文研ブログ

2017年1月

おススメの1本 2017年01月27日 (金)

#62 8Kスーパーハイビジョンの防災活用の可能性

メディア研究部(メディア動向) 山口 勝

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NHKは、世界に先駆けて2016年8月、4K・8Kスーパーハイビジョンの試験放送を始めました。8Kは医療分野での活用が始まっていますが、現行のハイビジョン(2K)の16倍の超高精細映像を、放送はもちろん公共放送の使命の一つである防災分野で生かすことは、8Kを開発した公共メディアとしても重要な課題です。

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(クリックすると大きくなります)

NHKは熊本地震の直後に大きな被害が生じた活断層に沿って8Kカメラで空撮を行いました。その映像を改めて活断層の専門家に分析してもらったところ、地震後の調査で未発見だった地震断層や亀裂が複数見つかり、その成果が10月のNHKスペシャル「活断層の村の苦闘~熊本地震・半年間の記録~」で放送されました。8Kによる災害分析を災害報道、番組制作に活用した初のケースです。

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この熊本地震の取材をもとに「8Kスーパーハイビジョンの防災活用の可能性」という論考を『放送研究と調査』1月号に掲載しました。ぜひご覧ください。
本稿では、リモートセンシングや地理空間情報、災害研究の視点から8Kが防災に有効であることを明らかにしています。 
8K空撮映像は、高度400mから地上に舞う蝶(ちょう)や数センチの亀裂も捉えることができます。空中写真よりも解像度が高く、ドローンより画角が広い特徴があります。亀裂は災害の芽」です地滑りや堤防の決壊は、小さな亀裂から始まります。わずかな亀裂を捉えることができる8Kスーパーハイビジョンは、さまざまな防災での活用が期待されます。一人ひとりの「動き」も見えるため、人命救助や捜索、車中泊・自主避難所の検出に有効です。ヘリコプターからの「斜め撮影」であるため高さ方向の情報が得られ、建物の倒壊状況なども把握でき、画像データから「立体モデル」「災害支援地図」を作ることができます。

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メディアだけでは分析しきれない多くの情報(ビックデータ)を含む8Kを「どう使うのか」。災害報道では、犠牲者の姿を映し出す可能性もあり、報道利用には、「技術開発」とともに「放送文化的検討」が必要です。
興味のあるメディア、防災関係者、そして研究者のみなさん、是非ご一読ください。

おススメの1本 2017年01月20日 (金)

#61 「切迫性を伝え切る」ってどういうこと?

メディア研究部(メディア動向) 福長秀彦

 おととし9月の鬼怒川の氾濫では、多くの人が濁流の中に取り残され、約4,200人がヘリやゴムボートで救助されました。住民に「切迫性を伝え切れなかった」ことが防災上の反省点の一つとされています。切迫性を伝え切れなかったのは何故か?このことをずっと考えてきました。

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 鬼怒川の氾濫から2カ月近くが経ったおととし11月、堤防が決壊した常総市上三坂地区を訪れ、住民の方々から話を伺いました。堤防から溢れた水の流れがいつの間にか激しく波打ち、渦を巻くような様相に変わっていたこと、堤防の上で決壊の瞬間を目撃し、慌てて逃げようとしたものの、濁流に呑みこまれてしまったことなど、衝撃的な話を数多く聞きました。住民の多くは、まさか自宅近くの堤防が決壊するとは思ってもいませんでした。

 堤防が決壊した原因は、川の水が堤防を乗り越えて(越水)住宅地側の土手をえぐり崩していく越水破堤が起きたためでした。越水したからといって、必ずしも堤防が決壊するとは限りませんが、越水すれば決壊の危険性が増すことになります。堤防決壊で一番多いのが、この越水破堤です。これらは河川工学や災害の専門家にとっては当たり前のことですが、一般の人びとにとっても常識と言えるでしょうか?私は越水破堤のことは全く知りませんでした。

 私が抱いた素朴な疑問は「越水すれば決壊の危険性が増すことを住民は知らされていたのだろうか」でした。「堤防が決壊するまで人びとがその危険に気づかないのはまずい。切迫性を伝えるのであれば、最悪のリスクを知ってもらう必要がある」と思いました。こうした疑問と考えを出発点に最初に書いたのが、鬼怒川の越水破堤を対象にした事例研究「堤防決壊と緊急時コミュニケーション」(「放送研究と調査」(2016年2月号)に掲載)です。

