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メディアの動き

メディアの動き 2020年05月01日 (金)

#247 「公共放送の在り方に関する検討分科会」始まる~構成員の3人(宍戸常寿氏、西田亮介氏、林秀弥氏)からのコメント~

メディア研究部(メディア動向)村上圭子

 4月17日、総務省の「放送を巡る諸課題に関する検討会(諸課題検)」に「公共放送の在り方に関する検討分科会(公共放送分科会)」が立ち上がりました。これまで議論が行われてきたNHKの三位一体改革(業務・受信料・ガバナンス)に加えて、受信料制度のあり方そのものについて議論が始まることになります。
*総務省ホームページ
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/housou_kadai/02ryutsu07_04000232.html

 本ブログでは、NHKに関する現状認識や今後の議論に何を期待するか等について、東京大学大学院の宍戸常寿教授、東京工業大学の西田亮介准教授、名古屋大学大学院の林秀弥教授にコメントを寄せていただきました。実はこのお三方については、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止した「文研フォーラム2020」にご登壇いただく予定でした。偶然にもお三方とも公共放送分科会の構成員に就任されたので、これを機にコメントをいただきました。以下、いただいた内容を筆者なりに整理して皆さんと共有したいと思います。

 まず、林氏からは、これまでの常時同時配信を巡るNHKの姿勢について厳しい指摘がありました。林氏は、総務省の電波監理審議会のメンバーであり、NHKが提出した「インターネット活用業務実施基準」の案が、総務大臣が認可をするのに適当かどうかを議論、判断する立場にあります。
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NHKの常時同時配信には、これまで一定の「ニーズ」がある、という言い方をされてきたかと思いますが、「ニーズ」をいうだけではだけでは私は少し弱いと思います。なぜ公共放送として、常時同時配信で提供したいのかという、理念的なところを国民視聴者にもっと訴えかける必要があったのではないかと思っています。(中略)常時同時配信はすでに走り出したわけですが、なぜNHKがやりたいと考えたのか、なぜやる必要があるのか、なぜ社会の役に立つのか、ということをもっと発信をしてほしいと思います。これは、常時同時配信に限らず、NHKの業務全般についていえることと存じます。NHKの説明責任といえばそれまでかもしれませんが、NHKは公共放送として、政治からも経済からも独立して国民みんなが支えるものという共通認識のもとに存在していると思いますので、通常の民間企業や公益企業以上に高いレベルの説明責任が課されていると思います。」



 政治とメディア、ジャーナリズムについて研究し、民放やネットメディアでも積極的に言論活動を行っている西田氏は、NHKに対しては以下のような現状認識をお持ちでした。
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「あるべき公共放送の姿やビジョンが明確にならないことには、公共放送の適正規模や適正な受信料も明確になりにくい。ただし注意したいのは、インターネット、スマホ、SNSの普及等、メディア環境は近年大きく変化している一方で、幾つかの理由でNHKの役割は減じていないどころか信頼される、質の高いコンテンツの提供者という意味では却って重要性を増しているようにも思える点である。(中略)実際、幾つかの調査を見ても、国民のNHKに対する信頼も総じて高い。厳密に実証されているとまではいえないが、その信頼は放送か、ネットかで分けられるものではなく、NHK全般に係るものと見なすことができるのではないか。そうであれば公共放送のあり方は、より広いコンテンツレイヤー全般に位置する「公共メディア」のあり方とあわせて考えていくことが好ましいようにも思えてくる。」

 
 諸課題検が開始した2015年の当初から構成員としてNHKを巡る議論に関わってきた宍戸氏は、今後の議論に臨むにあたり、受信料を負担する立場の国民・視聴者、そしてNHK議論について報じるメディアに対して以下のように訴えました。
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 まず国民・視聴者に対しては「メディア不信の矛先がNHKに集中的に向けられることもあるが、メディアの多元性が私たちの知る権利の実現や情報環境にとって決定的に重要であり、そのための仕組みである受信料制度について、国民・視聴者の側に、より深い理解が必要だと思う。」
報じるメディアに対しては「この間、NHKに対して「肥大化」という批判がされてきた。しかし、諸課題検で繰り返し指摘したように、何がNHKの適正規模かというベースがないままの「肥大化」批判は、あまりにも粗雑である。NHK改革を巡る記事には、依然として、「肥大化」という表現が踊っているように思われるので、改めて、報道に携わる方々に対しては、この点を強く訴えたい。」

 



 
受信料制度についても伺いました。宍戸氏は、「NHKを巡る議論には、一方に極端な廃止や全面スクランブル化論があり、他方にいわゆるドイツ型の全世帯受信料のような議論があるが、そもそも比較対象に挙げられる国や社会の文脈で公共放送が果たしている役割を具体的に踏まえた上で」議論すべきとし、NHKにとってはこれまでの方法を抜本的に見直すことになるような以下の問題提起を行いました。NHKがその公共放送としての役割を果たすために必要なチャンネル数という観点から、地上契約と衛星契約の二本立てをこのまま維持するのかどうか、2K減波やネットでの同時送信を含めて、契約の一本化やそれに伴う受信料額の引き下げと、全世帯が衛星放送を見られるための措置を検討してもよいのではないか。」

  競争政策がご専門の林氏は、「一部で主張されているNHKのスクランブル放送化は、有料放送市場における競争を措定するものですが、公共放送に求められている役割は、他の競争事業者と受信契約者を奪い合うという同一次元のゼロサム的な競争状態の創出ではなく、それとは異次元の競争概念ではないか、と思います。公共放送のあり方を論じるときには、経済的競争ではなくいわば「ジャーナリズム上の競争」を念頭に置く必要があると思います。その上で、民放とNHKが切磋琢磨していってほしいと思います」と述べています。

  確かに、NHKと民放による“ジャーナリズム上の競争”は、国民・視聴者の知る権利の充足のためにも不可欠だと筆者も考えます。ただ西田氏は、新聞社や民放各社はコストカットに注力しており、「将来的に現在のマスコミ各社の取材網や、コストがペイしにくい報道、ドキュメンタリー、教育番組等の制作、提供が現在の水準で維持できるのかは必ずしも自明ではない」とした上で、NHKに以下のような連携のあり方を問題提起しました「中長期のコンテンツの有効活用という観点でいえば、新聞業界における通信社のような役割についてもひとつ参考にできるのではないか。例えば民放各局の情報番組の制作現場では、データベースに保存、更新される自社等の記事、映像を組み合わせ、演出しながら、番組を制作している。もしNHKが民放各社、ネット企業等にも強力なネットワークで取材する記事、映像を提供するようになれば、利用可能な選択肢が増加し各社のコンテンツ制作力もいっそう豊かになるかもしれないし、より強みを特化させていけるかもしれない。NHKと民放、民間企業の連携のあり方として考えてみても面白いのではないか。」
大胆な問題提起ですが、NHKの取材した素材や制作したコンテンツ、アーカイブのオープン化については、公共放送の今後の役割として、この分科会の主要な論点になると筆者も考えています。

