文研ブログ

メディアの動き 2023年11月30日 (木)

性加害とメディア~サビル事件とBBC①~【研究員の視点】#514

メディア研究部(メディア情勢)税所玲子

 ジャニー喜多川氏の性加害を告発し、被害者が声を上げるきっかけになったイギリス公共放送BBCのドキュメンタリー"Predator: The Secret Scandal of J-Pop"(邦題:J-Popの捕食者)。動物が獲物を襲うPredatorという言葉通りに弱者に性加害を行った人物として、イギリス人が思い浮かべるのは、BBCの人気司会者だったジミー・サビル(Jimmy Savile)だろう。2012年に長年、少女たちに性加害を繰り返していたことが明るみに出て、BBCの会長は在任わずか54日で辞任に追い込まれた。
 組織を揺るがしたスキャンダルにBBCはどう向き合ったのか。本ブログでは、メディア研究を行う立場からBBCで行われた検証とその後の対応を2回にわたって紹介したあと、隣国フランスにおける性虐待や青少年保護に関するメディアの議論も紹介したいⅰ)。こうした議論は、これから長い歳月をかけてジャニー喜多川氏の性加害がつきつけた問題に向き合うことになる日本にも参考になるだろう。

 第1回は、サビル事件の発覚と、その直後のBBCの対応について紹介する。

【サビル氏と性加害】
 2011年10月に84歳で死亡した元司会者・タレントのジミー・サビル氏。 ブロンドの長髪に、色つきのサングラスや派手なアクセサリーで着飾り葉巻をくわえるその姿は、"エキセントリック"であることをよしとするイギリス人からしても、かなり奇抜である。DJとして頭角を現すとテレビ番組の司会者に登用され、陽気で人なつっこいキャラクターでお茶の間の人気者になる。子どもの夢をかなえるBBCの番組「Jim'll Fix It」(ジムにおまかせ)や、歌謡番組「Top of the Pops」(トップ・オフ・ザ・ポップス)の司会を長年務めるとともに、病院などでの慈善活動にも熱心に取り組んだ。当時のサッチャー首相やチャールズ皇太子、ダイアナ元皇太子妃などと交流を深め、1990年にはナイトの爵位を授与されるⅱ)

bbcweb_1.pngジミー・サビルの死去を伝えるBBC(BBCニュースのホームページより)

サビル氏死去1年後の2012年10月3日、商業放送ITVは、「Exposure: The Other Side of Jimmy Savile」という性加害を告発する番組を放送する。この番組の取材協力者は、実は、2011年からサビル氏の性加害について調査を開始したBBCの報道番組「Newsnight」(ニュースナイト)にも協力していた。しかしBBCは、放送予定日直前になって、なぜか番組の放送の取りやめを決める。このためITVにネタを持ち込んだのだった。

ITVの放送前に、BBCが同じテーマの取材に着手していながら、放送を見送ったことが明らかになり、メディアは追及を始める。BBCの記者が「上からの圧力があった」ことを示唆したことから、BBCはクリスマスに予定されていたサビル氏の追悼番組に配慮し、疑惑を告発する番組をボツにしたのではないかとの疑念を向けられることになる。

【BBCの対応】
 BBCの「ニュースナイト」のエディター(編集責任者)は、ブログで、放送見送りは「編集上の理由」で「隠蔽の事実はない」と説明したが、のちにBBCの関与などについて、ブログの内容に3か所の誤りがあることがわかり、傷を深める結果となった。2012年9月に就任したばかりのジョージ・エントウィッスル(George Entwistle)会長の対応も後手に回った。ITVの番組放送を受け、警察が捜査Operation Yewtreeに乗り出してから3日後の10月12日、第三者による検証を始めると発表した。

事件を受けてのBBCの動きjikeiretu.jpg

 第三者による検証は2つ

①「ニュースナイト」の放送見送りの経緯と、問題発覚後のBBCの対応を検証。24時間ニュースチャンネル「スカイニュース」のトップだったニック・ポラード(Nick Pollard)氏が率いた。
② なぜ、サビル氏の行為が明るみに出なかったのか、同氏が活動していた当時のBBCの組織文化などを検証。控訴院の元判事ジャネット・スミス(Dame Janet Smith)氏が率いた。

