦争で肉親を亡くした人が大切にしている形見が、戦争の記録であることをとても悲しく、残念なことだと思いました。身近な人を、平穏な日常を奪う戦争の罪深さを改めて思い知らされたと、感じています。戦争を知らない私たちの世代が、こうした記憶をしっかり、語り継いで行く必要があると考えています。

 

itoukenya.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像

 

 伊藤憲哉 2019年入局

 中学時代 サッカー ジュニアユースで全国大会出場

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:15:00 | WEB特集 |   | 固定リンク


【旬食!みえ】 じねんじょの茶巾蒸し 和風あんかけ

料理監修:三重調理専門学校

じねんじょの茶巾蒸し 和風あんかけ

 

《「じねんじょの茶巾蒸し 和風あんかけ」作り方》

《材 料(4人分)》
<じねんじょの茶巾蒸し>
 じねんじょ     200g
 卵         1個
 塩         少々

<和風あん>
 水         400ml
 和風顆粒だし    小さじ1
 かに缶(ほぐし身) 1缶(55g)
 酒         大さじ1
 うす口しょうゆ   小さじ1
 みりん       大さじ1

<水溶きかたくり粉> 
 かたくり粉     大さじ2
 水         大さじ2

 

〈作り方〉
① じねんじょは皮をむいて酢水につけた後、すりおろす。
② 卵と塩を加えて、切るように混ぜる。
③ 耐熱性の器にラップをかけ、上からじねんじょを流しこむ。
④ ラップで包み、口をよくねじって輪ゴムで留める。
⑤ 8分蒸して、状態を確認する。
  表面は蒸しパンのようなかたさ。中は竹串を刺して、じねんじょが少し付いてくる程度が
  目安。
⑥ 水を入れた鍋に和風顆粒だし、かにのほぐし身、酒、うす口しょうゆ、みりんを加え、加
  熱しながらかにの身をほぐす。
⑦ 沸騰してきたら一度火を止め、水溶きかたくり粉を回し入れる。
⑧ 全体になじんだら再び加熱して、とろみをつける。
⑨ じねんじょの茶巾蒸しに和風あんをかけ、みつばとゆずを飾ったら完成。

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:12:00 | 旬食みえ レシピ集 |   | 固定リンク


きっかけは1件のツイート 非常電話"8割故障"の衝撃 

hijodenwatop01.jpg

 

「名阪国道、非常電話で連絡しようとおもったけど、全部故障してる。一体どうなってんのよ」

 

先日、こんな内容のツイートがあるという連絡が、私のスマートフォンのメールに届きました。非常電話は、高速道路や自動車専用道路などで、いざという時に大切な存在。それがなぜ“全部”故障しているのか…。連絡をもとに取材を始めると、インフラをめぐる“変化の兆し”が見えてきました。

 

(津放送局 周防則志)

 

“SoLT”から届いたメール

 

 meihansolt01.jpg

 

東京・渋谷にあるNHK放送センター。記者やデスクが集まる、いわば取材の中枢部分に「SoLT」=「Social Listening Team」はあります。「SoLT」では、ツイッターなどソーシャルメディア上に投稿された事件や事故の一報のほか、ネットで話題になったり、“炎上”したりしている事案を1年365日チェック。必要な情報を全国各地のNHKの放送局にいる記者などに知らせています。

 

私の元にも、火事や交通事故などの情報が週に何度か届き、取材に当たっていますが、この日のメールで寄せられたツイートは特に目を引くものでした。

 

meihantweet.jpg

「名阪国道の、針から亀山方面に走ってたら、途中に金属の台みたいなの落ちてた。あぶないから、非常電話で連絡しようとおもったけど、全部故障してる。一体どうなってんのよ」

 

いいねは1件、リツイートは0件とほとんど拡散していない情報です。ただ、文面から見ても、ちょっとした故障ではなく、大変なことが起きているかもしれない。これはすぐに取材を始めないといけないと感じました。

 

すぐに、名阪国道を管理する国土交通省の北勢国道事務所に電話をかけたところ、落下物についてはすでに撤去済みだということ。さらに「非常電話が複数故障しているという話もあるが…」と聞くと、「確認して折り返す」と回答されました。

 

ここも、次も、その次も…みんな故障

  

