2019年08月05日 (月)星野監督についたうそ


※2019年3月29日にNHK News Up に掲載されました。

「勝ちたいんや!」の言葉で知られる闘将と呼ばれた監督は、ただそこにいるだけでぴりぴりしたムードがベンチに漂っていた。そんな監督にうそをついた選手がいた。そのうそは周りの目を気にせず、がむしゃらに目標を勝ち取ろうとすることがかっこ悪くないことを教えてくれる。春から社会に出る人たち、新しい目標に向かう人たちにも、その世界で生きるための一助になるうそだと思う。

ネットワーク報道部記者 松井晋太郎

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<50番目の男>
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井端弘和さん プロ野球現役18年(中日~巨人)で1896試合に出場
「社会に出れば横一線、スタートはみんな同じだ」

これは事実でないことを彼は知った。彼は井端弘和、元プロ野球選手である。

亜細亜大学を卒業して中日にドラフト5位で入団する。同じ1997年のドラフト会議で指名された選手は79人。

1位で名前を呼ばれたのは、慶応義塾大学の高橋由伸。六大学野球のホームラン記録を更新し、のちに巨人の監督になる。

さらに高橋のライバルで明治大学のキャプテン川上憲伸。大学通算28勝をあげた実力者だ。

井端の名前が出た時にはその前にすでに49人が呼ばれていた。期待度のようなものからすれば、井端は全体で50番目の選手だった。その意味を入団してそうそう知ることになる。

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入団発表(1997年12月)星野監督(中) 井端さん(右から4人目)

<1回失敗したらチャンスはないよ>

「ドラフト順位はそのまま期待値だからね。キャンプに入ってからメディアから取材されたことはなかった」(井端さん)
取材に対して正直に答えてくれた。
「『プロに入っちゃえばみんな一緒だから』って入る前に周りに言われたよ。でも違うことはすぐに分かったね。ドラフト1位は10回失敗してもおそらく11回目のチャンスがもらえる。でもドラフト5位のオレは1回失敗したら次のチャンスはないと思っていた」(井端さん)

<とんでもない新人>
入団した年、井端は2軍からのスタート。シーズンの後半戦、1軍に呼ばれたものの出場は18試合にとどまった。

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福留孝介選手
さらに2年目、球団は井端と同じショートを守るとんでもない新人をドラフト1位で指名する。福留孝介。PL学園時代、超高校級のスラッガーとしてドラフトで高校生で最多となる7球団から指名された。指名権を得た近鉄への入団を断って社会人野球に進み、この年の目玉選手だった。

福留は入団すると井端を追いやるかのように1年目から大活躍する。132試合出場。131安打、ホームラン16本、打率2割8分4厘。リーグ優勝にも貢献した。

井端の2年目、1軍の試合出場が「0」となった。

<危機感の中で>

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福留選手(左) 井端さん(右)
「1軍で出ている福留を見ては、心が折れそうになったね。向こうはドラフト1位で2歳年下。気持ちは不安定になるし選手として終わりかなと思ったよ」(井端さん)
私も取材で大学や社会人から入団した選手が、数年で戦力外になってチームを去っていくのを何度も見てきた。ドラフト下位だとその厳しさはなおさらだ。
「やばい。来年は俺の番だと思った、ドラフト5位だからね。くびになる、小学生から続けてきた野球をやめないといけなくなると思ったよ」(井端さん)

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井端さんが入団当初使っていたグローブ
迎えた3年目のキャンプ。井端は考え方を次のように徹底させた。それはかつてケガをして全体練習から外れていた時に考えた、この世界での生き残り方だった。
「チームの主力を見回してみると地味に見えるバントを確実にこなす選手や、守備力がたけた選手がいない。だからバントや守備、これが秀でればオンリーワンだ。1軍の試合に出られる。これで生きて行こうと決めたら迷わなかった」(井端さん)

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頭も丸めて高校生のようにした。そんなことで野球がうまくなることなどないことは井端がいちばん知っている。

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でも自分をアピールしたい、そのいっしんだった。毎日倒れるぐらいノックを受け、バントの練習を繰り返した。寝る前に練習を振り返り、できるようになったこと、できなかったことを分けて次の日に生かした。

