2020年02月20日 (木)さらば原宿駅 思い出とともに


※2019年11月21日にNHK News Up に掲載されました。

「竹の子族」に「ロリータファッション」。
時代時代の若者文化の発信地として多くの人々をひきつけてきた街、原宿。そうした時の流れを見つめ続けてきたのが大正時代に建てられたあの駅舎でした。
来年に解体されることが決まった今、人々は何を思うのでしょうか。

ネットワーク報道部記者 成田大輔 ・管野彰彦・ 菅洋介

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「原宿駅、解体へ」のニュースに

先日公表された「原宿駅の解体」。
インターネット上には、駅舎の解体を惜しむ声が相次いでいます。

古き良き時代の建物が、どんどん無くなる…寂しいね」
「老朽化じゃ仕方ないけども、何でも新しくすりゃ~良いってもんじゃないわな」
「オシャレ最前線にあえてのあのレトロ駅舎がええんや、、悲しいのう」

若者文化の発信地として親しまれ、東京に限らず地方からも多くの人が訪れてきた原宿。それぞれに思い入れもあるようです。

思い出詰まった場所

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「原宿駅の木造駅舎もオリンピック後に解体か…また昭和の思い出がひとつ消える」

この投稿には、昔の原宿駅とみられる場所で撮影した写真も添えられています。どんな思い出があるのか、話を聞いてみることにしました。

投稿したのは、埼玉県に住む56歳の会社員の男性。
男性はおよそ40年前、高校生の時に3年間、国鉄時代の原宿駅でアルバイトをしていたそうです。

「通っていた高校が鉄道関係の学校だったので、先輩の紹介で原宿駅でアルバイトをしていました。改札やホームの立ち番などを担当していて駅員さんとも仲がよく、仕事がない時も含めてほぼ毎日、駅に通っていました」(56歳男性)

saraba.191121.3.jpg左側が投稿した男性

当時、原宿には「竹の子族」や「ローラー族」と呼ばれる若者たちが集まり、街には自由な空気があふれていたと言います。

「ほかの駅と比べて原宿駅は駅員も自由で、少しふざけた案内のアナウンスをしたり、『傘もささずに原宿~』って原宿の地名が歌詞に入ったロス・インディオス&シルヴィアの歌をカセットで流したりしても許される雰囲気があって毎日が楽しかったです」(56歳男性)


saraba.191121.4.jpg右側が投稿した男性

確かに投稿された写真をよく見ると、駅員の胸には80年代を代表するアイドル松田聖子さんの写真が貼られていて、おおらかだった当時の雰囲気を感じさせています。

青春時代の思い出がたくさん詰まった原宿駅。
解体されると知った時はショックだったと言います。

「当時、絵がうまい駅員がいてその人がスケッチした駅舎の絵をデザインしたスタジャンを作って、みんなで着ていた思い出もあります。駅舎は木造ならではの暖かみがあって、大好きな場所でしたのでただただ寂しいです」(56歳男性)

原宿駅周辺の町並みは、男性が働いていた当時と比べると、大きく変わったと言います。それでも今も変わらない風景の1つがあの駅舎でした。

「変わらない駅舎を見るとなんだか安心するんです。思い出の場所がなくなるのは残念ですが、ここ5年ほどは足が遠のいていたので、なくなる前にもう1度訪れて写真でも撮りたいと思っています」(56歳男性)

見守り続けてくれて感謝

saraba.191121.5.jpg原宿駅から300メートル離れたところにある洋菓子店。
駅舎の完成と同じ年に創業し、およそ50年前から今の場所で営業してきました。

saraba.191121.6.jpg小澤俊文さん

洋菓子店の小澤俊文社長(66)は、原宿駅について「歴史があって愛されてきた駅舎です。95年前に作った人は原宿がここまで大きなまちになるなんて想像していなかったでしょう。まちと自然を結ぶ象徴で、この場所を見守り続けてくれたことに感謝しています」と話してくれました。

そして、原宿の発展に大きな役割を果たした駅舎の解体について「利用者の数や混雑を考えるとしかたないと思う面もありますが、解体されるのはとても残念です。すべて壊してしまうのではなく少しでも今の駅舎の面影が残るような形にしてほしい」と話していました。

最古の木造駅舎 その歴史は

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原宿駅(昭和39年)