 林氏と宍戸氏は、NHKの今後のあり方について考えるということは同時に二元体制の一翼である民放の公共性について考えることでもあると述べています。
 林氏は「私は、公共放送にいう「公共」は、「主体」の公共性だけでなく、「役務」の公共性でもあるべきだと思っています。三位一体改革や受信料制度をはじめとする議論は、主に、公共放送の「主体」としてのNHKのあり方に関する議論でしたが、「役務」の公共性論についても議論が必要だと思います(もちろん番組編集の自主自律を前提にした話ではあります。)。そもそも、NHKと民間放送とは役務の性質という点では共通するわけで、二元体制の下では、NHKと民放の併存によって両者が車の両輪となって公共の福祉に寄与しており、その意味では、NHKのみを公共放送と呼ぶことはその意味ではある意味ミスリーディングではないかと思っております。NHKと民放が同種の役務を提供する中で、にもかかわらずそれでもやはり、NHKにしかできない公共放送の内容や役割は何か、という観点に立ち返って、NHKは放送に臨んでおられると思いますし、今後ともそうであってほしいと思います。」
 
宍戸氏は、放送の公共性を担う民放に期待することとして「今後は、民間放送が現在のメディア環境において、自らの活動の方向性を示し、それとの相関関係でNHKの業務の制限・縮小や、逆にNHKの協力を求めるというのが、健全な議論のあり方であると思われる。そうでなければ、放送制度と放送事業の総体が、人口・世帯減少とテレビ離れの中で、共倒れしていくことになるのではないか、危惧している」と述べています。

 お三方に共通していたのは、この分科会で公共放送とは何か、放送の公共性とは何かという本質的な議論をすべきだと考えていることでした。
「日本の放送制度の根本的問題に常に立ち返りながら各論を議論することが必要(宍戸氏)」
「そもそも論として「現代の公共放送はいかにあるべきか/いかなるものか」を問い直す必要があるのではないか(西田氏)」
「放送の根源的価値に根差した骨太の議論を期待します(林氏)」

 分科会の第一回では、これまでのNHKの三位一体改革の議論を基に、総務省がNHKの現状と課題をまとめた89ページにも及ぶ資料が公開されました。NHKの今後のあり方については、出来る限り国民、視聴者に関心を持ってもらい、開かれた議論をしていかなければならないと思っていますので、その資料を筆者なりに整理した一覧表を作成しました。本ブログで共有しておきます。ここに挙げられた17に及ぶ論点についてどのような優先順位で議論していくべきか、抜け落ちている論点はないか、お三方の指摘のような本質的な議論にどこまで迫っていけるのか。今後も引き続き取材すると共に、本ブログでも積極的に発信していきたいと思います。

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メディアの動き 2020年04月23日 (木)

#246 『パンデミック』×『インフォデミック』に立ち向かう『連携』~世界の動きから

メディア研究部(海外メディア研究)青木 紀美子

イギリスやオランダで4月、携帯電話の通信施設が放火される事件が相次ぎました。新型コロナウイルスの感染拡大を5G通信サービスの開始と結びつける科学的根拠のない流説の広がりと重なっておきたことから、関連が疑われています。これについて英NHS(国民保健サービス)の主席医務官は最も悪質な類の偽情報だと非難し、この危機への対応に不可欠なインフラが攻撃されたことに憤りを表明しました。真偽の見分けを困難にして恐怖や混乱を引き起こす情報の氾濫『インフォデミック』は、感染症の世界的な大流行『パンデミック』の危機を深め、有効な対応を脅かしています。

インフォデミックという表現はinformation(情報)epidemic(伝染病)2つの言葉を組み合わせたものです。デジタル化による情報通信環境の急激な変化とSARS(重症急性呼吸器症候群)の発生が重なった2003年から頻繁に使われるようになりました(1)。新型コロナウイルスの感染拡大を受けてWHO・世界保健機関は2月、パンデミックを宣言する前にインフォデミックの危険性について警告を発し、とりわけ予防策と治療方法に関わる流言が多く有害であるとして、24時間体制で監視し、対応する方針を示しました(2)

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 「5G携帯のネットワークは新型コロナウイルスの感染拡大と関係ありません」(訳は筆者)  *WHO Myth bustersウェブサイト(3)から

 アメリカのポインター研究所を拠点とするIFCN(国際ファクトチェックネットワーク)は1月下旬に国際的なファクトチェック連携を発足させました(4)。 4月までに70を超える国や地域の100近いメディアや非営利組織が参加する連携に発展し、ハッシュタグの#CoronaVirusFactsと#DatosCoronaVirusなどを使って40以上の言語で発信しています。2か月あまりで3500件の検証を行い、キーワードなどで検索できるデータベースも作成しました(5)。 こうした情報検証の連携は、日本のFIJ(ファクトチェック・イニシアティブ)やブラジルのComprovaのように国単位や、中南米や北欧など地域単位のものもあり、その情報が世界的に共有されるという幾層にもわたるネットワークになっています。
インフォデミックに対応するために『連携』が効果的な理由はいくつかあります。1つは拡散される情報の量、種類の多さ、複雑さです。未知の部分が多い新型ウイルスの感染拡大では、確かな情報が少ないだけに偽情報が駆け巡りやすく、また、科学的な調査研究から予防策や経済政策まで幅広い分野で刻々と新たな動きがある中では、意図的な情報操作や誤った情報の発信もおきやすくなっています。限られた人数で速やかに情報を検証していくためには、同じ作業を重複して行うよりも、それぞれが得意分野の知識や人脈を生かし、分担する方が効率的で、その検証結果を多様なニュース媒体が承認し、取り上げ、広めることは検証結果への信頼も高めると考えるメディアが増えています。

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 もう一つの理由は、誤・偽情報の伝播力です。これに対抗して幅広い層に正しい情報を届けるためには、業種の垣根を越えて連携し、多様な媒体で発信することが欠かせません。ここでは市民との連携も力を発揮します。IFCNのクリスティーナ・タルダーギラさんは「怪しい情報を見たら、これを打ち消す検証済みの事実やファクトチェック記事のURLを共有するだけでもいい」と述べ、市民の協力を呼びかけています。また、ソーシャルメディアのWhatsAppなどでは外からは見えない個人どうしの通信や、個別のグループ内での情報共有で、誤・偽情報の拡散が起きています。検証が必要な怪しい情報があるという一報を市民がメディアやファクトチェック組織に伝えることも正しい情報の共有につながる第一歩です。

アメリカのように政治的な分断が深刻な社会では、効率が悪くても複数のメディアや組織が個別にファクトチェックを行い、同じ結論であっても個別に発信した方が、広く説得力を持つという考え方もあります。それでも基礎情報のデータベース、知識やスキルの共有で連携することはできます。今回のパンデミック取材では科学や医療を取材した経験があまりない記者が加わっていることもあり、研究機関や非営利組織が科学的な知見やデータの扱いなどのノウハウで支援する例も増え、国際的にもメディアどうしだけでなく、医師や科学者、IT技術者など専門家との連携が広がっています(6)

 ジャーナリズムの連携が、アメリカではメディアの危機を背景に広がっていることを2019年7月の「放送研究と調査」で報告しました。いま未知のウイルスの感染拡大という新たな危機を背景に、すでに発足している連携のネットワークや発足に向けて準備をしてきた連携プロジェクト、そして新たな連携が力を発揮しようとしています。今回は「パンデミック×インフォデミック」に立ち向かう連携についてお伝えしました。それ以外の連携の試みについても、このブログで報告していきます。


