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メディアの動き

メディアの動き 2023年03月23日 (木)

#466 テレビのジェンダーバランス~国際女性デーのメディア発信から日常の放送・報道を見直すことを考える~

メディア研究部 青木紀美子・小笠原晶子・熊谷百合子・渡辺誓司

 3月8日は国連が定める「国際女性デー」。2023年もこの日をはさみ、さまざまなメディアで女性の政治参加、働きやすさ、からだのこと、差別の問題など、女性やジェンダーの課題を考える多くの特集や連載が組まれました。

#自分のからだだから

 ハッシュタグ「#自分のカラダだから」(1)では、女性の健康な生き方につながる情報を発信するため、NHKと在京民放6局(日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビ、TOKYO MX)が連携しました。このうちNHKは、Eテレ 「u&i」の『なんでずる休みするの? ~生理』」や特集ドラマ『生理のおじさんとその娘』をはじめ、ドラマや情報番組、報道番組などで幅広く関連するテーマを取り上げています。フジテレビでは男性も加わり、アナウンサー8人が性別に関わる「決めつけ」について考える記事も特集ページ「"私"を生きる~live My life~」(2)に掲載しました。朝日新聞の「ジェンダーを考えるThink Gender」(3)や東京新聞の「ジェンダー 平等 ともに」(4)は、社会が生む性差や性差別について問いかけています。
 こうした特集は、日常的には取り上げることが少ない、あるいは光があたりにくいテーマや課題などについて、シリーズにしたり、ハッシュタグでひもづけたりすることで、読者や視聴者の注意を引き、関心を広げる可能性があります。女性の視点を伝える発信が多いことは、メディアが社会の多様性を反映するという観点からも、男性を含めより多くの人に「気づき」のきっかけをつくるという観点からも歓迎したいことです。一方で、国際女性デーの前後というタイミングを利用しないと伝えられないことがあるのだろうか、常日頃から女性の課題を取り上げ、女性の視点を反映することはできているのだろうか、という懸念も抱きます。
 私たち文研の多様性調査チームは、テレビの番組に登場する人物のジェンダーバランスを継続的に調べ始めています。2021年度の調査(5)ではNHKと在京民放キー局の女性と男性の割合は、番組全般をみるとおよそ4:6、夜9-11時台の主要ニュース番組ではおよそ3:7で男性の割合が高く、年齢層でみると女性は若い年層が多く、男性は中高年層が多いという結果になりました。ニュースに登場する女性は街頭のひとことインタビューなどでは男性と同数に近い一方、肩書ある立場から発言することは男性に比べて大幅に少ないといった偏りがあることもわかりました。
 この傾向はその後、少し変わったのでしょうか?下の図は集計中の2022年度の調査結果です。テレビ番組全般については6月の1週間、NHK総合とEテレ、在京民放キー局のあわせて7チャンネルの登場人物についてメタデータ(6)に記録がある人について集計したものです。女性の割合は2021年度に比べて1ポイント増えていました。

番組全般の出演者

 夜の主要ニュース番組については6月と11月の月~金曜日に登場した人物を調べたものです。女性の割合は番組全般とは逆に1ポイント減っていました。ニュース番組は10日分、番組全般は1週間分の数字なので、増減はどちらも誤差の範囲で、大きな傾向は変わっていなかったというべきかもしれません。より詳しい集計内容については、追ってこちらのブログや文研が出版する『放送研究と調査』でご報告します。

夜のニュース番組 登場人物

 ちなみに日本の総人口をみると、女性は半数以上を占めています。労働力人口でみても、女性は全体の 45%近くを占めています。(7)多くの女性は仕事と子育ての両方の負担を担い、社会を支えています。しかし、非正規雇用の割合が高いということもあって、コロナ禍では解雇や育児負担などでより大きな影響を受けたことがわかっています。ところが、テレビに映し出される世界には女性が少なく、女性の視点が十分には反映されていない可能性を上記のデータは示唆しています。『放送研究と調査』2023年2月号の「"コロナ特別休暇"制度の報道は子育て世帯に届いたのか?(8)のために行ったアンケート調査では、仕事と育児を両立する女性、男性のいずれもがテレビニュースは「多様な意見を届けていない」、「子育てや生活情報が少ない」と感じていることが明らかになっています。
 世界経済フォーラムのグローバル・ジェンダー・ギャップ報告(2022)で日本は調査対象146か国中116位。イギリスのエコノミスト誌が行った「女性の働きやすさ」についての調査では、今年も主要29か国のうち28位でした。メディアが女性の姿や声を反映せず、ロールモデルを示さないことなどでジェンダー・ギャップを固定化し、再生産していないか、考える必要があります。

日本の人口

 2月のブログ記事「北欧メディアに学ぶジェンダー格差解消のヒント(9)では、アイスランド国営放送編集長ソーラ・アルノルスドッティルさんの「人々にとって何がニュースなのかを再定義する必要があるのです」という問題提起を伝えています。『放送研究と調査』の連載「メディアは社会の多様性を反映しているのか➂(10)では、アメリカのメディアが組織・人材とコンテンツの多様性向上をめざしている背景にメディアとしての存続への危機感があることも紹介しました。
 国際女性デーにあわせて組まれた特集や連載、その中で取り上げたテーマや課題、女性の視点が、日常のテレビ番組、新聞記事、メディアの発信内容や価値判断の基準を見直す手がかりになっていくとよいのではないか、と私たちは考えています。それは男性も含めメディアの取材・制作現場にいる人、編集方針を決める権限を持つ人たちの新たな気づきのきっかけになり、問題意識の共有につながるのではないでしょうか。国際女性デーの前後はこうしたメディアの課題を考える機会でもあります。


(1)#自分のカラダだから ──メディア連携で女性の体・心・生き方について考えるコンテンツを集中発信!(NHK、民放各局)
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=37744
(2)"私"を生きる~live My life~(FNNプライムオンライン)
https://www.fnn.jp/subcategory/live_My_life
(3)ジェンダーを考えるThink Gender(朝日新聞)
https://www.asahi.com/special/thinkgender/?iref=kijiue_bnr
(4)ジェンダー 平等 ともに(東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/tags_topic/womensday
(5) 連載 メディアは社会の多様性を反映しているか①
調査報告 テレビのジェンダーバランス(『放送研究と調査』2022年5月号)
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/20220501_7.html
(6) エムデータ社のメタデータ記録を利用
(7) 令和3年版働く女性の実情(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/21.html
(8) "コロナ特別休暇"制度の報道は子育て世帯に届いたのか?~「共働き子育て世帯のメディア接触調査」の結果から~(『放送研究と調査』2023年2月号)
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/20230201_4.html
(9) 北欧メディアに学ぶジェンダー格差解消のヒント
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/100/480010.html
(10) 連載 メディアは社会の多様性を反映しているか③ 将来に向けた危機感を問うアメリカの事例と専門家の提言(『放送研究と調査』2023年1月号)
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/oversea/20230101_4.html
メディアの動き 2023年03月20日 (月)

#464 「復帰」51年目に沖縄のことを考える ~『放送メディア研究16号』発刊に関連して~

メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎

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 研究誌『放送メディア研究』の第16号が今月発刊されました。テーマは「沖縄 『復帰』50年」です。
 沖縄が日本に「復帰」して50年が経過した2022年は、年明け早々3年目となる新型コロナの第6波、2月にはロシアによるウクライナ侵攻、7月には安倍元首相銃撃事件など、その後に尾を引く出来事が次々と起こり、「復帰」報道はその中に埋もれてしまった印象があります。その中で、メディアは沖縄に関して何を伝え、そして何を伝えなかったのでしょうか。本ブログでは、内容の一部と取材・編集を通じて感じたことを交えながら、「復帰」51年目に沖縄について考えることが持つ意味合いを検討します。

沖縄と本土メディアの報道ギャップ

 本書では、テレビや新聞、ネット、出版物やアートなど幅広い領域を対象にし、沖縄と本土それぞれの「復帰」に関わる動向を扱っています。ここではテレビ番組の分析から明らかになった点を簡潔に述べます。
 全国向けのテレビ番組に関して「沖縄」に関する話題は調査対象期間(2022年1月~8月)を通じて、紀行、グルメ、バラエティー番組や、コロナ関連の報道など一定程度伝えられ続けました。その一方、「復帰」に関する報道になると、5月15日の復帰記念式典の当日周辺に集中的になされたものの、それを除くと一部の番組を除いてほとんどなされず、その傾向は特に民放キー局において顕著でした。他方で、沖縄のローカル放送に目を向けると、局によって多少の差はあるものの、NHK、民放を問わず、期間を通じて「復帰」に関するニュースや企画、特集番組が放送され、全国向けと沖縄ローカルの間に「復帰」報道に関する報道量と質において大きな差があることが確認されました。
 さらに日常的に報じられるニュースでも、安全保障に関わる沖縄の米軍基地問題について両者を比較すると、昨年4月の4週間に、4つのローカルニュース番組で報じられた項目が99なのに対し、7つの全国向け夜のニュース番組では4本でした。沖縄ローカルで報じられたものの全国では報じられないニュースには、台湾危機を背景に活発化する米軍の軍事演習の影響として、漁場付近での指定区域外訓練(4月7日・北谷町)や民間地上空でのオスプレイのつり下げ訓練(4月15日・宜野座村)などがありました。(後者については、すべての全国向けニュースの中でNHK『列島ニュース』のみ報じていました。)どのニュースを全国向けにするかという判断は各放送局の個別の番組に委ねられており、明確な共通基準があるわけではありません。しかし、こういったニュースが果たして沖縄ローカルの放送だけにとどまり、全国の人たちに知られないままでよいのか議論の余地があります。

全国に十分伝えられない命に関わる問題

 沖縄のローカル放送では活発に報道されるものの、全国向けニュースではあまり大きく取り上げられていない問題として、有機フッ素化学物PFASによる水汚染もあります。PFASは深刻な健康被害との関連が指摘されている有害物質です。県民の3分の1に当たる45万人の飲み水に長年混入していたことが2016年に県の企業局の記者会見で明らかになり、その後、米軍基地周辺で国の基準値を大きく超える濃度のPFASが次々と検出されました。基地内で使用される泡消火剤との関係が疑われていますが、日米地位協定のために米軍基地内への立ち入り調査ができず汚染源が特定されていません。
 本号では二人のジャーナリストNHK沖縄放送局の記者・解説委員の西銘むつみさんと、OTV沖縄テレビのキャスターの平良いずみさんの対談を掲載しています。沖縄と本土の間に立ちはだかる「壁」の存在や、それをどのようにして乗り越えるかなど、率直な意見が交わされた対談の中でもPFASについて語られました。PFASの水汚染問題を追ったドキュメンタリー『水どぅ宝』(FNSドキュメンタリー大賞、「地方の時代」映像祭の優秀賞など受賞)の制作のきっかけとなったご自身の体験を平良さんが語ってくださったときの言葉です。

平良ちょうど育休をとってて、まもなく1歳になるぐらいのときにPFASの問題が出て、「いやいやいや。産婦人科で赤ちゃんにミルク作るときに水道水で煮沸して飲ませろって言ったよね」って、もう何か震えが止まらなくなっちゃって。この怒りとこの不安をどこに向けたらいいんだろうと。

平良いずみさん(OTV沖縄テレビ) 平良いずみさん(OTV沖縄テレビ)

 大切な我が子にPFASが混入している水を飲ませていたことを知ったときの驚きと悔しさ、怒りはどれほどだったでしょうか。『水どぅ宝』の中には「自分たちが状況を変えていかなければ、子どもを守ることができない」という切迫した思いから市民運動を始める母親たちの姿が描かれますが、その思いは子育ての"当事者"の一人である平良さんご自身のものでもあります。

子どもたちが日常の中で感じていること

 また同じ対談で、2015年にNHKスペシャル『沖縄戦全記録』(日本新聞協会賞、ギャラクシー奨励賞受賞)を制作した西銘むつみさんは普段の生活の中でお子さんが次のようなことを言うのを聞いたといいます。

西銘長男が中学生だったのかな、野球部の練習が終わって着替えるときに「沖縄って基地があるから攻撃されるのかな。」野球ばっかりやっている子どもたちが、普通にそんな話をして、「お母さん、俺たち徴兵されるの?」とか言うんですよ。そういう感覚がわかるのが、記者にとってありがたいというか、子どもを見ることで自分がどんな言葉で報じていけばいいのかっていうことをすごく教えてもらえます。

 

西銘むつみさん(NHK沖縄放送局) 西銘むつみさん(NHK沖縄放送局)

 西銘さんは、ご自身の息子さんが戦争の影を不安に感じながら学校生活を送っていることを知って「自分がどんな言葉で報じていけばいいのか」教えてもらえたといいます。それは、どれだけ沖縄戦の教訓を伝えても、自分の子どもが感じている戦争の不安を払拭させることができない現実を突きつけられた瞬間だったのかもしれません。しかし、無力感や絶望にさいなまれる暇はないというように、西銘さんは「では、次にどう伝えたらいいのか」考える契機としてとらえ、きっかけを与えてくれた子どもの存在をありがたいと感じています。
 お二人の対談から、幼い子どもを健康に育てることや、子どもが安心して暮らすことさえままならない現実が沖縄にあることに思い至ります。それと同時に容易ではないけれど、これからを生きる子どもたちのために現実をよりよいものに変えていかなくてはというジャーナリストとしての気概を強く感じます。それは大上段からもの申すというより、当たり前の生活実感を大切にし、「おかしい」と思うことにちゃんと反応する姿勢から来るように思えました。

呼びかけにちゃんと応える

 私たちはともすると自分から距離のある物事に無関心でいたり、冷淡な態度を示したりしてしまいがちです。沖縄で起きていることをメディアが十分伝えない以上、本土に暮らす人々が「自分には関係ない」と思ってしまうのもある程度やむをえないことなのかもしれません。
 しかし、PFASによる水汚染は青森の三沢や山口の岩国、神奈川の厚木、横須賀、東京の横田周辺など広い地域で確認されています。ロシアによるウクライナ侵攻や台湾危機を受けて、日本の安全保障政策は十分な議論を経ずに大きく方針転換し、日々のニュースに接する私の子どもたちも戦争への不安を感じるようになっています。沖縄の出来事は、時間差をおいてこの国で暮らす人の身に等しく降りかかっていることに気づく必要があります。
 「自分や身近な子どもが沖縄にいたら」と想像し、自分にできる範囲で呼応することが、子どもたちの未来を預かる大人に求められています。本土に暮らす人々が「復帰」51年目に沖縄のことを知り、考え、行動することは、自分自身や自分の大切な人の未来を考えることにもつながっているのだと思います。

(*4月20日に『放送メディア研究16号』の全文が文研HPで公開される予定です。)

メディアの動き 2023年02月28日 (火)

#457 北欧メディアに学ぶジェンダー格差解消のヒント

メディア研究部(メディア動向)熊谷百合子

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 2月1日、北欧5か国の政府系プラットホームが主催するパネルディスカッションが東京都内で開かれました。議論のテーマは「ジェンダー平等とメディア~報道と編集室における女性~」。北欧の国々ではジェンダー平等をどのように進めたのか、メディアはどんな役割を果たしてきたのか、北欧と日本の3人の女性ジャーナリストが語り合いました。
 ジェンダー平等とは、国連が定めた2030年までの開発目標「SDGs」の17目標にも盛り込まれている指標です。発展途上国だけでなく先進国も取り組むべき普遍的な国際目標として、日本も積極的に取り組んでいますが、「ジェンダーギャップ指数」に着目すると、世界の中での日本の現在地がわかります。「ジェンダーギャップ指数」は、政財界のリーダーが集まるダボス会議を主催する世界経済フォーラムが、男女の平等の度合いを数値化した指標です。男女格差の解消を目的に2006年から毎年発表していて、「政治参加」、「経済」、「教育」、「健康」の4つの分野について、世界各国の男女の格差を数値化してきました。


世界経済フォーラム「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」(2022年版)
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 去年(2022年)7月に公表された報告書では、日本は調査対象の146か国のうち116位でした。「教育」と「健康」は評価が高かったものの、「政治参加」と「経済」の分野での評価が極めて低い結果となりました。

