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放送博物館

放送博物館 2020年11月04日 (水)

#281 NHK放送博物館で「キトラ古墳壁画 国宝への道のり ~四神をとらえたカメラ~」の展示を開催中です

放送博物館 山本さぎり


 NHK放送博物館では、10月24日から企画展「キトラ古墳壁画 国宝への道のり ~四神をとらえたカメラ~」を開催しています。

 この企画展は、2019年に国宝指定されたキトラ古墳の壁画をはじめて映し出したのがNHKのカメラであること、2020年が文化財保護法制定70年にあたることから、キトラ古墳の壁画調査の内容を中心に、NHKがこれまで数多く文化財の調査・保護や活用に関わっていることを映像や資料をもとに紹介しています。ここでは展示のテーマと概要を紹介します。

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1. キトラ古墳の石室内に描かれた壁画とNHKのカメラ
 1983年、奈良県明日香村にあるキトラ古墳の本格的な調査がはじまりました。11月7日に行った第1次探査で、石室内に入ったのがNHKのファイバースコープカメラです。この時、北壁に四神の「玄武」が映し出されました。この映像はテレビを通じて世間の注目を大いに集めました。
 その後1998年3月5日と6日に第2次探査が行われました。この時はNHKが古墳探査用に開発したロボットカメラが使われ、四神の「白虎」と「青龍」、そして天井に天文図があることがわかりました。この<古墳探査用ロボットカメラ>は放送博物館が所蔵しています。
 展示では、入口で第1次・第2次探査でカメラが石室に入り壁画を見つける映像をご覧いただけます。会場に入ると、1/2サイズの古墳石室模型と古墳探査用ロボットカメラが並ぶとともに、実物のおよそ2倍の大きさで再現した石室内部の壁画の様子を体験できるコーナーもあります。

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企画展示室入口


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キトラ古墳石室模型(1/2サイズ)と1998年の探査で使用した古墳探査用ロボットカメラ

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石室内体験コーナー ※石室画像は、国(文部科学省所管)、奈良文化財研究所提供

2. NHKと文化財
 NHKはこれまで内外の貴重な文化財について、研究者とともに調査や追跡取材を重ね記録し、番組を制作・放送しています。それだけでなく、ドラマや教養番組での再現シーン、学校教育用としても多く活用しています。
 展示では、文化財の復元・再現の記録、歴史ドラマや教養番組での再現方法、そして8Kカメラで撮影した文化財の高精細画像の活用などを、番組と参考にした資料などから紹介します。
 また当館では、昭和天皇が戦争の終結を伝えた「終戦の詔」の玉音盤を保存しながら展示しています。この復元から展示への経緯を解説しています。
 玉音盤は当館3階「ヒストリーゾーン」で、8Kスーパーハイビジョンの番組は中2階「愛宕山8Kシアター」でぜひご覧ください。

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NHKと文化財コーナー展示風景

 紹介した内容は、NHKが文化財と関わった取り組みのごく一部にすぎませんが、ぜひお越しいただき展示を通じて番組を作る人々に思いをはせてみてください。


NHK放送博物館 企画展「キトラ古墳壁画 国宝への道のり ~四神をとらえたカメラ~」
会期  :2020年10月24日(土)~12月25日(金)
会場  :3階 企画展示室
休館日 :月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は火曜日休館)、年末年始
入場料 :無料
開館時間:午前10時~午後4時
所在地 :〒105-0002 東京都港区愛宕2-1-1
TEL  : 03-5400-6900


放送ヒストリー 2020年08月07日 (金)

#263 『おかあさんといっしょ』の60年③ ~"子どもの歌"の"おかあさん" 作曲家・福田和禾子~

メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎


 『おかあさんといっしょ』は、毎月1曲程度、既存曲やオリジナル曲を番組内で紹介しており、これらの一連の曲は1986年から「月の歌」の名称がつけられ親しまれるようになっています。(1961~1966年の間は『うたのえほん』という別番組の企画でしたが、1966年以降『おかあさんといっしょ』に統合されました。詳しくは「NHK放送文化研究所年報2020」掲載、「NHK幼児向けテレビ番組の変遷」参照)
 一時期途絶しているものの、番組班では1961年から「月の歌」(1986年にその名がつくまではこれらの一連の曲には固有の名前がありませんでしたが、この稿では名称がついていなかった時期も含めて「月の歌」とします。)の曲の記録を残しており、400曲以上に上る楽曲リストを見ると、作曲者名から、時代の傾向を伺うことができます。

