文研ブログ

メディアの動き 2021年05月12日 (水)

#320 これからの"放送"はどこに向かうのか? Vol.6 ~公共放送・受信料制度議論~

メディア研究部(メディア動向) 村上圭子


 私は2018年から、メディア環境の変化について放送業界の最新動向を中心に俯瞰する「これからの放送はどこに向かうのか?」という論考を「放送研究と調査」誌上で発表してきました。半年に1度のペースで執筆しているのですが、先日、Vol.6をネットで公開しましたので、本ブログでそのサマリーを紹介します。

 今回の内容は、2020年4月から1年弱かけて総務省の「放送を巡る諸課題に関する検討会」の「公共放送の在り方に関する検討分科会」で議論されてきた、NHKの改革と受信料制度の改正がメインです。議論の結果、とりまとめ1)が公表され、その内容は、現在、放送法の改正案として総務省から国会に提出されています2)

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(放送法の一部を改正する法律案の概要 ※抜粋)

 ただ、改正案提出後に、東北新社やフジテレビが、放送事業者の外国人株主の議決権比率を20%未満とするよう定める放送法に違反(外資規制違反)していることが発覚し、法改正の新たな項目として、この外資規制のあり方についても盛り込むべきではないか、という声が出ています。武田良太総務大臣は法案の提出者である立場上、今国会での成立を目指す姿勢を崩していません3)が、本ブログを書いている5月11日現在、審議が行われる目途は立っておらず、今後の見通しは不明です。

 さて、今回の検討会での議論は、NHKが毎年決算時に収支差額がゼロを上回った場合、一定額を積み立て、それを受信料の額の引下げの原資に充てるという仕組みや、テレビを設置しているにもかかわらずNHKと受信契約を締結していない世帯に対して「割増金」という制度を設けることなど、受信料制度に関する内容が中心でした。そのため、新聞やネットメディアでもその内容が取り上げられることが多かったように思います。しかし、これらの記事は、全ての検討会を傍聴した私から見ると、取りまとめの結果や改正案の一部が断片的にしか伝えられていなかったり、その伝え方も断定的だったりするものも少なくないように感じました。国会での審議では、“値下げ”や“負担”の議論の一段深いところにある、メディア環境が変化する中におけるNHKの公共性とは何かについての議論や、その内容を多くの人々が共有することを期待したいですが、仮に、今国会で改正案が議論されなかったとしても、いや、議論されない場合はより一層、この1年、検討会で行われてきた議論の内容については、できるだけ多くの人々に関心を持っていただきたいという思いが強くあります。

 論考では、検討会の議論について、できるだけわかりやすくまとめるよう心がけました。併せて今回の検討会の議論では先送りされた論点や、そもそも俎上に載せられなかった論点についても私なりに整理して触れてみました。特に俎上に載せられなかった論点、たとえば、スクランブル化ではなぜダメなのか、番組の内容に不服な場合に支払い拒否はなぜ認められないのか、受信料の使い道をもっと多様なメディアの支援などに使えないのか、などは、視聴者・国民が少なからず抱いていると思われる疑問や違和感だと思います。こうした論点は総務省の検討会ではなかなか真正面から取り上げられることがないため、そのことが、視聴者・国民が検討会の議論に今一つ関心を持てない理由の一つではないかと私は感じています。これまでの取材活動や原稿執筆では、今行われている検討会の議論を傍聴し、その議論の論点整理や課題の提示をすることを中心に行ってきましたが、論考の範囲を広げていかなければならないと、原稿を書きながら改めて感じました。

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 また論考では、検討会の議論だけでなく、前田晃伸会長のもとで今年1月に公表された「NHK経営計画(2021-2023年度)4)」の概要についても記しています。この計画では「新しいNHKらしさの追求」と「スリムで強靭な「新しいNHK」」が掲げられています。論考には、この内容に関する私の見解も少し記しています。

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(NHK経営計画(2021-2023年度) ※抜粋)

 私は放送文化研究所という組織に所属する研究員で、放送やメディアの動向について研究していますが、同時に受信料収入で成り立つNHKの一人の職員でもあります。そのため、私が特に受信料制度の問題点やNHKの経営のあり方について、当事者の視点を排して客観的に論じきることは困難ですし、自身でも限界を感じることも少なくありません。どう論じても、経営を擁護していると捉える人もいれば、批判していると捉える人もいるのではないかと思います。しかし、こうした受け止めを超えて、自分にしかできない役割があるのではないかという思いも持っています。これからも、一人の研究者として、そして一人のNHK職員として、この問題を考えていきたいと思っています。


1) https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01ryutsu07_02000198.html
2) https://www.soumu.go.jp/main_content/000734730.pdf
3) https://www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/01koho01_02001014.html
4) https://www.nhk.or.jp/info/pr/plan/assets/pdf/2021-2023_keikaku.pdf


メディアの動き 2021年05月06日 (木)

#319 「コロナ禍の無給医」をめぐる報道の力

メディア研究部(番組研究) 東山浩太


 「放送研究と調査」4月号に「『メディア世論』が社会を動かす~「コロナ禍の無給医」報道~」という拙論を載せました。
 医療従事者の中には無給医と言われる人たちがいます。大学病院で働いていますが、給料が少なく、雇用契約すら結ばれていないこともある大学院生などの医師です。厳しい労働条件の中で新型コロナウイルス感染者の診察にもあたります。医療体制がひっ迫するコロナ禍で、無給医や無給医をめぐる政策がどのようにテレビで描かれてきたか――を例にして、報道が社会に影響を及ぼすとき、どんなしくみなのかを考えてみた小論です。
 作成にあたっては、先行研究を大いに活用させてもらいました。例えばメディア研究者で同志社大学教授の伊藤高史さんの「ジャーナリズムの政治社会学」です。
 その中で、こんな理論が提唱されていることを学びました。

・報道が社会を動かす影響力を発揮するとき、一般には「報道→世論喚起(市民一般)→権力者(政治家や官僚など)→政策修正など」というプロセスがイメージされる
・が、選挙などを除き、報道は市民一般への世論喚起という過程を経ずとも、直接、権力者に働きかけ、政策などを動かしうる。権力者は世論調査のみを重視するのではなく、報道から世論全体の「心証」を推し量って行動を決めることもあるからである
・こうした影響力を報道が持つには「メディア世論」を作り上げることが重要となる。ある問題を提起する際、マスメディア1社のみより、複数の社によって報道がなされる=「メディア世論が成立する」と、その強い問いかけは権力者に認知されやすく、権力者を問題の対応へと動かしやすくなる

 以上は拙論で触れています。一方で、盛り込めなかったこともあります。
 報道が社会に影響するしくみを把握する場合、まずチェックするのはテレビや新聞などのマスメディアでしょう。しかし、加えて、使いこなす人たちが増えているTwitterやYouTubeなど、ソーシャルメディアもチェックする必要があるということです。
 というのは、政治に関する意見の広がりが可視化されやすいTwitterなどを、今や政治家や官僚はよくチェックしているだろうからです。
 社会学者で東京工業大学准教授の西田亮介さんは、近年、政治家や政党がTwitterなどを使ったイメージ戦略に注力してきたことを研究しています。昨年出版された「コロナ危機の社会学」の中では、「新型コロナ対策とちょうど重なる時期に政権が『耳を傾けすぎる政府』へと追い込まれた」と評しています。
 何に「耳を傾けすぎる」のかと言えば、Twitterのやりとりなど「わかりやすい民意」に、とのこと。そして「耳を傾けすぎる政府」は、社会へ向けて政策について語る際など、「説明と説得には多くの政治的コスト、それから時間を要する」から、「それらを省略する」ために「わかりやすい民意に『反応』しようとする」と分析しています。
 すなわち、政策を検討する上で、合理性や代表性に乏しくても「わかりやすい民意」、いわゆる「ネット世論」が、先述のマスメディア間で成立する「メディア世論」と同様に重視されていると思われるのです。

