メディア研究部(海外メディア) 税所玲子
世界の公共放送のお手本ともいわれるイギリスBBC。
世界で週あたり4億6800万の人がそのサービスを利用し、王室とならびイギリスのソフトパワーの一翼を担うともいわれる組織ですが、現地では、いま、「創設以来の危機にある」との論が後を絶ちません。1)
その背景には、技術革新とともに台頭したNetflixなど、新しいビジネスモデルを持つグローバル企業の動画配信サービスにおされ、テレビの視聴時間の減少に歯止めがかからないことがあります。BBCのストリーミングサービスiPlayerも、2014年には40%を占めていたシェアが2019年には15%まで減少しています。

また、EU=ヨーロッパ連合からの離脱を問う国民投票をきっかけに世論が真っ二つに割れてしまったことで、不偏不党を掲げるBBCは、離脱派、残留派のどちらからも不満の矛先を向けられるようになりました。離脱派のジョンソン首相は、BBCを“Brexit Bashing Corporation”(離脱叩き協会)と呼び、受信許可料制度の見直しも示唆しています。
こうした中で、放送通信の外部規制監督機関Ofcom(The Office of Communication)は、2020年、BBCを含む公共サービス放送2)の将来について、集中的な討議を行いました。

市場調査や世論調査のほか、学識経験者による提言などが寄せられる中で、私が最もイギリスらしいと感じたのは、2020年7月から8月にかけて開催された「Citizen Assembly(市民会議)」という名の討論でした。ディベート大国らしく、市民46人が、公共テレビの役割と課題について専門家のレクチャーを聞いた後、論点を整理して、討論します。そして、4回目の会合で洗い出された課題について投票を行い、順位をつけていくというものです。
結果は次のようになりました。上位5つを記します。
①BBCの政府からの独立を守ること
②科学や教育番組を提供すること
③十分に多様な視点や見方を提示して、市民の判断材料を提供すること
④ニュースは、スピードよりも正確性とディテールを重視すること
⑤様々なプラットフォームを通じて番組が視聴できるようにし、最新の技術を使ってオンラインでも目につきやすいようにすること
また、10月には、3日間にわたる討論会が開かれ、その様子が配信されました。
BBC改革論者の前文化・メディア・スポーツ相やメディア界の重鎮などが自説を展開した後の最終セッションでは、BBC、ITV、Channel 4、Channel 5の会長やCEOが討論にのぞみました。アメリカ資本の衛星放送Skyの政治キャスターが、1時間にわたって「あなたたちの価値はなにか」と問い詰める様子は現在でもネット上で公開されています。
こうした一連の議論を経てOfcomがまとめた報告書は、「このままでは公共サービス放送が生き残ることは難しい」と結論づけました。そして、▼放送通信法の改正、▼長期に維持可能な財源制度の検討、▼コンテンツを届ける方法を放送に限らないこと、▼放送局どうしや、配信サービスとの連携強化の検討などを提言として示しました。
Ofcomは、ことし3月までこの報告書に対する意見を公募した後、最終提言として政府に提出し、それをふまえて政府の改革案がまとめられる予定です。
この議論は、「分断」「対立」という言葉が当たり前のように使われるようになってしまった今の社会で、市民ひとりひとりが、よりよい判断をし、豊かに暮らしていくために必要な情報を届けていくためにはどのような仕組みがよいのか?そんな問いかけに対するそれぞれの答えを探すプロセスに思えます。
