文研ブログ

2023年2月

メディアの動き 2023年02月28日 (火)

#457 北欧メディアに学ぶジェンダー格差解消のヒント

メディア研究部(メディア動向)熊谷百合子

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 2月1日、北欧5か国の政府系プラットホームが主催するパネルディスカッションが東京都内で開かれました。議論のテーマは「ジェンダー平等とメディア~報道と編集室における女性~」。北欧の国々ではジェンダー平等をどのように進めたのか、メディアはどんな役割を果たしてきたのか、北欧と日本の3人の女性ジャーナリストが語り合いました。
 ジェンダー平等とは、国連が定めた2030年までの開発目標「SDGs」の17目標にも盛り込まれている指標です。発展途上国だけでなく先進国も取り組むべき普遍的な国際目標として、日本も積極的に取り組んでいますが、「ジェンダーギャップ指数」に着目すると、世界の中での日本の現在地がわかります。「ジェンダーギャップ指数」は、政財界のリーダーが集まるダボス会議を主催する世界経済フォーラムが、男女の平等の度合いを数値化した指標です。男女格差の解消を目的に2006年から毎年発表していて、「政治参加」、「経済」、「教育」、「健康」の4つの分野について、世界各国の男女の格差を数値化してきました。


世界経済フォーラム「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」(2022年版)
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 去年(2022年)7月に公表された報告書では、日本は調査対象の146か国のうち116位でした。「教育」と「健康」は評価が高かったものの、「政治参加」と「経済」の分野での評価が極めて低い結果となりました。

「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」(2022年版)
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 一方でジェンダー平等の上位の国を見てみると、北欧の国々が目立ちます。アイスランドは13年連続での1位。2位のフィンランド、3位のノルウェーも毎回、上位に名を連ねる、いわばジェンダー平等の優等生です。例えば「経済」の指標は、日本は121位ですが、アイスランドは11位、フィンランドは18位、ノルウェーは27位です。「政治参加」に至っては、日本は139位ですが、アイスランドは1位、フィンランドは2位、ノルウェーは3位という高い水準でした。
 なぜ、北欧の国々は「ジェンダー平等」がこれほどまでに進んでいるのでしょうか?今回のパネルディスカッションでは、ジェンダーギャップ指数1位のアイスランドと2位のフィンランドから2人の女性ジャーナリストが来日しました。ソーラ・アルノルスドッティルさんはアイスランド国営放送の編集長で、アヌ・ウバウドさんは北欧最大の日刊紙として知られるヘルシンギン・サノマットの元編集長です。日本のメディアからは、NHK解説委員でジェンダーや男女共同参画を担当する、NHK名古屋拠点放送局の山本恵子さんが登壇しました。司会は朝日新聞の元記者で、バズフィードジャパンの初代編集長を務めた古田大輔さんです。都内の会場には大学生や報道関係者など50人が集まり、オンラインでも約200人が参加しました。
 議論は冒頭から、なぜ北欧の国々はジェンダー平等の推進に成功し、メディアはどのような役割を果たしてきたのか、という核心を突いたところから始まりました。ソーラ・アルノルスドッティルさんは、ジェンダー平等に向けた動きは、長い歴史のなかで少しずつ進んできたことを教えてくれました。

アイスランド国営放送 編集長 ソーラ・アルノルスドッティルさん

panel2_1.jpg「ジェンダー平等を推進するための青写真があったわけではありません。アイスランドでは100年以上の時間をかけて、小さな前進を重ねてきました。権利獲得の闘いを始めたとき、アイスランドの女性たちはまず雑誌を創刊するところから始めました。それは、自分たちの考えを社会で共有するためには女性のためのメディアが必要だったからです。女性が投票権を得たのは1915年ですが、女性の国会議員の数はすぐには増えませんでした。女性に与えられたポジションは少なく、その結果、女性同士の激しい競争につながりました。大きな転換点は1980年代です。世界初の女性大統領が選出されたのです。彼女の在任期間は16年間と長期だったこともあり、当時の子どもたちは、男性は大統領になれないと思っていたほどです。男女の賃金格差についても私の祖父の時代から議論が始まり、法制化を進める動きもありましたが、遅々として進みませんでした。それでも議論を前に進めようとする人たちの努力があって、最近では男女同一賃金を実現するための法律ができました。育児休業制度は、父親と母親が最大で6か月ずつの取得が可能で、両方が取得すればさらに6週間を互いに分け合うことのできる仕組みになっていて、ジェンダー平等を進めていくうえで不可欠のものとなっています」

そのうえで、メディアの果たすべき役割は非常に大きいと語ります。

「メディアは単に社会を反映するだけではなく、私たちが何をニュースとして取り上げるのか、誰に取材するのか、どんな視点で伝えるのかによって社会をかたちづくりさえします。私が国営放送で働いてきた25年の中でも、多くのことが変化しました。当時では考えられないことですが、現在では男女の比率を50:50にすることを常に意識しています。多様性はリーダー層だけでなく、マネジメント層にも必要です。白人の中年の男性ばかりでは、同質性が高い人たちによる意思決定が行われてしまうからです。ニュースの制作陣が多様化しても、上の立場の人たちの同質性が高いままでは多様な報道にはつながらないのです。ボトムアップとトップダウンの両輪でジェンダー平等を進めていくことが必要です」

アヌ・ウバウドさんはジェンダー平等を推進する議論を、メディアが積極的に取り上げることの必要性を説きました。

ヘルシンギン・サノマット 元編集長 アヌ・ウバウドさん
panel3_1.jpg 「メディアが重要であることは言うまでもありません。育児休業や子育てに関連する社会的支援はジェンダー平等を達成するうえで重要な施策です。こうしたトピックをメディアで頻繁に取り上げることが、社会の共通課題であるとの意識を共有していくうえで不可欠です。そのためには、メディアはどのように世界を描くのかを考えなければなりません。その意味でもメディアの役割は重要なのです」

 一方でジェンダー平等が大きく遅れる日本のメディアの現状について、NHKの山本恵子解説委員は自身の経験を踏まえながら、女性記者が仕事を続けることの難しさについて語りました。

NHK解説委員 山本恵子さん
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「報道記者は、事件、事故、災害が起きれば、すぐに駆けつけなければなりません。大災害の場合は24時間態勢で報道センターに詰めて、最新ニュースを視聴者に届ける必要があります。緊急時の突発の対応が求められるので、子育て中の母親が報道の現場で働き続けることは容易ではありません。育児休業からの復職後、母親たちは24時間態勢の報道の現場に戻るのか、さもなければ別の部署に移るのかという選択を迫られることになります」

 一児の母である山本さんは、何度も壁にぶつかりながら報道の仕事を続けてきたと言います。北欧メディアで働く子育て中の女性たちには同じ悩みはないのでしょうか?仕事と育児を両立するなかで、ワークライフバランスはどのように保たれているのでしょうか。panel5_1.jpg(ソーラ・アルノルスドッティルさん)
「仕事か家庭かの選択を迫られるのだとしたら、それは仕組みとして機能していないことを意味します。子どもがいると働きにくい慣習が職場にあるならば、変える必要があります。男性は仕事、女性は家事・育児、という性別役割分担の意識が根強いのであれば、その意識も変えなくてはなりません。報道に関わるのは、家庭のことを妻に任せられる男性だけというのも変えるべき風景です。そのような同質性の高い人たちによって制作されるニュースは、さまざまな価値観をもつ人々が暮らす社会に受け入れられなくなりつつあります。つまり、報道の現場も社会と同様に多様であるべきですし、人々にとって何がニュースなのかを再定義する必要があるのです。ニュースの制作現場のダイバーシティーを実現するためには、多様な人が働きたいと思えるような魅力的な職場にすることが求められています」

(アヌ・ウバウドさん)
「北欧の国々では長時間労働は評価されません。残業時間が長いということは、効率的な仕事ができていないことを意味します。フィンランドでは、ジャーナリストであれ会社員であれ、そして管理職であれ、夕方には退社します。5時前には保育園に子どもを迎えに行って自宅に戻ります。もちろん残業しなくてはならない場合もあるので、自宅に持ち帰って夜間の時間帯で仕事をすることもあります。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)以降は、より包括的に幸福とは何かという議論を深めてきました。なぜかと言うと、想像力豊かで効率的に働く人は、私たちの文化では仕事以外の生活も充実している人だと考えるからです。働き方の議論は、ジャーナリズムやメディアにかぎった問題ではなく、文化にまつわる問題なのだと思います」

