2018年10月25日 (木)娯楽がないと人間でいられない
※2018年9月13日にNHK News Up に掲載されました。
北海道を突然襲った地震から1週間。電気がない生活で人々の心を癒やしたのはトランプやボードゲームでした。「娯楽がないと人間でいられない」災害時にも遠慮することはありません。
ネットワーク報道部記者 後藤岳彦・高橋大地・松井晋太郎
<ゲームが変えた避難所の雰囲気>
「電気も無く、食べ物や飲み物も店から消えて夜の暗闇に感じる不安と恐怖、なれない環境でのストレスでギスギスしていた。そんな時だからこそ人と人とのコミュニケーションや笑いが必要で、その手助けとなったのがアナログゲーム。本当にいいものだと感じた」
北海道で震度7の揺れを観測した地震のあとに投稿され、話題になったツイートです。
「アナログゲーム」とは、電源が必要ないカードやボードゲームのこと。
ツイートをした北海道に住む20代の男性に話を聞きました。
地震の後、道内は停電。男性は、携帯電話の充電のため避難所を訪れた時に、たまたま手元にあった「モノポリー」などのゲームを取り出したところ、人だかりができるほどの人気に。
男性はいったん自宅に戻り、趣味で保管してあったほかのゲームおよそ20セットを持ってきて、ルール説明をしながら配ってまわりました。
まもなくそこかしこで笑い声が聞こえるようになるなど次第に避難所の雰囲気が変わってきたといいます。
男性は「テレビゲームも好きですが、停電してしまえばただの重いもの。一方、アナログゲームは電源も要らないし、人とコミュニケーションを取る1つのツールになりえます。多くの人が一緒になってわいわい楽しんで笑っている姿を見て、アナログゲームの魅力を改めて感じました」と話していました。
<防災袋にトランプ!?>
共感するツイートも多数投稿されています。
「うちも暗闇で懐中電灯で照らしながら人生ゲームやって家族で爆笑してました」
「防災袋にトランプ入れてる。娯楽が無いと人間でいられないと思う」
「『トランプやオセロなんて災害時に非常識』って思ってたけど、人間だもの、息抜きも必要」
<避難所でゲームを用意するところも>
避難所がゲームやおもちゃを用意した所もあります。
むかわ町にある穂別町民センターでは、近くの観光施設の担当者などが、ボードゲームやぬいぐるみ、絵本などを持ち寄り、自由に遊べるようにしました。
「オセロ」や「UNO」といった定番のゲームはもちろん、「ニムト」「ハゲタカのえじき」といったカードゲームなども置かれ、避難した人たちにも評判だと言います。
ゲームを用意した、むかわ町穂別地球体験館の野田亜衣さんは、「子どもたちも携帯用ゲームを持ってきたようですが、電池が切れてしまうので、カードゲームなどをやろうと言って楽しんでくれていました。大人も子どもも一緒になって遊べるのがよかったのではないでしょうか」と話していました。
<子どもの仕事は遊ぶこと>
「遊びが仕事」の子どもにその時間や場所を確保するのは大人の役割。
それをすみやかに実行したのが安平町にある「はやきた子ども園」です。
震度6強の揺れを観測した安平町にある「はやきた子ども園」では、家具が倒れただけではなく保育士も被災したため子どもを預かることが難しくなりました。
そこで、園長の井内聖さんがフェイスブックを通じて手伝ってもらえる保育士がいないか呼びかけたところ、札幌など道内のほか本州からもボランティアの保育士が集まり地震から2日後には、園を再開することができました。
今は40人から50人の保育士が60人ぐらいの子どもたちを見ています。
<未来ある子どもに不安を残さない>
職員の武部一憲さんによると、地震の影響で上空にはヘリコプターが飛び、復旧のため自衛隊員や工事車両が行き来するというふだんとは違う光景を目の当たりにしているほか、たび重なる余震で子どもたちは「何が起きているんだろう」と大きな不安に襲われます。
子どもが感じる不安やストレスは、大人が思っているより深刻で、家の中でずっと過ごしていると緊張感が続いてしまいます。
それを解消するためには、広い場所で鬼ごっこやサッカーをしたり友達とおしゃべりしたりと、とにかく遊ぶ場所を作ることが大切だと言います。
この園ではふだんは行っていない日中の小学生や中学生の受け入れも行いました。
帰る時に子どもたちは、「きょうは楽しかったね。また明日来ようね」と笑顔で帰っていくということです。
武部さんは、「東日本大震災では、時間がたってから子どもたちが精神的に参ってしまうこともあった。それを教訓に未来のある子どもたちに少しでも不安を残さないことが大事だ。みんなで協力してやっていきたい」と話していました。
<東日本大震災の記憶>
多くの犠牲者が出た7年前の東日本大震災でも娯楽の大切さは多くの人が認識しました。
津波で住宅のほとんどが流された宮城県南三陸町の中瀬町地区。
この地区では廃校の小学校に4月上旬からおよそ4か月にわたって120人の住民が避難しました。
当時の区長、佐藤徳郎さんは、当時の出来事が記録されたノートを今も大切に保管しています。
記録は、4月3日から始まり、朝晩の食事や消灯時間などの事務的なことが細かく記されています。
その翌日には映画の上映会や演奏会の開催などさまざまなイベントの予定が入ったことが書かれています。
家族や友人を失い生活の土台を奪われた人たちにとっても娯楽は必要だったのです。
一方で4月7日の夜遅くには、余震と見られる震度6弱の揺れを観測。その影響で映画の上映会が中止になったことも記されています。
震災から1か月が過ぎ避難生活にも少しずつ慣れてくると生演奏や落語、マジックなどイベントの予定が入るようになりました。
佐藤徳郎さんは「自宅が流され、狭い避難所で長期間、避難生活を送る中でストレスがたまってしまう。参加する住民が1人でもいいという思いで、イベントを積極的に行ってきた。その中で、子どもたちにも大人にも笑顔が戻っていた」と話しています。
<楽しんでいいの?>
一方で当時、皆が感じていたことがあります。
災害のさなかに楽しんでいいのだろうかという空気です。
4月も半ばすぎ、避難所の脇にあった桜が満開になった頃、私(後藤)は南三陸町で取材をしていました。
住民の中には桜を見て楽しんでいいのか、戸惑いを口にする人がいたことから、私は住民の人を誘い、満開の桜を見に行きました。
わずか数分間のお花見でした。
住民の1人は、「避難所での生活で疲れがたまっていたけど、満開のサクラを見て少し笑顔になれました。こうして楽しむ時間も大切ですね」と話していたのが非常に印象的でした。
<災害時の常識に>
この夏も各地で災害が相次いだ日本。だからこそ人間らしく生きていく知恵を身につけなければいけません。
「娯楽がないと人間でいられない」
災害時の常識になってほしい言葉です。
投稿者:後藤岳彦 | 投稿時間:15時33分