来年の今頃には、その問いに対しイギリスなりの答えが出され、公共メディアのデッサンが完成しているのではないかと思います。輪郭を書いたり消したりしながら進められるその作業から目を離さずにいたいと思います。
1) Guardian 2020年9月30日”Andrew Marr: There is a drive to destroy the BBC”
https://www.theguardian.com/media/2020/sep/30/andrew-marr-there-is-a-drive-on-to-destroy-the-bbc; Financial Times 2021年1月6日“The BBC, Fleet Street and the future of journalism" https://www.ft.com/content/74570d49-75c0-40a6-a9dd-dc246dc46c97
2) 正式には公共サービス放送(Public Service Broadcaster)と呼ばれ、BBC,ITV, Channel4, Channel5, S4Cが含まれる。財源は様々だが、不偏不党なニュースや社会情報番組などを制作する責務を負う。
メディア研究部(海外メディア) 山田賢一
ここ数年、香港は激動の中にありました。
2014年に香港の行政長官選出をめぐって「真の直接選挙」を求める「雨傘民主化運動」が起き、香港の繁華街の道路を2か月半にわたって占拠しました。このこと自体、従来「ノンポリ」で知られてきた香港人の大きな変化を示すものでしたが、2019年にはさらに大きな事件が起きます。行政長官が進めようとした「容疑者送還条例」改定に対する反対運動で、6月9日には100万人、そして翌週の16日には200万人が参加する特大規模のデモが起きました。
しかし、筆者がかつてインタビューした人物で、3月末の初期段階の反対デモ(参加者1万2000人)には顔を見せていた林栄基氏の姿は、6月にはすでに見られませんでした。林氏は中国に批判的な書籍を発刊する銅鑼湾書店の店長で、2015年10月に中国本土に入境した後、行方不明となります。そして林氏を含む同書店の幹部5人がほぼ同じ時期に次々と失踪していたことが分かりました。林氏は翌年2月、他の拘束された2人と共に香港のテレビに登場し、違法な書籍の販売に関わったと罪を認めます。
ところが釈放後の6月、林氏は香港で記者会見を行い、自らの自白ビデオが中国当局に強制されたものだったことを暴露しました。釈放された他の幹部たちが沈黙を守る中、林氏の勇気ある行動は大変な反響を呼びました。しかし同時に、林氏はいつ中国政府から仕返しを受けるか分からない恐怖の中での生活を余儀なくされます。
「容疑者送還条例」への反対運動は、条例改定そのものは阻止できたものの、その後中国政府から「香港国家安全維持法」の制定という、強烈な反撃を受けます。この法律では、第9条で「メディア・インターネットへの監督・管理強化」が明示された他、第43条では、国家安全に危害を及ぼす犯罪に関与した疑いのある人物に対し、通信を傍受し秘密裏に監視することができるとされるなど、報道の自由を窒息させかねない内容です。
実際、2020年6月に同法が施行されたあと、8月には中国に批判的な論陣を張ってきた大手紙『りんご日報』の創業者である黎智英(Jimmy Lai)氏が同法違反の疑いで拘束され、りんご日報への家宅捜索も行われました。容疑者送還条例反対運動が盛り上がりを見せる中で、林氏が香港から台湾に移住したことは、今日の香港を当時すでに予見していたのかもしれません。
詳しくは、『放送研究と調査』1月号をご覧ください!
