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【社会保障70年の歩み】第11回・雇用保険「育児も支える」

2015年06月30日(火)

勤め人は常に失業のリスクを抱えて暮らす。勤務先の業績悪化や産業全体の不振で倒産や解雇にさらされ、自ら転職を図る際もすぐ再就職できるとは限らない。
職を無くした際の生活を保障する本格的な「失業保険」は、英国で1911年初めて制定された(国民保険法)。第1次世界大戦後の長期不況・大量失業時代に主要国で整備されたが、日本では資本家の反対で長い空白が続いた。


第2次世界大戦後の1947(昭和22)年、社会党首班の片山哲(てつ)内閣で「失業保険法」が成立・施行された。
敗戦と経済破綻が大量の失業者を生み出した頃である。同じ年に労働基準法、職業安定法、労働者災害補償保険法等も制定され、やっと労働者の基本的な権利と保護を認める第1歩を踏み出した。
当初の失業保険の給付要件は、離職の日以前1年間に6ヶ月以上の保険料納付者で「労働の意志と能力を有する者」、給付額は従前賃金の6割を標準に一律180日支給を上限にした。保険料は賃金総額の2.2%を労使折半、国庫負担も付いた。
 

【社会保障70年の歩み】第10回・年金「お神輿の担ぎ方」

2015年06月05日(金)

年金制度はお祭りの神輿(みこし)や山車(だし)に似ている。
現役世代が保険料を払う形で制度を担ぎ、それを主な原資に、引退世代は制度に乗って年金を受け取るからだ。担ぎ手が多く、乗り手は少ないと、神輿や山車は威勢良く進む。逆に担ぎ手が減り、乗り手は増えると、重くて進めない。

どうするのか。対策はそう多くはない。
担ぎ手に①もっと力を出してくれ、と頼む(保険料引き上げ)②なるべく長く担いでくれ、と頼む(支給開始年齢引き延ばし)③担ぎやすいように神輿や山車の軽量化を図る(給付水準引き下げ)④公費を投入して支える(国庫負担引き上げ)⑤運営が難しい神輿を吸収・合併する(年金制度の合併や一元化)。
実際に、産業構造の激変や少子長命化(高齢化)の進展を背景に年金制度では、これらの対策が繰り返された。



1961(昭和36)年度、自営業者ら対象の「国民年金」の創設で「皆年金」体制が始まった。しかし、農林水産業や零細な商工業の衰退と共に歩む形になり、国民年金の加入者(第1号被保険者)は先細りしていった。
このため1986年度には「基礎年金」が創設された。厚生年金や共済年金に加入する勤め人(第2号被保険者)やその配偶者(第3号被保険者)らを加え20~60歳未満の全国民が「国民年金」制度に加入し、同じ老齢基礎年金を受け取る切り換えである。
「職業に関係なく老後の所得保障を」と説明された。その通りだが、厚生年金や共済年金に加入すると、自動的に国民年金にも入り、その保険料も払う。つまり自営業者らだけで担いだ神輿の危機を防ぐため国民全体で担ぐ”ジャンボ神輿”に造り替えた。
 

 

 

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発起人はスポーツ大嫌い。新たな競技を創り出す「超人スポーツ」とはなんなのか?

2015年06月01日(月)

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福祉のヤバいテクノロジー第5回は、「超人スポーツ」という日本オリジナルのスポーツを創り出そうとしている慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の稲見昌彦教授にお話を伺ってきました。

「超人スポーツ」は、身体とテクノロジーの融合によって、障害者と健常者、男と女、老若の区別なく、誰もが楽しめるスポーツを創ってしまおうという試みです。スポーツは大嫌いだったという稲見先生が描く未来は、「遊ぶ」というそのものを楽しませてくれそうでした。

それではインタビューをどうぞ!