 北欧はワークライフバランスが整っているイメージはありましたが、緊急報道などの対応もあるメディアは例外なのではないかと想像していました。しかし、フィンランドでは子育て中かどうかを問わず、官公庁も企業も報道機関も学校も、夕方4時を過ぎると退勤するのが一般的だといいます。医師も例外ではなくシフト勤務が徹底しているとのことで、どんな職種でもよほどの理由がないかぎり、残業はしないそうです。
 “他社よりも早く”、そして“特ダネ”を高く評価する日本のメディアでは、“夜討ち朝駆け”という言葉に象徴されるように長時間労働の慣習が長く続いてきました。そうしたなかで仕事と育児を両立する女性記者がキャリアをどのように形成していけばよいのか。悩ましい課題を克服することは容易ではありません。ソーラ・アルノルスドッティルさんが語っていた、“人々にとって何がニュースなのかを再定義する”ことはメディアの価値を問い直す上で、一つの手がかりとなるような気がしました。
 議論では、ソーラ・アルノルスドッティルさんは6人の子どもを、アヌ・ウバウドさんは4人の子どもを育てていることにも触れました。アヌ・ウバウドさんは編集長をしているときに第4子の出産、育休、復職を経験しましたが、上司や同僚たちは、小さな子どもを育てる女性が編集長の仕事を続けることで周囲の意識も変わるとポジティブに捉えて、サポートを惜しまなかったそうです。
 パネルディスカッションの後半では、若い世代へのメッセージがありました。

(山本恵子さん)
「私は3年前に管理職になって、夕方のローカルニュースの編集責任者を交代制で務めています。どのニュースをトップで扱うのかを自分で決めるので、私は女性に関わる問題や子育てにまつわるニュースをトップ項目で放送します。ニュースを見る人たちは、これは重要なテーマなんだと認識するかもしれない。そうすることで少しずつ社会の意識を変えていけると思います。職場の若い世代の女性たちには『大変だけど記者を辞めないで』と言い続けています。報道の現場に女性がもっと増えれば、より多様な報道を発信できるからです。辞めてしまえば女性の数は減ってしまい、何も変わらないことを意味します。仕事を続けていけば職場のルールを変える立場に昇進して、働きづらい要因となっている職場の慣習も自分たちで変えていくこともできるのです」

(アヌ・ウバウドさん)
「北欧ではジェンダー平等を達成するのに150年の年月がかかりましたが、日本でも同じだけの時間がかかるとは思っていません。今は変化を加速できる時代です。メディアの発信力が強化され、さまざまな意見を表明する場が与えられているのですから」

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 このブログでは詳述しませんが、今回の議論では、フィンランドでは雑誌メディアには女性が多くいる一方で、ニュースメディアの男女の比率を見ると女性の数がまだ少ないなど、課題があることも紹介されていました。質疑応答でも大学生を中心に活発な意見が次々と出て、ジェンダー平等への関心の高さがうかがわれました。パネルディスカッションの詳しい内容は、ブログの最後にご紹介するURLからご覧ください。
 司会を務めた古田大輔さんは、今回の議論が日本のメディアの多様性を加速することに役立ってほしいと話していました。

panel7_1.jpg(古田大輔さん)
「日本のジェンダーギャップについてはメディアの現場にも課題があるということはわかっていても、どれぐらい課題が大きいのかを気づくのは難しいことです。今回、北欧メディアの第一線で働く2人の声を直接聞けたことで、メディアが多様性を映し出していくことの重要性と、日本のメディアが抱える課題を確認することができたと思います。報道する側にダイバーシティーがある方が、よりパワフルで魅力的なメディアを作れるんだということに、まずは気づくことですよね。日本の新聞やテレビなど主流メディアの皆さんへの重要なメッセージになるのではないでしょうか」

 北欧のジェンダー平等は長い歴史をかけて一歩ずつ前進した結果、実現したものでした。誰かがお膳立てして用意したものではなく、変化を必要とする人たちがそれぞれの持ち場で変革を担ってきたからこそ、今の姿があるのだと感じました。
 パネリストとして来日した北欧の2人のジャーナリストは、ジェンダー平等の遅れる日本のメディアについて何を感じたのでしょうか。そして北欧メディアの取り組みを知り、日本のメディアで働く人たちは何を思うのでしょうか。このブログでは取り上げきれなかったエピソードについても、今後の調査研究を交えて連載を続けていく予定です。 


↓パネルディスカッションの詳しい内容はこちら↓

▽Nordic Talks Japan「ジェンダー平等とメディア~報道と編集室における女性~」
    https://note.com/nordicinnovation/n/n55dee5e1a3b2
参考資料)
▽世界経済フォーラム「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」(2022年版)
 Global Gender Gap Report 2022 | World Economic Forum (weforum.org)

2024年2月8日追記)
パネルディスカッションの日本語吹き替え版
https://youtu.be/BN9AEJu2Zow?si=rMbwoStKh379GYtV

 

調査あれこれ 2023年02月24日 (金)

#456「関東大震災100年」 震災の「警鐘」をいかに受け止めるか

メディア研究部(メディア動向)中丸憲一

  1923年(大正12年)9月1日に発生し、10万人以上が犠牲になった関東大震災から、今年(2023年)で100年になる。この震災では、放送にも大きく関わる「情報伝達」が大きな課題になった。また、私はNHKで長年、災害担当記者をしてきたが、今回、関東大震災の記録を改めて探ったところ、初めて知ることも多かった。この関東大震災から学びとるべき「警鐘」について詳しく見ていきたい。

【ラジオ放送誕生を早めた関東大震災の“怪物”】
 まず目を向けたいのが、関東大震災の時の「情報の途絶」だ。まだテレビやラジオ、当然ながらSNSはなかった時代。電信・電話といったほぼすべての通信網が途絶し、新聞社も社屋が焼失するなどして新聞の発行がままならなくなった。生き残った人たちは、被災時に最も必要なものの一つ「情報」が入手できなくなることによって混乱を極めてゆく。 

yoshimurabook300.png  その様子を、吉村昭は「関東大震災」で次のように書いている。(一部中略・原文ママ)

「知る手がかりを失ったかれら(被災者※筆者追記)の間に無気味な混乱が起り始めた。かれらは、正確なことを知りたがったが、それは他人の口にする話のみにかぎられた。根本的に、そうした情報は不確かな性格をもつものであるが、死への恐怖と激しい飢餓におびえた人々にとってはなんの抵抗もなく素直に受け入れられがちであった。そして、人の口から口に伝わる間に、臆測が確実なものであるかのように変形して、しかも突風にあおられた野火のような素早い速さでひろがっていった。流言はどこからともなく果てしなく湧いて、それはまたたく間に巨大な怪物に化し、複雑に重なり合い入り乱れ人々に激しい恐怖を巻き起こさせていった」

  この流言飛語にはさまざまなものがあった。「上野に大津波が襲来した」「富士山が爆発した」「秩父連山が噴火した」などという偽情報がまことしやかに流れ、地方紙に掲載された。さらに混乱に拍車をかけたのが、朝鮮人に関するデマである。再び吉村昭の「関東大震災」から引用する。(一部中略・原文ママ)

「大地震の起った日の夜七時頃、横浜市本牧町附近で、『朝鮮人放火す』という声がいずこからともなく起った。その夜流布された範囲も同地域にかぎられていたが、翌二日の夜明け頃から急激に無気味なものに変形していった。『朝鮮人強盗す』『朝鮮人強姦す』という内容のものとなり、さらには殺人をおかし、井戸その他の飲水に劇薬を投じているという流言にまで発展した。殺伐とした内容を帯びた流言は、人々を恐れさせ、その恐怖が一層流言の拡大をうながした」

  この流言の発生と急速な拡散が、朝鮮人虐殺という悲惨な事件まで引き起こしたことを考えると、まさに「怪物」以外のなにものでもないと思う。そしてこの「怪物に2度と遭遇したくない=迅速で正確な情報が欲しい」という人々の強い願いが、ラジオ放送の誕生を早めるきっかけとなった。
  ラジオ放送は、1920年(大正9年)に正式の免許をうけた初の放送局がピッツバーグで放送開始後、アメリカ全土に急速に広がった。これに刺激されて日本でもラジオ放送開始への機運が高まり、政府は放送を民営で行うとする方針に沿って関係法令の整備など準備を進めた。そのさなかに関東大震災が発生し、作業は中断。しかし、震災直後、横浜港に停泊中の船が船舶無線で被災状況や救援要請をいち早く伝えるなど無線による情報伝達が一部で機能したことなどから、無線の一種であるラジオ放送への要望が急速に高まった。政府も緊急・非常時に備えるために一日も早くラジオ放送を実現すべきだとして関係法令の整備作業を再開。2年後の1925年(大正14年)3月22日の東京・芝浦での放送開始につながった。

housousi400.png20世紀放送史より(放送文化研究所編さん)

