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調査あれこれ 2023年06月23日 (金)

日本海中部地震から40年 北海道南西沖地震から30年 2つの大津波の教訓【研究員の視点】#494

メディア研究部(メディア動向)中丸憲一

okushirito_damage.jpg北海道南西沖地震津波の被害 (写真提供:東北大学災害科学国際研究所 津波工学研究室)

【2つの大津波の共通点】
 2023年は、日本海中部地震津波(1983年)、北海道南西沖地震津波(1993年)からそれぞれ40年、30年となります。今回はこの2つの大津波が今に伝える教訓について、かつて災害担当記者だったメディア研究者の視点から考えていきたいと思います。
この2つの津波には、共通点があります。
▼過去に何度も津波被害を受けた三陸沿岸ではない、日本海側で起きた津波だった。
▼観光地など地元に土地勘のない人が多く訪れる地域を襲った津波だった。
▼地震発生から津波到達までの時間が10分未満だった。
 この2つの災害が発生した時、当時の技術では津波警報の発表と伝達が間に合いませんでした。結果的に多くの犠牲者が出る事態となりました。
メディアの災害報道のあり方にも大きな課題を突きつけ、防災教育の重要性が指摘されました。

【日本海中部地震津波とは】

gyosen_2_W_edited.jpg日本海中部地震津波の被害 (秋田地方気象台ホームページより)

日本海中部地震が起きたのは40年前の1983年5月26日午前11時59分。マグニチュード7.7の大地震により津波が発生しました(※1)
東北大学の研究グループが、当時作成したシミュレーション動画では、この津波がどのような動きをしたのか詳しく見ることができます。

 日本海中部地震津波シミュレーション (動画提供:東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授)
 

地震発生後、日本海の震源付近で盛り上がった海面がほぼ東西に分かれ、高い津波となって主に秋田県と青森県の沿岸に襲来。津波の第1波は地震発生から約7分で到達しました。
その後も繰り返し津波が押し寄せ、1時間近く経過してもなかなか衰えない様子がわかります。津波は最高14mの地点まで到達したという記録が残っています。
この時、仙台管区気象台が津波警報を発表したのは、地震の発生から15分後。さらにNHKが津波警報を伝えたのが、その5分後。津波の第1波の到着から13分が経過していました(※2)。当時の技術力ではこれが限界だったと思いますが、メディアとしては情報を迅速に伝えることが責務です。しかし、結果的にそれが十分にできない中で、この津波では、秋田県と青森県、北海道であわせて100人が犠牲になりました。

【土地勘のない海岸で津波に襲われた遠足中の小学生】
犠牲者には、北秋田市の旧合川南小学校の4年生と5年生の児童13人が含まれています。子どもたちは、秋田県男鹿市の加茂青砂海岸に遠足で来ていて、ちょうどお昼のお弁当を食べていたところでした。当時のNHK社会部の記者が研究者と共同で、このときのことを記録しています。日本海中部地震の翌年に出版された本から証言を引用します。

(大地震に遭った子どもたち「日本海中部地震」の教訓 清永賢二 小出治 平井邦彦 井辺洋一著)
 午後零時ごろ 男鹿半島・賀茂青砂海岸に降りて昼食。
《一人の子どもが大声をあげるので駆けつけたところ、岩間にリュックを落としており、それを拾い上げたところに大波が来た。その後、気がついた時は、海岸で人工呼吸を受けていた》(四年担任の先生)
《海辺の方向を振り返った時、「アッ」という悲鳴が聞こえ、子どもを助けに行こうとしたところ、岩の周りの海が盛り上がってきた。二人の子どもの手をとり、助けようとしたところ、急激な力で海へ引っ張られ、体が一回転した。その時、右手の子どもの手が「スルリ」と抜けていった。》(五年担任の先生)
《わたしらでも、こんな大きな津波が来るとは少しも思ってませんでしたからね。まして、合川というところは山の中でしょう。地震と津波というのは少しも結びつけて考えなかったでしょうね。》(地元の女性・六〇歳くらい)

 子どもたちは、不意打ちで津波に遭い、一瞬のうちに波にさらわれました。また、海岸付近に住む地元の女性の話から、子どもたちは山あいの地区にある小学校に通っており、土地勘のない場所で津波に遭遇したことがわかります。

imamura_onlinecoverage.jpg東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授
(リモートインタビューの様子)

日本の津波研究の第一人者で、当時、日本海中部地震津波の被災地を調査した東北大学災害科学国際研究所の今村文彦教授は次のように話しています。
土地勘がなく、『地震のあとに津波が来る』という知識もなかったことで、適切な避難ができず、遠足や観光などで沿岸を訪れていた多くの方が犠牲になった。海に近い地域はもちろん、そうでない地域の人たちでも海の近くに行くことはある。全国各地で津波の防災教育を進めることの重要性を突きつけた津波災害だった
この時の津波では、放送による呼びかけで被害を防ぐことはできませんでした。津波警報の放送についてはこのあと見直しが進められましたが、今村教授が指摘する防災の知識を広げていくことは、放送のコンテンツを通じても可能です。メディアにそのことを意識させる大きなきっかけの1つが日本海中部地震だったと筆者は考えます。

【北海道南西沖地震とは】
北海道南西沖地震は、日本海中部地震から10年後の1993年7月12日午後10時17分に発生しました。北海道奥尻島の北西の沖合を震源とするマグニチュード7.8の地震により津波が発生。震源が島に近かったため、津波は地震発生後4分から5分で到達。高さ20m以上の地点まで達し、観光地として知られていた奥尻島を中心に230人が犠牲になりました(※3)


okushirito_damage2.jpg北海道奥尻島の被害(写真提供:東北大学災害科学国際研究所 津波工学研究室)

札幌管区気象台は、地震発生から5分後に津波警報を出しましたが(※4)、この時点で奥尻島にはすでに津波が到達していました。

【被害を拡大した津波の「挟みうち」】
津波の速度に加え、島や岬などの特有の地形によって津波に「挟みうち」されるような状態になったことも、多くの犠牲者が出た原因の1つです。当時、東北大学の研究グループが作成したシミュレーション動画を見てみます。

 北海道南西沖地震津波シミュレーション (動画提供:東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授)
 

画面中央にある岬が、奥尻島南端部に位置する青苗地区。壊滅的な被害を受けた場所です。津波はいったん地区(岬)の西側に到達したあと、南側を高速で回り込んで東側にも到達。東西から津波に挟みうちされるような状態になり、逃げ場を失った人も多かったのです。

【類似災害から読み取る教訓を伝えることの大切さ】
災害担当記者だった筆者も、これとよく似た津波災害を取材したことがあります。それはタイ南部の離島、ピピ島でのことです。ピピ島は、2004年12月26日に発生し、30万人以上が犠牲になったインド洋大津波の被災地の1つです(※5)。レオナルド・ディカプリオ主演で2000年に公開された映画「ザ・ビーチ」の舞台となったこともある人気の観光地で、当時も年末年始の休暇で多くの観光客が訪れていました。インド洋大津波が発生したとき、筆者は、仙台放送局で災害担当の記者をしていました。この大津波による被害を受けて、津波の研究者たちは調査団を結成し、筆者はその調査に同行しました。
津波発生から数日後にタイに入り、大きな被害のあった観光地のプーケットなどを取材。そのまま年が明け、2005年1月2日にピピ島に到着しました。調査の結果、ピピ島には島の北側から高さ6m、南側から高さ4mの津波がほぼ同時に押し寄せ、ホテルや土産物店などが建ち並ぶ島の中心部を襲ったことがわかりました。観光で訪れた場所で、いきなり津波が挟みうちのように襲ってきたのでは、逃げようがなかっただろうと、現場に身を置いて強く感じました。
今回のブログを書くにあたり、奥尻島を襲った津波について調べるうちに、「島が挟みうちされるように津波に襲われた」という点で、極めて類似していることに気づかされました。北海道南西沖地震の2年後、1995年に起きた阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災をきっかけに、メディアの災害報道は、減災を重視する伝え方に変わってきています。こうした過去の災害から類似点や教訓をくみ取り、伝えていくことの重要性を改めて感じました。

【過去の教訓の継承には課題も】
一方、北海道南西沖地震では、過去の災害の教訓を生かすことの難しさも明らかになりました。実は、奥尻島には、1983年の日本海中部地震でも津波が押し寄せていました。このとき、津波が到達したのは30分後で、2人が犠牲になりました。このため地震のあとに津波が来る危険性は住民たちも共有していました(※6)。しかし、当時、今村教授らの研究グループが行った聞き取り調査の結果からは、過去の津波の経験が裏目に出てしまったことも浮かび上がりました。「日本海中部地震のときは地震発生から30分後に津波が来たので、今回もそのくらいの時間があるだろう」と考え、避難の遅れにつながったと指摘しています。一方、この経験を生かし、すぐに逃げた人は難を逃れたということです。最短4分から5分という速さで到達した津波から逃げ切るには、一刻の猶予も許されない状況でした。今村教授によると、すぐに逃げて助かった複数の人が「揺れ方が違っていた」と答えました。具体的には、日本海中部地震のときは「縦揺れから始まり、その後横揺れが来た」が、北海道南西沖地震のときは「下からドンという強い揺れがいきなり来た」と話していたといいます。今村教授は、前者は震源から比較的離れた場合の地震、後者は「すぐ近くで起きた地震」の特徴を示していると指摘しています。
津波は毎回、形を変えて襲ってくる。発生条件が変われば、到達時間や来襲する方向、さらには災害の形態も変化する。過去の経験を生かすことは重要だが、以前と同じように来るとは限らない。気象庁の津波警報を待っていたら間に合わない場合もある。とにかく『強い揺れを感じたらすぐに逃げる』を徹底するしかない。
 過去の経験を生かすとともに、場合によってはそれにとらわれず臨機応変に行動することの大切さ。こうした知識は、平時から備えておかなければなりません。メディアとして日頃から伝えるべき重要なメッセージだと思います。

【2つの大津波の教訓をどう生かす】
 先にも触れましたが、日本海中部地震と北海道南西沖地震では、気象庁が津波警報を発表したのと、それをメディアがテレビ・ラジオで速報したのはいずれも津波到達のあとでした。結果的に多くの犠牲者が出る事態となりました。これをきっかけに気象庁は津波警報の発表方法を改善。現在では、地震発生から約3分(一部の地震については約2分)を目標に津波警報が発表され(※7)、その後、すぐにメディアが伝えるという体制になっています。
 しかし、それでも日本海中部地震は地震発生から約7分、北海道南西沖地震は4分から5分で津波が到達しており、現在の技術を用いたとしても、津波警報の発表を待ってから行動したのでは助からないおそれがあります。さらに地理に不慣れな観光地にいたとすれば、条件はさらに厳しくなります。
 この難しい課題を解決しようと、同じ日本海側である試みが行われています。山形県酒田市の沖合にある飛島です。海水浴や釣り、シュノーケリングなどを楽しむため、多くの観光客が訪れます。
飛島付近の海底には、複数の活断層が確認されており、これらの断層がずれて動いた場合、津波は最短2分で到達すると想定されています。津波警報の発表を待っていたのではとても間に合いません。2022年4月、酒田市が用いることにしたのは、最先端のテクノロジーではなく、古くからあるメディアの1つ、リーフレットです。

leaflet_5_W_edited.jpg飛島津波避難リーフレット表面 (酒田市ホームページより)

「飛島津波防災」と名付けられた縦約18cm、横約13cmのリーフレットの表面には「津波は最短2分で来襲!揺れが収まったら、すぐに高台へ避難を!!」と書かれ、避難場所やそこに通じる避難ルートも複数紹介されています。さらに、これをわかりやすく解説するため、新しいメディアであるネット動画も作成しました(※8)。

tsunamiopening.png飛島津波避難啓発映像 (酒田市ホームページより)

この動画の中では「飛島に上陸しました。港の景色もとてもきれいなんですけど、それを楽しみながらも『ひなん路』と書かれた看板をしっかり探しておきましょう」などと念押しし、島に到着したら、まず避難場所や避難ルートを確認するよう呼びかけています。津波が発生すれば、到達するまでに時間の余裕はありません。でもあらかじめ避難場所を把握しておけば、もともと土地勘のない場所でもすぐにたどり着けるという発想です。しかも“オールドメディア”であるリーフレットと、“ニューメディア”のネット動画を組み合わせることで理解を深めてもらおうとしています。

lesflet_back2.jpg飛島津波避難リーフレット裏面 (酒田市ホームページより 写真:コマツ・コーポレーション)