05-111.jpg それゆえに、報道が社会に影響するしくみを考える場合、今日では、「メディア世論」と「ネ ット世論」の相互作用を意識する必要があるでしょう。何か問題を報道で提起するとき、人々に大声で知らせる機能はいまだマスメディア(特にテレビ)が担っているにせよ、その広がりかたはどのようなものなのか。
 拙論で言及した、コロナ禍で無給医が厳しい環境で理不尽な労働(診察)にあたらされているというファクトは、NHKが初めて報道したものです。
 この報道はTwitterではどのような反応を見せたのでしょうか。肯定的に捉えられたのかどうか。また拡散した結果、一定の強度を持つ「ネット世論」となりえたのか。「メディア世論」と相互に作用して政治家や官僚の政策修正に影響したと考えうるのか。

 これらも実証的に調査した上で、報道が社会に影響を及ぼす力を詳しく見極めるのが今後の研究の課題です。


放送ヒストリー 2021年04月28日 (水)

#318 太平洋戦争下、「南方」で行われた放送を振り返る

メディア研究部(メディア史研究) 村上聖一


 今から約80年前、太平洋戦争では、日本の陸海軍が一時、東南アジアの広大な地域を占領しましたが、占領地に軍が多数の放送局を設置して、ラジオ放送を行っていたことはあまり知られていないと思います。『放送研究と調査』では、戦時中に放送が果たした役割を検証するため、3回シリーズで、その「南方」と呼ばれた占領地で行われた放送について振り返っています。

 1回目の3月号、「南方放送史」再考①~大東亜共栄圏構想と放送体制の整備~」では、放送開始までの経緯について検証しています。ここでは放送の概要を見ておくことにしましょう。

 地図は、1944年12月の時点で日本軍が東南アジアの占領地に置いていた放送局の場所を示したものです。これ以外にも小規模な放送局があったことから、その数は30を超えました。当時の日本放送協会の放送局(内地で放送を行っていた放送局)の数が40余りでしたので、軍が占領地での放送にいかに力を入れていたかがわかります。

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 写真は、ジャワ島(現在のインドネシア)のバンドン放送局です。立派な外観ですが、日本軍が建設したものではなく、戦前のオランダ植民地時代の放送局を接収して使っていました。

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 こうした放送局は軍が管理しましたが、実際に番組制作を担ったのは、もっぱら日本放送協会から派遣された職員とそのもとで働く現地の住民でした。放送に求められたのは、▽現地の日本人向けの情報伝達、▽連合国軍に向けられた対敵宣伝、▽占領地の住民の民心安定、の3つの役割でした。

 しかし、開戦によって突然、「南方」に送り込まれた放送局の職員が、言葉も習慣も異なる住民向けに番組を作るのは非常に難しかったと思われます。職員の多くはこれまで海外向けの放送に携わったことがない人々でした。

 さらに、放送を出したものの、そもそも現地ではラジオの受信機がほとんど普及していませんでした。このため各放送局では、写真のようなラジオ塔(放送を受信してスピーカーで周囲に流す設備)を街のあちこちに立て、現地の人々に何とかして番組を聴いてもらおうとしていました。

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 シリーズでは、史料から浮かび上がるそうしたラジオ放送の普及策に加え、放送局が具体的にどのような番組を放送していたのか、また、日本の敗色が濃くなる中、放送局の職員はどのように対応していたのかといった点について、詳しく分析しています。ぜひご一読いただければと思います。


メディアの動き 2021年04月26日 (月)

#317 「コロナ時代の偽情報対策」

メディア研究部(海外メディア) 税所玲子


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 世界で深刻化する政治・社会の分断を背景に広がる偽情報や陰謀論は、新型コロナウイルスの感染に乗じるかのように拡散し、健康や生命まで左右しかねない事態となっています。この問題にメディアが連携して立ち向かおうという取り組みがあります。その一つが、イギリスの公共放送BBCが中心となって設立した“Trusted News Initiative(TNI)”です。パンデミックの宣言からおよそ1年がたった2021年3月末、オンラインによる国際会議が開かれました。不確かな情報が蔓延する「インフォデミック」に効くワクチンは生み出せるのか、そんな思いで3日間の議論に耳を傾けてみました。

 会議初日。議論の口火を切ったのは、BBCのティム・デイビー会長 でした。TNIは、前任のトニー・ホール会長が、大手新聞社や放送局、ソーシャルメディアなどに呼びかけて発足した経緯があります。デイビー会長は、「今のような時代にこそ、BBCは不偏不党という組織の核である価値観を再認識し、信頼できる情報源となって、風向きを変えていくしかない」と、就任以来、掲げてきた自説を展開しました。しかし、司会を務めた同局の北米特派員のジョン・ソープル氏は、陰謀説を信じるトランプ前大統領の支持者による議会議事堂襲撃の取材を引き合いに、「大統領の主張には根拠がないといくら説明しても、BBCは公平な立場で取材しているのでなく、反トランプを決めつけ(民主党の)肩を持っていると見られた」と、「自由世界」を標ぼうするアメリカで起きた事件を目の当たりにした動揺を隠せない様子で、論理と現実の間で必ずしも議論はかみ合いません。

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BBC ティム・デイビー会長(写真右)BBC ジョン・ソープル氏(同左)講演写真BBCウェブサイトより)

 世界各地のファクトチェッカーや学識経験者の講演を重ねて聴く中で、私が、偽情報の危うさと対策の難しさを実感したのは、デジタル時代のジャーナリズムを支援するために設立された「First Draft」のクレア・ウォードルさんの講演でした。例えばソーシャルメディア各社が対応策の一環として有害コンテンツに対して行う「ラベル表示」(labelling)。一定の効果はあるという意見がある一方、ウォードルさんは、陰謀説を広げる人々の手口が巧妙化し、ラベル表示をつけるかどうかの判断は、極めて難しくなっているといいます。ウォードルさんが例として挙げたのは、新聞が実際に報じた「ワクチン2回接種の4日後に死亡したユタ州の39歳の女性に検視 」という見出しでした。見出し自体は、事実関係として問題がないものの、何者かが文脈の意図を変えて、ワクチンの危険性を訴える「根拠」に流用した時、この報道機関の記事に 「有害コンテンツ」のラベルを張れるのか。同様にウェブサイトのQ&Aのセクションで陰謀説につながる質問があった場合は・・・。アマゾンに並ぶ自主出版の本は・・・。

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クレア・ウォードルさん講演(BBCウェブサイトより)

 ウォードルさんは、トランプ前大統領のツイッターについても、誤った主張に「警告」や「ラベル表示」をすることなく報じ続けた大手報道機関の責任にも言及しました。そして、旧ソビエトのスパイ組織KGBの言葉を引用してこう訴えました。「水が一滴、落ちても岩は壊れないが、ポツン、ポツンと長きにわたって水が流れれば、やがてその岩は侵食され、崩壊するだろう」と。確かに、偽情情報一つ一つが、気づかぬうちに社会基盤を脅かしていたら・・・。そして、客観的事実を土台にした議論が成立しない社会になったら ・・・。さながらスパイ映画に出てくるような暗い影が足元から伸びているような感覚を覚えました。

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ソーシャルメディア3社(BBCウェブサイトより)

 では、ソーシャルメディア各社は、この問題をどうとらえているのでしょうか。3日目には、偽情報や陰謀説への対応が遅れたのではないかと批判されるツイッター、フェイスブック、ユーチューブの欧州の企画・政策部門の幹部が登壇しました。ツイッターのマクスウィーニー部長は、外部のファクトチェッカーとともに進めるBirdwatchと呼ばれる新たな対策を紹介した上で、「どんな価値観を基盤に、利用者の信頼を得ていくのかが問われている」と、BBCの会長と同じキーワードを使い、対策への理解を求めました。また、フェイスブックのレイニシュ部長は、アメリカ大統領選挙などで陰謀論を拡散したQAnonをなぜ規制できなかったのか、また、今後、政治広告をどう制限するかについて問われ、「ザッカーバーグ代表も自分もこうした決定を下す合法的な権限をもっていない」と戸惑いをあらわにし、そして、「多くの国では、こうした問題に対応できる選挙法さえ備わっていない。何か有害なのか、何が違法なのか、何が合法なのか根本的な枠組み作りが必要だ」と訴えました。さらにユーチューブのウィルソン統括部長からは、ネット空間を悪用する者たちとの攻防は「軍拡競争」で「容易に勝てない」と白旗をあげるかのような発言さえ飛び出しました。

