文研ブログ

メディアの動き 2023年07月13日 (木)

【メディアの動き】仏議会下院文化・教育委員会,公共放送改革に関する調査報告書公表

 フランス議会下院の文化・教育委員会は6月7日,議員調査団がまとめた,今後の公共放送のあり方に関する,提言を含む報告書を承認し,公表した。

 2022年8月に受信料にあたる公共放送負担税が廃止されたが,提言をふまえ,財源に関しては,改革に必要な法案も議会に提出されている。

 今回の調査報告書は,公共放送トップやメディア関係者など200人以上にヒアリングを行い作成された。

 公共放送の財源については,2024年末までの暫定措置として行われているTVA(付加価値税)の税収からの拠出を,2025年以降も継続するために必要な法改正を行うことを提言としてあげている。

 また,公共放送としての特性を改めて重視するため,公共テレビFranceTélévisionsの広告は,夜8時から翌朝6時の番組について,これまで規制の対象外だったスポンサーシップやデジタルサイトの広告を含めて一切廃止することもあげた。

 報告書によると,FranceTélévisionsの広告収入は,2022年度,全体で約4億ユーロ(約600億円)で,広告廃止による減収については,MetaやGoogleなどデジタルサービス事業者への課税による税収で補塡すべきだとしている。

 さらにデジタル時代において,公共放送各局の連携を迅速に強化するため,公共テレビ,公共ラジオ,国際放送,INA(国立視聴覚研究所)を1つの持ち株会社のもとで統括することなどが盛り込まれた。

 持ち株会社設立については,上院の議員が作成した公共放送改革法案の中でも柱の1つにされ,6月12日に上院で採択されている。

メディアの動き 2023年07月13日 (木)

【メディアの動き】韓国KBS,受信料の分離徴収の動きが加速,財政基盤が脅かされる事態に

 韓国の規制監督機関である韓国放送通信委員会(KCC)は6月16日,公共放送KBS の受信料と電気料金の分離徴収を目的とする放送法施行令の改正案を公表し,国民から意見を募集した。

 韓国では,受信料は電気料金とともに徴収されているが,放送を見ていなくても支払う仕組みとなっていることから反発が強く,韓国政府は制度の見直しを行っていた。

 改正案の公表に対してKBSは,分離徴収が実施されれば受信料の大幅な減収が予想されるため,激しく反発した。

 キム・ウィチョル社長は19日,職員に対し「KBSの独立性を維持するための最後の砦となる」と述べたうえで,21日には施行令改正手続きの差し止めを求めて憲法裁判所に仮処分を申し立てた。

 また,BBCなど世界の公共放送8局の会長が組織するグローバル・タスクフォース(GTF)は22日,このままではKBSは存続の危機に直面し,使命を果たせなくなるとの声明を出した。

 GTFは,偽情報があふれ社会が二極化する中,信頼できる情報源である公共メディアを弱体化させるべきときではないとも警告した。

 意見募集は26日まで行われ,寄せられた約4,700 件のうち89.2%が分離徴収への反対意見だった。

 ただ,7月上旬に予定されているKCCの議決では改正案が可決される可能性が高い。

 差し止め訴訟の判断にもよるが,早ければ7月中にも改正施行令が公布され,分離徴収が確定する。

 公共メディアの必要性や役割について議論が深まる前に手続きが加速しており,KBSは受信料収入という財政基盤が脅かされる事態となっている。

調査あれこれ 2023年07月11日 (火)

夏、視界不良気味の岸田内閣 ~無党派層と若い世代の支持率低迷~【研究員の視点】#497

NHK放送文化研究所 研究主幹 島田敏男

 安倍元総理が遊説中に凶弾に倒れてから1年。命日の7月8日、岸田総理大臣は安倍氏をしのぶ会合で「あなたから受け継いだバトンを、しっかり次の世代へと引き継いでいく」と強調しました。

 安倍元総理の下で5年近く外務大臣を務め、安倍氏が首脳外交にかけた情熱をよく知る岸田総理は、3日後の11日朝、NATO (北大西洋条約機構)首脳会合に出席するためリトアニアに向かいました。NATOの加盟国ではない日本の総理大臣がこの会議に出席するのは、ロシアのウクライナ侵攻を受けて開かれた昨年の首脳会合に続いてのことです。

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 5月のG7広島サミットを終え「それなりの成果はあった」と総括していた岸田総理ですが、その後の報道各社の世論調査では軒並み内閣支持率が低迷し、内政・外交すべてに注がれる国民の視線には厳しいものがあります。

 7日(金)から9日(日)にかけて行われた7月のNHK電話世論調査も、そうした傾向と同様の結果になりました。

☆あなたは岸田内閣を支持しますか。それとも支持しませんか。

  支持する   38%(対前月-5ポイント)
  支持しない   41%(対前月+4ポイント)

2月から5月にかけて4か月連続で上向いていた内閣支持率が、6月、7月と連続して低下。「支持する<支持しない」になったのは、ことしの2月以来です。

 この1か月の間に内閣支持率がどこで低下しているかを詳しく見ると、与党支持者の微減、野党支持者の横ばいと比べて、無党派層の支持率が18%にとどまり前の月より9ポイント下がっているのが目立っています。

 また、年代別に見ると18歳~39歳の若い世代で前の月より8ポイント減、60歳代で10ポイント減という変化が出ています。

 では、こうした内閣支持率低下の要因になっているのは何か?今月の調査で国民の不評をかっている傾向が浮かび上がったのがマイナンバーカードの利用拡大に関する政府の方針です。

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☆政府はマイナンバーの利用範囲を拡大する方針です。あなたはこの方針に賛成ですか。反対ですか。

  賛成   35%
  反対   49%

反対がほぼ半数に上っています。これを詳しく見ると、与党支持者では賛成が反対をやや上回っているのに対し、野党支持者と無党派層では6割近くが反対と答えています。

☆政府は来年秋に今の健康保険証を廃止し、マイナンバーカードと一体化させる方針です。今の健康保険証を廃止する方針についてどう思いますか。

  予定通り廃止すべき   22%
  廃止を延期すべき   36%
  廃止の方針を撤回すべき   35%

「廃止を延期すべき」と「廃止の方針を撤回すべき」を合わせた、政府方針に待ったをかける答えが合わせて7割に達しています。この質問では与党支持者でも待ったをかける答えが7割近くに上り、野党支持者、無党派層はそれ以上に厳しい数字になっています。

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 マイナンバーカードの利用促進を掲げる河野デジタル担当大臣は、相次ぐトラブルを受けて、秋までにすべてのデータの総点検を行って対応するので、方針を変更する考えはないとしています。

 しかし、そもそもマイナンバーカードの利用拡大は、政府や自治体の側の行政効率化のために発想された政策です。確かに利用者にとっても便利になる面はありますが、「デジタル弱者」と呼ばれる高齢者などに対する配慮が十分でない点は大きな問題です。

 河野大臣は今の健康保険証を廃止した後も、経過措置を設けるので問題はないと言いますが、デジタルの世界とは無縁の高齢者やそうした高齢者を抱える家族にとっては大きな不安材料になります。

 ロシアのウクライナ侵攻の後、首脳外交に対する注目度が高まり、岸田総理は安倍元総理に劣らぬ情熱を傾けているように見えます。しかし、どうも政権運営の足元が危うい印象が拭えません。

 さらにもう一つ、岸田内閣が大きな看板を掲げる「異次元の少子化対策」についても、国民の期待感は薄いようです。

☆少子化対策について、政府は今後3年間をかけて年間3兆円台半ばの予算を確保し、児童手当の拡充策などに集中的に取り組む方針です。あなたはこの少子化対策の効果に期待していますか。期待していませんか。

  期待している   33%
  期待していない   62%

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全体の6割以上が期待していないというのは、岸田内閣にとって極めて厳しい数字でしょう。これを年代別に見ても、子育て世代にあたる18歳~39歳、40歳代でも、期待しているは3割台にとどまっています。

 少子化対策について、岸田総理は「国民に新たな負担は求めない」と強調していますが、そうなるとどういう方法で財源を確保するのかが不鮮明です。

 視界不良気味の岸田内閣の原因は、国民との間で共通了解を生み出す努力に欠けている点にあると思います。とりわけ日々の暮らしに直結するテーマでは、国民に率直にメリット、デメリットを伝え、協力を求める姿勢が必要です。