一方、リーフレットの裏面には、島の魅力が美しい写真とともに書かれています。通常、観光客向けに作られるリーフレットは、こうした観光スポットの紹介が主ですが、これは防災面での注意喚起を優先しているのです。今村教授は、このリーフレットと動画の作成を監修しました。その際には、日本海中部地震と北海道南西沖地震の教訓を念頭に置いていたといいます。

imamura_6_W_edited.jpg今村教授

地震や津波の防災教育は、どうしても地元の住民のみが対象になりがちだが、観光地ではその土地に不慣れな人たちが多く訪れる。特に島や岬は、津波の到達が早く、挟みうちも発生して逃げ場を失ってしまうことがある。安心して観光を楽しんでもらうためには、その地域の危険性を知り、避難場所と避難ルートを確認してもらうことで素早い避難をするための準備を整えてもらうことが重要だ。
 日本海中部地震津波から40年、北海道南西沖地震津波から30年。
多くの犠牲者が出た2つの大津波から、警報を伝えるための技術も進みました。また、インターネットやSNSで瞬時に情報が伝わる時代になりました。しかし、大規模な災害が起きれば、それらが使えなくなるおそれは常に付きまといます。そうした事態に陥っても、素早く避難して命を守ってもらわなければなりません。そのために今、メディアが貢献できることは、迅速な情報伝達とともに防災教育を進化させることだと思います。2つの津波を教訓に、飛島で作られた“オールドメディア”のリーフレットを手に取るたびに、それを強く感じます。

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(※1、3、5)日本海中部地震、北海道南西沖地震、インド洋大津波の各データについては、「気象庁ホームページ」「内閣府ホームページ」「20世紀日本 大災害の記録 監修・藤吉洋一郎」「TSUNAMI 津波から生き延びるために 財団法人沿岸技術研究センター編」などを参照した。
(※2、4)日本海中部地震、北海道南西沖地震ともに「オオツナミ」が発表されているが、「1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達-巨大津波と避難行動- 東京大学社会情報研究所『災害と情報』研究会」および「TSUNAMI 津波から生き延びるために 財団法人沿岸技術研究センター編」などは、いずれも「津波警報」と表記しているので、本稿もそれに合わせた。なお、日本海中部地震の津波警報発表とNHKの伝達については、日本海中部地震に関する報告書(第二管区海上保安本部作成)を参照した。
(※6)「1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達-巨大津波と避難行動- 東京大学社会情報研究所『災害と情報』研究会」には下記のような記述がある。
「奥尻町では、地震直後に津波を予想した人が少なくない。その大きな理由は、10年前の日本海中部地震における津波体験であろう。筆者らは、津波から辛くも逃れた人たちから、今回の災害では、日本海中部地震にくらべて地震の揺れが格段に大きかったことから、10年前よりも大きな津波がもっと早く襲ってくると直感して懸命に避難したという話をしばしば聞いたが、調査対象になった多くの人々が、大津波の急襲を直感的に予想したことを示唆している。しかし、10年前の津波経験が必ずしも有効に働いたとはいえないケースもある。というのは、10年前には地震の約30分後に津波が襲ってきていることから、地震直後に津波の到来を予想しながら、「日本海中部地震の経験から、津波が来るまでかなり余裕があると思った」人、また、津波経験が今回の避難にどう影響したかという質問でも、「日本海中部地震の経験がかえってわざわいして、津波が来るのにまだ余裕があると思い避難が遅れてしまったと思う」という人がいたからである。全体的にみれば、津波経験が被害の減少に大きく寄与したことは間違いないけれども、部分的には経験がマイナスに作用したケースもあった。」
(※7)気象庁ホームページ
(※8)https://youtu.be/5KxDdrWYMqA

nakamaru2.jpg

【中丸憲一】
1998年NHK入局。
盛岡局、仙台局、高知局、報道局社会部、災害・気象センターで主に災害や環境の取材・デスク業務を担当。
2022年から放送文化研究所で主任研究員として災害や環境をテーマに研究。

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1991年 雲仙普賢岳大火砕流から考える取材の安全【研究員の視点】#481
#473「災害復興法学」が教えてくれたこと
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調査あれこれ 2023年06月20日 (火)

「復帰」50年以降のメディアの役割を考える ~『放送メディア研究』16号刊行後の動き~【研究員の視点】#493

メディア研究部 (番組研究) 高橋浩一郎

51年が経過した5月15日、メディアは「復帰」とどう向き合ったのか
 2023年5月15日、沖縄の日本「復帰」から51年が経過しました。
 今春文研が発行した研究誌『放送メディア研究』16号「特集 沖縄『復帰』50年」掲載の論考で指摘したように、「復帰」から50年の節目だった2022年は、テレビ報道量に関して、沖縄ローカル(NHK沖縄局と民放3局)との間で量と質に大きな差が見られたものの、全国向け放送でも一時的には報道が集中して行われました。それでは51年が経過した今年、「復帰」に関してどの程度の報道がなされたのでしょうか。「沖縄」をキーワードに全国向け地上波のテレビメタデータを収集し、5月15日の「復帰、返還」の報道量を確認したところ、今年は昨年の1.4%、総計で5分足らずでした。50年の節目を越え、沖縄の「復帰」とは日本にとって何だったのか振り返る機運は全国向けテレビには見られませんでした。
 その一方、「復帰」を終わった話として済ませた在京メディアとは違い、沖縄では新聞や雑誌、シンポジウムなどさまざまな形で、1年前の「復帰」50年を振り返る企画が行われ、『放送メディア研究』16号が取り上げられる例もありました。5月16日には、沖縄タイムスの文化欄に立教大学の砂川浩慶教授による書評が掲載され、また27日には那覇市で、掲載論考の執筆者などが登壇し、「復帰」50年をメディアがどう伝えたかを検証するシンポジウムが開催されました。
 刊行をきっかけに新たな対話や交流が始まることは『放送メディア研究』のねらいであり、またその後の動向を継続して取材し、報告することも研究の一環であると考え、シンポジウムでの議論を本ブログでは紹介させていただきます。

「復帰」50年報道からメディアのあり方を考える
 シンポジウムを企画したのは沖縄対外問題研究会(以下、「対外研」)です。対外研は、24年前に県内外の研究者やジャーナリスト、メディア関係者が参加して発足し、最近では「現代日本外交の文脈」「沖縄の人々の自己決定権」など沖縄と日本、国際関係をめぐる今日的なテーマについて月一回程度研究会を行っています。今年初めには雑誌『世界』2月号(岩波書店)に論文を寄稿し、台湾危機を背景として急速にかじを切った国の安全保障政策に対し、軍事衝突を回避し、安定と平和に寄与するために地域秩序の設計を追究することなどを提言しました。
 シンポジウムは5人のパネリストを含めおよそ30名が参加し、対面、オンラインのハイブリッド形式で行われました。冒頭で『放送メディア研究』に寄稿した諸見里道浩さん(元沖縄タイムス編集局長)が「『復帰』50年沖縄 新聞報道について」と題する基調報告を行い、続いて『放送メディア研究』16号を企画したジャーナリストの七沢潔さんが特集のねらいとテレビ報道分析の概要について述べました。それに応える形でそのほかの3人(朝日新聞・前那覇総局長の木村司さん、沖縄タイムス論説委員長の森田美奈子さん、琉球新報編集局長の島洋子さん)がそれぞれの「復帰」報道の取り組みを伝え、後半では会場の参加者を含めた議論が行われました。

toudansha_1_W_edited.jpgシンポジウムの様子(2023年5月27日・那覇市) 画像提供:沖縄対外問題研究会

 5人のパネリストからは多岐にわたる論点が提示されましたが、共通して感じた点があります。それは、本来であれば昨年は沖縄の日本「復帰」とは何だったのかを振り返るべき節目だったにもかかわらず、急速に変化する現実に圧倒され十分な掘り下げができなかったことへの戸惑い、そして沖縄の人々の思いとは裏腹に島々の基地化が進められ、軍事衝突への緊張が高まっていく理不尽さに対する違和感と危機感でした。
 昨年の5月15日周辺の全国紙と各県紙、沖縄県紙の「復帰」報道を検証する中で、諸見里さんは全国紙と各県紙の多くが沖縄問題の理解促進に取り組む一方で、本土と沖縄相互のまなざしに微妙なすれ違いがあることを指摘しました。そして各紙の論調を分析して、中国脅威論が沖縄の基地の重要性と結びつき、南西諸島の自衛力強化や日米一体化を肯定し、結果として新しい日米安保体制の構築を了承する流れができている可能性があることに懸念を示しました。(詳細については、本ブログの最後に関連論考のリンクを貼りましたのでご覧ください。)
 それを受け、沖縄タイムス論説委員長の森田美奈子さんは自らが担当した昨年と今年の社説を比較しながら、この1年間の変化について語りました。昨年5月15日の社説では、県内の世代間の溝の存在に触れ「基地をめぐる構造的差別は高齢世代に屈辱感をもたらしており、“尊厳”の回復が必要。現役世代や子育て世代には“希望”が持てるかが何より重要」と「復帰」50年の時点での沖縄社会の課題を提示したのですが、今年の社説では、ポスト「復帰」50年の現状を「進む要塞化」と、より踏み込んだ表現にせざるをえなかったと述べました。
 琉球新報編集局長の島洋子さんは、「復帰」50年当日と1972年当時の記事を並列し、「変わらぬ基地 続く苦悩」と全く同じ見出しをつけた、昨年5月15日の紙面展開について説明しました。そして個人的な体感として、10年前ではそうではなかった辺野古の新基地建設や、オスプレイ配備が粛々と進められるなど、「復帰」40年と比べて事態は好転しておらず、「復帰」50年は決して晴れがましいものではなかったと振り返りました。
 また朝日新聞の前・那覇総局長の木村司さんは紙面や特設ホームページなどで沖縄と日本本土の共通の土台作りを心がけたものの、節目を越えた途端に“基地の負担”から“基地の重要性”に軸足が置かれるようになったことに対して具体的な問題提起ができなかったと述べました。さらに、本来であれば「復帰」を迎える主体的な責任がある日本本土の「無自覚な無関心」に訴えかける難しさを語りました。
 節目を超えて「復帰」から「軍事」へ軸足が移ったという、パネリストたちの実感はデータからも裏付けられます。4,5月の地上波テレビで「沖縄」に言及したメタデータの中からいくつかのキーワードを抽出して昨年の数値と比較してみると、昨年「復帰、返還」が全体に占めた割合は16%、「自衛隊」は2%だったのに対し、今年は「復帰」が1%と減り、「自衛隊」は33%と大幅に増加していました。その中で4月に起きた宮古島周辺でのヘリコプター墜落関連のものが19%と大半を占めているものの、一方で「基地」を含むものが6%、「ミサイル、PAC3」が3%と、全国向けテレビの沖縄へのまなざしが「軍事」に傾斜していました。

