2021年5月

シート越しの別れ 新型コロナで父を亡くした男は今...

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「父親の遺体は、感染防止のためにシートにくるまれていました。なぜ父親なのか…という気持ちでした。悲しいというか、悔しさが残るんです」

 

新型コロナウイルスで父親を亡くした男性のことばです。

 

男性は今、三重県中南部にある小さな町で、感染対策の最前線に立っています。

 

なぜ、父親は死ななければならなかったのか、そして今、自分にできることとは。

 

男性の“思い”を聞きました。

 

(津放送局 周防則志 記者)

 

まさか自分の家族が…

 

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「それまでは、はっきり言うと“人ごと”みたいなところもあったんですよ。感染者がまだあまり出ていない地域でしたし、まさか自分の周り、それも両親が感染するとは思っていなかったので」

 

服部吉人さんは、当時を思い返し、そのように語ります。

 

ことし1月、大紀町内に住む両親が、新型コロナウイルスに感染しました。

 

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3月の町長選挙に立候補していた服部さん。

 

選挙にどのような影響が出るか気になりましたが、両親の状態については、当初それほど心配していなかったと言います。

 

「感染がわかった時点では、症状がそれほどなかったんです。病院に行くときも『気をつけて行ってこいよ』と言ったくらいで。まぁ、2週間たったら退院できるのかなという感じでした」。

 

母親は次第に回復し、およそ2週間で退院できました。

 

しかし、91歳と高齢の父親は容体が悪化したこともあり、経過を見守るための入院が続きました。

 

母親の退院から3日後の朝。

 

「血圧が上がらない」と、病院から服部さんの姉に連絡がありました。

 

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姉の家族は、すぐに病院に向かったと言います。

 

「私が聞いたのは夕方になってからで。それから妻と駆けつけたんですけれども、そのときにはもう遅くて…」。

 

姉の家族は、防護服を着るなどの感染対策を取って、父親にどうにか会うことができましたが、服部さんは間に合いませんでした。

 

父親との“シート越し”の別れ

 

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その後、服部さんが見たのは、透明のシートに包まれた父親の姿でした。

 

「顔の所は見えたんです。病院でとても丁寧に対応してくれたんだなと思いました。でも、やはり透明のシートに包まれている父の姿を見ると、悲しいなという思いがこみ上げてきましたね」

 

それまでまっすぐ前を見て話していた服部さんですが、このとき初めて、目線を落としました。

 

本来なら、自宅できちんとお経を上げたり、告別式を行ったりするところですが、それもできず、父親は、そのまま火葬場に行くことになったといいます。

 

棺の中にものを入れることもできないまま、シート越しに親族だけで最後の別れを告げることになりました。

 

町内に広がった“うわさ話”

 

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父親を亡くした服部さんに追い打ちをかけたのが、“うわさ話”でした。

 

「服部さんも感染しているらしい」
「それだけじゃない、妻も感染しているらしいぞ」

 

ことしに入るまで感染者が確認されていなかった大紀町。

 

人口わずか8000人の町に、そうしたうわさが広がるのに時間はそれほどかかりませんでした。

 

「精神的にもつらかったですね。自分が感染していたら、周りの人たちにうつしていないか…責任感や不安がどんどん出てくるんです。とはいえ、町の皆さんだって、小さい町なんで、不安にはなりますよね」

 

服部さんは、自分たちへのうわさをどうにかするよりも前に、正確な情報を発信していくことで町内に住む人たちの不安を払拭することが、重要だと考えたと言います。

 

選挙が迫っていたこともあり、両親の感染の経緯や、それ以外の家族は検査の結果、陰性だったことなどを、後援会の会報で伝えていくことにしました。

 

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「とにかく正確な情報を発信したい強い思いで進めました。ただ、私は会報などで情報を発信することができましたが、そうでなかったら、果たしてどうしたかなと…。いずれにしても不安をあおるようなうわさや発言だけはやめてもらいたいです。それを多くの人には伝えたいです」

 

丁寧な発信を心がけた結果、うわさは次第におさまっていきました。

 

父を失った経験元に町長として

 

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「もう予約とれた?」


「とれました、とれました。本当にスムーズにいって、みんなも喜んでます。安心です」

 

