本文へジャンプ

「不器用な子どもたち」に理解と支援を

2015年08月18日(火)

WebライターのKです。

 

「ボールをキャッチできない」「靴の紐が結べない」「字が汚い」「スプーンやフォークが使えない」「階段の上り下りが苦手」

 

小学校の頃に、クラスに何をやらせても「不器用」で「ぎこちない感じのする」子どもっていませんでしたか。過保護な育て方や運動不足が原因と思われがちですが、実は、そのような中に、発達性協調運動障害(DCD: Developmental Coordination Disorder)の子どもがいることが、現在発達行動小児科学の専門家らによって指摘されています。

 

20150817_DCD04_R.JPG

 

兵庫県リハビリテーション中央病院「子どもの睡眠と発達医療センター」の小児科医である中井昭夫副センター長は、国内外で、発達性協調運動障害に関する共同研究を進めるとともに、その理解と支援を広げるために、学会活動や講演などを通じて啓発を行っています。
 


20150817_DCD1_R.JPG中井昭夫さんは、子どもの睡眠障害と発達障害の密接な関係についても新しい提言を行っています。

【社会保障70年の歩み】エピローグ「ウサギとカメ」

2015年08月17日(月)

「イソップ物語」に「ウサギとカメ」の競争の話がある。ウサギは途中で居眠りをして、その間にカメは懸命に歩いて勝利する。
「油断大敵」の教訓だが、現実にはカメが勝てるわけもない。
しかし、「陸上ではなく、水上ならどうでしょうか」と言われて、目から鱗(うろこ)の思いになった。
 

そう教えてくれたのは近藤原理(げんり)さんで、1970年代の初め、地方勤務の記者時代に知り会った。長崎県北松浦郡佐々町の自宅で知的障害者10人前後と一緒に暮らす当時は障害児学級担当の小学校教諭だった。カメにも似た障害者らの暮らしと自立を支え、能力や個性を生かす環境・条件が余りにも乏しい現実への告発だった。
原理さんは、炭鉱の閉山で寂れた丘陵地に建つ自宅を「なずな園」と名付けた。「よく見ればなずな花咲く垣根かな」(芭蕉)。その、ひっそり咲く白い小さな花にちなむ。
養護学校を卒業後、行き場がない主に青年たちを預かった。親からの仕送りはわずかで、規格外の共同生活には行政の補助もない。米、麦、サツマ芋、野菜、茶と、山の頂上まで耕した。豚や鶏を飼い、柿、梅、栗、ミカンの木も植えた。簡単な作業のできる園生は近くの町工場へ働きに出た。牧歌的にも見えるが、妻の美佐子さんを始め親族総動員の24時間格闘の日々だった。
「何か自分でできることをして、お互いに認め合い生きていく」。
一切の寄付を断り、自立し、地域に溶け込むために、園生たちは幼稚園の草むしりにも出かけた。
園生たちの表情は明るく、「水を得たカメさん」とは、このことか、と納得した。

 

20150818_miyatake001.jpg

20150818_miyatake002.jpgETV8「ともに生きるために -3つの障害者福祉施設からの報告-」(1989年12月放送)より

【社会保障70年の歩み】第13回・子育て支援 「スターティング・ストロング」

2015年08月13日(木)

古いことわざに、こうある。
「総領(そうりょう)の15は貧乏の峠末子の15は栄華の峠」。長男や長女が15歳の頃、弟や妹は幼く、親は峠越えのように苦労する。末っ子が15歳になると、子育ても峠を越えて楽に歩める。
子どもの養育費・教育費が家計を圧迫するのは今も変わりはない。現在は、高校や大学在学時の16~22歳が長い峠である。

社会保障制度は、社会保険を軸に公的扶助(生活保護)や社会福祉(社会的弱者施策等)で補完され、さらに養育費を補う「家族手当」(社会手当)が加えられた。世界的には1926(昭和元)年、ニュージーランドで初めて創設され、先進国へ広まった。

 

「ネット型非行」を防止するサイバーパトロール

2015年08月04日(火)

WebライターのKです。

先月7月は「青少年の非行・被害防止全国強調月間」でした。内閣府によれば、刑法犯少年の検挙人員は11年連続で減少しているものの、その一方で青少年がインターネット利用にかかわる非行に陥ったり、犯罪に巻き込まれたりする事例が頻発していると言います。