  こうして産声を上げた日本のラジオ放送は、その後、テレビやSNSなどのメディアにつながっていく。しかしその原点には、「怪物に遭遇したくない=災害時に迅速で正確な情報が欲しい」という100年前の震災を経験した人々の痛切な思いがあることを忘れてはならない。

【関東大震災から学びとる「今後起きうる災害」への警鐘】
  100年前に首都を襲った大地震。とはいえ今とは状況がかなり違う中で起きた地震だけに、どれだけの教訓があるのか。気象庁が今年1月4日に立ち上げた特設サイトを通じて各防災機関の資料を調べてみた。関東大震災というと有名なのはやはり「火災」。発生時刻が正午前と昼食時間帯だったこともあって次々に出火し延焼。火災による死者は震災の死者の約9割にものぼる。特に4万人余りが犠牲になった東京の陸軍被服廠跡地で起きた「火災旋風」は、非常にまれな現象であることもあり、メディアも頻繁に取り上げる。私自身、社会部の災害担当記者時代に火災旋風を作り出す実験を専門家に行ってもらうなどして火災旋風のおそろしさを伝える番組を作ったことがある。しかし、今回、資料を読み込むことで、関東大震災では火災以外にも多くの災害が起き、それはいずれも「今後起きうる災害」につながっていることを知った。

daisinsai400.png関東大震災の被災地 気象庁ホームページより 

  震災で火災のほかに起きた災害としては、まず津波があげられる。早いところでは地震発生から5分程度で襲来。相模湾沿岸や伊豆半島東岸で大きな被害が出て、死者は200人から300人にものぼるとされた。特に神奈川県小田原市根府川では河口付近で遊泳中の子ども約20人が犠牲になったという。津波で子どもが犠牲になる被害は、1983年の日本海中部地震や2011年の東日本大震災などでも起きている。これを教訓に、今、各地の学校などで子どもたちを津波から守る防災教育が進められているが、関東大震災のこの悲惨な被害も忘れてはならないと思う。
  また、土砂災害も多発。山沿いを中心に、地震発生の前日にかなりの量の雨が降ったことが原因の一つとされている。この「地震前の雨」が要因となったとされる土砂災害も、平成30年(2018年)の「北海道胆振東部地震」などで起きている。
  さらに「海上火災」も起きていた。神奈川県横須賀市では、当時、海軍の基地があり、8万トンの重油を貯蔵する重油タンクがあったが、これが破損。
流出した油が海面を覆って引火し、火の海となった。海上に流れ出した重油に火がつく大火災は、東日本大震災の際、宮城県気仙沼市などでも起きている。私自身、社会部の災害担当記者時代に、東日本大震災関連の番組用に、海上を漂う重油に火がつき燃え広がるメカニズムを取材したことがあるが、それとほぼ同じ現象が100年前に起きていたことを今回初めて知った。さらに思い起こせば、東日本大震災が起きる7年ほど前、仙台放送局の記者時代に、取材で気仙沼市を訪れた際、同行した津波防災の専門家が「もし大津波が来たら、気仙沼湾にある重油タンクが危険だ」と指摘していた。これはその後、東日本大震災で現実のものとなる(震災直後に気仙沼市の被災地を取材した際、津波に流され破損して陸に打ち上げられた巨大なタンクを見て、悔しくて仕方がなかったのを覚えている)のだが、当時はそれほどの危機感を持って原稿を書くことができなかった。このとき、この関東大震災の横須賀市の事例を知っていればもっと違った伝え方ができたのでは、と悔やまれてならない。
  東日本大震災以降、国などは、南海トラフや千島海溝・日本海溝沿いの巨大地震、そして首都直下地震などの新たな被害想定を次々に発表している。100年前に起きた現象・被害が再び起きるおそれのあることを是非知るべきだと自戒を込めて強く思う。
  関東大震災の史実から学びとる「今後起きうる災害」への警鐘をいかに対策に生かすことができるか。そして、ラジオ放送開始のきっかけとなった「迅速で正確な情報が欲しい」と願った人たちの思いを放送に携わる私たちは、しっかりと受け止め災害報道に生かさなければならない。
  関東大震災から100年を迎える今年は、防災対策と災害報道のあり方を問い直す、節目の年となりそうだ。

文研フォーラム 2023年02月16日 (木)

#455 未来を担う中高生の「いま」を探ります! コロナ禍のネット時代を生きる中高生 ~第6回中学生・高校生の生活と意識調査より~

世論調査部(社会調査)村田ひろ子

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  スマホ操作が苦手な私をよそに、中学生の娘は、学校の提出物の確認、遊びの日程調整、“盛れる”プリクラ機の情報収集など、実にスマートにSNSを使いこなしています。その一方で、「体育の授業で倒立ができない!」「流行の“シースルー前髪”が決まらない!」「TikTokのダンスが踊れなくて友だちの輪に入れない!」など、ないないづくしの自信喪失の毎日・・・。大人からみれば、「なんでそんなことを気にするの?」と疑問に感じることも、彼女にとっては一大事のようです。
  こんなイマドキの中高生の生活ぶりや価値観は、文研が昨夏実施した「中学生・高校生の生活と意識調査2022」の結果からかいま見ることができます。調査は、学校生活、SNSの利用、友だちや親との関係、心理状態、世界観などの幅広い領域について、中高生とその父母の双方の視点からみられるユニークな設計になっています。10年ぶりの調査からみえてきたのは、SNSを通じて友だち関係を拡大させ、明るい未来を思い描く一方で、自己肯定感が低かったり、「社会」よりも「自分」を優先させたりする姿です。

  文研フォーラム・プログラムA「コロナ禍のネット時代を生きる中高生」(3/1(水)10:40~)では、調査結果をふまえて、いまどきの中高生の生活や価値観、について考えます。

  パネリストは、
・公立中学校の校長として校則や定期テストの廃止といった学校改革に取り組まれた工藤勇一さん

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(横浜創英中学・高等学校校長)

・文化社会学、ジェンダー論、家族社会学がご専門の水無田気流さん

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(國學院大学 経済学部教授)

・情報番組の司会や女性誌のモデルなど幅広く活躍中、2児のママでもあるタレントの優木まおみさんです。

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(タレント/モデル)

  進行は世論調査部のリードオフマン・中山準之助研究員、報告は村田ひろ子です。
  令和の時代の中高生たちが何を考え、どのような課題を抱えているのか。コロナ禍のストレスや悩み、ジェンダー意識などにも注目しながら、将来の日本社会を担う彼らの「いま」を知るための手がかりを探ります。多くの皆様のご参加をお待ちしています!

 

【申し込みはNHK放送文化研究所ホームページから】

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文研フォーラム 2023年02月15日 (水)

#454デジタル情報空間とメディア ~"信頼"のフレームワークをどう構築するか~

メディア研究部(メディア動向)村上圭子

 私は放送やメディアを巡る最新動向をウオッチし、俯瞰して分析したり、提言したりすることを主な業務としています。そのため、毎年3月に実施する「文研フォーラム」では、できるだけこの1年の動向を象徴するような、そして簡単には答えが見つからないようなテーマを設定して、建設的な議論の場を作ろうと試みています。ただ、年を追うごとに変化が激しくなり、政策の議論は複雑になり、関係する事業者も増えている気がします。毎年テーマ選びと登壇者選びにはとても苦戦していて、今回も悩みに悩んで、他のプログラムよりも遅れてシンポジウムの登壇者をようやく公表しました。遅くなって申し訳ありません!