メディア研究部(番組研究) 七沢 潔
『放送研究と調査』2020年12月号、2021年1月号に連載した論文「『新型コロナウイルス』はどのように伝えられたか」では「テレビ報道とソーシャルメディアの連関」に注目しました。
ここでは、その研究がいまなぜ必要なのか、という「理由」について考えてみたいと思います。
インターネット時代の到来が宣言されてから四半世紀がたちました。
いまや世界中の人がTwitterやFacebook,Instagram,YouTubeといったソーシャルメディアを使って自らの言葉や思いを社会に伝え、自らが作ったり、選んだり、出演したりする映像を発信するようになっています。新型コロナウイルス感染者が、スマホで自撮りした動画を通じて世界にメッセージを送る時代なのです。
この間、放送事業者はソーシャルメディアの反応に敏感になり、これを取り込もうと、あるいはコラボ(協業)しようと時流をキャッチアップして来ました。それは視聴率が大きな意味を持つ娯楽番組=ドラマやバラエティ番組などで顕著で、双方向性を生かした新しい表現領域を生むと同時に、出演者を自殺に追い込むような負の側面もあらわになりました。そして、この「娯楽」領域については、これまで文研でも研究対象になってきました。(「朝ドラ」について二瓶亙・関口聰2014、「リアリティショー」は村上圭子2020など)
今回着目したのは「報道」という、比較的距離が置かれてきた領域です。「フェイクニュース」という言葉が流布するここ数年は「ファクトチェック」や「流言」の研究(福長秀彦2018)などが見られるようになりましたが、多くはネガティブな現象に光が当てられてきました。今回の「コロナ報道」の研究でも、第1部では「番組の本質からずれたバズり」や「内容を反映しない引用」など、「道ならぬこと」をしてテレビ報道を揶揄したり、足を引っ張るネットの「特性」が強調されています。
それでも筆者は今回の論文の第2部で「ソーシャルメディアはテレビとともにPCR検査問題に対峙したのではないか?」と仮説を立て、検証を試みました。見えにくい「相互作用の軌跡」を可視化するために、「アジェンダセッティング」、日本語にすると「議題設定」という古くからのジャーナリズム研究の概念も持ち出しました。
そのアイデアはある日突然、個人的な記憶とともに浮上しました。10年前、福島第一原発事故直後に作った番組『ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図』(2011年5月15日OA)は、放送にこぎ着けるまでにも、放送後にも、Twitterなどからたくさんの応援を受けました。
その記憶がなぜか蘇ったのです。

「ネットワークでつくる放射能汚染地図」より
この番組は事故発生の3日後に企画され、当時大手メディアが足を踏み入れなかった原発から半径30キロ圏内に入って取材をしたのですが、その行動が「通達」に反すると内部で問題視され、取材が中断されました。しかし高濃度の汚染地帯と知らずに地域の集会所に滞在する人々などの取材映像を、別の番組(『ETV特集 原発災害の地にて』同年4月3日OA)で放送するとネット上で評判となり、再放送希望の電話やメールがNHKに多数届けられました。
これを契機に流れが変わり、条件付きで30キロ圏内の取材ができるようになり、『放射能汚染地図』本編も放送できるようになったのです。
放送後もネットはバズり、YouTubeに番組映像がアップされ、1500件を超える再放送希望が殺到、総合テレビを含め、都合5回再放送されました。
「行き詰った企画をネットに救われた」
そんな思いもあってタイトルに「ネットワーク」という言葉を配したことも思い出されます。
この話を研究チームの同僚に当てると「それは稀有な成功例でしたね」と素っ気なかったのですが、「ネットはある条件下ではテレビの強力な支援者、あるいは盟友にもなる」
という筆者の確信は揺るぎませんでした。
感染が気になり検査を受けたくても、受けられない状況の告発に始まった「PCR検査問題」も
番組を視聴し、Twitterの反応を精査していくと、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)や『news23』 (TBS)など先行するテレビ番組にTwitterが盛んに反応、それを受けて番組はさらに動きを加速し、他局の番組も後追いをしています。