歴史の反復への懸念
 会場で議論を聞いていた参加者からは、軍備増強の前線として巻き込まれていく沖縄の姿がかつての歴史に重なるという指摘がありました。対外研代表の我部政明さん(国際政治学者)は、日本の近代史を振り返り「沖縄県が設置された1879年から52年後に満州事変が起きたことを考えると、あと2年ほどしたら日本は再び戦争に巻き込まれるのではないか」と歴史が繰り返されることを憂慮しつつ、その一方で「有事」に関しては日本だけが浮き足だっている印象で「エコーチェンバーのような感じがする」と、メディアが一方的に伝える社会や世界の姿に対して冷静になる必要があると語りました。
 ジャーナリストの七沢潔さんは日本が戦争のできる国に変わる中で沖縄がどこへ向かっているのか、100年単位の歴史を繰り返しているような感覚があると述べ、朝日新聞の木村さんもメディアが戦前にたどった同じ道を歩んでいるのではないかと語りました。
 その中で沖縄タイムスの森田さんは「戦争が起こる可能性を摘み取ることを最優先すべき。メディアは二度と戦争の旗振り役になってはいけない」と述べ、琉球新報の島さんは「台湾有事の危険性が盛んに言われる中でも、沖縄戦の教訓である“軍隊は住民を守らない”ことを訴え、外交の重要性を主張していくことが沖縄の新聞社としての役目」と語りました。20万人もの人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦の歴史を知るジャーナリストや研究者たちから、こういった切迫した意見が出ることを重く受け止める必要があると感じました。

kaijyo_2_W_edited.jpgシンポジウムの様子(2023年5月27日・那覇市) 画像提供:沖縄対外問題研究会

メディアの役割とは
 上記のような懸念があがる背景に「安全保障のリアリズム」を指摘する声がありました。「安全保障のリアリズム」とは国家間の力の均衡を図るために結果として防衛力強化が正当化されてしまうことを意味しています。中央大学教授の宮城大蔵さん(専門 戦後日本外交)はタレントのタモリさんの「新しい戦前」発言を引用しつつ「安全保障の論理が他を圧する『安全保障リアリズム』が肥大化した時代の到来。肥大化を相対化する必要がある」と発言しました。
 基調報告をした諸見里さんは、メディアは軍事的側面だけで「安全保障のリアリズム」を語るのではなく、自国の安全を高めようとする意図が他国にも同じような行動をとらせ、結果的に双方とも望まない衝突につながる緊張を高めてしまう「安全保障のジレンマ」の視点からの報道も必要だと述べました。また、単純な正義と悪の戦いとして国際政治を捉えるのではなく、中国や台湾、米国の理解を深めることで自由な判断を促す提言をするのも研究者やジャーナリストの役割だと語りました。
 さらに、こういう状況だからこそメディアの役割が大きいと指摘する声もありました。国際基督教大学教授の新垣修さん(専門 国際法学、国際関係論)は「安全保障の中で何がリアルで何がリアルでないかはファジーな部分がある」としたうえで「安全保障という領域は言語によって作られ、その後に行為が作られる。対話によって安全保障の内容がリアルなものになる」と語り、メディアによって伝えられる言葉の重要性を述べました。
 本ブログを書いている5月31日の朝、北朝鮮が沖縄県の方向に弾道ミサイルの可能性のあるものを発射したと報じられ、「ミサイル発射、建物の中に避難してください」と呼びかける防災行政無線が町に響き渡りました。このような事態を伝える際にシンポジウムでの議論をふまえ、メディアがどういう立場から、何を、どのような言葉で、どの程度伝えているのか注視する必要があると感じました。
 3時間半と長時間に及んだシンポジウムは決して明るい見通しが持てる内容だったわけではありませんが、パネリストと参加者が応答し合うことで議論が深まり、集合的な思考がなされる貴重な場になっていたように思います。『放送メディア研究』16号の刊行という文研からの情報発信を起点として、地方のメディアや研究者が少しずつ連携を図り、さらにその反応を共有することで、次の展開につなげていきたいと考えています。

kiji_3_W_edited.jpgシンポジウムの様子を伝えた沖縄タイムスと琉球新報の記事(2023年5月28日)

関連論考
諸見里道浩「『沖縄の眼差し』と『沖縄への眼差し』」
https://www.nhk.or.jp/bunken/book/media/pdf/202303_2_1.pdf
インタビュー木村司「『沖縄が』ではなく『日本社会が』 当事者意識を持って書き続ける」
https://www.nhk.or.jp/bunken/book/media/pdf/202303_2_2.pdf


ⅰ) 対象番組はニュース、情報番組、ワイドショー、ドキュメンタリーに限定した。

ⅱ) 砂川浩慶「沖縄と全国すれ違う目線」『沖縄タイムス』(2023.5.16)

ⅲ) 沖縄対外問題研究会「『沖縄返還』五〇年を超えて」『世界』(2023.2)

調査あれこれ 2023年06月16日 (金)

「放送法4条の政治的公平について考える」 ~「メディアと法」研究会 講演から#492

放送文化研究所 渡辺健策

 本稿では、昨今あらためて議論になっている放送法4条の政治的公平をテーマに、筆者が司会進行役をつとめたマスコミ倫理懇談会全国協議会「メディアと法」研究会(5月18日、日本プレスセンタービルで開催)の講演概要をお伝えします。講師は、BPO放送倫理検証委員会の委員長を長くつとめられた川端和治弁護士です。「放送法4条の政治的公平について考える」と題して、約2時間にわたって講演いただきました。
(講演内容から一部抜粋。章ごとのサブタイトルは、筆者が補足したものです)

川端和治弁護士

1970年 司法研修所修了とともに弁護士登録 2000年~2001年 日本弁護士連合会副会長
2005年~2007年 法制審議会委員   2007年~2018年 BPO放送倫理検証委員会委員長 
2011年~2014年 法務省政策評価懇談会座長 現職:BPO放送倫理検証委員会調査顧問

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<戦前の教訓と後悔が「放送法」の出発点>

 川端でございます。本日はお招きいただきましてありがとうございます。
私はBPO放送倫理検証委員会の委員長を11年やりましたけど、その間に考え、その後、『放送の自由――その公共性を問う』という本を書いたときに考えたことをお話ししていきたいと思います。
 放送法について考える時、私がいつも強調しているのは、この法律は非常に普通の法律とは違う成立の歴史背景を持っている、その歴史的背景をよく理解しないと、条文の目指したもの、真の意味を理解できないだろうということです。まず、この放送法の背後にある歴史について簡単にご説明します。
 重要なのは、戦前において日本の電波というのは軍(国)が使用するもので、放送はその余った部分について使用を許されていたに過ぎなかったということです。放送局は、政府によって予算、人事、実際の運営、実権を握られていました。政治上の講演議論、治安・風教上悪影響を及ぼす恐れのある事項、そういったものを禁止する。それを監視するため、リアルタイムで放送中に監視している人がいて、「これは駄目だ」ということになると、ただちに放送を遮断するという体制でしか放送は認められていなかった。それが戦前の放送です。しかも太平洋戦争が始まった時に放送の全機能をあげて大東亜戦争の完遂にまい進するということになりまして、放送はすべてのプログラムを国民の戦意を高揚するということに使われた。さらに悪いことに、戦争についての戦果は大本営発表しか認めないということになっていたんですけど、ミッドウエーで思いがけない大敗戦を喫し、大本営が負けを勝ちとねつ造するようになってしまった。だから相当あとになるまで、つまり本土の空襲が激しくなるまで多くの人は日本が勝っているんだと思っているという状況が生まれたんですね。戦っているうちに必勝の信念とか神風が吹くとか、そういう感情が国民の間にも起こってくる、マスコミはひたすらにそれをあおる、そういうことを続けていた。
 その結果、本来ならとっくにあきらめて降伏するべき状況だったにも関わらず、ぎりぎりまで戦争を続けて、原爆を2発落とされてようやく降伏を認めるというところまでいってしまったわけです。当時の放送を担当した人たち、放送行政、電波行政を担当した人たちにとっては、敗戦についての自分の責任とそれを悔いる気持ちを残しました。
 戦後、放送法を制定する国会で審議をした時に、担当した官僚が質疑応答の原稿を作っているんですけど、その中に「放送番組に政府が干渉すると、放送が政府の御用機関になって国民の思想の自由な発展を阻害して、戦争中のような恐るべき結果を生じる」と書いているんですね。そういうつもりで放送法をつくるということがはっきりと意識されていたということを記憶しておかなければならないと思います。

 一方でGHQ(連合国軍総司令部)は当然、日本を民主化する、軍国主義を徹底的に除去するという覚悟を持って日本に乗り込んできた。ファイスナーという人が放送関係の事項を担当したんですけどこの人は着任したときに逓信省の事務次官を呼びつけて、「私は軍国主義、封建主義、官僚主義の3つをつぶすためにきた」と宣言したということも、当時を回想した記録に残っています。
 新しい憲法ができるので、放送法制も完全にそれに合ったものにしなければならない。GHQと逓信省の官僚がやりとりしている中で「これが絶対に必要だ」ということでGHQが示した事項がありました。1つは放送の自由を確立するということ、不偏不党の放送にすること。放送の役割としては、公衆に対するサービスであるということ。技術的な水準は満足すること。もうひとつ重要なのは、その管理は政府から独立した機関によるべきだという大原則を示したんですね。その結果、放送法が作られていくんですけど、これが単純には作れなかった、何度か行ったり来たりをするということになります。

<「番組編集準則」と「停波処分」の制定経緯>
 1950年1月には、放送法を含む電波3法を制定する国会の審議が開始されました。ただ、これもそのまま素直にすんなりと成立したわけじゃなくて、4党の共同修正案が提出されてようやく1950年6月に成立するんですけど、この時の共同修正というのが非常に重要な修正で、今日にいたるまで問題となる、尾を引くような修正であったということになります。

shiryou1_2_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 もともとの放送法案では、NHKは公共放送として立案され、公共放送だからということで放送内容を規制する規定として2つ重要なものがあったんですね。1つめは「公衆に関係のある事項について事実を曲げないで報道すること」。2つめは「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」。修正案は、この2つにN H Kについての別の条項にあった「政治的に公平であること」を加え、さらに「公安を害しないこと」を加えた4項目を「番組編集の準則」とし、これを民間放送にも準用するということで、全ての放送局に適用するようにしたんです。

 もう一つ、これはほとんど当時の国会審議でも言及がなかった不思議な修正なんですけど、電波法76条(停波処分)は電波法にある技術的な条項、放送のハード面についての規定だったんですけど、そこに放送法を加え、放送法違反も電波法による停波処分の対象になると、論理的には読める規定に修正しているわけです。この4党共同提案の修正がどういう意味を持つかというと、それまでは実は民間放送についての規定はほとんど何もないに等しかったんですね、確か2か条しかなかったと思いますけど、民間の意見として「NHKの規定ばかりで民間を全く無視しているじゃないか、おかしい」という議論もあったんです。
 この修正によって番組編集準則が民間放送にも適用になるということになり、公共性をもつ放送として民間放送も位置づけられる、だから日本の放送法制は、NHKのようなピュアな公共放送に加えて本来は商業放送として考えられていた民間放送も公共性を持つ、2つの体制が二元的に並び立つという体制になったという意味では非常に大きな修正だったわけです。
 NHKはもともと公共放送として構想されていますから、とにかく受信設備を持っている人からは誰からでも受信料を取れるということのまさに裏側として、全ての受信契約者に対してサービスしなきゃいけない。政治的に一部の勢力側に付いて放送をしたのではそういうのは公共性がないということになりますから、どうしても政治的に公平であることを課す必要があった。
 しかも公共放送は民主主義の成立には必要だから、公共放送と名乗れるだけの最小限の制約を加えることは合理性がある、従って憲法上の問題はないというふうに一応考えられる。ですけど、民間放送の場合は、なぜ表現内容についての規制を受けなければならないのかという、憲法21条との間の整合性の問題を、実はこの時に生じさせているんです。ただ、国会審議を見ても、そういうことはほとんど意識されていなかった。
 電波法76条の規定に放送法違反を追加した点ですけど、なんで電波法に放送法違反を加えるという改正がなされたのかというのが、私が当時持っていた資料を読んでもさっぱり分からなかった。国会審議録、全部の審議経過を読んでも何の議論もされていなかったんですね。

pdf_3_W_edited.jpg (NHK放送文化研究所『放送研究と調査』2020年7月号 村上聖一「電波三法 成立直前に盛り込まれた規制強化」より)

 NHKの村上聖一さんが『放送研究と調査』2020年7月号に「電波三法 成立直前に盛り込まれた規制強化」という論文をお書きになっていて、それを読むと放送文化研究所の書庫に「荘宏文書」というのが残っている。荘宏というのは当時、電波庁の文書課長をしていた人で、つまり電波3法の修正の実務担当をしていた人です。その荘宏文書を見ると1月に国会審議が開始されたんですけど、その翌月に衆議院電気通信委員会と衆議院法制局と電波庁の担当者が箱根で合宿をしていて、電波法の原案がその合宿の資料として配られているんですけど、そこに手書きで「放送法」と、途中(76条)に加える修正がなされているというのが、その資料を見るとわかるんですね。これが2月なんです。翌3月の段階で参議院の電気通信委員会で「電波法の76条に放送も加えなくていいのか」という質問がなされたんですね。それに対して網島電波監理長官、この人は箱根の合宿の参加者名簿に載っている人ですけど、「放送法にもごく僅少ではございまするが、いろいろ施設者に義務づけられた事項もございまするので、ただいまのお説は私どもといたしましてもごもっともなお説ではないかと考える次第であります」と答弁している。要するに、もともと電波法はハードについての法律で、いろんな施設について書いていて放送局としてはこういうものをふまえなければいけない、それに違反したらそんな不十分な施設で放送してはいけないから停波処分という法律なんで、もっぱらそういう技術的事項の違反しか考えていなかった条文なんです。
 実はこの1月から3月で、放送法にも技術的規定があるから(電波法76条に)こういう修正をするということが国会で言われた後になってから、今の放送法4条の改正の議論が始まっているんです。そういう意味では電波法の改正というのは、そういう4条を民間放送にも適用する、政治的公平を民間放送にも課す、という議論の前にそれとは無関係に決まっていた、ということなる。そうすると、あれは放送法総則とは全然関係のない技術的事項についてだけ適用するということを考えた修正だったという説も根拠があるんだと初めて納得したんです。