(1) https://www.wsj.com/articles/infodemic-when-unreliable-information-spreads-far-and-wide-11583430244
(2) https://www.who.int/docs/default-source/coronaviruse/situation-reports/20200202-sitrep-13-ncov-v3.pdf?sfvrsn=195f4010_6
(3) https://www.who.int/emergencies/diseases/novel-coronavirus-2019/advice-for-public/myth-busters
(4) https://www.poynter.org/coronavirusfactsalliance/
(5) https://www.poynter.org/ifcn-covid-19-misinformation/
(6) https://firstdraftnews.org/long-form-article/coronavirus-resources-for-reporters/
     https://www.icfj.org/our-work/covering-covid-19-resources-journalists
     https://www.sciline.org/covid など

メディアの動き 2020年04月10日 (金)

#245 「八日目の蝉(せみ)」に肖像権を思う

メディア研究部(メディア動向)大髙 崇

角田光代さんの小説『八日目の蝉』は、映画やドラマにもなり、ご存じの方も多いと思います。私も、2010年放送のNHKドラマ10を観てすっかりハマった一人です。
檀れいさん扮する主人公・希和子は、妻子のいる丈博との不倫関係に陥っていました。そしてなんと、衝動的に丈博の生後間もない娘を誘拐。希和子は娘を「薫」と名付け、偽りの「母子」として逃亡生活に入ります。

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やがて小豆島にたどり着いた二人。本当の親子のような愛情を深め、ようやく暮らしも落ち着き始めました。が、その矢先、希和子は警察に逮捕されるのです。

希和子と薫が小豆島にいることがなぜ発覚したのか。
それは、島の祭りに参加した二人を撮影した写真が新聞の全国紙に掲載されたためでした。
写真は、仲睦まじい母子の姿を通して祭りの雰囲気を伝えるもので、希和子の居場所を暴露するために撮られたわけではありません。もちろん希和子の過去など知る由もないカメラマンは、逮捕の知らせにさぞ驚いたことでしょう。
ちなみに、希和子は撮影されたことに気づかず、カメラマンも撮影の承諾を取っていません。祭りの場は大勢の島民で賑わっていましたから無理からぬことです。

イベントの楽しい様子をテレビで報道する際、参加者の「いい表情」は欠かせません。
とはいえ、被写体となった方々それぞれの「事情」は撮影する側にはわかりません。お一人ずつ承諾を取れればいいのですが、人が多ければそうもいかないのが現実です。
では、「事情」のある人や「出たくない」と思う人がいるかもしれない、ということで、参加者の顔は全員モザイク(顔消し)をするか、首から下だけ撮るか、後ろ姿だけにすると・・・
なんだか「怪しげな集まり」になってしまいます。「参加した皆さんは喜んでいる様子でした」とナレーションで補足したところで、余計に嘘くさくなってしまうでしょう。

ああ、肖像権。
テレビの「顔消し」はどこまで必要か。みなさんはどう思いますか?

これまで放送した番組をもっとたくさんの人に観てもらいたい。そのためには肖像権の問題と向き合う必要がある。そうした思いで、以前のブログでも紹介した「肖像権ガイドライン(案)」をもとに研究した論文を放送研究と調査3月号に掲載しています。
ぜひご一読いただき、一緒にこの問題を考えてみてください!


メディアの動き 2020年04月03日 (金)

#244 情報が氾濫する時代の「信頼とつながり」を考える

メディア研究部(海外メディア)青木紀美子

新型コロナウィルスの感染が拡大し、各国で外出の自粛要請や禁止令が出る中、需給に問題はないトイレットペーパーが売り切れるという現象が起きました。一時的ながら食料品が棚から消えた国もありました。多くの人が十分にあるはずのものまで買いだめをしてしまう背景には、情報が十分にない、わかりにくい、信頼できないといった不安や疑問、疑念が見え隠れします。「不要不急の集まりは避けて」「外出も自粛を」という呼びかけの受け止め方も大きく分かれました。個別の事情とは別に、リスクのレベル、感染予防策の必要性や有効性などについて、さまざまな情報があり、共通の理解ができていないという問題がうかがえます。

誰もが情報を発信できる時代、情報はあふれているのに、必要な情報を見つけるのが難しい「ニュースのジャングル」状態は今に始まったことではありません。選択肢が限りなくある中で、それぞれが自分の信じたいことを信じ、社会が事実を共有できなくなるという問題も繰り返し指摘されてきました。しかし、未知の部分が多い新型ウィルスの感染拡大で、信頼できる情報を社会が共有することがこれまで以上に重要になり、大量に錯綜する複雑な情報を検証、整理し、意味づけ、何がどこまでわかっているのか、わかっていないのか、それはなぜなのか、背景も含めて説明する役割がメディアに求められています。

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では人々はどのような情報を必要としているのか?発信した情報は理解されているのか?どのような表現や手段で届けるのが効果的なのか?必要とする人の手元に届いているのか?それを知るためには、発信するだけの一方向ではないコミュニケーションが欠かせません。双方向に情報が行き来し、学びがある対話、さらには発信内容や発信方法をともにかたちづくる関係、エンゲージメントが、メディアと市民との間に必要になります。

こうした市民とのエンゲージメントに重点を置くジャーナリズム「Engaged Journalism」の考え方は、今の時代に求められるメディアの役割やありようを考える上で参考になるところがあるように思います。信頼は双方向、メディアを信頼してもらうためには、メディアが市民を信頼して耳を傾けることから始めようという取り組みです。

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エンゲージメントに重点を置くということは、取材から発信までの報道のプロセスを説明し、さまざまな段階に市民と接点を設け、その知見を取り入れることでもあります。

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「放送調査と研究」3月号では、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本でも始まっているエンゲージメントを柱とするジャーナリズムの考え方、実践例を報告しています。


メディアの動き 2020年03月24日 (火)

#243 放送のアクセシビリティー高めるには 方法を探る

メディア研究部(メディア動向)越智慎司

放送文化研究所は、放送技術研究所や番組の制作現場と連携し、視覚障害者などへのユニバーサルサービスとして、「自動解説音声」の実現に向けた研究開発を行っています。下の表は料理番組でつけた自動解説音声の一例です。太字で示した自動解説音声の情報は、テロップや映像の様子など視覚でしかわからない情報で、これらを自動で音声化してナレーションなどの隙間につけます。2019年、自動解説音声を視覚に障害がある人たちに聴いてもらい、WEBでアンケートを行いました。そして、そこからわかった放送のアクセシビリティー(情報の取得しやすさ)の課題などを『放送研究と調査』2月号に執筆しました。

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    料理番組への自動解説音声付与の例
          太字:自動解説音声
            NA:番組のナレーション音声

WEBアンケートでは、今のテレビで行われている解説放送についても尋ねました。「解説放送が必要だ」と答えた人は、全盲の人で約8割、ロービジョン(弱視)の人で約5割でした。一方、「解説放送を利用している」という人は、全盲の人で約3割、ロービジョンの人で約2割にとどまりました。利用していない理由を尋ねたところ、特に全盲の人たちで、「以前利用したが、解説放送では内容を十分理解できない」「解説放送を利用したいが家族が嫌がる」という理由を選んだ割合が高くなっていました。

総務省によると、2018年度の解説放送の実績は、NHK総合が16.4%、在京民放5局が16.0%です。字幕放送が90%台後半なのに比べると、普及が進んでいるとは言えません。総務省の報告書では、解説放送の課題として、解説をつける音声の隙間が少ないことや、解説の台本作成や収録時間の確保が難しいことを挙げています。自動で解説音声を作ってつけることができれば、これらの課題の多くは解決できますが、今回のアンケート結果からは、どんな情報を音声にするのか、音声の量と読み上げる速度のバランスをどうするか、などの検討がさらに必要なことが、改めてわかりました。