「この2、3年で、中学生は6割近く、高校生は9割以上がスマートフォンを所持するようになりました。無料のグループ通話が可能になり、画像や動画をたやすくアップできるようになって、“ネット型非行”が広がっています」と語るのは、千葉県の「柏市少年補導センター」所長の宮武孝之さんです。


20150804_kinoshita001_R.JPG柏市少年補導センター所長の宮武孝之さん。柏市内の中学校の教頭を経て、現職に。最近「ネット型非行」に関しての講演を依頼されることが増えてきました。

【社会保障70年の歩み】第12回・労災保険「過労死もサリン事件も」

2015年07月28日(火)

明治期、「工場法」の立案者は、職工を「生産用具の一種と見なすべきもの」と説明したほど労働者の扱いは機械以下であった。1931(昭和6)年、やっと成立した「労働者災害扶助法」等も適用範囲は狭く、補償は薄く、近代的な労働者保護にはほど遠かった。
他の労働法制と同様に1946(昭和21)年公布の「日本国憲法」に「労働者の権利と保護」(第27条)が明記され、長く暗い時代からの脱出が始まった。
 

1947(昭和22)年、「労働基準法」の制定で災害補償が義務付けられ、その実行のため「労働者災害補償保険法」も同時に制定された。名称に「補償」とあるのが、この保険の独自性を示す。それは使用者側に何らの過失が無くとも責任を課す「無過失賠償責任」の理念が根底にあるからだ。
さまざまな業務上の事故や病気が発生するが、その個別の事業主の賠償責任を国家規模の保険システムに仕上げた。パートタイマーやアルバイトを1人雇えば事業主は労災保険に加入の義務がある。不法滞在の外国人を雇っても事故が起きた際には事業主は責任を負う。事業主は保険料を全額負担し、被用者(勤め人)の負担はない。つまり国家による社会保障制度の一環になった(公務員は独自の災害補償法を持ち、民間被用者対象)。
労災事故の認定は①業務遂行性(仕事を進めるうえでの事故)②業務起因性(仕事が原因で起きた事故)の二つの条件を満たすこと。建設現場などで起きる転落事故は、この二つの条件に当てはまるが、私的なトラブルでもみあい落ちて業務起因性が認められないケースもある。もっと難しいのは後述する「過労死」「過労自殺」の認定である。
労災事故に認定されると、治療面はもちろん、障害が残っても大きな支えになる。事故の対象範囲、補償の水準、その方法などは各種の職業病の発生や被災者の運動を軸に繰り返し議論され、ゆっくりだが改善・改良されてきた。
 

カーレースの夢とともに車いすを生きる 後編

2015年07月28日(火)

「カーレースの夢とともに車いすを生きる 前編」はこちらをクリック。

WebライターのKです。

 

20150723_nagaya2_1_R.JPG

銀座の老舗百貨店に出店しているショップにて。


長屋さんの生きがいとしてのレースは続いていますが、残念ながらプロレーサーの道は絶たれてしまいました。現在長屋さんは車いすユーザーのためのファッションデザイナーという新たな道を歩んでいます。おしゃれな服を見栄えを変えずに、着やすい服にしたいという車いすユーザーの希望をかなえるのが仕事です。
 

20150723_nagaya2_2_R.JPG

長屋さんがはいているジーンズは会社の商品。見た目は市販のジーンズと変わりませんが、お尻の部分だけがデニム地とは異なる、柔らかい一枚布の生地に変えられています。

 

車いすユーザーにとって何よりも恐ろしいのは褥瘡(じょくそう)です。長時間お尻や背中などに圧力がかかると、その部分の血流が悪くなり、酸素や栄養不足から、赤く変色したり、傷ができたり、最悪の場合は壊死が起こることもあります。そのために、車いすユーザーは、たとえ見栄えが悪くても、坐骨部に負担のかからないやわらかな素材の服や圧力が集中するボタンやポケット、縫い代やミシン糸のジグザグなどの装飾のない服を選びます。

 

カーレースの夢とともに車いすを生きる 前編

2015年07月24日(金)

WebライターのKです。

 

20150723_nagaya1_R.JPG

 

