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「国立ハンセン病資料館」を訪ねて

2015年01月27日(火)

WebライターのKです。

「世界ハンセン病の日」である1月25日に、東京の東村山市にある「国立ハンセン病資料館」を訪ねました。展示室のある2階に続く階段わきの1階フロアに、唐突に大きな映写機と消防機具が置いてありました。なぜ総合展示を見せる前に、こんなものが置いてあるのでしょうか?

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前書きのプレートには、「療養所には、専門業者が持つような本格的な設備がある。それらが存在する理由は、入所者がここを出る難しさと深く結びついている」と書いてありました。

「知のバリアフリー」で学びを拡げる!

2015年01月26日(月)

WebライターのKです。

今年の大学入試センター試験は1月17日、18日の土日に行われました。志願者数は全国で約56万人。その中で、受験上の配慮を必要とする障害のある学生は1675人でした。この10年間で大学に進学する障害のある学生は倍増し、全国の大学の在籍者は1万3千人を超えていますが、その比率は全大学生数の約0.4%です。人口の6%あまりが障害者であることを考えれば、大学キャンパスの障害のある学生の比率は決して高いとは言えません。
 
しかし、数少ない障害のある学生の中には後に研究者となる優秀な人たちがいます。国立民族学博物館准教授の広瀬浩二郎さんもその一人です。広瀬さんは、幼い頃から視覚に障害があり、中学生の時に完全に視力を失いました。筑波大学附属盲学校(現・視覚特別支援学校)を経て、京都大学に入学し、卒業後は盲人の文化や歴史について研究するとともに、その成果を発信し続けてきました。

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国立民族学博物館准教授・広瀬浩二郎さん

【社会保障70年の歩み】第3回・生活保護「水と番茶の違い」

2015年01月21日(水)

紅茶を飲むのは、英国人にとって自然なことで、それさえ奪われるのは貧困だ。

英国の貧困研究の大家・ピーター・タウンゼントは彼の「相対的(権利)剥奪(はくだつ)」の考え方を、そんな風に説明した。日本流に言えば、のどが渇いても番茶さえなく、水で我慢するのは「相対的な貧困」である。

生活保護基準は「マーケットバスケット方式」「エンゲル係数方式」を経て、1965(昭和40)年、この相対的な貧困概念の「格差縮小方式」が採用された(~83年度)。一般世帯と被保護世帯との格差を埋めるため、政府見通しの個人消費支出の対前年度比伸び率に格差縮小分が上乗せされた。一般世帯を100%として被保護世帯の消費支出は80年度にはほぼ60%に漕ぎつけた。84年度以降は、一般国民の消費支出の伸びを基本に調整を図る「水準均衡方式」が実施されている(参照・現在の基準額、図1)

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図1:生活扶助基準額(2014年4月時点)

先進諸国の生活保護制度(公的扶助)の共通点は、
 ① 最低限度の生活保障
 ② 所得・資産の資力調査(MEAMSTEST)実施
 ③ 費用は全額租税
の3点といえる。
最低限度の保障は「ナショナル・ミニマム」とも呼ばれる。その水準は、豊かな社会では「基本的保障」と呼ぶ方が適切なのだろう。生活保護制度もその到達点を模索してきた。

障害のある子どもたちに"遊びの環境"を!~「遊びのテーマパーク×仮装大作戦」取材記・後編

2015年01月19日(月)

WebライターのKです。

後編では、会場で運営委員の皆さんにお話しいただいた「活動の意義」についてご紹介します。
パテスの代表理事の高塩純一さんは、今回、会場に用意された障害のある子どもたちのための電動車いすの開発者のひとりです。子どもの主体的な活動によって運動発達を促す方法を探求し、その成果を国内外の学会などで発表してきました。

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障害のある子どもたちに"遊びの環境"を!~「遊びのテーマパーク×仮装大作戦」取材記・前編

2015年01月14日(水)

WebライターのKです。

昨年末にFacebookでご紹介したユニークなイベント「遊びのテーマパーク×仮装大作戦」について改めてご紹介します。

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このイベントは、重度の障害のある子どもたちに「遊びの環境」を与えることを目的とするNPO法人パテスによって企画されたもので、身体の自由がきかない子どもたちに、特別に開発された遊具を使って身体の動きをともなう遊びを満喫してもらおうというものです。

会場となったのは東京都大田区の産業会館。1600㎡の大展示場には、いくつもの遊戯スペースが設けられ、その周囲にはバーチャルな遊びのためのシミュレーション装置や仮装のためのファッションブースなどが並べられ、さらにクレープ屋さんやお弁当屋さんも店を広げ、お祭り広場のようなにぎわいが演出されていました。
 

