2019年04月10日 (水)脱衣所から知ってほしい


※2019年1月24日にNHK News Up に掲載されました。

とある温泉施設の脱衣所。ポスターを見た女性客のツイートが反響を呼んでいます。「この内容がもっと知られてほしい。貼っているところが増えてほしい」ーー投稿には、乳がんの母親を思う気持ちが込められていました。

ネットワーク報道部記者 伊賀亮人・木下隆児

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<着用を歓迎します>

190124dat.2.jpgポスターが貼られていたのは静岡県富士宮市にある「富嶽温泉 花の湯」女性用の脱衣所です。ポスターには、入浴する人のイラストとともに「入浴着の着用を歓迎します」という文字が書かれています。

入浴着とは乳がんの手術を受けた人などが傷あとを隠すために着るもので、ポスターはそのまま気兼ねなく湯船に入ってほしいと呼びかけています。

190124dat.3.jpg入浴着


<知ってほしい>
ツイートの主はこのポスターを見た静岡県富士市に住む40代の会社員の女性。
「ありがたいなと思いました。今後きちんと知られていきますように。取り組むところが増えますように」
実は、母親が乳がんで近く手術を予定していたこともあり、「体調が戻ったときには気兼ねなく温泉に入ってほしい」と思いながら投稿したそうです。

この投稿には、同じ悩みを持つ人や初めて知ったという人から大きな反響が寄せられました。

190124dat.4.jpg「こういうのもっと早く欲しかった。乳がんの手術を受けて人前に出るのが嫌になった。温泉とかプールはもってのほか。温泉好きだしこれがあると子供といっしょに安心して入れるから」

「祖母は10年ほど前に乳房を切除して以降、温泉を楽しむことはなくなってしまいました。こういったツイートが多くの人の目に触れ、認知度が高まることを願っています」


「恥ずかしながら全く知りませんでした。男湯しか入らないからってのは言い訳にもならないですね。思いやりあふれる社会が拡がって欲しいです」


<温泉施設も驚き>
ポスターを掲示した温泉施設もその反響に驚いています。ポスターは、1年ほど前に、施設を経営する会社の健康管理室の看護師、桜井桂子さんが、ほかの女性従業員とともに作成しました。
「乳がんの手術を受けた人が周りの目を気にして温泉に入りづらいということをニュースなどで見て、こういうものが必要だと感じました」(桜井さん)
ポスターは、会社が運営する9軒の日帰り温泉施設の脱衣所に掲示していて、少しずつ認識されるようになったと感じていたところだったそうです。

桜井さんは、「ポスターを作成してSNS上で話題になったことで入浴着について知ってもらうことにつながったならうれしいです。患者の人が温泉に入りやすくなるきっかけになればと思います」と話していて、今後は入浴着の貸し出しや販売も検討するそうです。


<入浴着は元患者の悩みから>
そもそも入浴着をめぐるこうした悩みは、社会でどれくらい共有されているのでしょうか?

ポスターにも描かれた入浴着を作っている会社を経営する加藤ひとみさんは、「20年ほど前に私が入浴着を作った時から比べるとだいぶ広まったと思うが、周囲の人たちも含めるとまだまだ理解は足りないと思う」と言います。

190124dat.5.jpg加藤ひとみさん
加藤さんが入浴着を手がけたきっかけは、自身も経験した乳がんの手術。療養のため、実家のある長野県で過ごしていた時に感じたことでした。

というのもかつては大好きだった温泉に足を運ぶ機会が減ってしまったというのです。
「長野では温泉が身近にありましたが、乳がんになり傷あとを見られることを考えると『行きたい』という気持ちになれなくなってしまいました。行ったとしても、湯船につかる直前までタオルで隠して、湯船に肩までつかるようにしていました」
そのままタオルで胸元を隠したまま湯船につかろうにも、ほとんどの入浴施設ではタオルを湯船につけないよう求めています。吸水性が高いタオルは、体を洗ったあとの石けんや汚れがどうしても付着し、そのまま湯船につかるとお湯が汚れてしまうのがその理由です。

多くの乳がん患者も、同じ悩みを持っていることに気付きました。こうした経験をもとに今から20年ほど前に開発したのが、入浴着だったのです。


<お湯を汚さない入浴着>

190124dat.6.jpg入浴着を身に着けた加藤さん(右)
開発にあたっては、タオルとは違って水をはじきやすい生地を使うなど素材や形を工夫し、石けんが流れやすいようにしました。

地元の大学にも協力を求め、入浴着を着用して体を洗ったあと湯船につかり、お湯に石けん成分がどのくらい含まれているか調べる実験まで行い、裸で体を洗った場合と差がないことを証明。入浴施設を指導する保健所からもお墨付きを得ました。

さらに長野県にも働きかけた結果、平成17年に、入浴着を着用したまま温泉に入ることに理解を求めるポスターを作成してくれたのです。

ポスターは、当時、県内にあるホテルや旅館、温泉施設や銭湯などの入浴施設、約2700か所すべてに3枚ずつ配布されたそうです。

190124dat.7.jpg長野県で作成されたポスター
「入浴着を着ることで、かえって目立ってしまうかとも考えましたが、利用している人からは『こういう物が欲しかった』という意見を数多くもらっています」(加藤さん)


<広まる入浴着>
ネットを検索してみると、同じような入浴着はほかにも販売されています。こちらの入浴着も、乳がんの手術経験がある女性が代表を務める会社が作っています。

この会社では、入浴着を「乳がん患者だけが着用するもの」とは考えてないといいます。女性の中には、体型を気にしてバスタオルなどで体を隠して入浴施設を利用している人がいることから、そうした人たちも着られるよう、パレオのように腰に巻けるタオルと合わせて胸を隠す入浴着を販売しています。


<入浴着に理解を!>
乳がんの手術をした人たちの要望を受けて作られた入浴着。それに伴い周囲に理解を求める取り組みも徐々に広まっています。

前述の長野県だけでなく岐阜県や山口県などでも自治体や温泉旅館組合などがポスターを作ったりしています。ただ患者団体によると、中には着用を断られるケースもあるということで、多くの人が入浴着について認識し、全国の施設で気軽に入浴ができるというまでには至っていないようです。

患者団体の一つ「あけぼの山口」の代表の和崎美幸さんは、「患者の間でも入浴着について知らない人もいたり、かえって目立ってしまうと考える人もいたりして、実際に着用している人も多くないので、もっと広く知ってもらいたいと思います」と話しています。


<隠さなくてもいい社会を>
冒頭の女性の投稿について、SNS上では、ちょっと違う意見も上がっています。
「私も右乳房を切除しましたが、なりたくて乳がんになったわけじゃないし恥じることじゃないと思っているので、温泉もスーパー銭湯も隠さず堂々と入ってます」

「隠すものを用意するのもいいですが『別に隠すことじゃない』、『恥ずかしいことじゃない』という価値観を発信していくことも大切だと感じます」
女性のがんで最も患者数が多い乳がん。入浴着だけですべてを解決できるわけではないとは思いますが、脱衣所から始まったSNSでの話題が、多くの人の悩みを社会で共有するきっかけになってほしいと感じました。

投稿者:伊賀亮人 | 投稿時間:16時22分

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