Gprogram.png文研フォーラム プログラムGの詳細はこちら

テーマは「デジタル情報空間とメディア ~“信頼”のフレームワークをどう構築するか~」。なぜこのテーマを選んだのか、共有しておきたいと思います。

 本ブログでも繰り返し取り上げていますが、2021年秋から総務省では、「デジタル時代の放送制度の在り方に関する検討会(在り方検)」が続けられています。 私は地デジ化が終了した頃から、総務省で開催される放送やNHKの未来像に関する様々な検討会を傍聴、取材していますが、在り方検はこれまでの検討会と比べ、議論の組み立て方が大きく異なっていると感じています。
 在り方検以前の検討会では、前提とする問題意識は、通信と放送が融合していく時代に、放送がこれまでのような役割を果たしていくにはどのように通信を活用していけばいいのか、そのための制度改正をどのように進めていくか、でした。もちろん今回の在り方検でもそれは踏襲されていますが、議論を傍聴しているとそれにとどまらないものを感じます。議論では常に、ネット上で信頼できる情報を循環させる枠組みをどのように整備していくか、そしてその情報を確実に届けていく方法をどのように提供していけるかが問題意識の前提にあり、未来像の“主語”は放送ではなくデジタル情報空間そのものであるという印象を受けています。つまり、在り方検の議論の組み立て方は、増え続けるデジタル情報空間の課題に対して、放送は今後どのような役割を果たしていくべきか、それを推進していくためにどのような制度改正を行うべきか、であるといえると思います。
 ただ難しいのは、取材と編集機能を備えた信頼できる情報を提供する主体は放送だけではないということです。伝統メディアとしては新聞や雑誌、そしてネットメディアの中にも数多く存在し、日々取り組みを進めています。また、ネット上で情報を届けていくには、多くのユーザーが集うプラットフォームの存在を抜きには考えられません。プラットフォームの役割やメディアとの関係性については、グローバルなテーマとなっています。とはいえ、在り方検は国内の放送の未来像や放送制度改革を議論する場、つまり放送を“主語”とする議論にならざるを得ません。そのためしばしば議論は暗礁に乗り上げているようにもみえますが、それは、挑戦的で今日的な問題意識で既存の放送政策議論を超えようとしているが故のことなのだと私は受け止めています。今後も期待して傍聴、取材を続けたいと思います。

 さて、肝心の文研フォーラムの内容に戻ります。文研はNHKの組織であり放送文化に寄与することを目的としていますが、総務省の在り方検ほど議論に制約があるわけではありません。ですので、今回はあえて放送を主語には据えず、デジタル情報空間を主語に、放送、新聞、ネットメディア、プラットフォームという“事業者横断”で、“信頼”のフレームワークの構築について考えてみたいと思います。在り方検の問題意識も意識しつつ、それを越える議論もできればと思っています。
 そして、登壇者についてですが、今回は全て、現場で格闘し続けている方々にお願いしました。このテーマは研究者や啓発活動等の様々な取り組みを行う実務家も多い領域なのですが、どのような枠組みを検討したとしても、事業者の主体的な意思がなければそれが実装されることはないと思い、あえて“現場縛り”にしています。様々な事情や制約の中で抱いている課題意識や取り組みを、業界を越えて共有し議論していくことで、事業者自身によるリアルな競争や協創のあり方を探っていきたいと思います。
3月3日15時半から120分。真剣勝負の徹底議論を行う予定です。皆様のご意見もどんどん議論に反映させていきたいと思っています。ぜひ奮ってお申し込みください。お待ちしています!

【申し込みはNHK放送文化研究所ホームページから】
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調査あれこれ 2023年02月14日 (火)

#453 「低位安定」の岸田内閣 ~支える自民党支持者の動向は~

放送文化研究所 研究主幹 島田敏男

 1月23日に通常国会が召集され、6月21日までの150日間にわたる与野党論戦に入りました。ただ、ことしは4月に統一地方選挙があるため、4月中の会期を十分に活用できるとは限りません。それだけに濃密な議論と時間の使い方が政府にも与野党双方にも求められます。

 初日の施政方針演説で、岸田総理大臣は12の章立てをして、自らの内閣の向こう1年の基本方針を国民に訴えました。防衛力の整備強化、新しい資本主義の進展、子ども・子育て政策の推進などを並べましたが、具体策は後で示すというものが目立ちました。

 例えば、新しい資本主義の部分では、年功序列型賃金を見直し、構造的な賃上げを実現するために日本企業に合った「職務給」導入のモデルを6月までに示す。また、子ども・子育ての部分では、今の社会で必要とされる政策を取りまとめ、6月の骨太方針までに予算倍増に向けた大枠を提示する。

1月23日施政方針演説 1月23日施政方針演説

 一見すると締め切りの時期を示した誠実な姿勢に見えますが、裏を返せば結論の先送りです。見方を変えれば、5月のG7広島サミットまでは外交に専念し、内政課題については霞が関官僚の年間スケジュールに合わせて時間稼ぎをしているとも言えます。スピード感に欠けています。

 施政方針演説をもとに衆参両院での代表質問、そして衆議院予算委員会での質疑へと進んでいますが、答弁で具体的な政策内容が浮上している気配はありません。

 こうした中で、2月のNHK電話世論調査は10日(金)から12日(日)にかけて行われました。

☆あなたは岸田内閣を支持しますか。それとも支持しませんか。

 支持する  36%(対前月+3ポイント)
 支持しない  41%(対前月-4ポイント)
 わからない、無回答  23%(対前月±0ポイント)

NHK世論調査での岸田内閣の支持率は、去年7月に発足以来最も高い59%を記録した後、下降局面に入りました。去年12月と今月は、前の月より若干支持率がアップしましたが30%台のままです。「低位安定」が継続していると見ることができます。

 この「低位安定」を支えているものはと言えば、やはり自民党支持者です。2月調査でも自民党支持者のうち61%が岸田内閣を支持すると答えていて、支持するが17%の野党支持者、18%の無党派とは大きな差があります。

 ただ、自民党支持者の中にもテーマによってさまざまな考え方が存在し、岸田総理にとってもとらえどころに苦慮する面がありそうです。今月の調査から2つの項目を見てみます。

☆政府は増額する防衛費の財源の一部を確保するため、増税を実施する方針です。あなたはこれに賛成ですか。反対ですか。

 賛成 23% < 反対 64%

これを詳しく見ると次のようになります。

 自民党支持者 賛成 33% < 反対 58%
 野党支持者 賛成 17% < 反対 76%
 無党派 賛成 18% < 反対 71%

野党支持者、無党派ほどではありませんが、防衛費増額のための増税に対しては、自民党支持者でも否定的な考えが多いことが分かります。

 いつの時代でも国民は増税に警戒感を持ちます。それが何に使われ、どれだけ自分の暮らしの安定に役立つのかが明確にならなければ、簡単には賛成しません。

 岸田総理は、日本を取り巻く安全保障環境の悪化に対応する防衛費増額なので、今を生きる我々が負担すべきものとして、国債発行で将来につけを回す方法はとらないと明言しています。財政健全化を目指す観点から妥当な判断と言えます。

 しかしながら、この基本的な方針を最後まで貫くことができず、議論を続ける中で国債発行で賄うという結論に至ったならば腰砕けのそしりを免れません。まず、足元の自民党支持者に理解を得るための努力、とりわけ反撃能力を保有することが国民の命と日本の社会システムを守るうえでなぜ必要か、どこまで有効かの説明を尽くす必要がありそうです。

☆あなたは、男性どうし、女性どうしの結婚を法律で認めることに賛成ですか。反対ですか。

 賛成 54% > 反対 29%

こちらも詳しく見ると次のようになります。

 自民党支持者 賛成 51% > 反対 38%
 野党支持者 賛成 57% > 反対 33%
 無党派 賛成 62% > 反対 20%

この数字を見て、私は少々驚きました。自民党の国会議員などと話していると伝統的な家制度を継承すべきという主張が多いのですが、自民党支持者の数字からは野党支持者、無党派層と大きな傾向の違いを感じません。より多角的に調査してみる必要があるとは思いますが、自民党支持者の中にも時代の変化に身を添わせるべきという考え方が広がっているように感じます。

 今回の調査の1週間前に、総理秘書官が記者団に内閣の基本姿勢を解説する中で「同性婚は嫌だ」と発言して更迭される出来事がありました。本人が何を守ろうとしてこうした発言をしたのかは定かではありません。ただ、岸田内閣を支える自民党支持者に寄り添おうと考えて発言したとしたならば、これは少々現状を見誤っていたということなのかもしれません。

 「低位安定」の岸田内閣について見てきました。こういう状況の下で行われる4月の統一地方選挙。とりわけ41の道府県議会議員選挙が注目点になりますが、与野党の勢力図にどういう変化が現れるのかは流動的です。

 国会論戦の中で、岸田総理が先頭に立って具体的な中身に踏み込んだ発信を積み重ねることができるかが、政権を担う自民党にとって欠かせない要素になりそうです。

文研フォーラム 2023年02月13日 (月)

#452 Z世代と「テレビ」?