【社会保障70年の歩み】第9回・年金「開戦時に産声」

2015年05月08日(金)

勤め人の老後を支える「労働者年金保険法」の公布は1941(昭和16)年3月であった(施行は翌年)。日本海軍がハワイ・真珠湾を急襲し、太平洋戦争が始まる9ヶ月前のこと
なぜ、この時期だったのか。
 

さまざまな説がある。
立法の目的は「労働者をして後顧(こうこ)の憂いなく、専心(せんしん)職域に奉公せしめる」とある。戦争遂行へ、軍需工場や鉱工業で働く労働者の確保が急務だった。働けば年金をもらえる“アメ玉”で誘う狙いだろう。
膨大な軍事費調達に紙幣を大増発し、物価暴騰は必至、その防止策に年金の保険料納付で労働者の購買力を吸い上げる必要もあった。保険料は積み立てられ、軍事費に借用もできる。これら複合的な理由で、年金制度本来の理念や目的にはほど遠かった。
その労働者年金保険の概要は、①強制加入の対象は鉱工業等で働く10人以上の事業所の現場労働者②保険料は月収の6.4%、石炭採掘等の坑内夫は8%(労使折半)③給付は20年以上の加入で55歳から老齢年金支給(坑内夫は15年以上、50歳支給)。廃疾(障害)や死亡時の保証もあった。
1944年には早くも改称・改定され、「厚生年金保険法」になった。当時は「労働者」や「社会」の表現は、労働運動や社会主義思想を連想させると避けられ、「厚生」(国民の生活を豊かにする意味)に切り換えられた。対象者は事務職や女性へ拡大され、保険料を月収の11%、坑内夫は15%に引き上げ(労使折半)、遺族年金の終身支給等も加えた。

【福祉のヤバいテクノロジー】数cmの段差情報があるだけで助かる。バリアフリーマップを作り始めたきっかけはなんなのか?

2015年05月08日(金)

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左から織田洋一さん、栄一君、お話を聞かせてもらった織田友理子さん。

早くリリースされるといいなぁ。

日本国内の非営利団体を対象にした、テクノロジーを活用してより良い社会を作るアイディアを募集した取り組み「Googleインパクトチャレンジ」。その中でグランプリを受賞した「みんなでつくるバリアフリーマップ」の特定非営利活動法人 PADMの織田友理子さんにお話を伺ってきました。

織田さんは22歳で手足の先から筋肉の力が減少していく難病の遠位型ミオパチーを発症。車椅子ユーザーです。インターネットで閲覧できるバリアフリーマップを制作すれば、より多くの車いすユーザーが必要な情報を享受できると言います。
 

誰でも心は欠けている

2015年04月26日(日)

先日、川崎で起こった少年の刺殺事件の現場取材に同行しました。
(ハートネットTVではありませんが…)
その日は蒸し暑く、土手に生えている草や花、ビニールに包まれたたくさんの献花が強い風で揺れていました。

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その場所の隣には、自転車やちょっとしたマラソンをするのにちょうど良い道路があるのですが、電灯が一つもない場所でした。ただぽつんと監視カメラが立っていました。

【福祉の『ヤバい』テクノロジー!】発達障害・知的障害のある方へのスマホサービスは何を考え開発されたのか?インタビューしてきました

2015年04月24日(金)

福祉×テクノロジーの連載記事も3本目となりました。今回は、障害者向けのアシスト機能が付いたスマホサービス「アシストスマホ」を提供されている、ソフトバンクへお話を伺ってきました。

このスマホサービスは、1年前に発売された発達障害と知的障害のある方向けに提供されている、日常生活と仕事のどちらでも利用できる端末です。機能としては、障害のあるユーザー本人が、電車通勤中に遅延が発生して会社への到着が遅れる場合、会社へ報告のメールを数回画面をタップすれば送信できたり、指定した時間にエリアに到着しているか、GPS機能を使ってご家族が居場所を知ることができます。

このスマートフォンがどういった課程を経て開発され、どういった思いが込められているのか、どうぞご覧下さい。

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左からCSR企画部企画課の木村幸絵さん、プロダクト・サービス本部 プロダクトマネジメント統括部 プロダクトマネジメント部 PDM課の村山貴一郎さん、プロダクト・サービス本部 プラットフォーム企画統括部 アプリケーションプラットフォーム部 アプリケーションPF課の工藤景司さん

「特別養子縁組」で子どもたちにあたたかい家庭を 後編

2015年04月21日(火)