しかし、11月上旬にはニュースナイトは新たな性加害の疑惑について番組を立ち上げたものの、誤報を出してしまう。エントウィッスル会長は、自局のラジオ番組で、ベテランキャスターのジョン・ハンフリーズの追及を前に、問題の番組を見ておらず、関連記事も目を通していなかったことを認め、その日の夜に辞任を発表した。

bbc.exterior_3_W_edited.jpgBBC外観

【第三者による検証「ポラード報告」】
第1の調査を指揮したポラード氏は9週間で作業を終え、2012年12月19日に「Pollard Review」(ポラード報告)ⅲ)を発表した。
 報告書の本文は185ページ。付録として公開された資料を含めると約1000ページに上る。
 目を引いたのは、その資料の分量である。ポラード氏は、関係者に、サビル氏の死去後1年間のメールやメモ、インタビューの起こし、スケジュールなどの資料をすべて提出するよう命じた。同時にBBCのシステム上に記録されている3万点の文書を集め、それをキーワード検索で1万点に絞り込み、弁護士事務所と一緒に分析した。その上で関係者19人から聞き取りを行い、誰がいつ、どのようなやりとりをしたのかを、浮かび上がらせている。
 対象者の中には、調査後、BBCを去った者も少なくなく、当事者にはつらい作業だったのは想像に難くない。それでもどのような根拠を元に、どのようなプロセスを経て、その結論に至ったのかをつまびらかにしなければ、かえって疑念を深めかねないし、最悪、陰謀論がつけいる隙を作ることになってしまう。会長のメールまで含まれる資料の数々から、そんなポラード氏の決意が読み取れるようである。

pollard.review_2_W_edited.jpg2012年12月に公表された「ポラード報告」

「ポラード報告」の結論は:

① サビル氏の性加害についての放送見送りに組織的な圧力はない
② 問題が発覚した後の対応には問題が多く、BBCの幹部の指導力不足は深刻

①の番組の放送を取りやめについては、編集判断のミスだが、上層部からの圧力ではなく、編集責任者がみずから判断して決めたことだと結論づけたⅳ)。報告書では、番組の取材の過程で、サビル氏の行為について警察が過去に調べたものの、証拠不十分だとして捜査が中止されていたことがわかり、その点に編集責任者がこだわり、放送見送りに傾いていった様子が描かれている。

サビル氏についての記者の取材は正しかった。番組にも正しい証拠を示していた。 番組が放送されていればITVより1年も早く、この事実を伝えられたのだ“ “編集責任者が、なぜ調査の中核をなすインタビューを見ず、メモも読まなかったのか理解できない“ “編集責任者は、私の聞き取りに対し、放送中止を決めた時点でも、60-70%以上、証言は正しいだろうと思っていたと述べている。彼は「自己検閲」に陥ってしまったというのだ”ⅴ)

②のBBCの対応についてはさらに手厳しい。
“最も懸念されるのは、調査報道の放送を見送ったことでなく、その後の事態にまったく対応できていないことだ/リーダーシップと秩序が完全に欠如している”“基本的な事実を確立するための重要な情報さえ、共有されていなかった/硬直した組織のルートに固執し、階層を飛び越えることをためらう一方で、多くの部局のさまざまな人が断片的な情報を流し、BBCの公式見解を修正しようとしていた”ⅵ)

 報告書が挙げた具体例としては、▼「Managed Risk Programmes List」(MRPL)の機能が生かされていないことがある。MRPLは、訴訟のリスクや安全の懸念があること、政治的に慎重に扱うべき事柄や著名人が関わる番組などを事前にリスト化して、関係部局に周知し、必要があれば、トップまで報告が行くように担保するシステムである。
 サビル氏の告発番組は、一時、このリストに掲載されたものの、その後、報道局が取り下げている。ポラード氏は、「内容が衝撃的すぎるので、リストで公にするのではなく、必要に応じて、報道局長が会長に進言する方がよいと考えたのだろう」と指摘し、「もしMRPLに掲載されていれば、その後の事態を防げたかもしれないし、少なくとも、BBCの幹部の間の適切な情報交換につながっただろう」と指摘しているⅶ)

 また、報告書は▼幹部の間の情報共有や連携の悪さをいくつもの事例を挙げながら批判している。例えば、サビル氏について調べていた「ニュースナイト」を管轄する報道局長が、追悼番組を管轄する番組部長に、サビル氏関連の取材をしていると打ち明けた時のこと。ある授賞式の昼食時に、報道局長が「親切心」から番組部長に話をしたが、報告書は「これほど重要な情報をランチの席上で、さらりと共有するのは適切でなく」番組について議論する機会を逃したと指摘。一方で番組部長も番組の詳しい内容を尋ねることもしなければ、「その後、問い合わせもしていないことにも驚きを隠せない」と、主要幹部の危機意識、当事者意識の薄さを批判している。