途中、検査拡充に反対する投稿や出演者への誹謗中傷もあったものの、結局政府は拡充に向け舵を切らざるを得なくなりました。
テレビとソーシャルメディアのコラボが「成功」した二つの事例は、「放射能汚染」「ウイルス感染」という、生命にかかわる危害が誰の身にも及ぶ可能性のある緊急事態でありながら、行政による情報公開や検査が不十分で、視聴者の不安が高まる状況下で進行した点が共通しています。
問題に対峙し、率先して警鐘を鳴らすテレビ番組が現れ、それをネットが拡散力でバックアップして事態の解決にむかう社会的な「うねり」を作り出したことも、共通しているかも知れません。
筆者は30年以上にわたり原発事故という「失敗例」の取材や研究を続けてきました。それは「成功」が宣伝される「安全神話」の時代だからこそ重要な課題でした。
他方で「テレビとソーシャルメディアの関係」のようにトラブルや「失敗例」ばかりが目立つテーマでは、その数を上積みするばかりでなく、逆に数少ない「成功例」を掘り起こし、ケーススタディを行うことも重要なのではないでしょうか。
それによって、本格化するネット時代の中で、テレビが公共性を維持・発展するために、
必要でかけがいのない知見をつかむことができないか―
それが、筆者がこの研究にこだわる個人的で、公共的な理由なのです。
(本稿第1部、2部はそれぞれ下記のURLからPDFで読むことができます)
第1部 https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/20201201_7.html
第2部 https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/20210101_6.html
メディア研究部(番組研究) 宇治橋祐之
このブログを書いている1月21日現在、11都府県で2回目の緊急事態宣言が出ています。今回は小中学校や高校などへの一斉休校の要請はありませんでしたが、学級や学年単位での休業や、感染リスクの高い部活動などの制限は行われています。大人の生活だけではなく、子どもたちの生活も大きく変わらざるを得なくなりました。学びたいのに学べない状況も生まれています。
NHKでは現在「#学びたいのに いま、学びを守ろう」というキャンペーンを進めており、学びを守るために何が必要か、みなさんの声をもとに取材・放送した内容を特設サイトで紹介しています。
子どもたちはいったいどんな状況にあり、どんなことを感じているのでしょうか。文研では、昨年4月の臨時休校・休園時と6~7月の再開後に緊急調査を行いました。
限られた期間の調査だったこともあり、ウェブを使った全国調査をまず行い、さらにMROCという専用の掲示板を利用した調査を組み合わせました。ウェブの調査では、全国の幼稚園・保育園児から小学生、中学生、高校生までの子どもを持つ保護者と高校生に回答をお願いし、MROCでは小学生、中学生の保護者と中学生、高校生に協力を頂きました。
調査では大きく「メディア行動の変化」と「生活の変化」についてと、パソコンやタブレット、スマートフォンなどの機器で利用されるさまざまな「デジタル学習教材」について調べました。
「メディア行動の変化」については、「休校・休園前の通常時」「4月の休校・休園時」と比べて「6~7月の再開時」にどう変わったかを尋ねました。その結果「テレビ」については、「6~7月の再開時」に「休校・休園前の通常時」と比べて利用時間が「増えた」子どもは「減った」子どもより多い傾向でした。また「4月の休校・休園時」との比較では「増えた」と「減った」が、ほぼ同じ程度でした。それに対して「スマートフォン」は、「休校・休園前の通常時」、「4月の休校・休園時」と比べると、いずれも「6~7月の再開時」に利用時間が「増えた」子どもが多いという結果でした。休校・休園期間を経て子どもたちの生活に「スマートフォン」がますます定着した様子がみられます。さらに分析を進めると、好きな時に自由に見られる「オンデマンド」という要素の重要性が高まっているようでした。