 岸田総理にとって、首脳外交を華々しく展開する一方で、国民の素朴な疑問に真摯(しんし)に応える力を磨くことが、この夏の課題になりそうです。

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島田敏男
1981年NHKに入局。政治部記者として中曽根総理番を手始めに政治取材に入り、法務省、外務省、防衛省、与野党などを担当する。
小渕内閣当時に首相官邸キャップを務め、政治部デスクを経て解説委員。
2006年より12年間にわたって「日曜討論」キャスターを担当。
2020年7月から放送文化研究所・研究主幹に。長年の政治取材をベースにした記事を執筆。

調査あれこれ 2023年06月28日 (水)

"メディア"と"多様性"の足跡をたずねて【研究員の視点】#496

メディア研究部(メディア動向)熊谷百合子

venue_long1.jpg企画展の会場

 6月21日、世界経済フォーラムが2023年版の「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書」1) を公表しました。日本は146か国中125位と、前年の116位を更に下回る結果となりました。2006年に調査が始まって以来、過去最低の水準です。ジェンダー・ギャップ解消のペースが今のままでは、男女平等の実現には131年かかるという試算も出されました。皆さんはこの現実をどのように受け止めますか?
 メディアがこの課題に果たすべき役割について改めて考えたいと思い、私は、8月20日まで開催中の企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」2) を見るため、横浜のニュースパーク(日本新聞博物館)を訪ねました。
 日本新聞協会が運営するこの博物館は「歴史と現代の両面から確かな情報を見きわめる大切さと新聞の役割を学べる展示」を意識し、体験型ミュージアムとして中高生の体験学習の場としても活用3) が期待されています。今回の取材でも、館内は総合学習の一環で訪れている中学生や高校生でにぎわいを見せていました。
 新聞やテレビ、通信社は、報道を通じて差別や人権侵害に関する問題を提起し、社会制度そのものの改善を働きかける役割を担ってきました。一方で、社会のさまざまな分野で多様性(ダイバーシティー)が重視されるようになるなか、メディアの中の多様性は進んでいないのではないかという指摘もあります。SDGsの機運が高まり、Z世代を中心とした若い世代が多様性教育を受けるなかで、世代間で意識の差が生まれていることも否めません。そんな今だからこそ「多様性」をキーワードに、「メディアが変えてきたもの」と「メディアを変えてきたもの」を時代の変化とともに振り返ろうというのが、今回の企画展です。展示資料はおよそ300点。病気や障害、子ども、性的マイノリティー、日本で暮らす外国人や少数民族をメディアはどのように取り上げてきたのか。明治期から現代までの日本の多様性の足跡を追体験しながら、メディアと人々との新しい関係性や未来のメディアの役割についても考えさせられる企画構成になっています。このブログでは、この多様性展から見えてきたメディアのジェンダー平等の足跡に注目して取り上げます。

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 「第1章 近代日本と女性」の展示では、明治から昭和初期までの新聞紙面から、この時代の新聞が女性をどのように取り上げてきたかを確認することができます。気になった記事を1つ紹介しましょう。

 「當世婦人記者」と題したこの記事は、東京朝日新聞(現在の朝日新聞)の松崎天民記者が執筆したものです。記事の冒頭を引用します。
「文明開化の世界になつて、女の職業が段々殖(ふ)えて来た、遂(つい)には男の領分をも犯す様(よう)になつたは、婦人界のため祝着(しゅうちゃく)至極(しごく)だ、などゝ云つている間に油断は大敵、何時(いつ)しか新聞記者の領分にまで侵入して来た、あゝこれ何等(なんら)の珍現象ぞ」。

 明治20年代以降、新聞各紙で新設された家庭欄の編集担当として女性が採用されるケースも多くなっていました。この記事からは、女性記者が増えつつあることを「珍現象」として男性記者が捉えていた、当時の時代の空気がひしひしと伝わってきます。

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 時は流れて令和の時代。かつてに比べると今の日本は女性にとってだいぶ働きやすい社会になっているように感じます。その土台を作ったのは「男女雇用機会均等法」。就職、昇進、定年など職場における男女の平等をうたった日本初の法律です。
 企画展「第3章 メディアの中の多様性は」の冒頭に展示されていたのは、均等法が成立した1985年5月17日の夕刊の一面記事、そして当時の労働省婦人局長で“均等法の母”と呼ばれた赤松良子さんによって2021年12月に連載されていた日本経済新聞の「私の履歴書」の記事とメッセージでした。連載は去年、「男女平等への長い列」4) のタイトルで単行本化されました。女性官僚の先駆けでもある赤松さんが、戦後日本の女性の地位向上を目指して奮闘してきた歩みを辿ることのできる一冊で、会場でも手に取って読むことができます。

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 赤松さんの連載の編集を担当したのは、日本経済新聞社の編集委員兼論説委員の辻本浩子さんです。均等法施行後の89年に入社し、女性労働を長く取材してきた辻本さんにとって、赤松さんの連載に関わることには特別な思いがありました。

(辻本さん)
「私が就職活動をするころには均等法がもう施行されていて、女性も働く時代だということが当たり前のようにテレビや新聞でも取り上げられていました。働く女性を当たり前の存在として社会の中で映し出していたことが大きかったですね。そういう意味でも私は均等法の恩恵を受けた一人です。社会部や生活情報部の記者として、働く人の現場や厚生労働省を担当していたので、レジェンドでもある赤松さんのことはずっと存じ上げてきました」

 projectX_akamatsuW.jpg2000年12月放送「プロジェクトX」より

 日本の男女共同参画の道を切り開いてきたパイオニアとして知られる赤松良子さん。かつてNHK総合で放送していた「プロジェクトX」でも、赤松さんら労働省の女性官僚が均等法成立に注いだ情熱を克明に描いています。20世紀最後の放送回となった2000年12月19日に「女たちの10年戦争~『男女雇用機会均等法』誕生~」5)と題して放送された番組では、経済界や労働運動からの激しい反発を受けながらも、苦渋の末に法律が生まれた過程を描いています。“男女平等への長い列”が連綿と今の時代にも続き、まだ道半ばであることを感じさせる番組でした。ちなみに、2000年春に放送が始まった「プロジェクトX」が女性たちのプロジェクトとして初めて取り上げたのが、この「女たちの10年戦争」です。番組冒頭のスタジオでは、「今世紀最後のプロジェクトX、ついに女性たちのプロジェクトの登場です」と紹介されていました。
 「結婚退職制」、いわゆる“寿退社”の慣例に終止符を打った男女雇用機会均等法は、その後、1997年、2006年、2016年、2019年と4回の改正を経て現在に至っています。2度目の改正となった2006年には妊娠、出産を理由とした不利益取り扱いの禁止が盛り込まれたほか、直近の2016年の改正では事業主に対して妊娠、出産などに関するハラスメントの防止措置義務が新たに盛り込まれました。「プロジェクトX」の放送から21年後の2021年12月にNHK News Webに掲載された「News Up寿退社って、定年退職のこと?」6) と題した記事では、“寿退社”という言葉がもはや若い人には通じないことが紹介されています。
仕事と育児を両立する女性の先輩たちの背中を見ることができたのも、均等法が切り開いた新たな職場の風景と言えるでしょう。均等法は女性の働き方を変えたのみならず、この企画展のタイトルにもある「メディアを変えたもの」そのものだと感じました。
 辻本さんは、“均等法の母”と呼ばれる赤松さんの言葉に今だからこそ触れてほしいと言います。

(辻本さん)
「連載したのは均等法の施行から35年の節目でした。若い人たちには、均等法はあって当然の法律だと思いますが、なぜこの法律ができたのか、どんな経過で作られてきたかはあまり知らないですよね。今もまだ女性が働きやすい社会とはなっておらず、均等法が目指した完全な男女平等のかたちにはなお遠い状況です。『男女平等への長い列に加わる』というのは赤松さんが好きな言葉なんですが、今回の連載を若い人へのバトンのつもりで書いてくださいました。長い列にはたくさんの人がいるわけです。悩んでいるのは自分だけじゃない、そして長い列で進むわけですから、変えようとする人たちがずっといて、変えようとする動きがあるということに、私自身も励まされる思いでした」