4月、町のワクチン接種を前に行われたシミュレーションの会場に服部さんがいました。


服部さんは選挙で当選し、町長になり、今、町の感染対策の最前線に立っています。

 

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安心してワクチンを受けてもらおうと、地元の高齢者たちに積極的に声をかけている姿が印象的でした。

 

今、そんな服部さんの心の支えになっているものがあります。

 

父親が愛用していたという懐中時計です。

 

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服部さんが遺品を整理している中で偶然見つけました。

 

元国鉄の職員で、時間に厳しかったという父親は、この懐中時計を肌身離さず持っていたといいます。

 

服部さんは、時計を机の上に置いて、時折眺めながら仕事にあたっています。

 

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「父親を亡くした悔しさもそうですが、病気に対しての悔しさがあったんです。こんな思いをする人は、もう1人でも出てほしくない。そして、もし感染者が出た場合は、本人や家族の立場になって、一緒に考えられるような町長になりたいですね」。

 

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父親を失ったつらい経験を胸に秘め、町長としての決意を服部さんは力強く語りました。

 

 

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周防則志 2020年入局 
“地域の課題を解決する”報道を目指している

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:12:30 | WEB特集 |   | 固定リンク


オータマのもっかい会いたいin名張【太田磨理】

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今回は名張のご当地ヒーロー「119団アンシンダー」に

会いに行きました。

アンシンダーは名張市消防本部の現役の消防士!

ダンスで消防の啓発を行うヒーローとして

2007年から活動しています。

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私は以前、アンシンダーの仲間入りを

させていただき、幼稚園での啓発活動に

参加したことがあるんです。

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当時は数人だったメンバーが、

今は増えていてビックリ!

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実は、名張市消防本部に入った消防士は、

アンシンダーダンスの練習も必須!

新人研修では試験もあるそうですよ。

それだけ啓発活動は消防士にとって重要な任務と

位置づけているんです。

 

もっかい会いに行ったら、ダンスのレベルはアップ!

若い世代のアンシンダーも増えて、

「名張のまちを守りたい」という熱いハートは

しっかり受け継がれていました。

これからも名張のために頑張ってください☆

投稿者:太田磨理 | 投稿時間:21:08 | 太田磨理 |   | 固定リンク


頑張れ!鈴鹿ポイントゲッターズ【太田磨理】

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5月23日、サッカー天皇杯1回戦の取材に行ってきました。

三重県代表「鈴鹿ポイントゲッターズ」対愛知県代表「FC刈谷」の対戦。

同じJFL所属ということもあり、お互いをよく知る相手との対戦で、

選手の皆さんはちょっとやりにくさを感じていたようですが・・・

結果は2-1で鈴鹿の勝利!2回戦進出です。

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試合後の選手・スタッフの皆さん。

笑顔で「まるっと!みえ」のポーズをしてくださいました。

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2回戦はJ1ヴィッセル神戸と対戦です。

前半終了間際の同点ゴールを決めた田村翔太選手は

「J1もJFLも関係ないので爪あとを残したい」、

川里光太郎主将は「鈴鹿のサッカーを魅せたい」と話してくれました。

地元チームの活躍はうれしいですね。応援しましょう!!

投稿者:太田磨理 | 投稿時間:21:07 | 太田磨理 |   | 固定リンク


【みえDE川柳】 お題:子ども

天 原色の思い出ばかり幼き日/汐海 岬さん

丹川修先生 純真で素朴でけがれを知らない幼い日の思い出はすべてが赤や黄そして真っ青な原色に染められた華やかな思い出ばかりである。つらく苦い思いもあったのでしょうが、思い出になるとそれも時間と言う魔法がかかり原色に変わっていきます。それにしても「原色の思い出」と言う表現が素晴らしい。キラキラと輝く秀句の中の秀句である。

 

地 新しいあだ名を背負うクラス替え/せいじさん

丹川修先生 「背負う」と言う表現にやや重い物、運命的なものを感じなくもないが、決して人を傷つけたり差別的なものではなく、愛きょうのある人気者らしく、クラス替えにより新しいあだ名を授けてもらったのだろう。何十年後、同窓会などでもきっと「おい、○○元気か?」なんてあだ名での声がかかることだろう。この句は「子ども」を読み込んでいないが、充分「子ども」に焦点が当たっている。なんとも楽しい句ではないか。どんなあだ名だったのだろう。