アンケートの回答からは、自動解説音声を自分のメディア利用のスタイルに合わせて利用したいという声も多くありました。こうした声に応え、スマートフォンで読み上げ速度をカスタマイズできる方法も検討しています。それと同時に、通常の番組制作の過程でも「障害のある人に伝わっているだろうか」と想像力を働かせることも、放送のアクセシビリティーを高めるのに大事なことだと考えます。


メディアの動き 2020年03月13日 (金)

#241 マスク姿と「肖像権」

メディア研究部(メディア動向)大髙 崇

テレビをつけると、マスク姿の人がほんとに増えています。
昨年のブログで「肖像権」について書きましたが、テレビに写る人もマスク姿で顔がよくわからなければ肖像権はどうなるんだろう、と思ったりしております。
深刻なマスク不足。最近ではハンカチなどを使って布マスクを自作する人も見かけます。
マスク姿の人々を写したテレビ映像は「モザイク」すべきか?必要ないか?・・・

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もの思いにふけっている場合ではない。本題に入ります。

ほぼ1か月前の2月15日、同志社大学で開催された肖像権ガイドライン円卓会議in関西に行ってまいりました。
博物館などのデジタルアーカイブ機関が所蔵写真を公開しようとする際、被写体の肖像権をどう考えるかは重要な課題です。それを客観視するためのツールとして、昨年9月にデジタルアーカイブ学会・法制度部会が公表したのが「肖像権ガイドライン(案)」。被写体の社会的地位や撮影状況など、様々な要素に対して「点数」をつけ、それらの合計点が高い順に「公開可」「公開範囲を限定」「マスキング(モザイクなどで隠す)が必要」などと分類しています(概要はこちらを、詳しくはデジタルアーカイブ学会のホームページをご覧ください)。
このガイドライン、放送局関係者からも大きな注目を集めています。「この映像のこの人、モザイクかける?かけない?」は、現場の担当者たちを日々悩ませていますから。
今回、法制度部会はガイドラインのバージョン2を公表。新たに、「事件の被害者とその家族」は-5(減点)、「(街頭デモや記者会見などの)公共へのアピール行為」は+10(加点)などの要素と点数が加わりました。
これをもとに、肖像権の問題と日頃から向き合う博物館や放送局の関係者などによる「円卓会議」が開催され、熱い議論が交わされたのです。

議論の中で私がグッときたのが、朝日放送テレビ(ABCテレビ)の記者・木戸崇之さんのお話でした。
ABCテレビでは今年1月に「阪神淡路大震災25年 激震の記録1995・取材映像アーカイブ」と名付けたウェブサイトを開設。被災当時のインタビューや風景など1970クリップ、約38時間の映像を公開しています。木戸さんはこのサイトを立ち上げた中心メンバーです。

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ABCテレビ 木戸崇之記者

クリップ映像では、被災者の顔もたくさん、しっかり写っています。
しかし、問題は肖像権。そこで木戸さんたちは、ガイドラインでの計算を試みたところ、多くの映像が「公開可」の結果となりました。一方で、避難所にいる人のアップなどいくつかが「公開範囲を限定」と出ました。最終判断にあたって木戸さんは次のように話します。

「25年経って、当時の避難所などの映像を公開されて『いやだ』と言う方がどれくらいいらっしゃるかなと思った時に、これは我々が責任を持って公開していこう、となった」

もちろん、あきらかに被写体の名誉を傷つけるだろうと推察できるものは除外しましたが、1970クリップの公開という勇気ある決断に至りました。映像に写った人をできるだけ探し出して承諾を求めたところ、一人として拒否しなかったことも後押しとなりました。
あれから25年、この震災を知らない若い世代が増える中で、都市型震災の教訓がたくさん詰まっている当時の映像をできるだけそのまま見てほしい。記憶を風化させず、今後の防災に役立ててほしい。この思いは、放送局の記者にも被災者にも共通するものだったようです。
「この映像」を人々に公開する意義は何か。その意義が正しいのなら、責任をもって公開すべきではないのか。ガイドラインでの点数計算も参考にしつつ、最終的には公開する側の「覚悟」が問われていると強く感じた次第です。

話戻ると、現在の新型コロナによる「街中がマスク姿」の映像も、将来的には2020年の春の記録としてモザイクせずに広く見てもらうべきものだと言えるでしょう。
いずれにしても、みんながマスク着けてる風景って、どうも苦手です。
早く終息しますように。みなさんもどうぞご自愛ください!



メディアの動き 2020年03月11日 (水)

#240 総務省・吉田眞人情報流通行政局長インタビュー③ ~「放送を巡る諸課題に関する検討会」今後の論点 - 災害対応・ローカル局・存在意義~

メディア研究部(メディア動向)村上圭子

総務省の吉田眞人情報流通行政局長へのインタビュー、今回は3回目、最終回です。前回は「これからの公共放送の在り方」について率直なご意見をお伺いしました。今回は、災害対応、ローカル局、そして放送メディアの存在意義についてです。

<災害時における放送の確保のあり方>

村上:3月4日から、「災害時における放送の確保の在り方」についての分科会が始まりました。国民の命を守るためのインフラ整備という観点からも、将来の放送ネットワークをどう考えるかという観点からも、個人的には非常に重要だと考えています。問題意識を教えてください。

吉田:地デジの時に整備したローカル局の共聴施設(※全国に約6000近くある、地域で費用を負担して建設している地デジ受信設備)がかなり老朽化していることが気になっています(図1)。災害時にこうしたインフラが適切に維持管理されていないが故に、災害情報が届かないことはあってはならないと考えています。

<図1>

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出典:諸課題検・災害情報分科会(3月4日)事務局資料より抜粋

また、災害時に重要だと繰り返し言われるラジオについて、スマホ全盛時代にどう対応するかも大きな課題です。スマホにはもともとFMチューナーが入っているものがあるので、これをいかにアクティベート(有効化)していけるか、ということも重要だと思っています。インフラと、少し上のレイヤーの端末のところまで、災害時に災害情報が国民に適切に届く体制を整備するには何をすればいいかを考えたいと思っています。

村上:具体的にはなんらかの支援策を、というイメージなのでしょうか。

吉田:そこまで直ちに現時点では申し上げられませんが、地方の老朽化した共聴施設全てを自力で何とかしてくださいと言えるかどうか。10年前に共聴施設を作った時には一定の利用者加入もあったけれど、それから人口が減っていき、例えば、かつては100世帯で費用を分担していたのが現在は10世帯になり負担は10倍になっている、これを今後も続けていくことは困難である、具体的にはこうした事情を抱えている施設は多いと思います。また、地デジの再放送だけを担う自治体系ケーブルテレビの伝送路の老朽化についても同様に考えなければならない課題だと思っています

村上:災害時に備えて、平時における地上放送ネットワークの老朽化対策の方策を考えることがこの分科会の1つの照準であるということがわかりました。では現在、民放ローカル局各局が所有する中継局についてはどうでしょうか。現在、送信機の更新時期を迎えており、地域によって中継局の数に大きな差があり、局によってはかなりの負担が生じ、経営を圧迫しています。

吉田:事情は承知していますが、こちらについては各局でご尽力をお願いしたいと思っています。この分科会はあくまで災害対応ということに絞った短期集中的な議論になります。

