2019年10月16日 (水)産後うつ "須坂モデル"で1人も取り残されない支援を


※2019年7月12日にNHK News Up に掲載されました。

昼も夜も続く赤ちゃんの世話。睡眠不足や体の痛み。出産を終えた女性の多くは、疲労でいっぱいです。やがて産後うつになり、自分自身や子どもを傷つけることになってしまわないか。そんな危機感を背景に、長野県の人口5万人の自治体が病院と連携して、すべての母親を対象に、ある取り組みを始めました。“須坂モデル”とも呼ばれる全国初の取り組みが注目を集めています。

長野放送局記者 田中顕一
ネットワーク報道部記者 岡田真理紗

sanngo.190712.1.jpg

どうして産後うつに?
産後うつは、誰にでもその可能性があります。出産に伴う「体の変化」が関係しているとみられるからです。どのようなメカニズムでうつ病になるのか、それはまだ解明されていません。

ただ出産後、女性ホルモンの「エストロゲン」が急激に減少することで、脳の中にある「セロトニン」という物質の働きが悪くなることが原因の1つではと言われています。このセロトニンの働きが、うつ症状と関係していると考えられているのです。

sanngo.190712.2.jpg国立成育医療研究センター 立花良之・こころの診療部長
産後うつに詳しい国立成育医療研究センターの立花良之・こころの診療部長によりますと、こうした体内の変化に加え、産後の睡眠不足や体の不調なども、産後うつの原因になるということです。

産後間もない時期は、母乳の出をよくするため、1~2時間おきに授乳させることが多く、お母さんは長い間、まとまった睡眠が取れません。また産後に子宮が収縮する痛みや、会陰切開の傷の痛み、さらには長時間のだっこによる腰痛などと、体の不調が1か月以上続く場合も少なくありません。個人差はありますが、産後の母親はうつ病になりやすい状態になっているのです。
立花さんによりますと、
初めて出産する
妊娠中に精神的不調がある
家庭内で孤立感をおぼえている
妊娠前に精神疾患になったことがある
流産や離婚、家族の死など精神的に負荷のかかることを経験している
母親1人で育児を抱え込まざるを得ないような状況
などは、産後うつのリスクになりやすいとのことです。

産後うつは重症化すると、精神的に追い詰められ、自分自身や子どもを傷つけてしまうおそれもあります。

こうした母親の心の「危険サイン」に周りが気付き、重症化する前に精神科などでの治療につなげることが重要なのです。

各自治体は保健師の家庭訪問や子どもの定期健康診断などの機会に、母親の健康状態の確認などを行っています。それでも、産後うつが原因とみられる自殺や子どもへの虐待が後を絶ちません。

私たちは長野県で始まった、ある取り組みを取材しました。
人呼んで“須坂モデル”

sanngo.190712.3.jpg
長野県須坂市。県庁所在地・長野市のベッドタウンで、人口はおよそ5万人。その取り組みは6年前から始まり、全国の産後うつに関わる関係者から“須坂モデル”とも呼ばれ、注目されています。

始まったきっかけは出産後にこころの不調を訴える母親が徐々に増え、子どもへの虐待が疑われるケースも見られるようになったことでした。行政や医療機関の間で、母親の異変に早く気付き、支援する仕組み作りができないか、という声が上がったのです。

全国初の取り組み
“須坂モデル”は須坂市の保健師らと、市内にある拠点病院・長野県立信州医療センターの産婦人科医、助産師、精神科医など、お産と育児に関わる人たちが連携して母親をサポートします。

この取り組みでは、母親のこころの状態をチェックする統一の質問票を導入しました。

sanngo.190712.4.jpgこの質問票はイギリスで開発されたことから「エジンバラ産後うつ病質問票」と呼ばれ、「悲しくなったり、惨めになったりした」とか、「はっきりした理由もないのに不安になったり、心配したりした」など、10項目についてその時の状況を聞いていくものです。結果はうつ状態かどうかを見分ける1つの指標になっています。