 1960年代には、中田喜直さん、林光さん、富田勲さん、團伊玖磨さん、服部公一さんなど、クラシック音楽をバックグラウンドに持つ作曲家が並びます。1970年代の記録はありませんので、1980年代に目を移すと、五輪真弓さん、小椋佳さん、村下孝蔵さん、深町純さんなど、フォーク、ニューミュージックやフュージョン系のミュージシャンの名前が見られるようになり、2000年代に入ると、奥居(岸谷)香さん、中西圭三さん、平沢進さんなど、ロック、ポップス系のアーティストの名前が連なるようになります。性別で見ると、男性が圧倒的に多く、昔ほどその傾向が強いようです。

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福田和禾子さん

 その中で最も多くの曲(25曲)を「月の歌」に提供したのが、福田和禾子さんです。福田さんは1941年、流行歌手の松平晃さんの一人娘として生まれました。父の影響で幼少期から音楽を始め、高校から作曲を専攻し、東京芸術大学作曲科へと進学。そして卒業後すぐ、藤山一郎さんのピアノ伴奏などを務めながら、童謡作曲家として活動を始めました。

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「ぼうずのうた」譜面

 福田さんが手がけた「月の歌」の中で最も古い曲として、1969年1月の「ぼうずのうた」が記録に残っています。同番組で発表した代表的な曲として、「そうだったらいいのにな」「北風小僧の寒太郎」(のちに『みんなのうた』でも放送)「銀ちゃんのラブレター」などがあります。他にも『みんなのうた』で、「赤鬼と青鬼のタンゴ」や「ありがとう・さようなら」などを、NHKの教育番組『おーい!はに丸』や『たんけんぼくのまち』などの主題歌も数多く担当しています。また作曲だけでなく、1972年には『おかあさんといっしょ』にスタジオピアニストとして出演しているほか、出演者の歌唱指導も担当するなど、『おかあさんといっしょ』やNHK教育番組に多大な貢献をしました。


 2008年10月、福田さんは『おかあさんといっしょ』ファミリーコンサートの録音作業の休憩中に倒れ、66歳で急逝されました。生涯一貫して子どもの歌を作り続け、1000曲を超える作品を残した福田さん。まだ女性の作曲家が少なかった時代に、自らその道を切り拓いたパイオニアでした。
 福田さんには息子さんが一人います。長男・匠さんは現在眼科医をされていて、2017年に医師会の機関紙に「私の母・福田和禾子」という文章を書いています。そこには、小さいころ録音スタジオに付いて行き、仕事をする母親の姿を見て「子供ながらに、かっこいい人」と思ったこと、また福田さんが仕事に関して大変厳しい考え方を持っていて、「『仕事は、人生を掛けて、死ぬ気で取り組まないとならないし、死ぬまで勤め上げないとならない。』と何度も叱咤激励された」ことが書かれています。
 福田さんが作曲した曲の中に「あのねママ」という歌があります。文章では音をお聞かせできないので、歌詞(作詞:田中大輔・井出隆夫)の一部を以下に引用します。

ママのたいせつな たからもの
それはね あなたのことば

あのねママ ボクどうして
うまれてきたのか しってる?
ボクね ママにあいたくて
うまれてきたんだよ

ほしぞらの どこかで
あたらしいいのちが
きらりん きらりん
うまれる そのときを
そっと まってたの
それが あなた

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「あのねママ」(1998年12月)

「あのねママ」は、あらゆる子どもが母親から生まれるという必然の不思議さと、その出会いの幸せを、母子が互いに話しかけるという形で描いた作品です。1児の母親である福田さんもさまざまな思いを込めて、この曲のメロディを紡いだにちがいありません。


NHK放送博物館では、7月4日~9月27日にかけ企画展『~パパもママもみていた!~おかあさんといっしょ』を開催しています。


放送ヒストリー 2020年07月31日 (金)

#262 『おかあさんといっしょ』の60年② ~日本の人形アニメーション夜明け前~

メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎



 
『おかあさんといっしょ』を始めとするNHKの幼児向け番組は、初期のころから優れた外部のクリエーターを登用することで発展してきました。(詳しくは「NHK放送文化研究所年報2020」掲載、「NHK幼児向けテレビ番組の変遷」参照)今回は、着ぐるみ人形劇「ブーフーウー」を生み出した作家の飯沢匡さんと人形美術家の川本喜八郎さんの関係に焦点を当て、お二人が手がけた人形アニメーションをご紹介します。

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『おかあさんといっしょ』オープニング・タイトル
「魔法の箱」(1961)

