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放送ヒストリー 2017年01月13日 (金)

#60 今とは違った戦前の地域放送

メディア研究部(メディア史研究) 村上聖一

年末年始、帰省先や旅行先でテレビをご覧になり、その土地でしか見られない地域ニュースや番組に触れられた方も多いのではないでしょうか。そうした地域放送の変遷についてまとめた論考を『放送研究と調査』1月号に掲載しましたので、そのご紹介です。

ただ、地域放送といっても、テレビではなく戦前のラジオについてです。なぜ戦前かと言いますと、当時は放送エリアなどが今とはかなり異なっていることから、放送の地域性を考える上で、今とはまったく違った視点が得られるのではないかと考えたためです。

日本でラジオ放送が始まったのは、1925(大正14)年ですが、全国向け放送が多い今のテレビとは違って、ラジオは地域色が強いメディアでした。また、放送エリアも必ずしも県単位ではありませんでした。以下の地図は、1931年時点で、鉱石ラジオで放送が聞けた範囲を示したものです。当時は社団法人日本放送協会が、北海道・東北・関東・東海・関西・中国・九州の7つの支部ごとに、独自性の強い放送を行っていました。

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(『ラヂオ年鑑』(1932年) ※地図は当時の日本の領土とは異なります)

地域放送の多さがわかるのが、次のグラフです。「自局編成」は、各放送局が独自に番組を放送していたもの、「入中継」(いりちゅうけい)は他の放送局からの番組を受けて放送していたものです。

例えば、大阪中央放送局の場合、7割の番組は独自制作で、東京などの番組を放送していた割合は3割程度でした。自局編成といっても、大阪発の全国向け番組もありますので、赤い部分がすべて地域放送というわけではありませんが、全国向けの番組が放送の大半を占めていたわけではなかったことがわかります。

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(『ラヂオ年鑑』1931年)

しかし、こうした状況は長くは続きませんでした。次のグラフは10年後の状況です。1930年代後半、日本放送協会の方針転換や国の統制強化もあり、ラジオ放送は急速に中央集権的なメディアへと変化していきました。

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(『ラジオ年鑑』1941年)

そして、このあと太平洋戦争が始まると、地域向け番組は大幅に縮小され、地域放送は受難の時代を迎えることになりました。

戦後、地域放送は再び拡充されていきますが、県単位で開局した民放ラジオ局の影響もあって、NHKの地域放送も、戦前のような東北、九州といった地方ブロック向けではなく、県域向けの番組が主体となります。放送の地域性は、1930年ごろとは性格が異なるものになったのです。

ここまで、簡単にラジオ時代の地域放送の変化をまとめましたが、経緯はかなり複雑なものでした。詳しくは、『放送研究と調査』1月号にまとめましたので、ぜひご一読ください。