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「知のバリアフリー」で学びを拡げる!

2015年01月26日(月)

WebライターのKです。

今年の大学入試センター試験は1月17日、18日の土日に行われました。志願者数は全国で約56万人。その中で、受験上の配慮を必要とする障害のある学生は1675人でした。この10年間で大学に進学する障害のある学生は倍増し、全国の大学の在籍者は1万3千人を超えていますが、その比率は全大学生数の約0.4%です。人口の6%あまりが障害者であることを考えれば、大学キャンパスの障害のある学生の比率は決して高いとは言えません。
 
しかし、数少ない障害のある学生の中には後に研究者となる優秀な人たちがいます。国立民族学博物館准教授の広瀬浩二郎さんもその一人です。広瀬さんは、幼い頃から視覚に障害があり、中学生の時に完全に視力を失いました。筑波大学附属盲学校(現・視覚特別支援学校)を経て、京都大学に入学し、卒業後は盲人の文化や歴史について研究するとともに、その成果を発信し続けてきました。

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国立民族学博物館准教授・広瀬浩二郎さん


広瀬さんは、数年前から仲間の研究者とともに「障害者の考え方や文化が既存の学問の変革に役立つ」として、障害者の視点を組み入れた新たな学問の必要性を訴えてきました。そのキーワードが「知のバリアフリー」です。
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昨年末、広瀬さんたちは、母校である京都大学の協力を得て「京都大学バリアフリーシンポジウム」の内容をまとめた『知のバリアフリー』という書籍を出版しました。

「知のバリアフリー」とは、障害のある学生のバリアを除去する修学支援にとどまらず、障害のある者と障害のない者が、相互交流を通じて新しい価値観や文化を作り上げようというものです。「物理的なバリアフリー」や「心のバリアフリー」は障害者の人権に配慮するための考え方ですが、「知のバリアフリー」は障害者のためだけではなく、社会全体を活性化するものです。「知のバリアフリー」によって広がるのは、障害者の世界ではなく、むしろ障害のない人々の世界だと、広瀬さんは語ります。


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書籍『知のバリアフリー』。表紙に点字を配し、触地図というさわるための点図の挿絵を設けたユニークなものです。


広瀬さんが、「知のバリアフリー」の実践として行っているのは、“さわる文化”を紹介するための展示会やワークショップです。国立民族学博物館では、彫刻、民族楽器、仮面、生活道具などの収蔵品の一部を自由にさわってもらうコーナーを設けています。博物館の展示物をただ眺めて終わりにするのと、手に取って硬さや重さ、形や凹凸を体験するのとでは、記憶の残り方が全然違うと言います。

「“さわる”というのは能動的な行為です。身体を使って外界を探り当てる行為です。触れるリアリティは、見るリアリティをしのいでいると思います。さらに言えば、触角は全身にあります。私たちは手のひらだけで事物に触れているのではありません。私は“世界にさわる”とか、“風景にさわる”という言い方をしますが、物音の振動、空気の流れ、太陽の温もりにも、私は触れています。そういう全身で事物と対話する楽しさや奥深さを、視覚中心で生きている人にも知ってほしいと思うのです」


五感をもっていても、私たちは決してその感覚をフルには活用していません。障害のある人の方が、限られた感覚を大切にしながら世界と真摯に向き合っている。広瀬さんの話を聞いて、そう感じました。障害者はすごい!と言ってしまいそうですが、広瀬さんは、そのような安易な障害者礼賛には苦言を呈します。
「最近、障害者には特殊な感覚や能力があるとする考え方が一部で流行っていますが、私はそのような発想には違和感をもっています。障害者が育て上げた感覚や能力は、実は誰だって本来もっているものなのです。だからこそ、障害のない人にも理解してもらえると思うし、文化として社会全体に刺激を与えることができるのだと思うのです。礼賛は新たなバリアを作ってしまうものではないでしょうか。知のバリアフリーの目的は交流です。隔てられたバリアを取っ払って、世界観を共有してもらうことなのです」

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今回、広瀬さんとは、ご実家のある東京の荻窪でお会いしました。町を移動するときに広瀬さんは、他の視覚障害者の方と同様に私の肘を持ちながら歩いておられました。そのことで、ただ並んで歩くのと違って、広瀬さんとの距離がとても近くなったように感じました。ささやかですが、触れることの豊かさを実感させていただく体験でした。

コメント

「知りたい」ことがあるというのは、ヒトを人間たらしめる最低限の定義だと思います。

投稿:ウッキー 2015年01月27日(火曜日) 18時08分