<忘れられぬ試合>
3年目、開幕から1軍に帯同できた。そして、今でも忘れられないという試合が訪れる。2000年4月6日、開幕から6試合目の巨人戦だ。

2連敗して迎えた3戦目だった。この試合も中日は巨人の新人、高橋尚成に抑えられていた。

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2000年4月6日 巨人戦での星野監督
新人に手も足も出ない打線に、中日の星野仙一監督は明らかにいらだっていた。

井端はそんな監督にいつ呼ばれてもいいように隣に座っていた。とにかく必死である。そして話しかけられた。
星野「高橋は大学の同期か?」
井端「はい、一緒です」
星野「高橋の大学は?」
井端「駒沢です」

高橋は駒沢大学の出身、亜細亜大学出身の井端とは東都大学リーグで何度か対戦している。

星野「やったこと(対戦)は?」
井端「あります」
星野「対戦してどうなんだ?」
井端「はい。打ってました」

続けて言ってしまった。

「5割は打ってました」
うそである。

<試合に出たい>
井端は「うそも方便だよ」と私に教えてくれた。

そもそも一流投手から5割を打てる打者などまず存在しない。うそと見破られても仕方がない言葉だ。

でも…井端は危機感から数え切れないくらいバットを振ってきた。何度もノックを受けてきた。試合に出たくて出たくてたまらなかったのだ。
「もう必死だったから。打つ自信はあったよ。準備をしてきたから」(井端さん)
8回、監督から声がかかる。

「井端、代打いけ」

やっと巡ってきたチャンス。ツーボール、ツーストライクとなった時だ。大学時代の高橋を思い返した。

「勝負球はストレートか、外角に落ちるシンカー」

5球目。読みどおりのストレートがインコース高めにきた。

振り抜くと打球はセンター前へ。2年ぶりの1軍の打席で結果を残した。

<うそからレギュラーに>

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巨人戦で先制タイムリーを放つ(2000年5月4日)
この打席が評価されたのか、1か月後、同じ巨人との3連戦でこのシーズン、初めて先発メンバーに名を連ねた。

1戦目、2安打1打点。
2戦目、2安打1打点。
3戦目も2安打1打点。
「ドラフト5位に簡単にチャンスなんてくれないよ。だから必死だよ」(井端さん)
井端は信頼を勝ち得た。翌シーズンからショートのレギュラーとして1軍の試合に出続けた。

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井端さん(左) 荒木雅博さん(右)
その後、中日は黄金期を迎え、セカンドの荒木雅博と組んだ二遊間は鉄壁で「アライバコンビ」と呼ばれた。

<失敗の共通項>
取材の最後、「成功する選手と失敗する選手、それぞれに共通することはありますか」と聞いてみた。

目を閉じてしばらく考えた後、こう答えた。
「成功する選手は正直分からない。それぞれにあるんだろう。でも失敗する選手は共通している。自分が何をすればいいのか分かっていない。その日グラウンドに来て『きょう何しよう』と考えているようでは1歩目が違うよ」(井端さん)

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サイクル安打を達成 声援に応える(2002年9月21日)

<星野監督はたぶん>

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2015年に現役引退 巨人コーチを経て野球解説者・野球日本代表コーチ
井端弘和。プロ野球現役18年で1896試合に出場。1912安打。打率2割8分1厘。うそから積み上げた立派な数字だ。
プロ野球の選手を取材していてつくづく思う。やれ高校時代のホームランの数だ、やれスピードがある、やれセンスがあるだ、など入団前にさまざまなことを言われ、入団の際に順位が決められる。その順位でスタートの扱いに差が出る。

でも成功するかどうかなんて、結局、前評判ではなく、入ってからの努力と必死さの積み重ねしかない。どうすれば生き残れるのかを必死で考え、しゃにむに準備をした選手しか成功していない。

hoshino190329.14.jpgあの日、井端の“うそ”を星野監督は見破っていて、その必死さを買って代打に起用したと私は思っている。

しかし去年、鬼籍に入られたため、いまはもう確かめようがない。

投稿者:松井晋太郎 | 投稿時間:13時53分

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