ツイートをした、大阪市在住の『ぢぞう』さんにも話を聞きました。

 

この日、大阪から滋賀県の信楽に向かう途中で、バイクで名阪国道を走っていたという、ぢぞうさん。道路上に落下物を見つけたため、一番近くにある非常電話で通報しようとしたと言います。

 

hijodenwa08.jpg

 

しかし、たどりつくと「故障中」の貼り紙。それならしかたないと、次の非常電話に向かうと…なんとそちらも「故障中」。不審に思って、そこから先は非常電話に注意してバイクで走っていくと、確認できたすべての非常電話が使えなくなっていたと言うのです。

 

「最初に見たときは、機械の切り替えでもするのだろうかと思ったのですが、気になってツイートしました。ただ、その後調べてみても更新工事のお知らせなどが出ておらず不思議に思っていました。

 『今時、携帯電話があるよ』という考えもあるかもしれません。でも、非常電話を1度使ったことがあるのですが、つながると場所が相手に自動でわかる仕組みなので、知らない土地でも安心できます。公衆電話がなくなっていくような、時代の移り変わりとも言えますが、やはりないのは不安ですね…」(ぢぞうさん)

 

8割以上の非常電話が故障

 

hijodenwateikyo04.jpg

 

後日、問い合わせをした国道事務所から連絡が来ました。

 

「現在、名阪国道に設置されている非常電話136台のうち、116台が経年劣化などで故障しています」

 

計算してみると、8割以上が故障していることになります。これはただごとではない。さらに取材を進めることにしました。

 

大動脈「名阪国道」の歴史

 

hijodenwa06.jpg

 

「名阪国道」は、三重県の亀山インターチェンジと奈良県の天理インターチェンジの間を結ぶ無料の自動車専用道路です。

 

亀山インターチェンジでは、名古屋につながる高速道路の東名阪自動車道と、天理インターチェンジでは、大阪につながる高速道路の西名阪自動車道とそれぞれ接続しています。中部圏と関西圏を結ぶまさに“大動脈”です。

 

この名阪国道のうち、北勢国道事務所が管理する、亀山インターチェンジから奈良県の針インターチェンジまでのおよそ60キロの区間の上下線で、8割以上の非常電話が故障しているというのです。

 

hijodenwateikyo02.jpg

 

故障していない残りの2割弱、20台は、いずれも設置が義務となっているトンネル内。ぢぞうさんが見たように、実質、トンネル以外のすべてで使えない状態だったことになります。

 

名阪国道の成り立ちが影響か

 

hijodenwa04.jpg

 

国土交通省によると、有料の自動車専用道路の場合、非常電話の設置は義務ですが、無料の場合は一般国道に分類され、トンネルを除き設置は義務ではなく、必要に応じて設置するものだといいます。では無料で、そもそも義務ではない名阪国道になぜ非常電話があるのでしょうか。

 

交通政策に詳しい関西大学の安部誠治教授は、名阪国道の成り立ちが影響しているのではないかと話します。

 

hijodenwa03.jpg

 

「当初、国では名古屋と大阪の間すべてを有料の自動車専用道路で結ぶことを計画していたんです。しかし、奈良県と三重県からの要望を受けて、現在の名阪国道に当たる部分を無料の自動車専用道路として整備することになったんですね。
名阪国道は無料ではありますが、いずれも有料となっている現在の東名阪自動車道や西名阪自動車道と一緒に整備される中で、非常電話が設置されたのではないでしょうか」(安部教授)

 

つまり、名古屋から大阪を結ぶ道路のうち、東部分にあたる東名阪自動車道と、西部分に当たる西名阪自動車道は有料なので、非常電話が必要で設置。その2つの間の部分にあたる名阪国道も、その流れで非常電話が設置されたのではないかというのです。

 

非常電話 そして撤去へ…

 

とはいえ、設置したのに故障したままの状態になっていると危険です。

 

この点について安部教授は「携帯電話が普及するのに伴って、非常電話が使われなくなっていく。その中で、故障したとしても修理されずに、そのまま放置されたのではないでしょうか。利用者が使おうと思ったときに使えないのも、誤解を招く可能性もあります。早急に撤去すべきですね」と話します。

 

では、今後どうするのか。北勢国道事務所に聞くと…。

 

hijodenwa14.jpg

 