 川沿いなどで浸水のおそれがある地域では、越水する前に立ち退き避難することが最も重要なのですが、過去の水害をみると、越水しても逃げない人が多いのが現実です。中には越水の様子を見に行ったりする人もいます。ですから、越水から決壊までの限られた時間に、人びとに決壊の危険性を伝え、近くの頑丈な建物の2階以上に上がることなど適切に身を守るよう呼びかけることも、切迫性を伝える上で重要だと思います。

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 鬼怒川の事例では、越水から決壊まで1時間40分のタイムラグがありましたが、そもそも、一般的にタイムラグはどの位あるのでしょうか?鬼怒川の氾濫の後、国土交通省は越水しても決壊しにくい構造に堤防を補強する危機管理型ハード対策の導入を進めていますが、これによってどの位タイムラグを引き延ばすことができるのでしょうか?タイムラグを生かして切迫性を伝え切るために、情報はどうあるべきなのでしょうか?こうした疑問をもとに続編として書き上げたのが「越水破堤のタイムラグと緊急時コミュニケーション」で、「放送調査と研究」の最新号(2017年1月号)に掲載されています。

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 私はNHK報道のOBで、テレビニュースのエディター(編集責任者)をしていたことがあります。台風や低気圧が接近して重大な災害が起きるおそれがあるときには番組を中断して特設ニュースを長時間・繰り返し放送し、警報や洪水予報などを伝えてきましたが、早めに避難しないで被災してしまう方々も多く、切迫性を伝えることの難しさをいつも痛感していました。文研で緊急時コミュニケーションの研究をするようになったのも、そのためです。
 「切迫性を伝え切る」ことについて、今後も私なりに考えていきたいと思っています。

放送ヒストリー 2017年01月13日 (金)

#60 今とは違った戦前の地域放送

メディア研究部(メディア史研究) 村上聖一

年末年始、帰省先や旅行先でテレビをご覧になり、その土地でしか見られない地域ニュースや番組に触れられた方も多いのではないでしょうか。そうした地域放送の変遷についてまとめた論考を『放送研究と調査』1月号に掲載しましたので、そのご紹介です。

ただ、地域放送といっても、テレビではなく戦前のラジオについてです。なぜ戦前かと言いますと、当時は放送エリアなどが今とはかなり異なっていることから、放送の地域性を考える上で、今とはまったく違った視点が得られるのではないかと考えたためです。

日本でラジオ放送が始まったのは、1925(大正14)年ですが、全国向け放送が多い今のテレビとは違って、ラジオは地域色が強いメディアでした。また、放送エリアも必ずしも県単位ではありませんでした。以下の地図は、1931年時点で、鉱石ラジオで放送が聞けた範囲を示したものです。当時は社団法人日本放送協会が、北海道・東北・関東・東海・関西・中国・九州の7つの支部ごとに、独自性の強い放送を行っていました。

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(『ラヂオ年鑑』(1932年) ※地図は当時の日本の領土とは異なります)

地域放送の多さがわかるのが、次のグラフです。「自局編成」は、各放送局が独自に番組を放送していたもの、「入中継」(いりちゅうけい)は他の放送局からの番組を受けて放送していたものです。

例えば、大阪中央放送局の場合、7割の番組は独自制作で、東京などの番組を放送していた割合は3割程度でした。自局編成といっても、大阪発の全国向け番組もありますので、赤い部分がすべて地域放送というわけではありませんが、全国向けの番組が放送の大半を占めていたわけではなかったことがわかります。

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(『ラヂオ年鑑』1931年)

しかし、こうした状況は長くは続きませんでした。次のグラフは10年後の状況です。1930年代後半、日本放送協会の方針転換や国の統制強化もあり、ラジオ放送は急速に中央集権的なメディアへと変化していきました。

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(『ラジオ年鑑』1941年)

そして、このあと太平洋戦争が始まると、地域向け番組は大幅に縮小され、地域放送は受難の時代を迎えることになりました。

戦後、地域放送は再び拡充されていきますが、県単位で開局した民放ラジオ局の影響もあって、NHKの地域放送も、戦前のような東北、九州といった地方ブロック向けではなく、県域向けの番組が主体となります。放送の地域性は、1930年ごろとは性格が異なるものになったのです。

ここまで、簡単にラジオ時代の地域放送の変化をまとめましたが、経緯はかなり複雑なものでした。詳しくは、『放送研究と調査』1月号にまとめましたので、ぜひご一読ください。