須坂市はこれを母子手帳の交付時に、すべての妊婦に対して実施しました。

さらに質問票によるこころの状態のチェックに加えて、「妊娠や出産で協力してくれる人の有無」や「既往歴」、「経済的な状況」なども聞き、一人一人の妊婦の状況の評価も行いました。

専門家によれば、当時、全国でも初めての取り組みで、その後、同様の取り組みがほかの自治体にも広がっていったということです。

こうしたアセスメント(評価)を出産前から取り入れたねらいは、支援が必要な母親の状況にいち早く気付き、分べんを行う病院へとつなげていくことです。

イギリスやアメリカで行われた調査では、産後うつになる人の50%は、妊娠中からその症状が始まっているというデータもあります。

“壁”を取り払い 切れ目のない支援を
また“須坂モデル”ではもう1つの取り組みを始めました。行政側の保健師と医療側の医師や助産師などが一堂に集まって、特に支援が必要な母親への支援方針を話し合う「検討会」です。

行政と医療機関はいずれも出産に関わりますが、それぞれの役割や専門知識、関わる時期も異なります。この2つの機関が連携できれば、母親へ切れ目なく、手厚い支援が可能になります。

検討会は、職場が違うことによる“見えない壁”や“垣根”を解消するために設けられました。

sanngo.190712.5.jpg保健師や医師、助産師などによる支援方針を話し合う検討会
私(田中)は6月に開かれた検討会を取材しました。検討会は2、3か月に1度、病院の医師が時間に余裕のある木曜日に開かれています。非公開で行われるため、私が部屋にいたのは会議の前後でしたが、担当者どうしが談笑する場面もあり、職場が違っても、お互いのことをよく知る間柄になっている雰囲気が伝わってきました。

検討会への参加は多忙な医師らにとって、日常の業務にプラスアルファとなるものです。

しかし参加している県立信州医療センターの産婦人科医、堀田大輔さんは「多職種の連携は、自分1人でできることよりもお母さんたちにメリットをもたらせる」と話していました。

sanngo.190712.6.jpg県立信州医療センターの産婦人科医 堀田大輔さん
堀田さんによれば、この取り組みを始めるまでは、入院中の母親を見ていて様子が心配になっても、その情報を行政に伝えられないもどかしさがあったということです。

堀田さんは「行政とは別の機関なので、どうしても垣根が高く、すぐにやり取りができなかったり、この情報は伝えなくてもいいと思ったりして、心理的なハードルがあった」と話していました。

そして、「今までだと母親が医療の手を離れて、ちょうど調子が悪くなる時期に誰も手を差し伸べられなかった。そこの隙間を埋めるという意味で重要な取り組みだと感じている」と“須坂モデル”の意義を説明してくれました。
「追い詰められ、孤立していたかも…」
実際、どのような成果が出ているのでしょうか。私は4年前に須坂市の病院で出産をした女性に取材しました。

女性は出産から3、4日後、突然理由もなく涙が出てきたり、悲しくないのにすごく落ち込んでしまったと言います。

sanngo.190712.7.jpg女性は産後ケア事業を利用し、症状はおさまっていったという
女性は「自分はわりと心配性だとは思いますが、悲しくないのに落ち込んだりすることは経験したことがありませんでした。産後にうつ状態になることがあるということは雑誌や育児の本などで知っていましたが、今思えば、少しうつ状態に近かったのかなと思います」と話してくれました。

この当時、女性が病院で受けたこころの状態をチェックする質問票でも、結果は支援を検討する基準を上回っていました。

女性を担当していた助産師は、検討会で顔を合わせていた須坂市の担当者に電話で連絡。そして、その数時間後、病室にいる女性のもとを保健師が訪ね、女性の不安を和らげるため、行政が一部費用を負担し、病院などで育児のサポートを受けられる「産後ケア事業」を利用することが決まりました。