世論調査部(視聴者調査)保髙隆之

「ワールドカップ(W杯)の日本戦ですか? テレビ画面で見ていましたよ。…ABEMAの中継で」

大学生が当然のように答えたとき、私は軽いショックを受けました。

もちろん、ABEMAのサッカーW杯中継が多くの方に見られたことは報道で知っていました(実際の規模感については諸説ありますが)。しかしながら勝手にスマホでの視聴だと思い込んでいたのです。かつてのワンセグによる日韓共催のW杯中継のように。

この違いは非常に大きいです。つまり、放送も同時に行われていたのに、あえて「テレビ」という箱の中で動画サービスによる中継が選択されたのです。ときどき、「テレビ離れ」は「コンテンツ離れ」ではないから大丈夫、という放送業界の方がいらっしゃいますが、これは放送局にとっては言い訳ができない、まさに存在意義を問われるような事態です。
この大学生にとっては、「テレビ」という「機器」は既に「放送」を前提にしたものではありません。

では、彼や彼女たちにとっての「テレビ」とは何なのでしょう?

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今年のNHK文研フォーラムのプログラムB「Z世代とテレビ」(3月1日(水)午後2時~)では、デジタルネイティブの先駆けであるZ世代の大学生たちと、いまのテレビとのリアルな距離感、そしてこれからのテレビに期待することを語り合います。ゲストはメディア研究の第一人者である渡邊久哲さん(上智大学教授)とZ世代と未来を考えるプロジェクトを進める小々馬敦さん(産業能率大学教授)。文研からは「メディア利用の生活時間調査」など視聴者行動の分析が専門の舟越雅研究員が最新の調査結果を報告、保髙が進行を担当します。

pb_01.jpgのサムネイル画像上智大学文学部 渡邊教授

 

pb_02.jpgのサムネイル画像産業能率大学 小々馬教授

現在は本番に向けて大学生たちに鋭意取材中。その繊細な感性や合理的な考え方に驚かされたり、教えられたりする毎日です。ぜひ、当日の議論の行方をお楽しみに!

放送ヒストリー 2023年02月09日 (木)

#451長寿番組「名曲アルバム」制作の舞台裏

メディア研究部(番組研究) 河口眞朱美

モーツァルト「交響曲第38番

 今月、テレビは放送開始70年を迎えた。その中で、長い歴史を刻んでいる番組の一つが「名曲アルバム」である。放送開始は1976年、3年後には50周年を迎えるNHKの長寿番組である。5分という短い時間に、クラシックを中心とする音楽のエッセンスが詰め込まれ、作品に縁のある映像と曲にまつわるエピソードを紹介、通算およそ1300作品が放送されてきた。筆者も、当番組の制作に携わる機会を得、1999年秋にヨーロッパでロケを行い、他の業務と並行しながら6年かけて14曲完成させた経験がある。この番組の映像が資料映像と思われる向きもあるが、毎回、音楽の名所を訪ねている。筆者は、ハイビジョン放送開始の折にまとめられた「名曲100選」シリーズを中心に、サン・サーンスの「白鳥」やクライスラーの「愛の悲しみ」、バッハの「G線上のアリア」など、クラシックの名曲中の名曲を選曲、5か国でロケした。

エイク『笛の楽園』から「涙のパヴァーヌ」エイク『笛の楽園』から「涙のパヴァーヌ」

チャイコフスキー『四季』から「炉辺にて」「トロイカ」チャイコフスキー『四季』から「炉辺にて」「トロイカ」

 5分という時間が、聞き手にとって聞きやすいのか、この番組コンテンツは、CDブックでの売り上げも細く長く続く隠れたベストセラーである。放送も、フィルムからデジタル、ハイビジョン、そして4K・8Kとメディアが変わるたびに撮り方にもひと工夫加えながら、長年にわたって視聴者に届けられてきている。
 「名曲って何でも5分なんですか?」と真顔で尋ねられたこともあるが、むろん、選ばれた名曲は、1分にも満たない旋律から、優に1時間を超える交響曲なども対象になっている。ディレクターと編曲者とで知恵を出し合いながら、番組オリジナルになる方向性を決め、最終的には指揮者や演奏者との録音の場で、まとめられる。

シューベルト「未完成交響曲」

 例えば、1分に満たないものは、楽器編成を魅力的なものに変えて変奏曲にしたり、場合によっては、関連のある別作品と合わせ技でメドレーにするなど、工夫を凝らしている。大曲であれば、どの部分を引用するかによって、まるで違う作品になり得るわけだが、ベートーベンの第5交響曲「運命」であれば、冒頭の"ジャジャジャジャーン"であり、第9交響曲であれば、最終楽章の合唱付き部分と、より多くの人が聞いたことがあるであろう部分を取り上げることになる。そのエッセンスを中心にしつつ、他の要素も5分に織り込んで楽しめる作品に仕上げている。

ヨハン・シュトラウス「皇帝円舞曲」ヨハン・シュトラウス「皇帝円舞曲」

グリーグ『ペール・ギュント』から「ハリング舞曲」グリーグ『ペール・ギュント』から「ハリング舞曲」

 5分に仕上げる苦労といえば、録音の際の演奏者の苦労は半端ではない。音の放送尺としては、冒頭と最後の余韻を計算すると4分48~53秒くらいが適当な尺になるため、せっかく良い演奏をしても、この目安より長すぎたり短すぎたり、というだけでボツになってしまう。ふだんは時間など気にしない指揮者でも、ストップウォッチ片手にオーケストラに指示を出す。1曲1時間程度の収録時間だが、再生して確認する時間もあるため、結構、時間がかかる。一発でうまく収まれば、拍手喝さいで気持ちよく終わることができるのだが、なかなかそうはいかないのが収録の現場だ。

アリ・バローゾ「ブラジルの水彩画」アリ・バローゾ「ブラジルの水彩画」

 THE名曲を取り上げている「名曲アルバム」だが、むろん、隠れた名曲を紹介することもこの番組の目的の一つなので、CMソングなど、時代の空気を反映して耳にすることが増えた名曲は、その時々で紹介してきており、こんな例もある。1954年に亡くなったメキシコの作曲家バルセラータの「エル・カスカベル」は、このタイトルだけではピンとこないが、作品を聴くと多くの人が思い出すドラマがある。民放のドラマ「踊る大捜査線」、このドラマのテーマ曲冒頭が、エル・カスカベルを思い起こさせるのだ。作曲・編曲家の仕事は、デザインのパタンナーによく似ている、とある作曲家から聞いたことがあるが、記憶の集積が創造の源でもある音楽の世界では、こうしたことは決して少なくない。珍しい例ではあるが、日本では無名だったメキシコの作曲家バルセラータの名が知られるきっかけとなった。名曲アルバムならではのエピソードでもある。

文研フォーラム 2023年02月08日 (水)

#450 3月2日(木)14:30 放送アーカイブの『公共利用』を一緒に考えよう!

メディア研究部(メディア動向) 大髙崇

先月のブログでもお伝えしたように、文研の調査によって、地域の博物館や図書館では、過去の放送番組(放送アーカイブ)を利活用したいというニーズが高いことがわかりました。

放送局は、自局のアーカイブを活用して新たなコンテンツ制作は盛んに行っていますが、地域の公共施設などの求めに応じて放送局がアーカイブを提供し、施設などが主体的に利活用するケースは極めて少ないのが現状です。地域の人々から、このような「公共利用」を促すための放送局の取り組みへの期待が示されたのです。

アーカイブを、ただジーッと放送局の倉庫(は、昔の話で今はサーバー)に眠らせているよりは、そりゃあみなさんがいつでも見られるように公開していたり、申し込めばすぐ視聴できたりした方が良いでしょう、とはいうものの・・・

「著作権や肖像権は問題ないのか?」
「どうやって使いたい番組を探せばいいの?」
「料金は幾らくらいが妥当?」

などなど、考えるべき課題はたくさんあります。
現在、他局の番組やCMでの利用に対する有償販売など、主に「商用」を想定したアーカイブ提供のための一定のルールはありますが、営利を目的としない、公共性の高い利用への放送アーカイブ提供のルールはほとんど手つかずの状態です。

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そこで、文研フォーラムのプログラムD 放送アーカイブの『公共利用』では、調査結果の報告とともに、放送アーカイブが公共空間で利活用される意義、それを困難にしている課題と、その解決策を討論します。

ゲストパネラーは以下の3名です!

