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放送ヒストリー

放送ヒストリー 2016年07月26日 (火)

#37 ポジティブでしなやか:女性テレビ美術デザイナー

メディア研究部(メディア史研究) 廣谷鏡子
 
   放送のオーラル・ヒストリー「放送ウーマン」史(2)
   國嶋芳子さん(テレビ美術デザイナー) ~しなやかに「男社会」を駆け抜ける~ 『放送研究と調査』7月号 


この椅子に、見覚えありませんか?
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『あさイチ』のプレミアムトークにも登場した、40年以上にわたって桂文枝とコケ続けてきた名物椅子です。ギネスにも認定された長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』1971~、朝日放送)のセットデザインを、スタート時からずっと担当してきた人が、今回紹介する「放送ウーマン」國嶋芳子さん。この椅子も、プロデューサーの命を受けて彼女が探してきたもので、いまも修理を重ねながら使われています。
美人女性キャスターが闊歩(かっぽ)する華やかな業界のようだけれど、昔も今も圧倒的な男社会である放送業界。テレビ大好き、美術大好きで美大に進み、「テレビ美術デザイナー」という職業があることを知って、この仕事に挑んだ國嶋さんですが、当時、放送局で女子正社員の採用はなく、「よそで仕事をしていい、給料は社員並み、人事異動なし」という契約で嘱託のデザイナーに。結果的にはそのことが、彼女に自由な翼を広げさせ、デザイナー人生を幅広いものにしました。放送局も、70年代に全盛期を迎えるカラー放送に向けて実はてんてこ舞い。美大出のデザイナーもいないなか、國嶋さんはこの業界にピタッとはまったのです!

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國嶋芳子さん

『プロポーズ大作戦』1973~85)の人気コーナー「フィーリングカップル5対5」のテーブルを考案したのも彼女と聞いて、この番組をかじりついて見ていた筆者は、思わずテーマ曲を口ずさんでいました。朝日放送お得意の「視聴者参加公開番組」のセットも、美大で舞台装置を学んできた大胆な発想で立ち上げ、周囲の度肝(どぎも)を抜きます。

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國嶋さんはまず模型を作ります。空間イメージが番組スタッフに一目で伝わります。
そしてこれが、実際のセットになると…こちら。

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2012年から現在までの『新婚さんいらっしゃい!』のセットです。
テーマは「蜂の巣、愛の巣、蜜の味」。

かつては「最近の女子アナはたばこ一つ買いに行かなくなった」などというトンデモ発言が飛び交うセクハラ職場でしたが、國嶋さんはその発想力とスキルで、実績をあげていきます。現在のほんわかした雰囲気の彼女からは、ガチガチの「キャリアウーマン」といったイメージはうかがえません。むしろ、クリエイターとしてのこんな言葉に、著者は共感するのです。
「迷ったときとか何も出てこないときは、そこはテレビのいいところで、流す。ディレクター、プロデューサーにこびる。こびるというか、よかったよかったと言ってもらう」
そうそう! 困難にぶつかったら、無理はせずにさっぱりあきらめる。でも褒めてもらいたいから、次は頑張る。そうやってテレビというメディアの現場は、ある時は健やかな、時にはしたたかな精神を育んできたんじゃないでしょうか。永さんや巨泉さんが生きていたら、きっと共感してくれたに違いない、と思うのですが…。
2011年に朝日放送を退職後、國嶋さんはいまも舞台装置家として活躍中。2013年、ようやく朝日放送2代目女性デザイナーが入社しました。彼女もまた、大先輩が「しなやかに」切り開いてきた道を、彼女ならではの軽やかさで、歩いていくことでしょう。
國嶋さんの切り開いてきた道がどんなだったかは、ぜひ、本文で!(概要はこちら

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語らう新旧女性デザイナー@朝日放送


放送ヒストリー 2016年04月15日 (金)

#22 「生態放送」って聞いたことありますか?

メディア研究部(メディア史研究) 小林利行

「え!昭和初期、ラジオ放送の開始からわずか8年後に野生動物の生中継番組が始まっていた!?」
このリポートを書くきっかけになった率直な驚きです。

今でも番組制作の中で「生中継」や「野生動物」という言葉が出ると、制作者は少なからず緊張すると言います。この2つが重なった番組を、放送初期の1933年に成し遂げた人たちがいます。東京ではありません。人も機材も少ない長野局でした。長野局は、野鳥の鳴き声の生中継に全国で初めて成功したのです。当時「生態放送」と呼ばれていました。「生態放送」はその後、名古屋局(野鳥「仏法僧」)・前橋局(かえる)・仙台局(うみねこ)・静岡局(野鳥)などでも行われ、聴取者の評判もよく、地方の放送局の重要なコンテンツに成長します。

