2018年09月03日 (月)"甲子園 アナザーストーリー" ~挫折球児が輝く場所~
※2018年7月26日にNHK News Up に掲載されました。
「指導者や先輩に嫌がらせを受け、練習さえさせてもらえなかった」
「同級生との人間関係に悩み、野球をする気力を失ってしまった」
高校野球で「挫折」した球児たちの告白だ。夏の全国高校野球の代表校が各地で続々と決まるその裏では、甲子園を諦めてもなお白球を追う高校生たちの姿があった。
ネットワーク報道部記者 佐藤滋
かつて、高校球児だった私。1年近く前の取材で聞いた話が忘れられずにいた。
「高校野球で挫折した選手たちが活動するチームがある」
「しかも教えているのは元プロ野球選手」
全国の球児たちが甲子園を目指すこの時期、挫折したという彼らがどんな思いでプレーし、どんな将来を思い描いているのか知りたくなり取材を申し込んだ。
訪ねたのは7月上旬、場所は神奈川大会の会場でもある大和市の球場だった。
<元プロが指導する受け皿>
副島孔太監督
監督の副島孔太さんにあいさつした。
私にとっては高校は同じ県内、大学では同じリーグの先輩にあたるが、実力的には雲の上の人だ。
神奈川の桐蔭学園高校では、1年生からレギュラーに。2年、3年と夏の甲子園に連続出場。1つ下には巨人の高橋由伸監督がいた。
進学した法政大学では日本一も経験した。
ドラフトで指名されたヤクルトに入団。日本シリーズで決勝ホームランを打ち、日本一にも貢献した。通算8年間プロで飯を食った。
今、副島監督が率いているのが神奈川県大和市を拠点に活動する「スカイホークス」。所属する25人の選手のうち、15人が高校生だそうだ。
高校生たちが、ここで、再び輝こうとしていた。みな、甲子園を目指して高校の野球部の門をたたいた。そして挫折した球児たちだ。
副島監督が、このチームを指導することになったのは5年前。野球教室の講師を務めていた縁もあって、指導を依頼された。
「最初に監督の話をもらった時『高校を一度やめても再び野球をやりたいという子どもはいないのでは?』と思っていたよ」
そしてもうひと言付け加えた。
「でも全然違った」
思いのほか、ドロップアウトした選手たちが、続々と集まってきた。
しかも、元プロの目から見て、将来プロでも通用する素質がある選手もいるという。
<目標は「プロ」一度は諦めかけた夢>
塚本恭平選手
高校2年生の塚本恭平選手。目標は「プロ」と明確に話す。
身長175センチ、体重80キロと決して大柄ではないが、副島監督が将来性に期待をかける選手だ。
「強く投げる、強く振るという教えることがなかなかできないところができている。プロの可能性もないわけではない」(副島監督)
塚本恭平選手(真ん中)
もともと内野手だが、副島監督は野球センスを買っていて、要となるキャッチャーも経験させている。
なぜ、これほどの選手が、一度は野球を諦めたのか。本人に理由を尋ねた。
「きついことばを言われたり自分の物を壊されたり理不尽なことも多かったんです。練習からも外されて野球ができない状態になったんです」
神奈川県の中学を卒業後、塚本選手は、関東地方の私立高校に進学。当然、目指すは甲子園。そのために親元を離れ、わざわざ強豪の野球部の門をたたいた。
ところが、現実は違った。元気があり、野球センスもあり、よく気づくという塚本選手。気づいたことは先輩に向かっても話した。それがチームが強くなるためだと思ったからだ。
でも、受け止められ方は違ったようだった。やがて、練習から外されることが多くなった。
「野球をするために行ったのに野球をさせてもらえない」
これ以上、理不尽な環境には耐えられない。でも、野球はやめたくない。
苦しんでいた塚本選手。中学時代の指導者の紹介で、副島監督のチームを知った。
体験練習に参加して、チームに入ることを即決した。
塚本恭平選手
「前の高校ではノックで一度ミスをすると『どいておけ』と言われていたのが、こちらでは『もう1球行け』となる。こちらのほうが成長できると思いました」
はきはきと質問に答える姿から、好きな野球を毎日できる喜びや楽しさがあふれ出ていた。
「将来、プロになって前の高校を見返すという気持ちで頑張っています。甲子園は目標にしていましたが、夢のプロに進んでとにかく見返したい」
<通信制の高校と連携 大学などで野球続ける人も>
再スタートの場は雪辱への第一歩でもある。
15人の高校生が再起を期す場となった「スカイホークス」。通信制の高校と連携しているのがこのチームの特徴だ。
基本的に野球の練習は午前中、公立の球場などグラウンドが確保しやすいからだそうだ。練習のあとの午後は、勉強時間も確保されている。
大学や独立リーグ、そして社会人チームで野球を続けるOBも増えてきた。
<「失敗してもいい 逃げるな」>
日本シリーズで決勝ホームランを打った副島選手(平成13年)
副島監督が選手たちに伝え続けていることばがある。
「失敗してもいい、ただ、失敗から逃げるな」