●福井健策さん(弁護士・デジタルアーカイブ学会法制度部会長)

福井健策さん

文化審議会の委員を歴任する福井さんは、デジタルネットワーク化が急速に進む中、著作物の利活用促進と権利者保護とのバランスが取れた新たなルール作りと、デジタルアーカイブ社会実現に向けた取り組みを精力的に行っています。

●岡室美奈子さん(早稲田大学教授/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 館長)

岡室美奈子さん

フジテレビの番組審議会副委員長で、NHK・民放の過去番組を保存・活用する放送番組センターの理事でもある岡室さんは、放送アーカイブの公共利用が進むことに、放送の新たな社会的役割が見いだせる、といいます。

●坂下雅子さん(学芸員/石川県小松市立博物館参事)

坂下雅子さん

今回、放送アーカイブの公共利用に関する調査に回答いただいたお一人である坂下さんは、長年キュレーターとして地域の人々に文化を紹介してきた現場担当者の視点から、放送アーカイブの利活用によって、博物館と地域の新たなつながりを感じています。

放送開始100年(2025年)も間近。放送局の新たな社会的使命を探る熱い討論となるはずです。お申し込みとご参加、そしてご意見をお待ちしております!

『放送研究と調査』2022年12月号に「放送アーカイブ×地域」と題して、地域公共文化施設等での放送アーカイブニーズ調査の結果を論文にまとめて掲載しています。併せてご覧ください。

メディアの動き 2023年02月06日 (月)

#449 シリーズ「深刻化するネット上の誹謗中傷・いま何が必要なのか」(3) ~いまマスメディアに期待される役割とは

放送文化研究所 渡辺健策

 シリーズ第3回は、ネット上の誹謗中傷の被害拡大を防ぐために、マスメディアにどのような役割が期待されているのかを考えます。
 第1回のインタビュー記事で、ネット上で誹謗中傷を受けた被害者の裁判を担当する小沢一仁弁護士は、SNSなどに投稿される誹謗中傷や、その原因となる不正確な情報をマスメディアがいち早く打ち消すことで被害の拡大を防げると述べていました。多くの被害者と思いを共有する弁護士のこの指摘には重みがあります。
 被害者にとって、救済を求める裁判の労力と費用の負担は大きなものです。提訴したことをネット上で非難される二次的な被害に耐え、仮に勝訴しても認められる賠償額は低く、裁判費用をまかなうのも難しいのが現実です。1また、ひとたび拡散してしまった投稿を完全に消すことは難しい「デジタル・タトゥー」の問題もあるため、誹謗中傷対策を考える上では、何よりも発生・拡散を防ぐことが重要です。
 いまマスメディアに期待される役割とは、どのようなものなのでしょうか。

<マスメディアとソーシャルメディアの"相互作用">

 まず前提として考えなければいけないのは、ネット上の誹謗中傷を含む誤情報・偽情報が拡散していく過程で、マスメディアが伝える番組・ニュースなどの発信内容とソーシャルメディア上の投稿との"相互作用"がはたらいていると指摘される点です。

 法政大学の藤代裕之教授は、誤情報・偽情報を含むニュース(=フェイクニュース)は、テレビなどのマスメディアが生成を助長しており、マスメディアとソーシャルメディアの間の"相互作用"で広がっていると指摘しています。2「SNSの話題がニュース化する過程で、マスメディアのコンテンツがソースとして使われることが多い。ソースとして使われる中で内容がねじ曲げられていく、違うものにされて使われていく」と分析し、その「発生」と「拡散」の双方のプロセスにマスメディアが関わっていると言及しています。こうしたソーシャルメディア上のフェイクニュースの発生・拡散にマスメディアが深く関わっているという捉え方は、多くの研究者によって報告されています。3

 では、誹謗中傷やその原因ともなる誤情報・偽情報の発生に、マスメディアはどのように関わっているのでしょうか。冒頭に触れた小沢弁護士が裁判を担当した2つの誹謗中傷被害のケースをもとに検証します。
 1つめのケースは、2019年8月に常磐自動車道であおり運転をしたドライバーが、相手の車を停止させた上、運転席の男性を殴った事件です。民放の番組で放送されたドライブレコーダーの映像には、容疑者の男とともに車から降り、被害者に携帯電話を向けて撮影している女性の姿(顔にボカシ入れて放送)が映っていました。ネット上の投稿では"ガラケー女"と呼ばれ、映像から分かる服装などを手がかりに、身元の特定を試みる動きが一部に広がりました。その結果、何の関係もない別の女性を"ガラケー女"だと名指しする誤情報がネット上に広がり、間違われた女性に対する激しい誹謗中傷につながったのです。4

警察庁リーフレット「あおり運転厳罰化」 警察庁リーフレット「あおり運転厳罰化」

 この「あおり運転殴打事件」は当時、高速道路などで繰り返されていたあおり運転の1つとして、報道で大きく取り上げられ、その後、国が厳罰化を進めるきっかけとなりました。その点では、マスメディアが積極的に伝えたことの意義はあり、社会課題の解決に向けて世論が国の施策を動かしたことは評価されるべきでしょう。しかし、副作用として、ネット上で人違いが発生し、何の罪もない一般の市民が突然、多数の誹謗中傷を受けることになりました。
 もう1つのケースは、2019年9月に山梨県道志村のキャンプ場で小学1年生の女の子が行方不明になり、大規模な捜索が行われた時のことです。母親や知人らが始めた捜索のための募金活動などをめぐって、母親を誹謗中傷する投稿が相次ぎました。警察や消防が広い範囲で捜索を続けていましたが、女の子の手がかりを見つけることはできず、約2週間後に捜索は打ち切られました。5このケースでも、連日、マスメディアが捜索の状況を詳しく報道しました。一連の報道は、大勢のボランティアが独自の捜索に参加するなど、少しでも早く女の子を発見してあげたいという思いをもつ人たちを動かしました。このときの捜索で発見には至りませんでしたが、多くの人が自発的に協力してくれたという点で社会的な意義があったといえます。その一方で、連日の報道を通じて全国に名前が知られるようになった母親に対し、誹謗中傷の言葉が向けられることにつながりました。
 2つのケースは、積極的な報道に伴って、さまざまな臆測や思い込みといった誤情報や偽情報がネット上に広がるようになり、それらの誤った情報を信じた人が誹謗中傷を始める、という構図になっていました。こうしたネット上の誤情報・偽情報を信じた人が、独自の"正義感"から誹謗中傷を行うというプロセスは、他の事例でも報告されています。6

<なぜ誹謗中傷につながってしまうのか>

 マスメディアによる報道とネット上の誹謗中傷との関係を考える上で1つのヒントになるのが、「流言」をめぐる研究の分析手法です。「流言」とは、根拠のないうわさ、事実の裏付けがなく人びとの間に広がっている情報で、7インターネットの普及よりはるか前から、社会心理学や社会学の研究の対象となってきました。「流言」には、のちに事実と確認される情報も含まれ得るという点では誤情報・偽情報と異なりますが、『事実の裏付けがないまま広がる』という点は共通しています。どんな時に流言が広がりやすいかという分析手法は、誤情報・偽情報や誹謗中傷の発生過程を考える上で手がかりになります。

流言をめぐる研究書 R(流布量)= i(重要さ) × a(あいまいさ) 流言をめぐる研究書 R(流布量)= i(重要さ) × a(あいまいさ)

 ハーバード大学のG.W.オルポートらの研究グループは、流言が拡散される量は、情報を受け取る人にとっての「重要さ」と、その情報の「あいまいさ」の積に比例するという仮説を立てて分析しています。ポイントは、足し算ではなく、かけ算で、流言の広がりやすさを分析していることです。つまり、情報の「重要さ」と「あいまいさ」のどちらか一方がゼロなら、拡散量もゼロで、流言が広がることはありませんが、どちらか一方、あるいは双方が大きくなるほど、流言は大規模に広がっていく、ということを意味します。8
 この「重要さ」「あいまいさ」という2つのキーワードをもとに考えると、前述の2つの誹謗中傷被害のケースは、どちらもマスメディアが大きく取り上げたことで社会的な関心が高まり、受け手にとっての「重要さ」が上昇していたと考えられます。また、"ガラケー女"のケースでは、指名手配中の容疑者の男と、映像に映る同行女性の関係がよく分かっていなかった上、女性の顔にはボカシが入れられ、「あいまいさ」が顕著な状況になっていたことがうかがえます。