 これは、1961年から『おかあさんといっしょ』で放送されたオープニング・タイトル「魔法の箱」の映像です。小さな箱からクマやウサギなどのぬいぐるみが次々に現れる様子を、1分の人形アニメーションでユーモラスに描いています。
 制作したのは、連続人形劇『三国志』『平家物語』などの人形美術家として知られる川本喜八郎さんです。川本さんは世界的な人形アニメーション作家としても知られていますが、この作品は、川本さんが作家としてオリジナル作品を発表する以前のものです。
 川本さんが人形アニメーションを志すきっかけを作ったのが飯沢匡さんでした。戦後まもなく、飯沢さんは東宝で美術の仕事をしていた川本さんの才能に目を付け、自身の舞台の人形製作を依頼するようになります。1951年には、デザイナーの土方重巳さん、写真家の隅田雄二郎さんたちとともに「人形芸術プロダクション」を結成。翌年、人形絵本を手がけ、文部大臣激励賞を受賞するなどの評価を得ます。
 しかし川本さんは、人形作りが自分の一生の仕事なのか悩んでいたといいます。当時の価値観は今と大きく異なっており、人形は女性や子どものためのもので、多くの人たちには成人男性が生計を立てる仕事とは思われていなかったようです。
 そんな時、飯沢さんから、チェコスロバキアの人形アニメーションの試写に誘われ、そこでイジィ・トルンカの長編映画『皇帝の鶯』と出会います。衝撃を受けた川本さんは、人形アニメーションを志すようになります。

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川本喜八郎、(左)、持永只仁(右)、隅田雄二郎(中央手前)
(画像提供 © 有限会社 川本プロダクション)

 とは言え、どのようにして人形を動かし撮影したらいいのか?飯沢さんは、1953年、中国の映画撮影所で人形アニメーションを自力で開発し、帰国したばかりの持永只仁さんをスタジオに招くことにしました。川本さんは人形アニメーションの技法を持永さんから実地で学んでいきますが、当時人形アニメーションの製作を依頼されることが多かったのは、始まったばかりのテレビCMの仕事でした。
 そこで、1958年、飯沢さんと川本さんは、テレビCM制作会社シバ・プロダクションを設立し、ミツワ石鹸、ソニー、武田製薬など、数々のテレビCMを手がけて多忙を極めました。しかし、このままではいつまでも自分の作品を作れないと、川本さんはチェコのトルンカの元で人形アニメーションを学ぶことを思い立ちます。
 シバ・プロダクションを退社した川本さんは、1963年、トルンカを訪ねて、チェコスロバキアに自費で留学を果たします。1年後帰国した川本さんは、引き続きNHKなどの人形美術の仕事をしながら、人間の業を鋭く描いた『鬼』『道成寺』『火宅』など、きわめて独自性の高い人形アニメーションをコンスタントに発表します。
 2003年にはロシアのユーリ・ノルシュテインをはじめとするさまざまなアニメーション作家が参加した『連歌アニメーション「冬の日」』を発表し、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を受賞。さらに2006年には折口信夫・原作の『死者の書』を発表、キネマ旬報ベストテン文化映画部門で第3位になったほか、数々の国際アニメーションコンクールで受賞しました。他の追随を許さない独自の人形アニメーション世界を作り上げ、世界から評価される中、川本さんは2010年に亡くなりました。
 冒頭の「魔法の箱」は留学の2年前に制作された作品です。小さな箱からは、最後に思いがけず大きなゾウが飛び出します。力強い足踏みで画面を揺らすゾウの姿は、あたかも、長年の師である飯沢さんの元を離れても、自分の人形アニメーションを作りたいんだという、川本さんの秘められた情熱の発露のように見えます。
 初期の『おかあさんといっしょ』で親しまれた「魔法の箱」には、日本の人形アニメーション黎明期の歴史が刻まれていたのです。

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飯沢匡(左)、川本喜八郎(右)、イジィ・トルンカ像(中央)
(画像提供 © 有限会社 川本プロダクション)



NHK放送博物館では、7月4日~9月27日にかけ企画展『~パパもママもみていた!~おかあさんといっしょ』を開催しています。

参考資料
おかだえみこ「人形アニメーションの魅力」河出書房新社(2003)
川本喜八郎「チェコ手紙&チェコ日記」作品社(2015)
別冊太陽「川本喜八郎 人形 この命あるもの」(2007)


 

放送ヒストリー 2020年07月24日 (金)