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 今回の企画展では「メディアが変えたもの」として象徴的な展示もあります。
 会場のテレビモニターに映し出されていたのは1980年代にTBSが展開した「ベビーホテル・キャンペーン」の報道番組です。スタジオで解説する女性のテロップは「堂本記者」。2001年~2009年まで千葉県知事を務めた、堂本暁子さんの記者時代の姿でした。無認可の保育所に「ベビーホテル」と呼び名をつけて、子どもの置かれた劣悪な環境を週に1回のペースで夕方6時からのローカルニュースで1年にわたり放送しました。キャンペーン報道の概要を伝えるパネルでは「ベビーホテルの運営実態、預ける親の声や独自の利用者実態調査結果、識者の意見、厚生大臣のインタビューなどさまざまな角度から問題を伝え続けた」ことが紹介されています。この報道をきっかけに81年6月には児童福祉法が一部改正され、行政の監督権限が与えられるなどの改善につながりました。
 「問題に気づいた時に、入り口で止まるのではなく、課題を洗い出し、改善できるまで闘い抜くことが求められています」という堂本さんのメッセージが、報道の現場に身を置いてきた私にはずしりと響きました。

odakadirector6.jpg尾高泉館長

 開館以来、ニュースパークではさまざまな企画展を開催してきました。報道写真展や従軍取材展のほか、大震災や環境、太平洋戦争など取り上げたテーマは多岐にわたります。ミニ展示を含めるとその数は140を超えますが7)、「多様性」をテーマとした企画展は、20年あまりにわたる歴史のなかで今回が初めてのことです。館長の尾高泉さんが企画展のきっかけについて教えてくれました。

(尾高館長)
「男性中心の新聞業界でキャリアを重ねてきた均等法第一世代の全国の女性記者の皆さんが、定年や役員就任の時期を迎え、この40年弱の足跡からメディアや社会の変化をまとめてみよう、という機運が業界内外にありました。同時にグローバリズムやデジタル化でDE&I(Diversity, Equity and Inclusion)推進の流れも高まってきました。当時の報道業界は女性用の宿直室がなく、取材先に女性用のトイレもない時代でした。採用される女性も少なかったのですが、深夜勤務の多い報道界では、結婚や出産を機に辞めた人も多いので、今も残る女性はさらに少数派です。新聞博物館としてもまず、女性記者の歩みやジェンダー平等について、過去、現在、未来に時間軸を広げてまとめることから準備し、マイノリティーなどの多様性の視点の資料も収集していきました。」

 均等法が施行された1987年に日本新聞協会に就職した均等法第一世代でもある尾高館長。今回の企画展は、子育て中の男性学芸員や女性学芸員も含めた多様なメンバーで構成することも意識したそうです。メンバーの年齢も多様にすることで、互いの視点を生かしながら展示の内容を深めることにもつながったと手応えを感じていました。当初から企画展の準備に関わってきた学芸員の平形さゆみさんと工藤路江さんは、来館者からの反応に驚かされていると言います。

curators7.jpg学芸員の平形さんと工藤さん

(平形さん)
「企画展の会場でベテランの女性記者の方に声をかけていただくことがあります。展示をご覧になってこれまでの記者人生でのさまざまな思いがめぐるようなんですよね。男性が圧倒的に多い職場や取材先で、女性であるがゆえに味わった悔しい経験についても蕩々(とうとう)と語ってくださるので、私たちも新たな気づきを日々もらっています。それだけでなく、他の業界で働く女性からも声をかけられます。働く女性、過去に働いたことのある方なら誰でも胸に響く展示になっているのかなと感じます。ぜひ多くの方に来館してほしいです」

(工藤さん)
「展示物について聞かれるということよりも、展示物からさまざまな思いがめぐって、語らずにはいられないという方が多いのが今回の企画展の特徴かもしれないですね。見てくださる方の熱量を感じます。閉館後は毎日、展示室の清掃をしているのですが、ショーケースにはたくさんの指紋の跡が残っていて、熱心にご覧になっていったんだなぁというのが伝わってきます」

womensday8.jpg国際女性デーの地方紙の記事

 会場の中でひときわ印象的だったのが、国際女性デーの3月8日付けの全国紙や地方紙の朝刊を並べたコーナーです。沖縄タイムスと琉球新報は題号にシンボルフラワーのミモザをあしらい、国際女性デーならではの紙面を演出していました。また北海道新聞や東京新聞、西日本新聞など10紙以上の地方紙が一面トップでジェンダー・ギャップに関する記事を掲載しています。

newspaper_article9.jpg地方紙の一面記事 

 記事に共通して出てくるのが「都道府県版ジェンダー・ギャップ」というワードです。「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」は、共同通信が上智大学の三浦まり教授らと去年から始めた新たな取り組みで、世界経済フォーラムが算出するジェンダー・ギャップ指数を参考に「政治」「行政」「教育」「経済」の4分野の指数と順位を都道府県ごとに分析し、毎年国際女性デーの3月8日に公表しています。公表されたデータは加盟社の地方紙や放送局が活用することができます。地方紙の一面トップでジェンダー・ギャップが取り扱われていることに、館長の尾高さんも変化の兆しを感じています。

(尾高館長)
 「国際女性デーにこれだけ多くの地方紙が向き合っていることを知ったのは、今回の企画展の原動力の一つとなりました。『都道府県版ジェンダー・ギャップ指数』が可視化されたことで、地方紙の各紙がジェンダー・ギャップを『地域の社会課題の一つだ』という認識で独自に取り組めるようになったのだと思います。地方紙でジェンダーに取り組んでいるのは20代、30代の若い女性記者です。均等法1期生の女性は組織の中で圧倒的に少数派なので、ジェンダーやフェミニズムとはあえて距離を置いてきたという人も少なくありません。若い世代の記者の皆さんが地域のジェンダー・ギャップを真正面から描写して記事化していることに、活力を感じますね」

 男女間の格差がいまだに深刻な日本。ジェンダー平等の実現に向けて、変化を加速させていくためにメディアが果たしていくべき役割は、これまでにも増して大きくなっていると感じます。7月15日(土)には「多様性とメディア」8) 、そして7月29日(土)は「新聞とジェンダー平等」9) をテーマにした2つのシンポジウムも企画していて、メディアに関わる新聞記者や研究者が議論を交わす予定です。ニュースパークの「多様性展」は、日本のジャーナリズムの現在地、そして未来に向けて果たしていく役割を見つめ直す一つの契機となりそうです。


1) https://www.weforum.org/reports/global-gender-gap-report-2023

2) 企画の詳細は https://newspark.jp/exhibition/ex000318.html

3) ニュースパークの概要・沿革 https://newspark.jp/about/

4) https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/22/06/23/00255/

5) https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A200012192115001300100

6) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211215/k10013389061000.html

7) これまでの企画展一覧 https://newspark.jp/exhibition/archive/

8) https://newspark.jp/news/2023/0609_000324.html

9) https://newspark.jp/news/2023/0609_000325.html

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【熊谷 百合子】
2006年NHKに入局。福岡局、報道局、札幌局、首都圏局を経て2021年11月から放送文化研究所。
メディア内部のダイバーシティやジェンダーをテーマに調査研究中。

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#457北欧メディアに学ぶジェンダー格差解消のヒント
#466テレビのジェンダーバランス~国際女性デーのメディア発信から日常の放送・報道を見直すことを考える~
#475アナウンサーが探るジェンダーギャップ解消のヒント
 

メディアの動き 2023年06月26日 (月)