<自主自律を尊重する「政府見解」>
 番組編集準則は倫理規範であることをはっきり示しているのが、1959年の放送法改正案が国会に提出された時、田中角栄郵政大臣(当時)が参議院本会議で行った法案の趣旨説明です。この時の改正案では、番組編集準則に「善良な風俗を害しない」という項目を付け加えたんですけど、その番組編集準則を守ってほしい、しかしそれを直接政府が強制したんでは表現の自由を侵害することになるからそれはできない。考えた結果、この番組編集準則を見て各放送局に自主的自律的に番組基準を作ってもらうことにした。各局はその番組基準に従って番組を作る。しかも各局に有識者からなる番組審議会をつくって、そこに必ず各局の番組基準は諮問しなきゃいけない。さらに番組基準自体全て公表するということにさせた。そうなると、見ている人は各局の番組基準を知っていますから、「これは番組基準に反するんじゃないか」と批判するだろう、審議会でも「こんな番組はわれわれが認めた番組基準に反するんじゃないか」というだろう。そういう形で批判させることによって番組基準が実行され、しかも番組基準は番組編集準則を1つの理想と放送の理念とみて作られるので結局それが実現されることになる。当時の答弁を見ても、放送事業者の自主性に任せて、番組の統制はしないと答弁しています。

 もう一つ重要なのは、国会の審議で、「極端に変な放送がされた時にどうするんだ」という質問があったんですけど、「例えば、わいせつ放送であれば電波法108条によって刑罰が課せられます、だからそういう心配はありません」という答弁をしているんです。一方、電波法76条は、当時すでにあったにもかかわらず、それについては全く述べていないんですね。だからそういう極端におかしい放送でも電波法76条の処分の対象になるというのは全然考えられていなかった、というのはこれからも明らかです。

 また、政府見解としては、1962年の臨時放送関係法制調査会という公の機関で当時の担当部局である郵政省が意見書を出しているんですけど、番組編集準則というのは1つの目標で、法的効果としては精神的規定の域を出ない、要は事業者の自律に待つほかないと答えています。さらに1977年には電波法76条の適用についての質問に対して、「検閲はできないことになっているから番組の内容に立ち入ることはできず、番組が放送法違反だという理由で行政処分をすることは事実上不可能です」とか、「放送事業者が自主的に放送法違反について判断する、あるいは番組審議会、世論というものの存在がその是非を判断する」という答弁をしているんです。
 電波法76条の停波処分の適用は論理的には可能だという意識は放送行政の担当者にはずっとあったと思うんですが、しかしそれはできない、という形でずっと守られ続けていた。それが椿発言問題でくるっとひっくり返っちゃった。そうすると番組編集準則が憲法21条違反じゃないかということが正面から問題にされるようになりまして、いろんな憲法学者がいろんな意見を述べるということになった。通説として、これは倫理規範なんだ、だからこの規定を政府が強制することはそもそもできないんだから憲法21条の問題にはならないというのが、学説として最も広く受け入れられた見解です。

shiryou2_4_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 最高裁判所も、これは女性戦犯法廷事件の判決の中にありますけれども、放送事業者がみずから定めた番組基準に従って番組の編集が行われるという番組編集の自律性について規定したものという書き方をしています。裁判所も放送法というのは自主自律の体制だというのを述べているんですね。
 しかもこれは前から言われていることですけど、総務省には強制力を持って調査する権限が法律上ない、という答弁も2022年の放送法改正時の国会審議でしています。ただ番組編集準則が法規範であって、その違反に対して電波法76条の処分ができるというこの1点は譲らなかった。たぶん「伝家の宝刀」というか、究極の脅しの手段として――それは、政府は放さないよ、という宣言だと思います。
 自主自律で編集ができるのだとすれば、これは明らかに、例えば政治的公平に反するかどうかという判断は、番組を制作する側にまず委ねられる、そこで番組編集の自由が発揮されるということになります。そういう自主自律による編集権をどこまで自由に実行しているのかという放送局側の問題が、今度は問われることにならざるを得ない。

<自主自律・報道の自由をいかせるか>
 ごく最近で言えばジャニー喜多川の(損害賠償)事件についてですね、放送に限ったことではないが、最高裁判決まであるにも関わらず、メディア全体がひたすら沈黙を守り続けてきたということがありますが、本当に放送は自分たちに与えられた自主自律による自由な編集権を行使しているのかということが問われざるを得ないと思います。
 ただ、政府見解であれは法規範で76条による処分ができるという、「伝家の宝刀」と申し上げましたけど、これがものすごい脅しの材料になっているんですね。椿発言の時に実際にテレビ朝日は、免許の更新を条件付きのものにされたということもあって、放送局の経営者にしてみれば、絶対にそういう事態は起こしたくないという意識がありますから、これが上から下までにいたる萎縮効果をもたらしているんです。そもそも政府が、何が政治的公平なのかということを判断できる体制のもとでは、政府権力はもともと権力の行使についてマスメディアによって監視されるべき立場なんですけど、監視される側が「これは政治的公平に反する、法律違反だから処分できる」ということが言えることになれば、政府批判の萎縮をもたらすような結果にならざるを得ない、そうなると一番重要なマスメディアの機能である権力監視機能が損なわれるんじゃないか、という問題があります。しかも何が政治的公平で、何が政治的公平でないのかというのは、非常に漠然としているわけですね。

 国論を二分する問題でいうと、最近の例でいえばイギリスがEU(欧州連合)を脱退するかどうかという問題の時、あのときも脱退すれば経済的にすごくイギリスが利益を受けるというキャンペーンを保守党の側がやったんですね。しかし、実際にはうそだったということが後で分かるんですが、そういう国論を二分する問題について今政府がこう言っている、憲法改正問題で言えば改正賛成の方がこう言っているけれども、それは事実に反するとか、あるいはそういう説明はでっち上げだフェイクだ、あるいは論理的にいってそういう議論は成立しないということが分かっている時に、「それはおかしい」ということを放送することは、何ら問題はない公正な放送であって、それを止めるということは、そもそも表現の自由を保障した趣旨に反するんですよね。なぜかというと、国民はそういう問題があるということを全然知らされないまま、ある候補に投票したり、あるいは選択したりすることになってしまうので、そういうことが許されるんであれば、そもそも民主主義が機能しなくなるという問題がある。もともとは民主主義をよく機能させるための基盤であるから、放送には憲法上その自由が保障されるという関係なのに、全然その機能を果たさないことになってしまう。

shiryou3_5_W_edited.jpg(川端和治弁護士 講演資料より)

 なぜそうなるかというのを考えたのが、BBCのガイドラインです。ずっとBBCが第一の絶対に守るべきものとして掲げてきたのがimpartialityなんです。このガイドラインを読むと、impartialというのは議論の全てのサイドを反映することで、そしてどのサイドもひいきにしないことである、とされています。もっと大事なのは単にimpartialであることを求めているのではなくて、due impartialityが求められている、つまり適正な、ふさわしいimpartiality。何かを報道するときの結果について考えるときには、その事柄の性質、内容において、またその報道が及ぼす結果についても、よく考えた上でやらなきゃいけないという適正な公平性でなければいけないというのがBBCの見解です。

<ジャーナリストたちへの期待>
 私が期待したいのは、ジャーナリストとしての矜持(きょうじ)、ジャーナリズムの力、それがもっと発揮できるようになれば、もっといい放送ができるんじゃないか。週刊文春は、ああいう問題を果敢に取り上げてしかも裁判で争うこともいとわない、あそこには腕っこきの弁護士がついていて、判決で勝つ。ある意味、裁判をしても闘うという、きちんと筋が通っている。日本の場合、どうも裁判沙汰になることをテレビ局の幹部は恐れているのかなという気がすることがありますが、いま文春には、とにかくいろんな情報がどんどん飛び込んでくる。「文春に駆け込めば報道してもらえる」ということで、そういう状態になっているということを文春の編集長が書いていましたけど、もっと勇気を持ってしかも文春のようにきちんとしたリーガルな備えも万全に整えた上で臨めば、重要な問題だけれど報道されないということが、少なくなっていくのかなと思います。

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 議論のある問題について、できるだけ全体を伝えるというのは、これはそもそも放送が公共性を持つ上で絶対の条件ですね。だからといって間違った意見も伝えなきゃいけないとか、事実じゃないフェイクの主張も伝えなきゃいけない、ということにはならないと思います。だからいろんな立場いろんな意見があるとして、その中でまともに取り扱うべき意見と、全然相手にならない意見があったとしたら、それを両方とも載せなきゃいけないというのは、これはおかしいですね。BBCが言うdue impartialityがというのはそういうことだと思います。impartialでなきゃいけないけど、しかしそれはdueでなきゃいけない。間違ったことなのか、うそなのか、これを判断するのは放送局の側ですから、ジャーナリストとして判断するということになります。

 「エコーチェンバー現象」というのがありますけど、それを打ち破るのは、本来の表現の自由の考え方で言えば、「モア・スピーチ」なんですね。言論の力でそれを打ち破っていかなければいけない。
 逆に言えば、放送が本当に真実を伝える場なんだ、放送というのはそういうものとしてそういう制度としてできあがっているんだ、だから信頼できる言論機関なんだということがきちんと確立できるようになれば、そちら側の方向でいろいろな事を推し進めていけば、インターネットに一方的に負けてしまうことはない、というのが私の希望的な観測です。でも、「本当にそういう意味で信頼できるような言論機関になっていますか」というのが、いま一番投げかけられている大きな疑問なのではないでしょうか。

【渡辺健策】
1989年NHK入局。報道局社会部、首都圏放送センターなどで記者として環境問題を中心に取材。
2011年から盛岡放送局ニュースデスクとして東日本大震災の被災地取材に関わり、その後、総務局法務部などを経て2022年から現所属。

調査あれこれ 2023年06月13日 (火)

G7サミット終えて内閣支持率足踏み ~財源問題先送りはどう影響?~【研究員の視点】#490

NHK放送文化研究所 研究主幹 島田敏男

 岸田総理大臣はG7広島サミットの議長を務め、ウクライナ支援で足並みをそろえつつ、核兵器のない世界実現の機運を盛り上げようというメッセージを発信。ゼレンスキー大統領が急きょ広島に駆けつけたことも大きなインパクトをもたらしました。外務省幹部は「このところ影が薄くなっていたG7サミットだが、今回は世界に向けた強い発信に成功した」と胸を張りました。

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 ただ岸田総理自身は「それなりの成果はあった」とやや控えめの評価に終始していました。被爆者団体の人たちから「核兵器の廃絶に向けて一歩前進したとはとても言えない」と厳しい評価が発せられたこともあるでしょう。そしてロシアのプーチン大統領がG7に反発するかのように、ウクライナと国境を接するベラルーシに核兵器の配備を打ち出したのも暗い現実です。

 サミット閉幕直後には支持率が急上昇した新聞社の世論調査もありました。しかしその直後に総理秘書官を務めていた長男が公邸の公的スペースで親族による忘年会の記念写真を撮っていた問題が発覚し、更迭されました。「はしゃぎ過ぎの岸田一族」とも評され、その後の各種世論調査には支持率低下のものが目立ちました。

 サミットからちょうど3週間後の6月9日(金)から11日(日)にかけて行われた6月のNHK月例電話世論調査も、岸田総理にとって少々厳しい結果になりました。

☆あなたは岸田内閣を支持しますか。それとも支持しませんか。

 支持する  43%(-3ポイント)
 支持しない  37%(+6ポイント)