 

人 新生児春の音符に乗っている/宇宙人さん

丹川修先生 生まれたばかりの赤ちゃんを囲んで、ご両親、おじいちゃん、おばあちゃんのこぼれるような満面の笑みが目に浮かんでくる。春の温かい日差しの中で最高の幸せを感じていることだろう。まるで赤ちゃんが五線の上で弾んでいるようです。読み手のこちらまで嬉しくなってくる。その幸せを「春の音符に」と表現したところが素晴らしい。省略の文芸だからこの「春の音符に乗っている」のたった12音が色々な言葉になって心に入ってくる。

 

<入選>

腰の高さ今でも残る柱キズ/城門塵さん

犬が来て子は父となり兄となり/涼妻喧母さん

待ちなさいどこで覚えたその言葉/瑠珂(るか)さん

午後八時やっと子どもの電池切れ/いちかわいさおさん

エプロンをつけるとママの口調です/葵さん

おてんばの靴が飛び込む友の家/せきぼーさん

ブランコのもう背は押さぬ子のために/夜半亭あぶらー虫さん

子が生まれ真っ先に買う将棋盤/清詞薫さん

子のような顔で愛犬散歩する/久実さん

神童とマドンナ来ないクラス会/おくだよしさん

 

丹川修先生 丹川修先生

 お題の「子ども」に対し、作者の子ども時代の句、作者自身の子どもの句、愛玩動物を子どもと捉えた句、客観的な子どもの句など幅広く詠まれていました。しかし「子どもは宝」「将来や未来を背負う」などのごく一般的な視点での句も相当数ありました。「子ども」自体に希望やまた将来や未来を担うという概念が含まれていますので改めてそのことを詠まれても大きな感動を与えることはできませんね。また、お題の性格上からか教育めいたもの、格言めいたものも少なからずありました。特に明るく楽しい句に入選のスポットを当ててみました。いつものことですが新しい発見、独自性の有る着眼を心掛けてください。多数のご投句ありがとうございました。

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:18:50 | 過去の入選作 |   | 固定リンク


あした、あさっての次は?方言"ささって"の謎

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あした、あさって…の次を何と言ってますか?

 

標準語では「しあさって」だけど、三重県だったらそこは「ささって」でしょ!という人も多いかもしれません。

 

でも、そもそも「ささって」って何なの?三重県でも全県で言うの?一部エリアだけ?

 

そんな「ささって」の謎を、静岡県出身の新人記者、私、中野七海が取材してきました。

 

(津放送局 記者 中野七海)

 

「ささって」ってそもそも…

 

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静岡県では、「あさって」の次は「しあさって」。

 

「ささって」は聞いたことなかったですし、“三重の方言”として有名だとは知りませんでした。

 

そんな“三重の方言”について詳しい人がいると聞き、三重大学に行ってきました。

 

お話をうかがったのは方言の研究を続けて四半世紀、余健教授です。

 

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(中野)
「『ささって』を初めて聞いたときに何が刺さってるんだ?と思っちゃいました!」

 

(余教授)
「なるほど・・・・・」

 

(中野)
「(す、すべったか…、よし、ここは気を取り直して)ところで、『ささって』ってどういう由来からなんでしょうか」

 

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(余教授)
「『さ』は、来週の次の再(さ)来週、あるいは来年の次の再(さ)来年、そんな時に使う『さ』という説が一般的ですね。『あさって』の次の日という意味で『さあさって』が縮まって、『ささって』という形が生まれてきたと考えられます」

 

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なるほど、わかりやすい!「ささって」は「さあさって」を短くした言い方だったんですね。

 

教授によると、このほかにも、きょうから数えて3日目だから「ささって」、「さきあさって」が変化して「ささって」になったなどの説もあるといいます。

 

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「ささって」は三重弁じゃない!

 

では、「ささって」は三重県特有の方言なのか聞くと…。

 

「三重県だけではなくて、中部地方、北陸にかけて確認されていますよ。石川県の能登半島から、岐阜県、そして三重県辺りですね」

 

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えっ!なんと、三重だけではなかった!

