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「特別養子縁組」で子どもたちにあたたかい家庭を 前編

2015年04月14日(火)

WebライターのKです。

4月4日を“4(よん)”と“4(し)”のごろ合わせから「養子の日」とする「特別養子縁組」の啓発キャンペーンが実施されました。キャンペーンタイトルは「大人たちから子どもたちへ“家庭”という贈りもの」。東京渋谷でトークショーとドキュメンタリー映画「うまれる ずっと、いっしょ。」の上映会が行われました。会場は、「渋谷ヒカリエ」の9階ホール。主催は日本財団です。
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産みの親と暮らすことのできない子どもを支える「社会的養護」は、大きくは乳児院や児童養護施設が育てる「施設養護」と里親や養親が育てる「家庭養護」に分けられます。オーストラリアでは9割以上、アメリカ・イギリスは7割以上が家庭養護であり、主要先進国は家庭養護が社会的養護の半数以上を占めています。しかし、日本は施設養護が85%で、家庭養護は15%に過ぎません。

そのような現状を変えていく手段のひとつとして、養育が困難な産みの親との親子関係を愛着形成に問題が生じにくい乳幼児期にすみやかに解消し、育ての親の戸籍に入れて、新たな親子関係を確保する「特別養子縁組」を普及させていこうというのが、昨年から始まった「養子の日」の啓発キャンペーンの趣旨です。


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「特別養子縁組」とは1987年に民法に加えられた制度で、家督相続を目的とした「普通養子縁組」に対して、児童福祉の観点から、原則6歳未満の「要保護児童」に恒久的な家庭を与える目的で創設されました。18歳までの一定期間、里親が育ての親となる里親制度とは異なり、欧米諸国の家庭養護と同様に養親に親権を移して、新しい親子とする制度です。

【社会保障70年の歩み】第7回・介護「措置という古い上着」

2015年04月09日(木)

日本の社会保障制度の中心である「社会(公的)保険」は、火災保険や生命保険等の民間保険に比べ、どこが違うのか。
民間保険は「私的なリスク」に備え、自分で選ぶ「任意加入」で、「営利団体」(企業等)によって運営される。社会保険は、「社会的なリスク」を対象に、「強制加入」で、「非営利団体」(国、自治体、組合等)に運営をまかせる。


社会的なリスクとは何か。
医療費を払えない人々が増えると重病者が多発する、引退後は無収入なら生活困窮者が相次ぐ、失業して生活費に事欠くと仕事探しも難しい、仕事での死亡・負傷に何の補償もない。どれも放置しておくと、社会全体が不安で不安定に陥る危険性である。当初は、いずれも勤め人対象で医療(健康)保険(施行1927年)、年金保険(同1942年)、戦後に失業(雇用)保険と労働者災害補償保険(同1947年)の順で創設された。より多くの人々が不安に思うリスクから開始された、とも言える。

介護保険法は1997(平成9)年12月、5番目の社会保険として成立した(2000年度施行)。なぜ実現が遅れたのか。それが「介護」の難しさと大事さを象徴している。

「悲しみが喜びに、不安が希望に」ダウン症児のこころ育ての10年

2015年04月06日(月)

WebライターのKです。

ハートネットTVでは、毎年詩とアートを組み合わせた展覧会のNHKハート展の入選者を番組でご紹介しています。昨年春の番組では、自宅のそばの京都御所にいるフクロウについての詩を書いて第19回NHKハート展に入選された、ダウン症の小学生の信田静香さんとそのご家族をご紹介いたしました。


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信田静香さん。この春から小学6年生になります。

ホーホー_作:信田静香

ホーホーとなきます。
パサパサととびます。
くらいところにいます。
さがしてみてね。
きょうのよる
まっています。



3月21日の「世界ダウン症の日」にちなんで、改めてダウン症児の子育てについて話をうかがうために、京都の信田さんご一家を訪ねました。子育ての主役は母親の知美さん。パートナーである父親の敏宏さんは、国立民族学博物館教授でマレーシアの先住民の研究をしている社会人類学者です。お二人に静香さんの子育てについて振り返っていただきました。