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会議で話し合われたさまざまなテーマ(BBCウェブサイトより)

 「誰もが発言できる自由でオープンな空間」「国境をこえてつながりを築けるツール」。そんな理想を掲げ、情報の規制に極めて消極的だったプラットフォーム各社から、規制を求める発言を聞くのは、正直、驚きでした。各国が対応を検討する間にも、偽情報問題の次の前線は地球環境問題に移るだろうという指摘もあり、「戦い」の終わりは見えそうにありません。1年でコロナのワクチンの開発にこぎつけた世界の科学者の協調の精神やスピード感こそ、いまメディアに必要なのかもしれません。


調査あれこれ 2021年04月22日 (木)

#316 「エヴァとラジオと私の25年」

世論調査部(視聴者調査) 保髙隆之


1996年3月27日の夕方。入社式を数日後に控えた私は大学の同級生の部屋にいました。
友人は地元の会社に就職して実家に戻ることになっており、ちょっと感傷的な気分だったのを覚えています。
その友人から、パソコン通信(!)で話題になっているアニメの最終回の放送があるので見よう、と誘われて戸惑いました。ツイッターもLINEもない時代、子ども向け以外のアニメは一部のマニアだけが盛り上がるもの。私は全く知らない作品だったからです。しかしながら、その後の30分にわたる放送時間は、学生時代の最後の思い出として、強烈に胸に刻まれました。
そのアニメのタイトルは「新世紀エヴァンゲリオン」です。(最終回がどんな内容だったかご存じでない方は、検索をしてみてください。リアルタイムで、しかも、人生のあの時期に見ることができたのは幸運でした。)

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あれから25年目の春。
現在公開中の映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は、(これはネタバレにならないと思いますが)観客が現実の世界で過ごした25年間という時間の経過さえ取り込んだ、孤高のエンターテインメントになっており、また、強く「卒業」を意識させる作品でした。見終わった後、すっかり忘れていた学生時代の自分の姿が思い出され、あれから「変わったこと」と「変わらなかったこと」を改めて考えさせられました。
自分語りが長くなって申し訳ありません。もう少しだけ、お付き合いください。
25年前から「変わったこと」。その1つが「ラジオ」です。
私の学生時代、受験勉強の友といえば、深夜のラジオでした。音楽の流行も、好きな有名人の日常も、情報源はラジオ。家族そろってお茶の間でみるテレビとは違い、自由でとんがった話や、ほかのリスナーやパーソナリティーとの「共犯感覚」は、まだまだ青く、自意識過剰だった当時の私にとって、もっとも身近に感じられるメディアでした。
しかしながら、社会人生活が続く中で、ラジオはいつのまにか遠い存在になってしまいました。それは私だけではないようで、文研の「全国個人視聴率調査」の結果をみると、25年前、1996年のラジオの週間接触者率は43%。直近の2019年調査では30%まで落ち込んでいます(NHKと民放、AMとFMを含む)。代わって、SNSやYouTubeが日々の暮らしの中に入り込むようになってきました。
ところが、2020年。コロナ禍の日本でラジオが再び脚光を集めたのをご存じでしょうか。雑誌で次々に特集が組まれ、ネットラジオ「radiko」ユーザーの急増がニュースになりました。文研が7月に実施したグループインタビュー調査でも、「ジムに行けなくなり、代わりに始めたジョギングのお供に聴き始めてハマった」とか「在宅勤務中、音がないと寂しくてラジオをつけるようになったが、暗いニュースやリモート演出ばかりのテレビと違って、以前の日常が続いている感覚がして落ち着く」など、ラジオを再評価する声が相次ぎました。いったい、ラジオは今、どのように聞かれているのでしょうか。(やっと本題です。)
次のグラフは2020年7月に文研が郵送法で実施した世論調査の結果です。(図1)

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上の棒グラフは全国の7歳以上の人が、伝統的な「放送」と「インターネットラジオ」をどう組み合わせてNHKと民放のラジオを聞いているか(週間接触者率)を示しています。

「放送のみ」が3割近くを占め、まだまだネットラジオの比重を大きく上回ることがわかります。
ただ、年層別に分けてみてみると、20代では「ネットラジオのみ」で聞いている人が「放送のみ」で聞いている人と同程度に迫っています。また、図2のとおり、「radiko」は近年、利用経験率が順調に伸びていて、今回の調査では11%に達しました。

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少ないと感じられるかもしれませんが、この調査の1%は総務省の人口統計で換算すると100万人超に相当するので、おおまかにいっても1,000万を超えるユニークユーザーが利用したことになります。日本でこれだけのメディアパワーを持つインターネットサービスはそう多くないはずです。
25年という時間は、1人の大学生をくたびれた中年サラリーマン(私のことです。)にし、「エヴァンゲリオン」を完結させただけでなく、「ラジオ」というメディアが新しく生まれ変わるのに必要な時間だったのかもしれません。
コロナ禍に揺れた2020年の日本のメディア環境の動向について、「放送研究と調査」3月号の「人々は放送局のコンテンツ,サービスにどのように接しているのか」では他にも詳しく報告しています。ぜひ、ご一読ください。


文研フォーラム 2021年04月16日 (金)

#315 「NHK文研フォーラム2021」動画公開のお知らせ

文研フォーラム事務局


3月3日(水)~5日(金)にオンラインでライブ配信した「NHK文研フォーラム2021」の一部プログラムの動画を、期間限定で公開しています。

NHK文研ホームページからご覧になれます。今回公開するのは、下記の6つのプログラムです。
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■シンポジウム <3月3日(水)開催>
メディアは“機密の壁”にどう向き合うか
“豪放送局への家宅捜索”を手がかりに

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■研究発表&シンポジウム <3月4日(木)開催>
私たちは東日本大震災から何を学んだのか
震災10年・復興に関する世論調査報告

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■研究発表 <3月4日(木)開催>
市民が描いた「戦争体験画」の可能性
地域放送局が集めた5,000枚の絵から考える

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■シンポジウム <3月5日(金)開催>
新「再放送」論
コロナ禍緊急意識調査 × “放送の価値”再定義

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■シンポジウム <3月5日(金)開催>
東日本大震災から10年
災害を伝えるデジタルアーカイブとメディアの公共性

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■シンポジウム <3月5日(金)開催>
いま改めて“公共”とは何かを考える

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メディアの動き 2021年04月14日 (水)

#314 コロナ禍と衆議院の解散論議 ~国民の眼には"ソラサワギ"~

放送文化研究所 島田敏男


「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀(ニセ)綸旨
             召人 早馬 虚騒動(ソラサワギ)・・・」

 高校生の時分に日本史の教科書で目にした「二条河原落書」の冒頭です。最近の政治ニュースを見ていて、建武の新政(14世紀)当時の政治・社会・文化を評する傑作とされる、この落書(落首とも)を思わず思い出しました。

 野党第一党の立憲民主党の幹部は、6月16日の国会会期末を念頭に、衆議院に内閣不信任決議案を提出することは当然あると、対決姿勢を強調します。
これに対し自民党の幹部は、提出すれば衆議院の解散・総選挙で国民に信を問うことになると応じます。

 今の衆議院議員の4年間の任期が切れるのは、ことしの10月21日です。
従来の政治環境であれば、6月16日の通常国会会期末に解散、40日以内に総選挙となるのも自然の流れと言えます。

 しかし今は、コロナウイルスの感染拡大を防ぎ、ワクチンの接種をスピードアップさせることが政治にとっても、社会にとっても最優先の課題です。「より選挙に有利な解散のタイミングを探る」という政治家の常道も、この局面では単なる不要不急のあがき、虚騒動に見えてしまいます。