 

三重から北陸にかけての中部地方のほか、鹿児島県の種子島などでも確認できるといいます。

 

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意外にいろいろなところで使われているもんなんですね。

 

三重県内でも地域性がある

 

一方で、伊賀市や名張市、そして熊野市より南では「しあさって」が使われるなど県内での地域差もあるといいます。

 

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その理由について余教授は「伊賀・名張は京都や大阪との生活圏ができてますし、熊野以南の地域は和歌山県あるいは奈良県南部との生活圏ができています。そうした中で言葉の共通性があるんです」

 

伊賀や名張のことばは、津の辺りに比べると“関西弁”に近い、という話を聞いたこともありますが、昔からの地域性や生活圏と密接なつながりがあるというのは納得です。

 

若者は“ささって”を使わない?

 

さらに、「ささって」をめぐっては世代間のギャップがあるという話も。

 

NHK津放送局には三重県出身の人がたくさんいるので、ちょっと聞いてみることにしました。

 

まずは三輪アナウンサーに…。

 

(中野)
「あした、あさっての次の日のことなんていいますか」

 

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(三輪アナ)
「ふふふっ。『ささって』って言ってほしいんでしょ」

 

(中野)
「(うっ!するどい!)はい、言ってほしいです!」

 

(三輪アナ)
「もちろん分かりますけど、私は使わないですね、昔から。でも親は使いますよ」

 

あら、意外に使われてないのかも。

 

続いて、編集マンの方に。

 

(中野)
「あした、あさっての次の日のことなんていいますか」

 

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(編集マン)
「ささって?」

 

(中野)
「使いますか」

 

(編集マン)
「使います」

 

今でも使われている方がいてよかった!

 

警備員さんにも聞いてみました。

 

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「子どものころは学生のころは使ってましたけど、今はあんまり使わんもんね~」

 

今でも使うという人もいますが、知ってはいるけれど使わない、と言う人が徐々に増えているようです。

 

「ささって」が消える!?

 

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余教授によると、テレビなどのメディアの影響で、方言はどんどん消えているといいます。

 

「ささって」は今後、どうなっていくのか聞くと…。

 

「若い世代の人の中では、もう冗談でしか『ささって』を使わないということもあります。これって、方言がなくなってしまう前段階の現象なんですね。残念ながらこのままでいくと『ささって』の使用は三重県内では聞かれなくなる可能性は高いと思います」

 

そうなのか…。出会ったばかりの『ささって』ですが、なんかちょっとさみしい。

 

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「『ささって』と言っても伝わらない、理解してもらえないという経験が積み重なってくると、しゃべるほうもだんだん自信がなくなってきてしまいます。だから、三重の人には自信を持って『あした、あさって、ささって』と言ってほしいですね」

 

というわけで結論です。

 

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「『ささって』は、『あさって』に『次』を表す『さ』がついたものとみられる。中部地方などで使われる方言だがこのまま消えてしまう可能性もある」でした。


このまま消えてしまうのはおしい。「ささって」応援団として、日ごろから「ささって」を使っていきたいと思います!

 

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(中野七海 2021年入局 好きな三重弁は「かえるのかんぴんたん」)

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:15:30 | WEB特集 |   | 固定リンク


航空機産業がアウトドア業界に参入?カギは"夢"

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「え、何ですかそれは。いくらなんでも無謀ですよ」

 

これまで支援してきてくれた担当者から、そう言われたという、新たな挑戦。

 

新型コロナウイルスの影響でピンチに陥った航空機の組み立て会社が挑んだのは、これまで培ってきた技術とは無関係の、アウトドア用品の分野でした。

 

なぜそんな転換ができたのか、キーワードとなったのは“夢”でした。

 

(津放送局 記者 須川拓海)

 

苦境にあえぐ航空機産業

「これまで従業員は、飛行機を作るというスケールの大きい仕事に夢や誇りを持っていました。今は、不安もある中で辛抱してもらっていて、事業継続ができなくなるおそれもある。何か新しいことを始めないと、と思って…」

 

三重県木曽岬町に工場を構える大起産業の天田淳一専務は、そう語ります。

 

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創業から60年、社員の“夢”も乗せた数多くの飛行機の組み立てを請け負ってきた大起産業ですが、新型コロナウイルスの影響で、主力だったボーイング社の飛行機が大きく減産。

 

国産初のジェット機「三菱スペースジェット」の開発縮小も追い打ちをかけ、航空機部門の売り上げは半分近くにまで減少しました。

 

 従業員は交代で休業を余儀なくされ、徐々に工場の活気が失われていったといいます。

 

社員アンケートで新事業募集!