「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」(2022年版)
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 一方でジェンダー平等の上位の国を見てみると、北欧の国々が目立ちます。アイスランドは13年連続での1位。2位のフィンランド、3位のノルウェーも毎回、上位に名を連ねる、いわばジェンダー平等の優等生です。例えば「経済」の指標は、日本は121位ですが、アイスランドは11位、フィンランドは18位、ノルウェーは27位です。「政治参加」に至っては、日本は139位ですが、アイスランドは1位、フィンランドは2位、ノルウェーは3位という高い水準でした。
 なぜ、北欧の国々は「ジェンダー平等」がこれほどまでに進んでいるのでしょうか?今回のパネルディスカッションでは、ジェンダーギャップ指数1位のアイスランドと2位のフィンランドから2人の女性ジャーナリストが来日しました。ソーラ・アルノルスドッティルさんはアイスランド国営放送の編集長で、アヌ・ウバウドさんは北欧最大の日刊紙として知られるヘルシンギン・サノマットの元編集長です。日本のメディアからは、NHK解説委員でジェンダーや男女共同参画を担当する、NHK名古屋拠点放送局の山本恵子さんが登壇しました。司会は朝日新聞の元記者で、バズフィードジャパンの初代編集長を務めた古田大輔さんです。都内の会場には大学生や報道関係者など50人が集まり、オンラインでも約200人が参加しました。
 議論は冒頭から、なぜ北欧の国々はジェンダー平等の推進に成功し、メディアはどのような役割を果たしてきたのか、という核心を突いたところから始まりました。ソーラ・アルノルスドッティルさんは、ジェンダー平等に向けた動きは、長い歴史のなかで少しずつ進んできたことを教えてくれました。

アイスランド国営放送 編集長 ソーラ・アルノルスドッティルさん

panel2_1.jpg「ジェンダー平等を推進するための青写真があったわけではありません。アイスランドでは100年以上の時間をかけて、小さな前進を重ねてきました。権利獲得の闘いを始めたとき、アイスランドの女性たちはまず雑誌を創刊するところから始めました。それは、自分たちの考えを社会で共有するためには女性のためのメディアが必要だったからです。女性が投票権を得たのは1915年ですが、女性の国会議員の数はすぐには増えませんでした。女性に与えられたポジションは少なく、その結果、女性同士の激しい競争につながりました。大きな転換点は1980年代です。世界初の女性大統領が選出されたのです。彼女の在任期間は16年間と長期だったこともあり、当時の子どもたちは、男性は大統領になれないと思っていたほどです。男女の賃金格差についても私の祖父の時代から議論が始まり、法制化を進める動きもありましたが、遅々として進みませんでした。それでも議論を前に進めようとする人たちの努力があって、最近では男女同一賃金を実現するための法律ができました。育児休業制度は、父親と母親が最大で6か月ずつの取得が可能で、両方が取得すればさらに6週間を互いに分け合うことのできる仕組みになっていて、ジェンダー平等を進めていくうえで不可欠のものとなっています」

そのうえで、メディアの果たすべき役割は非常に大きいと語ります。

「メディアは単に社会を反映するだけではなく、私たちが何をニュースとして取り上げるのか、誰に取材するのか、どんな視点で伝えるのかによって社会をかたちづくりさえします。私が国営放送で働いてきた25年の中でも、多くのことが変化しました。当時では考えられないことですが、現在では男女の比率を50:50にすることを常に意識しています。多様性はリーダー層だけでなく、マネジメント層にも必要です。白人の中年の男性ばかりでは、同質性が高い人たちによる意思決定が行われてしまうからです。ニュースの制作陣が多様化しても、上の立場の人たちの同質性が高いままでは多様な報道にはつながらないのです。ボトムアップとトップダウンの両輪でジェンダー平等を進めていくことが必要です」

アヌ・ウバウドさんはジェンダー平等を推進する議論を、メディアが積極的に取り上げることの必要性を説きました。

ヘルシンギン・サノマット 元編集長 アヌ・ウバウドさん
panel3_1.jpg 「メディアが重要であることは言うまでもありません。育児休業や子育てに関連する社会的支援はジェンダー平等を達成するうえで重要な施策です。こうしたトピックをメディアで頻繁に取り上げることが、社会の共通課題であるとの意識を共有していくうえで不可欠です。そのためには、メディアはどのように世界を描くのかを考えなければなりません。その意味でもメディアの役割は重要なのです」

 一方でジェンダー平等が大きく遅れる日本のメディアの現状について、NHKの山本恵子解説委員は自身の経験を踏まえながら、女性記者が仕事を続けることの難しさについて語りました。

NHK解説委員 山本恵子さん
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「報道記者は、事件、事故、災害が起きれば、すぐに駆けつけなければなりません。大災害の場合は24時間態勢で報道センターに詰めて、最新ニュースを視聴者に届ける必要があります。緊急時の突発の対応が求められるので、子育て中の母親が報道の現場で働き続けることは容易ではありません。育児休業からの復職後、母親たちは24時間態勢の報道の現場に戻るのか、さもなければ別の部署に移るのかという選択を迫られることになります」

 一児の母である山本さんは、何度も壁にぶつかりながら報道の仕事を続けてきたと言います。北欧メディアで働く子育て中の女性たちには同じ悩みはないのでしょうか?仕事と育児を両立するなかで、ワークライフバランスはどのように保たれているのでしょうか。panel5_1.jpg(ソーラ・アルノルスドッティルさん)
「仕事か家庭かの選択を迫られるのだとしたら、それは仕組みとして機能していないことを意味します。子どもがいると働きにくい慣習が職場にあるならば、変える必要があります。男性は仕事、女性は家事・育児、という性別役割分担の意識が根強いのであれば、その意識も変えなくてはなりません。報道に関わるのは、家庭のことを妻に任せられる男性だけというのも変えるべき風景です。そのような同質性の高い人たちによって制作されるニュースは、さまざまな価値観をもつ人々が暮らす社会に受け入れられなくなりつつあります。つまり、報道の現場も社会と同様に多様であるべきですし、人々にとって何がニュースなのかを再定義する必要があるのです。ニュースの制作現場のダイバーシティーを実現するためには、多様な人が働きたいと思えるような魅力的な職場にすることが求められています」

(アヌ・ウバウドさん)
「北欧の国々では長時間労働は評価されません。残業時間が長いということは、効率的な仕事ができていないことを意味します。フィンランドでは、ジャーナリストであれ会社員であれ、そして管理職であれ、夕方には退社します。5時前には保育園に子どもを迎えに行って自宅に戻ります。もちろん残業しなくてはならない場合もあるので、自宅に持ち帰って夜間の時間帯で仕事をすることもあります。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)以降は、より包括的に幸福とは何かという議論を深めてきました。なぜかと言うと、想像力豊かで効率的に働く人は、私たちの文化では仕事以外の生活も充実している人だと考えるからです。働き方の議論は、ジャーナリズムやメディアにかぎった問題ではなく、文化にまつわる問題なのだと思います」

 北欧はワークライフバランスが整っているイメージはありましたが、緊急報道などの対応もあるメディアは例外なのではないかと想像していました。しかし、フィンランドでは子育て中かどうかを問わず、官公庁も企業も報道機関も学校も、夕方4時を過ぎると退勤するのが一般的だといいます。医師も例外ではなくシフト勤務が徹底しているとのことで、どんな職種でもよほどの理由がないかぎり、残業はしないそうです。
 “他社よりも早く”、そして“特ダネ”を高く評価する日本のメディアでは、“夜討ち朝駆け”という言葉に象徴されるように長時間労働の慣習が長く続いてきました。そうしたなかで仕事と育児を両立する女性記者がキャリアをどのように形成していけばよいのか。悩ましい課題を克服することは容易ではありません。ソーラ・アルノルスドッティルさんが語っていた、“人々にとって何がニュースなのかを再定義する”ことはメディアの価値を問い直す上で、一つの手がかりとなるような気がしました。
 議論では、ソーラ・アルノルスドッティルさんは6人の子どもを、アヌ・ウバウドさんは4人の子どもを育てていることにも触れました。アヌ・ウバウドさんは編集長をしているときに第4子の出産、育休、復職を経験しましたが、上司や同僚たちは、小さな子どもを育てる女性が編集長の仕事を続けることで周囲の意識も変わるとポジティブに捉えて、サポートを惜しまなかったそうです。
 パネルディスカッションの後半では、若い世代へのメッセージがありました。

(山本恵子さん)
「私は3年前に管理職になって、夕方のローカルニュースの編集責任者を交代制で務めています。どのニュースをトップで扱うのかを自分で決めるので、私は女性に関わる問題や子育てにまつわるニュースをトップ項目で放送します。ニュースを見る人たちは、これは重要なテーマなんだと認識するかもしれない。そうすることで少しずつ社会の意識を変えていけると思います。職場の若い世代の女性たちには『大変だけど記者を辞めないで』と言い続けています。報道の現場に女性がもっと増えれば、より多様な報道を発信できるからです。辞めてしまえば女性の数は減ってしまい、何も変わらないことを意味します。仕事を続けていけば職場のルールを変える立場に昇進して、働きづらい要因となっている職場の慣習も自分たちで変えていくこともできるのです」

(アヌ・ウバウドさん)
「北欧ではジェンダー平等を達成するのに150年の年月がかかりましたが、日本でも同じだけの時間がかかるとは思っていません。今は変化を加速できる時代です。メディアの発信力が強化され、さまざまな意見を表明する場が与えられているのですから」

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 このブログでは詳述しませんが、今回の議論では、フィンランドでは雑誌メディアには女性が多くいる一方で、ニュースメディアの男女の比率を見ると女性の数がまだ少ないなど、課題があることも紹介されていました。質疑応答でも大学生を中心に活発な意見が次々と出て、ジェンダー平等への関心の高さがうかがわれました。パネルディスカッションの詳しい内容は、ブログの最後にご紹介するURLからご覧ください。
 司会を務めた古田大輔さんは、今回の議論が日本のメディアの多様性を加速することに役立ってほしいと話していました。

panel7_1.jpg(古田大輔さん)
「日本のジェンダーギャップについてはメディアの現場にも課題があるということはわかっていても、どれぐらい課題が大きいのかを気づくのは難しいことです。今回、北欧メディアの第一線で働く2人の声を直接聞けたことで、メディアが多様性を映し出していくことの重要性と、日本のメディアが抱える課題を確認することができたと思います。報道する側にダイバーシティーがある方が、よりパワフルで魅力的なメディアを作れるんだということに、まずは気づくことですよね。日本の新聞やテレビなど主流メディアの皆さんへの重要なメッセージになるのではないでしょうか」

 北欧のジェンダー平等は長い歴史をかけて一歩ずつ前進した結果、実現したものでした。誰かがお膳立てして用意したものではなく、変化を必要とする人たちがそれぞれの持ち場で変革を担ってきたからこそ、今の姿があるのだと感じました。
 パネリストとして来日した北欧の2人のジャーナリストは、ジェンダー平等の遅れる日本のメディアについて何を感じたのでしょうか。そして北欧メディアの取り組みを知り、日本のメディアで働く人たちは何を思うのでしょうか。このブログでは取り上げきれなかったエピソードについても、今後の調査研究を交えて連載を続けていく予定です。 


↓パネルディスカッションの詳しい内容はこちら↓

▽Nordic Talks Japan「ジェンダー平等とメディア~報道と編集室における女性~」
    https://note.com/nordicinnovation/n/n55dee5e1a3b2
参考資料)
▽世界経済フォーラム「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」(2022年版)
 Global Gender Gap Report 2022 | World Economic Forum (weforum.org)

2024年2月8日追記)
パネルディスカッションの日本語吹き替え版
https://youtu.be/BN9AEJu2Zow?si=rMbwoStKh379GYtV

 

メディアの動き 2023年02月06日 (月)

#449 シリーズ「深刻化するネット上の誹謗中傷・いま何が必要なのか」(3) ~いまマスメディアに期待される役割とは

放送文化研究所 渡辺健策

 シリーズ第3回は、ネット上の誹謗中傷の被害拡大を防ぐために、マスメディアにどのような役割が期待されているのかを考えます。
 第1回のインタビュー記事で、ネット上で誹謗中傷を受けた被害者の裁判を担当する小沢一仁弁護士は、SNSなどに投稿される誹謗中傷や、その原因となる不正確な情報をマスメディアがいち早く打ち消すことで被害の拡大を防げると述べていました。多くの被害者と思いを共有する弁護士のこの指摘には重みがあります。
 被害者にとって、救済を求める裁判の労力と費用の負担は大きなものです。提訴したことをネット上で非難される二次的な被害に耐え、仮に勝訴しても認められる賠償額は低く、裁判費用をまかなうのも難しいのが現実です。1また、ひとたび拡散してしまった投稿を完全に消すことは難しい「デジタル・タトゥー」の問題もあるため、誹謗中傷対策を考える上では、何よりも発生・拡散を防ぐことが重要です。
 いまマスメディアに期待される役割とは、どのようなものなのでしょうか。

<マスメディアとソーシャルメディアの"相互作用">

 まず前提として考えなければいけないのは、ネット上の誹謗中傷を含む誤情報・偽情報が拡散していく過程で、マスメディアが伝える番組・ニュースなどの発信内容とソーシャルメディア上の投稿との"相互作用"がはたらいていると指摘される点です。

 法政大学の藤代裕之教授は、誤情報・偽情報を含むニュース(=フェイクニュース)は、テレビなどのマスメディアが生成を助長しており、マスメディアとソーシャルメディアの間の"相互作用"で広がっていると指摘しています。2「SNSの話題がニュース化する過程で、マスメディアのコンテンツがソースとして使われることが多い。ソースとして使われる中で内容がねじ曲げられていく、違うものにされて使われていく」と分析し、その「発生」と「拡散」の双方のプロセスにマスメディアが関わっていると言及しています。こうしたソーシャルメディア上のフェイクニュースの発生・拡散にマスメディアが深く関わっているという捉え方は、多くの研究者によって報告されています。3

 では、誹謗中傷やその原因ともなる誤情報・偽情報の発生に、マスメディアはどのように関わっているのでしょうか。冒頭に触れた小沢弁護士が裁判を担当した2つの誹謗中傷被害のケースをもとに検証します。
 1つめのケースは、2019年8月に常磐自動車道であおり運転をしたドライバーが、相手の車を停止させた上、運転席の男性を殴った事件です。民放の番組で放送されたドライブレコーダーの映像には、容疑者の男とともに車から降り、被害者に携帯電話を向けて撮影している女性の姿(顔にボカシ入れて放送)が映っていました。ネット上の投稿では"ガラケー女"と呼ばれ、映像から分かる服装などを手がかりに、身元の特定を試みる動きが一部に広がりました。その結果、何の関係もない別の女性を"ガラケー女"だと名指しする誤情報がネット上に広がり、間違われた女性に対する激しい誹謗中傷につながったのです。4

警察庁リーフレット「あおり運転厳罰化」 警察庁リーフレット「あおり運転厳罰化」

 この「あおり運転殴打事件」は当時、高速道路などで繰り返されていたあおり運転の1つとして、報道で大きく取り上げられ、その後、国が厳罰化を進めるきっかけとなりました。その点では、マスメディアが積極的に伝えたことの意義はあり、社会課題の解決に向けて世論が国の施策を動かしたことは評価されるべきでしょう。しかし、副作用として、ネット上で人違いが発生し、何の罪もない一般の市民が突然、多数の誹謗中傷を受けることになりました。
 もう1つのケースは、2019年9月に山梨県道志村のキャンプ場で小学1年生の女の子が行方不明になり、大規模な捜索が行われた時のことです。母親や知人らが始めた捜索のための募金活動などをめぐって、母親を誹謗中傷する投稿が相次ぎました。警察や消防が広い範囲で捜索を続けていましたが、女の子の手がかりを見つけることはできず、約2週間後に捜索は打ち切られました。5このケースでも、連日、マスメディアが捜索の状況を詳しく報道しました。一連の報道は、大勢のボランティアが独自の捜索に参加するなど、少しでも早く女の子を発見してあげたいという思いをもつ人たちを動かしました。このときの捜索で発見には至りませんでしたが、多くの人が自発的に協力してくれたという点で社会的な意義があったといえます。その一方で、連日の報道を通じて全国に名前が知られるようになった母親に対し、誹謗中傷の言葉が向けられることにつながりました。
 2つのケースは、積極的な報道に伴って、さまざまな臆測や思い込みといった誤情報や偽情報がネット上に広がるようになり、それらの誤った情報を信じた人が誹謗中傷を始める、という構図になっていました。こうしたネット上の誤情報・偽情報を信じた人が、独自の"正義感"から誹謗中傷を行うというプロセスは、他の事例でも報告されています。6

<なぜ誹謗中傷につながってしまうのか>

 マスメディアによる報道とネット上の誹謗中傷との関係を考える上で1つのヒントになるのが、「流言」をめぐる研究の分析手法です。「流言」とは、根拠のないうわさ、事実の裏付けがなく人びとの間に広がっている情報で、7インターネットの普及よりはるか前から、社会心理学や社会学の研究の対象となってきました。「流言」には、のちに事実と確認される情報も含まれ得るという点では誤情報・偽情報と異なりますが、『事実の裏付けがないまま広がる』という点は共通しています。どんな時に流言が広がりやすいかという分析手法は、誤情報・偽情報や誹謗中傷の発生過程を考える上で手がかりになります。