「古くて部品が製造されていない電話もあり、更新は難しいです。時期は決まっていませんが、トンネル以外の非常電話のすべてを撤去することを検討しています」(北勢国道事務所 草川保重 副所長)

 

という回答が。すでに非常電話からは電話線が抜かれているほか、「故障中」としている非常電話の中には、意図的に使えなくしているものもあり、撤去の準備が進んでいるといいます。

 

hijodenwa13.jpg

 

一方、安全面については、名阪国道には130台以上のカメラが設置され、道路の状況を24時間監視する態勢をとっているため、事故や落下物などがあってもすぐに対応できるとしています。

 

ほかの高速などはどうなの?

 

こうした事態、ほかの高速道路などでも起きているのでしょうか。

 

東名高速道路や伊勢湾岸自動車道などを管理するNEXCO中日本では、非常電話が故障した場合、道路管制センターに自動で連絡が行き、保守員が対応。また、名古屋支社管内だけでも、去年1年間でおよそ1万3000件の非常電話の利用があったといいます。そのため、今後も撤去予定はないとしています。

 

全国の状況を調べたわけではありませんが、誰もが携帯電話を持つようになったからと言って、すぐに非常電話がなくなるというわけではなさそうです。

 

安全かコストか…“変化の兆し”

 

 hijodenwateikyo03.jpg

 

使われなくなりつつあるものの、すべてを維持していくとなるとコストがかかる…。でも、完全になくしてしまうのは安全上どうなのだろうか…。

  

安全に勝るものはありませんが、どちらが正しいか、すぐに結論を出すのは難しい問題です。技術が発展し、社会のあり方が大きく変わる中で、これまでとは異なる形で安全を担保する、そういう変化が、今後各地で起きていくのかも知れません。そして、今回の名阪国道はその始まりだったのかもしれないとも思っています。

 

奇しくも、今回取材のきっかけとなったのは、1件のツイートと、それを伝えてくれた「SoLT」という新しい技術の存在でした。取材の端緒といえば、「人から直接聞いてくる」ことが当たり前だったころから考えると、大きな変化です。

 

インフラも、報道機関も常に変わり続けていることを実感した取材になりました。

 

 

 suou.jpgのサムネイル画像

 

周防則志 2020年入局

“地域の課題を解決する”報道を目指している

 

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:14:00 | WEB特集 |   | 固定リンク


【旬食!みえ】 さつまいもの焼きプリン

料理監修:三重調理専門学校

【旬食!みえ】さつまいもの焼きプリン

 

「さつまいもの焼きプリン」

【カラメルソース】エンゼル型(直径20cm)6~8人分
<材 料>
グラニュー糖  50g
水       大さじ2
湯       大さじ3

【プリン】エンゼル型(直径20cm)6~8人分
<材 料>
さつまいも   1本(300g)
牛乳         200ml
上白糖         70g
卵            4個

〈作り方〉
【カラメルソース】
①鍋にグラニュー糖と水(大さじ2杯)をいれて強火にかける。
②色が褐色になったぐらいで火を止める。
③固まらないように鍋にお湯(大さじ3杯)を入れる。
④カラメルソースを型にいれて冷ましておく。

〈作り方〉
【プリン】
①さつまいもを5センチほどの長さに切って皮をむき、さらに縦半分に切る。
②色が変わるのを防ぐために水につけておく。
③竹串がスッと刺さる柔らかさになるまで電子レンジで加熱する(目安は700Wで約10分)。
④温めたさつまいもを裏ごしする。
⑤卵をざるでこす。
⑥鍋に牛乳と上白糖をいれて弱火で加熱し、砂糖が溶けたところで火を止める。
⑦⑥をこした卵に加えてよく混ぜる。
⑧⑦をさつまいもとあわせてよく混ぜる。この時、さつまいものかたまりが残っている場合は、もう一度ざるでこす。
⑨カラメルソースの入った型に流しこむ。
⑩型を天板に乗せ、型が3分の1程度つかるまでお湯を注ぐ。
⑪オーブンに入れ、180℃でおよそ40分焼く。

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:12:00 | 旬食みえ レシピ集 |   | 固定リンク


  • 1

ページの一番上へ▲

カテゴリー

番組

RSS