 

そこで行ったのが従業員を対象にしたアンケートでした。

 

去年6月、400人ほどから新たな事業に関する提案を募ったのです。

 

最初の質問は「あなたの趣味はなんですか?」。

 

飛行機に変わる“夢”を従業員のプライベートな好みから見いだすのがねらいでした。

 

「興味を持っていること、知見を持っていることが、一番、熱意を持って取り組めることだと思うんです。社員の皆さんの話を素直に聞いて、その中から何か突破口が開けないのかなと思ってやってみました」(天田専務)

 

ザリガニの養殖、家具の製作、船乗り、畑…。

 

社員からはさまざまな提案が寄せられました。その中で選ばれたのが、アウトドア用品の企画・販売だったのです。

 

提案したのは、当時、社外に出向中だった竹尾滋展さんでした。

 

社内に配られたアンケートの存在を聞きつけ、直接連絡があったと言います。

 

釣りが趣味の竹尾さんは、コロナ禍によるアウトドア人気の高まりを肌で感じる機会が多く、この企画は絶対にうまくいくと確信していました。

 

「何か新しいことにチャレンジしたいなという思いはずっとありましたが、規模が大きい会社ではないので、新たなことに踏み出せるチャンスはめったにない。何としてでも自分の思いを届けて実現させたいという思いでプレゼンしました」(竹尾さん)

 

天田専務も、竹尾さんの熱い思いに、心を揺さぶられたといい「非常に熱を持っていて。『絶対うまくいきます、成功させます』と言ってくれたので、素直にうれしかったですね」と話します。

 

「いくらなんでも無謀」の声も…

 

しかし、アイディアはすぐに周囲の理解を得られたわけではありませんでした。

 

大起産業の経営相談や支援にあたってきた、中小企業庁三重県よろず支援拠点の立道和久さんは、この企画をはじめに聞いたときは全く理解できなかったといいます。

 

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「え、何ですかそれは。いくらなんでも無謀ですよ」と反対したという立道さん。

 

大起産業の確かな技術を知っているからこそ、これまで培ってきたものをほかの業種に転用する道を探ることを提案しました。

 

そうした中でも、大起産業からは事業を進めたいという強い意向が寄せられました。

 

その思いに、立道さんは考えを改めたといいます。

 

「会社の閉そく感を打開するためにもやるんだ、という熱意を訴えられました。最終的に決めるのは事業者ですから、覚悟を持って取り組むなら私もできる限りのサポートをしようと思いましたね」(立道さん)

 

安全性を追求 相次ぐ壁を打破

 

とはいえ、商品を企画し、消費者に届けるまでを一貫して行うのは会社としても初めて。

 

始まってみると、ブランド名やロゴの決定、材料の表示、実際に製品を作る中国の工場とのやり取りや輸入する船の契約といったさまざまな壁があったといいます。

 

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そんな中でも徹底したのは安全性の追求でした。

 

ミスが許されない飛行機組み立ての品質管理のノウハウを生かしたのです。

 

中国の工場に対しては、飛行機組み立てと同じように資料を作成して検品の徹底を指示しました。

 

飛行機に変わる“夢”を実現するという仕事が、竹尾さんたちに新たな活力を生み出し、やがて開発は軌道に乗り始めました。

 

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竹尾さんも「商品を開発しているときはワクワクしかないですね。たぶん起きているときはずっとキャンプのことを考えています。仕事のことしか頭にないくらい」と話します。

 

ついに商品販売、夢は続く

 

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提案の採用から10か月、ついに最初の商品となるテーブルとコンテナボックスの販売が始まりました。

 

売り上げも少しずつ伸びていて、まずは商品を知ってもらおうと、販路拡大に地道に取り組んでいます。

 

「やっとここまで来たなと。思いどおりにならないこともたくさんあって、商品1つ作って世に送り出すのがこんなに難しいことなんだと痛感しました。それと同時に、今は本当にうれしさでいっぱいですね」(竹尾さん)

 

「社員のみんなの“夢”を乗せた商品がようやくできました。前向きでワクワクするような気持ちを、を買っていただく皆さんにも共有してもらいたいですね」(天田専務)