この背景には「生活の変化」がありそうなこともみえてきました。「ストレス」に関する質問への回答からは、「ストレスが多重にかかる状況」が継続している様子がみられ、ストレスを感じている子どもほど、メディア接触時間が長いという傾向もありました。そしてオンライン掲示板のMROCの投稿内容の分析から「有意義へのニーズ」というキーワードがみえてきました。ただし求める有意義の意味は休校・休園時と再開後では少し異なります。休校・休園時は、家族で過ごす時間が長くなる中、テレビに対して「家族で楽しむことで、家族間のコミュニケーションをよくする効果」を感じている人が多いようでしたが、再開後は「貴重な少ない時間の中で、いかに有効・効率的にストレス解消をするか」にはスマートフォンで動画やゲームをするほうがよいと考える人が増えたようでした。
「デジタル学習教材」についてみると、休校・休園期間を経て利用は広がったけれど、それは学校などからの指示によるためで、必ずしも興味をもつ子どもや保護者が増えたわけではないこともみえてきました。その一方で実際にデジタル学習教材を利用した結果、これまでみえなかった多様なニーズがわかってきました。その大きな方向性は、メディア接触の変化でみられた「オンデマンド化」と「有意義へのニーズ」と重なることが多く、自分のペースで学べることや、「楽しさ」だけでなく「わかりやすさ」を求める傾向がみられました。
この先の状況はまだわかりませんが、臨時休校・休園というこれまでにない時間を経て、子どもたちにどんな変化があったのか、詳細な結果と、保護者や子どもたちのリアルな声は「放送研究と調査」2020年11月号と12月号で紹介しています。これから先の子どもたちに何が必要かを考える際に、読んでいただけるとありがたいです。
メディア研究部(メディア動向) 大髙 崇
現在、コロナ禍を契機として昨年春から激増した再放送(総集編なども含むアーカイブ番組の再利用)についての調査研究を行っています。
(※昨年の11月25日、12月25日のブログもご参照ください)
今回は、この研究をしようと思った動機のひとつについて書きたいと思います。ただ、とてもローカルでプライベートな話なのでお目汚しにならないといいのですが・・・。
「きょうの、BSの、江川と銚子商業。見たか?」
昨年(2020年)、6月14日の午後。
実家を訪ねた私に、82歳になる父親が興奮気味に話しかけてきました。
その日の午前中にNHK・BS1で放送されたこの番組のことです。
『あの試合をもう一度!スポーツ名勝負 1973夏 銚子商×作新学院 “怪物江川 最後の一球”』
のちに読売ジャイアンツのエースとして活躍した江川卓選手。1973年、作新学院(栃木県)の投手だった頃は、豪速球で三振の山を築き、高校野球界で「怪物」の異名を轟かせていました。
その江川投手の、夏の甲子園最後の試合が、2回戦での銚子商業(千葉県)との一戦。
0対0で迎えた延長12回裏、満塁のピンチでフォアボールを与え、押し出しサヨナラで作新学院は敗退したのです。

番組は、当時の試合の中継映像(しかもモノクロ!)を、初回から試合終了まで、ほぼ全編放送していました。
千葉県銚子市に近い街に住む父親は、この試合をリアルタイムで見ていました(47年前、父・35歳の夏)。
父親にとって、「黒潮打線」で鳴らす銚子商業は地元の誇りであり、怪物・江川を攻略したこの一戦は、数え切れないほど見た高校野球の中でも最も印象深い思い出のひとつでした。
その前年(1972年)、銚子市の球場で銚子商業と作新学院の試合が行われ、父親は観戦に行ったそうです。黒潮打線は江川の豪速球にまるで歯が立たず、次々と三振を重ね、満員の観客席で呆気にとられたとか。その日の銚子の海風の酷さも手伝って、途中で帰りたくなったと言います。
その悔しさもあって、翌年の甲子園で、ついに宿敵・江川に勝利した試合をテレビで見ていた時の緊張と興奮の記憶が、47年ぶりに蘇ったようでした。
さらに、銚子商業を率いた名将・斎藤一之監督が地元の人々にどれほど尊敬されていたか、漁師町・銚子のあの頃の活気、仲間たちとの思い出・・・。父親は実に機嫌よく、饒舌に語りました。
挙句の果てに、「いいもの見せてもらった。ありがとう」と私に礼まで言う始末。この番組の放送に私は何ら関わっていないのですが、そこはまぁ、これも一つの親孝行ということにして、曖昧に照れ笑い、といたしました。