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 4月のNHK月例世論調査を見ると、菅内閣の支持・不支持については、「支持する」44%、「支持しない」38%でした。一時の支持と不支持の逆転を脱し、わずかですが2か月連続で「支持する」>「支持しない」という結果でした。

 一方、「あなたは衆議院選挙をいつ行うべきだと思いますか?」と選択肢を挙げての質問に対しては、次のような結果でした。

「内閣不信任案の提出に合わせて」9%
「7月の都議会議員選挙と同じ日」7%
「9月の自民党総裁選挙の前」19%
「10月の衆議院議員の任期満了に合わせて」52%

 自民党内には「内閣支持率が40%以上あるのだから、早めに解散・総選挙に持ち込むべきだ」という声があり、二階幹事長は「野党が内閣不信任案を出せば、解散・総選挙に打って出る大義になる」と強調します。
 しかしながら、自民党支持者で「内閣不信任案の提出に合わせて選挙を行うべきだ」「7月の都議会議員選挙と同じ日に行うべきだ」と答えた人は、どちらも1割に満たない少数です。

 これに対し、自民党の支持者で「10月の任期満了に合わせて衆議院選挙を行うべきだ」と答えた人は6割近くに上っています。コロナ対策、ワクチン接種、東京オリンピック&パラリンピック開催の姿形を見た上でなければ、菅内閣に対する評価を有権者に求めるのは難しいという受け止めが窺えます。

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 では、解散権を持つ菅総理大臣の立場から見ると、この問題はどうなんでしょう。菅総理の自民党総裁任期は、任期切れを待たずに辞任した安倍氏から引き継いだ、ことし9月末日までの残任期です。総理大臣を続けるには自民党総裁選挙で再選されなければなりません。

 菅氏は再選を果たし、新たに3年間の自民党総裁任期を手中に収め、4年間にわたる長期政権を担いたいという強い希望を捨ててはいないでしょう。しかし、場当たり的なコロナ対策の連続で急速な事態の改善が望めない現状では、願望はあってもリアリティーがありません。

 「早めの衆議院選挙で勝ち、その功績で自民党総裁選挙を事実上の無風にすれば長期政権は実現する」と、菅氏に近い自民党中堅議員は囁きます。

 しかし、今度の衆議院選挙で自民党が勝利するとはどういうことなのか、冷静に考えてみる必要があります。

 前回、2017年の衆議院選挙で自民党は465議席の過半数233を大きく超える284議席を単独で獲得しました。その後、離党や議員辞職があって280を割っていますが、これを増やしたり、維持したりするのは容易なことではありません。

 2017年選挙は「希望の党の結党」という突発的な出来事で民主党が分裂し、これが自民党に大きなプラスとなり、水ぶくれの議席を手にしたからです。

 従って、菅総理・総裁の下で解散・総選挙に打って出る時には、自民党としては「どの程度の議席減までならば、勝利とみなすか」という物差しが必要になります。

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 これとは別に、自民党支持者でも多数を占める「10月の任期満了に合わせての衆議院選挙」とする時には、先に総裁選挙を行うことになるでしょう。自民党の国会議員や党員は、「誰ならば次の衆議院選挙を乗り切れるか」という尺度で物事を判断します。

 その時に菅総理・総裁の向こうを張って名乗りを上げる中堅・若手が出てくる可能性は十分にあります。菅氏にとっては、こちらが怖いのかもしれません。

 閑話休題。政治日程というのは、現実の有為転変で何とでも変わる、変えることができるものです。従って決めてかかるわけにはいきません。

 多くの国民にとって、コロナ禍の事態打開は誰が総理であっても簡単ではないだろうというのが実感です。であれば、常識的には事態の推移をじっくり見極めるために、衆議院選挙は任期満了ぎりぎりが望ましいでしょう。

 政治家の思惑で、そうでない展開になる時には、「なぜ今そうすることが必要なのか。妥当な判断なのか」を厳しく見極める。これが有権者の責務だと考えます。


メディアの動き 2021年04月08日 (木)

#313 「『テラスハウス』ショック」 BPO「見解」公表を機に考える

メディア研究部(メディア動向) 村上圭子


 フジテレビ(以下、フジ)系のリアリティー番組『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020(以下、『テラスハウス』)』に出演中だった木村花さんがSNS上で誹謗(ひぼう)中傷を受け、それを苦に自ら命を絶ってから1年弱が経ちます。母親の木村響子氏(以下、響子氏)は、「放送倫理・番組向上機構(以下、BPO)」の放送人権委員会に対して、「娘の死は番組の“過剰な演出”がきっかけでSNS上で批判が殺到したためだとして、人権侵害があった」と申し立てていましたが、このほど(3月30日)委員会決定が公表されました1)
 委員会では、「人権侵害があったとまでは断言できない」とする一方で、「出演者の精神的な健康状態に対する配慮が欠けていた点で、放送倫理上の問題があったと判断」する「見解」を示しました。既にこの内容については多くのメディアがニュースとして取り上げているので、ご存じの方も多いと思います。ただ、決定文は60ページに及び内容も多岐にわたっており、参加した記者会見でも共有すべき論点が多く含まれていると感じたことから、本ブログでは短いニュースでは十分に伝えきれない“メディアのあり方”という観点で、私なりにまとめておきたいと思います。

1)双方の主張は平行線のまま
 私は2020年10月に「『テラスハウス』ショック①~リアリティーショーの現在地」という論考を発表し2)、ブログでも論考をサマライズしたものを書きました3)。今回のブログでは「リアリティー番組」で統一しますが、呼称も流動的で、フォーマットも固定化しておらず、定義も非常にあいまいな番組群です。私はこの論考で、世界各地のリアリティー番組をタイプ別に分類した上で、「制作者が用意したシチュエーションに、一般人や売り出し中のタレントなどを出演させ、そこに彼らの感情や行動の変化を引き起こす何らかの仕掛けを用意し、その様子を観察する」ということを共通項としました。『テラスハウス』においては、6人の若い男女が共同生活をするおしゃれなおうちと車を用意するというのが、制作者が用意したシチュエーションと仕掛けです。欧米では、かなり過激なシチュエーションや仕掛けが用意されている番組も多いので、日本のそれとは大きく異なるように見えますが、欧米にも『テラスハウス』のようなタイプも存在しており、日本だけが特殊だという見方に偏りすぎると、特に出演者への対応策を講じていく上で見えてこないものがあるのではないかと私は考えています。これについてはまた後ほど述べます。

 この論考を執筆したのは2020年の7月頃でしたが、ちょうどその頃、響子氏はBPOに申し立てを行い、フジテレビは社内横断メンバーによる検証報告を公表したばかりでした。双方の事実関係を巡る主張は大きく食い違っており、また響子氏のフジに対する不信感も非常に強く、直接的な対話も全く行われていない状況でした。そのため論考では、『テラスハウス』自体については扱いましたが、花さんを巡る動向の詳細に触れることはあえて避けることにしました。また「欧米ではリアリティー番組出演者の中に自ら命を絶った人達が数多くいる」という断片的な報道が、花さんの死後、繰り返されていました。そこで、まずはリアリティー番組とは何かを理解するため、約20年の発展の歴史や、日本ならではの特徴についてまとめることを試みました。そして、報じられていた欧米の出演者の死亡例や精神疾患例についても、その実態や背景、対策について可能な限り調べて取り上げました。
 それから約半年の間、ネット上の誹謗中傷に対する対応策の議論は大きく進み4)、新たな裁判手続きを定めたプロバイダー責任制限法の改正案が今国会に提出されています。また、花さんに対する悪質な書き込みをしたとして、これまでに2人が書類送検されています5)。こうしたことを通じて、SNS活用におけるリテラシー向上の重要性についても社会全体で少しずつ共有されてきているように思います。
 ただ、響子氏とフジの関係については、その後もほとんど変わることはありませんでした。そのことについてはとても残念に思っています。そんな中で進められてきた、BPOによる審理と関係者ヒアリング。決定文には、「委員会の事実認定は困難」という文言が繰り返し登場し、本決定を取りまとめることがいかに難しかったかがうかがえます。