「特別養子縁組」で子どもたちにあたたかい家庭を 前編
「特別養子縁組」で子どもたちにあたたかい家庭を 中編、はこちらから。

WebライターのKです。

後編では、4月5日の養親を希望する親たちへの説明会の報告を続けます。
「特別養子縁組」が必要な理由は、子どもの虐待の予防や“予期せぬ妊娠”をした母親の救済、また、その結果生まれてくる命が直面する困難を防ぐためいう視点からも語らました。熊本県慈恵病院の元看護部長・相談役の田尻由貴子さんは、前日に続いて登壇され、子どもを手放さざるを得ない母親の実態について紹介しました。そして、行き場のない赤ちゃんを預かる「こうのとりのゆりかご」の意義と「特別養子縁組」との連携の重要性について訴えました。

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厚生労働省の発表によれば、平成25年度の日本における子どもの虐待相談件数は年間7万3765件、平成元年から比べると7倍以上となり、いまだに増え続けています。相談件数をそのまま虐待件数と捉えることはできませんが、虐待により乳児院に入所する幼児は3割以上、児童養護施設に入所する子どもは5割以上と、入所の理由が虐待であるケースが確実に増えています。

 

「特別養子縁組」で子どもたちにあたたかい家庭を 中編

2015年04月20日(月)

「特別養子縁組」で子どもたちにあたたかい家庭を 前編はこちらから

4月4日の「養子の日」の啓発キャンペーンの一環として、翌日の5日には、東京都千代田区の日本財団ビル・大会議室で、養親となることを希望している夫婦のための説明会が開催されました。「特別養子縁組へのはじめの一歩~あなたを必要しているいのちがある~」というタイトルで、関係機関のスタッフや養子あっせんを行っている団体から、「特別養子縁組」と、その前提となる「家庭養護」の重要性についての詳しい話が伝えられました。

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4月4日のトークショーで、女優のサヘル・ローズさんは孤児院の生活では「満足できない寂しさ」があったという話をしました。保健福祉士の矢満田篤二さんに、そのイベントの終了後に話をうかがったときに、矢満田さんはその寂しさを「えこひいきのない寂しさ」と表現しました。乳児院や児童養護施設で献身的にがんばっている職員の方たちがいることは、今回の啓発キャンペーンを推進する人々も理解しています。その上で、なぜ施設養護ではなく、家庭養護なのでしょうか。
 

 

【社会保障70年の歩み】第8回・介護「選べる福祉へ」

2015年04月14日(火)

介護保険制度の立案・設計は、政党の激しい離合(りごう)集散(しゅうさん)の渦中(かちゅう)で展開された。何しろ自民党単独政権が崩れた1993(平成5)年夏から3年余で首相は4人も交代した。

最初の詳細な提言は、94年12月、旧・厚生省委託の「高齢者介護・自立支援システム研究会」(座長・大森彌(わたる)東大教授)でまとめられた。主なポイントは、
① 高齢者自身によるサービスの選択
②介護サービスの一元化
③ケアマネジメントの導入・確立
④社会保険方式の採用
、であった。

翻訳すると、市町村が入所先の特別養護老人ホームまで決める“お仕着せの福祉”は、もうやめよう。ホームヘルパーも訪問看護師も一体でサービスを提供していこう。個々人の心身状態と生活状況に応じ、基本方針のケアプランを作成し、ケアチームで実行していこう。そして、保険料を払う見返りにサービスを受ける権利性のある「介護保険」を創設しよう、という呼びかけだ。

従来の役所的な研究会とひと味違ったのは、在野の実践者や市民運動家もメンバーに選んだこと。山口昇(みつぎ総合病院長)、岡本祐三(阪南中央病院内科医長)、橋本泰子(東京弘済園ケアセンター所長)、樋口恵子(高齢社会をよくする女性の会代表)らが加わった。この人選も新しい理念や仕組みの提唱に繋がった。もちろん、保険方式への切り換えに批判も強かった。要約すると、大幅な公費投入でサービスの質量を上げればサービスは選べる、保険料を払えない低所得層が無保険者に陥る、サービスを使うほど負担が増える保険方式の「応益型」の利用料は低所得者の利用を妨げる、措置制度を止めるのは行政責任の放棄ではないか~。


制度原案を練った旧厚生省の先進的な官僚たちは、巨額の公費が必要な北欧型の公費方式は無理と判断し、社会保険方式の枠組みの中で、デンマークの高齢者福祉・三原則を目指すべき理念とした。住み慣れた地域で自宅や自宅に近い環境で暮らせる「継続性」、自らの生き方を決める「自己決定」、経験や能力を生かす「自己資源開発」だ