NHKを巡る政策議論の最新動向④  いまNHKに何が問われているのか【研究員の視点】#495

メディア研究部(メディア動向)村上圭子

はじめに
 本ブログでは、「NHKを巡る政策議論の最新動向」と題し、NHKのネット活用業務の今後に向けた議論を中心に整理しています。今回はその4回目です1)
 ブログの当初の目的は、総務省「デジタル時代の放送制度の在り方に関する検討会(以下、在り方検)」の「公共放送ワーキンググループ(以下、公共放送WG)」で行われている議論をできるだけわかりやすく整理することでした。しかし、NHKにおいて、現在は認められていないBS番組の同時配信を名目とする不適切な設備調達の手続き(以下、BS同時配信設備調達問題)が進められていた事案が明らかになったり2)、自民党の情報通信戦略調査会(以下、自民党調査会)において非公開で行われたヒアリングでNHKが答えた内容が公共放送WGの説明より踏み込んだ内容であると新聞で報じられたり3)、NHKによる“日本の放送業界への貢献”という観点から放送業界のプラットフォーム(以下、PF)について検討するタスクフォース(以下、TF)が立ち上がったり4)と、NHKのネット活用業務を巡る新たな動きが次々と出てきました。図1はこうした最近の動きを整理したものです。これらを単独の動きとしてではなく、関連付けて総合的に捉えていかなければ、NHKを巡る政策議論は正しく認識できないと考えています。

replacement_dayandtime.jpg図1 NHKのネット活用業務をめぐる最近の主な動向

 この他、いまNHKでは、ネット活用業務に関すること以外にも、複数の番組制作を巡って問題が指摘されたり5)、私が所属する文研でも個人情報を紛失するという問題が起きたりしています6)。本ブログとはテーマが異なるので詳細は取り上げませんが、受信料で業務を行う職員の一人として改めて身を引き締め、社会に対する責任をしっかりと果たしていきたいと思います。
 さて、今回は6月7日に行われた第9回の公共放送WGの議論を取り上げます。様々な動きの最中で開催された会合であったため、これまで以上に議論の論点は多岐にわたりました。またこの日は、ネット活用業務の必須業務化を求めるNHK、その姿勢に対して以前から懸念を表明してきた民放連、日本新聞協会の三者が一堂に会し、直接意見を述べあう場にもなりました。以下、主な議論のポイントを整理していきます。

1.問われる「ガバナンス」
 NHKについてはこれまで、在り方検の前身である「放送を巡る諸課題に関する検討会7)」(2015年~2020年)の頃から、①業務②受信料③ガバナンスの「三位一体改革」が求められてきました8)。本WGではこのうち、①のネット活用業務のあり方と②の受信料制度の将来像が中心に議論されてきましたが、第9回会合ではNHKのBS同時配信設備調達問題を巡り、③のガバナンスが大きな論点となりました。
 まずNHKの根本拓也理事が、これまでの経緯と再発防止策に関する説明を行いました9)。それに対して大谷和子構成員からは、NHK内の企業風土に問題があるのではないかとの指摘が、そして宍戸常寿構成員からは、経営委員会や監査委員会は十分機能しているのかとの疑問が投げかけられました。宍戸氏は、2018年にNHKがかんぽ生命保険の不正販売を番組で取り上げた際の経営委員会の対応10)などでも、経営委員会のガバナンスについて問題提起を行っています。また新聞協会からは、受信料で運営する組織であるにもかかわらず意思決定の過程における透明性を軽視している、ネット業務の今後を論じる以前に三位一体改革の進捗(しんちょく)状況を確認すべきで、夏に予定していたとりまとめは見送るべきだ、との声もあがりました。

2.問われる「WGへの姿勢」
 また、自民党調査会で行われたヒアリングに関する報道を巡り、NHKの公共放送WGに向き合う姿勢が問いただされる場面もありました。この事案はNHKが今後デジタル情報空間で果たすべき役割や、民間事業者との公正競争といった最も重要な論点に直結するものでもあったため、本ブログでも触れておきたいと思います。
 経緯を確認するため、5月26日に行われた第8回の公共放送WGの議論を少し振り返っておきます。この会合ではNHKの井上樹彦副会長が、ネット活用業務を必須業務化する場合には「放送と同様の効用をもたらすものに限って実施していくことが適切である」と述べ、業務の基本は「放送の同時配信・見逃し配信(NHKプラス)」と「報道サイト」であると説明しました。その上で、「放送と同様の効用をもたらすもので異なる態様のもの」についても、一部必須業務化することが考えられると述べました。その具体例として、テレビを保有しない人たちを主な対象とした「インターネット社会実証11)」で検証した結果を踏まえ、視聴者の関心の幅を広げるための一覧・連続再生のようなサービスや、放送より細かいエリアで情報を伝える災害マップなどをあげました。
 説明を受け、構成員から質問が相次いだのが「異なる態様のもの」についてでした。NHKはどのような考え方でこのサービスに臨もうとしているのか、どのくらいの費用をかけて行うつもりなのか、そして、現在は任意業務として行っているネットサービス、「理解増進情報」との関係はどうなるのか、などです。
 「理解増進情報」とは、NHKとの受信契約の有無を問わず、現在、全ての視聴者・国民向けに提供しているネットサービスです(図212))。番組の周知・広報のためのSNSなどでの発信、放送では伝えきれなかった内容を深掘りし再構成したテキスト記事、課題解決に向けたコミュニティーや視聴者との対話の場作りなど、様々な取り組みが行われています。NHKは毎年、総務大臣の認可を得た上でこうしたネットサービスを行っていますが、民放連と新聞協会からは、NHKはなし崩しにサービスを拡大させているのではないかと繰り返し指摘されてきました。公共放送WGでも、このサービスについては、受信料での負担のあり方や、民間事業者との公正競争の観点から度々議題にあがっていました。そのため構成員からは、この理解増進情報が必須業務化したら「異なる態様」として衣替えするだけではないか、必須業務化してもサービスに歯止めがかからないという同じ問題が生じてしまうのではないか、といった疑問が呈されていたのです。

bolg4-2.png図2 NHKのネットサービス「理解増進情報」

 これらの質問、疑問に対し、NHKは、今後はむしろ必須業務化することで、公共放送としてこれまでやってきた正確な情報の提供、情報空間において信頼できる情報の参照点という内容に、より“純化”して業務を行っていくことになるだろう、という趣旨の回答を行いました。ただ、構成員からはより詳細な説明を求められたため、次回のWGで改めて回答することになりました13)
 この3日後、5月29日に行われたのが、自民党調査会によるNHKへのヒアリングでした。テーマは公共放送WGと同様、ネット活用業務の必須業務化に関するものでした。ヒアリング後、日本経済新聞は「NHK、ネットの文字ニュース縮小を示唆 自民党調査会で」、朝日新聞は「NHK幹部、文字ニュースの見直しを示唆 「映像や音声伴うものに」」と報じました。記事によるとNHKの井上副会長は、民間との役割分担に関して「一部適切とは言い切れないものがあった」とし、ネット活用業務におけるニュース配信については、「映像と音声がともなったものに純化したい」と発言したとのことです。会議自体は非公開で行われているため議事録は公開されておらず、記事は自民党調査会事務局長による記者団への説明をもとに書かれていました。
 この自民党調査会の9日後に開かれたのが、今回のブログで取り上げている第9回の公共放送WGです。公開の場でNHKがどのような発言を行うのかが注目される中、NHKの根本理事は資料14)を示しながら、前回の第8回の回答を補足していきました。ネット活用業務の「異なる態様のもの」についてどのような回答を示したのか、資料から引用しておきます。
 「NHKに最も求められている「正確な情報」「多様な番組」「信頼できる情報空間の参照点」といった内容により純化して、業務を行っていく考えである」。「個別放送番組の理解を促すコンテンツ群が増えていくようなことにはならないと認識している」。「ネット全体で見た場合に、もっと純化すべきではないか、という声があることは承知している。(中略)「理解増進情報」ではなく「必須業務」となることで、公共放送のミッションそのものを体現する、引き締まったものになると考えている」。
 NHKのこの補足回答に異を唱えたのが曽我部真裕構成員でした。曽我部氏はNHKに対し、自民党の調査会でテキストニュースを縮小する方針を説明したとみられるが、この点については前回のWGでも、また今回も関連質問があるにも関わらず説明にも書面にも特段言及がないのはWGに向き合う姿勢として疑問に感じるとコメント。その上で、もしも自民党調査会に関する報道が正しいとすれば、テキストベースの報道の配信についてNHKはどうするつもりなのか、改めてこの場で説明してほしい、と要望しました。
 これに対しNHKは、放送でやらないようなものはなるべくやらない、NHKの本来業務としての仕事をやっていきたい、それによってNHKの役割が純化していく、ネット活用業務においてどういう業務が放送と同様の効用になるのかについては、これまで理解増進情報で提供してきた内容の再整理をしっかり行っていきたい、と回答しました。

