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2019年12月 8日 / 旅の紹介 第104回 兵庫県・赤穂市へ 赤穂義士を想う旅

元禄15年に四十七士が討入りした赤穂事件をもとにした創作「忠臣蔵」。日本で最も有名な物語のひとつであり、年の瀬になると思い出す人も多いでしょう。四十七士のふるさと、兵庫県赤穂市に旅しました。

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JR播州赤穂駅に貼られたパネル。四十七士を題材にした江戸時代の双六絵が元になっている。

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家族や郷里との別れ。苦難の日々に耐えながら忠義を貫き通し、主君の仇討ちを果たす四十七士。「忠臣蔵」の話は、浄瑠璃、歌舞伎、浮世絵、講談、小説、映画など数えきれないほど取り上げられてきました。しかしその一方で、「忠臣蔵」という創作と、「赤穂事件」という実際の史実が混同されて伝わっていることも事実です。47士の面影を感じながら、改めて史実を知るきっかけにもしたいと、彼らのふるさと・赤穂市を巡ることにしました。

赤穂市立歴史博物館

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赤穂市立歴史博物館。江戸時代、赤穂城三之丸に隣接して建っていた米蔵の跡地にある。

赤穂市立歴史博物館は赤穂城三之丸跡に隣接して建っています。浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけた事件がもとでお家断絶が決まった赤穂浅野家。城を明け渡す際、浪人となった大石内蔵助は、名残を惜しみつつ城の東側にあった清水門から出たというエピソードが残っています。その清水門跡からすぐのところにあります。

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江戸時代、赤穂の塩が全国を席巻した。蘭学者・司馬江漢も「赤穂塩日本第一也」と評した。

1階は赤穂の製塩業についての展示となっています。赤穂の塩づくりは古くは弥生時代まで遡り、時代とともに製塩法が整備されていきました。浅野家も入浜塩田(注)の大規模な開拓を推し進めました。入浜塩田は生産性が高く、赤穂の塩が市場を席巻しました。温暖で晴れが多い瀬戸内海式気候に加え、広い平地があった赤穂は、塩づくりの環境に恵まれていたのです。

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瀬戸内海沿岸を中心に発達した入浜塩田の仕組みを説明した模型。

注……いりはまえんでん/潮の満ち引きを利用して海水を引き入れ、しみ込ませた塩田で、太陽熱で水を蒸発させ塩を作り出す手法。人力で海水を塩田に運び込む必要がないため生産効率が良かった。

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赤穂でつくられた塩は、塩廻船によって江戸や大阪に販売された。

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瀬戸内海に面した「海城(うみじろ)」として浅野家時代に整備された赤穂城。現在は城壁の周りは埋め立てられているが、築城当時、南側はすぐ海だった。 

2階では赤穂城の模型が展示されていました。浅野家の前の当主であった池田家の時代にも小さな城はありましたが、浅野家初代・浅野長直のときに拡張されました。藩の規模の割に城が大きかったことがわかります。

これらの展示を見ても赤穂藩が豊かな藩であったことが伺われ、それだけに突然すべてを失った浅野家の家臣たちが不憫に感じられました。

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2階の義士コーナー。年に2回程度の展示替えが行われている。

2階中央が義士コーナーになっており、赤穂事件の資料や忠臣蔵をテーマにした創作物が並んでいます。浮世絵のコレクションは約1700枚にも及び、浄瑠璃本も数多く所蔵されています。今年は開館30周年にあたり、12月13日から赤穂事件をテーマにした特別展も予定されています。

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近年入手された忠臣蔵の浮世絵の数々。

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浄瑠璃本なども多く所蔵している。

「赤穂事件を『事件発生まで』『殿中刃傷・城明け渡し』『討ち入りに向けて』『討ち入り』『お預け・切腹』という5つのパートに分け、史実の面からたどる展覧会です。約80点の展示で、普段以上に事件関連の資料をご覧いただけます」(館長代理/学芸員 木曽こころさん)

赤穂大石神社

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赤穂城の大手門と隅櫓(すみやぐら)。隅櫓は近年復元された。

