【社会保障70年の歩み】プロローグ「首相への挑発状」
2014年12月31日(水)
- 投稿者:web担当
- カテゴリ:シリーズ 戦後70年
- コメント(7)
第2次世界大戦における日本人将兵や市民らの死亡者・行方不明者は、広島、長崎での被曝を含め300万人以上に上り、空襲等での罹災者(りさいしゃ)は1000万人を超えた。
「戦争を知らない世代」が大半を占める今、この悲惨さを肌身で感じるのは難しい。だが、「東日本大震災」の犠牲者約2万人の、実に150倍を超える墓標(ぼひょう)に思いを馳(は)せると、戦争という破壊のすさまじさに、少しは実感がわくのではないか。しかも、天災ではなく、究極の人災である。戦後、日本人の大半は親族・知人を失い、焼け跡にたたずみ、飢餓におびえ、どん底から再出発を期すほかなかった。
この大戦で、英国政府はドイツを「戦争国家」(WarfareState)と呼び、自分たちは「福祉国家」(WelfareState)と名乗った。戦争に人も金も物も投入する敵国に対し、国民とその生活を大事にする姿勢を示した。
ドイツの攻勢にあえぐ1942年、英国政府が経済学者ウイリアム・ベバリッジに託した「報告書」が公表された。人類を脅かす「5つの巨悪」(貧困・病気・失業・無知・不潔)に打ち勝つため「公助」(公的扶助)や「共助」(社会保険)を整え、教育の拡充で無知を防ぎ、都市計画により不潔な環境を一掃する提案であった。過酷な戦いの最中に「福祉国家」の創設を約束する「ベバリッジ報告」は、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」に匹敵するベストセラーになった。ただし、ベバリッジを引き立てた当時の首相ウインストン・チャーチルでさえ社会主義的政策に反発し、その提案が実るのは労働党政権登場の1940年代半ば以降になる。
ドイツ、イタリアと同盟をむすんだ日本もまた、軍部が権力を一手に握る「戦争国家」であった。無謀極まる戦いが国家と社会を壊滅に陥れた。いったい、何を基軸に、どう立て直しを図ろうとしたのか。
解答は、やはり1946(昭和21)年11月の「憲法」公布にある。「国民主権」「戦争放棄」(平和主義)「基本的人権」を主柱とする理念と規範が「福祉国家」への道筋を教え、切り拓いたのだ。もちろん法文と現実の落差は余りにも大きかった。配給制の米の遅配・欠配が相次ぎ、法外な高値のヤミ米が横行した。配給米のみで耐えた裁判官や高校教員が栄養失調で死亡する例さえあった。その殺伐たる1950(昭和25)年10月、首相の諮問機関「社会保障制度審議会」は初の勧告を吉田茂首相に提出した。
「序説」は、こう言う。
「敗戦の日本は平和と民主主義を看板として立ち上がろうとしているけれども、その前提としての国民の生活はそれに適すべくあまりにも窮乏であり、そのため多数の国民にとっては、この看板さえ見え難く、いわんやそれに向かって歩むことなどは、とてもできそうではないのである。問題は、いかにして彼らに最低の生活を与えるかである。いわゆる人権の尊重も、いわゆるデモクラシーも、この前提がなくては紙の上の空語(そらごと)でしかない」
「国によっては、『ゆりかごより墓場まで』すべての生活部面が、この(社会保障)制度によって保障されているとさえいわれる(中略)。要するに貧と病とは是非とも克服されなければならぬが、国民は明らかにその対策を持ち得るのだ」
さらに、こう結ぶ。
「お前のことばは大言(たいげん)にすぎるというであろう。そうだ。それは私も知っている。実のところ、私は一応かくいうことによって、読者諸君の好奇心をそそりたいのである。そして諸君の批判を挑発したいのである」
前年に発足した社会保障制度審議会を率いたのは経済学者の大内兵衛(ひょうえ)だった。会長として委員40数人との論議の末、深い危機感と烈々(れつれつ)たる気概を込め、宰相・吉田茂を名指しで挑発した。勧告本文は、憲法25条(最低生活の保障)を根拠に、「ベバリッジ報告」をモデルとして社会保険、国家扶助、公衆衛生・医療、社会福祉の改革策を打ち出している。
経済学者・大内兵衛(ひょうえ)
同年制定の新・生活保護法とあいまって、社会保障の70年は、ここから実質的に始まるのだろう。それは戦後70年の国家と社会の歩みに、時に寄り添い、時に衝突し合う物語である。
連載【社会保障70年の歩み】
第2回・生活保護「1年パンツ1枚」へ続く
執筆:宮武 剛
元新聞記者。
30年以上福祉の現場を歩きまわって取材を続けているジャーナリスト。
社会保障、高齢者福祉の専門家。
コメント
今の時代だと,報告書と名の付くものが,小説に匹敵するほどのベストセラーになることはないだろうと思います。人々の戦後に社会に対する期待というものの大きさが伝わりました。
投稿:いとう 2015年05月06日(水曜日) 16時13分
戦争を知らない世代としては、幼い頃は、なぜ戦争をしたのか理解できませんでした。
この平和な現代を作ったのは戦争の経験があったからこそだとなんとなくわかってきた最近は、戦争前に注目してきましたが、それからの立ち直りが今の社会を作っていることを痛感し、興味が湧く機会となりました。
投稿:むらた 2015年04月09日(木曜日) 20時42分
自分も戦争を知らない世代の一人として、戦後日本の社会がどのように貧困と戦い、はい上がってきたのかを勉強するよいきっかけとなりました。今後の掲載も楽しみにしています。
投稿:niseko 2015年03月10日(火曜日) 18時37分
>山本さま
感想ありがとうございます!
こちらは、WEB独自連載となっており、宮武剛さんに1カ月に2本くらいのペースで執筆をお願いしており、現在は第2回まで掲載しております。
引き続き、感想などお待ちしております。お楽しみに!
投稿:番組スタッフ 2015年01月17日(土曜日) 18時38分
【社会保障70年の歩み】プロローグ「首相への挑発状」
の再放送を希望します。
また、このシリーズの今後にも注目しております。
投稿:山本 2015年01月17日(土曜日) 17時55分
戦争が終わり、日本は貧困のどん底に落とされました。「何のための戦争」であったのでしょうか。
社会保障制度は、国民救済のために取り入れられたことはとても画期的な政策であると考えます。
しかし、吉田内閣首相は、一般人の困窮にまで目が行っていなかった現状を考えますと、悲しくなりました。
この先のお話がとっても楽しみになりました。
色々と考えさせていただきたいと思います。
投稿:yoppy karayan 2015年01月16日(金曜日) 18時21分
平和や民主主義よりも前に、国民の生活が成り立っていない時代というのは、戦後世代の私には想像する他ありませんが、そのような時代に生まれてきた社会福祉の歴史を知ることは、これからを考える上で大切なことだと感じました。
投稿:あゆみ 2015年01月05日(月曜日) 12時12分