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世界希少・難治性疾患の日:難病であっても幸せな自分がいる

2016年03月17日(木)

WebライターのKです。

毎年2月末日は「世界希少・難治性疾患の日(Rare Disease Day RDD)」。今年はうるう年なので先月2月29日が記念日でした。難病に関しては、原因不明で治療法が明らかになっていないという事実以外に、患者の思いが伝えられる機会はあまり多くありません。全国各地でイベントが開かれる中、東京丸の内の新丸ビルの東京会場に向かい、プログラム「患者の生の声」に耳を傾けました。

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新丸ビルの会場では、午前11時から午後9時近くまで、
講演や展示紹介など、盛りだくさんのプログラムが行われました。

 

楽しさを重視するスポーツ価値の意識改革

2016年03月15日(火)

WebライターのKです。

「スポーツの理想モデルがトップアスリートに偏り、より速く、より高く、より強くという競争原理だけが称揚されると、運動が苦手な子どもにとってスポーツが無縁なものになってしまう」と訴えるのは、筑波大学准教授で発達障害の子どもたちに運動の楽しさを教えている澤江幸則さんです。先月2月28日に、「NPO法人えじそんくらぶの会 茨城ハナミズキ」主催の講演会があると聞き、茨城県牛久市の中央生涯学習センターを訪れました。

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筑波大学体育系アダプティッド体育・スポーツ学分野准教授
澤江幸則さん


不登校の子どもをめぐる基礎情報 第8回「教育義務と就学義務」

2016年03月10日(木)

WebライターのKです。

日本の義務教育は、第2次世界大戦をまたいで、その意味が大きく変わりました。戦前は教育勅語に基づき、「国家が与えた教育を受ける臣民の義務」とされていましたが、戦後の日本国憲法では「国民が受けることのできる権利」とされています。

しかし、「権利」へと転換がはかられたのに、なぜいまでも「義務教育」という言い方をするのでしょうか。それは、子どもの教育を受ける権利を守ることが、国家や国民に義務として課せられているからです。国は学校で学びたいという子どもたちのために学校を設置する義務があり、保護者は学校で学びたいという子どもの意思を、例えば児童虐待や児童労働などによって妨げてはならないという義務があります。これらを日本では「学校に通わせる義務=就学義務」として制度化しています。

この「就学義務」の規定は大変厳格で、正当な理由がなく7日間欠席した児童生徒がいれば、学校長は市町村の教育委員会に通知しなければなりません。通知を受けた教育委員会は児童生徒の保護者に対して、出席を督促します。もし、督促されながら子どもを学校に通わせなかった場合は、保護者に対して「10万円以下の罰金」という行政罰が加えられます。それほど厳格に子どもの教育を受ける権利は保障されています。

それでは、不登校の児童生徒の場合、この教育を受ける権利については、どのように考えればいいのでしょうか。長期欠席という事実だけからすれば、教育を受ける権利が妨げられ、就学義務が履行されてないように見えますが、そうは判断されません。例えば、いじめや精神的な不安によって通学が困難なケースでは、無理に学校に通わせることが、必ずしも子どもの教育を受ける権利の保障にはつながらないからです。「就学できない不利益」よりも、「就学を強制される不利益」の方が大きいのであれば、子どもの人権の観点から不登校は就学義務を履行しない「正当な理由」と解釈されます。

 

画家・山下清の素顔について考える 後編

2016年03月07日(月)

WebライターのKです。

山下清には画家としての顔とタレントの顔とふたつがあると言われていますが、実はもうひとつ、放浪の日々を綴った『裸の大将放浪記』などの作者でもありますし、また雑誌の対談などで名言を残す文化人としての顔ももっていました。




◆山下清語録



・みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな。(『裸の大将放浪記』)

・東京の人もいなかの人も同じ人間だから、どこへ行ってもはくじょうな人としんせつな人がいる。(『裸の大将放浪記』)

・自分がうそをついて、よその人が本気になってむちゅうになって話を聞いてむすびをくれるので、自分のうそがうまいぐあいにいったと思っておかしくなってしまいました。(『裸の大将放浪記』)

・自分がいい所へ行こう行こうと思うと、少しもいい所へ行かれない。いい所へ行こうとしなければ、しぜんにいい所へぶつかる。いい所へ行こうとするから、いい所へぶつからないんだろう。(『裸の大将放浪記』)