流言をめぐる研究書 R(流布量)= i(重要さ) × a(あいまいさ) 流言をめぐる研究書 R(流布量)= i(重要さ) × a(あいまいさ)

 ハーバード大学のG.W.オルポートらの研究グループは、流言が拡散される量は、情報を受け取る人にとっての「重要さ」と、その情報の「あいまいさ」の積に比例するという仮説を立てて分析しています。ポイントは、足し算ではなく、かけ算で、流言の広がりやすさを分析していることです。つまり、情報の「重要さ」と「あいまいさ」のどちらか一方がゼロなら、拡散量もゼロで、流言が広がることはありませんが、どちらか一方、あるいは双方が大きくなるほど、流言は大規模に広がっていく、ということを意味します。8
 この「重要さ」「あいまいさ」という2つのキーワードをもとに考えると、前述の2つの誹謗中傷被害のケースは、どちらもマスメディアが大きく取り上げたことで社会的な関心が高まり、受け手にとっての「重要さ」が上昇していたと考えられます。また、"ガラケー女"のケースでは、指名手配中の容疑者の男と、映像に映る同行女性の関係がよく分かっていなかった上、女性の顔にはボカシが入れられ、「あいまいさ」が顕著な状況になっていたことがうかがえます。

『新聞研究』2022.8-9 『新聞研究』2022.8-9

 山梨県道志村で起きた女の子行方不明のケースについては、地元紙の報道部部長が一連の報道を振り返る論稿を『新聞研究』に執筆しています。この中では、当時取材した担当記者の所感を紹介し、「根拠がなさ過ぎて、事故なのか、事件なのか判断に困るという雰囲気だった」と記しています。また、大規模な捜索を行ってもいっこうに手がかりが見つからない中で捜索が打ち切られ、その一方で、情報提供を呼びかけるチラシを配ったり募金活動をしたりする母親への取材が過熱していった経緯も記されています。9事故か事件か見当がつかず、手がかりもない、いわば謎が深まるような状況だったことがうかがえます。連日の報道で受け手にとっての「重要さ」が高まるとともに、「あいまいさ」も顕著になる中で、誤情報や偽情報がネット上に広がり、それに連なる誹謗中傷も増えていったと考えられます。
 当時このニュースがどのくらいの頻度で報じられていたかを振り返ると、例えばNHKでは、捜索が始まった9月22日から捜索が打ち切られた10月7日までの16日間、連日ニュースで報じており、とりわけ首都圏のローカルニュースでは、その多くがトップニュースまたはトップに準ずる上位項目という扱いでした。他のマスメディアも全体として、このニュースを大きく取り上げる傾向が長く続いていました。

国際大学 山口真一准教授 国際大学 山口真一准教授

 国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの山口真一准教授は、「2週間にわたってずっとトップ級のニュースなのかというと、おそらくそういう話ではない。報道の負の側面が次第に大きくなって、テレビのニュースを見ている側は、何回も見ているうちに『これって実は』などと疑い始める人が増えてくる。その影響力は、マスメディアに関わる一人一人が考えるべきで、過去の事例をふまえながら、自らの影響力を認識すべきところがあると思う」と述べています。10

<デジタル情報空間にどう向き合うべきか~打ち消し報道>

 正確な事実を伝えることで社会のニーズに応えるマスメディアが、その使命を果たしつつ、副作用ともいえる誤情報・偽情報や誹謗中傷の拡散を防ぐためには、どうすればいいのでしょうか。

マスメディアによる「打ち消し報道」/●迅速な事実確認が可能 ●拡散力への期待 ●報道倫理上の責任

 前述の2つのケースも含め、事件事故の当事者に関する誤情報・偽情報については、警察や消防などを取材しているマスメディアは、事実かどうかの確認を比較的しやすい状況にあります。また、マスメディアがニュースの続報として打ち消し報道を行えば、一定の拡散力も期待できます。実際、"ガラケー女"との人違いのケースでは、小沢弁護士が事実無根であるという声明文を出した後、一斉に打ち消し報道が行われ、誹謗中傷の拡散にブレーキをかけたといいます。11
 東京大学の鳥海不二夫教授は、「大手メディアは、いまだに大きな影響力を持っています。誤情報を掲載しないようにすることはもちろん、ファクトチェックなどによって、社会に広まってしまった誤情報を訂正する機能を持つことも期待されています。もちろん、大手メディア自身が誤情報を発信してしまった場合は、自らそれを責任もって訂正することも求められているでしょう」と述べています。12
 自ら誤報を出してしまった場合は当然ですが、そうでない場合でも、みずから伝えた情報がネット上を流通する過程でゆがめられ、誤情報・偽情報につながったという"相互作用"が疑われるのであれば、報道倫理の観点からも、誤った情報を打ち消す合理的な理由があるように思います。

<マスメディアの伝え方の工夫>

 打ち消し報道に加えて、もう1つ考えなければならないのが、誤情報・偽情報の発生・拡散そのものを抑制するための、マスメディアみずからの伝え方の工夫です。
 これまでマスメディアで取材・出稿に携わってきた記者や編集者にとって、最も重要なことは、伝えるニュースが事実として確認できているかどうか、ニュースそのものの真実性でした。しかし、社会の急速なデジタル化によって、マスメディアの発信した情報が、受け手側の解釈や臆測、思い込みなどによってねじ曲げられ、まったく違った内容になって拡散されることが多くなっているのが現実です。
 最近は、マスメディアの取材手法の1つとして、SNS上の投稿から、いち早く情報を入手することが日常的に行われるようになってきました。報道機関によっては、専従のチームもつくっています。
 藤代教授は、「マスメディアにはSNSの反応を見ているチームもあるのに、そこで得た情報が番組に反映されない場合がある。取材の端緒をつかむツールとして使っているにすぎず、放送がどう受け取られているかという意識は乏しい。視聴者の誤解を解いたり、誹謗中傷の被害を防止したりするためのコンプライアンス的な対応を現場に落とし込むことを検討した方がいい」と述べています。13前述の「重要さ」と「あいまいさ」のかけ算によって流言の拡散が大きくなることがあるという視点もふまえ、ニュースの取り上げ方や表現方法を工夫することで、誤情報・偽情報の発生をできるだけ予防できないか、マスメディアの伝え方に、検討の余地はあるように思います。

<マスメディアによるファクトチェック>

 一方、ネット上の疑わしい情報を検証する取り組みについてはどうでしょうか。インターネット上の本当かどうか分からない情報について、事実かどうかを検証・判定するファクトチェックは、海外では、マスメディアを含むさまざまな団体によって積極的に行われ、国際ファクトチェックネットワーク(IFCN)が定めた原則綱領に基づいて、国境を越えた連携が強まっています。

IFCNのホームページより IFCNのホームページより

 しかし、日本ではこれまで独立系メディアや民間団体が中心となって進められてきました。最近は、新聞社やテレビ局の一部が力を入れ始める動きもありますが、14全体としてマスメディアによるファクトチェックは出遅れてきたと指摘されています。15
 日本大学の石川徳幸准教授は、「流布された誤りをただして、正確な情報を不特定多数の人びとに提供し直すのは、マスメディアが最も適任である。SNSを介した情報接触には、『フィルターバブル』や『エコーチェンバー』と呼ばれる集団極性化16をもたらす特性が指摘されているが、新聞をはじめとするマスメディアの社会的役割として期待すべきは、伝えるべき正しい情報を取捨選択して、理性的な議論を促すことであろう」と記しています。17また、マスメディアによるファクトチェックの効果について、山口准教授は、「しっかりと検証した報じ方をすれば、その情報がSNSにも流入して拡散していくということもあるので、ポジティブな共振現象が起こるのではないか。そこをしっかりとやるというのはとても大切なことだと思う」と期待感を示しています。18

<今後の課題>

 日本のマスメディアによるファクトチェックを普及させるには、何が課題となるのでしょうか。
 藤代教授は、日本の既存メディアの記者には、取るに足らない不確実な情報をフェイクニュースとして対応することをためらう考えがあると指摘しています。また、2018年9月に行われた沖縄県知事選の際に地元紙が行った候補者などに関するフェイクニュースの検証事例を紹介した上で、「通常の取材に比べて確認作業に労力がかかるために記者の大きな負担になっていた」と記しています。19報道に携わる人たちの意識改革と負担軽減の工夫が、ファクトチェックを普及させるためには欠かせません。
 また、マスメディア自身の誤報や過熱報道、ミスリードなどによって、メディアへの信頼が大きく揺らいでいることも、情報空間の汚染に拍車をかけています。20
 藤代教授は、ネット上を流れるニュースが記事単位で断片化していることに触れ、ソーシャルメディアの生態系の中で適切に記事が届くように配慮すべきで、正確な情報の流通のためには、追記や訂正といった更新履歴やソースへのリンクをネット配信記事に掲載する必要があると指摘しています。その上で「既存メディアが、ソーシャルメディア時代に取り組むことは、いいね数やページビューを稼ぐことではない。ソーシャルメディアのスピードや熱狂から距離を取り、様々な角度から検証を行い、冷静に対応すべきだ。メディアの役割は分断ではなく、社会をつなぐものである」と提言しています。21

 膨大なネット情報を1つのマスメディアだけで網羅的にチェックすることは困難ですが、まずは優先順位の高い▼人びとの生命・安全、▼個人の尊厳と人権、▼民主主義の土台となる選挙の公正を対象に、これらを危機にさらす誤った情報が大規模に広がり始めた時に、マスメディアが事実関係を検証して報じることには価値があると思います。マスメディアが互いに連携し、ファクトチェック団体やプラットフォーム事業者とも協力すれば、デジタル空間を正しい情報が循環する環境をつくることも不可能ではないでしょう。22
 マスメディアには、正確で多様な情報を社会に届ける役割に加えて、ネット上の情報のやりとりを注意深くウオッチしながら、デジタル空間の汚染の歯止めとなることも期待されているのではないでしょうか。誰でも情報交換や表現活動を自由にできるネット空間の特性を今後もいかし、育てていくため、どのような役割を果たせるのか、引き続き模索していきたいと思います。


【注釈および引用出典・参考文献】
  • さはらえり『ネット社会と闘う~ガラケー女と呼ばれて~』(リックテレコム,2021年)69-70頁
  • 藤代裕之『フェイクニュースの生態系』(青弓社,2021年) 17頁、68-71頁、 Yochai Benkler, Robert Faris, Hal Roberts『Network Propaganda』(Oxford University Press, 2018)
  • 藤代裕之(筆者インタビューへの回答,2022年12月)、藤代裕之 前掲2『フェイクニュースの生態系』、山口真一『ソーシャルメディア解体全書』(勁草書房,2022年)、鳥海不二夫・山本龍彦『デジタル空間とどう向き合うか 情報的健康の実現を目指して』(日経BP日本経済新聞出版,2022年)、福長秀彦「新型コロナウイルス感染拡大と流言・トイレットペーパー買いだめ~報道のあり方を考える~」『放送研究と調査』2020年1月号(NHK出版)
  • 前掲1 さはらえり『ネット社会と闘う~ガラケー女と呼ばれて~』18-25,52-55頁
  • その後、2022年4月に山梨県道志村の山中で人の骨の一部や、女の子のものと見られる運動靴、服装の一部が見つかった。骨のDNA型が一致したことなどから、警察は、女の子の死亡が確認されたという見解を示した。
  • 山口真一「わが国における誹謗中傷・フェイクニュースの実態と社会的対処」(プラットフォームサービスに関する研究会 第26回資料3,2021年4月)9頁
  • 福長秀彦「流言・デマ・フェイクニュースとマスメディアの打ち消し報道~大阪府北部の地震の事例などから」『放送研究と調査』2018年11月号(NHK出版) 86頁
  • G.W.オルポート&L.ポストマン著 南博訳『デマの心理学』(岩波現代叢書,1952年)、
    T.シブタニ著 広井修・橋本良明・後藤将之訳 『流言と社会』(東京創元社1985年)、
    R. L. ロスノウ、G. A. ファイン著 南博訳 『うわさの心理学』(岩波現代選書,1982年)
  • 山梨日日新聞社報道部部長 藤原祐紀「山梨女児不明事件報道を振り返る―2年半越しの死亡断定も死因分からず」(新聞研究No.847,2022年8-9月号 48-51頁)
  • 山口真一(筆者インタビューへの回答,2022年12月)、
  • 前掲1 さはらえり『ネット社会と闘う~ガラケー女と呼ばれて』52-56頁
    例えばNHKでは、弁護士の声明が発表された翌日の8月19日の夜7時の全国ニュースで人違いによる被害が起きていることを伝えたほか、WEBの特集記事では人違いによる誹謗中傷が発生した経緯を伝えている。「"起きたら犯罪者扱い"いったいなぜ」(NHK生活情報ブログ)
  • 前掲3 鳥海不二夫・山本龍彦『デジタル空間とどう向き合うか 情報的健康の実現を目指して』66頁
  • 藤代裕之(NHKのインタビューへの回答,2022年12月)
  • 日本国内では、推進団体の「ファクトチェックイニシアティブ(FIJ)」が活動しているほか、「日本ファクトチェックセンター(JFC)」、独立系メディアのBuzzFeed Japan、InFactなど、新聞では毎日新聞、朝日新聞、沖縄タイムス、琉球新報などがファクトチェックを行っている。また、放送局では日本テレビとNHKが一部でファクトチェックの手法を取り入れているほか、ポータルサイトなどを運営するプラットフォーム事業者がファクトチェックに関する活動にコミットする動きも出ている。
  • 「Innovation Nippon調査研究報告書 日本におけるフェイクニュースの実態と対処策」(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター,2020年3月)116-117頁、藤代裕之「ソーシャルメディアで広がる『デマ』それに結びつく既存メディア攻撃」(Journalism 2020.6)31頁
  • 「集団極性化(サイバーカスケード)」=集団の意思決定が個人の決定の平均に比べて、より極端な方向に偏る現象(日本社会心理学会編『社会心理学事典』丸善2009年)、インターネットの特定のサイトや掲示板などでの意見交換で、ある事柄への賛否いずれかの論が急激に多数を占め、先鋭化する傾向を持つというもの(松村明監修『大辞泉』小学館,2012年)
  • 石川徳幸「デジタル時代の新聞産業とジャーナリズム」(情報の科学と技術68巻9号,2018年) 437頁
  • 山口真一(筆者インタビューへの回答,2022年12月)
  • 前掲2 藤代裕之『フェイクニュースの生態系』80,139頁
  • 前掲15 藤代裕之「ソーシャルメディアで広がる「デマ」それに結びつく既存メディア攻撃」32頁 前掲6 山口真一「わが国における誹謗中傷・フェイクニュースの実態と社会的対処」15頁
  • 前掲15 藤代裕之「ソーシャルメディアで広がる「デマ」それに結びつく既存メディア攻撃」34頁
  • BBCなどが進める有害な偽情報・誤情報に関する知見や対策方法を共有する国際的なメディアネットワークTrusted News Initiative にNHKや豪州ABCなどアジア地域のメディアが2022年11月に参加を表明した。
メディアの動き 2023年01月27日 (金)

#447 これからの"放送"はどこに向かうのか? ~「公共放送ワーキンググループ」のこれまでを振り返る<第4回の議論から>~

メディア研究部(メディア動向) 村上圭子

◇はじめに

 総務省の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会(以下、在り方検)」の「公共放送ワーキンググループ(以下、公共放送WG)」について、先日のブログ1では第2回・第3回の報告・ヒアリングのポイントを整理しました。今回は第4回の議論を紹介します。
 第4回は、私がこれまで約10年にわたり放送政策に関するこの種の検討会を傍聴してきた中でも、最も刺激的な議論が行われた会合の1つではなかったかと感じています。NHK、民放連、新聞協会、総務省、そのそれぞれに対して、構成員たちからかなり厳しい要望や意見が投げかけられたからです。これらは、デジタル時代において旧来型の放送政策議論を続けていては、拡張する情報空間における伝統的メディアの役割を再定義できないのではないか、という問題提起でもあるように感じました。そして、このWGの議論の主役であるNHKに対しては、本来やるべきものをやっているかどうか、その成果を測る指標等を設定すべきであり、その役割が果たせていなければNHKはいらないのではないか、といった発言まで出されました。
 どういう議論が行われたのか、詳細を見ていきたいと思います。なお、本ブログ執筆時にはまだ総務省から議事要旨が公開されていなかったため、私の手元のメモをもとにしています。