でも私はつい、「結果がわかっている試合を、最初からずっと見せられるのでは途中で飽きてしまうだろう。延々と0対0のままだし」と水を差してしまいました。
コンパクトに編集したダイジェスト版のほうが見やすいのではないか、と思ったのです。
しかし、これを父親はきっぱり否定しました。
「いや違う。あの時、俺が見ていた『そのまま』がいい。その時の気分に浸れるからいいんだ。あれやこれや、じわじわ蘇ってくるのがいいんだよ。短くされちゃこうはいかない。気分が乗らないよ」
そう言われた私は、再度この番組を全編見直してみました。すると、いろいろと発見があって面白いことに気づきました。
平日で天気が悪く、2回戦であるにも関わらず、球場は56,000人の超満員。外野席、センターのバックスクリーンにも観客があふれて、当時の江川人気が実感できます。
この日、江川の調子は万全ではなく、たびたびピンチに陥ります。ただ、ここぞという時にはギアチェンジして剛速球を投げ、ピンチをしのいでいました。銚子商業の粘り強い攻撃と、雨。江川は明らかに消耗し、敗戦に至ったことがわかります。
再編集によるダイジェスト版では伝わらない時間の流れや細部は、リアルタイムで見ていた父親には臨場感とともに記憶を生き生きと蘇らせ、私には新鮮な発見をもたらしました。
結果がわかっているスポーツ中継であっても、あえて編集しない良さに気づきました。
昔の番組を放送で再利用する場合、「本編そのまま」「再編集・ダイジェスト」など、どのような作り方が望まれるのか。この時の父親とのやりとりも、再放送の調査研究に取り組む動機になった、という次第です。お粗末様でした。
再放送に関する調査研究の内容は、「文研フォーラム2021」で、また、まもなく発行の『放送研究と調査』2月号でもお伝えする予定です。どうぞお楽しみに!
メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎
1918-1919年のインフルエンザ(通称「スペインかぜ」)がもたらした疫禍を描いた『史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミック』で、著者のアルフレッド・W・クロスビーは、当時のアメリカの記録を丹念に調べる中で「まるで大船団が恐ろしく強烈な潮流の上を横切ろうとしている光景を、丘の上から見おろしているような感じがする」と述べ、続く文章で「船乗りたちはほとんどその流れに気づかず、舵をしっかり握りしめ、羅針盤を覗きこみ、決められた進路を忠実に守ろうとしている。だが彼らの軌跡は、自分たちの位置から直進しているように見えても、我々から見れば彼らに見えない潮流によってはるか下流の方に押し流されている」(西村秀一 訳、みすず書房 出版)と書いています。
この文章を読んで、新型コロナウイルスによって、少し先の予定さえも立てることができなくなった現実に直面しているにもかかわらず、「決められた進路を進むことができる(もしくは、しなくてはならない)」という思い込みから抜け出すことができないままでいる今の日本の状況を言い表しているように思えたのは私だけでしょうか。そこに書いてあるのは過去の出来事なのに、あたかも現在のことを表現しているような記述に出会うと、生きていくうえで歴史を学ぶことが不可欠であることを思い知ります。
『史上最悪のインフルエンザ』とは扱っている病気も時代状況も異なりますが、放送文化研究所で毎月発行している「放送研究と調査」では、2020年1月から7月の間になされた新型コロナウイルスについてのテレビ報道と、それに関するソーシャルメディアの反応を記録・考察した論稿「『新型コロナウイルス』はどのように伝えられたか」を掲載しています。2020年12月号掲載の【第1部】では、朝・昼・夕・夜の時間帯から、NHKと民放の計25番組を選び、それらの番組が、どの時点で、どのようなことを、どの程度報道したのか、またそれらの報道に対し、ソーシャルメディア(主にTwitter)がどのように、どの程度反応し、両者の間でどのような連関があったのかを検証しています。2021年1月号掲載の【第2部】では、「PCR検査」を事例に、ソーシャルメディアと連関する中でテレビが果たしたと考えられる機能を仮説として取り上げています。
