2021年11月02日 (火)「ケンゾー」服に込めた思い


※2020年10月7日にNHK News Up に掲載されました。

新型コロナウイルスの感染により亡くなった世界的ファッションデザイナー、高田賢三さん(享年81)。「常に夢を持って生きていきたい」。常識にとらわれないファッション界の革命児と言われた賢三さんが服を通して伝えたかったこと、込めた思いとは。

※文中では、高田さんについて多くの人に知られるようになったブランド名や身近な方々の呼び方を踏まえて「賢三さん」と表記しました。

ネットワーク報道部記者 小倉真依・目見田健

kennzo.1007.1.jpg

思い出とともに 惜しむ声

賢三さんの訃報を受け、ツイッターには惜しむ声が数多く投稿されています。

ツイッターより
「コロナで亡くなったってかなり衝撃。学生になりたての頃、好きで色々買った記憶ある」

「大好きだった頃があって、服は買えなかったからハンカチを集めてた。今も何枚かは残ってる」

「昔はKENZOなどの服を着てディスコに夜な夜な通ったのを鮮明に覚えてる」

中にはこんな人も。

kennzo.1007.2.jpg30年ほど前の「ケンゾー」の服を着た女子高校生です。50代の母親が独身だった頃に買い集めたものだそうです。

女子高校生
「母は私が小さいころ『頑張って仕事をしてためたお金で買った服なの。ほかにはないデザインでしょ』とうれしそうに『ケンゾー』の服を見せてくれました。将来、着てくれるかもしれないと思って捨てずに大切に保管していたそうで、今着てもかわいいと思います」

kennzo.1007.3.jpg美しい刺しゅうや裏地が花柄のジャケットも

今では母親と一緒にコーディネートを考えているそうです。

女子高校生
「『ケンゾー』の服を着るようになってお母さんってすごくおしゃれだったんだーって気付きました。私にもっと似合うようになるのは、母がこの服を着ていた20代になってからかなと思っています。長く着続けていきたいです」

デザインの源は伝統文化

kennzo.1007.4.jpg
1965年フランスに渡って以来、パリを拠点に活動していた賢三さん。ファッション界の革命児とも言われました。

パリで初めてファッションショーを開催した1970年当時、体にぴったりあう服が主流だったなか、和服や世界の民族衣装がモチーフのゆったりしたデザインを発表。若者の心をつかみました。

デザインの源となったのは何だったのか。35年以上、一緒に仕事をしてきた鈴木三月さんに話を聞きました。

kennzo.1007.5.jpg高田賢三さんと鈴木三月さん

鈴木三月さん
「『船でパリに渡る途中、香港やインド、エジプトなどの港で見た民族衣装の色彩や形に衝撃を受けた』と話していました。海外や日本の伝統文化からインスパイアされて、自由な発想でデザインしていたのです」

kennzo.1007.6.jpg花柄をモチーフにしたデザイン

常識にとらわれないそのデザインを見た人たちは賢三さんをこう呼びました。

「木綿の詩人」「色の魔術師」

kennzo.1007.7.jpg世界各地の民族衣装をモチーフにしたデザイン

鈴木さん
「暖かい素材を使うのが常識だった冬服に木綿を使用したり、一見ぶつかるような色どうしを互いに組み合わせても調和する色使いをしていました」

震災の復興支援にも尽力

フランスでは最も名誉のある国家勲章を授与されるなど世界的デザイナーとなった賢三さん。

kennzo.1007.8.jpg
近年は東日本大震災の復興支援にも取り組んでいました。福島県で400年以上続く縁起物の「起き上がりこぼし」。転んでも何度も起き上がることから、復興のシンボルとなっていました。

この「起き上がりこぼし」に世界中の著名人などが絵付けするプロジェクトを仕掛けたのが賢三さんでした。

参加したのは世界的な俳優のジャン・レノさんやアラン・ドロンさん。

kennzo.1007.9.jpg復興への願いをこめ、世界各地で展覧会を開いてきたのです。当時のNHKの取材に、次のように話していました。

賢三さん
「何かお手伝いできるといいなと。世界中の皆さんに関心をもってもらうとうれしい」

座右の銘は“夢”

賢三さんはことし、インテリアの新たなブランドを立ち上げていました。常に前向きで、座右の銘は“夢”だったといいます。

『常に夢を持ち続けて人生を生きていきたい』

賢三さんのことばです。デビューから50年、81歳になっても、飽くなき向上心で挑戦し続けていました。

服に込めた多様性 若者も共感

kennzo.1007.10.jpg
渋谷パルコ

賢三さんはみずから立ち上げたブランド「ケンゾー」をその後、外国資本に売却。1999年にデザイナーを退任しました。

今はポルトガル人のデザイナーがクリエイティブディレクターに就任していますが賢三さんが服に込めた思いは、今も受け継がれているといいます。

ケンゾー パリ ジャパンのマーケティング・PR担当の安藤舞マネージャーは、こう語ります。

安藤マネージャー
「今のデザイナーは賢三さんの考え方に感銘を受け、過去のデザインも参考にしながら服作りをしています。時代・国境を越えても創作に影響を与え続けている、それが賢三なんです」

ことし発表された服にはかつて賢三さんがデザインした花柄などのモチーフが生かされています。

kennzo.1007.11.jpg過去の作品から引用した花柄をデジタル加工したデザイン

kennzo.1007.12.jpg民族衣装の要素を盛り込んだデザイン

今も20代から30代の若者を中心に人気を集めるその理由として安藤さんがあげたのが「ジェンダーレス」。男女の区別がないデザインであることです。

安藤マネージャー
「賢三さんのデザインはすべての人のために作られたものでした。世の中にはもっと多様性が求められるというメッセージが込められていたと思います。若者たちはそのメッセージを感じ取っている。それが時代を超えて支持を得られている理由だと思います。将来の世の中が何を求めるのか、先見の明があったといえるのかもしれません」

投稿者:小倉真依 | 投稿時間:12時10分

ページの一番上へ▲