女性は産後ケア事業を利用して、助産師から育児に関するアドバイスを受けながら過ごし、出産後1か月半ほどで産後うつのような症状はおさまっていったということです。

女性は「こんなに小さい子どもを自分が育てていけるのかとか、授乳の悩みとか、泣き止まないとか、すごく不安が強かったのだと思います。支援がなければ、もっと追い詰められ、孤立していたかもしれません」と振り返り、素早い対応に感謝していました。

支援の手が届くように
須坂市によれば“須坂モデル”が始まって以来、市内の保健師や助産師が母親への妊娠や育児に関する支援を行った件数は、当初は4人(平成26年度)だったのが、昨年度(平成30年度)は124人と、急激に増加しています。また産後ケア事業の利用者も6年間で3倍になりました。

sanngo.190712.8.jpg須坂市健康づくり課 浅野章子課長
須坂市健康づくり課の浅野章子課長は、これが“須坂モデル”の成果だとしたうえで、「医療機関とつながったことで、母親の支援策がすごく強くなっている」と語りました。

浅野課長は“須坂モデル”の開始から6年がすぎ、市の保健師の間では医療機関と連絡を取ることにためらいがなくなり、行政と医療機関がつながった形の支援が実現できていると考えています。

全国への波及も期待
“須坂モデル”の立ち上げにも関わった国立成育医療研究センターの立花さんによりますと、産後4か月の時期に「エジンバラ産後うつ病質問票」を使って、須坂モデルの導入前と導入後を比較する調査を行ったところ、導入後は、産後うつの兆候を示す点数が明らかに低くなったということです。
精神的に調子が悪く、リスクのある母親、家庭に関しては、早めに母子保健関係者が気付いて、必要があればサポートしていくことが重要。重症化する前にいろいろ相談に乗ったり、関係者が母親や家庭環境を一緒に考えたりすることで救われるお母さんはたくさんいる。須坂での取り組みは多職種で連携する一つのモデルを示している」(立花さん)
では“須坂モデル”は全国に広げられるでしょうか?

人口が5万人の須坂市では、市内に行政の核となる保健センターと中核病院がそれぞれ1つずつしかなく、連携しやすい環境があらかじめ整っていました。

立花さんは、人口規模の大きい都市部にも広げるには地域をブロック分けして、医療と行政機関の連携の仕組みを作るなど、工夫が必要となると話しています。そして重要なことは、それぞれの地域で行政や地域の医療機関が旗振り役となって主導的に進めることだと指摘しています。

母親が声を上げやすい雰囲気づくりも大切
今回、取材をして強く感じたのは、産後のうつを防ぐための連携の重要性です。

縦割りの機関が横につながることで、早期の支援が可能になる。産後うつは治療が必要ですが、そこにたどりつく仕組みさえあれば、母親を救うことができるのだと感じました。

産後うつを防ぐには行政と医療の連携が重要だということは認知されてきているものの、双方が足並みをそろえることが依然として難しく、まだ全国的には広がっていないということです。“須坂モデル”のような取り組みが増えていくことを期待したいと思います。

もう1つ印象に残ったのは、須坂市の担当者が今後の課題として「悩みを受け止める態勢を整えても、出産や育児にまつわる悩みや苦しみを自分から相談できない人もいる」と話していたことでした。

出産や子育ては大変なもの、そんなものだよと思っていませんか?

そういった認識があるかぎり、自分の心のうちをさらけ出せない人がいるのではないでしょうか。

産後うつは、誰でもなる可能性がある。そのことを社会全体が受け止めていくことで、母親が声を上げやすい雰囲気をつくっていくことも大切だと感じました。

投稿者:岡田真理紗 | 投稿時間:11時46分

トラックバック

■この記事へのトラックバック一覧

※トラックバックはありません

コメント

※コメントはありません

コメントの投稿

ページの一番上へ▲