赤穂城の大手門をくぐった場所は三之丸にあたります。赤穂藩の重臣の屋敷があったエリアで、浅野赤穂藩の筆頭家老・大石内蔵助の屋敷もここにありました。現在その屋敷跡は赤穂義士を祭る赤穂大石神社になっています。

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大石邸長屋門。江戸城で起きた浅野内匠頭の刃傷事件の知らせを持ってきた早かごが最初に向かった場所で知られる。城内に残る数少ない江戸時代の遺構。

大石神社が建立されるきっかけは明治元年、明治天皇が東京の泉岳寺に勅使を送り、赤穂四十七士の墓前で武士の忠義をたたえる「宣」を伝えたことです。それまで四十七士は歌舞伎や浄瑠璃の中で賞賛されていても、公式には「罪人」でした。しかしこの瞬間から公に「忠義の士」となったのです。

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赤穂大石神社の敷地内から見た大石邸長屋門。大石邸にあった庭園も保存されている。

赤穂城の大石邸跡地にはそれ以前にも四十七士を祭る小さな祠が設けられていましたが、改めて大石神社が創建されることへの許可が下り、大正元年に神社が竣工しました。

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1953年の義士自刃満250年大祭の折、47人の木彫家に依頼して彫られた義士の像。写真右に写っているのは平櫛田中作の浅野内匠頭長矩像。

なお赤穂大石神社の入り口にある正門は、楠木正成を祭神とする神戸市の湊川神社から移築されたもの。湊川神社も明治天皇のおぼし召しがもとで明治5年に創建された神社ですが、ともに楠木正成、赤穂四十七士という忠義の臣を祭る神社であることから、「東の楠公、西の大石」とも言われています。

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境内にある宝物殿。こちらも神戸の湊川神社から移築された建物。

赤穂大石神社内にある宝物殿には赤穂義士の遺品などが展示されています。内蔵助が使った采配・呼子鳥笛・軍扇。原惣右衛門が使用した脇差など、討ち入りと直接関係した品々もたくさん並んでいて胸が踊ります。

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赤穂大石神社宝物殿の展示品より大石内蔵助の遺品。右より采配、呼子鳥笛、盃。

「討ち入ったときの道具は原則的には幕府によって処分されましたが、一部その目をかいくぐって残った道具があります。たとえば大石内蔵助関連のものは親戚筋にあたる青森県弘前市の津軽大石家に残されていたり、他の義士の遺品についてもその子孫が所有されていたりします。そうした方々からご寄贈いただいたものなどを当社の学芸員が調査し展示しています」(赤穂大石神社禰宜 飯尾真幸さん)

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堀部安兵衛が使用した鎖頭巾・鎖帷子。

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潮田又之丞筆、吉良邸内外屋敷図。

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赤穂大石神社には浅野家の跡を継いだ赤穂藩主・森家の宝物なども保管されている。

赤穂城跡

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赤穂城本丸入り口。

赤穂大石神社を後にして、そのまま城内を散策しました。赤穂城は明治の廃藩置県のときに建物は破却され、土地も民間に払い下げられたため、一時は敷地内に一般の民家が建てられ、畑や学校などもこの中にあったそうです。その後国の史跡に指定され、徐々に城の復元整備が進められています。

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本丸跡に残る天守台からの眺め。浅野家の時代に天守閣は計画されたものの実現に至らなかった。

花岳寺

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花岳寺本堂。垂れ幕には右に赤穂浅野家の違い鷹の羽紋、左手に大石家の二つ巴紋が。

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本堂の天井には赤穂の画家・法橋長安周得が幕末に描いた虎の絵が飾られている。

花岳寺は赤穂浅野家の菩提寺です。残務処理を済ませ、浅野内匠頭の百ヶ日法要を花岳寺で行った後、大石内蔵助は生まれ故郷の赤穂を去ったと言われています。

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花岳寺の山門は赤穂城下にあった塩屋惣門を移築したもの。本屋根と別に2つの小屋根が付いている。