・日本は世界で一番強いとか、日本人は心が正しいと言って、日本がうそを言うのは、自分達が住んでいる国だから、自分達が住んで居る所をゆかいにして、気持ちよくほがらかにするために日本のいい事をいっているのだろうと思います。(『裸の大将放浪記』)

・日本人は日本だましいがあるから戦争勝つと言うのはうそだ。日本人もアメリカ人も同じ人間だから、両方ともたましいがあるから、心は同じだから、戦争の道具のいいのを持っている国にはかなわない。(『裸の大将放浪記』)

・ぼくは新聞はめったにみないが、ときどきよむとみんな本当のことばかりではないような気がするので、嘘と本当はどのくらいのわりあいに世のなかにあるものだか、わからなくなる。大ぜいが本当だといえば、嘘でも本当になるかもわからないので、世のなかのことは、ぼくにはよくわからないのです(『日本ぶらりぶらり』)

・ぼくは動物園がすきなので、もっとここにいたかったのに、まだいくところがあるからはやくいこうといわれて、自分のみていたいものは人がおもしろくなく、人のおもしろいところはぼくにはちっともおもしろくないので、人はすきずきで、自分のすきなものだけみてあるくには、ひとりで放浪するのがいちばんいい。(『ヨーロッパぶらりぶらり』)

・北海道と本州と四国と九州だけじゃ、いくら東条さんでも、アメリカと戦争しようと思わかなかっただろうな。明治になってから日本はよその国と戦争するようになった。明治になってから台湾をとったり、朝鮮をとったり、カラフトをとったり、満州をとって日本はうんと強くなった。シナも少しとったかな。・・・・日本の国がうんと広くなったから、アメリカと戦争しても大丈夫だろうと思ったんだね。(『徳川無声の問答有用』)

・えらいからって何でもできるとはきまらないんだな。ぼくたちでも、ふつうのひとがかける絵でも、かけないときがある。天皇陛下でもさ、ふつうのひとのマネできないことがたくさんあるでしょう。上だからといって、なんでもできるとは、きまってないんだな。(『徳川無声の問答有用』)

・人間は自分のことはわからないんだな。・・・・ひとの絵を見るとうまいと思うけど、自分の絵は、うまいっていわれたって、どのくらいの程度かわからない。(『徳川無声の問答有用』)

・他の仕事をやったら、他人に笑われるばっかりの僕だが、絵のことなら笑われない。・・・・僕は絵の学校に行ったわけでもないし、絵の理論というようなことも解らない。ゴッホとピカソの他には、絵かきの名前も知らない。展覧会も見たことがない。それでも、僕の絵をおもしろいといって下さる人がいて、僕の絵を買ってくれる人がある。・・・・いままでは好きだから描いていたのだが、これからは、どんなに苦しいことがあっても、がまんして描いて行きたいと思ってます。(「芸術新潮」1955年9月号「初めて絵を売る」)




▼関連ブログ《Connect-“多様性”の現場から》
 
画家・山下清の素顔について考える 前編
 画家・山下清の素顔について考える 中編
 障害者が切り開くアートの世界

画家・山下清の素顔について考える 中編

2016年03月07日(月)

WebライターのKです。

山下清は関東大震災の前年の1922年に浅草で生まれました。1937年、15歳のときの「特異児童作品展」で注目を集め、その後安井曾太郎や梅原龍三郎などの画壇の巨匠に絶賛され、「日本のゴッホ」と称されました。そして第2次世界大戦を経て、1950年代後半には、新たな山下清ブームがやってきて、全国のデパートで展覧会が開かれ、延べ500万人近くが押し寄せました。映画「裸の大将」は大ヒットし、自身が描いた『裸の大将放浪記』もベストセラーとなり、昼のテレビのワイドショー番組のレギュラーにもなりました。そうして絵の才能だけではなく、山下清の言動のユニークさが取りざたされるようになりました。1971年、49歳の若さで亡くなった山下清は、日本中にそのキャラクターを定着させたテレビドラマ「裸の大将放浪記」を見ることはありませんでした。


yamashita002_R.JPG山下浩さんは素顔の山下清を知ってほしいと願っています。

 

ライターK : 日々の暮らしはどんなふうだったのですか。


山下浩 : 
家族と本当にふつうに暮らしていたのです。毎日のように絵を描いていて、暇なときは、私たち子どもと将棋やったり、トランプやったり、プラモデル作ったりして遊んでいました。いたずら好きで、周りの人を笑わせるのも好きでした。