◇繰り返される主張

 第4回ではまず、第3回でヒアリングを受けたNHK、民放連、新聞協会に対し、構成員たちからの追加の質問とそれに対する回答が紹介されました2。主なものを紹介しておきます。
 NHKに対しては、“公共放送としてのあるべき姿をどのようにデザインされているか自身の言葉で語ってほしい”“何が公共放送として求められる役割なのか、NHKとして日本においてはどのようなものが(メディアとして)公的な性質を持った役割と考えているか”という問いかけがありました。それに対しNHKは、“現在の放送と同様の範囲・効用のあるものは提供の態様が異なっても役割を果たしていくことが出来る、今後はWGの議論の深まりに期待したい”と答えました。
 民放連に対しては、“NHKのネット活用業務の拡大や存在が、民放との競争関係にどれだけの影響をもたらすと考えられるのかエビデンスや調査はないか”という問いかけがありました。それに対して民放連は、“そうした結果は持ち合わせておらず、政府やNHKが必要に応じて民放や新聞に不利益が生じるかどうか明らかにする調査を実施してほしい”と答えました。また、“NHKのネットオリジナルのコンテンツの制作・配信が民放との競争上具体的にどのような問題につながるか”という問いかけに対しては、“現行の受信料制度を維持したままNHKの新たな業務範囲を検討するのであればオリジナルコンテンツが含まれないことは当然であり、財源(受信料)の問題を抜きにしてはこの話はできない”と答えました。
 新聞協会に対しては、“情報空間の全体構造との関係でNHKとの協力のあり方についてどう考えるか”という問いかけがありました。それに対し、“NHKがネット活用業務に関して具体的な内容や範囲、それに伴う受信料制度なども含めた全体像を現時点で示していない段階では答えられない”としました。また、“現状でもネット活用業務のなし崩し的な拡大がみられる、ネット時代における公共放送の役割について議論するのであれば、まず公共放送として取り組む業務範囲から検討が必要だ”という従来からのスタンスを強調しました。

◇問われるメディア自身の説明責任

 ここまでは事務局が事業者の回答を紹介するという形で進められましたが、その後は、オブザーバーとして参加していたNHK及び民放連に対し、構成員が更に突っ込んで質問をしていくという流れになりました。NHKに対しては宍戸常寿構成員から、“NHKは今後どういう風に公共放送の役割を果たしていくのか、その全体像を示さない限り、議論は暗礁に乗り上げている気もする、その答えはしっかりNHKから出してもらえるのか”という趣旨の問いかけがありました。NHKはこれに対し、第3回の報告の内容を繰り返した上で、“WGでの議論の深まりを期待したい”と回答するに留まりました。しかし、落合孝文構成員からは、“BBC等の場合はこういうものを公共性がある情報だということをもっと具体的に示している、NHKが力点を入れるという「あまねく伝える」「安心・安全」だとなんでも入ってしまいそうな気がするので、どこかでNHKから明確な意見をまとめてほしい”と重ねて要望がありました。
 落合構成員は民放連に対しても、“仮にNHKのネット展開拡大で悪影響があるにしても、それを是正する措置としての協力・連携、資金の投入等の点も考慮して検討してほしい”という趣旨の要望を述べました。
 また新聞協会に対しては大谷和子構成員から、“ネット活用業務のなし崩し的な拡大がみられるという発言があるが、私から見たらNHKは慎重に拡大してきたという認識。具体的にどういう点で課題となっているのか、漠然とした懸念ではなく、数字等も含めて具体的に教えてもらえないと公正競争のフレームワークを議論しにくい”という発言があり、三友仁志座長からも新聞協会に再度質問するようにと事務局に対する念押しの発言がありました。

◇問われる行政の責任

 また、宍戸構成員は総務省に対して、“放送政策の効果について抽象的な話のやりとりではなく、データや指標に基づいて議論すべきであり、放送法を所管されている以上、データを把握し提示する責任があるのではないか、デジタル化が進んでいる社会全体の中でこれまでのような放送政策の流儀が成り立つのか非常に危機感を持っている”と発言しました。この問いかけに対し総務省の事務局は、“どのようなデータが必要なのかも含めてWGの構成員と一緒に議論を進めていきたい”と回答するにとどまりました。

◇今後の議論に向けた構成員からの論点案

 後半の議論では、今後の施策を考えるための具体的な論点案が相次いで構成員から出されました。今後、諸外国の制度等も参考にしながら議論が深められていくと思いますので、こちらについては改めて海外の状況と共にブログで紹介していきたいと思います。ここではどんな意見が出ていたのか、備忘録的に項目だけ挙げておきたいと思います。

  • プラットフォームとの交渉における伝統メディア間の協力の枠組みつくり
  • メディアの競争政策について、“市民の利益”という観点から検討する
  • NHKの活動について指標を定めて成果を計測する仕組みを作る
  • ガバナンス強化が求められるNHKの経営委員会に、デジタルや競争政策の専門家という選任要件を設ける
  • NHKは非競争領域(例:国際業務)においては、BBCのように積極的にビジネス活動の展開を検討する
  • 受信料についてNHK業務以外での活用用途を検討する
  • WGの議論を視聴者・国民に対してわかりやすい形で情報発信する

◇議論を傍聴して感じたこと

 前述したように、後半には構成員から積極的な論点案が提示されました。特に、前回で曽我部構成員が提起した、視聴者の利益を消費者の利益と市民の利益に分け、公共放送に対してはより市民の利益を重視する方向で公共的役割を定めていこうという議論の方向性は、第4回の議論でより深まってきたという印象を持ちました。ただ、これらの議論を、放送事業者の一員、NHKの一職員として聞いていてある種のむなしさも感じました。
 メディアの自主自律を標ぼうするのであれば、デジタル情報空間についての問題意識を、新聞、民放、NHKの伝統メディアが共有した上で、まずそれぞれの事業者が、自らの価値の再定義について日々の実践を踏まえて具体的に言語化し、それをもとに、これまで切磋琢磨して民主主義を支えてきた事業者どうしがどうすみ分けどう共創していくのか自ら調整し、それを政策当局に提示し、その内容を政策に反映させていく、それが本来のあるべき姿だと考えます。ただ、第4回の事業者に対する構成員の反応をみると、いずれのメディアも自社のもしくは自身の業界の利害という狭い視野でしか発言していないように受け取られてしまったのではないかと推察しています。
 公正競争のフレームワーク作りは、メディアの多様性、それを支える多元性のために必要不可欠なことは言うまでもありません。それをNHKのネット活用業務という枠でのみ考えるのではなく、現在の放送サービスも含めた全体から改めて考えていくべき、という民放連、新聞協会の意見については、私自身は納得感を感じています。例えば地域のメディア機能をどう維持していくのか、供給不足をどう補っていくかということを考えた時、その議論はネットサービスの範囲だけの議論にはとどまらないからです。NHKは、第3回のヒアリングで、自身に今後求められる役割としてメディアの多元性の確保に貢献するという分析をし、提示しています。NHKは、ネット活用業務という狭い範囲ではなく、放送サービス全体まで視野を広げ、それぞれの業務が“市民の利益”にかなうものなのか、今一度点検し、説明責任を果たしていくという姿勢が今後求められるのではないでしょうか。
 また、民放連や新聞協会が、NHKの現在の理解増進情報への取り組みや、今後、ネットのオリジナルコンテンツを制作することに対して競争上問題があると発言するのであれば、もう少し具体的に自身の業務のどの部分とバッティングするのか、今後伸ばしていきたいどの業務の部分の成長を阻害する恐れがあるのかを説明する必要があると思います。これは、多くの構成員が指摘したところであり、私もそう感じます。また、第4回では海外の放送政策について事務局から紹介がありましたが、ドイツでは新聞メディアとの関係から、公共放送のテキスト配信や地域コンテンツの全国ネット展開に制約がかけられているということでした。私自身はNHKの現場の取り組みを見ていて、これらに制約がかけられることに対しては消極的な立場ではありますが、具体的な議論を進めていくためには、こうした政策の背景に何があるのかについて、事務局報告任せにせず新聞協会自らが取材・調査し発信していく、そうした姿勢も必要なのではないかと思います。もちろん、NHKが現在、理解増進情報において何に取り組んでいるのか、対応番組のリストの公開だけでなく、それがどう“市民の利益”に貢献すると考えて取り組んでいるのか、NHKでなければできない理由をどう考えているのか、その説明をしていくことも必要だと考えます。
 宍戸構成員から、デジタル時代の放送政策として、もしくは公共放送の成果を表すものとして、エビデンスをデータで示すべき、という問題提起がありました。確かに指摘はもっともだと思います。ただ、そう思うと同時に、仮にメディアの働きかけが視聴者・国民にどのような影響、行動変容を及ぼしているのか、というものを指標化し測定するということが行われるとすれば、それが行き過ぎることには怖さも感じます。今行われている議論は、今後の情報空間において信頼されるメディアをどう維持すべきか、という非常に大きな枠組みの議論です。もちろん民放連が指摘する通り、その議論を公共放送のネット活用業務を議論する場で行っていることには違和感もあります。ただ、既にこのWGで議論が開始されている以上、メディアの意思が不在のまま、今後の日本のメディアに関する政策が決定してしまうということには、メディアに所属する一人として大きな危機感を感じます。文研が、こうしたテーマを考え、業界横断的な議論を促していく旗振り役になるべきではないか、第4回を傍聴して最も強く感じたのはそのことでした。今後、何ができるのか、改めて考えていきたいと思います。


メディアの動き 2023年01月25日 (水)

#446 これからの"放送"はどこに向かうのか? ~「公共放送ワーキンググループ」のこれまでを振り返る<第2回・第3回>~2023年1月のNHKを巡る動き~

メディア研究部(メディア動向) 村上圭子

(はじめに)

 総務省の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会(以下、在り方検)1」の「公共放送ワーキンググループ(以下、公共放送WG)」では、インターネット時代における公共放送の役割や、現在は"任意業務"として行われているNHKのネット活用業務のあり方の検討が進められています。ネット活用業務を拡大すべきか否か、もし拡大する場合には"必須業務"とする等の制度改正を行うかどうか、具体的な業務の範囲や内容は?他のメディア事業者との競争環境をどう確保していくのか?2022年12月まで4回にわたって議論が行われましたが、第4回には、「議論が暗礁に乗り上げているのでは」といった発言も出るなど、厳しい議論が続いています。第5回は2月末に開催が予定されています。本ブログでは第1回の議論を整理2して以降フォローしていませんでしたので、これまでの会合の内容を確認しておきたいと思います。今回は、第2回・第3回のうち、報告・ヒアリング部分について、私がポイントと感じた部分を資料の抜粋と共に振り返ります。

(第2回 2022年10月17日 構成員からの報告)

 この日は経済学・産業政策が専門の青山学院大学教授の内山隆氏と、憲法・情報法が専門の京都大学教授で、NHK会長の諮問機関「NHK受信料制度等検討委員会」に設けられた「次世代NHKに関する専門小委員会(以下、次世代小委)3」委員長の曽我部真裕氏の2人の構成員からの報告がありました4

*内山氏の報告5

 内山氏は、メディアやコンテンツの産業政策の観点から、NHKの今後の役割を考えるという立場で報告を行いました。
 図1は、日本のメディア産業の各分野が、どのようなプレイヤーで構成されているのかを示した図です。内山氏は、世界には国内メジャーを持てない国が数多くある中、日本市場は各分野において、国内メジャーと米国資本を中心としたグローバルメジャーが競争できている国であるといいます。国内メジャーを持つということは、メディア産業において核となる、配給、編成、流通、プラットフォーム機能を失わないという点で重要であり、もしも国内メジャーを失ってしまうと、文化や思想の自主性、独自性を相当失う懸念があると訴えました。そして、映像配信において、Netflix、Amazon、Disney+等に対抗する国内メジャーは育っているのかと、内山氏は問いかけました。現状の選択肢はTVerとNHKプラスなので、これをどう回していくかということが現実的だろうとコメントしました。

(図1)

 また、内山氏は世界のメディア関連企業の中で国内メジャーはどのくらいのポジションにあるのかを、時価総額と売上高の2つのデータで説明しました。時価総額ではほとんど存在感のない国内メジャーですが、売上高でいくと、2020年の世界のメディア関連企業トップ50には、ソニー、任天堂に続いてNHKは23位にランクインしているということを紹介しました。また、在京キー局も50位以内に入っており、日本の地上放送は上位の米国ハリウッド勢等とも、世界で間違いなく伍して戦うことが期待されるポジションにあると訴えました。
 その上で内山氏は、国際競争上の圧力や映像配信の市場・産業の導入期として、NHKは民間よりリスク投資をしやすい財源を持つ立場で、「業界リーダーとして何かを開拓する」上で先行するのはミッションではないか、と主張しました。

*曽我部氏の報告6

 曽我部氏は、放送メディア、公共放送の位置づけに関して確認した後、NHKネット活用業務の今後を検討する上で考えるべき5つの論点例を示しました。(図2)。

(図2)

 aからeまでいずれも重要な論点ですが、ここではbの業務範囲について詳細をみておきます。曽我部氏はNHKのネット活用業務の範囲を考えるための論点として以下の4点をあげました。

⑴ アセットを活かす観点
⑵ 情報空間の不備補完
⑶ 利用者ニーズ
⑷ 国民文化/国内コンテンツ確保

 ⑴のアセットとは、資産・資源・財産という意味です。曽我部氏は、人材、拠点、取材・制作能力、アーカイブ、信頼・ブランド等をNHKのアセットと位置づけ、これを別チャンネル、つまり放送ではなくネット上でも活かすという観点で業務範囲を広げることが考えられるのではないか、と述べました。また、そのことは受信料を含めた国民負担の有効活用につながる一方で、既存の組織維持を正当化するという批判もあるだろうと指摘しました。
 ⑵については、曽我部氏が最も重要な論点と位置づけたところです。詳細は後述します。
 ⑶については、ニーズが多い少ないで判断すべきではないという考えを示しました。曽我部氏は、視聴者の利益を"市民の利益"と"消費者の利益"に分けて考えるという英国の議論を紹介し、公共放送が貢献してきたのは主として"市民の利益"に対してであり、公共放送の役割は、単にニーズに応えるのではなく、共有すべき情報を提供するという規範論からも考えなければならないとしました。
 ⑷の国民文化については、例として朝ドラと大河をあげながら、NHKは「時代を象徴するような番組を放送し、国民文化の一翼を担ってきた」とし、"国民統合的な側面"で考えるべきだとコメントしました。こうした番組については、テレビ視聴が減少していく中、ネットも活用して少しでも多くの国民に届けていくことが必要なのではないか、そういう意味で曽我部氏は論点としてあげていると私は理解しました。また、国内コンテンツ確保という"産業政策的な側面"は、内山氏が詳細に報告されたので割愛します。
 図3に示したのが、⑵情報空間の不備補完に関する論点を3つの観点から説明した資料です。1つ目が、供給が少ないジャンルの情報を補うという観点、2つ目がデジタル情報空間の弊害を直接是正するという観点、3つ目がNHKの潜在利用者のニーズを充足するという観点です。曽我部氏は、1つ目については、具体的にこういう発想の下で議論していくとなると色々と限界があるとし、2つ目については、ネット上でNHKのコンテンツがバラバラに流通していたり、自前のPFではセレンディピティ(偶然の出会い)を提供できたとしてもリテンション(ユーザーとの関係性の維持)が困難だったりして、NHKが情報空間の弊害を直接是正する可能性は限定的であると述べました。一方、3つ目については、本来であればNHKを見てもおかしくないような層に公共放送の価値を届けるということは当然あり得るのではないか、と述べました。

(図3)

 先に触れたように、曽我部氏はNHK会長の諮問機関の次世代小委の委員長を務めており、デジタル情報空間の課題とそこにおけるNHKの役割について、公共放送WGの議論をいわば"先取り"するかたちで2年前から議論を行っています。最近では、テレビを持たない人を対象にNHKが実施した社会実証の詳細な分析をもとにした議論も複数回行っており、曽我部氏の報告には、次世代小委の議論で積み重ねてきた認識も少なからず反映されていると推察しました。
 また曽我部氏は、情報空間の健全化にNHKの役割が期待されるとしても、メディアの多元性が提供する価値を毀損してはならず、NHKがネットに進出することで他のメディアの存在が脅かされることになれば、情報空間全体としてプラスにならず、本末転倒だとしました。

(第3回 2022年11月24日 NHK・民放連・新聞協会へのヒアリング)

 この日は、NHK、民放連、新聞協会の順番でヒアリングが行われました。第2回同様、それぞれのヒアリングのポイントを資料の引用とともに振り返ります。

*NHKへのヒアリング7

 NHKの発表の最近の傾向は、自身が実施した調査をベースに論を組み立てるスタイルのため、資料の枚数は多いです。今回の報告は80ページでしたが、その中から、NHK自身の問題意識と論点を示した3枚を紹介しておきます。

(図4)