3.問われる「情報社会の参照点としての役割」
 NHKが繰り返し述べた「整理」もしくは「再整理」という言葉について、民放連は業務の「縮小」と受け止めたとして、NHKは理解増進の名のもとで膨らんだネット活用業務を絞り込み、ネットには放送と同じものを出すとの姿勢を打ち出したものと理解した、という趣旨のコメントをしました。長田三紀構成員からは、テレビ受信機を持っていない人もネット上でNHKの放送が見られるといいとは思っているが、放送で省略しているものをネットで補うから放送と同じというわけにはいかない、との発言がありました。長田氏の発言に共鳴したのが新聞協会でした。新聞協会は、我々はテレビ非保持者へのNHKプラスの拡大に反対しているわけではない、懸念しているのは放送と同一とされていても、次第にその幅が広がってネット上で放送とは異なる別な報道の空間ができてしまうことであると述べました。
 こうした議論の流れに異を唱えたのが瀧俊雄構成員でした。瀧氏は一連の議論の中でNHKが頻繁に用いる「整理」という言葉を「縮小」と解釈することついては若干の危うさを感じているとし、その理由を以下のように述べました。自分は新聞の購読者として記事を読んでいるが、長尺のしっかりした記事を実はNHK(のネットサービス)でしか読めない経済環境にある方もいるのではないか、その点をきちんと議論すべきであり、縮小=整理ということではないのではないか。
 また、縮小に反対する意見は、この日の午後に行われた在り方検の親会でも出されました。発言したのは奥律哉構成員でした。奥氏は、NHKが情報空間において参照点でありたいというのなら、NHKはネット上でデータとして残るものを常に出し続け、変更があればそれを訂正していくことが必要ではないか、放送と同様ということで映像や音声を中心に考え、テキスト化を抑制するかもしれないというのは、本来目指す方向とは逆向きのベクトルではないか、と述べました。

4.問われる説明責任
 瀧氏や奥氏の発言には、放送と同じ内容をそのまま配信するネットサービスや、受信契約者向けのネットサービス以外にこそ、NHKが情報空間において果たすべき役割があるのではないか、という趣旨が含まれていたと私は理解しました。NHKからは、公共放送WGや在り方検親会で踏み込んだ回答が示されることはありませんでしたが、6月21日の会見の席で、自民党調査会でヒアリングを受けた井上副会長は以下のように述べました。「値下げ等で厳しい状況になる中、経営資源の選択と集中を行うことになる。無秩序に業務が拡大するということにはならないのではないかという趣旨で申し上げた。業務全般を点検、再整理していくというふうな考え方を示した」。また、NHK稲葉延雄会長は「ネットの世界というのは日々変化していますし、5年後10年後の世界っていうのは誰も予測ができないですね。そういう将来を見越しながらこの具体的な手段を、適当か適当でないかって議論をするのはあまり意味がないなと私自身は思っています。」「必須業務化する中で、NHKでやるべき仕事としてどうなのかという見地から再整理する。したがって再整理が一概に縮小ということにはならない」と述べました。
 この会見を受け、先の自民党調査会後に「NHK、ネットの文字ニュース縮小を示唆 自民党調査会で」と報じた日経新聞は、「NHK、文字ニュース配信縮小を修正」と報じました15)。ただ、NHKの会見では、「修正」ではなく、何らかの理由で「誤解」されて伝わったというニュアンスで伝えていました。前述のように自民党調査会のヒアリングは非公開であるため、発言の詳細や雰囲気をうかがい知ることはできませんが、ヒアリングを受けた当事者であるNHKから、必須業務化に向けて、ネットサービスにおいてテキストを一概に縮小していくということにはならない、という方向性が表明された以上、今後はこの考えが前提となって議論が積み重ねられていくことになると思います。

 今回を含め、これまで4回、ネット活用業務を中心にNHKを巡る政策議論についてみてきました。議論を整理して最も感じたのは、NHKは常に説明責任を問われ続けており、それが十分に果たし切れているとは受け止めてもらえていない、ということです。制度や政策を議論する総務省の有識者会議において、「矜恃(きょうじ)」「理念」「姿勢」「ビジョン」という言葉が繰り返し構成員や競合するメディアから問われているという事実を、NHKはもっと重く受け止める必要があると思います。こうした「矜恃」「理念」「姿勢」「ビジョン」があってはじめて、具体的なサービス像や民間との競争ルールのかたちが見えてくるのではないか、という意見もその通りだと思います。
 公共放送や受信料制度の枠組みそのものが世界的に大きく揺らぐ中、NHKのみでこの難関を乗り越えていくことは困難であることは間違いありません。公共放送WGの議論を見ていても、その善しあしはともかく、これが正解、ここが落とし所、という方向を定めて進めているとは思えません。WGで投げかけられている本質的な問いにNHKが真正面から向き合い、メディアとしてどこに向かいたいのかを愚直に語ってみることでしか、もはや議論は前進しない段階にきているのではないかと思います。総務省で行われる有識者会議は誰もが傍聴できる開かれた場です。そこでNHKが説明責任を十分に果たしていると受け止められ、その説明に何らかの共感を得てもらえなければ、受信料を負担している一般の視聴者・国民、ましてNHKを視聴しないもしくはテレビを持たない人々から、NHKが必要だと感じてもらえるはずがありません。
 6月21日、総務省はNHKの受信料を1割引き下げる規約変更を認可したと発表しました16)。今年10月から、地上契約は月1100円に、地上・BS契約は月1950円に値下げすることになります。NHKが公共放送WGでも繰り返し説明していたように、これから受信料が大幅な減収に向かう中、業務における集中と選択は避けられません。放送同時・見逃し配信以外のネットサービスについても単に縮小するわけではない、と表明した以上、どの部分を強化し、そのためにNHK全体としてどこを縮小していくのか・・・。
 前述したとおり、理解増進情報についてはなし崩しに拡大しているとの批判があり、新聞協会からは具体的なサービス名もあげられています。しかし私は、批判は真摯(しんし)に受け止めつつも、ネット上のサービスやコンテンツの中身に関する判断は、メディアとしての自主自律の観点から、まずNHK自らが取捨選択を判断すべきであると考えます。以前から述べていることですが、NHKでは多くの現場で、デジタル情報空間における公共的なメディアの役割とは何かについて模索と議論が積み重ねられています。しかし、こうした現場の模索や議論を総合的に検証する中で、新たなデジタル情報空間における役割と、それを体現するネットサービスを具体的に考える作業が十分行われてきたかと問われれば疑問もあります。今一度こうした作業をしっかりと行い、そのプロセスを、NHKのネット活用業務の拡大に懸念を示す民放連や新聞協会と共有することによってはじめて、競争領域におけるルールの構築と、新たな協調領域の枠組みの議論に向かうことができるのではないでしょうか。
 議論はまだまだ続きます。引き続きブログなどで発信を続けていきたいと思います。


1) ①https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2023/05/18/
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2023/05/25/
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2023/06/07/

2) NHK広報局「インターネット活用業務に係る不適切な調達手続きの是正について」(2023年5月30日)https://www.nhk.or.jp/info/otherpress/pdf/2023/20230530_1.pdf

3) 日本経済新聞 「NHK、ネットの文字ニュース縮小を示唆 自民党調査会で」(2023年5月29日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2994G0Z20C23A5000000/
朝日新聞デジタル「NHK幹部、文字ニュースの見直しを示唆 「映像や音声伴うものに」」(2023年5月30日)https://www.asahi.com/articles/ASR5Z04R0R5YUTFK00Y.html

4) 総務省「デジタル時代の放送制度の在り方に関する検討会」「放送業界に係るプラットフォームの在り方に関するタスクフォース」(2023年6月19日初回開催)
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/digital_hososeido/02ryutsu07_04000387.html

5) NHK NEWS WEB「ニュースウオッチ9 先月15日の放送でBPOが審議入りへ」(2023年6月9日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230609/k10014095491000.html
「映像の世紀バタフライエフェクト『独ソ戦 地獄の戦場』修正について」
https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/

6) NHK広報局「NHK放送文化研究所における世論調査対象者資料の紛失について」(2023年6月2日)
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20230605_1.pdf

7) 2015年11月~2020年12月まで開催 NHKの放送同時配信などの制度改正が検討された
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/housou_kadai/

8) 三位一体改革の必要性については、2016年9月に公表された第一次とりまとめの段階で示されている
https://www.soumu.go.jp/main_content/000616366.pdf

9) NHK「NHK執行部の対応について」公共放送WG第9回資料(2023年6月7日)
https://www.soumu.go.jp/main_content/000885011.pdf

10) この問題のこれまでの経緯の詳細については
  https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/100/453059.html