今月7日、東京では2447人、全国では7570人といずれもその時点での過去最多の感染者が確認され(NHK新型コロナウイルス特別サイトより)、1都3県を対象に再び緊急事態宣言が発出。その後、他の府県にも対象が拡大されるなど、国内の新型コロナウイルスの感染拡大は依然収束の目途が立っていません。時々刻々と事態が変わっていく中で、数か月前のテレビとソーシャルメディアの記録をまとめ、発表することにどのような意味があるのか、研究に関わった一員として今も考えています。その問いに対する答えはまだ十分に得られたとは言えませんが、現時点では「遠くない過去からも学べることがある」という、至極当たり前なことではないかと思っています。
というのは、人間というのは、少し前に起こったことについては、ある程度記憶しているし、理解していると思いがちですが、往々にして知っているつもりでいてよくわかっていないことがあると思うからです。例えば、新型コロナウイルスに関わるTwitter投稿が一体どのくらいの数あり、その中でテレビ報道に関するツイートはどの程度の割合を占めるのか、Twitterはどういうテレビのトピックに反応し、どういうトピックには反応しないのか、また投稿をするのはどういう人たちで、どのような内容が幅広く共有されるのか、といったことを私はほとんど知りませんでした。しかし、今回の研究を通じてそれらに対する一定の答えを初めて得ることができ、それまでテレビとソーシャルメディアの関係について抱いていた、得体のしれない、どちらかといえばネガティブな、漠然としたイメージが、現像液につけた印画紙から画像が浮き出てくるように、少しずつ輪郭を露わにしてきたように感じました。それらはあくまでも数か月前に起きた個別の事象で、必ずしも現在起きていることに敷衍できる一般性があるわけではありません。けれども、9か月前に続いて再度「緊急事態宣言」が出された今、これからのテレビとソーシャルメディアの関係を考えるうえで学べることもあるのではないかと思っています。
新型コロナウイルスに関するテレビ報道とTwitter投稿の関係について、現時点で必ずしもその全容がつかめているわけではありませんが、多分にズレや齟齬を含んだ、いびつなものだということが分かってきました。テレビ報道が意図していない部分でTwitter投稿に大きな反応が見られたり、誤解や意図的な曲解に基づいた情報拡散がなされたり、テレビ側が伝えたいことが思ったように伝わらない状況が生まれています。一方で、テレビとソーシャルメディアが連関することで、従来マスコミが独占的に手掛けていた一方的な情報流通ではありえなかった、いびつかもしれないけれど、一種の“コミュニケーション”の可能性が生まれているようにも思えます。その存在が最早前提となりつつある中で、恐れすぎるだけではなく、リスクを正しく踏まえたうえで、テレビを含む既存メディアが、ソーシャルメディアとどのようにしたらよりよい関係を築くことができるのかについても今後考えていく必要があります。おそらくそれは「テレビだけではどうしようもできないことと、どう向き合っていくか」という難題であることは間違いありませんが、そこを避けて通ることはできません。
ネットという大きな流れに巻き込まれ急速にメディア環境が変わる中で、テレビが今後社会の中でどのような役割を果たしていけるのか、そこにはどのような課題や可能性があるのか。この1年間にテレビがソーシャルメディアとの間で経験したことからなんらかの教訓を学び取るうえで、本稿が少しでも役立つことを願っています。
冒頭に挙げた『史上最悪のインフルエンザ』は、今からおよそ100年前の出来事を約30年前に書いた本です。筆者のアルフレッド・W・クロスビーが、当時のアメリカ社会を冷徹に「恐ろしく強烈な潮流を横切ろうとしている大船団」と評し、自らの立ち位置を「丘の上から見下ろしているような感じ」と書いているのは、そこに、ものごとを客観的に見て評価するのに十分な70年という時間が横たわっているからだと思います。一方、私たちは新型コロナウイルスに巻き込まれてまだ1年という時間しか経っておらず、その渦中にいるため、十分に客観的な見方をすることができません。言い換えれば、それは「強烈な潮流を横切る」だけが唯一の現実ではなく、今から軌道修正をし、あるべき未来を手繰り寄せる可能性をまだ手にしているということでもあります。