画家・山下清の素顔について考える 前編

2016年03月07日(月)

WebライターのKです。

3月10日は放浪の天才画家・山下清の誕生日です。最近とみに評価の高くなった障害者アートの先駆者として山下清を紹介できないかと考え、山下清の作品を管理されている甥の山下浩さんに連絡をとりました。すると、「山下清の絵は障害者アートではありませんので、再考いただきたい」というメールが寄せられました。そして「山下清は障害者なのですか。本人も家族もそうは思っていませんよ」という問いかけもいただきました。

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山下清に関しては、美術だけではなく、心理学や精神医学など、
さまざまな分野の書籍が出版されています。

 

世界ダウン症の日:生まれてきたわけを芝居で訴える

2016年03月03日(木)

WebライターのKです。

今月の21日は国連が定める国際デーのひとつである「世界ダウン症の日」。21番目の染色体が3本あるというダウン症の特徴にちなんで3月21日をその日に制定しました。 

毎年、当日および事前に各地でさまざまなイベントが開催されます。今年そのひとつとして3月5日に横浜市で予定されているのがスペシャルイベント「21番目の素敵な出逢い」です。歌あり、演奏あり、芝居あり、トークありの盛りだくさんの内容で、ダウン症の子どもたちとご家族が準備を進めています。そのお芝居の本番直前のリハーサル会場にお邪魔しました。



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出演者の子どもたち。左端の女性は主催者の内海智子さん。
奥の笑顔の男性は演出の中山祐一朗さん。



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スペシャルイベント「21番目の素敵な出逢い」は、
横浜市で行われる「YOKOHAMA21Sun」インクルージョンフェスの一環として開催されます。

命に線引きする時代を考える 後編

2016年02月18日(木)

WebライターKです。

びわこ学園とは、1963年に設立された重症心身障害児者施設です。医療法に基づく病院であるとともに、重度の肢体不自由と知的障害が重複する障害児のための児童福祉施設であり、かつ障害者総合支援法に基づく成人のための療養介護事業所でもあります。児童が成人になってもそのまま継続して入所を続けることができる特別な医療福祉施設です。

創設者である糸賀一雄の「この子らを世の光に」という言葉は、びわこ学園の理念にとどまらず、日本の重症児福祉の原点を示すものとして知られています。「障害のある子どもたちに光を与えるのではなく、社会が彼らから光を受け取る」という言葉は、あらゆる命あるものへの敬意を求めるものです。



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びわこ学園医療福祉センター草津。隣接して見えるのは県立草津養護学校。

命に線引きする時代を考える 中編

2016年02月18日(木)

WebライターのKです。

日本の重症心身障害児者の数は年々増加し、現在約4万3000人と推計されています。施設から地域へという現在の障害者福祉の流れの中で、施設が人数の増加に見合うように増設されることは少なく、現在約2万4000人が在宅生活を送っています。

びわこ学園法人事務局の松本哲さんは、「医療の高度化によって重症児者の数は年々増えていますが、既存の施設はそれまでの入所者が高齢化し、新たに受け入れる余地はないのが現状です」と話します。滋賀県では施設やグループホームへの入所待ちは80~90人に及び、超重度であっても入所できない人は、自宅で医療的ケアを受けながら通所施設を利用するか、他県の受け入れ余地のある施設に入所していると言います。


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びわこ学園法人事務局・松本哲さん

 

不登校の子どもをめぐる基礎情報 第7回「不登校とひきこもりの差異」

2016年02月16日(火)

「不登校」と「ひきこもり」とは別の概念ですが、不登校からひきこもりへと移行するケースもあることから、並置されて論じられることが多く、しばしば同じイメージで語られます。しかし、不登校の子どもの多くは毎日学校に行くことが難しいだけで、ひきこもりのように外部との接触を絶ち、社会生活に支障が出るようなケースとは異なります。


不登校の定義
対象:児童期や思春期の子ども

何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しない、
あるいはしたくともできない状況にあるため年間30日以上欠席した者のうち、
病気や経済的な理由による者を除いたもの(文部科学省)。

 

ひきこもりの定義
対象:15歳以上の年齢層

自宅にひきこもって学校や会社に行かず、家族以外との親密な対人関係がない状態が
6か月以上続いており、統合失調症やうつ病などの精神障害が第一の原因とは考えにくいもの(厚生労働省)