#261 『おかあさんといっしょ』の60年① ~"婦人課"の女性職員たち~

メディア研究部(番組研究) 高橋浩一郎


 昨年、『おかあさんといっしょ』が放送開始60年を迎えました。NHK放送博物館ではこれを期に、7月4日~9月27日にかけ企画展『~パパもママもみていた!~おかあさんといっしょ』を開催しています。また「NHK放送文化研究所年報2020」では、幼児と保護者から根強い支持を得続けている同番組の歴史をまとめた論考「NHK幼児向けテレビ番組の変遷」を掲載しています。
 文研ブログでは、『おかあさんといっしょ』に関わるテーマについて、3回にわたって紹介したいと思います。1回目は、『おかあさんといっしょ』を開発した女性職員たちについてです。

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ラジオ番組『若い女性』

 これは、ラジオ番組『若い女性』のスタジオの様子を撮影した写真です。『NHK年鑑1950』によると、『若い女性』は、1950年から週1回日曜日に放送された、「いわゆるティーンエイジャーと呼ばれる年齢層」に向けた教養番組で、「情操を養うもの、思考力を養うもの、実際生活に役立つもの」など、世の中のさまざまな話題をマガジン形式で紹介していくという内容でした。

 番組開始時の出演者は、編集長役が「小川やよい(写真左)」、助手役が「真木陽子(写真右)」。どちらも番組用の架空の名前で、「小川」は放送劇団の尾崎勝子さんが、「真木」は当時高校2年生だった小森美巳さんが演じていました。小森さんは後にNHKに入局し『おかあさんといっしょ』の立ち上げに関わられた方で、今回お話を伺いました。
 『若い女性』は、ディレクターが作成した台本を元に進行しますが、視聴者と同世代のリアルな声を番組に反映させるために、わざわざ一般の高校生から出演者を募ったようです。小森さんが出演することになった経緯は、所属していた高校の演劇部にオーディションの話があり、誰も受ける者がいないので、しょうがなく足を運ぶことになったのだといいます。

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小森
美巳さん

小森 きれいなお姉さんばっかり、新劇の研究生だったんじゃないですか、
ずらっといらして。私はほこりくさいセーラー服に運動靴で、こんな髪の毛ぎゅーって縛って、そんな人一人もいなかったですよ。何か読んだと思うんだけど、全然覚えていなくて、それで帰ってきちゃったんですね。そしたら、学校から「あなたになったそうよ」と小谷さんのところに行くように言われて、聞いてみたら「一番元気がよかったからね」とおっしゃったんで、もうびっくりしたんですけど。

 “小谷さん”というのは、『若い女性』を担当していた“婦人課”のプロデューサー小谷節子さんのことです。小森さんはその後、1955年に入局、ディレクターとして“婦人課”で小谷プロデューサーと再会します。そして1959年『おかあさんといっしょ』を共に立ち上げることになったのです。(番組立ち上げ当時の部署名は“婦人少年部”。)

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小谷節子さん(故人)

 最初の写真ですが、スタジオの壁に書かれた「CI&E(連合軍民間情報教育局、以下CIE)」の文字から、まだ占領下の放送であったことが伺えます。連合軍総司令部(GHQ)が発した日本民主化の五大指令のうち、最初に掲げられた項目が「婦人の解放」です。初期のCIEの中には、進歩的な考えを持つ人材が多数いて、“理想的な民主主義国家”を日本に作ろうとしたと言われていますが、その実現に「婦人の解放」は欠かすことができない要件だったのです。
 女性を差別する風潮が色濃く残る日本で、放送を通じて、民主化を担う女性を教育するという役割を負ったのが“婦人課”でした。婦人課が誕生したのは1948年。初代課長・江上フジはNHK初の女性管理職で、協会内の女性の地位向上に尽力。翌年には、課の9割を女性が占めるようになり、女性自身の手によって『婦人の時間』『主婦日記』『勤労婦人の時間』など数多くの女性向け番組が作られました。
 『おかあさんといっしょ』も「婦人の解放」実現に取り組んだ、“婦人課”の女性職員たちの手によって生まれた番組の一つなのです。


参考資料
飯森彬彦「『婦人の時間』の復活」『放送研究と調査』(1990.11)
飯森彬彦「『婦人課』の誕生」『放送研究と調査』(1990.12)
武井照子『あの日を刻むラジオ』(2019)集英社
広谷鏡子「「放送ウーマン」が見てきた戦中・戦後」(2015.7)

放送博物館 2019年12月20日 (金)

#225 NHK放送博物館で「放送が伝えた宇宙」の展示を開催中です

放送博物館 山本さぎり

NHK放送博物館では、12月7日から企画展放送が伝えた宇宙 ~ そして、宇宙から あなたへ ~を開催しています。

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この企画展は宇宙がテレビを通じて身近なものになってきたことや、宇宙を利用した技術が衛星放送など日々の生活に密着していることを、NHKが保管する映像や資料をもとに紹介しています。同じ階の<ヒストリーゾーン>もご覧いただくことで放送技術への理解がより深まる内容になっています。ここでは展示のテーマと概要を紹介します。