村上:では分科会の議論からは少し逸れるかもしれませんが、中長期的な伝送インフラに関することについて質問させてください。今後、地上放送ネットワーク全体をどう強靭化、更にどう高度化していくかを考えることは、放送政策、もしかすると放送を超える国の政策になるかもしれませんが極めて重要だと考えます。2018年にまとめられた諸課題検の第2次とりまとめには、中長期的な考え方として「既存の放送波による伝送に加え、FTTH、モバイル等の有効活用を含むネットワークの大きな変革について、適切に対応していく必要」があると示されています。この点については今後、親会等で議論をしていくことになるのでしょうか。

吉田:確かにインフラについての技術進歩はめまぐるしく、5Gやビヨンド5Gの6Gという議論もされています。5Gが全国津々浦々に普及するといった状況があれば、当然それを放送のインフラにも利用できないかという発想も出てくると思います。

村上:また現在、ブロードバンドのユニバーサルサービスの議論が総務省の検討会で行なわれていますよね。放送のインフラの議論として、どこかでこうした通信側の議論と接合させていくことも必要なのではないかと思うのですが。

吉田:先延ばしにするわけではないのですが、この種の技術進歩とサービスの関係を考える議論は、常に現実の普及度合いを見定めながら、それをどういう風に活用していくのかを走りながら考えていくということだと思っています特にブロードバンドのユニバーサルサービス議論は緒についたばかりですし、放送事業者はインフラのユーザー側になりますので、放送主導では議論できない問題ですですので、私自身のビジョンとしては、議論のロードマップを描くのはまだ難しいというのが正直なところです。 

<放送事業の基盤強化>

村上:2018年から開始された放送事業の基盤強化に関する分科会では、主にローカル局の将来について議論されていますが、前回の会合ではとりまとめに向けた目次案が示されました。この目次案には、半年前にまとめられたラジオの部分(※FM補完放送の普及に伴うAM放送制度の見直し)を除いては制度改正などの項目はなく、放送外事業のベストプラクティス集といった印象を受けました。これまでの分科会での議論では、地域において人口の減少が加速する中、従来型の県域免許制度や、それを前提とした基幹放送普及計画そのものの見直しも必要ではないか、との趣旨の発言もありました。このあたりはとりまとめには盛り込まれないのでしょうか。

吉田:基幹放送普及計画は放送を健全に普及発展させるための基本的な計画です。ですので、これが短期的にあまり大きく変動していくことは、放送の安定的な普及のためには望ましくないと思います。ただ、事業者側がこれから変革を行う際に、この計画があるからできないことがある、ということであれば、計画を変えることはもちろんできます。今の計画は、基本的にいわゆる“四波化政策”を反映する形になっていますが、実態としては地域によっては二波、三波のところもあるわけですから。

村上:私は、人口減少時代の地域社会におけるメディア最適化地図のようなものを誰かが考えていかなければ、この国の地域社会における民主主義の基盤が維持できないのではないかという危機意識があります。それを民が考えるのか、官が考えるのかはまだ整理がついていないのですが、単なる市場原理に委ねるだけでいいのか、という問題意識です。そうした意味でも基幹放送普及計画は、地上波に限ったものではありますが、唯一、国の政策として、メディアの全国配置を定めたものとしては大きな存在だと考えています。ですので、この計画について改めてどこかで議論をすることが必要だと思っているのですが。

吉田:私は演繹的なその絵の描き直しといったようなことは、あまり生産的でないと思っています。基本的には、その各地域、地域の放送事業者が、まさに帰納的に、自分たちの会社、自分たちの地域がどうしていきたいのかということを考えて、その上で、もしも基本計画に、つまり絵に反映できるのであれば、絵に反映できるようにすればいいというのが私の基本的な考えです。地域の放送事業者の要望が上がって来たその時に、村上さんが言うような本質的な議論ができればいいし、そこで十分に議論をし尽くすことが重要だと考えます。

<放送メディアの存在意義>

村上:局長は、放送サービスは「社会と文化の安定装置」である、というご持論をお持ちです。ただ、放送サービスはかなりたくさんの要素で構成されており、その諸要素が全く同じ形で今後も維持されることは不可能だと思います。では、局長は今後最も維持すべき、もしくは発展させていくべき要素は何だと考えていますか。

吉田:これを言うと、「それ以外の要素はいらないのか」となりそうなので慎重になりますが、誤解を恐れずに言うと、地上波のようなリニアの総合編成という要素はすごく大きいと思います。人間一人一人の関心のあり様や、情報収集の能力は、かなり限定的なもので、自分の関心の外縁にあるような事象や認識にさらっと触れるような情報を与えてくれ、しかもそれが自分だけにではなく、その社会を構成する多くの人々に同時に提供されるという、こうした伝統的な放送のあり様は、社会の一体性、安定性を保つためにすごく重要ではないかなと個人的には思っています。オンデマンド型にシフトしている時代であればあるほど、リニアの総合編成型のサービスは社会にとって非常に重要になってくると思います。

村上:ただそれを制度の下、つまり一定の規制を前提に提供していくのか、事業者が主体的に提供していくのかは別の話ですよね。

吉田:それはそうです。ただ、歴史的に日本は放送法の二元体制の下でそれなりにうまく機能してきたと思っています。今、国際的に見てソーシャルコンバ―ジェンス(社会統合・・・少数者も差別なく、対等な権利と責任を持って参加できる社会の形成)が非常に大きな問題になっています。日本はそのソーシャルコンバ―ジェンスが世界的に見るとまだかなり保たれている方だと思っていて、それは二元体制の下で地上放送が果たしてきた役割というのが大きいのではないかと思っています。ですので、今後も地上放送事業者には、そういう機能を引き続き果たしていってほしいと思っていますし、そのために様々な政策を組み立てていきたいと思っています。

村上:ありがとうございました。

いかがでしたでしょうか。吉田局長とはスタンスや意見の違いも少なくありませんでしたが、インタビューを通じて改めて、放送メディアと社会との密接な関わり、そこでの責任や存在意義を再認識しました。今後は、放送事業者や関係者といった当事者だけでなく、できるだけ多くの人々に、放送メディアの今後や、メディアの社会の関係について関心を持っていただけるような発信と、共に考えていけるような場を作っていければと思っています。

      

メディアの動き 2020年03月10日 (火)

#239 総務省・吉田眞人情報流通行政局長インタビュー②~「放送を巡る諸課題に関する検討会」今後の論点・NHK~

メディア研究部(メディア動向) 村上 圭子

 今回は、総務省の吉田眞人情報流通行政局長へのインタビューの2回目。前回は「放送を巡る諸課題に関する検討会(諸課題検)」の今後の論点として、同時配信に関する著作権処理について、放送法改正も視野においた議論をしていきたい、という内容を中心にご紹介しました。今回は、分科会が新設されることになった「これからの公共放送の在り方」に関する内容をお伝えします。なお、インタビューは2月21日及び、一部追加項目について3月3日に実施しました。

 <常時同時配信について>

村上:3月1日からNHKの常時同時配信・見逃し配信サービス「NHKプラス」が始まりました。局長はもう使われましたか?