さまざまな理由で「挫折」を経験してチームにやってきた選手たち。個々の事情を踏まえた指導は大切にしている。
でも、甘やかすことはしない。厳しく接することも珍しくない。
「本当に平等な環境というのは絶対にありえない。そういう中でも自分なりにいい方向に持っていく力を高めないといけない。場所や環境が変わった時は自分を変えるチャンス。だから、変わる努力と失敗から逃げるなということを強く言っている」
野村克也監督(当時)
指導の根源にあるのはヤクルト時代の恩師、野村克也さんの教え、「人間力」の重要性だ。
「人として愛される人間になってほしい。成功している時は誰でも周囲に人がいるが、その人の価値は失敗した時にどれだけ周囲に支えてくれる人がいるかにある。野球の技術を教えるのは簡単だが吸収できる人間にならないと上手にならない」
<乗り越えろ!過去の自分を>
高校3年 鈴木祐貴選手
副島監督のことばを胸に「自分を変えたい」思いがひときわ強い選手がいる。高校3年生の鈴木祐貴選手だ。
関東地方の強豪校に入ったが、1年生の冬に退部・退学。同級生との人間関係がうまくいかなかったという。
「相手は悪気があって言っていることではないんですが、言われている自分は嫌というか…。ずっと我慢していて、だんだん野球が嫌になって練習に行けなくなりました」
大好きだった野球が嫌いになってしまうほど悩んだ人間関係。みずからの性格が要因の1つだと思っている。
「やっぱり静かというか無口、おとなしいほうだったので」
練習に行けなくなった日々、自分のスマートフォンで検索ワードを入れた。「野球、転校…」。
このチームの活動を知り「これだと思った」という。
鈴木祐貴選手(右)
鈴木選手にことしの春、新たな役割が与えられた。キャプテンだ。
人前に出て発言するのが苦手な自分、それを変えるきっかけに、という意味だととらえている。
「前の自分から変わりたいんです」と話す鈴木選手。「失敗から逃げるな」という副島監督のことばを強く受け止めている。
「失敗したのには理由があるのでその失敗を次に生かす。なぜ失敗したかを自分で受け止められるかが大事だと思っています」
鈴木選手は今、練習中に左肩に大けがをして練習ができない。
ただ、キャプテンとしてできることを率先して見つけ、先頭に立って動いている。
甲子園を目指す同世代をどう見ているのか。
「前の学校をやめて最初のころは高校野球を見たくなかったですね。でも今は中学の時のチームメートが出ていると『頑張っているな』と思えたり、少しずつ見るようになりました」
一度は挫折をしたけれど、成長した今の自分は同世代の球児たちにも引けを取っていないと感じている。
<過熱する甲子園の裏で>
毎年、ドラマが繰り広げられる甲子園。いつの時代も野球部の憧れの舞台だ。
全国の硬式野球部に入った1年生の部員が3年生まで部活動を続けた割合、「継続率」は今年度、91%。昭和59年の調査開始以来、最も高くなった。
それでも、5000人を超える部員が途中で去っている現実がある。
スポーツライター 小関順二さん
こうした現状について高校野球を、30年間、取材してきたスポーツライターの小関順二さんに話を聞いた。
「以前からよく耳にしてきた話です。ただ、救いの場が増えてきたのは本当によい動きですね」
少子化に伴う部員不足が続いている一方で、私立の強豪校の中には今も100人前後の部員がいる高校も少なからずある。
小関さんは才能がありながらも「ドロップアウト」してしまう選手たちが後を絶たない背景には、絶対的な権力を持つ監督のもとでの「生存競争」があると指摘する。
「競争社会です。レギュラーを取ることがその先のプロや大学、そして社会人などにつながりやすい。“友情”や“チームワーク”が簡単に成立しづらい世界があるのは事実です」
小関さんは今、高校の野球部員を主人公とした小説を執筆中だという。一度は監督に見放されながらも、周囲の人との関わりの中で自分を取り戻し成長する物語だ。
「ここ最近、一度入った高校を退学しながら入り直した別の高校を卒業してプロの球団に入る選手が増えてきています。遠回りしたかもしれないが、それだけに人の痛みがわかるような人間的にも魅力ある選手になってくれるのではないかと思っています」
<野球ができる喜び>
高校時代の私は、幸せなことに指導者やチームメートとトラブルになることもなく日々、迷いなく、白球を追いかけていた。
一方、今回出会った高校生たちは、10代半ばでの挫折の経験に「少なからず心に傷を負っている」と思い慎重な取材を私は心がけていた。
ただ、彼らがみずからの過去から逃げる様子はなかった。まっすぐ私の目を見て今、野球ができる素直な喜び、そして将来の夢を語ってくれた。
夏の全国高校野球はことしが100回の記念大会。
甲子園の大観衆を前にプレーするチャンスには恵まれなかった彼らだが、いつか、光が当たる場所で活躍してほしい、そう願ってやまない。
投稿者:佐藤滋 | 投稿時間:16時09分