『新聞研究』2022.8-9 『新聞研究』2022.8-9

 山梨県道志村で起きた女の子行方不明のケースについては、地元紙の報道部部長が一連の報道を振り返る論稿を『新聞研究』に執筆しています。この中では、当時取材した担当記者の所感を紹介し、「根拠がなさ過ぎて、事故なのか、事件なのか判断に困るという雰囲気だった」と記しています。また、大規模な捜索を行ってもいっこうに手がかりが見つからない中で捜索が打ち切られ、その一方で、情報提供を呼びかけるチラシを配ったり募金活動をしたりする母親への取材が過熱していった経緯も記されています。9事故か事件か見当がつかず、手がかりもない、いわば謎が深まるような状況だったことがうかがえます。連日の報道で受け手にとっての「重要さ」が高まるとともに、「あいまいさ」も顕著になる中で、誤情報や偽情報がネット上に広がり、それに連なる誹謗中傷も増えていったと考えられます。
 当時このニュースがどのくらいの頻度で報じられていたかを振り返ると、例えばNHKでは、捜索が始まった9月22日から捜索が打ち切られた10月7日までの16日間、連日ニュースで報じており、とりわけ首都圏のローカルニュースでは、その多くがトップニュースまたはトップに準ずる上位項目という扱いでした。他のマスメディアも全体として、このニュースを大きく取り上げる傾向が長く続いていました。

国際大学 山口真一准教授 国際大学 山口真一准教授

 国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの山口真一准教授は、「2週間にわたってずっとトップ級のニュースなのかというと、おそらくそういう話ではない。報道の負の側面が次第に大きくなって、テレビのニュースを見ている側は、何回も見ているうちに『これって実は』などと疑い始める人が増えてくる。その影響力は、マスメディアに関わる一人一人が考えるべきで、過去の事例をふまえながら、自らの影響力を認識すべきところがあると思う」と述べています。10

<デジタル情報空間にどう向き合うべきか~打ち消し報道>

 正確な事実を伝えることで社会のニーズに応えるマスメディアが、その使命を果たしつつ、副作用ともいえる誤情報・偽情報や誹謗中傷の拡散を防ぐためには、どうすればいいのでしょうか。

マスメディアによる「打ち消し報道」/●迅速な事実確認が可能 ●拡散力への期待 ●報道倫理上の責任

 前述の2つのケースも含め、事件事故の当事者に関する誤情報・偽情報については、警察や消防などを取材しているマスメディアは、事実かどうかの確認を比較的しやすい状況にあります。また、マスメディアがニュースの続報として打ち消し報道を行えば、一定の拡散力も期待できます。実際、"ガラケー女"との人違いのケースでは、小沢弁護士が事実無根であるという声明文を出した後、一斉に打ち消し報道が行われ、誹謗中傷の拡散にブレーキをかけたといいます。11
 東京大学の鳥海不二夫教授は、「大手メディアは、いまだに大きな影響力を持っています。誤情報を掲載しないようにすることはもちろん、ファクトチェックなどによって、社会に広まってしまった誤情報を訂正する機能を持つことも期待されています。もちろん、大手メディア自身が誤情報を発信してしまった場合は、自らそれを責任もって訂正することも求められているでしょう」と述べています。12
 自ら誤報を出してしまった場合は当然ですが、そうでない場合でも、みずから伝えた情報がネット上を流通する過程でゆがめられ、誤情報・偽情報につながったという"相互作用"が疑われるのであれば、報道倫理の観点からも、誤った情報を打ち消す合理的な理由があるように思います。

<マスメディアの伝え方の工夫>

 打ち消し報道に加えて、もう1つ考えなければならないのが、誤情報・偽情報の発生・拡散そのものを抑制するための、マスメディアみずからの伝え方の工夫です。
 これまでマスメディアで取材・出稿に携わってきた記者や編集者にとって、最も重要なことは、伝えるニュースが事実として確認できているかどうか、ニュースそのものの真実性でした。しかし、社会の急速なデジタル化によって、マスメディアの発信した情報が、受け手側の解釈や臆測、思い込みなどによってねじ曲げられ、まったく違った内容になって拡散されることが多くなっているのが現実です。
 最近は、マスメディアの取材手法の1つとして、SNS上の投稿から、いち早く情報を入手することが日常的に行われるようになってきました。報道機関によっては、専従のチームもつくっています。
 藤代教授は、「マスメディアにはSNSの反応を見ているチームもあるのに、そこで得た情報が番組に反映されない場合がある。取材の端緒をつかむツールとして使っているにすぎず、放送がどう受け取られているかという意識は乏しい。視聴者の誤解を解いたり、誹謗中傷の被害を防止したりするためのコンプライアンス的な対応を現場に落とし込むことを検討した方がいい」と述べています。13前述の「重要さ」と「あいまいさ」のかけ算によって流言の拡散が大きくなることがあるという視点もふまえ、ニュースの取り上げ方や表現方法を工夫することで、誤情報・偽情報の発生をできるだけ予防できないか、マスメディアの伝え方に、検討の余地はあるように思います。

<マスメディアによるファクトチェック>

 一方、ネット上の疑わしい情報を検証する取り組みについてはどうでしょうか。インターネット上の本当かどうか分からない情報について、事実かどうかを検証・判定するファクトチェックは、海外では、マスメディアを含むさまざまな団体によって積極的に行われ、国際ファクトチェックネットワーク(IFCN)が定めた原則綱領に基づいて、国境を越えた連携が強まっています。

IFCNのホームページより IFCNのホームページより

 しかし、日本ではこれまで独立系メディアや民間団体が中心となって進められてきました。最近は、新聞社やテレビ局の一部が力を入れ始める動きもありますが、14全体としてマスメディアによるファクトチェックは出遅れてきたと指摘されています。15
 日本大学の石川徳幸准教授は、「流布された誤りをただして、正確な情報を不特定多数の人びとに提供し直すのは、マスメディアが最も適任である。SNSを介した情報接触には、『フィルターバブル』や『エコーチェンバー』と呼ばれる集団極性化16をもたらす特性が指摘されているが、新聞をはじめとするマスメディアの社会的役割として期待すべきは、伝えるべき正しい情報を取捨選択して、理性的な議論を促すことであろう」と記しています。17また、マスメディアによるファクトチェックの効果について、山口准教授は、「しっかりと検証した報じ方をすれば、その情報がSNSにも流入して拡散していくということもあるので、ポジティブな共振現象が起こるのではないか。そこをしっかりとやるというのはとても大切なことだと思う」と期待感を示しています。18

<今後の課題>

 日本のマスメディアによるファクトチェックを普及させるには、何が課題となるのでしょうか。
 藤代教授は、日本の既存メディアの記者には、取るに足らない不確実な情報をフェイクニュースとして対応することをためらう考えがあると指摘しています。また、2018年9月に行われた沖縄県知事選の際に地元紙が行った候補者などに関するフェイクニュースの検証事例を紹介した上で、「通常の取材に比べて確認作業に労力がかかるために記者の大きな負担になっていた」と記しています。19報道に携わる人たちの意識改革と負担軽減の工夫が、ファクトチェックを普及させるためには欠かせません。
 また、マスメディア自身の誤報や過熱報道、ミスリードなどによって、メディアへの信頼が大きく揺らいでいることも、情報空間の汚染に拍車をかけています。20
 藤代教授は、ネット上を流れるニュースが記事単位で断片化していることに触れ、ソーシャルメディアの生態系の中で適切に記事が届くように配慮すべきで、正確な情報の流通のためには、追記や訂正といった更新履歴やソースへのリンクをネット配信記事に掲載する必要があると指摘しています。その上で「既存メディアが、ソーシャルメディア時代に取り組むことは、いいね数やページビューを稼ぐことではない。ソーシャルメディアのスピードや熱狂から距離を取り、様々な角度から検証を行い、冷静に対応すべきだ。メディアの役割は分断ではなく、社会をつなぐものである」と提言しています。21

 膨大なネット情報を1つのマスメディアだけで網羅的にチェックすることは困難ですが、まずは優先順位の高い▼人びとの生命・安全、▼個人の尊厳と人権、▼民主主義の土台となる選挙の公正を対象に、これらを危機にさらす誤った情報が大規模に広がり始めた時に、マスメディアが事実関係を検証して報じることには価値があると思います。マスメディアが互いに連携し、ファクトチェック団体やプラットフォーム事業者とも協力すれば、デジタル空間を正しい情報が循環する環境をつくることも不可能ではないでしょう。22
 マスメディアには、正確で多様な情報を社会に届ける役割に加えて、ネット上の情報のやりとりを注意深くウオッチしながら、デジタル空間の汚染の歯止めとなることも期待されているのではないでしょうか。誰でも情報交換や表現活動を自由にできるネット空間の特性を今後もいかし、育てていくため、どのような役割を果たせるのか、引き続き模索していきたいと思います。