11) NHK「インターネットでの社会実証(第二期)結果報告」(2023年5月23日)
  https://www.nhk.or.jp/info/otherpress/pdf/2023/20230523_2.pdf

12) 「NHKインターネット活用業務実施基準」(2023年4月)から引用
  https://www.nhk.or.jp/net-info/data/document/standards/221221-01-jissi-kijyun.pdf

13) 第8回会合で構成員からどのような疑問や質問があったかについては、6月7日の「文研ブログ」を参照
  https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/2023/06/07/

14) NHK「前回会合における質問事項への回答」公共放送WG第9回資料(2023年6月7日)
  https://www.soumu.go.jp/main_content/000885014.pdf

15) 日経新聞「NHK、文字ニュース配信縮小を修正」(2023年6月21日)
  https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC21C8Z0R20C23A6000000/

16) 総務省「日本放送協会放送受信規約の変更の認可」(2023年6月21日)
  https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01ryutsu07_02000265.html

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村上圭子
報道局でディレクターとして『NHKスペシャル』『クローズアップ現代』等を担当後、ラジオセンターを経て2010年から現職。 インターネット時代のテレビ・放送の存在意義、地域メディアの今後、自治体の災害情報伝達について取材・研究を進める。民放とNHK、新聞と放送、通信と放送、マスメディアとネットメディア、都市と地方等の架橋となるような問題提起を行っていきたいと考えている。

メディアの動き 2023年06月26日 (月)

【メディアの動き】市川猿之助さんと両親,自宅で倒れ発見,両親は死亡,各社が大きく報道

 警視庁の調べによると,5月18日午前,歌舞伎俳優の市川猿之助さんと父親の市川段四郎さん,それに母親の3人が東京都目黒区の自宅で倒れているのをマネージャーが発見し,その後,両親の死亡が確認された。

 段四郎さんと母親は,自宅2階のリビングの床に布団がかけられた状態で倒れていて,前日から当日にかけて向精神薬中毒で死亡した疑いがあるという。

 猿之助さんは2人とは別の地下の部屋で意識がもうろうとした状態で発見されたが,命に別状はなく,自宅からは遺書とみられるメモが見つかった。

 猿之助さんは病院への搬送時に意識があり,同日,警視庁の事情聴取に対し「死んで生まれ変わろうと話し合い,両親が睡眠薬を飲んだ」という趣旨の説明をしたとのことで,警視庁は,両親が死亡した経緯などについて,さらに本人から事情を聞いて詳しく調べることにしている。

 人気歌舞伎俳優であり,テレビドラマでも活躍していた猿之助さんだけに,この出来事は各マスコミで大きく取り上げられ,SNS 上でも,憶測を含めたさまざまな意見や情報が飛び交った。

 一方で,連鎖した自殺などが起きないよう,マスメディアではニュースの最後にSNSや電話での相談窓口を紹介するなどの配慮もみられた。

 猿之助さんをめぐっては,同18日に発行された女性週刊誌『女性セブン』が,共演する役者たちやスタッフにセクシュアルハラスメントやパワーハラスメント行為をしていた疑惑を掲載しており,この報道と今回の出来事の間にどんな関係があったのか,今後の調べの行方を注視していきたい。

調査あれこれ 2023年06月23日 (金)

日本海中部地震から40年 北海道南西沖地震から30年 2つの大津波の教訓【研究員の視点】#494

メディア研究部(メディア動向)中丸憲一

okushirito_damage.jpg北海道南西沖地震津波の被害 (写真提供:東北大学災害科学国際研究所 津波工学研究室)

【2つの大津波の共通点】
 2023年は、日本海中部地震津波(1983年)、北海道南西沖地震津波(1993年)からそれぞれ40年、30年となります。今回はこの2つの大津波が今に伝える教訓について、かつて災害担当記者だったメディア研究者の視点から考えていきたいと思います。
この2つの津波には、共通点があります。
▼過去に何度も津波被害を受けた三陸沿岸ではない、日本海側で起きた津波だった。
▼観光地など地元に土地勘のない人が多く訪れる地域を襲った津波だった。
▼地震発生から津波到達までの時間が10分未満だった。
 この2つの災害が発生した時、当時の技術では津波警報の発表と伝達が間に合いませんでした。結果的に多くの犠牲者が出る事態となりました。
メディアの災害報道のあり方にも大きな課題を突きつけ、防災教育の重要性が指摘されました。

【日本海中部地震津波とは】

gyosen_2_W_edited.jpg日本海中部地震津波の被害 (秋田地方気象台ホームページより)

日本海中部地震が起きたのは40年前の1983年5月26日午前11時59分。マグニチュード7.7の大地震により津波が発生しました(※1)
東北大学の研究グループが、当時作成したシミュレーション動画では、この津波がどのような動きをしたのか詳しく見ることができます。

 日本海中部地震津波シミュレーション (動画提供:東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授)
 

地震発生後、日本海の震源付近で盛り上がった海面がほぼ東西に分かれ、高い津波となって主に秋田県と青森県の沿岸に襲来。津波の第1波は地震発生から約7分で到達しました。
その後も繰り返し津波が押し寄せ、1時間近く経過してもなかなか衰えない様子がわかります。津波は最高14mの地点まで到達したという記録が残っています。
この時、仙台管区気象台が津波警報を発表したのは、地震の発生から15分後。さらにNHKが津波警報を伝えたのが、その5分後。津波の第1波の到着から13分が経過していました(※2)。当時の技術力ではこれが限界だったと思いますが、メディアとしては情報を迅速に伝えることが責務です。しかし、結果的にそれが十分にできない中で、この津波では、秋田県と青森県、北海道であわせて100人が犠牲になりました。

【土地勘のない海岸で津波に襲われた遠足中の小学生】
犠牲者には、北秋田市の旧合川南小学校の4年生と5年生の児童13人が含まれています。子どもたちは、秋田県男鹿市の加茂青砂海岸に遠足で来ていて、ちょうどお昼のお弁当を食べていたところでした。当時のNHK社会部の記者が研究者と共同で、このときのことを記録しています。日本海中部地震の翌年に出版された本から証言を引用します。

(大地震に遭った子どもたち「日本海中部地震」の教訓 清永賢二 小出治 平井邦彦 井辺洋一著)
 午後零時ごろ 男鹿半島・賀茂青砂海岸に降りて昼食。
《一人の子どもが大声をあげるので駆けつけたところ、岩間にリュックを落としており、それを拾い上げたところに大波が来た。その後、気がついた時は、海岸で人工呼吸を受けていた》(四年担任の先生)
《海辺の方向を振り返った時、「アッ」という悲鳴が聞こえ、子どもを助けに行こうとしたところ、岩の周りの海が盛り上がってきた。二人の子どもの手をとり、助けようとしたところ、急激な力で海へ引っ張られ、体が一回転した。その時、右手の子どもの手が「スルリ」と抜けていった。》(五年担任の先生)
《わたしらでも、こんな大きな津波が来るとは少しも思ってませんでしたからね。まして、合川というところは山の中でしょう。地震と津波というのは少しも結びつけて考えなかったでしょうね。》(地元の女性・六〇歳くらい)

 子どもたちは、不意打ちで津波に遭い、一瞬のうちに波にさらわれました。また、海岸付近に住む地元の女性の話から、子どもたちは山あいの地区にある小学校に通っており、土地勘のない場所で津波に遭遇したことがわかります。

imamura_onlinecoverage.jpg東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授
(リモートインタビューの様子)

日本の津波研究の第一人者で、当時、日本海中部地震津波の被災地を調査した東北大学災害科学国際研究所の今村文彦教授は次のように話しています。
土地勘がなく、『地震のあとに津波が来る』という知識もなかったことで、適切な避難ができず、遠足や観光などで沿岸を訪れていた多くの方が犠牲になった。海に近い地域はもちろん、そうでない地域の人たちでも海の近くに行くことはある。全国各地で津波の防災教育を進めることの重要性を突きつけた津波災害だった
この時の津波では、放送による呼びかけで被害を防ぐことはできませんでした。津波警報の放送についてはこのあと見直しが進められましたが、今村教授が指摘する防災の知識を広げていくことは、放送のコンテンツを通じても可能です。メディアにそのことを意識させる大きなきっかけの1つが日本海中部地震だったと筆者は考えます。