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1. テレビ放送開始までの天文現象の放送
1925年にラジオ放送が始まると、京都の天文台からの観測中継や、皆既日食の国内27局からのリレー中継など、さまざまな天文現象が伝えられるようになりました。
戦時中や戦後に映画館で毎週上映された「日本ニュース」では日食の観測を紹介しています。

2. 宇宙への進出とテレビ放送
アメリカとソ連を中心として各国が宇宙に進出し、その映像がテレビで放送されると視聴者の宇宙への関心も高まりました。
ソ連のガガーリン宇宙飛行士が人類初の宇宙飛行を成功させ1962年に来日すると、NHKは「ガガーリン少佐にきく」を放送しました。1966年には世界中の宇宙開発を取材した「海外取材番組<宇宙時代>」を放送しました。
アメリカがアポロ計画を進め、アポロ11号が1969年7月に月面着陸に挑むことになると、NHKは10日間にわたる特集番組を放送しました。特にアームストロング船長が人類初の月面着陸をした時間帯はおよそ6割の世帯がテレビをつけていました(関東地区)。

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アポロ11号の月面着陸特集番組スタジオ風景

3.NHKが関わった宇宙開発技術
 ここでは衛星放送の開発史を紹介しています。日本で人工衛星が作られ始めた頃は、NHKも独自に放送衛星を開発していました。衛星本体を製作しなくなってからも衛星放送の研究と実験を続け、1984年には衛星放送を家庭で直接受信できるようになりました。
 また、NHKのカメラは宇宙でも活躍しています。宇宙飛行士が国際宇宙ステーション(ISS)に高感度カメラを持ち込み、宇宙からの映像を届けています。また月周回衛星「かぐや」にハイビジョンカメラを搭載し、月から見た「地球の出」などの映像を送るなど科学的にも大きな成果をあげています。

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このほか、映像ブースでは宇宙飛行士がスペースシャトルや国際宇宙ステーションで活動する様子を、飛行士たちの目覚めの音楽とともに上映しています。
会期中は学芸員によるギャラリートークやJAXA研究員による講演会を開催いたします。ぜひお越しください。

 
NHK放送博物館 企画展示「放送が伝えた宇宙 ~ そして、宇宙から あなたへ ~」

会期  :2019年12月7日(土)~2020年3月29日(日)
会場  :3階 企画展示室
休館日 :月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は火曜日休館)、年末年始
入場料 :無料
開館時間:午前9時30分~午後4時30分
所在地 :〒105-0002 東京都港区愛宕2-1-1
TEL  : 03-5400-6900

放送博物館 2019年08月16日 (金)

#202 NHK放送博物館で「音の展覧会」を開催中です!

計画管理部 東山一郎


NHK放送博物館では、「むかしの音でめぐる“にっぽん”」と題した企画展を開催中です。
この企画展は、日本各地の方言や物売りの声、祭りや鉄道の音などを集めて展示したもので、いわば「音の展覧会」といったものです。

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「音の展覧会」といってもなかなかイメージがわかないと思いますので、実際に展示している音声を少し紹介しますね。
ひとつめは、愛知県愛西市で1958年に収録された方言です。愛西市は愛知県の西部に位置し木曽川に沿った地域です。男女の会話の一部を抜粋します。


 エー キョーワ アツィーヤ ネァカ(きょうは 暑いじゃ ないか)

 エー アーッツィーナモ(ええ 暑いですね)

 エー キョーワ ドコェ イクノー(きょうは どこへ 行くんだい)

 クサミシリジャーナモ(草取りですよ)


この地域の方言の中心地は名古屋ですが、名古屋のことばに関して高浜虚子が1942年に次の句を詠んでいます。
 なもなもと 名古屋訛の 声涼し
この句に表れているように、助詞の「ナモ」が名古屋の方言のひとつの特徴だったようです。実際の音声を聴くと、この「ナモ」のおかげなのか、ことば全体が柔らかく優しい感じに聞こえます。「声涼し」のなかに虚子は「優しさ」を感じ取っていたのかもしれません。


下の写真は、1956年に福岡市で撮影された「きびだんご売り」です。

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「文研月報」1957年12月号より

この「きびだんご売り」の展示では、こんなふれ売りの歌を聴くことができます。


♪♪ 日本一のオキビチャン  オキビチャンのあーつあつ

        ぬくーて 甘くて オキビチャン キビチャンの生まれはどこですか


   遠く離れて300里  備前の国の岡山で・・・♪♪

このような「きびだんご売り」はすでに存在しないかもしれませんし、「ナモ」もあまり使われなくなっているかもしれません。今回の企画展は、こうした消えてしまっているかもしれない「音」も含め、NHKが収集・保存してきた「すこしむかしの音」で日本各地をめぐることを試みたものです。展示では、日本各地の方言や物売りの声のほか、親しみやすい祭りや鉄道の音など、40点の音声をCDプレイヤーを用いて聴くことができます。