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父親の敏宏さん。背後に飾ってある2枚の絵は静香さんが描いたフクロウの絵です。

夢をかなえたい!「自宅警備アイドル」(後編)

2015年04月01日(水)

「アイドルになる夢を、どうしてもかなえたい」。
「自宅警備アイドル」(前編)でご紹介した病名不詳の進行性の難病と戦いながら、ネットを通じて難病の仲間のことや音楽への思いを発信し続けている櫻葉来空(くれあ)さんが、タレントの“モーニング娘。'15”と同じ舞台に立つというので、3月28日パシフィコ横浜のイベント会場を訪れました。

会場では、「SATOYAMA&SATOUMIへ行こう2015」という“地域起こし+音楽イベント”が行われていました。そのイベントとのコラボレーション企画として「NPO法人 勇気の翼 インクルージョン2015」による障害者のためのステージが用意されていました。コーディネートしたのは、知的障害者のスポーツイベントの「スペシャルオリンピックス」を日本で立ち上げた細川佳代子さんです。
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細川さんは、知的障害者と社会との接点をスポーツだけではなく、映像、音楽、芸能などの分野にまで広げていきたいと考えています。「私たちの社会は知的障害者を差別するか、庇護して囲い込んでしまうかのいずれかで、一緒に歩もうという姿勢がなかなか定着しません。だから、私は、まず若い人たちとの出会いの機会をたくさんつくろうと思っているのです」


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くれあさんは、知的障害はありませんが、今回特別に細川さんがコーディネートするステージに参加しました。そして、あこがれの“モーニング娘。'15”と知的障害のある仲間たちと、「LOVEマシーン」の歌とダンスで盛り上がりました。

誰もが支障なく情報を得られるように。ウェブにおけるアクセシビリティとはなんなのか。

2015年03月31日(火)

「ウェブアクセシビリティ」って知ってますか?

福祉・ウェブ業界のどちらにもまだ浸透していない言葉だと思います。ウェブアクセシビリティとは、高齢者・障害者を含め、ウェブを利用する全ての人にとって支障なく情報を得られるようにしよう!という考え方です。

スマートフォンやタブレットの普及によってインターネットが飛躍的に発展してきた昨今は、情報へのアクセスのしやすさという意味では、格段に敷居が低くなりました。しかし、ウェブページやアプリの多くは健常者のために設計されているものが多く、ウェブアクセシビリティの配慮を施したものは少ないといえます。

例えば衆議院・参議院選挙の際に投票の参考にするウェブサイトでは、アクセシビリティに対応しておらず、障害者が公共サービスを利用できないという課題が出てきます。

ウェブアクセシビリティに対応するとどういった違いが出てくるのか、サンプルを用いて紹介しますね。

夢をかなえたい!「自宅警備アイドル」(前編)

2015年03月30日(月)

昨年12月に開催された肢体不自由の子どもたちのためのイベント会場。ステージ上でデュエットしている車いすの女性と出会いました。「くれあ」さんです。
名刺を交換すると、肩書には「シンガー」などのほかに「自宅警備アイドル」とありました。意味を尋ねると、「いつも自宅にいるのだけれど、アイドルなのです」。そばにいたお母さんが教えてくれました。


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くれあさんと悠々ホルンさん

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【取材レポート】LGBTもありのままでオトナになれる社会へ―大学生たちによる映画上映会&シンポジウム―

2015年03月26日(木)

日本の人口の5.2%と推計されているLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなど性的少数者の総称)。東京・渋谷区では、同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、証明書を発行する条例案が区議会に提出されるという画期的な動きがあり、LGBTをめぐる環境も新たな段階を迎えています。
その一方で、差別や偏見を恐れてカミングアウトしていない人も多いことから、日常の場ではまだまだ可視化されておらず、理解が進んでいないのが現状です。