【変わる障害者雇用】第6回  特別支援学校のキャリア教育の現場~就労支援アドバイザー・箕輪優子さん~【後編】

2015年01月06日(火)

【変わる障害者雇用】第6回  特別支援学校のキャリア教育の現場~就労支援アドバイザー・箕輪優子さん~【前編】、はこちらから。


murayama01_R.JPGWebライターのKです。

前編に引き続いて、東京都教育委員会の就労支援アドバイザーの箕輪優子さんとともに訪ねたのは、東京都武蔵村山市にある「都立村山特別支援学校」です。肢体不自由の児童・生徒が通う特別支援学校で、ここでは中学部の作業学習を参観しました。
 

 

【社会保障70年の歩み】第2回・生活保護「1年パンツ1枚」

2015年01月06日(火)

「貧しさ」とは、どんな状態なのか。個々人の判断ではなく、社会的かつ客観的に「貧困」の概念と実態を明確にするのは難しい。

そのための「社会調査」が19世紀末の英国で始まった。
海運業者で「産業界の船長」を自認するチャールズ・ブースは、首都ロンドンで1886年から大規模な「貧困調査」に取り組んだ。健康と命を保てる賃金(当時週給21シリング)を「貧困線」として、それ以下の労働者が全住民の実に3割強に達することを突き止めた。
同時に、原因の大半は失業、不規則労働、低賃金等の「雇用の問題」や病気、多子、不潔な住居等の「環境の問題」であることを解明した。飲酒や浪費の「習慣の問題」はごく少数派に過ぎなかった。
次いで、後に製菓業の経営者となるシーボーム・ラウントリーが1899年からヨーク市で、貧困予備群にあたる「第2次貧困線」も設定し、より詳細に貧困実態を掘り起こした。いずれも、これ以下では生命の危機を引き起こす「絶対的貧困」による線引きであった

【社会保障70年の歩み】プロローグ「首相への挑発状」

2014年12月31日(水)

第2次世界大戦における日本人将兵や市民らの死亡者・行方不明者は、広島、長崎での被曝を含め300万人以上に上り、空襲等での罹災者(りさいしゃ)は1000万人を超えた。

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「戦争を知らない世代」が大半を占める今、この悲惨さを肌身で感じるのは難しい。だが、「東日本大震災」の犠牲者約2万人の、実に150倍を超える墓標(ぼひょう)に思いを馳(は)せると、戦争という破壊のすさまじさに、少しは実感がわくのではないか。しかも、天災ではなく、究極の人災である。戦後、日本人の大半は親族・知人を失い、焼け跡にたたずみ、飢餓におびえ、どん底から再出発を期すほかなかった。

福祉を何も知らない男が現場取材で感じたこと(後編)

2014年12月27日(土)

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前編は東京都中央区にあるマイホーム新川さんの概要をざっとご紹介させていただきました。


「福祉を何も知らない男」というキーワードで特別養護老人ホームで見てきたことを生でお届けする後編は、昼食を終えた後のマイホーム新川の様子から。
 

【変わる障害者雇用】第6回  特別支援学校のキャリア教育の現場~就労支援アドバイザー・箕輪優子さん~【前編】

2014年12月26日(金)

WebライターのKです。

障害のある子どもの通う特別支援学校では、子どもたちにどのような「キャリア教育」をしているのでしょうか?東京都教育委員会の就労支援アドバイザーの箕輪優子さんの特別支援学校の視察に同行させていただきました。


20141226_001_R.JPG箕輪優子さんは、勤務する大手計器メーカーで、かつて特例子会社を立ち上げ、知的障害者のキャリアアップで大きな成果を上げました。厚生労働省の専門官を務めたこともあり、現在は東京都教育委員会から委嘱を受け、企業人の立場から特別支援学校のキャリア教育に関する授業改善のアドバイスを行っています。
進学よりも、就職が大多数を占める特別支援学校では、昔から職業教育には力を入れてきました。しかし、製造業の求人が減少し、事務やサービス業などのソフトな職種へと職業領域が広がる中で、特別支援学校の卒業生に対しても、コミュニケーション能力や課題解決能力などがより一層求められるようになってきました。現在特別支援学校は、小中高の連続する教育を“キャリア”という視点から見直し、社会への参加意識や職業意識の高い子どもに育てようと考えています。そのような教育改善の一環として、東京都教育委員会では4年前から企業人による「就労支援アドバイザー」の制度をスタートさせました。

同行取材で最初に訪れたのは、東京都立府中けやきの森学園。肢体不自由教育部門と知的障害教育部門が併設された特別支援学校で、今回は知的障害教育部門高等部の作業学習の授業にお邪魔しました。