吉田:はい。アプリのインターフェイスがよく出来ていて使いやすいですね。
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時差出勤だった日の朝に、国会中継を電車の中で見ていまして、非常に重宝しました。ユーザーオリエンティッドなサービスだと思いますので、4月の本格サービスへ向けてしっかりとやっていただくことを期待しています。

村上:このインタビューは放送政策の今後について伺うのが目的なのですが、NHKの常時同時配信については、これまでの経緯に関して1つだけお伺いしておきたいことがあります。私は今“常時”と申し上げましたが、実際は深夜~早朝の時間帯はサービスを休止しています。これは「NHKインターネット活用業務実施基準(実施基準)」を定める際、ネット活用業務に充てる費用を一年間の受信料収入の2.5%以内という、常時同時配信開始前の水準に“据え置く”こととなったため、時間的な制限を設けざるを得なかったことが背景にあります。
実施基準は総務大臣の認可が必要です。総務省はNHKが最初に認可申請した案(常時同時配信等の基本的業務は2.5%以内とし、それ以外のネット活用業務として4項目を新設)に対して再検討を求め、NHKはその多くを受け入れた見直し案を提出し、認可を受けました。
質問は、総務省がNHKに再検討を求める際に示した「NHKインターネット活用業務実施基準の変更案の取扱いに関する総務省の基本的考え方(基本的考え方)」についてです。ここでは、NHKのネット活用業務の内容に関する見解だけでなく、三位一体改革の徹底や受信料水準の見直し等に関する総務省の見解が、かなりのページを割いて示されました。私は実施基準の認可の可否は、あくまでネット活用業務の範囲内で行われるという認識を持っていましたので、正直、再検討に際しNHKのあり方そのものを問うような総務省の姿勢に対しては違和感を持ちました。「基本的考え方」について募集したパブリックコメントにも類似のご意見がありました。手続きは終了していますので今更ではありますが、総務省の真意や手続きの正当性についてどのようにお考えかお聞かせください。

吉田:あのような「基本的考え方」を出した理由は大きく2点あります。1つは、NHKにとって常時同時配信が、任意業務の1つということではあっても、今後の位置付けから考えると、現状の放送も含めた業務全体に大きな影響を与えるだろうと総務省が認識していたからです。そのため認可にあたっては、NHK自身が業務全体の中で常時同時配信をどう位置付けるのかという明確な認識をもうすこし知っておきたい、という思いがありました。
2つ目は費用を巡る話です。NHKは経営計画(2018-2020)で既に発表していますが、そこで2020年度は215億円の赤字を見込んでいました(図1)。これは決して小さな数字ではありません。3桁の赤字予算前提で新たなサービス(常時同時配信)を始めるのなら、それにどこまで投資をしていくかを考えた時に、現状で費やしているネット活用の水準をまず基準に考えてもいいのではないか、まずは既存の2.5%という枠をどこまで維持して出来るのかをもう少し考えていただいてもいいのではないか、というトーンを強く出しました。これが黒字予算を見込んでいるタイミングであれば、ここまで強いトーンは出さなかったと思います。
なお、認可からは少し離れた個人的意見となりますが、私は、NHKが標榜している“公共放送から公共メディアへ”というスローガンには、やや違和感を持っています。公共メディアという言葉には、公共放送という言葉が持っているような重みと深みと存在感が感じられません。公共と放送を切り離し、放送という文字を単にメディアと置き換えているだけのように思います。私は、公共放送という言葉は、国営放送でも民間放送でもない存在、つまり、国家権力からも独立し商業的な影響力からも独立し、幅広い国民全体に支えられることで、情報提供や番組提供を国民に対して行っていく1つの優れた社会文化装置機能を指し示すものであり、それが公共放送という“ワンワード”であって、“公共+放送”ではないと思っています。これが、公共メディアとなると、急に意味が一般化してしまうのですよね。民放も新聞も公共メディアですよね。言い換えると、NHKは”only one”から”one of them”になりますと言っているように思えるわけです。そうではないというのなら、NHKが考える“ワンワード”としての公共メディアの持つ意味とは何か、単に放送を太い幹にしてネットもやる、ではなく、明確に国民に納得できる言葉で説明してほしい、という思いを持っています。

  <図1> NHK経営計画(2018-2020)より抜粋
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村上:ただ、結果論ではありますが、総務省はNHKの肥大化を懸念する民放連や日本新聞協会の立場に寄った形になったという印象を持ちました。「基本的考え方」の中にはNHKの「業務全体を肥大化させないことが求められる」との文言もありました。

吉田:NHKの現状を以って肥大化している、という言い方はしていません。また民放の方々にも折に触れ、一体何が肥大化なのか、そしてその肥大化によって民放の業務、少し広く言うと放送の市場やメディアの市場においてどのような悪影響が出るということを訴えているのか、データを示して議論してほしいと伝えています。
他方で、10年前に比べると受信料収入が約1千億円増え、それに伴って支出も約1千億円増えているのは事実であり、放送業界の中ではNHKのみがこういう傾向にあるのは事実です。このことはNHKにもしっかり考えてもらいたいです

<分科会での議論の論点>

村上:今回、諸課題検に「公共放送の在り方に関する検討分科会」が設けられることになりました。そこではどのようなテーマが議論される予定でしょうか。

吉田:1つはこの夏にも原案が策定されるのではないかと思われるNHKの中期経営計画についてです。これはあくまでもNHKにおいて経営委員会と執行部が様々な議論をしながら作るものではありますが、NHKに何を求めるか、やはり少し提言的なものを出していきたいと思っています。先程も申し上げましたが、三位一体改革への取り組みも含めて、自分たちの公共メディアとしての将来像、それをわかりやすく示していただきたい。またその1つのバリエ―ションとして、二元体制の一翼である民放に対してNHKはどのような関係を築いていきたいと思っているのかがわかる内容も盛り込んでいただけるといいと思っています

村上:今回、NHKはネット活用業務において、他の放送事業者の要望に応じ、連携・協調について協議の場を設けることとされました。しかし、NHKと民放では運営モデルが異なることに加えて、民放のビジネスモデルは大きな転換点を迎えています。こうした中で協調領域を作っていくことはとても難しいというのが、ここ数年の現場レベルでの実感ではないかと思います。更に、受信料収入で成り立つNHK側から民放との連携・協調に関するビジョンを示していくことはもっと難しいと想像します。ネット活用に即していえば、例えばですけれども、現行法において、民放と一緒に配信基盤を整備するとか、そういうことは可能なのでしょうか。

吉田:明らかに民放の経済的利益の下支えをするといったようなことは厳しいと思います。ただ、NHKの任意業務として「放送およびその受信の進歩発達に特に必要な業務を行う」ということは可能なので、それをより広げて、放送事業者のサービスを今日的に発達させるために必要な基盤整備にNHKが一定の役割を担うということ自体は否定されないのではないかと思います。ただ、受信料の使い方の議論になるので十分な議論が必要です。こうしたことも分科会で議論できればと思っています。

村上:分科会では受信料制度についても議論されるということですが・・・。

吉田:先日の諸課題検で高市大臣も問題意識を示しましたが、従来のテレビセットを基準にした制度が、中長期的に見れば不安定になっていっていく部分はあると思います。総務省はこれまで受信料制度については、まずはNHKにおいて考えていただくべき問題だというスタンスでした。しかし今後は、私個人としてもそういう言い方はしないよう、総務省として主体的に受信料制度の議論に取り組もうと思っています。
当面の具体的な論点としては、ワンセグやカーナビからの徴収に対して違和感を持つ国民が少なくないということをどうするか、また、地上と衛星の2段階体系のあり方等について議論したいと思っています。将来的には、ドイツ方式と言われるテレビセットに依拠しない制度というものも含めて、今後のあり方を議論していかなければならないとも思っていますが、これは国民の受け止め方によっては、新たな税に似た負担の創出というニュアンスもありますので、時間をかけた幅広い国民的な議論が必要だと思っています。まずは、どのような時間軸で考えていくべきか、検討のロードマップ的なものを示していきたいです。役所のあり様として、大臣が変わったり局長が変わったりすると、議論が立ち消えになることも少なくないのですが、人が変わっても議論が後戻りしないような形を作っておきたいと思います