 まず、図4はメディアの構造変化の分析と、そこで生じている影響や課題、それに対する対策の必然性について、曽我部氏の資料も引用するかたちで述べています。
 続いて図5は、こうした状況の中でNHKが寄与できること、すべきこととは何かをまとめたものです。NHKは様々な調査結果から、SNSを毎日利用するようなネットヘビー層や、テレビを視聴しているいないにかかわらず多くの人々が、デジタルに拡大し続ける情報空間において、信頼できる情報、基本的な情報、いわば"情報空間の参照点"に対する期待があるとしています。同時に調査結果から、新聞、民放、NHKに対する人々の信頼や期待が大きいということから、伝統的なメディアがそれぞれの特性を生かしながら参照点としての役割を果たしていくという"多元性の確保"が重要だとしています。そこからNHKには、この2つの期待にどう貢献してくかが求められているという結論を導き出しています。

(図5)

 図6は、今後、NHKのネット活用業務の範囲をどう考えていくのかについて、NHKが現時点で考えている論点を示したものです。"情報の参照点"の存在として貢献し、情報提供者の"多元性の確保"に寄与することを前提とした場合、放送と同様の公共性をもたらす範囲はどのようなものになるのかー。その範囲は、"効用"という観点から見た場合、NHK自身による同時配信・見逃し・それ以外の動画やテキスト配信だけでなく、PFを通じた提供のところにまで役割を伸ばして考えることが論点となるのではないかとしています。一方、その範囲をどこまで放送と同等と捉えるかということを考える場合には、また別の論点から考えなければならないとしています。
 NHKは以前から、ネット活用業務が現在の放送の補完という位置づけになっていることは、放送と通信の融合が進んでいる海外と比べると社会の現実に合わなくなっているのではないか、とくりかえし述べてきました。この報告は、NHK自身がどの範囲まで業務を拡大したいのか、どんな業務を実施したいのかという自らの意思の表明ではなく、今後、どんな観点から検討がなされるべきかという分析を示したものだと私は理解しました。

(図6)

*民放連へのヒアリング8

 民放連はこれまで、ネット上はグローバル企業を含めた様々なプレイヤーが切磋琢磨している事業領域であり、NHKのネット活用業務のあり方によっては民放の事業環境に大きな影響を与える可能性があるとして、NHKの業務拡大には懸念を示してきました。そして、基本的なスタンスは、NHKのネット活用業務の議論は財源及び受信料徴収の問題とあわせて議論して結論を得ていく必要がある、テレビ受信機にひもづく従来の受信料制度との整合性や、負担の公平性などの議論を先送りしてはならないというものでした。
 今回のヒアリングでも、直前のNHKの報告を受ける形で、NHKは明示的には必須業務化を要望しなかったけれど、もし必須業務化を検討しているのであれば、その趣旨や業務内容を具体的に説明してほしい、その上で、民放や視聴者、国民の意見を広く聞いて、丁寧な議論をお願いしたいと述べました。
 より具体的な要望も今回行いました。それは、放送番組の「理解増進情報」を拡大解釈しないこと、ネットオリジナルコンテンツの制作・配信はしないこと、広告収入を得ないこと、予算に厳格な歯止めを設けること、これらの取り組みが最低限必要だと述べました(図7)。

(図7)

 この「理解増進情報」についてはご存じない方もいると思うので少し説明しておきます。先に述べたように、NHKのネット活用業務は任意業務であり、予算も業務の範囲も限定的に行われています。予算については、2022年度、2023年度とも200億円を上限に設定しており、業務については、基本的には放送した番組をネットで配信するということに限られています。そのため、例えばネットオリジナルコンテンツを制作して配信するということは認められていません。ただし、特定の番組に関連付けられた補助的な情報の範囲のものに限り、番組の周知・広報や、番組内容の解説・補足を行い、放送だけでは提供しきれない情報を発信していくことが可能となっています。これを「NHKインターネット活用業務実施基準9」で理解増進情報と位置づけ、NHKは対応する番組のリストを定期的に公表しています10。民放連の主張は、この理解増進情報の解釈を拡大すべきではないというものでした。これについては、次に紹介する新聞協会がヒアリングでより詳細に述べているので後述します。
 最後に民放連は、本日のテーマがインターネット時代の公共放送という設定だったため、意見もNHKのネット活用業務に焦点を当てた内容になってしまったが、そもそものNHKの存在意義は、商業ベースと民間事業者だけでは十分ではないところを補うことにある、民間でできないことをするのがまずNHKの一番の役割であろう、ということを述べました。

*新聞協会へのヒアリング11

 新聞協会のヒアリング内容の大半は、NHKとの競合領域に関するものでした。まず、NHKのネット活用業務の上限予算の200億円という規模について、新聞社の総売上高は約1兆4,690億円で一般紙の売上高に占めるデジタル関連事業収入の割合は約2.3%、単純に掛け合わせることはできないが、その大きさをイメージしてほしいと訴えました。そして、ポータルサイト、ソーシャルメディア経由でニュースに接触する利用者が年々増える中、多くの新聞社がサブスクでの収益拡大を目指しているが、こうした厳しい環境下での収益化は容易ではないとし、こうした中、NHKのネット活用業務が本来業務に格上げされた場合、予算の歯止めすらなくなる可能性があり、事業が継続できなくなるメディアも出てきかねないおそれがあるとしました。また、NHKのページには広告が掲載されないためページの表示速度が速く、検索順位で有利になるとの指摘もある、ということも述べられました。
 更に現行のNHKのネット活用業務に対する批判として、大きく2つの観点から意見を述べました(図8)。まず理解増進情報について。NHKは自らが特定の放送番組に関連付けられた補助的な情報の範囲のものと定義しているが、この範囲を逸脱しているものがあるのではないか、なし崩し的な業務拡大につながっている理解増進情報の在り方を抜本的に見直すべきではないかとしました。次に、プラットフォームを通じて行っている記事配信について、NHKがこのままプラットフォーム事業者との結びつきを強め、無料コンテンツの配信を拡大すれば、民間報道機関のデジタル事業が影響を受けるのは明らかだとしました。そして、公共放送WGのこれまでの議論の中で、フェイクニュースなどネット空間のゆがみの是正にNHKの役割が大きくなるほうが望ましいという声もあるようだが、その是正効果が示されていない上に、そうした効果以上に民間事業者への悪影響が大きいのでは、と問いかけました。

(図8)

(おわりに)

 今回はそれぞれの報告・ヒアリングのポイントの部分を私なりに整理してみました。民放連と新聞協会のヒアリングは、NHKが同時配信を要望し始めた2015年頃からスタンスはほとんど変わっていないと感じました。ただ、メディア環境の構造変化が進展する中、伝統メディアのビジネスモデルは年々厳しさを増していることは事実です。新聞協会からは、一般紙の売り上げに占めるデジタル関連事業収入は約2.3%というデータが示されましたが、地上放送の広告費全体に占める動画広告収入の割合も約1.5%と、いずれも厳しい状況にあります。そのため、両者がNHKのネット活用業務拡大に懸念をいだくのは理解ができます。一方で公共放送WGでは、宍戸常寿構成員の「日本では、同時配信の実施が遅れた結果、情報空間に若い世代が参加できなかったり、偽情報が流布されたり、場が海外サービスに左右 されたりすることが危惧される」という発言、林秀弥構成員の「わが国がこのまま制度を変えずに放置したままだと、インターネットを含めた情報空間全体の中で市民の健全な情報アクセスにおいて日本がますます周回遅れになる」といった発言のベースにある危機感も共有されています。NHKは、民放連や新聞協会、複数の構成員から、ネット活用業務を拡大するとしたらNHKは具体的に何を行いたいと考えているのか、今後のネット上での自身のあるべき姿をどのようにデザインしているのか自分の言葉で語るべきではないか、との指摘を受けていますが、今回のヒアリングでも、意思ではなく分析を提示するという内容になっています。
 今後議論はどう進んでいくのか。次回は、第4回の主な議論の内容を整理していきます。


メディアの動き 2023年01月23日 (月)

#445 これからの"放送"はどこに向かうのか? ~2023年1月のNHKを巡る動き~

メディア研究部(メディア動向) 村上圭子

 毎年1月、NHKは新年度の「収支予算、事業計画及び資金計画(以下、事業計画等)」を公表します。これは、新年度にNHKは何を目指し、どういう分野に力を入れていくのか、そのためにどのくらいの予算を組み、どうやってその資金を使っていくのかについて、受信料を負担する視聴者・国民、そして社会に示す極めて重要なものです。この事業計画等は経営委員会(以下、経営委)で議決後、公表すると共に、NHKは総務大臣に提出します。その後、内閣を経て国会に提出され、審議・承認を受けるという流れになっています。
 令和5年度の事業計画等1は1月10日に公表されました。国内放送費、国際放送費、契約収納費、広報費等、業務別に具体的な内容が示されており、文研の業務は調査研究費という項目の中に示されています。図1に文研の主な業務、図2に業務別予算の全体像を抜粋しておきます。

(図1)

(図2)

 この事業計画等の発表の他、今月は例年以上にNHKを巡る動きが多い月となりました。いずれもこれからのNHKがどこに向かうのかを考える上で重要な内容だと思いましたので、本ブログでは3つの動きに分けてまとめておきたいと思います。

① 1月10日 「"スリム"で"強靱"な新しいNHKの3年目は?」 修正経営計画 経営委員会で議決

 1月10日、事業計画等と共に経営委で議決されたのが、「経営計画(2021-2023年度)」の修正2(以下、修正計画)です。この内容については、修正案が意見募集されている時に書いたブログ3でも少し触れましたが、改めてポイントを引用しておきます(図3)。

(図3)

 NHKはこの3年間、前田会長のもとで、"スリムで強靱な新しいNHK"への変革を目指してきました。今回の修正計画も、衛星波(BS2K)の1波削減と地上・衛星契約料金のそれぞれ1割の値下げという、"スリム"化が強く打ち出された内容となっています。前田会長は経営委議決後に行われた10日の会見4で、「2024年度以降も収入が大きく減少することとなり、最終的には事業規模は6000億円を下回る形で全体のスリム化も進む予定」としています。ちなみに、1つ前の経営計画(2018-2020年度)のもとで策定された2020年度の事業収入は約7200億円でした。
 では、もう一つの柱である"強靱"さはどこに示されているのでしょうか。修正計画では、「"安全・安心"の追求」「"あまねく"の追求」の2つの重点項目を強化するとしています(図4)。ただ、重点項目は取り組みの大枠を示すものであるため、より具体的に内容が示されているものとして、前述した令和5年度の事業計画も参照しておきたいと思います(図5)。

(図4)

(図5)

 修正計画の重点項目(図4)と事業計画の重点事項(図5)には直接の対応関係がないので、並列すると少し混乱を招くかもしれませんが、詳細は、修正経営計画と事業計画をごらんいただければと思います。NHKは事業計画において、新年度、「経費の削減等で生み出した原資の一部を、事業計画の重点事項に配分」するとしており、図5に示された4つは、強靱なNHKを目指すための具体的な取り組みの1つと考えてもいいと思います。
 この中で私が最も注目しておきたいと思うのは、1つ目にあげられている「デジタル時代に新たな公共性を確立」です。なぜ注目しておきたいかというと、一昨年に開始した総務省の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会5(以下、在り方検)」や、そこに設けられた公共放送ワーキンググループ(以下、公共放送WG)の議論の中で、NHKはこれまで以上に、情報空間において公共性を発揮していくべきではないかという趣旨の指摘がくりかえしなされているからです。そのためこの事項は、これらの発言に対するNHKの応答として見ることもできると思います。事業計画には、この事項に関する詳細な記載もあるのでこちらも紹介しておきます(図6)。

(図6)

 NHKには、公共的な番組・コンテンツ・ネットサービスとは何かについて、日々模索し続けている現場があります。こうした現場の取り組み1つ1つについて、なぜNHKでなければ手がけられないのか、なぜNHKが今それをやる意義があるのかを問い直し、その結果を積み上げ、体系化した上で真摯に問いかけていく、そのことによってしか、国民・視聴者の理解、他のメディア事業者の納得を得ていくことはできないのではないかと私は考えています。
 総務省の検討会のような憲法学者や経済学者、弁護士等の有識者が数多く名を連ねる場は、とかく抽象度の高い議論になりがちです。その場において、NHKはジャーナリズムやコンテンツ制作の担い手として、"新たなNHK"が確立したいと考える"新たな公共性"をどのように示していくのか・・・・・・。こちらについては回を改めて詳細にリポートしたいと思います。

② 1月18日「"割増金"制度導入へ」 放送受信規約の変更 総務省が認可

 2つ目は制度改正についてです。割増金という少し耳慣れないキーワードがメディアに頻出しましたので、既に内容をご存じの方も少なくないかもしれません。ここでは、なぜこの制度が誕生したのか、そもそものところから少し整理しておきたいと思います。
 日本の受信料制度は、テレビを受信できる受信設備を設置した者が、NHKにそのことを届け出てNHKと受信契約を締結する義務(放送法64条1項)と、受信契約後にNHKに対して受信料を支払う義務(受信規約)の、いわば"2つの義務"によって構成されています。今回、総務省が認可した割増金の制度は、受信設備を設置したにもかかわらず、正当な理由なくNHKに受信契約の申込みをしなかった場合、もしくは不正な手段により受信料の支払いを免れた場合、NHKは所定の受信料に加えて、その2倍に相当する額を設置者に請求することができるというものです(図76)。また、これまでは受信契約の申込みの期限を「遅延なく」としか示していなかったものを、「受信機の設置の翌々月の末日まで」と明確化したのも大きな変更点です。
 これらの内容は、2022年10月に施行された改正放送法7を踏まえた「日本放送協会放送受信規約」の変更8にあたります。NHKの申請を受けて1月18日に総務省が認可し9、2023年4月から施行されることになっています。

(図7)

 この制度を巡り、メディアの記事やSNS上では、NHKに対する批判が散見されます。しかしこの制度、NHKの要望がきっかけでできたわけではないということをご存じでしょうか。詳細は、「これからの放送はどこに向かうのか?Vol.6~公共放送・受信料制度議論10」で経緯をまとめているので関心があればお読みいただけばと思いますが、本ブログでも振り返りを兼ねて、少し紹介しておきたいと思います。
 割増金制度が誕生した舞台は、在り方検の前身である「放送を巡る諸課題に関する検討会11」に設けられた「公共放送の在り方に関する検討分科会」です。分科会では主要テーマとして、受信料の公平負担の徹底の方策が議論されることになり、NHKは2つの制度の設置を要望しました。1つは受信設備を設置した際にそれをNHKに届け出る、もしくは設置しない場合は未設置であることを届け出ることを義務づける制度、もう1つは受信料未契約者の氏名・居住地情報の照会ができる制度です。2つをワンセットで導入することで、当時、問題となっていた訪問営業によるトラブルを防止できると共に、公平負担も徹底していけるというのがNHKの主張でした。しかし、後者の要望については、NHKが個人情報を取得することに対して構成員から相次いで懸念が寄せられ、NHKは要望を撤回せざるを得ませんでした。
 一方、総務省の事務局側は分科会に対し、受信設備を設置した段階で直ちに受信料の支払い義務が発生するという法的枠組みの方向性を議論してほしい、と提起しました。ちなみに、受信料制度が存在する大半の国では、日本のような"2つの義務"のような方法はとられておらず、受信設備設置=支払い義務となっています。そして、支払率は日本よりはるかに高いという状況もありました。事務局側からは、こうした海外の受信料制度に関する資料も提示されました。私は長らく国の検討会の取材や傍聴をしていますが、事務局側がこのように明確な意志を持って問題提起するケースは珍しく、当時、このテーマに対する総務省の強い意気込みを感じていました。
 しかし、この事務局側の提起に対して、一部の構成員たちから猛反発の声があがりました。構成員たちの主張はこうです。受信者とNHKの関係の構築が日本の受信料制度の根幹であり、それは2017年の最高裁大法廷判決12でも確認されている、それを変更するということは放送制度全体に関わる大きな議論になるのではないかー。そして、現行法より強力な手段をNHKに求めるということになれば、それによって受信者とNHKの絆が弱くなってしまうのではないかー。そして、反発した構成員の側から提案されたのが、今回の割増金という制度だったのです。制度の趣旨としては、本来契約すべき受信料契約をしなかったことによって、NHKあるいはほかの受信者に一種の損害を与えている、その損害の部分を補てんする、という考え方が示されました。議論の結果、この提案が採択され、制度化に至ったのです。
 つまり、この割増金という制度は、受信料の公平負担の徹底と、NHKと視聴者・国民との信頼関係の構築、この2つを両立させていくための制度だといっても過言ではないと思います。NHKは制度導入にあたり、「割増金が導入されても、NHKの「価値や受信料制度の意義をご理解いただき、納得してお手続きやお支払いをいただくという、これまでのNHKの方針に変わりはありません」と説明しています。また松野博一官房長官も1月19日の記者会見で、NHKに対して、受信料制度の丁寧な説明と支払いを要請する努力を重ねるよう求めています。制度の実効性はどうなのか、スタートする4月以降、見ていきたいと思います。
 また、前述した在り方検の公共放送WGでは、ネット経由のみで放送コンテンツを視聴する人に対して受信料制度をどのように考えていくのかという、新たな局面の議論も開始されています。こちらの議論についても、また回を改めて触れていきたいと思います。