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全国で初めて「生態放送」に成功した長野局の面々

史料の中からこの番組の存在を知った時、私の頭には驚きと同時に次々と疑問がわいてきました。▼なぜ、野生動物相手の生中継という「冒険」に踏み切ったのか?▼失敗の可能性もあるこのような企画が、どういった経緯で承認されたのか?▼現在に比べて機材も貧弱な中で、現場ではどう対応したのか?・・・

こうした疑問は、史料を集めていく中で少しずつ明らかになっていきます。詳しいことは月報(「放送研究と調査」4月号)を見ていただきたいのですが、ここではポイントとなる「『冒険』に踏み切った理由」について、ちょっとだけ説明します。ざっくりと言ってしまえば
「地方局の意地」です。
当時の放送は、「地方文化の水準を中央のそれに引き上げること」が主な目的とされていて、基本的な流れは「中央→地方」でした。そこで地方局としてこの状況に一矢報いるために、その地域でしかできない放送を行おうと、重い機材を背負って山奥に分け入り、うまく鳴いてくれるかどうかわからない中で、固唾をのんで放送時間を待っていたのです。

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名古屋局は「秘密兵器」を使用

では、その「意地」を通すために、関係者はどんなハードルをクリアしてきたのでしょうか。今月号では、「クスッ」と笑えるようなことから「プロジェクトX」(覚えていますか?)ばりの話まで数々のエピソードを紹介しています。

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木につり下げられたマイク(これも工夫の一つ)

最後に一つだけ。「失敗の可能性もある企画が承認された経緯」についてなのですが、そこにはある「偶然」が絡んでいました。なんと、火山の噴火が関係していたというのです・・・ 気になる方は月報の本文をお読みください。

『放送研究と調査』4月号 野鳥の鳴き声を生放送で全国へ~戦前のラジオ「生態放送」への取り組み~


放送ヒストリー 2016年03月15日 (火)

#16 月報3月号紹介②「テレビ美術」を知っていますか?

メディア研究部(メディア史研究) 廣谷鏡子

テレビがスタートしたのは63年前。そのとき同時に生まれたものがあります。さて何でしょう。ヒントはそれまでのラジオ(音だけの世界)になかったもの。そう、「ビジュアル」(目に見えるもの)ですね。理屈っぽく言えば、テレビによって「情報」は「視覚化」された。その視覚化によって生まれたのが、
「テレビ美術」です。
では、いちばん最初のテレビ美術は何だと思いますか。もう一度ラジオを思い出してください。ラジオになかったのは番組の“表紙”、つまり「タイトル(文字)」でした。

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これは“裏表紙”、ですね(手書きのテロップカード、1961~3年頃)

こうして「文字」に始まったテレビ美術は、63年をかけて成長、変貌を遂げていきました。

ドラマを見るとき、あなたの視線はまずどこに行きますか。主人公がイケメンかどうかが重要だったりもするわけですが、ちょっと目をずらしてみてください。彼が着ている服、演技をする部屋、置いてあるテーブル、その上の料理、壁の絵画、時代劇なら侍のかつらにその時代のメイク。そればかりか、窓の外を吹く風、雨に打たれる樹木、降り積もる雪にいたるまで、ぜーんぶ「テレビ美術」なんですね。言ってみれば、目に見える(素っ裸の)人間以外のものすべて。

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こちらは大河ドラマ第1作『花の生涯』(1963年)のオープンセット

実はいままで、この職種についてあまり詳しくは語られて来ませんでした。演出家やプロデューサーのように、番組の意図や内容をカッコ良く語ろうとした人がいなかったみたいです。だってテレビである限り、美術は当然ついてくる。当然のことをしていたまでさ…。
と思っていたかどうかは知りませんが、きっと職人気質の無口で謙虚な人が多かったのだろうと、筆者は2年前から美術の担当者に聞き取りをし、5回に渡って掲載してきました。月報3月号はその総集編です。「証言」によって放送の歴史に別の角度から光を当てる、「オーラル・ヒストリー」研究の新たな試みでもあります。
テレビ美術を際立たせるキーワードは「時間」と「本物らしさ」。それって何?と思った方はぜひご一読を。そしてこれからテレビを見るとき、少しだけ、「人以外」にも注目してみてください。

放送のオーラル・ヒストリー
シリーズ「テレビ美術」の成立と変容
3月号の総集編をお読みになって興味をもたれた方は、バックナンバーもご覧ください。
(こちらの5回はPDFで全文掲載しています)
(1)  文字のデザイン
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2014_01/20140103.pdf
(2)  ドラマのセットデザイン
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2014_04/20140402.pdf
(3)  メイク・かつら・衣装
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2015_01/20150103.pdf
(4)  時代劇スタジオをつくる人たち
 前編http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2015_12/20151204.pdf
 後編http://www.nhk.or.jp/bunken/research/history/pdf/20160101_5.pdf