 2月から5月にかけて4か月連続で上向いていたNHK世論調査の内閣支持率が、ここで足踏み状態になったように見えます。この数字を年代別に見ると、40歳以上では「支持する>支持しない」なのですが、18歳から39歳の若い世代では「支持する<支持しない」となっているのが目立ちます。

 もろもろの出来事に対する反応が絡み合って出てくるのが内閣支持率ですが、今回は6月1日に政府の「こども未来戦略会議」が少子化対策の方針を発表した動きも一つの要素になっていそうです。

child_2_W_edited.jpgこども未来戦略会議(6月1日)

☆少子化対策について、政府は今後3年をかけて年間3兆円台半ばの予算を確保し、児童手当の拡充策などに集中的に取り組む方針です。あなたは、この少子化対策に期待していますか。期待していませんか。

 期待している  39%
 期待していない  56%

こちらはすべての年代で「期待している<期待していない」となっています。政府が手当てをばらまくだけでは少子化に歯止めはかからないと冷静に受け止めている人が結構多いことがうかがえます。

☆政府は、少子化対策の財源を社会保障費の歳出改革や新たな支援金制度で確保するとしていますが、具体的な内容は今後検討を進めるとしています。あなたは財源確保をめぐる政府の対応についてどう考えますか。

 すみやかに全体像を示すべきだ  44%
 時間をかけて検討すべきだ  48%

これはちょっと分かりにくい数字です。与党支持者では「すみやかに<時間をかけて」ですが、野党支持者では「すみやかに>時間をかけて」となっていて逆の傾向が出ています。無党派層は相半ばです。

 「少子化対策の財源確保の方法まですみやかに示すべきだ」と考える人たちには、国民に新たな負担を求めるのかどうかを誠実に示してくれないと、いくら良い話でも賛否を判断できないという気持ちがあるのでしょう。

 この新たな国民負担のありなしに向けられる厳しいまなざしは、終盤国会で大詰めの論戦が続いている防衛費大幅増額の財源問題とつながっているように思います。

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 終盤国会の与野党対決法案として参議院財政金融委員会で審議が続く防衛力強化財源確保法案は、国の無駄な歳出を減らして防衛費増額の財源にするというものですが、結論が先送りされている増税の中身と一体のものです。

 この防衛費増額のための増税について、財務省や自民党税制調査会は東日本大震災の復興財源に充てている復興特別所得税(基準所得税額に2・1%相当を上乗せ)の仕組みを部分的に転用する案を示し、結論が先送りされているという問題があります。
 
 12日に福島市で開かれた参議院財政金融委員会の地方公聴会では、「復興の財源を国防の財源に充てるというのは筋違いだ」といった反発が相次ぎました。

fukusima_4_W_edited.jpg参院財政金融委 地方公聴会(福島市 6月12日)

 このところ足並みがそろわない野党各党ですが、この問題では「先に防衛費を対GDP2%にするという目標ありきで、後から国民負担の中身がついてくるというのでは不誠実だ」「取りやすい方法で取るというのは姑息(こそく)だ」という批判は共通です。

 通常国会の会期末21日が近づくにつれ、与党側からは衆議院の解散・総選挙もありうるという発信が相次いでいます。

 ただ、少子化対策でも防衛費増額でも、必要な財源のよりどころとなる国民負担の中身を示すことなく、『つけの先送り』が次々と国民の目に見えてくると岸田政権の先行きに対する不信感は増してくるでしょう。
こういう状況を背負ってでも、岸田総理が会期末の衆議院解散・7月総選挙を選択するのかどうか。

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 自民党内には、財源問題を先送りし続けて時間を作れば選挙に影響はないという楽観論もあります。一方で、サミット後に表面化した東京都での自民党と公明党の与党内選挙協力を巡る行き違いの影響を懸念する声もあります。

 岸田総理の自民党総裁としての任期は来年9月まで。政権の先行きをどう考え、どういう判断を示すか。注目の会期末1週間になりそうです。

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島田敏男
1981年NHKに入局。政治部記者として中曽根総理番を手始めに政治取材に入り、法務省、外務省、防衛省、与野党などを担当する。
小渕内閣当時に首相官邸キャップを務め、政治部デスクを経て解説委員。
2006年より12年間にわたって「日曜討論」キャスターを担当。
2020年7月から放送文化研究所・研究主幹に。長年の政治取材をベースにした記事を執筆。

調査あれこれ 2023年06月09日 (金)

3年に及んだコロナ禍は、人々に何をもたらしたのか? ~「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」の結果から~#489

世論調査部(社会調査)中川和明

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新型コロナウイルスの法律上の扱いが5月8日から変更されました。
法律上の扱いが変わったことによって、国が法律に基づいた行動制限を求めることができなくなったほか、医療費の扱いについても見直しが行われました。
また、新型コロナの感染者数は、医療機関などが毎日すべての感染者数を報告する「全数把握」から、指定された医療機関が1週間分の感染者数をまとめて報告する「定点把握」に変更され、3年以上続いたコロナ対策は、大きな転換点を迎えたことになります。

こうしたことを受けて、社会のさまざまな分野で、感染拡大以前の日常に戻そうという動きが加速していますが、3年に及んだコロナ禍は、人々に何をもたらしたのでしょうか。
今回は、これについて、NHK放送文化研究所(以下、文研)が行った世論調査をもとに、少し考えてみたいと思います。

コロナの感染拡大によって、さまざまな社会経済活動が制約を受け、多くの人がこれまでとは違った生活を営まざるを得ず、大きな影響を受けました。

 文研が2022年11月から12月にかけて行った「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」で、感染拡大をきっかけにした生活の変化は、自分にとって、プラスの影響とマイナスの影響のどちらが大きかったと思うかを尋ねました。
『マイナスの影響が大きかった(どちらかといえば、を含む)』と答えた人が74%で、『プラスの影響が大きかった(どちらかといえば、を含む)』と答えた人の23%を大きく上回りました。これを前回(2021年)、前々回(2020年)の調査と比べてみると、『マイナスの影響』、『プラスの影響』ともに、大きな変化はありませんでした(図①)。

図① プラスとマイナスどちらの影響が大きかったか

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

2022年の調査結果を男女年層別にみますと、各年代とも『マイナスの影響』と答えた人が多くなりましたが、特に、男性の70歳以上と女性の60代で8割を超え、全体の回答値(74%)を上回りました。一方、『プラスの影響が大きかった』は、男性の30代から50代、女性の30代と40代で30%ほどとなって、全体(23%)よりも高くなりました。中でも、男性の30代は『プラスの影響』が大きかったと答えた人が37%で、4割近くの人がコロナ禍での生活の変化を肯定的にとらえていました(図②)。

図② プラスとマイナスどちらの影響が大きかったか
       (男女、男女年層別)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

この結果をみて、コロナ禍をプラスだと思う人がいるんだ。その理由は何だろうと思われる方も多いと思います。
そこで、『プラスの影響が大きかった』と回答した人に最もあてはまる理由をひとつだけ選んでもらった結果をみてみます。
最も多いのは、「手洗いなどの衛生意識が向上したから」の42%で、次いで、「家族と過ごす時間が増えたから」が21%、「在宅勤務など柔軟な働き方ができるようになったから」が12%、「家でできる趣味など今までとは違う楽しみを見つけられたから」が8%などとなりました(図③)。

図③ 感染拡大による生活の変化『プラスの影響』の理由
(該当者:『プラスの影響が』大きいと答えた人=524人)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 回答の多かった「手洗いなどの衛生意識が向上したから」や「家族と過ごす時間が増えたから」など4つの回答について、年層別に詳しくみてみると、「手洗いなどの衛生意識が向上した」は、60歳以上で7割近くに達したのに対し、18歳から39歳では23%と若年層ほど低くなっていて、高齢層など年齢の高い人たちで多く感じられた理由であることがわかります。
一方、「家族と過ごす時間が増えた」は、40代・50代で26%と、全体(21%)を上回ったほか、「在宅勤務など柔軟な働き方ができるようになったから」と「家でできる趣味など今までとは違う楽しみを見つけられたから」は18~39歳でそれぞれ全体を上回っていて、若年層や中年層を中心に、働き方や時間の使い方の変化を肯定的にとらえている人たちが一定程度いることがわかります(図④)。

図④ 感染拡大による生活の変化『プラスの影響』の理由
(「手洗いなどの衛生意識が向上」「家で過ごす時間が増えた」
「柔軟な働き方」「今までと違う楽しみ」:年層別)
(該当者:『プラスの影響が』大きいと答えた人=524人)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 さらに新型コロナウイルスの感染拡大による人と人との関係への影響などを考えるため、次の調査結果も紹介したいと思います。
新型コロナの感染拡大の影響に関して、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」や「人とつながることに関してインターネットのありがたさがあらためてわかった」など4つの項目を挙げて、自分の考えがあてはまると思うかどうかを尋ねました。
『あてはまる(かなり+ある程度)』と答えた人が最も多かったのは、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」の76%で、次いで「人とつながることに関してインターネットのありがたさがあらためてわかった」が48%、「義理で会っていた人に会わなくなってよかった」が45%、「人と会うのがおっくうになった」が36%となりました(図⑤)。


図⑤ 感染拡大の影響に関して『あてはまる』もの

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 『あてはまる』と答えた項目のうち、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」と「義理で会っていた人と会わなくなってよかった」、「人と会うのがおっくうになった」の3つについて、男女年層別にみると、「人と実際に会うことの大切さがあらためてわかった」は、女性の60代で全体を上回っていますが、おおむね、どの年代でも7割から8割ほどに達していて、年層ごとに大きな差はありませんでした。
 一方、「義理で会っていた人と会わなくなってよかった」は、男性の40代、50代、女性の50代以下の年代で、全体を上回って半数を超えていて、これまでの職場や近所、親戚、さらに、子どもを介した親同士のつきあいなどが減ったことで、どちらかといえば、義理で会っていた人たちと会うことがなくなり、かえって、よかったと答えた人が多くなったと考えることもできます。
他方、「人と会うのがおっくうになった」は、女性の30代から50代で全体より高くなっています。この要因について、明確に判断できる材料はありませんが、特に女性で高い傾向が出ていることから、例えば、女性では、コロナ禍で家にいることが多くなった影響で、外出するために化粧をしたり、服装を選んだりすることが面倒になったと感じている人がこうした回答をした可能性も考えられます(図⑥)。

図⑥ 感染拡大の影響に関して『あてはまる』もの
(「人と実際に会うことの大切さがわかった」「義理で会っていた人と会わなくなってよかった」
「人に会うのがおっくうになった」:男女年層別)

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文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 新型コロナの感染拡大は、人と人との接触が制限され、多くの人が今までと違った生活を余儀なくされたことで、マイナスの影響が大きかったと感じている人が多くなりました。
ただ、そうした中にあっても、若年層や中年層の人たちを中心に、家族と過ごせる時間が増えたことや、在宅勤務など柔軟な働き方ができるようになったこと。さらに今までと違う楽しみを見つけられたことなど、コロナ禍を前向きにとらえる人たちがいることも、調査結果は示してくれています。

また、社会の分断が指摘されたコロナ禍ではありましたが、人と実際に会うことの大切さがあらためてわかったなど、多くの人が人と人のつながりを大切だと思い、同じ価値観を共有した点も、コロナ禍がもたらしものと考えることができると思います。
さらに、今までの生活を変えざるを得なくなったことで、義理で会っていた人と会わなくなってよかった、かえって面倒なことをしなくてよくなったと前向きにとらえる向きもみられました。

新型コロナの感染拡大の影響について、さまざまな受け止めがあると思いますが、3年に及んだコロナ禍とは何だったのか。
その答えが出るにはもう少し時間が必要なのかもしれませんが、これからも関心をもってみていきたいと思います。

「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」のその他の結果については、「コロナ禍3年 社会にもたらした影響-NHK」で公開しています。ぜひご覧になってみてください。
また、「放送研究と調査 2023年5月号」では、3年にわたるコロナ禍によって、人々の意識や暮らしがどう変わったかなどについて詳しく紹介しているほか、本ブログでも、「マスクの着用『個人の判断』になってから2か月 その後、どうなった?」などで取り上げていますので、ぜひご覧ください。

調査あれこれ 2023年06月06日 (火)

