【社会保障70年の歩み】第2回・生活保護「1年パンツ1枚」
2015年01月06日(火)
- 投稿者:web担当
- カテゴリ:シリーズ 戦後70年
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「貧しさ」とは、どんな状態なのか。個々人の判断ではなく、社会的かつ客観的に「貧困」の概念と実態を明確にするのは難しい。
そのための「社会調査」が19世紀末の英国で始まった。
海運業者で「産業界の船長」を自認するチャールズ・ブースは、首都ロンドンで1886年から大規模な「貧困調査」に取り組んだ。健康と命を保てる賃金(当時週給21シリング)を「貧困線」として、それ以下の労働者が全住民の実に3割強に達することを突き止めた。
同時に、原因の大半は失業、不規則労働、低賃金等の「雇用の問題」や病気、多子、不潔な住居等の「環境の問題」であることを解明した。飲酒や浪費の「習慣の問題」はごく少数派に過ぎなかった。
次いで、後に製菓業の経営者となるシーボーム・ラウントリーが1899年からヨーク市で、貧困予備群にあたる「第2次貧困線」も設定し、より詳細に貧困実態を掘り起こした。いずれも、これ以下では生命の危機を引き起こす「絶対的貧困」による線引きであった。
第2次世界大戦での敗戦後、日本が直面したのは失業・食料不足・住宅難・悪性インフレーションの三重、四重苦で、まさに「絶対的な貧困」が列島をおおった。
1946(昭和21)年、急きょ旧・生活保護法が制定された。それまでは1929(昭和4)年制定の「救護法(きゅうごほう)」で、ごく一部の貧民を救済した程度であった。やっと本格的な救貧制度の導入だったが、保護を拒否された際や保護内容に不満がある場合の「不服申し立て権」が明記されない等の欠点があった。
1950(昭和25)年全面改正の新・生活保護法が成立した。「4原理」と「4原則」を柱にする現在の生活保護法のスタートだ。
4原理とは、国家の責任で、思想・宗教等に関係なく、困窮の理由も問わず、最低生活を保障する、ただし、最低限度の生活維持に不足する分を補うこと(図1)。
4原則は「申請保護」(緊急時を除いて申請を条件に)「基準及び程度」(年齢・家族構成・居住地等に応じ)「必要即応」(個別のニーズに応じ)「世帯単位」で実施される。
翌51年度で被保護者は204.7万人、総人口に占める保護率2.42%。もちろん困窮者の一部でしかなかった。ちなみに敗戦時の1945年度で救護法による救護者はわずか9.3万人、ただし、軍人の遺族対象の軍事扶助は298万人(引用・日本社会事業大学救貧制度研究会編「日本の救貧制度」)。
図1:生活保護制度の基本原理と原則
ようやく一般国民への救済が始まったが、被保護者に必要な生活費を定める「生活保護基準」に当時の考え方がうかがえる。
まず「マーケットバスケット方式」が採用された(1948~60年度)。バスケット(買い物カゴ)を持ってマーケット(市場)へ出かけ、最低限度の生活必需品をそろえる。そんな発想と方法で援助額を決めた。半世紀前、あのラウントリーが用いた手法である。
次いで、もっと科学的な「エンゲル係数方式」に切り換えられた(1961~64年度)。家計費に占める飲食費の割合等を基準に最低限度の援助額を割り出した。収入が少ないほど飲食費の比率は高く、1960年度でもエンゲル係数は全国平均38.8%、都市労働者の最低層は約49%つまり収入の半分は食べるために使う窮状だった(ちなみに最新の2014年度は23.5%)。
両方式とも「絶対的な貧困」概念で最低生活を支える内容に変わりはなかった。
新憲法には「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(25条)とある。この「健康で文化的」をめぐる争いの代表例が「朝日訴訟」だ。
原告(朝日茂)は結核で国立岡山療養所に生活保護を受けながら入院中、実兄からの仕送りが始まったのを理由に月額600円の日用品費支給まで停止された。しかし、日用品費等は「余りにも低額で憲法と生活保護法に反する」と訴えた。
当時の日用品費600円の内訳は、2年間で肌着1枚、1年間でパンツ1枚、タオル2枚、下駄(げた)1足、湯飲み1個などとある。この訴えが「人間裁判」と呼ばれたのも無理はない。
朝日訴訟
第一審は原告勝訴(1960年・東京地裁)、第二審は敗訴(63年・東京高裁)、上告中に朝日氏死去、最高裁は養子夫妻の訴訟継続を認めず実質的に敗訴(67年)。最高裁は傍論(ぼうろん)で、憲法25条は「国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与(ふよ)したものではない」との見解を示した。
憲法25条は、政治的・道義的な目標と指針を示す「プログラム規定」であるのか、条文通り国民がその「権利を有する」のか。生活保護を初め社会保障全般で国・自治体と国民・市民との間で、さまざまな対立、訴訟が相次ぎ、今もなお続く論争である。
執筆:宮武 剛
元新聞記者。
30年以上福祉の現場を歩きまわって取材を続けているジャーナリスト。
社会保障、高齢者福祉の専門家。
連載【社会保障70年の歩み】
第3回生活保護「水と番茶の違い」へ続く。
コメント
生活保護の不正受給の問題もあれば,東日本大地震の影響で今も仮設の住居での生活をしている人がいること,健康で文化的な最低限度の生活を営むということを考えるべきだと感じました。
投稿:いとう 2015年05月06日(水曜日) 16時21分
生活保護における保護費の問題は、今尚、続く問題ですね。
知人に話を聞いたところ「銭湯の入浴券は出せないから、お風呂付きのアパートを借りてください」と言われたそうです。しかし、実際にもらえる住宅扶助では、なかなか、お風呂付きのアパートは見つからないそうです。
本当に、難しい問題です。
投稿:竹内(通りすがりの学生) 2015年01月26日(月曜日) 17時22分
憲法第25条生存権。憲法は、国を守るための「骨格」で、法律が「血・肉」になるのでしょうか。
国民を守るために憲法は考えられていると解釈していましたが、国全体が貧困状態であると、政策が追い付いていかない状態であったのかなと思いました。
日本国内での訴訟問題は、まだまだ続いていると思いますが、早急に、和解、解決してほしいと思いました。
投稿:yoppy karayan 2015年01月19日(月曜日) 16時30分