【注釈および引用出典・参考文献】
  • さはらえり『ネット社会と闘う~ガラケー女と呼ばれて~』(リックテレコム,2021年)69-70頁
  • 藤代裕之『フェイクニュースの生態系』(青弓社,2021年) 17頁、68-71頁、 Yochai Benkler, Robert Faris, Hal Roberts『Network Propaganda』(Oxford University Press, 2018)
  • 藤代裕之(筆者インタビューへの回答,2022年12月)、藤代裕之 前掲2『フェイクニュースの生態系』、山口真一『ソーシャルメディア解体全書』(勁草書房,2022年)、鳥海不二夫・山本龍彦『デジタル空間とどう向き合うか 情報的健康の実現を目指して』(日経BP日本経済新聞出版,2022年)、福長秀彦「新型コロナウイルス感染拡大と流言・トイレットペーパー買いだめ~報道のあり方を考える~」『放送研究と調査』2020年1月号(NHK出版)
  • 前掲1 さはらえり『ネット社会と闘う~ガラケー女と呼ばれて~』18-25,52-55頁
  • その後、2022年4月に山梨県道志村の山中で人の骨の一部や、女の子のものと見られる運動靴、服装の一部が見つかった。骨のDNA型が一致したことなどから、警察は、女の子の死亡が確認されたという見解を示した。
  • 山口真一「わが国における誹謗中傷・フェイクニュースの実態と社会的対処」(プラットフォームサービスに関する研究会 第26回資料3,2021年4月)9頁
  • 福長秀彦「流言・デマ・フェイクニュースとマスメディアの打ち消し報道~大阪府北部の地震の事例などから」『放送研究と調査』2018年11月号(NHK出版) 86頁
  • G.W.オルポート&L.ポストマン著 南博訳『デマの心理学』(岩波現代叢書,1952年)、
    T.シブタニ著 広井修・橋本良明・後藤将之訳 『流言と社会』(東京創元社1985年)、
    R. L. ロスノウ、G. A. ファイン著 南博訳 『うわさの心理学』(岩波現代選書,1982年)
  • 山梨日日新聞社報道部部長 藤原祐紀「山梨女児不明事件報道を振り返る―2年半越しの死亡断定も死因分からず」(新聞研究No.847,2022年8-9月号 48-51頁)
  • 山口真一(筆者インタビューへの回答,2022年12月)、
  • 前掲1 さはらえり『ネット社会と闘う~ガラケー女と呼ばれて』52-56頁
    例えばNHKでは、弁護士の声明が発表された翌日の8月19日の夜7時の全国ニュースで人違いによる被害が起きていることを伝えたほか、WEBの特集記事では人違いによる誹謗中傷が発生した経緯を伝えている。「"起きたら犯罪者扱い"いったいなぜ」(NHK生活情報ブログ)
  • 前掲3 鳥海不二夫・山本龍彦『デジタル空間とどう向き合うか 情報的健康の実現を目指して』66頁
  • 藤代裕之(NHKのインタビューへの回答,2022年12月)
  • 日本国内では、推進団体の「ファクトチェックイニシアティブ(FIJ)」が活動しているほか、「日本ファクトチェックセンター(JFC)」、独立系メディアのBuzzFeed Japan、InFactなど、新聞では毎日新聞、朝日新聞、沖縄タイムス、琉球新報などがファクトチェックを行っている。また、放送局では日本テレビとNHKが一部でファクトチェックの手法を取り入れているほか、ポータルサイトなどを運営するプラットフォーム事業者がファクトチェックに関する活動にコミットする動きも出ている。
  • 「Innovation Nippon調査研究報告書 日本におけるフェイクニュースの実態と対処策」(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター,2020年3月)116-117頁、藤代裕之「ソーシャルメディアで広がる『デマ』それに結びつく既存メディア攻撃」(Journalism 2020.6)31頁
  • 「集団極性化(サイバーカスケード)」=集団の意思決定が個人の決定の平均に比べて、より極端な方向に偏る現象(日本社会心理学会編『社会心理学事典』丸善2009年)、インターネットの特定のサイトや掲示板などでの意見交換で、ある事柄への賛否いずれかの論が急激に多数を占め、先鋭化する傾向を持つというもの(松村明監修『大辞泉』小学館,2012年)
  • 石川徳幸「デジタル時代の新聞産業とジャーナリズム」(情報の科学と技術68巻9号,2018年) 437頁
  • 山口真一(筆者インタビューへの回答,2022年12月)
  • 前掲2 藤代裕之『フェイクニュースの生態系』80,139頁
  • 前掲15 藤代裕之「ソーシャルメディアで広がる「デマ」それに結びつく既存メディア攻撃」32頁 前掲6 山口真一「わが国における誹謗中傷・フェイクニュースの実態と社会的対処」15頁
  • 前掲15 藤代裕之「ソーシャルメディアで広がる「デマ」それに結びつく既存メディア攻撃」34頁
  • BBCなどが進める有害な偽情報・誤情報に関する知見や対策方法を共有する国際的なメディアネットワークTrusted News Initiative にNHKや豪州ABCなどアジア地域のメディアが2022年11月に参加を表明した。
おススメの1本 2023年02月06日 (月)

#448 『おかあさんといっしょ』と外部クリエーターたち~テレビ放送開始70年特別番組に関連して~ 

メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎

今年、テレビが放送開始して70年になります。その中で『おかあさんといっしょ』をはじめとするNHK子ども向け番組の歴史に焦点を当てた特集番組『「おかあさんといっしょ」から見るこども番組』が2月11日(土)午後8時~Eテレで放送されます。2月19日(日)には再放送が予定されています。
「テレビ70年」キャンペーンのNHKホームページ

文研ではこれまで幼児向け番組の変遷や初期『おかあさんといっしょ』についての論考を発表し、文研ブログでもさまざまなテーマを扱ってきました。今回の特集番組もその成果を参考にして制作されています。
『おかあさんといっしょ』をはじめとする幼児向け番組は、多くの外部クリエーターが関わっています。彼らがどのようなことを考えて番組制作に関わり、また当時のプロデューサー、ディレクターが彼らを起用した背景にはどのようなねらいがあったのか、特集番組では普段の番組からはうかがうことができない作り手たちの思いが掘り下げられています。

trimtakahashi.png 飯沢匡さん

small.png    「ブーフーウー」などの台本

取材の過程で、番組初期の人気コーナー「ブーフーウー」(1960~1967)を生み出した作家・飯沢匡さんのご遺族に資料提供などでご協力いただくことができました。ご自宅には貴重な資料が保管されていました。「ブーフーウー」以外にも「ダットくん」(1967~1969)、「とんちんこぼうず」(1969~1971)、「とんでけブッチー」(1971~1974)、「うごけぼくのえ」(1974~1976)、「ペリカンおばさん(1976~1978)、「おもちゃおじさん」(1978~1979)、「ミューミューニャーニャー」(1979~1983)など、飯沢さんが23年間にわたって『おかあさんといっしょ』のために執筆した730冊の台本です。

番組では、飯沢さんとコンビを組んで「ブーフーウー」などのキャラクターデザインを手がけた画家の土方重巳さんの資料も紹介しています。(人形の製作をしたのはアニメーション作家で人形作家の川本喜八郎さんです。)土方さんはキャラクターデザインの先駆け的存在で、製薬会社のゾウのキャラクター・サトちゃんのデザインが広く知られ、その画業を振り返る展覧会が横須賀美術館で開催されるなど改めて注目を浴びています。NHKアーカイブスのHPでは、お二人が関わった「ブーフーウー」「ダットくん」「うごけぼくのえ」「ミューミューニャーニャー」の映像が一部公開されていますので是非ご覧ください。 
NHKアーカイブス ホームページはこちらから

飯沢さんや土方さんがどのような思いで『おかあさんといっしょ』の人形劇を生み出し、20年以上かかわり続けたのか、またそれは時代の変化とともにどのように変わったのか、残された資料をひも解くことで今後明らかにすることができるかもしれません。特集番組をご覧になって『おかあさんといっしょ』の歴史に関心を持たれましたら、以下のリンクをのぞいてみてください。

【文研ブログ】
『おかあさんといっしょ』の60年① ~"婦人課"の女性職員たち~ | NHK文研
『おかあさんといっしょ』の60年② ~日本の人形アニメーション夜明け前~ | NHK文研
『おかあさんといっしょ』の60年③ ~"子どもの歌"の"おかあさん" 作曲家・福田和禾子~ | NHK文研

 【論考】
「NHK幼児向けテレビ番組の変遷」
「初期『おかあさんといっしょ』失われた映像を探る』」