 
欧州各国ではここ数年、かなり急ピッチで受信料制度改革が行われています。しかしこの議論は、吉田局長のインタビューにもありましたが、まさに“時間をかけた幅広い国民的議論”が不可欠です。その際、通信・放送融合時代における負担のあり方という側面からだけでなく、国家的権力からの独立性の担保をどうアップデートしていくのか、という側面からの議論も同時に行っていかなければなりません。こうした議論が監督官庁である総務省の諸課題検だけで果たしうるのかも含めて、引き続き注視していきたいと思います。

 この吉田局長へのインタビューは今回で終わるつもりでしたが、ボリュームが多かったため、次回も3回目(災害対応・ローカル局)をお届けします。

 

メディアの動き 2020年03月02日 (月)

#238 総務省・吉田眞人情報流通行政局長インタビュー①~「放送を巡る諸課題に関する検討会」 今後の論点‐同時配信~

メディア研究部(メディア動向) 村上 圭子

 本ブログでも度々登場している総務省の「放送を巡る諸課題に関する検討会(諸課題検)」。メディアサービスにおいて通信と放送の融合が進展する中、放送メディアが抱える“諸課題”を整理すると共に、政策としての対応策が議論されています。この「諸課題検」が立ち上がったのは、NETFLIXやAmazon prime Videoがサービスを開始した2015年ですが、それ以降に起きている放送メディアを取り巻くテクノロジー、サービス、事業者、視聴者像などの激変に対し、議論はどこまでスピード感を持って進められているのか、疑問を感じることも少なくありません。
 こうした中、先日(2月21日)開かれた「諸課題検」では、今後の検討項目4つが示されました(図1)。項目を見たり議論を傍聴したりしただけでは項目に込められた意図が十分に理解できなかった点もあったので、吉田眞人情報流通行政局長に直接お話を伺いました。その内容をブログでご紹介したいと思います。論点が多いので2度に分けてお伝えします。

<図1>
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  出典:総務省・放送を巡る諸課題に関する検討会・2月21日資料

<問題意識と基本的なスタンス>

村上:「諸課題検」も5年目に入りました。吉田局長は、発足当時は審議官として、現在は局長として放送政策をご担当されています。まず局長の現在の問題意識をお聞かせください。

吉田:通信放送融合時代が進展し、放送サービスの独自の存在意義が問われるような時代になっています。しかし、社会と文化の安定装置の意味合いとしての存在意義は、少なくとも短期・中期的には必要だと思っています。だとしたら放送サービスがサステイナブル(持続可能)に提供されるような環境をどう維持していくかを考えていくべきであろう、というのが基本的な私の問題意識です。

村上:周辺環境は激変し続けているため、個々の事業者にはスピード感ある変革が求められていますよね。他方で放送サービスはメディアの中では唯一、放送法という制度的枠組みの中にあります。だからこそ、時に総務省のイニシアチブも求められるのではないかと思うのですが、長らく取材を続けていて、失礼ながら総務省自身のグランドデザインが見えにくい気がしているのですが・・・ 

吉田:もともと放送事業は基本が無線局の免許に基づいており、更にそれに関連する枠組みが存在しています。ですので、制度の議論をする際には十分に注意しないと、特に民間事業者においては制度改正に合わせた方向に経営方針を役所が主導しようとしているのではないかと誤解されがちで、それは避けたいです。事業者から「こうしてほしい」という意見をもらえれば、その道を開く議論ができます。つまり、総務省は“べき”論ではなく“可能性”論を模索する立場であると考えています。

<同時配信に関する制度議論>

村上:これまでの「諸課題検」では、NHKの常時同時配信に関する議論にかなりの時間が割かれました。結果、昨年は放送法改正が行われ、まもなくNHKの同時配信サービスも開始されます(図2)。では、今後の「諸課題検」では、「通信・放送融合時代における放送政策」についてどんな論点が想定されているのでしょうか。多賀谷一照座長からは、制度の見直しも含めた議論をするとのご発言もありましたが。

<図2> 「NHKプラス」の画面イメージ  <同時配信>と<見逃し配信>
              
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  出典:https://plus.nhk.jp/info/

吉田:放送事業者からずっと言われていることではありますが、同時配信に関する著作権の問題について本腰を入れて検討していきたいと思っています。日本の場合、通信と放送が、法体系が分かれているが故に別々に取り扱われていますが、コンテンツの中身からいうと、同時配信は基本的に同じものが提供されます。それを別のものとして取り扱う必要があるのか。これは著作権の整理と密接に関わっているので、放送法を所管する役所が取り組むべき課題だと考えています。

村上:2015年11月に「諸課題検」が開始されてすぐ、こうした問題意識も含んだ検討会が情報通信審議会の下で開催され、2年間議論が行われました。その時には、対応策としては著作権法の改正なのか放送法の改正なのか、つまり文化庁が主導で考えるのか、総務省が主導で考えるのか、押し付け合いをしているように映ることも少なくありませんでした。結局、制度改正は行われないまま現在に至っており、この論点は文化庁の文化審議会著作権分科会や規制改革推進会議で議論されています。局長のご発言は、総務省は放送法改正も視野に議論していく、という理解でいいのでしょうか。

吉田:現時点では、著作権法改正なのか放送法改正なのかというのは結論が出ているわけではないけれど、これまで総務省は、この論点はどちらかというと文化庁さんの領域ではないか、というスタンスでした。でも、こちらで何も汗をかかずに先方にやってください、というだけだとやはり物事は進まないので、総務省としても覚悟を持ってどこまで踏み込むべきか議論する必要はあると思っています。こうした議論は、抽象論の時には理念的立場の主張になってしまいあまり進まないのですが、NHKの同時配信も始まりますし、民放もまだトライアル的な部分も多いけれども、5年前に比べたら本格的に取り組むようになってきました。ようやく本格的に制度の議論をリアルにできる時期になったと思っています。

村上:もしも放送法を改正するとしたら、同時配信を放送と“みなす”ということになるのでしょうか。そうなると同時配信の品質の担保、つまり、放送との同一性をどこまで担保するか、という技術的な議論にもなりますよね。

吉田:一言で放送法の改正といっても、同時配信を本来の放送そのものとして位置づけるという方法もあるし、必要な部分だけ、つまり今求められているのは権利処理の部分なので、その部分の要件を満たしたものを放送に準ずるものとみなすという方法もあると思います。

村上:“要件を満たす”ということですが、その際に、放送エリアと同じように同時配信でもエリアを制限するかどうかという点は大きいですよね。NHKは先の放送法改正で地域局から配信する場合には、放送と同一のエリアに制限することになっていますが、民放が現在実施しているケース(甲子園やマラソン等のスポーツイベントの同時配信やTVerで行われている実証実験等)見ると、キー局もローカル局も放送エリアを越えて全国に配信し、CMも差し替えてのマネタイズを模索しようとしています。このあたりはどのように考えればいいのでしょうか。

吉田:確かにCMの差し替えとかがあると制度を作るのはすごく難しいのですが、民放がエリア制御をかけるのかどうかとか、CMを差し替えるのかどうかというのは法制度ではなくてビジネスの議論ですから、そこは民放の人達ともよく話をしていきたいと考えています。同時配信について、総務省は事業者がどういう方向にも動けるような環境整備をしていきたいと思っています。