【北海道南西沖地震とは】
北海道南西沖地震は、日本海中部地震から10年後の1993年7月12日午後10時17分に発生しました。北海道奥尻島の北西の沖合を震源とするマグニチュード7.8の地震により津波が発生。震源が島に近かったため、津波は地震発生後4分から5分で到達。高さ20m以上の地点まで達し、観光地として知られていた奥尻島を中心に230人が犠牲になりました(※3)


okushirito_damage2.jpg北海道奥尻島の被害(写真提供:東北大学災害科学国際研究所 津波工学研究室)

札幌管区気象台は、地震発生から5分後に津波警報を出しましたが(※4)、この時点で奥尻島にはすでに津波が到達していました。

【被害を拡大した津波の「挟みうち」】
津波の速度に加え、島や岬などの特有の地形によって津波に「挟みうち」されるような状態になったことも、多くの犠牲者が出た原因の1つです。当時、東北大学の研究グループが作成したシミュレーション動画を見てみます。

 北海道南西沖地震津波シミュレーション (動画提供:東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授)
 

画面中央にある岬が、奥尻島南端部に位置する青苗地区。壊滅的な被害を受けた場所です。津波はいったん地区(岬)の西側に到達したあと、南側を高速で回り込んで東側にも到達。東西から津波に挟みうちされるような状態になり、逃げ場を失った人も多かったのです。

【類似災害から読み取る教訓を伝えることの大切さ】
災害担当記者だった筆者も、これとよく似た津波災害を取材したことがあります。それはタイ南部の離島、ピピ島でのことです。ピピ島は、2004年12月26日に発生し、30万人以上が犠牲になったインド洋大津波の被災地の1つです(※5)。レオナルド・ディカプリオ主演で2000年に公開された映画「ザ・ビーチ」の舞台となったこともある人気の観光地で、当時も年末年始の休暇で多くの観光客が訪れていました。インド洋大津波が発生したとき、筆者は、仙台放送局で災害担当の記者をしていました。この大津波による被害を受けて、津波の研究者たちは調査団を結成し、筆者はその調査に同行しました。
津波発生から数日後にタイに入り、大きな被害のあった観光地のプーケットなどを取材。そのまま年が明け、2005年1月2日にピピ島に到着しました。調査の結果、ピピ島には島の北側から高さ6m、南側から高さ4mの津波がほぼ同時に押し寄せ、ホテルや土産物店などが建ち並ぶ島の中心部を襲ったことがわかりました。観光で訪れた場所で、いきなり津波が挟みうちのように襲ってきたのでは、逃げようがなかっただろうと、現場に身を置いて強く感じました。
今回のブログを書くにあたり、奥尻島を襲った津波について調べるうちに、「島が挟みうちされるように津波に襲われた」という点で、極めて類似していることに気づかされました。北海道南西沖地震の2年後、1995年に起きた阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災をきっかけに、メディアの災害報道は、減災を重視する伝え方に変わってきています。こうした過去の災害から類似点や教訓をくみ取り、伝えていくことの重要性を改めて感じました。

【過去の教訓の継承には課題も】
一方、北海道南西沖地震では、過去の災害の教訓を生かすことの難しさも明らかになりました。実は、奥尻島には、1983年の日本海中部地震でも津波が押し寄せていました。このとき、津波が到達したのは30分後で、2人が犠牲になりました。このため地震のあとに津波が来る危険性は住民たちも共有していました(※6)。しかし、当時、今村教授らの研究グループが行った聞き取り調査の結果からは、過去の津波の経験が裏目に出てしまったことも浮かび上がりました。「日本海中部地震のときは地震発生から30分後に津波が来たので、今回もそのくらいの時間があるだろう」と考え、避難の遅れにつながったと指摘しています。一方、この経験を生かし、すぐに逃げた人は難を逃れたということです。最短4分から5分という速さで到達した津波から逃げ切るには、一刻の猶予も許されない状況でした。今村教授によると、すぐに逃げて助かった複数の人が「揺れ方が違っていた」と答えました。具体的には、日本海中部地震のときは「縦揺れから始まり、その後横揺れが来た」が、北海道南西沖地震のときは「下からドンという強い揺れがいきなり来た」と話していたといいます。今村教授は、前者は震源から比較的離れた場合の地震、後者は「すぐ近くで起きた地震」の特徴を示していると指摘しています。
津波は毎回、形を変えて襲ってくる。発生条件が変われば、到達時間や来襲する方向、さらには災害の形態も変化する。過去の経験を生かすことは重要だが、以前と同じように来るとは限らない。気象庁の津波警報を待っていたら間に合わない場合もある。とにかく『強い揺れを感じたらすぐに逃げる』を徹底するしかない。
 過去の経験を生かすとともに、場合によってはそれにとらわれず臨機応変に行動することの大切さ。こうした知識は、平時から備えておかなければなりません。メディアとして日頃から伝えるべき重要なメッセージだと思います。

【2つの大津波の教訓をどう生かす】
 先にも触れましたが、日本海中部地震と北海道南西沖地震では、気象庁が津波警報を発表したのと、それをメディアがテレビ・ラジオで速報したのはいずれも津波到達のあとでした。結果的に多くの犠牲者が出る事態となりました。これをきっかけに気象庁は津波警報の発表方法を改善。現在では、地震発生から約3分(一部の地震については約2分)を目標に津波警報が発表され(※7)、その後、すぐにメディアが伝えるという体制になっています。
 しかし、それでも日本海中部地震は地震発生から約7分、北海道南西沖地震は4分から5分で津波が到達しており、現在の技術を用いたとしても、津波警報の発表を待ってから行動したのでは助からないおそれがあります。さらに地理に不慣れな観光地にいたとすれば、条件はさらに厳しくなります。
 この難しい課題を解決しようと、同じ日本海側である試みが行われています。山形県酒田市の沖合にある飛島です。海水浴や釣り、シュノーケリングなどを楽しむため、多くの観光客が訪れます。
飛島付近の海底には、複数の活断層が確認されており、これらの断層がずれて動いた場合、津波は最短2分で到達すると想定されています。津波警報の発表を待っていたのではとても間に合いません。2022年4月、酒田市が用いることにしたのは、最先端のテクノロジーではなく、古くからあるメディアの1つ、リーフレットです。

leaflet_5_W_edited.jpg飛島津波避難リーフレット表面 (酒田市ホームページより)

「飛島津波防災」と名付けられた縦約18cm、横約13cmのリーフレットの表面には「津波は最短2分で来襲!揺れが収まったら、すぐに高台へ避難を!!」と書かれ、避難場所やそこに通じる避難ルートも複数紹介されています。さらに、これをわかりやすく解説するため、新しいメディアであるネット動画も作成しました(※8)。

tsunamiopening.png飛島津波避難啓発映像 (酒田市ホームページより)

この動画の中では「飛島に上陸しました。港の景色もとてもきれいなんですけど、それを楽しみながらも『ひなん路』と書かれた看板をしっかり探しておきましょう」などと念押しし、島に到着したら、まず避難場所や避難ルートを確認するよう呼びかけています。津波が発生すれば、到達するまでに時間の余裕はありません。でもあらかじめ避難場所を把握しておけば、もともと土地勘のない場所でもすぐにたどり着けるという発想です。しかも“オールドメディア”であるリーフレットと、“ニューメディア”のネット動画を組み合わせることで理解を深めてもらおうとしています。

lesflet_back2.jpg飛島津波避難リーフレット裏面 (酒田市ホームページより 写真:コマツ・コーポレーション)

一方、リーフレットの裏面には、島の魅力が美しい写真とともに書かれています。通常、観光客向けに作られるリーフレットは、こうした観光スポットの紹介が主ですが、これは防災面での注意喚起を優先しているのです。今村教授は、このリーフレットと動画の作成を監修しました。その際には、日本海中部地震と北海道南西沖地震の教訓を念頭に置いていたといいます。

imamura_6_W_edited.jpg今村教授

地震や津波の防災教育は、どうしても地元の住民のみが対象になりがちだが、観光地ではその土地に不慣れな人たちが多く訪れる。特に島や岬は、津波の到達が早く、挟みうちも発生して逃げ場を失ってしまうことがある。安心して観光を楽しんでもらうためには、その地域の危険性を知り、避難場所と避難ルートを確認してもらうことで素早い避難をするための準備を整えてもらうことが重要だ。
 日本海中部地震津波から40年、北海道南西沖地震津波から30年。
多くの犠牲者が出た2つの大津波から、警報を伝えるための技術も進みました。また、インターネットやSNSで瞬時に情報が伝わる時代になりました。しかし、大規模な災害が起きれば、それらが使えなくなるおそれは常に付きまといます。そうした事態に陥っても、素早く避難して命を守ってもらわなければなりません。そのために今、メディアが貢献できることは、迅速な情報伝達とともに防災教育を進化させることだと思います。2つの津波を教訓に、飛島で作られた“オールドメディア”のリーフレットを手に取るたびに、それを強く感じます。