およそ60年前に収録された方言や物売りの声を聴く機会はなかなか無いかもしれません。
そして、距離的にも時間的にも旅をした気分になれるかもしれません。
11月17日(日)まで開催していますので、ぜひこの機会に放送博物館にお越しください。


NHK放送博物館

休館日 :月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は火曜日休館)、年末年始
入場料 :無料
開館時間:午前9時30分~午後4時30分
所在地 :〒105-0002 東京都港区愛宕2-1-1  
TEL  : 03-5400-6900

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ホームページはこちら

放送博物館 2019年01月21日 (月)

#164 愛宕山にちなんだ企画展を開催中! 講談イベント(1/29)も開催します!

メディア研究部(メディア史研究) 東山一郎
放送博物館 堀田伸一

NHK放送博物館の建つ、東京港区の愛宕山。その標高は25.7mで、東京23区内の自然の山としては最高峰です。今でこそ高層ビルに囲まれ、山の上から周囲の眺望を望むことは難しいですが、江戸時代にさかのぼると、愛宕山は江戸の大部分を見渡せる眺望の地として知られ、遠く房総方面まで望むことができたといいます。1925年にはNHKの前身である東京放送局が建設され、俳優や音楽家をはじめ、政治家、作家、力士など、さまざまな人々が放送出演のために愛宕山を訪れました。高くそびえるアンテナの鉄塔は、新たな時代を象徴するランドマークともなりました。

放送博物館では、その愛宕山にちなんだ企画展「江戸の名所愛宕山と山の放送局JOAK」を2月11日まで開催しています。江戸時代から今日に至るまでの愛宕山の移り変わりを、浮世絵や写真、映像などで振り返っています。

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浮世絵には、山上から海を望む様子、神社を訪れる町人の装いなどが描かれ、写真がない時代の愛宕山の様子をうかがい知ることができます。また、およそ90年前に放送局を訪れた数々の著名人の写真や彼らが残した書や絵からは、「山の放送局」と呼ばれた東京放送局での日々の営みを思い浮かべることができると思います。

浮世絵や写真だけでなく、愛宕山は講談や浪曲といった話芸のなかでも取り上げられ、語り継がれてきました。今回の展示では、宝井馬琴(五代目)による講談「愛宕の春駒」、玉川福太郎(二代目)による浪曲「寛永三馬術 愛宕山馬術のほまれ」の上映も行っています。この講談、浪曲はともにいわゆる「出世の階段」をテーマにしたもので、丸亀藩の曲垣平九郎が見事、馬で石段を登り降りした日とされる「ときは寛永11年正月の28日・・・」というくだりで始まっています。

その「正月の28日」の翌日ではありますが、1月29日(火)には、放送博物館に講談師の宝井琴梅さんをお招きし、師匠・宝井馬琴(五代目)の映像から、その思い出を語るとともに、新作「大正の愛宕山石段登り」(佐々木羅々梅作)を披露していただく予定です。

このイベントの観覧は無料ですが、事前のお申し込み(先着順)が必要です。詳細はNHK放送博物館ホームページをご覧ください。


NHK放送博物館

休館日 :月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は火曜日休館)、年末年始
入場料 :無料
開館時間:午前9時30分~午後4時30分
所在地 :〒105-0002 東京都港区愛宕2-1-1  
TEL  : 03-5400-6900

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放送博物館 2018年08月22日 (水)

#141 「大阪桐蔭×金足農」決勝戦をパブリックビューイングでお楽しみいただきました!

放送博物館 堀田伸一

北大阪代表の大阪桐蔭が優勝して幕を閉じた、夏の高校野球第100回大会。
NHK放送博物館では10月28日まで、夏の高校野球100回記念展「放送が伝えた白球の軌跡」を開催しています。その関連イベントとして、大阪桐蔭(北大阪)×金足農(秋田)の決勝が行われた8月21日に試合のパブリックビューイングを行い、約230人のお客様にお楽しみいただきました。

正直なところ、これほど多くのお客様にご来場いただけるとは予想しておらず、「おい、朝から何件もお問い合わせの電話が鳴っているぞ。人があふれるんじゃないか?」と心配する上司をよそに、「大丈夫ですよ。家のテレビでのんびり観る人がほとんどですよ。」とのんきに構えていたものの、昼過ぎに会場の前に並ぶお客様の数を見てびっくり。急遽、開場を早め、椅子を増設し、第2会場を用意し…。