2)花さんの死までの経緯を時系列で確認
 とはいえ、今回の決定文で初めて事実関係が確認されたものも少なくありません。双方の主張が対立しているものも含めて、改めて花さんが亡くなるまでの経緯を時系列で確認しておきたいと思います。なぜなら、今回の委員会の審理では、番組に人権侵害があったかどうか、放送倫理上問題があったのかどうかを判断するのに、花さんが亡くなるまでの経緯の検証にかなりの重きが置かれていたからです。決定文の中では散発的に書かれている内容を拾いあげて私なりにまとめ直してみました。

<2019年>
8月29日 花さん、フジとの「同意書兼誓約書」に署名
     (制作プロダクションのプロデューサーと1時間かけて読み合わせ。SNS炎上
      のリスクなどについて記載。また、「心のアンテナの感度レベルを1から5や10に
      や10にするつもりで、豊かな感性を(以下、略)」など番組制作に臨む心構えも
      記されていた。加えて、出演者が条項違反した場合は、番組制作費用などの
      損害を賠償することなどの規定もあった。)
9月2日  花さん、テラスハウスに入居
12月3日  第20話で花さん初登場

<2020年>
1月21日 “コスチューム事件”撮影
     (花さんが洗濯機に置き忘れたプロレスの試合用コスチュームを男性出演者A氏
      が誤って乾燥させ、縮んで着られない状態となってしまった。花さんにとっては、
      東京ドームのリングでも着た大切なもの。花さんはA氏に怒りをぶつけ、
      ごめんとしか言わないA氏に対し、被っていた帽子をとって投げ捨てた。)
1月22日 花さんの友人が、花さんから、制作スタッフから「ビンタしちゃえば」と指示

      があったと聞かされる(※フジ側はこの内容を否定)
1月23日 “事件”の相手であるA氏、テラスハウスを退去し出演も終了
1月下旬 花さん、友人に番組に起因した誹謗中傷をネット上で受けて悩んでいると相談
2月15日 未公開動画撮影
      花さん、撮影中に過呼吸に陥る。
      響子氏側は、花さんはその場から逃げたのにカメラに追い回されたと主張。
      フジ側は、花さんが落ち着いてから撮影を継続したと主張している。
3月28日 コロナで撮影中止に。テラスハウスでの共同生活も休止し、花さんは自宅へ
3月31日 Netflixで第38話(「コスチューム事件」)配信
      SNS上及びダイレクトメールで花さんへの誹謗中傷が多数あらわれる。
      花さん、自宅で自傷行為を行い、その写真を友人に送信し自身のSNSでも公開。
      SNS投稿で花さんの行為を番組スタッフが知り、電話及びLINEで連絡。
4月1日 花さん、プロレス仲間と共に整形外科を受診する。
    その後、4月中旬まで自傷行為を繰り返す。下旬までプロレス仲間宅に同居。
4月4日 制作スタッフから番組責任者(フジテレビ)に報告。
    制作責任者は花さんと直接連絡はとらず、社内でもその事実を共有しなかった。
    制作スタッフは花さんにテラスハウスでの生活再開を提案(実施されず)
4月8、9日 制作スタッフ自宅訪問。メンタルクリニック診察を提案(実施されず)
4月19日 制作スタッフが花さんにSNSアプリ削除を提案(削除するも、その後復活)
4
月28日 FOD(※フジテレビの動画配信サービス)で配信
5月3日 花さんが自身のSNSアカウントを再開していることが確認される
5
月14日 YouTubeで未公開動画を3本配信
    (花さんが、第38話で起きた“事件”の背景について視聴者に十分伝わっていないと
     不満をもらしていたとして、制作スタッフは、配信されていない内容をきちんと
     伝えて花さんの評価を回復できるのではと考えて実施を決定したとしている。
      一方、花さんは動画作成や内容について意見を求められたことはなく、公開も
     突然の出来事だったという。)
5月中旬 配信後、再びSNS上で誹謗中傷が増加し、花さんが「未公開でまた荒れ始めた」
      と制作スタッフに報告。
      配信後、A氏から花さんに連絡あり。コロナ禍が落ち着いたら食事を約束。
      花さん、自身の卒業プラン(テラスハウス退去)を制作スタッフに提案。
5月19日 フジテレビ系地上波で放送
     花さん、制作スタッフとLINEでやりとり。非難のダイレクトメールがあったことを報告。
     今後の撮影再開を前提とした相談を行う
5月23日 花さん亡くなる

3)権利の侵害はあったのか?
 委員会決定は、人権侵害の観点と、放送倫理上の観点の2つに大別されています。以下、それぞれ内容の主要なポイントを押さえておきます。まず権利侵害はあったのかについてです。

*視聴者の行為を介した人権侵害に関する放送局の責任は?
 申立人である響子氏は、Netflix配信後に花さんが数多くの誹謗中傷にさらされていたにも関わらず、その後も、未公開動画の公開や地上波での放送を行うことは、花さんに対する誹謗中傷を誘発させ精神的苦痛を与えることになることは疑いようがなく、こうしたことから人権侵害は明らかである、と主張しました。
 これに対し、フジは2つの点から反論しました。花さんに対して各種の対応を行っていて漫然と放送を行ったわけではないこと。また、放送に起因する誹謗中傷が含まれる可能性が認識可能な場合に局の責任が免れない、ということになると、放送局の表現の自由や報道の自由が不当に制限されることになるため安易には認められない、という主張です。
 委員会では、放送局の表現の自由の重要性、責任を負うべきは非難を行った者であること、違法な書き込みの多くは放送の趣旨や内容と関係ないところにまで及び、放送による権利侵害と別な問題であると考えられることなどから、違法性を含まない内容のリアリティー番組の放送に関してネット上で誹謗中傷がなされることについては、放送局に人権侵害の責任を問う事は困難だとしました。

*具体的な被害(花さんの自死)は予見可能だったか
 ただ委員会では、同一の番組が放送だけでなく配信でも行われることが増えている中、今回のケースではNetflixで先行配信された時から花さんは誹謗中傷を受けていたため、フジが「特段の対応をすることなく漫然と実質的に同一の内容を放送・配信することは、(中略)人権侵害の責任が生じうる」とし、先行配信から地上波放送までの間のフジの花さんへの対応のあり方を検討しました。
 まず、Netflix配信後の誹謗中傷を苦に自傷行為を行った花さんに対して制作スタッフが行った対応について検証し、委員会は一定の対応がなされたと捉えました。次に、その1か月半後に未公開動画を公開したことについては、響子氏側は「制作陣が炎上を盛り上がりと感じ、動画を出せばおいしいと思った」と考える方が自然であると主張、一方、フジ側は配信された番組内容に対する花さんの不満・要望にこたえるために制作したものと主張し、見解は対立していました。委員会としては、響子氏の主張は採用できないものの、フジ側にも配慮に欠ける点があったとしました。そして、最終的に地上波で放送するに至ったフジの判断については、花さんの態度が前向きになった兆しが複数見受けられたことなどを総合的に判断したことには一応の慎重さがうかがえるとし、人権侵害があったとまでは断定できないとしました。

*「本人の意思に反するような言動を強要されたことによる権利侵害」はあったのか?
 平たく言えば、フジから花さんに対して“やらせ”のような何らかの強要があり、それに従わざるを得なかったのかどうか、ということです。この点については、特に双方の言い分が真っ向から対立しており、その中で委員会としての判断が行われました。委員会としては、制作スタッフから「ビンタしちゃえば」と指示されていたかどうかは不明であるが、それに類する指示があったことは否定できないとした上で、仮にこうした指示があったとしても花さんは実際にビンタをしていないこと、また、映像に収められている花さんのA氏への怒りは相当程度に真意が表現されていると理解されることから、フジからの花さんに対する「提案やアドバイス」「演出や指示」は、花さんの自由な意思決定の余地が事実上奪われているような例外的な場合に当たるという意味での自己決定権や人格権の侵害があるとは言えない」としました。また、損害賠償の規定が盛り込まれた同意書兼誓約書については、「出演者を過度に緊張させたり、精神的に拘束したりする背景となる可能性があり、適切とは言えない」としながらも、やはり権利の侵害があるとは言えないと判断しました。