==================================

(※1、3、5)日本海中部地震、北海道南西沖地震、インド洋大津波の各データについては、「気象庁ホームページ」「内閣府ホームページ」「20世紀日本 大災害の記録 監修・藤吉洋一郎」「TSUNAMI 津波から生き延びるために 財団法人沿岸技術研究センター編」などを参照した。
(※2、4)日本海中部地震、北海道南西沖地震ともに「オオツナミ」が発表されているが、「1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達-巨大津波と避難行動- 東京大学社会情報研究所『災害と情報』研究会」および「TSUNAMI 津波から生き延びるために 財団法人沿岸技術研究センター編」などは、いずれも「津波警報」と表記しているので、本稿もそれに合わせた。なお、日本海中部地震の津波警報発表とNHKの伝達については、日本海中部地震に関する報告書(第二管区海上保安本部作成)を参照した。
(※6)「1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達-巨大津波と避難行動- 東京大学社会情報研究所『災害と情報』研究会」には下記のような記述がある。
「奥尻町では、地震直後に津波を予想した人が少なくない。その大きな理由は、10年前の日本海中部地震における津波体験であろう。筆者らは、津波から辛くも逃れた人たちから、今回の災害では、日本海中部地震にくらべて地震の揺れが格段に大きかったことから、10年前よりも大きな津波がもっと早く襲ってくると直感して懸命に避難したという話をしばしば聞いたが、調査対象になった多くの人々が、大津波の急襲を直感的に予想したことを示唆している。しかし、10年前の津波経験が必ずしも有効に働いたとはいえないケースもある。というのは、10年前には地震の約30分後に津波が襲ってきていることから、地震直後に津波の到来を予想しながら、「日本海中部地震の経験から、津波が来るまでかなり余裕があると思った」人、また、津波経験が今回の避難にどう影響したかという質問でも、「日本海中部地震の経験がかえってわざわいして、津波が来るのにまだ余裕があると思い避難が遅れてしまったと思う」という人がいたからである。全体的にみれば、津波経験が被害の減少に大きく寄与したことは間違いないけれども、部分的には経験がマイナスに作用したケースもあった。」
(※7)気象庁ホームページ
(※8)https://youtu.be/5KxDdrWYMqA

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【中丸憲一】
1998年NHK入局。
盛岡局、仙台局、高知局、報道局社会部、災害・気象センターで主に災害や環境の取材・デスク業務を担当。
2022年から放送文化研究所で主任研究員として災害や環境をテーマに研究。

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1991年 雲仙普賢岳大火砕流から考える取材の安全【研究員の視点】#481
#473「災害復興法学」が教えてくれたこと
#460 東日本大震災12年 「何が変わり、何が変わらないのか」~現地より~
#456「関東大震災100年」震災の「警鐘」をいかに受け止めるか

メディアの動き 2023年06月22日 (木)

【メディアの動き】「線状降水帯の発生情報」,予測技術の活用で最大30分早く発表へ

 発達した積乱雲が連なり大雨をもたらす「線状降水帯」が発生し,災害の危険度が急激に高まったことを伝える情報について,気象庁は予測技術を活用し,これまでより最大で30分早く発表する新たな運用を5月25日に開始した。

 2021年に始まった「顕著な大雨に関する気象情報」では,積乱雲が連なっている領域など,気象庁が定める線状降水帯の基準に達した場合に「土砂災害や洪水による災害発生の危険度が急激に高まっている」などと発表していた。

 ただ,「線状降水帯が発生したあと」の発表だったため,すでに災害が発生している可能性もあった。そこで新たな運用では,予測技術を導入し,線状降水帯の基準に達すると予測された段階で前倒しして情報を発表できるようになった。

 一方で,注意しなければならない点がある。気象庁ホームページの「雨雲の動き」などの画面では,▽これまでのように「実際に発生した」場合は実線の楕円で,▽新たな運用による「予測」は破線の楕円で線状降水帯の位置が示されるが,「顕著な大雨に関する情報」の文面はこれまでと変わらず,両者を区別していない。

 これについて気象庁は,「予測で発表したとしても危険が差し迫っているのは変わらないので,すぐに安全を確保してほしい」と話している。

 線状降水帯は,近年起きた多くの豪雨災害で発生が確認されている,非常に危険な現象だ。

 「最大30分前」という貴重な時間を生かし,素早い行動につなげたい。

メディアの動き 2023年06月21日 (水)

【メディアの動き】NHK,『ニュースウオッチ9』のコロナ報道でワクチン被害者遺族の会の抗議受け謝罪

 5月15日に放送した『ニュースウオッチ9』のコロナ報道について,NHKは翌16日,放送や番組の公式サイトなどで謝罪した。

 問題とされたのは「新型コロナ5類移行から1週間・戻りつつある日常」と題した約1分間のVTRで,3人の遺族が「5類になったとたんにコロナが消えるわけではない」「風化させることはしたくない」などと話す姿が紹介されていた。

 3人はいずれも,新型コロナウイルスのワクチンを接種後に亡くなった人の遺族だったが,VTRの中でそうした説明はなく,「夫を亡くした」「母を亡くした」といった紹介にとどまっていた。

 取材を受けた「繋(つな)ぐ会(ワクチン被害者遺族の会)」は,3人をコロナ感染で亡くなった人の遺族のように取り上げていたとしたうえで,「取材の趣旨と違う形で遺族のコメントが放送で使われた」などと抗議し,NHKは翌16日の放送でキャスターがお詫びした。

 公式Twitterアカウントでも動画は配信しており,NHKは番組の公式サイトやTwitterでも謝罪したが,遺族側はBPOへの申し立ても検討しているという。

 VTRは同番組の編集を担当する映像制作の職員が企画し取材した。

 24日の定例会見で稲葉延雄会長は「全く適切ではなかった」「取材に応じてくださった方や視聴者の皆さまに深くお詫び申し上げたい」と謝罪。

 「取材・制作の詳しい過程をさらに確認し,問題点を洗い出した上で,このような事態を引き起こさないために組織的にどう対応していくかを考え,対策を講じたい」と語った。

メディアの動き 2023年06月21日 (水)

【メディアの動き】オーストラリア公共放送の看板番組司会者, 人種差別問題めぐりメディア批判し降板

 多文化主義を掲げるオーストラリアで,公共放送ABCの看板討論番組の司会を務める先住民の著名ジャーナリスト,スタン・グラント氏が5月19日,長く人種差別にさらされ,メディアは融和ではなく対立しか見ないと指摘し,5月22日で番組を当面降板すると表明した。

 グラント氏は,5月6日のイギリスのチャールズ国王戴冠式を中継した特番の一部の討論番組にゲストとして出演した。

 イギリス国王を元首とするオーストラリアの立憲君主制に関する議論で,グラント氏は先住民の立場から,国王の名のもとで,先住民が土地や権利を奪われ,今も差別に苦しむ問題を指摘した。

 その後,保守層や一部のメディアから,ABCの戴冠式の報道への批判の矢面に立たされた。

 グラント氏によると,彼の発言は歪曲され,憎悪の対象になり,オーストラリアを中傷したと糾弾されていたとしている。

 グラント氏は19日,ABCのサイトのコラムで,そうした歪曲や偽りにABC が反論しなかったのは組織的な問題だと批判した。

 そして,番組降板について,人種差別が原因ではなく,メディアが健全な議論のために機能せず,それに自分は与(くみ)したくないためだと述べている。

 ABC会長は5月21日,グラント氏に謝罪し,一部商業メディアのABCの報道への批判は憎悪に満ちているとし,職員・スタッフへの人種差別的な発言への対応を強めると述べた。

 メディアや娯楽,アート業界関係者の労働組合MEAAは5月23日の声明で,先住民や有色人種の業界従事者がヘイト発言にさらされていると指摘し,業界全体に対応を求めた。