 
 今回のブログでは、吉田局長へのインタビュー部分のうち、同時配信に関する内容をまとめてみました。皆さんはどう受け止められましたでしょうか。私は、外部環境の変化が激しい昨今、放送行政を所管する総務省が何らかのビジョンを示すべき、という立場ですが、局長はあくまで、放送事業者の主体性を重んじ、事業者が具体的に動いて初めて制度の議論もついてくるという立場でした。ただ今回、同時配信の著作権問題について、総務省も覚悟を持って臨むという姿勢が示されたことは、これまでにない大きな変化であると感じました。
 これから制度改正の議論に向かうにあたり、放送事業者自身も、同時配信に対する問題意識を改めて整理しておく必要があると思います。同時配信は、①これ以上人々のテレビ離れを進行させないため、もしくはテレビ離れした人々にもネットでテレビの情報や番組に触れてもらうために行うのか、②一斉同報・時間編成・地域制御という放送メディアとしてのアイデンティティをネット上に拡張させるために行うのか、③フェイクニュース・フィルターバブルという課題に対し、制度で規律されたメディアがネットにも存在すべきという社会的要請に応えるために行うのか、④データビジネス、データマーケティング主流の時代にユーザーとのつながりを形成するために行うのか、⑤将来的に伝送路がオールIP化することも見越した備えとして行うのか…等々。なしくずしの実施にならず、将来も見据えた議論を期待したいものです。
次回は、「諸課題検」で新たな分科会を作ることになった「これからの公共放送の在り方」「災害時における放送の確保のあり方」そして、とりまとめに向けて議論が進んでいる「放送事業の基盤強化」について取り上げます。

 

メディアの動き 2020年02月18日 (火)

#237 一枚の写真が、執筆のエンジンになった

メディア研究部(メディア動向) 谷 卓生

東京-横浜間で電話交換業務が始まり、帝国ホテルや浅草凌雲閣(十二階)が開業した、明治23年(1890)。明治国家が欧米諸国に追いつこうと、“坂の上の雲”を目指していたころに撮影された、“一枚の写真”が残されている。
写っているのは、現在の東京大学理学部が、「帝国大学理科大学」という名称だった時代の教員たちだ。

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 洋装が11人、和装が3人(但し、一人は靴を履いていることが確認できる)。ひげを生やしている人が半分など、当時の学者の風俗がわかるという点でも興味深い写真だ。

私がこの写真の存在を知ったのは、VR(バーチャルリアリティー)の訳語が、「仮想現実」になっている理由を調べていた去年の秋。専門家などから、「仮想現実」という訳語は、“あまり適切ではない”とされてきたのに、どうしていまだに使われているのだろうかと疑問を抱いたからだ。そして、調査で分かってきたのが、明治21年(1888)発行の『物理学術語和英仏独対訳字書』が、Virtualを「假リ(ノ)」「虚-」と訳したことに、その遠因があったのではないかということだった。この『対訳字書』を作ったのは「物理学訳語会」。約30人の物理学の研究者たちが、西洋由来の物理学の学術用語を翻訳・統一しようと、明治16年(1883)に発足させた。

この写真には、訳語会設立の発起人のひとり、日本人初の物理学教授となった山川健次郎(後列の右から2番目。1854-1931)をはじめ、訳語会のメンバーが9人写っているのだ。それまでに見ていた山川の写真は、もっと高齢のときに撮影されたもので、きっちりとしたスーツ姿。彼が会津藩の“白虎隊の生き残り”であったことをほうふつとさせる古武士然としたもので、こんなに若いころの写真は見たことがなかっただけに、とても新鮮だった。しかも、彼が着ているのは、実験で使う“白衣”ではないだろうか!他の人は正装のように見えるが、山川はどうしたのだろう。実験を好んだとされる山川ならではの姿なのか。
このような現役感バリバリの、『対訳字書』の発行時期に近い、山川らメンバーの姿に触れて、私の中で、何かが動き始めた。古ぼけた資料を調査しているときにも、それを書き記した先人の姿が思い浮かぶようになってきたのだ。単にテキストの解読ではなくて、明治という激動の時代を生きた、彼らの夢や不安、使命感のようなものを感じながらの研究となり、私のモチベーションは上がった。
研究結果は、『放送研究と調査』(2020年1月号)掲載の論稿にまとめたので、読んでいただければありがたい(リンク先で、全文公開中)。この写真ももちろん同誌に掲載しているが、モノクロで写真のサイズも小さい。ぜひ本当の色で、しっかりと見てもらいたいと思い、ここで、改めて紹介した次第だ。

この写真は、2006年に山川の親族が東大理学部に寄贈したものだが、どういう状況で撮影されたのかなど詳しいことはわかっていない。しかし、写真と一緒に手書きのメモが残されていた。

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このメモのおかげで撮影時期が推定でき、私は、この写真において、『対訳字書』の作成に携わった9人(寺尾、山川、山口、三輪、酒井、藤沢、隈本、菊池、難波)を特定し、130年の時を超えて彼らに会うことができた。会則や議事録によると、彼らは毎月、第二・第四水曜日の午後3時に大学に集まって、約1700の訳語を決めていったのだ。この写真(とメモ)の存在は、科学史の専門家たちにもほとんど知られていないものだったので、これを“発掘”できたことは、本当にラッキーだった。しかも、ここで公開し、多くの人に見てもらえるようになったことで、今後の科学史の研究に何らかの助けになれば幸いだ。
それにしても、当時の教員たちは、若い。現在と単純に比べられないとは思うが、(明治23年の撮影として)最年長は、教授の山川で36歳。最年少の平山は23歳。後に、「土星型原子模型」の理論で世界的に知られることになる長岡半太郎は、このとき25歳だ。写真に写った全員の平均年令は、30歳(生没年が不明の、実吉は除く)。明治23年は、先進各国の帝国主義が本格化する中、日本では、憲法が施行され、帝国議会ができるなど、ようやく国家の体制が整い始めたころ。そういう時代状況のもと、ここで教え、学んだ若き俊英たちがその後、各地に赴き、日本の物理学や数学の礎を築き、「殖産興業・富国強兵」の担い手となっていったのだ。そんなことを思いながら、この写真を見ると、くめども尽きぬインスピレーションを得ることができる。こうしたことがわかるのも、資料が残されていたからだ。現在、原本が行方不明になっている「物理学訳語会記事」(「訳語会」の議事録)もどこかに残っていないだろうか。全国の大学図書館、資料館、古書店のみなさん、情報があれば、ぜひお寄せください!!!

最後に一つ、妄想を。なんとかタイムスリップをして、現代のVR機器を明治時代に持っていきたい。訳語会のメンバーがVRを体験すれば、Virtualにどんな訳語をつけるだろうか。彼らの議論を聞いてみたい。


(注)
手書きメモにある「藤沢利器太郎」は、「藤沢利喜太郎」が正しい。
また、「平山順」は、「平山信」ではないだろうか。

(おもな参考文献)
『日本の物理学史』(日本物理学会編、東海大学出版会、1978年)
『増補 情報の歴史』(松岡正剛監修、編集工学研究所構成、NTT出版、1996年)
『明治を生きた会津人 山川健次郎の生涯』(星亮一著、筑摩書房、2007年)
『近代日本一五〇年』(山本義隆著、岩波書店、2018年)