 

従業員に趣味を聞くことから始まった新たな事業。

 

厳しい状況の中で生み出されたアイディアが今、飛行機に変わる“夢”になろうとしています。

 

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(須川拓海 2018年入局 四日市支局に所属 飛行機には数えるほどしか乗ったことがない)

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:16:30 | WEB特集 |   | 固定リンク


避難勧告が廃止?変わった避難情報のポイント教えます

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「“避難指示”ってどれくらい深刻なの?そう言われても、いつどんなタイミングで避難したらいいの?」

 

そんな風に思ったことがある人もいるのではないでしょうか。

 

大雨などで災害の危険が迫る時は、自治体が避難情報を発表しますが、この情報が5月から大きく変わりました。

 

変更点のポイントなどをわかりやすくお伝えします。

 

(津放送局 石塚和明 記者)

 

レベル3“高齢者等避難”

 

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避難指示などの情報や気象警報は、5段階の警戒レベルにわかれています。

 

図のうち、左側が従来の避難情報、右側が新しい避難情報になります。

 

変更されたところに絞って順番に見ていきましょう。

 

まず、レベル3。「避難準備の情報」が「高齢者等避難」に変わりました。

 

近年の災害では、高齢者の犠牲が後を絶ちません。

 

どんな人たちがまず避難が必要なのか、対象をより明確にすることで、いち早い避難につなげようという狙いです。

 

高齢者や体の不自由な人など、移動に時間のかかる人は、この情報が出た段階で避難を。

 

ただ、このほかの人も避難場所を確認したり、持ち出すものを準備したりといったことを始めてください。

 

そして、危険を感じたら、次のレベルを待たずに自主的に避難を始めてください。

 

高齢者を強調していますが、高齢者のためのだけの情報ではないということに注意が必要です。

 

レベル4“避難指示”

 

続いてレベル4。従来の情報では「避難指示」と「避難勧告」がありましたが、2つの違いをご存じでしたでしょうか。

 

「避難勧告」は避難を開始するべきタイミング、「避難指示」はもうそのタイミングを過ぎていて、身の安全に配慮しながら速やかな避難が必要とされる段階です。

 

ただ、この2つの情報、意味が正しく理解されていないという課題がありました。

 

内閣府が全国の人に行ったアンケートで、2つの情報を正確に理解していたのは、17.7%にとどまっていたのです。

 

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「避難指示」よりも「避難勧告」のほうが差し迫った状態にあると思っている人も少なくなかったようです。

 

そこで、今回、2つの情報が一本化されました。

 

「避難勧告」は廃止され、レベル4は「避難指示」のみに一本化されました。

 

危険な場所にいる人は全員、避難が必要な段階です。

 

これまでの情報では、「まだ避難勧告だから避難指示が出てから避難すればいいか」と思ってしまう人もいたかもしれませんが、一本化でわかりやすくなったのではないでしょうか。

 

レベル5“緊急安全確保”

 

そしてレベル5。これまでの「災害発生情報」では取るべき行動がわかりにくいなどとして、「緊急安全確保」に変わりました。

 

住民がとるべき行動は「命を守って!」です。

 

災害が発生、もしくは切迫している時に発表されます。

 

まだ、危険な場所にいる人は、建物の2階以上や崖の反対側に移動するなど安全を確保してください。

 

あくまで、避難し遅れた人がとる行動であって、避難場所への移動はすでに手遅れになっているおそれがある段階です。

 

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レベル4の段階で、「まだレベル5があるから大丈夫」とは絶対思わないでください。

 

大切なのは日ごろからの準備

 

ただ、災害が迫っているから急に避難する、というのはなかなか難しいかもしれません。

 

日ごろから身の回りにある災害のリスクを確認しておくことが大切です。

 

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洪水で浸水する範囲などが確認できるハザードマップをチェックしておいてください。

 

そして、どこにどうやって避難したら良いのかを調べておいたり、実際に歩いてみたりすることも重要です。

 

東海地方のことしの梅雨入りは5月16日と、平年よりも21日も早い発表となりました。

 

大雨による災害がいつおかしくないシーズンに入っています。

 

日ごろからの備えを進めてください。

 

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石塚和明(2016年入局 鳥取局を経て現職 好きな映画は「ディストラクション・ベイビーズ」)

