Vol.12 紗倉まな×NHK “あったらいいな こんな性教育” 2021年3月12日 4コメント 「不可避研究中」取材班 みなさん、コメントをありがとうございます。 学校で教える性教育の内容や、社会の「性」に対する考え方や雰囲気が少しずつ変わってきているため、年代によっても さまざまなご意見があるかと思います。そうした背景もとらえながら、これからの私たちを取り巻く「性のこと」について取材を続けたいと思います。記事への疑問や感想など、引き続き、皆さまのお声を寄せていただけたら うれしいです。
Vol.10 “性”を語りやすい社会に 2021年2月22日 2コメント wba 幼い頃から母に、生まれたときの話をよく聞かされていた。破水しないようにと、親族・医療の全面的ケアのおかげで生まれたこと。泣き叫ぶ赤ちゃんを見るたび、母は「あなたもこうだった」と言った。自分がこの遺伝や恩を背負えるか。それが背負える相手か。大概は「ノー」だった。ちまたに知識が無い。下品な金目当ての代物ばかりあふれかえっている。
Vol.9 “わきまえる”の波紋 2021年2月16日 8コメント A 職場の組合には全体の部と青年部と女性部があって、若い女性は全てに所属することになっています。青年部で自分より年下の人が役員になり、聞けば「女性部の役員もあって大変だろうから女性には声をかけないことになっている」。私は青年部で一生懸命活動をして受賞もしましたが、"女性だから"役員にはなれず、それで怒ることすら不思議がられます。言い過ぎれば面倒臭いやつ扱いになるので「わきまえる」。これが現実です。
Vol.7 脱コルセット “女らしさ”という束縛から脱却する女性たち 2021年1月15日 8コメント ユキ 私は父に「お前酒のつまみくらい作れないと、嫁にいけないぞ?」といわれ、なぜ私が人妻になる前提で話が進んでいるのだろう。と、嫌な気持ちになりました。
Vol.6 ジェンダーをこえて考えよう みなさんの声① 2020年12月25日 6コメント axvl 多分「らしさや性別で縛らないでほしい、偏見をなくしたい」っていうコメントをしてる人たちの大半は言うし思ってもいる、変えたいとも思っているけど、やっぱり自分の中で気づかないだけで多少の偏見ってあると思う。多分これも偏見に入るのだろうけれど。多分そうゆうのって 「慣れ」 からきた 「無意識の偏見」 だと思う。 「無意識の偏見」を薄くするのには時間がかなりかかるし、身の回りの人の偏見が薄れていたとしても新しい地何かに行ったりしたら知らない誰かに傷つけられることもある。自分が傷つけていたりもする。簡単な言葉でひとくくりにされもする。 でもみんながみんな傷つけたくていってるわけじゃない。そこで「なんて失礼なことを言うんだ」じゃなくて少し考え、できることなら説明なんてことができたら少しずつ無意識の偏見は溶けていくのかなと思う。
Vol.4 更年期対策にピル代負担まで⁉︎ 変わる企業の“健康経営” 2020年12月18日 2コメント ゆうこ 女性が生理的な現象で薬を飲んでまで働くことになんだか納得がいきません。 月経前症候群、更年期のうつや重い身体症状を全て経験した50代の女性です。 受診代をいくらもらっても、職場でのパフォーマンスは落ちます。理解もしてもらいにくく、評価も下がります。大手に勤めていても同じです。 とにかく、薬を飲ませてまで、子育ても頑張って働き続ける女性が、本当にありがたいと思っているかを確かめてみて下さい!
Vol.2 次々登場“フェムテック” 生理用ショーツに更年期対策も 2020年11月21日 21コメント 未完(みかん) 自分も生理中は、ズボンの前に色々履いてますね。腹巻きだとかでもやっぱり親には言いたくない人間だったのでwやっぱり女性の中でも一番辛いと言っていいと思います。やっぱり女性はすごい??
Vol.1 “有毒な男らしさ”を考える 2020年11月12日 12コメント 「おはよう日本」取材班 コメントをありがとうございます。 今回、男性と女性の混合チームで取材をしました。私は男性ですが、思い返してみると「男なんだから〇〇しないといけない」という思い込みは、子どもの頃からさまざまな場面ですり込まれてきたと感じています。たくさん稼ぐこと、弱音を吐かないこと、仕事に人生の大部分をささげること、自信や決断力を持っていること・・・。私自身、そうした「男らしさ」を重荷に感じたこともありました。“有毒な男らしさ”という言葉は、男性自身を非難する言葉ではなく、重荷となった「男らしさ」のせいで男性自身やその周囲を苦しめいている現状を表しているように思います。 私は女性ですが、「男らしさ」と一言で言っても、ある人にとっては“有毒”に感じられたり、ある人には感じられなかったりと、とても複雑ですよね。この複雑さにどう対応すればいいかを考えることが、多様性が求められる社会には必要なのかもしれません。いずれにしても、旧来の価値観に縛られ、誰かが悩んだり苦しんだりすることがないように。これからも皆さんと一緒に考えていきたいと思います。