中高生の悩みの相談相手は... ~第6回「中学生・高校生の生活と意識調査」から~【研究員の視点】#487

世論調査部 (社会調査) 中山準之助

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 今月6月には「父の日」、先月5月には「母の日」と、親との関係性について考える機会が多くなるのではないでしょうか。そこで、今回、中高生とその親との意識に迫る調査結果をご紹介します。
 文研世論調査部では、昨夏「中学生・高校生の生活と意識調査2022」(以下、「中高生調査」)を実施し、中高生に、「悩みごとや心配ごとを相談するとしたら、主に誰に相談するか」を尋ねました。結果は、中学生では、「お母さん(グラフのオレンジ色)」と「友だち(グラフの薄紫色)」が3割台で同程度。高校生では、「友だち」が4割で最も多いものの、次いで「お母さん」が3割となりました。「お母さん」は、「友だち」と同様、悩みごとなどの相談相手としても重要な位置を占めているのが確認できます。

悩みごとや心配ごとの相談相手<中高別>graph1.png

 男女中高別にみると、女子中学生と女子高校生では、「お母さん」と「友だち」がそれぞれ4割程度で、有意な差がなく、同性の親が、悩みや心配ごとの相談相手としても、友だちと並んでとても重要な存在であるのが分かります。また、男子中学生でも「お母さん」が28%、男子高校生では「お母さん」が25%で、男子の中高生も、4人に1人が「お母さん」を選び、男子からしても、「お母さん」が頼りになる存在であると言えそうです。

悩みごとや心配ごとの相談相手<男女中高別>graph2.png

 では、親から見たらどうなのか。昨夏2022年に実施した世論調査「中高生調査」では、中高生の親に、「子どもが悩みごとや心配ごとがあるときに、主に誰に相談すると思うか」を尋ねました。結果は、父親の回答では、「母親」が64%で最も多く、次いで「友だち」が16%、「父親(自分)」は6%でした。一方の母親では、「母親(自分)」が44%で最も多く、次いで「友だち」が30%、「父親」は5%でした。いずれもグラフのオレンジ色で表した「お母さん」にあたる部分が最多で、父親と母親ともに「母親の存在は大事である」と考えている傾向がみてとれます。特に父親で「母親」の傾向が強いようです。

父母への調査 子どもが悩みごとや心配ごとを誰に相談すると思うかgraph3.png

 なお、「中高生調査」は、これまでに1982年、1987年、1992年、2002年、2012年と5回実施し、中高生の親に「子どもが悩みごとや心配ごとがあるときに、主に誰に相談すると思うか」を尋ねてきました。
 郵送法で行った2022年の調査とそれ以前の調査は、調査手法が異なるため、単純に比較はできませんが、過去5回の変化を見ても、オレンジ色の「お母さん」にあたる部分が、父親では過半数で推移、母親も3割台で推移してきたことが分かります。

<参考・過去調査> 父母への調査 子どもが悩みごとや心配ごとを誰に相談すると思うかgraph4.png

 今回は、母親が比較的大きな割合を占めた設問を紹介しましたが、「中学生・高校生の生活と意識調査2022」では、親と子の関係や、親と子の意識の違いなど、さまざまな分野で迫っています。
 ・ 一生懸命勉強すれば将来よい暮らしができるようになると思うか。
 ・ 夫婦の子育て分担
 ・ コロナ禍のストレスは?
 ・ 将来、海外で力を発揮したいか。 将来、海外で力を発揮してほしいか。
 ・ 18歳で大人として扱われることについて などなど
ぜひ、その他の結果や論考もご覧ください!

中学生・高校生の生活と意識調査2022の結果は、こちらから!↓↓↓
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20221216_1.html

コロナ禍の不安やストレス,ネット社会の中高生
~「中学生・高校生の生活と意識調査2022 」から①~
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20230501_5.html

ジェンダーをめぐる中高生と親の意識
~「中学生・高校生の生活と意識調査2022 」から②~
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20230601_5.html

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【中山準之助】
2018年からNHK放送文化研究所で、視聴者調査や社会調査の企画や分析に従事。
これまで「視聴率調査」「接触動向調査」、「東京五輪・パラ調査」「復帰50年沖縄調査」「中高生調査」などを担当。
特に、アナウンサーとして盛岡局で勤務していたとき、東日本大震災が発生し、被災各地の取材を重ねた経験から「震災10年調査」はじめ、『災害・防災に関する調査』を実施し、ライフワークとして研究中。

執筆した記事
文研ブログ
#250 何が避難行動を後押しするのか!? ~「災害に関する意識調査」結果から~
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/429627.html
#341 被災地の人々が求めている復興とは? ~「東日本大震災から10年 復興に関する意識調査」結果から~
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/453673.html
#422 いまの沖縄の人たちの思いとは? ~「復帰50年の沖縄に関する意識調査」結果から~
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/473346.html

調査あれこれ 2023年05月24日 (水)

マスク着用 「個人の判断」になってから2か月 その後、どうなった?【研究員の視点】#482

世論調査部(社会調査) 中川和明

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新型コロナウイルスの法律上の位置づけが変更され、社会のさまざまな分野で、コロナの感染拡大前の日常に戻そうという動きが広がっています。
コロナ禍で欠かすことのできないものだった「マスクの着用」についても見直しが行われ、政府は、ことし3月、これまでの方針を変更し、マスクの着用は「個人の判断に委ねる」ことになりました。 

電車に乗っていても、かつては、ほとんどの人がマスクを着けていたのに、今は、外している人がだいぶみられるようになったなと感じている人も多いのではないでしょうか。
また、みなさんご自身も、場所や場面に応じて、マスクを着けたり、外したりするようになったという人も多いのではないかと思います。 

では、どのくらいの人がマスクを着けていて、あるいは外しているのか。まずは、NHKの最新の世論調査の結果からみてみましょう。
NHKが4月と5月に行った固定電話と携帯電話を対象にした世論調査の結果です(図①)。
マスクの着用がことし3月から個人の判断に委ねられるようになった中、マスクの着用をどうしているかを尋ねたところ、5月の調査では、「以前と同じくらい着けている」が55%で、4月の調査より減少した一方、「外すことが増えた」は33%で、4月よりも増えました。
マスクを外すようになったという人が増えていて、世の中の流れに沿った結果と言えるかと思いますが、それでも半数以上の人は「以前と同じくらい着けている」と答えていて、依然、マスクを着けていると答えた人が多くを占めています。

図①  マスクの着用どうしているか?

sheet1_nakagawafix.pngNHK「政治意識月例調査」(2023年4月、5月)

 NHK以外にも、さまざまな報道機関や企業などがマスクの着用に関する調査を行い、その結果も公表されています。
それらの調査をみても、調査時期や質問の仕方などの違いもあって、多少の数値の違いはありますが、おおむね、マスクの着用が個人の判断に委ねられるようになった後も、多くの人は、マスクの着用を続けているといった結果が報告されています。 

マスクの着用をめぐる意識について、最新のデータではありませんが、NHK放送文化研究所(以下、文研)が2022年11月1日から12月6日にかけて行った「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査(第3回)」の結果をもとに少し考えてみたいと思います。
すでに3月16日に紹介した本サイト(文研ブログ)の中でも取り上げたものですが、改めてその調査結果をみてみます。

 「感染拡大が収束して、屋内や人混みでマスクの着用が求められなくなったとしたら、どうしますか」と尋ねたところ、最も多かったのは、「基本的には外すが、感染拡大前よりは着ける機会を多くする」の47%で、次いで「できるだけ着けたままにする」が27%、「感染拡大が起きる前のように外す」が23%でした(図②)。

図②  着用が求められなくなったときマスクをどうするか?

sheet2_nakagawa.png文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」
(2022年11月1日~12月6日実施)

 調査時点と今の感染状況や、質問の前提とした政府のマスク推奨の基準が異なりますので、そのまま現在にあてはまるものではありませんが、去年の11月から12月の時点で、多くの人がマスクの着用が求められなくなったとしても、何らかの形でマスクを着けると答えていました。現時点の調査結果ではないとはいえ、多くの人が程度の差はあれ、マスクを着用すると答えていて、現在の状況にも通ずるように思います。

また、この調査では、マスクを着ける、つまり「感染拡大前よりは着ける機会を多くする」と「できるだけ着けたままにする」と答えた人に、その理由を尋ねたところ、「感染対策など衛生上の理由から」が90%、「素顔をさらしたくないなど見た目の理由から」が7%、「その他」が3%となっていて、この結果については、すでに本ブログでも紹介しています。

  本稿では、さらに他のデータなどもみながら、もう少し考えを進めてみたいと思います。
まず、大半の人が挙げた「感染対策など衛生上の理由」というのも、大きな要因のひとつだと思います。
先日、テレビのニュースで、マスクの着用を続けていることについて、「まだ感染するのではないかと不安がある」と答えている人がいました。そうした思いを持っている人も多いと思います。
 実際、文研が行った去年の調査でも、新型コロナの感染拡大を「不安だ」と答えた人、あるいは自分が感染する危険を「身近に感じている」と答えた人では、そう思わないと答えた人より、「感染拡大前よりは着ける機会を多くする」や「できるだけ着けたままにする」と回答した人が多くみられました。
反対に、感染拡大を「不安ではない」、自分が感染する危険を「身近に感じていない」と答えた人では、「不安だ」などと答えた人より、「感染拡大が起きる前のように外す」と答えた人の割合が高く、4割ほどを占めました(図③)。

  図③ 着用が求められなくなったときマスクをどうするか?
 (「コロナの感染拡大に対する不安」「自分が感染する危険」の回答別)

sheet3_nakagawa.png文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

 次に、日本人は、まわりの人に流されやすい。あるいは、まわりの人の目を気にすると言われることがあります。
こうした面も影響しているのではないか。そこで、次の結果をみてみたいと思います。
自分がマスクを着用するかどうかについて、他人の目が「気になる」と答えた人、またはマスクを着用していない人が「気になる」と答えた人では、「気にならない」と答えた人より「感染拡大前よりは着ける機会を多くする」と回答した人が多くなっています。
一方、自分がマスクを着用するかどうかについて、他人の目が「気にならない」、またはマスクを着用していない人が「気にならない」と答えた人では、「気になる」と答えた人よりも「感染拡大前のように外す」と答えた人の割合が高くなっていて、特に、マスクを着用していない人が「気にならない」と答えた人では、半数ほどの人が「感染拡大前のように外す」と答えています(図④)。

 図④ 着用が求められなくなったときマスクをどうするか?
(「マスク着用で他人の目が気になるか」「マスクしていない人が気になるか」の回答別)

sheet4_mask.png文研 「新型コロナウイルス感染症に関する世論調査 (第3回)」

  この結果から、マスクの着用を続けているのは、「感染するのではないか」という不安だけでなく、マスクを着けている人が多いから、自分も着けた方がいいか。あるいは、マスクをしていない人を見ると、自分も気になるので、マスクを着けた方がいいかなどと思っている人が多いと考えることができます。

実際、筆者のまわりでも、オフィスでパソコンに向かって仕事をしている時は、マスクを外しているのに、誰かと打ち合わせをする、あるいは、報告や相談をする時には、マスクを着けるということが実際にあるからです。これは、上司や同僚から感染する危険があるというより、「自分がマスクをしていないと、まわりの人は気になるだろうな」などと考え、エチケットあるいはマナーとして、マスクを着けるという判断をしている人が多いのではないかと推察されます。 

 さらに、以前、紹介したように、数は多くありませんが、「素顔をさらしたくないなど見た目の理由から」と答えた人もいて、「今日は、ちょっと顔がはれぼったいな」「なんかちょっと顔が疲れているな」などといった理由でマスクを着ける人もいるのではないでしょうか。

 これに加えて、この3年間、ずっとマスクを着けていたので、マスクをするのが当たり前になっていて、何の抵抗もなく、ある意味、習慣として、マスクを着けてしまうという人もいると思います。