4)放送倫理上の問題はあったのか?
 このように、委員会では人権侵害は認められないと判断した上で、放送を行う決定の際の配慮が十分だったかについて、放送倫理上の問題として検討しています。
 まず委員会として、リアリティー番組が、「出演者自身が誹謗中傷によって精神的負担を負うリスクがフィクションの場合よりも格段に高く」、「出演者がしばしば未熟で経験不足な若者」であり、「状況を設定し、さらに出演者を選んで制作・放送しているのが放送局」であることから、局には「出演者の身体的・精神的な健康状態に特に配慮をすることが求められる」いうことを認識の前提としています。
 その上で、未公開動画撮影の際の花さんの心的状態のシグナルを見落としていたこと、自傷行為が繰り返されるようになってから地上波放送まで1か月半しかたっていないこと、コロナ禍の緊急事態宣言という別要因によって花さんが不安な状態におかれていたこと、これらから、「いわば「素人判断」で意思決定をするのではなく、木村氏の精神状態を適切に理解するために専門家に相談するなどのより慎重な対応が求められたのではないか」としています。そして、こうした対応がなされなかった背景として、制作担当者(イースト・エンターテインメント)側と制作責任者(フジ)、また制作責任者とフジ社内での情報共有が行われなかったことがあるのではないかと指摘しました。
 一方で、申立人の響子氏側が強く主張していた、制作側による過剰な編集、演出があったのではないか、という点については、問題はあるとは言えないとしました。また、フジが検証を十分に行わなかったことに対する批判については、委員会の検証のあり方の審理はかなり距離があるとして委員会としての判断を避けました。

5)今回の決定の意義と課題
 以上、委員会決定の内容に寄り添いながら、その内容をまとめてみました。ここからは、決定の意義と課題について、私なりの意見を提示してみます。

*決定の意義について
 まず、放送番組の制作や視聴において、配信サービスやSNSが密接不可分であるという今日的状況を踏まえ、局の責任の分界点や所在がどうあるべきかが本格的に議論された初のケースであったということ、これは今回の最大の意義だと思います。加えてリアリティー番組の特殊性についても深く考察された上で、出演者に対する精神的なケアの重要性と制作する放送局の責任が明確に示されたということも重要なポイントだったと思います。通常は当該局に対するものである委員会決定の結びのコメントが、今回はフジだけでなく放送界全体に向けられているというのも、委員会としての強いメッセージの表れだと思います。更に会見では、ABEMAのように、最近は配信サービスにおいて多くのリアリティー番組が制作されていることを受け、そうした事業者にも、この決定を読んで考えてもらいたいとのコメントもありました。

*決定の課題について
 この委員会決定後、申立人の響子氏は記者会見で、「人権侵害が認められない結果について、すごく歯がゆく悔しい思いです。」「フジテレビには誹謗中傷対策をするだけでなく、出演者をコマの一つではなく、ひとりの人間として大切に扱ってほしい」と述べています6)
 前述したとおり、委員会決定には何度も「事実認定が難しい」という文言が登場しており、特に響子氏が最も強く主張している点、「娘は番組の過剰な演出によって凶暴な女性のように描かれた」か否かについては、対立する双方の主張が列挙されるに留まったと強く感じました。特にフジに対しては、局の表現の自由を尊重するというBPOの立場からか、踏み込んだヒアリングがなされているとは正直感じられませんでした。
 「放送の自由・自律とBPOの役割」という論考7)で、文研・メディア研究部の塩田幸司氏はこれまでの委員会決定を読み解き、「メディアの言論・表現の自由を守りつつ、人権など市民の権利を擁護しメディアの質を高めるというジレンマの中で、BPOの各委員会が放送現場を委縮させないようにメディアの自律性を最大限尊重するという謙抑性を持ち続けていた」としています。今回の決定も、全体的にはその謙抑性を強く感じる内容でした。私はそのこと自体を否定するつもりはありませんし、その謙抑性こそが、NHKと民放連が設立した第三者機関として、自律的に運営するBPOの重要な立ち位置だとも思っています。そのため、今回の委員会決定が、番組を端緒とした誹謗中傷によって娘を奪われたと感じる母親の思いに到底応えられる内容でなかったことは、BPOという組織の宿命だと指摘されてもやむを得ない部分もあるかと思います。
 一方で、制作者側へのヒアリングについては、もう少し謙抑性を排して臨むべきではなかったか、それを排して臨んでいたらもう少し異なる決定になったのではないか、という印象を私は持っています。いくつか感じる点はあるのですが、ここでは1点だけ述べておきます。
 例えば、未公開動画制作に関して制作スタッフが発した「通常は、出演者からの『ここを使って欲しい』『ここを使って欲しくない』などの要望は受け付けていません」という発言ですが、通常のニュース取材やドキュメンタリーにおいては当てはまるけれど、リアリティー番組という特殊な番組制作においてはどうなのでしょうか。若い一般の出演者と制作者が一蓮托生の状態の中で関係を構築しながら台本なきドラマを紡いでいく、その難しさを魅力に昇華させていく力量が問われるのがリアリティー番組の制作現場だと私は思っていました。最近ではある種のドキュメンタリーにおいても、出演者と制作者が、撮られる側と撮る側という立場を超えて、相談し、共闘しながら作品を作り上げていく現場も増えてきています。そうしたことを鑑みても、この制作スタッフへのヒアリングでの言葉は、あまりに浅薄すぎると感じました。更に、通常は出演者の要望を受け付けていないものの、「花さんが3月31日に自傷行為に及んでいたこともあり、その心情に配慮することは重要であると考えて」未公開動画を制作し公開したということですが、そのプロセスで制作スタッフは花さんに一切意見を聞かず、動画の公開すら花さんにとって突然だったということにも大きな違和感を覚えました。もしも制作スタッフが心情に配慮することが重要だ、と心底思っていたとするならば、「配慮に欠ける」以上に「制作者本位」であったのではないか、そこには「動画をだせばおいしいと思った」という気持ちが本当に潜んではいなかったか……。委員会は響子氏の思いを背負い、もう一歩踏み込んだヒアリングを行うべきではなかったかと感じています。
 また、委員会決定では、制作担当者、制作責任者、フジの上層部の中の意思疎通のあり方に問題があったとの指摘がありました。現場は親身にケアを行っていたが、フジはどこまで責任を果たしていたのか、そんなトーンが委員会決定の文言でも会見でも感じられました。そのため私は会見において、花さんに向き合っていた制作担当者と、最後まで花さんと直接連絡をとらなかったフジの制作責任者の双方のヒアリングを通じて、花さんへの思いに対する温度差を感じなかったか、制作現場はNetflix配信後の花さんの状態を見て、その後の配信や放送を行うことをためらってはいなかったか、と聞きました。しかし、具体的な答えを得ることはできませんでした。私がなぜこの問いをしたかと言えば、気持ちの浮き沈みを繰り返す花さんに寄り添い、その心情をくみ取ることを最優先に考える現場であれば、これ以上、配信や放送を重ねることで花さんを傷つけたくないと考える人がいてもおかしくない、そう信じたいという思いがあったからです。フジに直接取材ができていないので、まだ私はこの点については納得できていません。
 なぜ私がこの問題にこだわるかというと、それは出演者のケアを誰が行うのか、という問題に直結するからです。親身に接してくれている制作者が、実は自分を「コマの一つ」としてしか見ていなかったら、「ひとりの人間として大切に扱う」意識が欠落しているとしたら、出演者は完全に逃げ場を失ってしまいます。更に、損害賠償をさせられるかもしれない同意書兼誓約書にも自己責任でサインをしてしまった、ということも、特にプロダクションに守られているわけではない一般人やセミプロのような若者であれば、重圧としてのしかかってくるかもしれません。
 先ほど私は、リアリティー番組の制作については、通常の取材や番組制作以上に、局において出演者の精神的ケアの責任がある、という今回の委員会決定には意義があると述べました。ただ今回の決定では、ケアの具体的内容までは言及されていません。出演者にとって制作スタッフは味方なのか敵なのか、実はここが、今回の問題の最も大きな本質なのではないかと私は感じています。
 真実を暴くための報道の現場では、たとえ相手の尊厳を傷つけたとしても伝えなくてはならないことも時にあります。また、ドキュメンタリーの撮影の現場では、取材者と被取材者の関係は信頼と緊張の繰り返しの中で進んでいきます。ドラマのような完全なフィクションの現場を私は経験していませんが、強い信頼関係のもとに制作が進められている現場が多いと聞きます。では、リアリティー番組はどうなのか。制作者の心構え次第なのか、それとも、制作当事者は出演者本位で考えることは構造上難しいため、精神的ケアは別な担当者を置くか、もしくは完全に制作体制とは切り離し、制作スタッフの対応に対する相談も受け付けられるような医療や苦情の窓口を設けるべきなのか……。
 リアリティー番組の最初の自殺者は、私が調べた限りでは1997年のことですが、その男性は亡くなる前に妻に対して、「(制作者は)私がやった良い部分をカットし、私をバカのように見せた」と語っていました。この問題は、古くて新しい、リアリティー番組そのものが抱える宿命なのかもしれない、と私は考えています。
 なお、この点については、4月5日から、イギリスの放送・通信分野の独立規制機関であるOfcomが、放送局がこれまで以上に出演者に対して保護をするように義務付けた新たな規定を発効させています8)。これは、イギリスで絶大な人気を誇るリアリティー番組『ラブ・アイランド』で、出演者3人、その恋人を加えると4人が自ら命を絶った事実を受け、広く意見を募った上で設けられた規定です。2020年10月に論考を書いた時にはまだ意見募集が終わったばかりで詳細に触れられませんでしたので、本ブログで次回、このイギリスの状況について改めて報告したいと思っています。