③ 1月24日「前田会長退任」 稲葉延雄会長体制スタートへ

 3つ目は前田会長の退任です。1月24日に3年の任期が終了し、NHKは稲葉延雄会長の新体制がスタートします。"スリムで強靱な新しいNHK"を標榜した前田会長のもとでの3年間は、NHKにとって、またメディア業界全体にとってどのような意味を持つものだったのでしょうか。メディアの最新動向を取材、分析、記録する立場として、もう少し時間をおいてからしっかりと検証したいと思いますが、ここでは1月10日の最後の会長会見の中から、NHKの今後、放送の今後を考える上で示唆的だと私が感じた発言内容を5つ抜粋し、それぞれに少し論じておきたいと思います。

 1つ目の発言はNHKのデジタル展開についてです。「率直にいって、NHKは相当出遅れたと思います。どうしても放送を中心でやってきましたので、放送のおまけみたいな形でデジタルを発信するという形になっていました。今やデジタルファーストの時代になりましたので、(中略)そちらに合わせないと情報が届かないという現実があるわけですから、そこも大胆なシフトをしました」
 NHKのインターネット活用業務は、放送法上、任意業務という位置づけであり、業務内容や予算規模については、NHKは毎年、実施基準及び実施計画を策定し、総務大臣の認可を得て実施しています。前田会長が就任してほどなく、NHKは地上波の同時・見逃し配信サービス「NHKプラス」を開始。その後、ネット活用業務の予算規模について、前田会長はこれまで設定していた「受信料収入の2.5%以内」とするという上限を撤廃します。この2.5%を巡っては、上田良一元会長の時代に、民放連・新聞協会とNHKの間で長年にわたり攻防が続いていた案件だっただけに、スピーディーな決断に驚いた記憶があります。現在は、NHKが実施基準を策定する際、NHK自らが上限額を設定することになっており、新年度は今年度同様、200億円を上限としています。
 では、今後のNHKには何が待ち受けているのでしょうか。まず、テレビを持たない人たち(NHKと受信契約をしていない人たち)を対象とした「社会実証13」の第2期です。こちらは当初2022年中に実施する予定でしたが、まだ実施されていません。また、総務省の公共放送WGでは、ネット活用業務を本来業務とするかどうかの議論、つまり"放送のおまけ"ではない形でのデジタル発信を認めるかどうかの議論が行われています。もしもこれが変更となれば、NHKがネット活用業務を開始して以来の大転換点となり、より"大胆なシフト"になります。公共放送WGは2月末に議論が再開されます。

 2つめの発言は受信料制度についてです。「スマホだけで見ている人から受信料を取った方がいいとか、そういうことにいきなり飛びつくのはやめた方がいいと思います。今のところは、テレビを持っている人が受信料を払っていただくというシステムで、約8割の方が払っていただいているわけですから(中略)。ただ、時代がずっと進んで、そのまま維持できるかというとそれはちょっと分からない」「機が熟したら、私は総合受信料のほうがいいと思います」
 NHKは既に現在の経営計画で、「衛星付加受信料の見直しを含めた総合的な受信料のあり方について導入の検討を進めます」としています。2020年9月からは会長の諮問会議のNHK受信料制度等検討委員会の中に「次世代NHKに関する専門小委員会14」を設け、様々な角度から議論を進めています。
 公共放送WGで受信料制度に関する議論は本格化していませんが、テレビを持たない人がNHKプラスを利用したい場合にどうするかについては論点の1つとなっています。また、民放連や新聞協会からは、ネット活用業務のあり方の検討と財源の問題、つまり受信料制度の議論は切り離せないという意見も出ています。どのタイミングで本格的な議論が始まるのか、注視していきたいと思います。

 3つ目の発言は人事制度と組織改革についてです。「今まで誰も手を付けなかったところに全部着手しようと考え(中略)今までのNHKの非常に強烈な縦型、年功序列型のところを縦と横を両方組み合わせて、フラットな組織」にしました。「フラットにして意志決定を早くしないと世の中についていけないと思います」。このほかにも、この改革に最も力を入れてきた前田会長ならではの発言が相次ぎました。
 私は昨年開催した「文研フォーラム2022」で、前田会長の下で行われた人事制度改革の1つ、若手への権限委譲を議論のテーマとして取り上げました15。改革の目玉の1つに、社内公募で40代の地域局長を誕生させるというものがあり、その1人であるNHK富山放送局の葛城豪局長に登壇してもらいました。葛城局長は、着任早々、若手職員に権限を与えて新企画を次々と始めたり、自ら地域に飛びこんで様々なつながりを積極的に作ったりと、意欲的な活動をしていました。ただ、ディスカッションでは、世代交代や権限委譲のような人事改革は進め方によっては世代間の分断を引き起こしかねないといった懸念や、行うべき人事改革は"意識交代"ではないか、時代の変化に対応できない意識の人こそ交代すべきであり世代のみで判断されるものではない、といった意見が出ました。
 前田会長は人事制度改革の今後について、「制度を作れば運用の問題ですから、十分いけると私は思っております」と語っています。ディスカッション時の発言に呼応しますが、時代の変化に対応したいと考える意欲的な中高年層のモチベーションが上がるような施策や、世代交代にとどまらない、より多様性が生かされる施策を期待したいと思います。

 4つ目の発言は、コストとクオリティーとの関係です。「品質管理をするときに8割まで品質を管理するのと、99パーセントまで管理するのでは、原価コストが、ものすごく変わります。(中略)完璧なものを作るには、コストは多分めちゃくちゃ上がっていきますよね。それでは過剰品質なので、許容できるところまで落としていいよと。そこは具体的にこのレベルまでで良いという基準を内部で作るしかないんです」
 この発言は番組制作の文脈で出てきたものですが、私はこの内容から今後の放送インフラのあり方を想起しました。
 現在、地上放送はユニバーサルサービスとして全国津々浦々に放送を届ける義務があり、そのために数多くの小規模中継局やミニサテライト局、NHK共聴施設を設置しています。しかし、それらの施設の維持・更新にかかるコストは、スカイツリーなどの大規模局に比べて極めて高く、それが放送局の経営をじわじわと圧迫してきています。このコストをいかに減らしていくかが、大きな課題となっています。そのため、こうしたエリアでは、これまで整備していた放送波の仕組みではなく、ブロードバンド、それも汎用性の高いIPユニキャストでその仕組みを代替することでコストを減らしていけないかという検討が総務省で開始されています。
 ただし、ブロードバンドで代替する場合、これまで放送波で届けていたクオリティーを100%保証することはなかなか難しいという問題があります。では、視聴者はどこまでなら受容してくれるのか、放送事業者はどこまでクオリティーを下げることが許されるのか。それは99%なのか、それとも90%なのか・・・・・・。もちろん、視聴者の意向をなおざりにするという判断は決してあってはなりませんし、IP化したからこその付加サービスも検討していくことになると思いますが、今後一層、IP化が進んでいく中、そしてNHKも民放も財源が限られる中で、コストとクオリティーのバランスを考える議論は避けて通れないテーマになるのではないでしょうか。

 最後の発言はNHKらしさについてです。「NHKは戦う相手、公共放送がほかにないんです。これは、悪くすると完全に自己中心的になりやすいですよね。」「NHKは民放とどう違うのか、同じ事をやっていたら何もNHKらしくないじゃないか、何が違うんだと」「要するに毎日の実績がNHKらしさかどうかということを自問自答すると。時代の要請でたぶん変わると思いますが、それを含めてやっていただくということです。だから、らしさの定義はしない方がいっていいと言っているんですよ」
 NHKらしさとは何かということは、私もNHKの職員の一人として日々考えています。しかしそれ以上に考えているのが、公共放送らしさとは何か、ネットも活用する時代の"公共メディア"らしさとは何かです。これについては、らしさの定義をしっかりとしていく必要があると考えており、その上に初めてNHKらしさがあるのではないかと考えています。
 最初にも触れましたが、NHKは新年度の事業計画で、「デジタル時代における新たな公共性を確立」するということを重点事項に掲げています。私は、公共放送らしさ・公共メディアらしさとは何か、というアプローチから、このテーマに向き合っていきたいと思います。


メディアの動き 2023年01月23日 (月)

#444 シリーズ「深刻化するネット上の誹謗中傷・いま何が必要なのか」(2) ~「匿名表現の自由」にどう向き合うべきか

放送文化研究所 渡辺健策

 シリーズ第2回は、社会のデジタル化が進む中で論議を呼んでいる「匿名表現の自由」について考えます。
 3年前の2020年4月に設置された総務省の「発信者情報開示の在り方に関する研究会」では、ネット上の誹謗(ひぼう)中傷被害が深刻化している中、従来の制度では被害者の法的救済に時間と費用がかかりすぎるという観点から、有識者による見直しの議論が行われました。最も重要な論点になったのはバランスの確保、「被害者救済」を進めると同時に、正当な投稿をしている人の「匿名表現の自由」をどう守るか1という問題でした。

<匿名表現の自由とは>

 日本国憲法21条が保障する「表現の自由」には、氏名を隠した状態や偽名・仮名による表現も含まれるのか?日本では従来、この問いに対する詳細な研究は展開されてこなかったと指摘されていますが2、憲法学者らによると、何らかの事情により匿名でしか発信できないことがあり、それによって国民が知ることのできなかった事実を知ることができる、とりわけネットでは匿名性を担保することで活発な議論が可能になる、それらをふまえると匿名表現の自由は憲法21条によって保障される3という理解が一般的です。国内の裁判例としては、2020年に大阪市のヘイトスピーチ対処条例の合憲性などが争点となった裁判の1審判決で「匿名による表現活動を行う自由は、憲法21条1項により保障されているものと解される」という判断が示された例があります。4(2022年2月に最高裁判決も合憲判断)

「大阪ヘイトスピーチ 市の条例は合憲の判断示す」NHKニュース映像より(2020年1月17日放送) 「大阪ヘイトスピーチ 市の条例は合憲の判断示す」NHKニュース映像より(2020年1月17日放送)

大阪市のホームぺージより 大阪市のホームぺージより

 「匿名表現の自由」を考える上で重要なのは、匿名性が担保されないことが表現活動を行おうとする人に対する萎縮効果を与えないかどうか、という点です。立命館大学の市川正人教授は、「政府や多数者から見て好ましくないと思われるような内容の表現活動を行う者は、素性を明らかにすることによって『経済的報復、失職、肉体的強制の脅威、およびその他の公衆の敵意の表明』にさらされる可能性が高いのであるから、素性を明らかにしての表現活動しか認めないことはそのような表現活動を行おうとする者に対して大きな萎縮効果を与えるであろう」と指摘しています。5また、京都大学の曽我部真裕教授は、「表現の自由の歴史を振り返ってみても厳しい検閲に対抗する手段として、匿名での出版物が大きな役割を担ったのであって、そこからも、匿名表現の自由の重要性を認識することができる」と記しています。6

 冒頭で触れた総務省の「発信者情報開示の在り方に関する研究会(以下、研究会)」でも、最近起きている具体的な事例を挙げて、匿名表現の自由の重要性が議論されました。例えば、消費者被害を訴える匿名のネット投稿に対し、販売方法などに問題のある企業側が投稿者の発信者情報の開示請求をして消費者側の発信を萎縮させるといった"制度の悪用例"が 目立っていることが指摘されています。7投稿内容が悪意による誹謗中傷なのか、それとも事実に基づく正当な批判なのかは、最終的には裁判所が開示命令を出すか否かの形で判断することになるわけですが、立場の弱い一個人にとっては、身元をさぐる開示請求が行われること自体がプレッシャーになります。発信者が誰なのかが簡易・迅速な手続で判明するようになることは、誹謗中傷被害の早期救済に役立つ一方で、正当な批判をする人を萎縮させることにもつながる恐れがあるのです。

<「匿名表現の自由」をめぐる議論の歴史>

 日本の発信者情報開示制度は、欧米の制度を参考に2001年に導入されました。とりわけアメリカでの匿名表現の自由論に大きな影響を受けていることが指摘されています。8
 アメリカでは匿名表現(=匿名言論:Anonymous Speech)の自由をめぐって争われた裁判が数多くあり、連邦最高裁がたびたび合憲・違憲の判断を示してきました。このうち1960年のTalley v. California事件では、人種差別問題に関して作成者の氏名を記載していないビラを配布した人が逮捕されたことの是非が争点となり、連邦最高裁は、匿名の冊子の配布を禁止していた市条例を「違憲」としました。判決では、古くは独立戦争後、各州に合衆国憲法の批准を促した「フェデラリスト・ペーパーズ」という文書も「パブリウス」という仮名で書かれていたことに言及し、「匿名言論は歴史上、自由を擁護する際の武器であった」と位置づけています。9その根底には、匿名の言論を長く保護してきたアメリカ合衆国の伝統があり、匿名であることは少数者の言論を守り、多数者の専制を抑制するために必要だという理念があると評価されています。10

アメリカ連邦最高裁(資料画像) アメリカ連邦最高裁(資料画像)

 また、この分野で特に著名な判例とされているのが、1995年のMcIntyre v. Ohio Elections Commission 事件の判決です。選挙や住民投票に関するビラに責任者の氏名・住所を記載するよう義務づけたオハイオ州の法律を「違憲」としました。連邦最高裁は、その判決の中で、マーク・トウェインやO・ヘンリーのように偉大な文学者の作品が匿名(ペンネーム)で書かれていることに触れ、「著者の匿名を維持するという決断は合衆国憲法修正1条により保護される言論の自由の一側面である」とした上で、匿名で出版する自由は文学の領域を超えて政治的主張にも及び、特に受けの悪い主張をしようとする者にとって匿名性は必要とされてきた伝統である、としました。11,12
 では果たして「匿名言論の自由」の保障はインターネット上の誹謗中傷にまで及ぶのでしょうか。
 McIntyre 裁判などでは表現内容に対する事前の規制が問題になっていたのに対して、ネット上の誹謗中傷のケースでは既に行われた投稿に対する事後的対応が争点であり、その内容も政治的主張ではなく誹謗中傷という違いがあります。このためMcIntyre判決で示された匿名言論者の権利がそのまま認められるわけではないという考え方がある一方、発信者情報が強制的に開示されれば匿名言論の保護が形骸化しまうという指摘13もあります。結局は、「発信者の匿名言論の自由」と「誹謗中傷を受けた人の救済を受ける利益」との比較衡量がポイントになるわけです。
 アメリカでは、被告が匿名のままでも訴訟を起こすことができます。インターネット上の匿名投稿をめぐって権利侵害の救済を求める場合もその方法が取られ、裁判所からプロバイダーに対し被告を特定するための文書提出命令を出してもらう「ディスカバリー」という手続きが行われます。その際には、とりわけ厳格な基準に基づいて裁判所が可否を判断することになります。匿名を前提に投稿した発信者の実名を明かすことは匿名言論の権利を否定することになるからです。その背景には、原則として匿名表現を保護する判例が積み重ねられてきた伝統があり、例外をどこまで認めるか、慎重な判断がなされているのです。14,15

<日本の制度改正をめぐる議論の焦点>

 アメリカでも長く議論となってきた「匿名表現の自由」と「権利侵害の救済」との関係。これらの両立は、総務省の研究会でも重要な論点になっていたことを冒頭お伝えしました。ここからは、11回に渡って繰り広げられた研究会での議論を議事録や資料からたどります。

meihakusei.gif日弁連の意見書(一部)

 発信者情報開示制度をめぐっては、以前から不備を指摘する声が実務を担う弁護士たちから上がっていました16。2011年6月には、日弁連=日本弁護士連合会が制度の抜本的な見直しを求める意見書をまとめています17。この中では、制度の手続き上の課題に加えて、裁判所が発信者情報の開示を命じるか否か判断する際の要件の1つである「権利侵害の明白性」を重要なポイントとして言及しています。「明白性」とは、匿名投稿の流通(拡散)によって原告(被害者)の権利が侵害されたことが明らかである場合、という要件の規定ですが、日弁連は、「明らか」という文言の意味があいまいである上、厳格かつ抽象的で、「被害救済のみちを閉ざすものと言わざるを得ない」と批判していました。その後、インターネットの普及に伴って誹謗中傷被害が増加したこともあり、有識者で作る総務省の研究会が 制度の見直しにどこまで踏み込むか注目されていました。

「SNS上のひぼう中傷 新たな制度創設へ」NHKニュース映像(2020年10月26日放送) 「SNS上のひぼう中傷 新たな制度創設へ」NHKニュース映像(2020年10月26日放送)