これらの心理を表したものとして、次のデータを紹介したいと思います。
就職や転職などに関する調査や研究を行っている「Job総研」が2023年4月5日から7日にかけて、登録されている調査対象者のうち、20代から50代の仕事をしている人、775人から回答を得たインターネット調査の結果です。注)。
マスクの着用が個人の判断に委ねられた後も、マスクを着用するかどうか尋ねたところ、「状況に関係なく無条件で着用」が4割、「状況に応じて着用の有無を使い分ける」が5割、「状況に関係なく非着用」が1割ほどとなっています。
このうち、非着用以外、つまり個人の判断に委ねられた後でもマスクを着用すると答えた人に、複数回答で、その理由を答えてもらったところ、「習慣化している」、「コロナの感染対策」、「コロナ以外の感染対策」、「まだ着用している人が多いから」、「職場から着用が推奨されている」といった項目が4割程度で上位を占め、そのほかの「マナーとしてしている」が3割、「マスクをしている方が楽」が2割などとなっていて、これといった理由が飛び抜けていることはなく、マスク着ける理由は分散しているようにみえます。

 つまり、マスクを着けるか、外すかの判断は、ひとつの理由に限らず、さまざまな要因がからみあって、ある場面では、マスクを着用している人がいるから、自分もマスクを着けた方がいいと判断し、ある場面では、面倒だし、マスクを着けなくてもいいかと判断しているのではないでしょうか。
そして、その判断基準は、人によって、何に重きを置くのか。それぞれの理由に、どの程度重きを置くのかも変わってくるのではないかと思います。こうしたことが重なり合って、それぞれの人がマスクを着けたり、外したりしているのではないでしょうか。 

では、今後はどうなるのか。
マスクの着用が個人の判断に委ねられるようになってから2か月がたち、さらに新型コロナの法律上の位置づけが変更された後も、マスクを着けている人が多い現状をみますと、コロナの感染拡大前のように、多くの人がマスクを着けていないという状態に戻るには、しばらく時間がかかるように思います。

その一方で、これから日本は夏を迎え、蒸し暑い時期が訪れます。
外でマスクを着けていると、暑さが増して、汗だくになってしまうという人も多いのではないかと思います。
そうすると、外では外すが、混雑している電車に乗る時は、マスクを着ける。
あるいは、誰とも話をしない時は外しているが、お客様や、上司や同僚など、人と話す時はマスクを着けるといった判断をする人が多くなるのではないかと思います。

そして、マスクを外す人がさらに増えてくれば、自分も外してもいいかなと思う人は多くなると思います。
でも、まだ感染が気になるから、あるいはマスクをしていた方が楽だからといった理由で着ける人もいて、割合を変えながらも、マスクを着けている人と着けていない人が混在した状況がしばらく続くのではないかと思っています。

これからマスクの着用はどうなっていくのか。
私もそうですが、みなさんも、社会の観察者になったつもりでみていくと、興味深いのではないでしょうか。 

文研が2022年11月から12月にかけて行った「新型コロナウイルスに関する世論調査」に関する結果は、「コロナ禍3年 社会にもたらした影響-NHK」で公開しています。ぜひご覧になってみてください。
また、「放送研究と調査 2023年5月号」でも、3年にわたるコロナ禍によって、人々の意識や暮らしがどう変わったかなどについて詳しく紹介しますので、ぜひご覧ください。


※注)Job総研「マスク個人判断後の意識調査」(インターネット調査) https://job-q.me/articles/15030

調査あれこれ 2023年05月23日 (火)

1991年 雲仙普賢岳大火砕流から考える取材の安全【研究員の視点】#481

メディア研究部(メディア動向)中丸憲一

unzen_kasairyu.jpg雲仙普賢岳の火砕流

 1991年6月3日。長崎県の雲仙普賢岳で発生した大火砕流によって、報道関係者を含め43人が犠牲になりました。この大火砕流からまもなく32年になります。今回は、この災害をきっかけにメディアに厳しく問われることになった取材の安全管理について考えます。

【雲仙普賢岳大火砕流とは】
 まず、雲仙普賢岳の活動の推移を振り返ります。(※1)長崎県の雲仙普賢岳は1990年11月に、約200年前の江戸時代以来となる噴火が発生し、火山活動が活発化。山頂付近に溶岩がたまって溶岩ドームが形成され、これが崩落し斜面を高温・高速で流れ下る火砕流が次第に起きるようになりました。
 最初の火砕流が起きたのは、1991年5月24日で、火口から約1km流れ下りました。その2日後の26日に起きた火砕流は約2.5km下まで流れ、その先端は集落の近くにまで達しました。さらに、この日の火砕流では初めてけが人が出て、麓の一部地域に避難勧告が出る事態となりました。この避難勧告エリアには、山頂から4kmほどのところにあった「定点」と呼ばれる報道関係者の撮影ポイントも含まれていました。その約1週間後の6月3日午後4時8分、大火砕流が発生。定点にまで到達し、報道関係者16人と随行していたタクシー運転手4人に加え、消防団員12人、一般人6人、外国人の火山研究者3人、警察官2人が犠牲になりました。報道関係者が多数犠牲になったことに加え、その取材活動に巻き込まれる形で消防団員やタクシー運転手などが命を落としたことから、災害報道のあり方が社会的に厳しく問われることになりました。(※2)

【大惨事の原因は】
 この大惨事は、なぜ起きたのでしょうか。さまざまな文献や特集記事(※3)などからは、原因とみられるポイントが複数、指摘されています。以下に列挙します。

    • ① 火砕流の知識・危機感が不足していたこと。
    • ② 火砕流より土石流への警戒感の方が強かったこと。
    • ③ “迫力ある”火砕流の映像を撮るために各社が競争意識を持っていたこと。
    • ④ 外国人の火山学者が火砕流を撮影するために避難勧告地域に入っていたこと(=専門家がいることによる安心感) 

 このうち①の火砕流については、当時と現在では危険性の認識が全く異なります。現在、気象庁のホームページには火砕流について「時速百km以上、温度は数百℃に達することもある」などと記されていますが、これが知られるようになったのは、まさに雲仙普賢岳の大火砕流が起きたからです。当時は、その危険性はほとんど知られていませんでした。
 さらに筆者は、②と④という事情も加わり、「火砕流はそれほど危険ではないのではないか」という「正常化バイアス」が働いたと想像しています。そこに「隣に人がいる、ほかにも大勢の人がいるから大丈夫」という「同調性バイアス」(※4)も加わって、③の“迫力ある”映像を撮るための競争から「引くに引けない」状況に陥ったのではないかと考えています。

【生かされなかった教訓】
 今回、さまざまな文献を調べる中で、これと状況が似ている事案が大火砕流の前に起きていたことを、別の火山の文献を読んでいて気づきました。北海道の有珠山のホームドクターと呼ばれた北海道大学名誉教授、岡田弘の著作『有珠山 火の山とともに』(以下、同書)です。


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 有珠山では周期的に噴火が起きており、直近の噴火活動は2000年3月下旬から翌2001年9月にかけて続きました。今回注目したのは、その1回前の1977年8月から始まった噴火活動で、ある報道機関がとった行動でした。同書によると、この一連の活動では、規模の大きな噴火が複数回起きています。このうち8月8日午後3時半頃に起きた2回目の噴火(Big2ビッグツー)では、噴煙が1万メートルまで上昇。ふもとの洞爺湖温泉に軽石が降りました。その後、午後11時40分頃に起きた3回目の噴火(Big3ビッグスリー)で、温泉街は噴石の直撃を受け、当時、宿にいた岡田氏は「自分を含め多くの人がこの噴火で死んでしまっていたかもしれなかった」とその恐ろしさについて書いています。実はこの時、新聞社の取材班が洞爺湖温泉のホテルに滞在していました。取材班のキャップは、「Big2」の後、取材班の安全を第一に考えて洞爺湖温泉から一時撤退し、別の場所にある旅館に取材本部を移しました。この結果、その夜に起きる「Big3」に巻き込まれずに済みました。ところが、この行動に対する周囲の受け止めは違っていました。同書には以下のように書かれています。

 この行動が「模範的な先手の防災行動」とたたえられたかといえば、それほど単純な話ではありませんでした。それどころか、「避難命令も出ていないのに逃げ出した記者」として、悪しきバッシングの対象となってしまいます。「長年の間、仲間たちからさえ《敵前逃亡》と言われつづけた」

 しかし、14年後に雲仙普賢岳の大火砕流が起きると、有珠山での一時撤退の評価は一変します。

 それまでは「しっぽ巻いて逃げた」と同僚たちから言われつづけてきたというのに、雲仙岳の災害が起こった途端、手のひらを返したように、「あれはすごい英断だった。ああいう行動がなかったから雲仙岳ではこんなにもたくさんの報道関係者が犠牲になったのだ。ああいうことになるのだ、という想像力が雲仙岳では欠けていたのだ」というふうに変わったそうです。結局、「先手の防災行動」が正しく評価しなおされるためには、雲仙岳の災害を待つ必要があったのでした。

 雲仙普賢岳の大惨事の前に、火砕流でなかったとはいえ、同じ火山災害で安全を最優先に行動していた報道関係者がいたこと。そして、それが長年、正当に評価されず、雲仙普賢岳で生かされなかったという事実は、長く語り継いでいくべきだと考えます。なお、この有珠山の取材班がとった、安全を最優先にする行動は、現在なら、多くの防災研究者が推奨する「率先避難」にあたり、住民の迅速な避難を促す上でも、メディアに求められる姿勢ではないかと筆者は考えています。

【自分自身の苦い経験】
 取材の安全管理をめぐっては、筆者自身にも苦い経験があります。2011年3月の東日本大震災です。当時、私は社会部の災害担当記者で、それ以前に岩手、宮城の放送局での勤務を経験しており、三陸の津波に関して取材を重ねていました。その「原点」ともいえる場所を巨大な津波が襲いました。急いで現地入りした後は、それまでの経験を生かし、被災した人たちや今後の防災に役立つニュースを出したいと、連日、取材を続けていました。
 震災の発生から数日後、宮城県女川町に調査に入った研究者が見せてくれた写真に衝撃を受けました。海に近い中心部のほとんどの建物が破壊され、特にコンクリート製のビルが横倒しになっていました。自分の目を疑いました。当時、コンクリート製のビルは津波に強いとされ、「津波避難ビル」と呼ばれる新たな避難場所として各地で導入されてきました。この写真が示すのは、「津波避難ビル」という考え方そのものを根本的に覆すことではないのか。研究者は翌日も現場に入ると言います。一緒に現地入りすれば、その事実を誰よりも早く伝えられるのではないか。急いで取材前線に戻り、デスクに取材に行かせて欲しいと伝えました。しかし、デスクは首を縦に振らず、現地に入ることを強く希望した私は、デスクと口論になってしまいました。そして次のことばをデスクは投げかけてきました。
 「もしも津波が来たらどこに避難して安全を確保できるのか、今、ここで説明してみろ。安全に取材できて無事に生きて帰って来られることを証明してみろ。それができない限り、絶対に行かせない。」現地は、多くの建物が被害を受け、以前とは変わり果てていて、どこが安全なのかわかりません。しかも通信状況すら不安定だったのです。最終的に取材は断念するしかありませんでした。ただ、今思い返してみても、大きな余震が相次ぎ、津波が再び押し寄せてくるおそれがあった中で、当時のデスクの判断は的確だったと言わざるを得ません。

【変わったこと、変わらないこと】
 雲仙普賢岳の大火砕流や東日本大震災などの大災害を教訓に、メディアの安全管理についての考え方や取材の手法も大きく変わりました。ロボットカメラなどを活用し危険な場所への取材クルーの立ち入りを極力少なくしました。中継などは、高台や頑丈な建物の室内など安全が確保できる場所から行い、その状況も含めてコメントで伝えるようになりました。また、安全管理を専門に見る管理職「安全管理者」が現場で指揮を執るようになっています。さらに、技術革新によって通信機器や撮影機材が進化し、放送局にいながら現地で取材しているクルーの場所や安全性を確認し、次の取材に向かわせることもできるようになってきました。
 ただ、それでも変わらないことがあります。「正常化バイアス」と「同調性バイアス」をどう取り除くかです。いざ現場に立ち会うと、視聴者に訴える力がある情報や映像を伝えたくなります。東日本大震災の取材現場にいた筆者が、まさに感じたことです。あのとき「自分だけは大丈夫」「ほかの社も入っているみたいだから大丈夫」という「正常化バイアス」と「同調性バイアス」から、逃れられていなかったのは間違いありません。
 1冊の本が、そうした人間の弱さや危うさに警鐘を鳴らし続けています。雲仙普賢岳の大火砕流で死亡したNHKカメラマン、矢内万喜男さんの妻、真由美さんが書いた『なぜ、雲仙で死んだの。』そのあとがきに、こう記されています。

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 世の視聴者の「もっと迫力のある映像が見たい、もっと面白いニュースが見たい」という欲求は止まるところを知らない。そんな茶の間の欲求の犠牲になって、ひとりの人間の尊い人生がプツンと打ち切られてしまったとしたら……。私には、近い将来、必ずや同じような惨事が繰り返されるような気がしてならない。見る者の興味がより膨らみ、送り手もその欲求に応えることだけを至上のものと考えるならば、私たちと同じような悲しみを味わう人が、いやもっと酷い仕打ちに遭う人が出るにちがいない。夫たちの死が、現在の過激な報道競争に歯止めをかけ、より具体的な安全対策を講ずるための一助になることを心から願っている。

 32年前に書かれたこの一節に触れるたびに、「安全対策に終わりはない」という思いを強くします。


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 【中丸憲一】
1998年NHK入局。
盛岡局、仙台局、高知局、報道局社会部、災害・気象センターで主に災害や環境の取材・デスク業務を担当。
2022年から放送文化研究所で主任研究員として災害や環境をテーマに研究。

★筆者が書いた、こちらの記事もあわせてお読みください
#473「災害復興法学」が教えてくれたこと
#460 東日本大震災12年「何が変わり、何が変わらないのか」~現地より~
#456「関東大震災100年」 震災の「警鐘」をいかに受け止めるか

調査あれこれ 2023年05月17日 (水)

中高生もYES! 5月17日は何の日?~第6回「中学生・高校生の生活と意識調査」から~【研究員の視点】#479

世論調査部(社会調査) 村田ひろ子

 皆さんは、5月17日が何の日だかご存じですか?