6)フジテレビに対して思うこと
 フジはこの委員会決定を受けて、「今回の決定を真摯に受け止め、今後の放送・番組作りに生かしてまいります。番組制作に伴うSNS上の対策や課題については新設したSNS対策部門を中心に組織的に取り組んでいく所存です」とコメントを発表しています。ただ、現在も配信されている『テラスハウス』の今後についてや、それ以外のリアリティー番組を今後制作するのかどうかについては、言及を避けています。
 『テラスハウス』は2012年に始まってから、世界各国で多くの人達を魅了してきました。BPOの青少年委員会のホームページには、2012年の中高生のモニター報告に、以下のような一文があります。「(鳥取・中学2年男子)僕が最近はまっているテレビ番組は、『テラスハウス』(フジテレビ/山陰中央テレビ)です。今までの番組とは一風変わった番組で、そのアイディアは素晴らしいと思います。青春まっただ中の中高生には人気が高く、見ていて胸がときめきます。アイディアでテレビの未来は大きく変わると思います。」
 フジは今後、花さんや響子氏、花さんを取り巻く多くの関係者はもちろんのこと、こうして番組を楽しんできた視聴者に対しても、真摯に向き合うべきではないかと私は思っています。また、今回の委員会決定を公表した放送人権委員会ではなく、同じBPOの放送倫理検証委員会でこそ審議すべきではないか、という声は会見でも聞かれましたし、今からでも審議すべきと主張する専門家もいます9)。私は、SNSと最も親和性の高いリアリティー番組の課題から、制作者、出演者、視聴者との関係を再構築することが、これからのメディアのあり方を考えるために重要だと考えています。そのためには、今回の委員会決定でこの議論が終わることはとても残念なので、もしも放送倫理検証委員会で審議されるのであれば、それを歓迎する立場ですが、こうした議論の枠組み以上に大事なのは、当事者であるフジが、そして制作責任者や制作担当者個人が、きちんとこの現実に向き合うことだと考えています。今回の経験を社会で共有することが、今後のメディアのためにも、そしてコンテンツを制作する自局の、自身のためにも必要だという意識になってもらいたい。それまで私は、このテーマについて取材を続けていきたいと思っています。



1)
https://www.bpo.gr.jp/?p=10741&meta_key=2020
2) https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/20201001_6.html
3) https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/100/435552.html
4) 総務省においては、「発信者情報開示の在り方に関する研究会」で議論が重ねられ、
  2020年12月に最終とりまとめが公表された。この取りまとめをもとに、
    今国会では法改正案が提出されています。
    https://www.soumu.go.jp/main_content/000724725.pdf
5) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210405/k10012956671000.html
6)  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210330/k10012944601000.html
7) https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20190130_2.pdf
8) https://www.ofcom.org.uk/about-ofcom/latest/features-and-news/new-protections-for-people-taking-part-in-tv-and-radio-shows
9) 時事ドットコムニュース「問われるBPOの存在意義 フジテレビ「テラスハウス」に「人権侵害なし」決定」(上智大学・水島宏明氏)
     https://www.jiji.com/jc/v4?id=210331bpoterrace0003


メディアの動き 2021年03月22日 (月)

#312 失われた人生をどう伝えるか イギリスのコロナ報道から

メディア研究部(海外メディア) 税所玲子


新型コロナウイルスが世界的に広がって1年あまり。「放送研究と調査」で海外のコロナ報道について執筆するため、新聞やネットで情報収集を続けていましたが、ふと気が付くとじっくり読み込んでしまう記事がありました。それは、コロナで亡くなった方について写真や家族・友人のコメントなどを添えて描かれた「失われた人の物語」。匿名が多い日本ではあまり見ないアプローチです。どんな狙いでこうした記事は書かれているのでしょうか。イギリスの例から考えます。

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亡くなったトム・ムーアさん ツイッターより

2021年2月2日、100歳の男性がコロナに倒れました。亡くなったのは、トム・ムーアさん。「キャプテン・トム」との愛称で親しまれた退役軍人です。去年4月、100歳の誕生日までに自宅の庭を100往復するとの誓いをたて、コロナ禍で多忙を極める病院への寄付金を募りました。第2次大戦の勲章を付けたブレザーを着込み、歩行器を頼りに懸命に歩く姿は、イギリス人の心を鷲づかみにし、目標額1000ポンド(約15万円)とはけた違いの約330万ポンド(約49億円)が集まりました。「砂糖を沢山いれた甘いティーが好き」「孫のおもちゃの修理は天下一品」。女王からナイトの称号を受けたことよりも、トムさんの素朴な人柄を伝える記事に目がとまり、その訃報に、しんみりしたものでした。

「キャプテン・トム」ほど脚光を浴びなくとも、イギリスのメディアには、コロナで亡くなった人の「顔」と「物語」が多く登場します。

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BBCニュース ウエブサイト「Coronavirus: Your tribute to those who have died」

公共放送BBCは、ウェブサイトに“Coronavirus: Your tribute to those who have died”という特設ページを開設。亡くなった750人の写真と、家族や友人が寄せたメッセージを掲載しています。それぞれの写真が順番に大写しになる仕掛けとなっていますが、中でも目を引くのは「全員をご覧いただくには312時間かかります」との注釈です。「世界最悪水準となったイギリスの犠牲者10万人を超える」と、原稿に書いた一文の持つ重みに、はっとさせられました。

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9月15日付ガーディアン紙 「Lost to the virus」

また有力紙「ガーディアン」も“Lost to the virus”というタイトルの連載を組んでいます。例えば、2020年9月15日に掲載されたメルビン・ケネディーさん(67歳)。ジンバブエを逃れイギリスにわたり、ロンドンバスのドライバーとして働きながら家庭を守り、最愛の妻を病で亡くした後には、残された2人の娘に愛情を注いだ男性の人生が、見開き4ぺージにわたってつづられています。同時に、十分な感染対策が取られず、多くの犠牲者が出た公共交通機関の勤務の過酷さもあぶり出しています。