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:16:00 | WEB特集 |   | 固定リンク


【旬食!みえ】 緑茶のスコーン

料理監修:三重調理専門学校

緑茶のスコーン 

《「緑茶のスコーン」作り方》


《材 料(スコーン8個分)》
茶 葉         大さじ4(24g)
小麦粉             200g
ベーキングパウダー       小さじ2
グラニュー糖           70g
バター              50g
牛乳              90ml
――――――――――――――――――――
牛乳(つや出し用)       15ml

 


① バターを1センチ程度の角切りにし、溶けないよう30分ほど冷蔵庫で冷やす。

② 茶葉をすり鉢で細かい粉にする。

③ 細かくした茶葉を牛乳にひたし、10分ほどおく。

④ 小麦粉とベーキングパウダーを合わせ、ふるいにかける。

⑤ ④に砂糖と①のバターを加え、バターを砕くように混ぜてそぼろ状にしていく。

⑥ ⑤に牛乳につけた茶葉を入れ、木べらで練らないようにさっくり混ぜたあと、
  手でひとまとまりにする。

⑦ ⑥の生地を打ち粉をしたまな板にのせ、厚さ2センチほどに広げて折りたたみ、
  空気を抜くように上から押さえながら丸める。

⑧ 麺棒で生地をのばして四角くし、ぬれ布巾で包み30分ほど冷蔵庫で寝かせる。

⑨ 冷蔵庫から取り出した生地を2つに折って箱型に整え、三角形にカットする。

⑩ つや出しのため上面に牛乳を塗り、200度に予熱したオーブンで20分ほど
  焼く。

 

投稿者:NHK津放送局 | 投稿時間:12:00 | 旬食みえ レシピ集 |   | 固定リンク


みうみくんのお仕事図鑑「紀北町の備長炭職人」【太田磨理】

今回の「みうみくんのお仕事図鑑」は備長炭を作る職人、津村寿晴さんをご紹介。

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紀北町にある工房で、30年以上にわたって紀州備長炭と呼ばれる

最高級の炭を作っています。

紀伊半島に多く生えているウバメガシという木を使うと

強い火力が長持ちする炭に仕上がるんだそうです。

津村さんは炭を焼く窯の温度、煙の色やにおいを感じることで

炭の状態を見極めます。

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火の温度は約1000度!過酷な作業が何時間も続きます。

体力勝負でありながら繊細なお仕事だと感じました。

 

津村さんの備長炭を使っている、紀北町の料亭のご主人、上野誠人さん。

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クロムツです。

「皮はパリッと、身はふんわり!おいしく焼けます。」と話してくれました。

最後に・・・

今回の担当は戸川ディレクターでした。

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次回の「みうみくんのお仕事図鑑」もお楽しみに!!

 

投稿者:太田磨理 | 投稿時間:16:14 | 太田磨理 |   | 固定リンク


「おさんぽ!みえ」 桑名の原木しいたけ

こんにちは♪ キャスターの高橋美帆です。

5月19日(水)放送の「おさんぽ!みえ」では、

桑名市で唯一、原木しいたけを栽培している

伊藤慎二さんを訪ねました。

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伊藤さんは、自動車関連の仕事をしていましたが、

5年前にしいたけ農家を継ぐことを決心。

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約2万本のナラの木で、原木しいたけを栽培しています。

ハウスの中は、しいたけの香りに包まれていました~

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作業場の中には、大きな水槽が!

この水槽に原木をつけると、水の刺激によって

しいたけが発生するそうです。

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水温20度以下の水に一晩つけたあと、

5日ほどで芽が出て、10日後には

収穫できる大きさにまで育つそうです。

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収穫したしいたけは伊藤さん自身が、

丁寧に袋詰めして、

桑名市や四日市市などにある

JAの農産物直売所に出荷しています。

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忙しい毎日を送る伊藤さんの心を

癒やしてくれるのが、

仕事場の前に広がる、鈴鹿山脈と員弁川の

おりなす風景!

「こののどかな風景を見ると、心が落ち着いて

頑張ろうという思いになります。」

と話してくれました。

 

取材にご協力いただいた伊藤さん、

ありがとうございました。 

投稿者:高橋美帆 | 投稿時間:12:36 | 高橋美帆 |   | 固定リンク


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