どうやら、今回のイベントを秋田県出身の方々がSNSで拡散し、誘いあわせてご来場くださったようで、試合が始まると、金足農の吉田投手がストライクを取ると拍手が、金足農がヒットを打つと歓声が、画面が秋田県からのリポートに切り替わると大歓声が沸き起こる、そんな状況でした。

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試合終了後、秋田代表の金足農は敗れたものの、勝利した大阪桐蔭のナインがアップになると、会場のお客様からも惜しみない拍手が送られ、パブリックビューイングの醍醐味である周りのお客様との「一体感」や、球場にいるかのような「臨場感」は、家のテレビでは味わえないものだと実感させられました。

インターネットを介したSNS全盛の世の中にあって、パソコンやスマホの画面を見て博物館に来場されたみなさんが、リアルな人とのつながりを楽しんでくださったことや、テレビがその中心にあるということはとても興味深く、街頭テレビの時代から変わらない、テレビの魅力ではないかと思いました。
暑い中、わざわざご来場くださったみなさま、ありがとうございました。

これまでの高校野球の熱戦を映像や博物館所蔵の史・資料で振り返る、夏の高校野球100回記念展「放送が伝えた白球の軌跡」は10月28日まで開催中です。ぜひ、ご来場ください。


NHK放送博物館

休館日 :月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は火曜日休館)、年末年始
入場料 :無料
開館時間:午前9時30分~午後4時30分
所在地 :〒105-0002 東京都港区愛宕2-1-1  
TEL  : 03-5400-6900

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放送博物館 2018年06月08日 (金)

#129 「減点パパ展」関連トークショーに あの悪役俳優が登場します!

メディア研究部(メディア史研究) 東山一郎

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現在、NHK放送博物館で開催中の企画展「減点パパ+減点ファミリー展」。放送博物館では、この企画展をより楽しんでいただくために、「減点パパ」「減点ファミリー」ゆかりのお二人によるトークイベント「二代目三波伸介と悪役俳優・上野山功一のミュージアムトーク」を6月23日(土)に開催します事前申し込み制)。喜劇役者の二代目三波伸介さんと、1981年に「減点ファミリー」に出演された悪役俳優の上野山功一さんに、出演の思い出や番組の裏話などをお話しいただきます。

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1973年から82年までに440回余り放送された「減点パパ」「減点ファミリー」の〝売り″は、三波伸介さんが描く「似顔絵」と、お子さんがパパ・ママに向けて披露する「作文」の二つ。今回の企画展の〝目玉″でもあります。

企画展に向けて、似顔絵、作文、映像を確認・整理していくなかで、印象に残ったもののひとつに、「悪役もの」がありました。「減点パパ」には、成田三樹夫さん、藤岡重慶さんなど多くの悪役俳優の方が出演されていて、その出演回を私は勝手に「悪役もの」と呼んでいました。「悪役もの」には、俳優の顔と「パパの顔」の違い・ギャップが際立っていること、そして「作文が泣かせる」という特徴がありました。その「悪役もの」のなかで最も印象に残ったのが、上野山さん親子の回でした。プロフィールによると上野山さんは日活と大映の映画で活躍された後、『キイハンター』『太陽にほえろ』『必殺仕事人』『水戸黄門』など民放のテレビドラマを中心に、のべ500回にわたり悪役を演じられたとのこと。当時小学生だった息子さんが悪役俳優のお父さんに向けた作文の次のフレーズに心引かれました。 

・・・テレビでいつも殺されているお父さんを見ていると、少し悲しい思いで下を向いているときもありました。でも、僕ももう大きくなったから大丈夫です。何度殺されても、お父さんは家に帰ってくるから・・・

この作文を読む映像を見ながら、「いい子だな」「いい親子だな」「会ってみたいな」「話を聞いてみたいな」と思っていたことが、今回のトークショーという形になりました(単純ですみません)。

喜劇役者と悪役俳優という異色の組み合わせのトークショー。「減点パパ」「減点ファミリー」の実際の出演者のお話をうかがう貴重な機会でもあります。企画展と合わせて、ぜひご観覧ください!

お申し込みなどについては、NHK放送博物館ホームページをご覧ください。


NHK放送博物館

休館日 :月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は火曜日休館)、年末年始
入場料 :無料
開館時間:午前9時30分~午後4時30分
所在地 :〒105-0002 東京都港区愛宕2-1-1  
TEL  : 03-5400-6900

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(ホームページはこちら)  


 

放送博物館 2018年03月30日 (金)

#119 減点パパ+減点ファミリー展を開催中です!