 5月17日は、「多様な性にYESの日」※1。国際的な記念日として、世界各国で性的マイノリティーへの理解を呼びかけるキャンペーンが展開されています。日本でも、各地で啓発イベントや展示会が開催されたり、多様性を象徴するレインボーカラーに建造物をライトアップしたりする取り組みが行われています。

 多様性への関心が高まるなか、学校教育の場でも、教科書でジェンダーをめぐる問題が取り上げられるようになったり、制服のジェンダーレス化が進んだりしています。当の子どもたちは、多様性についてどのような考えを持っているのでしょうか?

 文研が昨夏、全国の中高生を対象に実施した世論調査※2の結果を確認してみましょう。仲のよい友だちから、「『からだの性』と『こころの性』が一致しない」と打ち明けられたとしたら、『理解できる(とても+まあ)』と答えたのは、中学生が69%、高校生が80%にのぼります。「よくわからない」という人も中学生で19%、高校生で12%いましたが、多くの中高生がLGBTQについて理解できると答えています。中高生も多様な性に「YES」が多いというわけです。

友人から、からだの性とこころの性が一致しないと打ち明けられたら、理解できるか(中高別)

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 男女中高別にみると、『理解できる』は、中高ともに男子よりも女子のほうが多く、女子中学生で77%、女子高校生では88%を占めています。

友人から、からだの性とこころの性が一致しないと打ち明けられたら、理解できるか(男女中高別)

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 父母に対しては、子どもと、同性愛や性同一性障害などの性的マイノリティー(LGBTQ)について、話をすることがあるかどうかを聞いています。父親では『ない(まったく+あまり)』は86%※3にのぼり、『ある(よく+ときどき)』の12%を大きく上回っています。母親でも、『ない』が65%で、『ある』の34%を上回っています。父母ともに子どもとLGBTQについて話をする人は多くはありません。家庭の中で性的マイノリティーについて話すことにためらいを感じる親が多い様子がうかがえます。

父母 子どもとLGBTQについて話をすることがあるか

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親が子どもとLGBTQについて話をするかどうかで、子どもの多様性への寛容度に差はあるのでしょうか。子どもが性的マイノリティーを『理解できる』と回答した割合をみると、子どもとLGBTQについて話をすることが『ある』親子のほうが、『ない』親子よりも、子どもが『理解できる』と回答した割合が高くなっています。家庭内でLGBTQについて話をすることで、性的マイノリティーへの理解が高まる可能性がありそうですね。もちろん逆に、理解のある家庭だからこそ、話をする機会があるのかもしれませんけど。

友人から、からだの性とこころの性が一致しないと打ち明けられたら、『理解できる』と答えた中高生の割合
(LGBTQについて親子で話すことがあるかないか別)

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 父母には、学校の授業でLGBTQについて教えることの賛否も尋ねてみました。『賛成(どちらかといえばを含む)』という人は、父親が83%、母親が92%と圧倒的多数を占めています。家庭の中では、性的マイノリティーについて話さないぶん、学校の授業で学んでほしい、という親の気持ちが表れているのかもしれません。

父母 学校でLGBTQについて教えることの賛否

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「放送研究と調査」6月号では、中高生と親のジェンダーをめぐる意識について、世論調査の結果から読み解きます。進学意向の男女差はあるのか、家庭内での教育方針に子どもの性別による差はあるのかなど、気になる調査結果が盛りだくさん!発行は6月1日です。ぜひご一読ください!
中学生・高校生の生活と意識調査2022の結果は、こちらから!↓↓↓
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20221216_1.html


※1 LGBTQ嫌悪に反対する国際デーIDAHO(International Day Against Homophobia, Transphobia, and Biphobia)

※2 第6回「中学生・高校生の生活と意識調査2022」

※3 複数の選択肢をまとめる場合は、実数を足し上げて%を計算しているため、単純に%を足し上げた数字と一致しないことがある(以下同)。

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【村田 ひろ子】
2010年からNHK放送文化研究所で社会調査の企画や分析に従事。
これまで、「中学生・高校生の生活と意識」「生命倫理」「食生活」に関する世論調査やISSP国際比較調査などを担当。

筆者が執筆したこちらの記事もあわせてお読みください!
文研ブログ「中高生の学校生活、どんな感じ? ~第6回「中学生・高校生の生活と意識調査」から~」

調査あれこれ 2023年05月16日 (火)

G7広島でフリーハンドは得られるか?~岸田総理の内外政を考える~【研究員の視点】#478

NHK放送文化研究所 研究主幹 島田敏男

 岸田総理大臣は3月にインドからのウクライナ電撃訪問を果たし、4月の統一地方選挙と衆参統一補欠選挙を挟んでアフリカ4か国などを歴訪。そして帰国から中1日置いてソウルを訪れて日韓首脳会談を行い、韓国との関係改善を一歩前進させました。

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 この間の行動日程はハードなものでした。統一補欠選挙では自民党候補者の応援に駆け回り、和歌山市では爆発物を投げつけられる事件にも遭遇しましたが難を逃れました。補欠選は自民党が競り合いも制して4勝1敗。

 国会開会中で選挙もありましたが、やはり目立ったのは外交です。安倍内閣時代に5年近くにわたって外務大臣を務め、当時は首脳外交に力を注ぐ安倍総理の脇役に甘んじているようにも見えましたが、着実に勘所を身につけてきたようです。

 外務省幹部は「岸田さんは相手国首脳との想定問答をレクチャーすると、わずかな時間で中身の優先順位を的確に判断してくれる」と口をそろえます。外務省にとっては実にありがたい総理大臣だということでしょう。

 岸田総理が春先以降、特に外交日程に重きを置いてきたのは、5月19日から3日間のG7広島サミットを歴史に残るものにするための地ならしの意味もありました。広島は長崎と共に核兵器被爆地であり、議長を務める自分の選挙区でもあり、ぜひともここから力強い平和へのメッセージを世界に発したいという政治家としての思いが伝わってきます。

summitvenue_edited.jpg  G7サミット会場の宇品島(広島市)

 ロシアによるウクライナ侵攻によって、かつての東西冷戦の構図が改めて浮上し、第3次世界大戦の引き金になりかねないと危惧されているのが現在の国際情勢です。ロシアのプーチン大統領は、欧米がウクライナに武器供与などを続けるならば、核兵器の使用も辞さない構えをちらつかせてきました。

 そういう現実の下で行われるG7広島サミットを前に、5月のNHK月例電話世論調査は12日(金)から14日(日)にかけて行われました。

☆あなたは岸田内閣を支持しますか。それとも支持しませんか

 支持する  46%(対前月+4ポイント)
 支持しない  31%(対前月-4ポイント)

 「支持する」は今年1月に岸田内閣発足後最も低い33%まで落ちましたが、そこから4か月連続で上向いています。発足後最も高かった去年7月の59%には届いていないものの、一時期岸田離れを示していた自民党支持者が「支持する」に戻る傾向が支えになっています。

 春先以降の岸田総理の精力的な動きが支持率のアップにつながっている形ですが、とりわけ今回の調査では日韓関係の前進への期待感が目立ちました。

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☆岸田総理と韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領は、3月に続いて今月も首脳会談を行い、関係改善を進めていく姿勢を示しました。あなたは、今後、日韓関係が改善に向かうと思いますか。それともそうは思いませんか

 改善に向かうと思う  53%
 改善に向かうとは思わない  32%

 5月7日にソウルで行われた日韓首脳会談で、ユン大統領が「過去の歴史問題が全て整理されない限り、未来の協力に一歩も踏み出せないという認識から脱却しなければならない」と発言。岸田総理は共同記者会見で「私自身、当時厳しい環境の下で多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む思いだ」と応じました。

 ユン大統領の未来志向の発言は、最近の歴代韓国大統領が語ったことのないもので、北東アジアの安定のためには韓国側が譲歩してでも日本との協力関係を再構築したいという強い意志の表れです。

 もちろん韓国国内には「屈辱外交だ」といった批判も渦巻いているので、この先、順調に両国の関係改善が進むかは不透明です。ただ、ある日本政府高官は「先行きを楽観してはいないけれども、ユン大統領の決断を受けてやれる時にやるしかない」と関係改善の加速に力を込めていました。

 そこで改めてG7広島サミットです。ウクライナ情勢と核兵器の問題が柱になると見られますが、今回の世論調査で悲観的な数字が出ているのが気になりました。

☆あなたはロシアの侵攻を止めさせるための実効性がある議論が期待できると思いますか。期待できないと思いますか

 期待できる  28%
 期待できない  65%

☆あなたはサミットでの議論を通じ、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際的な機運が高まることを期待できると思いますか。期待できないと思いますか

 期待できる  28%
 期待できない  65%


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 偶然ですが2つの質問に対する回答の数字が同じで、広島サミットにかける岸田総理の熱い思いとは裏腹に、国民は厳しい見方を示しています。それだけ世界が抱える現在進行形の課題が困難なものだとも言えます。

 一気に難問の解決が進展することはないでしょうが、問題は3日間のG7広島サミットの議論と成果が世界でどういう評価を得るかです。G7の結束を図ることにとどまり、ロシアや中国などとの緊張感が増すだけではマイナス評価でしょう。

 G7サミットの期間中、広島にはG20の議長国インドをはじめ、韓国、インドネシア、ブラジル、オーストラリアなどの首脳も集まります。こうした国々はグローバルサウスと呼ばれる南半球を中心とした多数の発展途上国に影響力を持っています。

 世界が混迷を深めている時期だけに、地球規模のメッセージ、普遍的な平和と繁栄のメッセージを発信できるかが評価を左右します。

 自民党の一部には「G7広島サミットで内閣支持率はさらに上向くだろうから、6月後半の通常国会最終盤には衆議院の解散・総選挙に打って出るべきだ」という声があります。ただ、先ほど見たように国民のサミットの成果に対する期待感は決して大きくありませんので楽観はできないでしょう。

 また、衆議院議員の4年間の任期の折り返しは今年10月なので、その前は早すぎるという見方もあります。

 いずれにしても内閣支持率が上向いてきたことで、岸田総理が衆議院の解散・総選挙の時期を判断しやすい状況、つまりフリーハンドを手にしつつあることは確かです。

 広島サミットの評価が岸田総理の「最新の民意を問う」ための決断に直結するのか、それとも一呼吸置く状況になるのか。当面の注目点です。

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島田敏男
1981年NHKに入局。政治部記者として中曽根総理番を手始めに政治取材に入り、法務省、外務省、防衛省、与野党などを担当する。
小渕内閣当時に首相官邸キャップを務め、政治部デスクを経て解説委員。
2006年より12年間にわたって「日曜討論」キャスターを担当。
2020年7月から放送文化研究所・研究主幹に。長年の政治取材をベースにした記事を執筆。