LGBTの若者たちが、ありのままでオトナになれる社会には何が必要なのか?
先日、明治学院大学のLGBTサークル「カラフル」の学生たちが中心になって、LGBTの現在と未来を考えるための映画上映会&シンポジウムが行われました。


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シンポジウムには、「カラフル」代表の倉光ちひろさんの他、「ハートネットTV」にも出演した性同一性障害の当事者・杉山文野さんなど7人のパネリストが参加。会場には学生を中心におよそ150人が集まりました。

「私の魂の誕生日」ヘレン・ケラーとアニー・サリバン(後編)

2015年03月24日(火)

前編ではヘレン・ケラーとアニー・サリバンの出会い、そしてヘレンよりも半世紀前に奇跡の人と呼ばれたローラ・ブリッジマンについて書きましたが、大きな反響をいただきましたので、さらに関連情報をお伝えします。

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ヘレン・ケラーが22歳のときに出版した初めての著作『わたしの生涯』。この本によってヘレンの存在は全米に知れ渡ることになりました。写真は現代版


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ヘレン・ケラーの母親のケートは、イギリスの作家チャールズ・ディケンズの『アメリカン・ノート』という著作の中でローラ・ブリッジマンの存在を知り、ヘレンにも教育を受けさせるよう夫アーサーに進言しました。そこで夫は電話の発明者で、聴覚障害者の教育に関心を寄せていたグラハム・ベルに相談します


世界で初めて盲ろうの子どもの教育に成功した医師のサミュエル・ハウ博士、その影響のもとヘレン・ケラーを指導した家庭教師のアニー・サリバン。このふたりの教育者への賛辞は、障害児教育の世界では尽きることがありません。しかし、教育だけが、ふたりの盲ろうの少女を知の世界に導いたわけではありません。何の業績も残さなかった「無名の人」の素朴な優しさも、ふたりの偉業を支える重要な役目を果たしていました。

盲ろう教育の創始者のハウ博士は、「私よりも前にローラには、もっとも愛した先生がいた」と語っています。それはテニー・アーサという名の精神障害者の青年です。
 

「世界ダウン症の日」

2015年03月21日(土)

3月21日は国連の国際デー「世界ダウン症の日」。ダウン症の人たちの多くは“21”番目の染色体が“3”本あることから、この日が記念日に定められました。

ダウン症の人たちが個性を活かしながら、安心して暮らしていけるように、世界中でさまざまな啓発イベントが行われます。ニューヨークではエンパイア・ステートビルが、ダウン症の人たちやその家族への敬意を込めて、青と黄色にライトアップされます。日本でも交流会や写真展など、各地で多くの記念イベントが開催されます。

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「私の魂の誕生日」ヘレン・ケラーとアニー・サリバン(前編)

2015年03月20日(金)

3月3日はひな祭りですが、この日は障害児の教育に関する記念すべき日でもあります。盲ろうの少女ヘレン・ケラーのもとに、家庭教師のアニー・サリバンが初めて訪れたのです。1887年のこと。ヘレンは後にこの日を「私の魂の誕生日」と呼んでいます。
サリバンはこのときはまだ20歳。視覚に障害があったために通っていた、マサチューセッツ州ボストン郊外のパーキンス盲学校を首席で卒業した優秀な学生でしたが、教師経験はありませんでした。一方、アラバマ州のタスカンビアで生まれたヘレンは6歳9か月。1歳7か月のときに視覚と聴覚を失い、周囲の人に意思を伝えるのには、身振りや仕草に頼るしかない子どもでした。

ヘレンが、手のひらを流れる物質としての“水”と、言葉としての“ウォーター”との関係を確実に把握し、この世の中のすべてのものに名前があることに気がつく、いわゆる「井戸端の奇跡」はこの出会いからわずか1か月後のことです。