2021年05月21日 (金)"わたしの世界はこう変わった" 名もなき市民の記録


※2020年6月24日にNHK News Up に掲載されました。

「100年に一度の危機」とも言われる新型コロナウイルス。感染症の脅威によって私たちの生活が急速に変わっていく様子を記録にとどめようとする動きが広がっています。なぜ記録するのか。そして何を記録するのか。名もなき市民が残そうとする“足跡”の意味を探りました。

ネットワーク報道部記者 斉藤直哉・高橋大地・野田綾

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ただ、記録したいという“衝動”

誰も予想していなかった形で社会のあり方が急速に変わる中、あるインターネット上のサービスで変化が起きています。

文章や写真などを投稿できるサービス、「note」。何気ない日々の暮らしや気づいたこと、自分の考えを伝える場として使われています。1日あたりの投稿数は、ことし3月上旬の時点では1万7000件ほどでしたが、5月には2万6000件ほどに増えました。

「note」のディレクター、三原琴実さんによりますと、最近は急速に変化していく生活の記録をシェアする投稿が急増したといいます。

watashinosekai.200624.2.jpg投稿の一つ

例えば、学校が休校となり子どもと家で過ごす際に工夫したことや、リモートワークの記録。医療従事者や新型コロナウイルスに感染した人たちは、感染症との戦いを生々しく記しています。
そして飲食店の経営者は、営業の自粛やテイクアウトに取り組む苦労の日々をつづっています。

watashinosekai.200624.3.jpg「note」ディレクター 三原琴実さん

三原琴実さん
「これまで日記を書いたことがなかったような人が、生活が大きく変化する中で心の動きを書き留めようと日記を始めています。思ったことや工夫したことをシェアすることでお互いに励まされたり危機を乗り越えたりする助けになったのではと思っています」

かつて経験したことのない状況に飲み込まれる中、多くの人たちがわらをもつかむように「記録を残したい」「伝えたい」という衝動に駆られているのかもしれません。

watashinosekai.200624.4.jpg「note」の編集部でもリモートワークの工夫などテーマを設定して投稿を呼びかけたり、投稿の中から生活に役立つ知恵や知ってほしい情報などを集めて記事として紹介したりしています。

三原琴実さん
「今後もし不測の事態がまた起きてもインターネットで探すと役立つ個人の知見が見つかったりとか同じ思いを持つ仲間が見つかったりするような場にしていきたい」

公的機関も記録を収集

公的な機関も新型コロナウイルスで変わる社会の状況を後世に残そうとしています。

watashinosekai.200624.5.jpg国立国会図書館は、官公庁などがウェブサイトで発信する情報を定期的に記録していますが、ことし2月からは収集する頻度を上げています。厚生労働省の通知など、感染の拡大にともなって日々更新される情報を記録しているのです。

また、これまで収集していなかった日本感染症学会などのウェブサイトの記録も始め、これまでに117のウェブサイトを対象にのべ385回にわたって臨時の記録を行ったということです。

このほか、各地の博物館でも、店舗の営業自粛を伝える広告やテイクアウトのメニューを紹介するチラシなど、私たちの暮らしの変化がわかる資料の収集を始めています。

100年前の記録が伝えるもの

市井の人たちが残した記録や日記は、後世の人たちの目にはどのように映るのでしょうか。

およそ100年前、世界的に大流行し、幾多の犠牲者を出したスペインかぜに関する記述をひもとくことで、明らかになってきたことがあります。

watashinosekai.200624.6.jpg岡山県倉敷市の歴史資料整備室。ここに残されていたある市民の日記に、その記述がありました。日記を書いたのは、明治時代から昭和初期にかけての時代を生き、倉敷市で米穀商を営んでいた大森一治という男性です。

watashinosekai.200624.7.jpg大森一治氏(最後段の左端)

初めて倉敷に電気が通ったときの様子や当時の世界情勢などが克明に記されていて、市井の人から見た地域の歴史を知ることができる貴重な資料です。今回、新型コロナウイルスの感染が広がる中で、スペインかぜについての記述がないか、歴史資料整備室の職員が調べてみたところ、大正7年の日記に記載があることがわかりました。