このようにイギリスのメディアは、大半の人たちの名前を出して報じていますが、その意図はどのようなものなのでしょうか。私はある出来事を思い出しました。それはイギリス人フォトジャーナリスト、ポール・コンロイさんをインタビューした時のことです。コンロイさんは、サンデー・タイムズ紙の記者マリー・コルビンさんと、2012年、内戦下のシリアに潜入取材しました。滞在先に撃ち込まれたロケット弾でコルビンさんは亡くなり、その物語はのちに映画化されました。コンロイさんは、人間は単なる数ではない、といって紛争地を取材し続けたコルビンさんの思いについて「ニュースを常に人間化(humanize)しようとしていた」と説明してくれました。「家族とか子どもとか、おじいちゃんとか、読者が、自分の身近な人に置き換えられて初めて思いを寄せられる。そのことで、シリアでの悲劇を、何とかしてやめさせる方法はないかと思う人が多くなることを願っていた」と。

確かに記事は、具体的な情報があったほうが記憶に残るようになるし、のちのち振り返ったときにも、検証可能なものにもなります。一方で、日本で見られるように、取材を受けた人が中傷や差別を受けることもあり、被害から人々を守るメカニズムが十分でないのも事実です。実名報道が一般的なイギリスでさえ、「キャプテン・トム」の家族はネット上での誹謗中傷に苦しんだと明らかにしています。また、ガーディアンの記事でも、「個人的な情報を削除し、置き換えました」と発行後に修正した記事もあり、プライバシーとの難しいバランスを模索しながら取材していることが容易に想像できます。

正解はあるのだろうか、と思いながら、ふとテレビに目をやると、ワイドショーがコロナの変異種で亡くなった人の話を伝えていました。人のシルエットのアイコンに、「70代、男性、渡航歴なし」のキャプション。亡くなった方はどんな人生を送り、どんな夢を持っていたのかな・・・そんな思いが頭をよぎります。


メディアの動き 2021年03月17日 (水)

#311 世界の国際放送の新型コロナ報道

メディア研究部(海外メディア研究) 堀 亨介


 国際放送をご存じでしょうか?ある国(地域)から、その国(地域)の外にいる人たちに向けて行う放送のことです。日本でも1970年代には、海外からの国際放送を短波ラジオで受信することがブームとなっていました。インターネットのなかった当時、リアルタイムで海外の情報に触れることのできるメディアとして、短波ラジオで海外からの国際放送を楽しんだ方も多いと思います。その国際放送ですが、短波ラジオから衛星テレビ、そしてインターネットと、メディアをシフトしつつ今もサービスが行われています。
 NHKも国際放送を、戦前の1935年から行っています。私はその国際放送にこれまで27年ほど関わってきましたが、昨年8月から文研で海外メディアの動向、特に正確で公正な報道とプロパガンダのはざまにある世界の国際放送のあり様を研究しています。
 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の中、各国の国際放送でも、日本ではあまり伝えられていない情報や各国の状況が垣間見えるニュースが伝えられています。そこで、インターネット上で見ることのできる日本語での報道の中から、最近話題の新型コロナワクチンの情報など、気になったニュースの一部をご紹介します。

〇イギリス BBC (British Broadcasting Corporation)

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 まずはBBCです。イギリスの公共放送として誰もが知っている放送局です。国際放送局としても世界で最も知られています。国際放送としてのBBCは、日本でもCATV経由などで視聴出来る英語テレビのBBC WORLD NEWSが一番思い当たるところですが、そのほかアラビア語やペルシャ語のテレビや多言語ラジオ、インターネットなど、43の言語で情報を発信しています。インターネットでは、テキストによる日本語ニュースもあります。
 その日本語ニュースで新型コロナ関連のニュースを眺めてみると、アメリカのファイザーとドイツのビオンテックが開発した新型コロナワクチン、アメリカのモデルナの新型コロナワクチン、イギリスのオックスフォード大学とアストラゼネカが開発した新型コロナワクチンの3種類を比較する記事が目に留まりました。1)特に、オックスフォードとアストラゼネカの開発した新型コロナワクチンは、弱毒化したチンパンジーの風邪ウイルスに、新型コロナウイルスの遺伝子情報を組み込んで開発しているといった情報が、このブログの執筆時点では日本であまり取り上げられていないこともあり、参考になりました。

〇スイス SWI swissinfo.ch

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 ヨーロッパでもう一つ、スイスを取り上げてみます。スイスは短波ラジオの時代にはSRI(Swiss Radio International)という、スイスの公共放送が実施していた国際放送が人気でしたが、短波放送が下火になる中でいち早くインターネットに乗り換え、現在はSWIとして10の言語で情報発信を行っています。ラジオ時代にはなかった日本語もあるので、普段目にすることの少ないスイスのニュースを読むことができます。
 1月28日には「コロナ危機を乗り越えたスイス株は?」2)と題したニュースで、スイスの株式市場が新型コロナによる昨年3月の大暴落前の水準を取り戻したと伝えています。新型コロナの影響が比較的小さかったスイスでは株価が回復したということで、欧米はどこも大変な状況であるかのように漠然と思い込んでいましたが、実は必ずしもそういう訳ではないということに気づかされました。

〇中国 CRI (China Radio International)

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 アジアに目を向けて中国です。中国の国際放送には、テレビのCGTN(China Global Television Network)とラジオのCRIがあります。CGTNは、国営の中国中央テレビの英語による24時間ニュース放送チャンネルで、英語のほか、アラビア語、スペイン語、フランス語、ロシア語版もあります。同じく国営の中国国際放送局CRIは、かつて「北京放送」を名乗っていましたので、なじみのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。CRIでは多言語のラジオとネットサービスを、44の言語で行っています。
 CRIの2020年12月25日の日本語ニュースでは、イギリスの「フィナンシャル・タイムズ」などの報道も引用しつつ、アラブ首長国連邦(UAE)で中国製の新型コロナワクチンの接種態勢が整ったと伝えています。3)中国製ワクチンの宣伝色が強いとも思えるニュースではありますが、日本ではあまり報道されていない中国とUAEの関係が見えるという意味で、興味深いニュースだと思います。

〇ベトナム VOV (Voice of Vietnam)

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 アジアでもう一つ、ベトナムです。ベトナムはテレビの国際放送を行っていませんが、国営ラジオVOV(Voice of Vietnam)では、13言語で国際情報発信を行っていて、日本語ラジオ「ベトナムの声」は1963年から放送を続けています。
 VOV日本語のウェブサイトに2020年12月10日に掲載された「ベトナム 国産新型コロナワクチンの臨床試験へ」4)というニュースでは、ベトナム軍医学院が国産新型コロナワクチンの臨床試験を開始するために、ボランティアの募集を発表したことが伝えられています。日本では、アメリカ、イギリス、中国、ロシアのワクチン開発については頻繁にニュースを目にしますが、ベトナムでも臨床試験が行われているということには少し驚きました。

 今回は、新型コロナの範疇で目に留まったニュースをお伝えしました。新型コロナによる閉塞感もあり、ともすれば内向きになりがちな昨今ではありますが、世界各地から発信される国際放送に接することで、少しでも世界に目を向けることができればと思います。
 なお、新型コロナウイルスに関して世界各地のメディアが国内向けにどのような報道を行っているかを、私たち海外メディア研究グループが「放送研究と調査」2月号、3月号で網羅的に論考しています。私も担当の1人として2月号で東南アジアの現状をまとめました。是非お読みください。

『放送研究と調査』2月号
「新型コロナウイルス」はどのように伝えられたか
~ 海外の報道をみる(1)~


1) 新型コロナウイルスのワクチンを比較 効果が高いのは?安いのは?
https://www.bbc.com/japanese/video-55628482
2) コロナ危機を乗り越えたスイス株は?
https://www.swissinfo.ch/jpn/boerse_コロナ危機を乗り越えたスイス株は-/46320340
3) アラブ首長国連邦が中国産ワクチンを大規模に無料供給
http://japanese.cri.cn/20201225/17023b34-96d3-b2bc-70f2-be1c1419fe72.html
4) ベトナム 国産新型コロナワクチンの臨床試験へ
https://vovworld.vn/ja-JP/ニュース/ヘトナム-国産新型コロナワクチンの臨床試験へ-930526.vov