メディア研究部(メディア史研究) 東山一郎

NHK放送博物館
(東京・港区)では、企画展「減点パパ+減点ファミリー展」を開催しています。
「減点パパ」「減点ファミリー」というフレーズにピンとくるのは、おそらく40代半ばを過ぎた方々ではないかと思います。ピンとこなかった方にも楽しんでいただけるように、「減点パパ」「減点ファミリー」とは何か、どんな展示なのか、簡単にご紹介していきます。

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「減点パパ」「減点ファミリー」は、1970年代から80年代にかけて放送されたNHKのバラエティー番組『お笑いオンステージ』のなかのひとつのコーナーです。『お笑いオンステージ』は日曜日の大河ドラマの前、よる7時20分からの放送で、番組前半のショートコメディ「てんぷく笑劇場」と番組後半の「減点パパ」「減点ファミリー」が人気のコーナーでした。「減点パパ」は73年4月から始まりました。俳優や歌手、芸人など著名人の子どもがまず登場して、司会の初代 三波伸介さんがその子に顔の特徴を聞きながら、パパの似顔絵を描いていく。似顔絵が完成すると、そこで初めてパパが登場。そして、お子さんが得意なものは? 将来の夢は? など、子どもに関する質問がパパに次々に投げかけられ、答えられなければ、似顔絵に×印がつけられていく・・・、コーナーの最後には、子どもがパパに向けた作文を披露する。似顔絵、Q&A、作文という三つの要素を通して、著名人の意外な一面が垣間見えたり、ほのぼのとした親子関係が見えたりというコーナーでした。75年からタイトルが「減点ファミリー」となり、パパだけでなく、ママ、おじいちゃん、おばあちゃんも登場するようになりました。

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初代 三波伸介さん(当時の番組宣伝用写真から)

今回の企画展は、放送博物館に保存されていた三波伸介さんによる似顔絵およそ100点を、著名人のお子さん、お孫さんによる作文や二代目三波伸介さん所蔵資料などとともに構成したものです。三波伸介さんは当時、『笑点』(日本テレビ)の司会をはじめ、数々のテレビ番組にレギュラー出演していた喜劇人で、昭和のテレビを代表するスターのひとりです。三波さんによる上手な似顔絵の数々がまず、この企画展の見どころです。
その似顔絵を見ていくと、「減点パパ」「減点ファミリー」のゲストが実に多彩だったことに驚かされます。30数年前のバラエティー番組に「この人が!?」という意外な方も多数出演されていました。例えば、細川隆元さん、毒舌で知られた政治評論家です。現在、テレビで活躍中の加藤一二三さんも現役の棋士として出演していました。そして俳優の大滝秀治さんなど、多彩で意外な方々が出演されていました。大滝さんは似顔絵とともにお嬢さんによる作文も展示させていただいています。

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展示したおよそ100人の似顔絵からは、芸能関係に限らず、この当時の放送、そして文化を彩っていた方々、今も彩り続けている方々の姿を見ることができると思います。

「減点パパ・減点ファミリー」のコーナーを締めくくっていたお子さんたちの作文は、数は多くはありませんが、作文実物のほか、映像でも紹介しています。俳優の吉田義夫さんの放送回も映像で紹介しています。吉田さんは、当時の「週刊TVガイド」の記事にもあるように、稀代の悪役俳優として知られた方でした。その吉田さんが、お孫さんが読む作文を聞いて、はにかんだような嬉しいような、何とも言えない表情をされているのがとても印象的です。子どもたちの作文の展示にふれると、なんとなくほっこりとした気分になると思います。

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「週刊TVガイド」1980年10月3日号(東京ニュース通信社)
*次回のゲストは誰かを読者に予想してもらう記事で、似顔絵には目隠しがされていました。

今から30数年前のテレビ番組を題材とした展示ですが、番組を知らない若い世代の方にとっても、親の世代はこういう番組を見ていたんだとか、この人はこんなに昔から活躍していたんだとか、何か発見がある展示だと思います。
7月8日(日)まで開催しています。ぜひ、NHK放送博物館にお越しください。
4月29日(日)には二代目 三波伸介さん出演の企画展関連イベントも開催されます。こちらもぜひご参加ください(事前申込制)

 


NHK放送博物館

休館日 :月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は火曜日休館)、年末年始
入場料 :無料
開館時間:午前9時30分~午後4時30分
所在地 :〒105-0002 東京都港区愛宕2-1-1  
TEL  : 03-5400-6900

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