10月28日の日記には、インフルエンザ(スペインかぜ)が流行し、学校や工場、新聞社などが閉鎖や休業にも追い込まれている中、自分の息子もかかってしまったと書かれています。さらに11月1日には父親や妻までも感染したとあり、大森の家族の間にも次々と感染が広がっていく様子がうかがえます。

資料を分析した職員の大島千鶴さんによると、興味深いのはその3日前の記述です。息子の小学校で男女合同の運動会が開催され、大森をはじめ多くの町民が参観に訪れたと記載されているのです。

大島千鶴さん
「大森の息子が発病した直後の時期に、小学校の児童の欠席が増えていることもわかっています。もしかしたら、保護者をはじめ多くの人が参観したことで、会場が大きな感染の場となり、『クラスター』のようなものが発生したのかもしれませんね」

さらに日記には、近所の家の門にまじないのようなお札が掲げられていたことも記されています。大島さんは、こうした状況が疫病から人々を守るとされる妖怪「アマビエ」が注目されている今の時代にも重なって見えると話しています。

大島千鶴さん
「日記は私的なもので資料的な価値はないと思われるかもしれませんが、実はそこに書かれた当時の人の生活様式や価値観は大きな参考になります。公文書ではわからない貴重な情報も得ることができるのです。いろいろな事象が猛烈なスピードで過ぎていく現代においてはなおさら、書き留めておくこと、記録しておくこと、そしてそれを後世に伝えていくことが大切になっているのではないでしょうか」

77人が記した“今”の記録

そして100年後の今、再び感染症の大流行に翻弄された私たちの生活をさまざまな市民の視点から1冊にまとめた本が完成しました。

watashinosekai.200624.8.jpg「仕事本 わたしたちの緊急事態日記」

特徴的なのは、日記を記した人たちの多彩な顔ぶれです。パン屋の店員、ごみ清掃員、タクシー運転手、教師、保育士、医師、旅行会社社員、それに劇団員など、60の職種、77人が、緊急事態宣言が出された直後から1か月ほどの生活を日記の形式で記しています。

出版社によると「外出自粛の中、人々はどのように過ごしているのだろうか」という素朴な疑問からスタートして、社内で意見を募ったところ、どんな職業の人がどんな暮らしをしているのか知りたいという声が多く寄せられました。そこで、社員の人脈などを駆使して、さまざまな職種の人たちに協力を呼びかけました。

その1人、私立高校の20代の女性教諭は、大学受験を控えた3年生が自宅で学習を進められるように準備に追われた日々をつづりました。

watashinosekai.200624.9.jpgこれまで経験のなかった在宅勤務で生徒たちのためにプリントを作ったり、慣れないオンラインの授業に挑戦したりといった経験を書き残すことは、後の世代にも参考になるのではないかと感じています。

女性教諭
「自分さえ良ければ、ということではなく、後世の人たちが困らないように、自分の経験をわかりやすく残しておくのは大切なことです。どんな時にも将来を担う若者の学びの機会を失わせてはいけないということ、そして新しいことにチャレンジすることで別の視点が持てるということが伝わればと考えています」

77人がそれぞれの視点から記した日記。さまざまな職種の人たちから協力を得られたことで、未知のウイルスに私たちがどう向き合ったのか、社会の縮図を見るように広い視野で理解する手がかりになりそうです。

出版社の担当の青柳諒子さんは、それぞれが置かれた立場によって、仕事の進め方や、見えないウイルスに対する恐怖、他人へのいらだちや感謝の気持ちなど、それぞれの感じ方が少しずつ異なっていることが改めてわかったといいます。一方で、立場が違っても、私たちはそれぞれの仕事を通じて何らかの形で関わり合っていることも、この日記から感じてもらえるのではないかと話しています。

青柳諒子さん
「ひとりひとりに生活があり、頑張っていたことを知ることで、前を向けるようになるのではないでしょうか。またいつか、同じような苦境に立たされた時、この経験を役立ててほしいと思います」

感染の拡大で、孤独を感じる人が増えたり、社会の分断が進んだりしたとも言われていますが、「記録する」という行為は、後世のためだけではなく、今を生きる私たちがお互いを理解することにも役立つのかもしれません。

投稿者:斉藤直哉 | 投稿時間:15時39分

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