 さらに証拠として集めたメールの中には衝撃的な内容もあった。
 音楽やイベント関連部局の幹部がサビル氏の追悼番組についてやりとりしたメールには、「ジムの闇の顔(dark side)を考えると死去してすぐに、正直な番組を作るのは不可能だ」「訃報を用意しなかったのは、闇の部分があるからだと思うが、(サビル氏には)言及するのが難しい一面もあるから、テレビでのキャリアだけに焦点を当てるのがいいだろう」ⅷ)などと書かれている。サビル氏の性加害を指すと思われる「闇」という言葉から、少なくとも一部の幹部職員の間で、サビル氏の言動についてのうわさが広がっていたことがうかがえる。

 ただ 「ポラード報告」では、サビル氏の闇」については、さらなる調査は行わず、BBCが組織として認識していたかについては2016年の「ジャネット報告」を待つことになる。

【BBCの取り組み 「Respect at Work Review」】
 「ポラード報告」が発表された約1か月後、警察もOperation Yewtreeの捜査結果を「Giving Victims a Voice」という報告書にまとめたⅸ)。サビル氏に関連して約450人が被害を申告し、このうち18歳以下の未成年は73%に上ると発表し、検察当局は被害者に謝罪したⅹ)
 BBCも、人権・差別、労働法に詳しい弁護士のもとで対策を検討し、2013年5月、報告書「Respect at Work Review」を発表したⅺ)。すでにサビル氏が働いていた当時の組織の課題について第三者による検証が始まっていたが、過去だけでなく、現在の組織文化も点検し、再発防止につなげようという意図である。
 調査では、BBCの職員やフリーランス、元職員など900人超から聞き取りを行い、セクハラの件数は少ないものの、いじめや不適切な言動があるとの課題が浮かび上がった。これを受けて▼BBCで働く職員やフリーランスに基本的な研修を実施すること、▼いじめ・ハラスメント規則を見直すこと、▼管理職への支援を拡大し、幹部によるメンター制を導入すること、▼職場の評価を見直し、年に1度の職場環境調査を四半期に1度に増やすことや、退職する職員から聞き取りを行うこと、などの提言を打ち出しているⅻ)

 BBCの屋台骨を揺さぶったと言われるサビル事件xiii)。傷ついた信頼を取り戻そうとBBCは、現在に至るまで、さまざまな対策を打ち出しているが、その後も性的スキャンダルの根絶には至っていない。シリーズ第2回では、第三者による2つ目の検証結果と、その後、BBCがたどった道筋を紹介する。


ⅰ)ジミー・サビルは、慈善活動を行っていた病院でも性加害を働いていたことが明らかになっているが、本ブログでは、メディアの対応の課題を浮き彫りにするという観点から、BBCの対応に絞って紹介する。

ⅱ)BBCでは、サビル氏が登場する番組の使用は、被害者の気持ちに配慮して編集するなどしていて、2023年のサビル氏のドキュメンタリーの放送でも議論が起きた。

ⅲ)The Pollard Review, 2012 年12月18日
https://www.bbc.co.uk/bbctrust/our_work/editorial_standards/pollard_review.html

ⅳ)前掲注ⅲ)p29

ⅴ)同上p31

ⅵ)同上p22-23

ⅶ)同上p27

ⅷ)同上p32

ⅸ)David Gray, Peter Watt, ‘Giving Victims a Voice- Joint report into sexual allegations made against Jimmy Savile’ 2013年1月
https://library.nspcc.org.uk/HeritageScripts/Hapi.dll/search2?searchTerm0=C4334

ⅹ)Operation Yewtreeは2015まで、サビル氏以外の人物による性加害も含めた捜査を続け、その後はOperation Winterと改名し、著名人や公職者などによる性加害の捜査を続けた。

ⅺ)Respect at Work Review 
https://downloads.bbc.co.uk/aboutthebbc/insidethebbc/howwework/reports/bbcreport_dinahrose_respectatwork.pdf

ⅻ)前掲注ⅹ) p11-13

xiii)同上p3

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【税所 玲子】
1994年入局、新潟局、国際部、ロンドン支局、国際放送局などを経て2020年7月から放送文化研究所。

ヨーロッパを中心にメディアやジャーナリズムの調査に従事。