車いすユーザーのためのファッションを手掛ける長屋宏和さん(35)が、車いす生活になったのは2002年、23歳のときでした。カーレーサーとして鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリ前座レースに臨んだ長屋さんは、将来F1ドライバーとなることを期待される若きドライバーでした。しかし、乗っていたマシンが宙に浮いて数回転し、周囲のタイヤバリアーを飛び越えるほどの大クラッシュ。頚椎損傷により四肢麻痺の重度障害者となってしまいました。
「レース事故はよくありますが、レーサーが大きな障害を負うことって意外と少ないのです。骨折ぐらいのけがですむか、命を亡くすかのどちらかで、まさか自分がその数少ないケースになるとは」

 

20150723_nagaya4_R.JPG

2002年、ホンダの若手ドライバー育成プロジェクト「フォーミュラー3」に参戦したときの雄姿。

 

【変わる障害者雇用】第8回 治療と職業生活の両立で改善する精神障害 後編

2015年07月23日(木)

WebライターのKです。

 

後編では、桜ヶ丘記念病院で実施されているIPSプログラムによる支援を受けて、リカバリーの体現者となった患者さんたちをご紹介します。お二人とも「精神障害者でも立派に働くことができること」を社会に示したいという希望をもっています。

 

20150723sakura3face.JPG

 

中村孝さんは現在62歳。桜ヶ丘記念病院に入院したのは32歳の時で、統合失調症と診断されました。それまでの職業はコンピュータのシステムエンジニア。大手電機メーカーの研究所に勤めていました。
発病当時は、自分のことを誰かが話しているという幻聴、理由もないのに誰かが後をついてくるという追跡妄想、仕事の邪魔をされているという被害妄想など多様な症状がありました。

 

【変わる障害者雇用】第8回 治療と職業生活の両立で改善する精神障害 前編

2015年07月23日(木)

WebライターのKです。

 

国は2004年から精神障害者を病院から地域へという、地域移行を進めることで、症状が軽快した患者が長期にわたって入院を続ける社会的入院の是正を求めてきました。しかし、精神障害者が地域へ戻っても雇用が確保されなければ、生活の安定を得ることはできません。厚生労働省は2006年に精神障害者を企業の障害者雇用率に算定できるように法改正し、精神障害者の採用件数は、2004年度の3592人から、2014年度の34583人と、10年間で10倍近くまで増えました。
さらに2013年に公布された障害者雇用促進法の改定により、2018年から事業主に対して精神障害者の雇用が義務化されることになりました。現在3年後をにらんで、精神障害者の雇用を検討する企業が増えてきています。

 

20150722sakura1face.JPG

 

「精神障害者の雇用を促進する上で重要なキーワードは“リカバリー”です」。そう語るのは、東京都多摩市の桜ヶ丘記念病院の精神保健福祉士の中原さとみさん。
「リカバリー(recovery)」という英単語は、“回復”を意味しますが、桜ヶ丘記念病院で実施するプログラムでは、病状の回復だけではなく、地域で暮らすこと、ふつうの社会生活を送ること、仕事に復帰すること、人間関係を再生すること、すなわち「人としての尊厳や未来への希望を取り戻す」ことすべてを意味します。
従来の精神障害者の“回復”は、長期間の治療の後に薬の服用がなくなること、入院や通院がなくなることなどを意味していましたが、現在は治療と並行して、社会生活や職業生活も継続し、充実した人生を送る「リカバリー」を“回復”とする考え方が精神医療の現場で広がってきています。

 

世界では急激な人口増加が続いています。7月11日は「世界人口デー」

2015年07月10日(金)

ハートネットTVです。

7月11日は「世界人口デー」。1987年7月11日に世界の人口が50億人に達したことから、1989年、国連が人口問題の緊急性と重要性への関心を高めるために制定した記念日です。現在、世界の人口は73億人。2050年までには90億人を超えると予想され、急激な人口増加は続いています。地球の人口は一体どれだけ増え続けるのか、いつになったら止まるのか、毎年発表される数値にどうしても関心は向かいがちですが、国連人口基金(UNFPA)は人口問題を「単なる数の問題ではなく、人間の尊厳の問題としてとらえる」ことの大切さを訴えています。
 

20150708worldpopulationday.jpg

ネパール大地震後、国連人口基金の支援を受ける女性たちⓒUNFPA Nepal。国連人口基金は、世界中で緊急時の支援に関わり、女性と少女の尊厳を守り、安全を保障し、そして性と生殖に関する健康・権利を促進することを通じて、彼女たちのニーズに応えています。