 研究会の議事録をたどると、権利侵害の「明白性」要件は、手続きの簡易・迅速化と並ぶ主要な論点として検討されていたことが分かります。そこから見えてくるのは、この要件が課す高いハードルを安易に下げてしまうと、匿名を前提に投稿をした人の権利が不当に侵害される恐れがあるという「匿名表現の自由」とのバランスの確保への配慮でした。18
 研究会では、企業の不正を内部告発する従業員の身元が特定されてしまえば、公益通報者を守ることができず、企業への批判や告発をすることは難しくなる、自分の体験や感想を口コミサイトに書き込んだだけなのに、『この商品は私には合いませんでした』と投稿しただけで誰が書いたのか突きとめられトラブルに巻き込まれる恐れが生じる―――そんな濫用を可能にしてしまっていいのか、という熱を帯びた議論が交わされていました。19
 そこからは、今の時代の私たちが「匿名表現」の"可能性"と"危険性"にどう向き合うべきか、という根源的な問いが見えてきます。

最終とりまとめの主な内容(筆者作成) 最終とりまとめの主な内容(筆者作成)

 研究会は、2020年12月の『最終とりまとめ』で、発信者情報を特定するために必要な通信ログを迅速に特定・保存するため、簡易な非訟手続でログの特定や保存を命じる「提供命令」「消去禁止命令」を新設し、これまでの要件より一定程度緩やかな基準で判断することが適当であると提言しました。その一方で、発信者の身元を明らかにする「開示命令」の可否を判断する際は、表現行為に対する萎縮効果を生じさせないよう、現在と同様の厳格な要件を維持することを求めました。20
 曽我部真裕座長は、「攻撃されやすい人々がしばしばいわれのない誹謗中傷を受ける、その痛み、苦しみを思うとき、迅速な救済のために多様で実効的な手段が用意されることの不可欠性というのを痛感するところです。活力のある自由で民主的な社会を維持するためには表現の自由が極めて重要なことは言うまでもなく、とりわけ一般市民が声を上げることのできるSNSにおいては、匿名表現の自由というのは重要です。本研究会では、被害者保護と表現の自由とのぎりぎりのバランスを確保すべく真剣な議論が行われ、現時点で可能なベストな提案ができたと思っております」(一部抜粋)と述べ、一連の議論を総括しました。21
 自由で活発な意見交換を促し、表立っては言いにくい本音や真実を伝えることができるデジタル時代の「匿名表現」。無責任で攻撃的になりやすいという問題点に向き合いながら、その新たな可能性をどういかしていくかが、私たちに問われているように思います。
 シリーズ最終回の次回は、ネット上の誹謗中傷被害に向き合う上でマスメディアに期待される役割とは何かを考えます。


【注釈および引用出典・参考文献】
  • 総務省「発信者情報開示の在り方に関する研究会」最終とりまとめ(令和2年12月)5頁
  • 海野敦史「匿名表現の自由の保障の程度-米国法上の議論を手がかりとして-」(情報通信学会誌37巻1号,2019年)2,5頁、曽我部真裕「匿名表現の自由」(ジュリスト2021年2月#1554)44頁
  • 松井茂記『インターネットの憲法学(新版)』(岩波書店,2014年)384頁、毛利透「インターネット上の匿名表現の要保護性について-表現者特定を認める要件についてのアメリカの裁判例の分析」 樋口陽一ほか編『憲法の尊厳』(日本評論社,2017)212頁、
    曽我部真裕ほか『情報法概説(第2版)』(弘文堂,2019年)15~16頁
  • 大阪地判2020.1.17 裁判所WEB判決文34頁、曽我部真裕 前掲2「匿名表現の自由」46頁
  • 市川正人『表現の自由の法理』(日本評論社,2003年)380頁
  • 曽我部真裕 前掲2「匿名表現の自由」46頁
  • 「発信者情報開示の在り方に関する研究会」第1回議事録37-38頁、第2回22-23頁、31-32頁
  • 丸橋透「媒介者の責任-責任制限法制の変容」(ジュリスト2021年2月#1554)19頁、大島義則「匿名言論の自由と発信者情報開示制度――日米の制度比較」(情報ネットワーク・ローレビュー14巻,2016年)24頁
  • Talley v. Californiaアメリカ合衆国連邦最高裁判決(1960年)、毛利透 前掲3「インターネット上の匿名表現の要保護性について」196頁、岩倉秀樹「アメリカの匿名言論の法理と情報開示の法理」(高知県立大学文化論叢4号,2016年)42頁
  • 高橋義人「パブリック・フォーラムにおける匿名性と情報テクノロジー」(琉大法學87号,2012年)24頁、岩倉秀樹 前掲9「アメリカの匿名言論の法理と情報開示の法理」44頁
  • McIntyre判決には、匿名言論の権利保障に批判的なスカリア裁判官らの反対意見が付されている
  • 毛利透 前掲9「インターネット上の匿名表現の要保護性について」196-197頁、
    岩倉秀樹 前掲9「アメリカの匿名言論の法理」45頁、
    大島義則 前掲8「匿名言論の自由と発信者情報開示制度――日米の制度比較」25頁
  • 大島義則 前掲8「匿名言論の自由と発信者情報開示制度――日米の制度比較」26頁
  • 毛利透 前掲9「インターネット上の匿名表現の要保護性について」195-196頁、
    大島義則 前掲8「匿名言論の自由と発信者情報開示制度――日米の制度比較」28-29頁
  • 最近では有害コンテンツ対策の観点から、プロバイダーの広範な免責を認めた通信品位法230条の 見直しをめぐる議論も出てきている。詳しくは、山口真一『ソーシャルメディア解体全書 フェイクニュース・ネット炎上・情報の偏り』勁草書房(2022年)258-261頁、丸橋透 前掲8「媒介者の責任~責任制限法制の変容」21-22頁を参照。
  • 壇俊光・森拓也・今村昭悟「発信者情報開示請求訴訟における『対抗言論の法理』と『権利侵害の明白性』の要件事実的な問題について」(情報ネットワーク・ローレビュー12巻,2013年)
    山本隆司「プロバイダ責任制限法の機能と問題点-比較法の視点から-」コピライト495号(2002年)18頁
  • 日本弁護士連合会「プロバイダ責任制限法検証に関する提言(案)」に対する意見書(2011年6月30日)
  • 「発信者情報開示の在り方に関する研究会」第1回議事録40頁、第2回議事録24-28頁、
    第3回議事録31-34頁、第4回議事録22-23頁ほか
  • 同上 第2回議事録25頁、第3回議事録31-34頁ほか
  • 同上 『最終とりまとめ(令和2年12月)』21,28頁
  • 同上 第10回議事録23頁
メディアの動き 2023年01月19日 (木)

#443 シリーズ「深刻化するネット上の誹謗中傷・いま何が必要なのか」(1) ~「発信者情報開示」の制度改正で被害者救済は進むのか?残された課題は?

放送文化研究所 渡辺健策

 亡くなった女性プロレスラー、木村花さんに対するSNS上の誹謗(ひぼう)中傷の問題などをきっかけにインターネット上の悪質な投稿への対策強化が議論され、他人の権利を侵害する投稿をした当事者の氏名などを明らかにする「発信者情報開示」の手続を簡易・迅速化する法改正が2022年10月に施行されました。繰り返される深刻なネット被害に対し、新たな制度は十分にその力を発揮できるのでしょうか。このブログでは、①被害者の救済を進める発信者情報開示制度の改正の効果と課題、②発信者側の匿名表現の自由とのバランスをどう図るべきか、③いまマスメディアに期待される役割とは、という3回シリーズで考えます。
 第1回は、制度改正の効果と今後の課題について、誹謗中傷の被害者の訴訟代理人として救済を求める多くの裁判で対応に当たっている東京弁護士会の小沢一仁弁護士へのインタビューです。

wkj_2301_1_1.jpg 小沢一仁 弁護士
2009年弁護士登録。インターネット上の誹謗中傷投稿の削除や発信者情報開示請求など、被害者救済の裁判を数多く手がける。常磐自動車道のあおり運転殴打事件の際に加害者車両に同乗し犯行の様子を携帯電話で撮影していたいわゆる"ガラケー女"と人違いされた女性のSNS被害(2019年)や、山梨県道志村のキャンプ場で行方不明になった女児の母親に対する誹謗中傷(同年)をめぐる裁判などを担当。

―― ネット被害に対する損害賠償訴訟を数多く担当されている小沢さんからご覧になって今回の発信者情報開示の制度改正をどう評価していますか?

小沢:制度改正によるメリットの部分と、なおうまくいっていないデメリットの部分を合わせて考えると、全体としては手放しで喜べない、つまりまだプラスの評価はしにくいと思っています。

<何がどう変わった?改善点は>

―― 個別の論点ごとに伺いますが、まず評価できる改善点は?

小沢:まず評価できる点は、アクセスプロバイダー(=インターネットに利用者の端末を接続する通信事業者など)に対する発信者情報の開示請求の手続きが従来より早くなりそうだというところです。改正施行後、これまでに審理を終えた事件では、申立てから審理が終結するまでおよそ5週間しかかかりませんでした。従来は、簡単な事件でも半年以上かかっていたと思います。

(総務省 プロバイダ責任制限法改正の概要説明資料より)
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(筆者注)従来からの制度では、誹謗中傷を受けた被害者が発信者を相手に損害賠償裁判を起こす場合、まずSNS事業者に対し発信者特定の手がかりとなるIPアドレスなどの開示を求め、その後、発信者とインターネットを接続する通信事業者に発信者の氏名等の開示を求めなければならない。損害賠償請求も含めると3段階の手続が必要で、時間と費用がかかるため、被害救済をあきらめざるを得ないケースが多かったと指摘されている。

―― 従来は発信者を特定するだけで半年とか1年以上かかることが多かったそうですが、どんな効果が期待できるのでしょうか。

小沢:具体的には今後の実例のなかで実績を積み上げていくしかないですが、少なくとも今までより早く発信者情報を入手することが期待できます。今回導入された新しい手続きは「非訟手続」なので裁判所の裁量によってある程度柔軟にできる、決定が出るのも早い。ただし、新制度で開示命令が発令されたとしても命令を受けたプロバイダー側は異議の訴えというのができて、その場合はやはり裁判手続に入るのでこれまでと同じように時間がかかります。だからプロバイダーが「うちは全件異議の訴えを行う」みたいな態度を取ってしまうと、この制度の簡易迅速化のメリットは全部つぶれかねません。結局はプロバイダーの姿勢によるので、これはもう各事業者の理解を得るしかないと思います。

―― 開示される発信者情報の対象の見直しという点では評価できる点はありますか?

小沢:悪質な投稿そのものの発信者情報の記録が残っていなくて誰が発信したか特定できない場合でも、その投稿をした人物がログインした時の記録があれば特定できる、それが開示対象に含まれるかがこれまで裁判でもたびたび争点になり、ケースごとに裁判所の判断が分かれていました。今回の法律改正でログイン時(およびログアウト時)の発信者情報も開示対象に含まれることが明確になりました。これはかなり大きな改善点だと思います。

wkj_2301_1_3.jpg 常磐道あおり運転殴打事件のNHKニュース映像より(2019年8月31日放送)

小沢:私が裁判を担当した常磐道あおり運転殴打事件の時に加害者の車に同乗していて犯行の様子を携帯電話で撮影していた、いわゆる"ガラケー女"と人違いされた女性のケースでも、人格を否定するような明らかに権利侵害に当たるネット被害を受けているのに、ログイン時の情報が対象外と判断され、裁判で敗訴したことがありました。その点、今回の改正で、投稿とログインの時間的に一番近いところで接点を見つけてその通信を媒介した事業者は開示対象者にあたるとしっかりと決めてくれた。その点が立法的に解決されたというのは大きいです。

<残された課題は>

―― 改正後もなお課題として残されているのはどんな点でしょうか?

小沢:プロバイダ責任制限法には、通信ログ(=通信履歴・記録)の保存について規定がなく、通信ログを保存するかどうかをインターネット接続事業者の判断に任せています。極論を言えば「そもそもうちは何も残していません」なんていう事業者も中にはいます。その点を何とか保存を義務付けてくれないかと思っています。半年とか、可能であれば1年間は、保存すべきということを法律で定めてほしいです。

(筆者注)『電気通信事業における個人情報保護ガイドライン』では「業務の遂行上必要な場合に限り通信履歴を記録することができる」と定めており、必要以上の長い期間、通信ログを保全しないことが原則になっている。多くの通信事業者のログ保存期間は3か月ないし半年程度と言われる。

―― 道志村の女児不明のケースでも母親に対する誹謗中傷の通信ログが提訴時にはすでに消えていたものもあったと聞きましたが?

小沢:通信ログが残っているかどうかということは、すべての案件で問題になるんですけど、道志村不明女児の件でも母親が個人攻撃ともいえる誹謗中傷の投稿を受けてから提訴の検討まで1年くらい経っていたので、当初の投稿の通信ログはもう消えていて、直近の投稿に絞り込んで対応せざるを得ませんでした。最近でこそネット上の被害が増えているから、被害にあってすぐ弁護士に相談に行く人が増えていますけど、あの頃は少なくともそこに思い至るかというとそうではなかったと思います。

wkj_2301_1_4.jpg 山梨県道志村女児行方不明のNHKニュース映像より(2019年9月23日)

―― 保存が義務付けられていないというだけでなく、そもそも通信事業者がログを実際に持っているかどうかも通信事業者側にしか分からないですよね。

小沢:現状では「ログは残っていない」と言われると、その通信事業者の言っていることを性善説で信じるしかないみたいな状況です。法律で、こういう種類の情報をいつまでは取っておくことと決めてくれれば被害者救済には役立つと思います。

―― 実務の面から見て、他に課題と感じるところはありますか?

小沢:あとはダイレクトメールの問題ですね。誹謗中傷の被害の実態として最近目立つのは、例えばツイッターだったら攻撃する相手のフォロワーに対してダイレクトメールを多数送りつけて、誹謗中傷の情報を広めていく、受け取った人が「なんかこんなの来たんだけど」と反応を書き込むことで次々に拡散していく、フォロワーというのは基本的に本人にある程度は親和的な人たちなんですけど、そういった人たちの信頼が失われたりフォロー解除になったりという実情があるわけです。元々プロバイダ責任制限法というのが色んな人から見える場所における不特定多数の通信における権利侵害に対する救済を念頭に置いているので、一対一の通信はそもそも対象にしていないんですよね。今回の改正でもこの点は変わりませんでした。それを逆手にとって誹謗中傷を広めるケースが出て来ているので、なぜこの点は救済のケアができないのかと疑問を感じています。発信者の「表現の自由」や「通信の秘密」を必要以上に制限しないためというのが理由の一つだと思いますが、開示請求を認める際の要件面で一定の高いハードルを課していることで、バランスが取れているといえないだろうかと思います。被害としては何年か前から目立ってきているので、何とかしてほしいという思いがあります。

<メディアへの期待>

―― 小沢さんが裁判を担当された"ガラケー女"人違い案件、それと道志村不明女児のケースもそうですが、そもそも発端としてマスメディアの報道があって、その情報が広まった環境の中で誹謗中傷が発生したという側面もあります。そうした観点では当事者とも言えるマスメディアに今後何を期待しますか。

小沢:誹謗中傷に対する抑止力としては、他人に対する誹謗中傷を書いたら自分の身元に関する情報が開示される可能性が高いんだということを強く認識させることが抑止になると思うんです。何か違法なことを書き込んでも責任を追及されることがめったになければ、そうした行為を助長してしまうんですよね。それが例えば通信ログの保存期間が一律1年間義務づけということになれば、「1年も通信履歴を取られたらいつ賠償請求されるか分からないからちょっとセーブしよう」という抑制が利きやすくなります。だから何らかの形で通信ログ保存が法制化されたり義務化されたりすれば被害者救済はしやすくなる。そういったところの必要性をメディアが訴えていってほしいし、必要な手続きをしたら発信者にすぐたどり着くようなそういう仕組みになってほしい。被害に苦しんでいる被害者の声をクローズアップして正しい世論形成をしていってもらうことが一番ありがたいと思います。

―― 救済以前の段階で、そもそも誹謗中傷の被害の発生・拡大を抑止するという点では、マスメディアにはどんなことを期待しますか?

小沢:例えば、人違いによる誹謗中傷の被害なんかの例でいうと、やはりネットで炎上すればマスメディアの人にはすぐ人違いだと分かるわけじゃないですか。そういう時には少なくとも「この人ではないですよ」という伝え方はできる。実際あの時は、メディアだけでなく警察に対してもそう思ったんですけど、人違いで攻撃を受けているあの女性は指名手配された容疑者に同行している"ガラケー女"と同一人物ではないんだ、と公式に否定してくれれば、それですぐ解決する話なので、ネットの情報が間違っていたら訂正情報の方を広めてほしいという点でメディアへの期待はありますね。

―― 最近マスメディアの中にはネット上の偽情報に対してファクトチェックを試みる動きも出ていますが?