東京の泉岳寺に赤穂義士の墓があるのはよく知られていますが、ここ花岳寺にも義士の墓所があります。37回忌のとき地元の有志によって建てられました。
討ち入り後に一行から離れた寺坂吉右衛門の墓もあります(諸説ありますが、寺坂は大石内蔵助より密命を受けて立ち去ったという説が濃厚。役目を終えた後、幕府に切腹の嘆願書を出したが認められなかったとされています)。境内には、浅野家代々の当主の墓や、義士の家族の墓もあります。

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義士の墓所。中心に浅野内匠頭の墓。その両脇に大石内蔵助と大石主税(ちから)。周りをその他の義士の墓が囲む。

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討ち入りの後、切腹をした義士の墓に刻まれた戒名には「刃」の字が入っている。寺坂吉右衛門の墓だけ刃の字が入っていない。

墓所の脇には赤穂城内の大石邸から移したという桜の木があり、「忠義桜」と呼ばれています(当時の桜は枯れて現在は3代目)。また本堂の前には、大石内蔵助が赤穂を去る前に別れを告げ名残を惜しんだとされる「大石名残の松」の2代目の松があります(注)。境内の鐘には四十七士切腹の報に悲しんだ町の人々が、冥福を祈り打ち鳴らし続けたといういわれが残っています。義士木像堂に置かれている浅野内匠頭の位牌の奥には、大石内蔵助が討ち入りのとき懐に入れていたという、大石家代々の守り本尊・千手観音が安置されています。境内にあるものひとつひとつにストーリーがあります。

注……初代の松は、大石内蔵助が母の冥福を祈るため花岳寺の敷地内に植え、赤穂立ちのとき、この松の下で名残を惜しんだと伝えられる。その松は枯死してしまったが、そのゆかりを元に、奉納されたもので2代目大石名残の松とされている。

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義士墓所の脇にある「忠義の桜」。葉が赤く染まっていた。

花岳寺は赤穂義士がこの町の人から大切にされてきたことを実感できる場所です。

赤穂御崎

最後に瀬戸内海を見に赤穂御崎を訪れました。この辺りは海に面した露天風呂を楽しめる旅館が立ち並び、また毎月第3日曜には「御崎マルシェ」という朝市も行われています。景色を楽しみつつ散策するのが気持ちいい場所です。

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畳岩。岩の手前の道は潮の満ち引きで現れたり消えたりする。

また大石内蔵助が開城の手続きを終えた後、赤穂を去り京都の山科に向かうときに使った港が現在の畳岩の辺りにあったと言われています。瀬戸内海の夕暮れを眺めながら、生まれ育った赤穂を去るときの大石内蔵助へ思いをはせました。

12月14日、討ち入りの日に赤穂の町では恒例の義士祭が行われます。瀬戸内海のカキも本番を迎えおいしい時期にもなってきます。義士のふるさと、冬の赤穂への旅、いかがでしょうか。

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取材時にはまだ小ぶりだったカキ。これから大きくなり12〜1月に最盛期を迎える。

展覧会情報

◎赤穂市立歴史博物館(兵庫)では、「開館30周年記念 特別展 元禄赤穂事件」が開催されます。12月13日から2020年2月4日まで。

インフォメーション

◎赤穂市立歴史博物館
兵庫県赤穂市上仮屋916-1
開館時間 午前9時〜午後5時
休館日 水曜・12月28日〜31日・1月4日(1月1日〜3日は臨時開館)
アクセス JR「播州赤穂」駅より徒歩約15分/山陽自動車道赤穂インターより車で約10分

◎赤穂大石神社
兵庫県赤穂市上仮屋131-7
拝観時間 午前8時30分〜午後5時
アクセス JR「播州赤穂」駅より徒歩約15分/山陽自動車道赤穂インターより車で約10分

◎台雲山花岳寺
兵庫県赤穂市加里屋1992
拝観時間 午前9時〜午後4時
アクセス JR播州赤穂駅より徒歩約10分/山陽自動車道赤穂インターより車で約10分

◎赤穂御崎
兵庫県赤穂市御崎
アクセス JR播州赤穂駅より車で約15分