原宿駅の今の駅舎が建てられたのは、関東大震災の翌年の大正13年(1924年)。

今から95年前とJR東日本管内に残る木造の駅舎としては、最も古い建物です。

ヨーロッパの「ハーフティンバー様式」とよばれる柱やはりが建物の外に露出するデザインが特徴的です。

太平洋戦争中、原宿も空襲の被害にあい、特に昭和20年5月24日、25日の「山の手空襲」では、青山通りや表参道は焼け野原となりましたが、原宿駅は奇跡的に被害を免れました。

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昭和39年の東京オリンピックでは、競泳が行われた国立代々木競技場や、ウエイトリフティングが行われた渋谷公会堂にも近いことから、原宿駅前にはオリンピックの案内所も作られました。

その後、平成に入り「カワイイ文化の聖地」原宿の玄関口として、親しまれてきた原宿駅。

saraba.191121.9.jpg原宿駅 新駅舎イメージ(JR東日本)

しかし、2020年の東京オリンピックを前に多くの利用客が見込まれる中、駅が老朽化しているとして、3年前の平成28年にJR東日本は原宿駅を建て替えると発表。

今の駅舎に隣接する形で新しい駅舎の建設を進め、今の駅舎を取り壊すかどうかは、地元の商店街や市民と協議していくとしていました。

解体までの経緯は

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原宿駅がある渋谷区は、地元の住民や商店主の声を受け、平成28年10月、JR東日本に要望書を提出。

今の駅舎を保存して活用してほしいなどとJRと話し合いを続けてきました。
区によると地元の住民からは、神宮の森をバックにした今の場所に駅が建っているからこそ価値があるとして、そのまま残してほしいという意見が多かったということです。

一方、JR東日本でも対応を検討しました。駅周辺は防火地域に指定されていて駅舎以外の目的で使うと「用途変更」が必要になります。
しかし、「用途変更」すると今の建物では耐火性能が問題となります。
そのためJR東日本は保存は難しいと判断して解体を決め、今の場所から南に8メートルほど離れた場所にできるだけ今の駅舎の形を再現した建物を作ることにしています。

ただし、面積は4分の1ほどになるそうです。
また、解体で出た資材についても、再利用できる物があれば、新たな建物で活用できないか検討しているとしています。

解体後に復活果たすケースも

それでも保存や移築を望む声はネット上で相次いでいます。

実は、解体後に「復活」を遂げようとしている駅もあります。
都内で、原宿駅に次いで2番目に“古い木造駅舎”だった国立駅です。

saraba.191121.11.jpg国立駅(平成18年)

大正15年に建てられ、赤い三角屋根の建物は、国立市のシンボルでした。
しかし、踏切で起きる渋滞を解消しようと、線路を高架にする工事を行うことになり、平成18年に駅舎は解体。
そこで国立市は、なんとか建物を再建したいと考え、解体の直前に建物を、「市の有形文化財」に指定しました。

saraba.191121.12.jpg現在のJR国立駅

解体された建物の柱など再利用できる部分を保管したうえで、駅前の土地をJRから買い取り、建設当時の姿で復元するための工事を進めています。
費用は、およそ10億5000万円かかりますが、市は寄付を募るなどして対応しています。

旧国立駅の建物は、町の情報発信の拠点として来年4月にオープンする予定で、資材のおよそ7割は前の駅舎のものを再利用して復元するということです。
国立市の担当者は「国立駅は原宿駅に次いで2番目に古いとPRするなど仲間意識があったので、解体されると聞き驚いています。さまざまな制約はあると思いますが、駅は地域のシンボルであり、大切にしてほしいです」と話しました。

新たな思い出へ

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きょうも多くの人でにぎわう原宿駅。
解体が決まった駅舎を写真におさめる人の姿が目立ちました。

駅舎をじっと見つめるこんな人の姿も…。

saraba.191121.14.jpg「ニュースで聞いたので趣味の『はがき絵』に残しておこうと思いました。
長く親しまれてきた駅がなくなるのはさみしいですね」(千葉県四街道市から訪れた77歳の女性)

人々が交差し、その数だけ思い出が紡がれてきた原宿駅。

次の駅舎では、どんな思い出が作られていくのでしょうか。

投稿者:成田大輔 | 投稿時間:15時15分

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