小沢:偽の情報を否定する時には、ある程度多くのメディアが歩調を揃えて複数社同時に出してもらえたらなと思います。訂正情報を報じるのが1社だけだと、「特定のマスメディアの誘導だ」といって疑う人たちも居て、それがまた炎上につながる。だから例えば警察取材等で「違うんだ」という確実な情報を得たら、マスメディアから一斉に流してもらえると本当はありがたい。もちろんいろいろなケースがあるから、すごく難しいことですけど、強い影響力をもつマスメディアの"火消し"の対応というのは今後考えてもらわないといけないことかなと思います。

<インタビューを終えて>

 今回インタビューをさせていただいて最も強く感じたのは、数多くの裁判対応でネット被害者に向き合ってきた実務家だからこそ言える現場の教訓の重さでした。制度改正によって手続きの簡易迅速化の面では一定の改善が期待される一方で、通信ログの保存期間の問題やダイレクトメッセージによる被害への対応など、法制度の現状に起因する課題がなお残されていることをあらためて認識しました。
 実は、今回の制度改正をどのようなものにすべきか検討してきた総務省の有識者会議の議論でも、従来からの制度が誹謗中傷の被害を受けた人たちにとっては費用と時間の負担が重い、決して使い勝手の良いものではないことは繰り返し指摘されていました。それでもなお、投稿の発信者が誰であるかを容易には明らかにせず、一定の歯止めをかける制度上の仕組みを維持した背景には、匿名の発信者の「表現の自由」を最大限尊重すべきだという考え方がありました。
 次回、シリーズの第2回は、発信者側の「匿名表現の自由」にどう向き合うべきか、そして第3回は、マスメディアに期待される役割とは何かを考えたいと思います。

メディアの動き 2022年10月14日 (金)

#426 これからの"放送"はどこに向かうのか? ~始まった「公共放送ワーキンググループ」の議論~

メディア研究部(メディア動向) 村上圭子

◇NHK 経営計画修正案 意見募集中

 10月11日、NHKは、経営計画(2021年―2023年度)の修正案を発表しました 1)。そこでは、来年10月から、地上契約と衛星契約(地上とBSのセット)の受信料を、それぞれ1割値下げする方針が出されました(図1 2))。

図1

 値下げは、NHKがこれまで取り組んできた、スリムで強靭な「新しいNHK」を目指す業務改革によって生み出された繰越金を原資に行われ、総額1500億円が充てられる予定です。繰越金はこの他、情報空間の健全性の担保のための投資や日本のコンテンツ業界の人材育成、それから、民放との連携によるインフラ維持コストの低減等にも充てられることが示されました。こちらは総額700億円が予定されています。インフラ部分における民放との連携は、以前、本ブログ 3)でもとりあげた通り、去年から「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会(在り方検)」で議論が進んでいるものです(図2 4))。

図2

 また案では、繰越金の還元策だけでなく、放送サービスをスリム化する案も示されました。具体的には、2024年3月末に、現在3波あるBS(右旋)放送のうち、2Kの1波を停波し、2Kと4Kの1波ずつの体制にするというものです(図3 5))。

図3

 この他、「安全・安心を支える」「あまねく伝える」という重点項目の強化を併せた大きく3点が、今回の修正案のポイントとなります。重点項目の強化については後ほど改めて触れたいと思います。NHK経営委員会による意見募集が11月10日まで行われています 6)

◇「公共放送ワーキンググループ」議論開始

 このNHKによる経営計画修正の取り組みと並行して、総務省の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会(在り方検) 7)」には「公共放送ワーキンググループ(WG)」 8)が設けられ、議論が開始されています。9月21日に第1回会合が行われ、年内にあと3回、来年3~4回の会合を経て、6月に取りまとめが示される予定です。本ブログではこの第1回会合で示された構成員の発言 9)を軸に、論点の全体像を確認しておきたいと思います。

・WGの検討項目

 WGの検討項目として事務局から示されたのは以下の4点でした(図4 10))。項目別にみていきます。

図4

・ネット時代における公共放送の役割

 去年11月から行われている在り方検(親会)の議論では、デジタル情報空間における課題が増大する中、公共放送であるNHKだけでなく民放も含めて、「伝統的かつ例外的に情報空間の環境整備のために国の政策が展開されてきた 11)」放送メディアが果たすべき役割はこれまで以上に大きくなっている、との共通認識が形成されてきました 12)。今回のWGは、放送メディアの中でも、特にNHKが今後担っていくべき役割とは何なのか、この再定義が検討の出発点となります。
 第1回会合だったということもあり、構成員からは、放送メディア全般の今日的役割を再確認する発言が目立ちました。そんな中、落合孝文構成員からは、必ずしも収益につながらないが大事な価値観を持つ情報をしっかり発信していくことがNHKの役割として重要であるとの発言が、そして山本隆司構成員からは、NHKはジャーナリズムに基づく編集メディアとして、ネット空間に欠けているものについてどのような役割を果たしていくのかを明確にする必要があるとの意見が出されました。また、瀧俊雄構成員からは、NHKではセレンディピティ 13)アルゴリズムの研究に取り組んでいることを聞いている、ネットの欠点を克服する方向に期待したいというコメントもありました。

・ネット活用業務の在り方 ①放送法における位置づけ

 事務局が示した論点を見ればわかる通り、WGが議論の主軸に置いているのは、NHKのネット活用業務です。議論の前提となる現在地を確認しておきます。
 NHKは「NHKプラス」「NHKニュース防災アプリ」「NHKオンデマンド」など、ネットを活用した様々な業務を行っていますが、これらのサービスは放送法上、"任意業務"という位置づけになっています(図5 14))。そのため、毎年NHKは、ネット活用業務の内容や種類、費用について「インターネット活用業務実施基準(実施基準) 15)」を策定し、総務大臣の認可を得た上で業務を行うというルールになっています。このうち受信料を財源とする業務については、2020年度まで、受信料収入の2.5%以内で行うということになっていましたが、2021年度からはそれが変更され、自ら上限額を提示し、大臣の認可を得た上で実施しています。2022年度に設定した上限は200億円でした。

図5

 WGでは、任意業務であるこのネット活用業務を、今後、放送法上どのように位置づけていくのかが大きな論点とされています。この論点は、8月に自民党の「放送法の改正に関する小委員会」がまとめた第三次提言にも、「放送の補完ではなく、NHKの本来業務とすべきかどうか、本来業務とする場合にはその範囲をどのように設定するかも含めて検討すること」という形で示されていました 16)

 WGの第1回会合で、明確に本来業務化すべきと主張したのは宍戸常寿構成員でした。宍戸構成員は、ジャーナリズムに裏付けられた公共的な動画配信が日本で遅れたことにより、現在のデジタル情報空間の課題が大きくなったという認識を述べた上で、NHKに先導的役割を果たさせることで、民放も含めて公共的な情報が適切にネットに供給され、健全な世論が形成されることを"デジタル社会の基本政策"として確保すべき、と発言しました。一方で、大谷和子構成員からは、必須業務か任意業務かという大雑把な議論は卒業すべき、林秀弥構成員からは、本来業務化は是か非かという二項対立的な図式での議論は問題を矮小化する、といった発言もありました。大谷構成員からは、NHKはデジタル情報空間でどのような役割を果たすのかをまず検討し、その上で、その役割を果たすための制度をデザインし、受信料の使い道を定義すべきとの趣旨の発言もありました。

 私はこれらの発言を聞いて、今から5年前程前のことを思い出しました。在り方検の前身である「放送を巡る諸課題に関する検討会(諸課題検)」でも、ネット活用業務の本来業務化という論点が議論の俎上に上った時があったのです。
 NHKは当時、放送法では認められていなかった常時同時配信(現在のNHKプラス)を実施できるよう制度改正を要望していました。あわせて負担のあり方については、会長の常設諮問機関「NHK受信料制度等検討委員会(受信料検討委員会)」を設けて議論を進めていました。
 受信料検討委員会は、「条件が揃えば、放送の常時同時配信はNHKが放送の世界で果たしている公共性を、インターネットを通じても発揮するためのサービスと考えられるとし、テレビを持たずにネットだけでモバイル端末でこのサービスを利用する人達にも受信料を負担してもらう受信料型を目指すことに一定の合理性がある」という答申案 17)をまとめ、2017年7月、NHKはこの内容を諸課題検で報告しました 18)。私は総務省の会議室で会合を傍聴していましたが、この日を契機に、放送業界や新聞メディアでは、NHKのネット活用業務を本来業務化するか否かという議論が大きくなっていったと記憶しています 19)。その後、高市早苗総務大臣(当時)が、「常時同時配信を「本来業務」として位置づける考え方については、私は、多岐に渡る課題がある 20)、井上弘民放連会長(当時)が、「独占的な受信料収入で運営されるNHKがインターネット活用業務を拡大することは、民間放送だけでなく新聞などの民間事業と競合する可能性を高める 21)とそれぞれが会見で言及。結果、NHKのネット活用業務の本来業務化は時期尚早とされ、任意業務のまま、受信契約をした方々を対象とする同時配信等を可能とする放送法改正が行われることになり、今に至っているのです。

・ネット活用業務の在り方 ②規制の在り方について

 NHKのネット活用業務の本来業務化の議論と切っても切り離せないのが、民放や新聞社が繰り返し述べてきた、いわゆる"民業圧迫"という懸念です。今年7月に公表された在り方検(親会)の取りまとめ案に対する意見募集においても、日本新聞協会は、「NHKが巨額な放送受信料を財源にネット業務をさらに拡大して取り組めば、民間事業者の公正な競争をゆがめ、言論の多様性を失わせることになりかねない 22)と述べています。
 一方、NHKの前田晃伸会長は今年9月の定例会見で、ネット活用業務に関して民業圧迫や肥大化の懸念が指摘されているのでは、という記者の質問に対し、NHK内に設置している「民業圧迫ホットライン 23)」に触れ、電話はこれまで1件しかなく、その1件も通話ができるかどうかの確認だったと明かしました。その上で「民業圧迫とかそういう事実はない」と発言しています。
 WGでは、この民業圧迫について、山本構成員からは抽象論のレベルではなく具体的な内容を示して議論をしていくべきではないか、林構成員からは、具体的にどのような市場においてどのような競争阻害が生じるか個別具体的に分析するのが議論を前に進める第一歩ではないかとの発言がありました。加えて競争法が専門の林構成員からは、視聴者向けのBtoCは民業圧迫の懸念はあまりなく、事業者向けのBtoB(toC)の分野で競争分析が必要ではないかいった具体的なコメントもありました。
 一方、宍戸構成員からは、NHKのネットサービスは健全なネット空間を作るために必要だと言う話であり、(民放や新聞と)同じレベルの競争に巻き込まれるのではなく、人々が多様な考えにどれほど触れたかで、行動変容や価値観の変容が起きたか、その指標に力点がおかれるべき、との見解が示されました。

・ネット活用業務に関する民放への協力のあり方

 この項目については、第1回会合では多くの発言はありませんでした。ネット利用者からアクセスしやすい共通の番組表などのプラットフォームの作成が必要、とか、NHKは民放が抱える課題の解決に向けて技術面に限らず手段を限定せずに協力することが必要ではないか、といった意見が出されました。

・ネット活用業務の財源と受信料制度

 このWGの開催にあたり、寺田稔総務大臣は会見で、「テレビなどの受信設備を設置した者から受信料を取るという現在の法制のもとでは、現時点ではテレビなどの受信設備を設置していない方に対して、新たに受信料を徴収することは考えていないわけであります。(中略)ただ、今後の受信料のあり方については、まさにこれから始まります公共放送ワーキングでのご議論も十分踏まえて、幅広く国民や視聴者の皆様から十分な理解を得るような姿にしていく必要がある 24)と述べていました。そのため、WG開始前には、いわゆる"ネット受信料"の議論に踏み込むのかどうか、ということが新聞報道などで取り上げられていました。
 これについて第1回会合では、参加した9人 25)のうち8人から、議論は時期尚早、現実的ではない、問題外、といった反応が示されました。ただ、三友仁志座長と林構成員からは、PCやスマホにNHKの配信サービスのアプリをインストールするなど自ら受信できる環境を用意している人達について受信料契約の対象とするかどうかについては議論してもいいのではないか、という発言もありました。
 民放連からは、在り方検(親会)の取りまとめ案に対し、「仮に「放送の補完」との位置付けの見直しを含めて検討するのであれば、テレビ受像機に紐づいて契約義務を定めている現行の受信料制度との関係を整理し、視聴者・国民各層の十分な理解を得ることが欠かせません」という意見が出されています。業務と制度とをつなぐ議論が行われるのかどうか、今後に注目していきたいと思います。

◇おわりに

 冒頭にも触れましたが、NHKは現在の経営計画で掲げている「安全・安心を支える」「社会への貢献」「人事制度改革」「あまねく伝える」「新時代へのチャレンジ」という5つの重点項目のうち、今回の修正案では、「安全・安心を支える」「あまねく伝える」の2つをより強化していくという方針が示されました。特に「安全・安心を支える(図6) 26)」については、環境変化が加速する中、NHKが公共放送として社会にどのような役割を果たしていくのかという考えを、アップデートして社会に示したということだと思います。

図6

 WGでは今後、NHKが"インターネット時代"に"ネット活用業務"を通じてどのような役割を果たしていくのか、という観点からの議論が深められていくことになると思います。その前提として、事務局が示した論点の中には、環境変化の中で使命を終えた役割についても検討するとされていますが、同時に、これまで公共放送として果たすべき役割の中で果たし切れていなかったことを再点検するという視点も必要ではないかと考えます。宍戸構成員からは、9月16日に採択されたEUのメディア自由法案 27)が紹介された上で、経営委員会を含めたNHKのガバナンス改革はどこまで進んでいるのか、という厳しい指摘もありました。
 今回のWGだけでなく在り方検全般に言えることだと思いますが、今行われている議論は、デジタル情報空間の課題にいかに対応していくか、という問題意識に前のめりになりがちで、そのために放送メディアはどのような役割を果たすべきか、といったロジックで議論が進められています。しかし、法制度の議論が、放送波という伝送路が前提であった放送サービスから、ネットも活用したメディアサービスのあり方に拡張していく以上、長期的には、伝送路によらず、公共的なメディアの役割を再定義し、それを誰がどのように担うのかという骨太の議論をしていかなければ、受信料制度も含めて、誰がどのように公共的なメディアを支えていくのかといった議論にはつながっていかないのではないかと思います。そのような長期的な視点も持ちつつ、短期的には、NHKと民放・新聞、そこにネット上のプラットフォームの存在も意識しながら、競争・協調・すみ分けについての建設的な議論がどのように行われていくのか、今後のWGや在り方検の議論に注目していきたいと思います。


1) https://www.nhk.or.jp/keiei-iinkai/iken/pdf/keikaku2022.pdf
2) 同上 P10
3) https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/472560.html
4) 1) 参照 P12
5) 1) 参照 P5
6) https://www.nhk.or.jp/keiei-iinkai/iken/221011k/index.html
7) https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/digital_hososeido/index.html
8) https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/digital_hososeido/02ryutsu07_04000322.html
9) 執筆段階では総務省から議事録が公開されていなかったので、筆者の傍聴メモを参照した
10) https://www.soumu.go.jp/main_content/000837157.pdf
11) WG第1回で紹介された曽我部真裕構成員のコメントから
12) この議論の詳細は...... https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2022/08/10/
13) 偶然や予想外の出会いという意味
14) https://www.soumu.go.jp/main_content/000837155.pdf P19から引用 赤囲いは筆者
15) 2022年の「NHKインターネット活用業務実施基準」 https://www.nhk.or.jp/net-info/data/document/standards/220111-01-jissi-kijyun.pdf
16) https://www.nhk.or.jp/bunken/research/focus/f20221001_1.html
17) https://www.nhk.or.jp/pr/keiei/kento/toshin/
18) 諸課題検討2017年7月4日会合 https://www.soumu.go.jp/main_content/000498611.pdf
19) 文研ブログ https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2017/07/28/
20) https://www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/01koho01_02000602.html
21) https://j-ba.or.jp/category/interview/jba102350
22) https://www.soumu.go.jp/main_content/000837155.pdf から引用
23) 2020年9月開始 https://www.nhk.or.jp/css/goiken/mingyo.html
24) 2022年9月13日閣議後記者会見 https://www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/01koho01_02001169.html
25) 座長含む。曽我部真裕構成員は欠席
26) 1) 参照 P9
27) https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/IP_22_5504