文研ブログ

おススメの1本 2023年06月05日 (月)

自然番組の源流となる「生態放送」 90年前の6月5日に日本初の生放送【研究員の視点】#486

世論調査部 (社会調査) 小林利行

6月5日が何の日か知っていますか?
あまり知られていないのですが、「ダーウィンが来た!」や「さわやか自然百景」などの自然番組の源流となる、野生動物の鳴き声をラジオで流す「生態放送」という番組が日本で初めて放送された日なのです。

90年前(1933年)の6月5日の早朝、今の長野市の戸隠山から、野鳥の鳴き声が全国に生放送で届けられました。
野生動物相手の生放送という難易度の高い取り組みに、開局2年目で人も機材も少なかった当時の日本放送協会の長野放送局が日本で初めて成功したのです。

naganokyoku_1_W_edited.png日本初の「生態放送」に成功した長野局の面々

この番組はリスナーからの評判もよく、その後各放送局が競うようにして同様の番組を放送しました。
(録音機が発達していなかったことから、1941年ごろまでは「生態放送」は全部生放送でした)
そしてそのノウハウはテレビの自然番組に受け継がれ、コアなファンを持つジャンルの1つとして今でも独特の存在感を示しています。
このブログでは、日本で初めての「生態放送」について簡単に紹介したいと思います。

○キーパーソン 猪川珹
そもそもの発端は、長野局の猪川珹初代局長のひらめきでした。
当時の職員の手記によりますと、局の慰安旅行で戸隠山に訪れた際に、野鳥が盛んに鳴くのを聞いて、これを番組にできないかと思い立ったそうです。
猪川局長は、日頃から長野の特色を生かした全国向けの番組制作を強く意識していて、いつも「何かないか」と探していたといいます。そのアンテナに引っかかったのが戸隠の野鳥の鳴き声だったというわけです。

さっそく猪川局長は、この計画を当時の日本放送協会の中山龍次理事に相談します。しかし中山理事は、▼放送中に鳥がうまく鳴いてくれるかということと、▼鳴いたとしてもそれをリスナーが興味を持って聞いてくれるかということを心配して、なかなか承認しなかったそうです。

○「生態放送」が承認されたひとつの偶然
ところが、ちょうどそのころ中山理事は、ある事実を知ることになります。
アメリカの放送局のNBCが、伊豆諸島にある大島の三原山の火山活動の様子をアメリカ全土に生放送したいと希望しているというのです。
このとっぴな話に中山理事も驚いて関係者に事情を聴いたところ、何年か前に、NBCがイタリアの火山の噴火の音をアメリカで生放送したら、本土に火山のないアメリカのリスナーに大好評だったらしいのです。
そしてその関係者は、「その土地に直接行かなければ聞けないようなものを、自分の家や街角で聞けるという番組が、アメリカではリスナーに特に好まれている」とも話しました。
これを聞いた中山理事は、猪川局長の提案を承認することに決めたそうです。

○さまざまな制約
アメリカの事例から、野鳥の鳴き声を届ける番組がリスナーに興味を持ってもらえそうだということはわかりましたが、長野局としては、中山理事のもう1つの心配の「放送中にうまく鳴いてくれるのか」をクリアしなければなりません。

そこで局の関係者は、地元の人に話を聞きながら、放送予定の早朝に戸隠山中で最も野鳥が鳴く場所を探し始めました。
そして最終的に、戸隠神社の近くの小さな森を中継現場としました。

ただし、さまざまな制約がありました。

まず場所ですが、当時の長野局が持っていた一番長い中継線が1キロメートルだったことから、電話線につなぐ拠点となる戸隠の郵便局を中心として半径1キロ以内という制限があったのです。
1キロというと広いように感じますが、鳥がよく鳴くうえに、そこまで放送機材を安全に運べてマイクなどもうまく設置できるような場所となると、探すのはなかなか難しかったようです。

それから、中継に使う郵便局の電話線についても、放送中に急病人が出るなどの緊急事態が発生して電話を使う必要が生じたら、直ちに放送をストップするという約束で借りていました。
病人などを優先するのは当然のことですが、うまく野鳥が鳴いてくれたとしても放送を中断する可能性もあったわけです。

○ガラス細工を積み上げるように
さて、場所も決まっていよいよ放送当日を迎えます。
当日はマイクを3つ用意しました。1つは基本的にアナウンサー用で、2つが野鳥用でした。
少しでも鳥の鳴き声を拾いやすいようにと、野鳥用のマイクは木につるしました。

mic_2_W_edited.png戸隠山の木につるされたマイク

このマイクも、おいそれと設置できたわけではありません。
当時のマイクはスタジオで使うことが前提だったので、早朝の山中の湿気が故障につながる可能性が高かったといいます。
その対策として、乾燥材を詰め込んだ箱にマイクをしまっておいて、中継直前に取り出すという方法で対応しました。

このように、1つ1つの作業に神経をとがらせながら、まるでガラス細工を積み上げていくように準備を進めたのです。

○現場の喜びを代弁した青と白のきれ
そして、午前5時40分から20分間の生放送が始まりました。
実際の放送の音源は残っていないのですが、実況を担当した岡部桂一アナウンサーが、その手記の中で現場の様子をドラマチックに再現しています。
「うぐいす、ホトトギス、かっこうがトリオとなって盛んに鳴きだしたときは本当に嬉しかった。ふと操作係の平井君と青木君を見ると、白と青のきれを盛に振るではないか。ホトトギスを感じたら白、かっこうを感じたら青いきれを振るように約束していたからである」

おそらく、青と白のきれを使って、鳴いた鳥の種類をアナウンサーに知らせるという体制だったのでしょう。
岡部アナウンサーも、うまく鳴いてくれるかどうか心配していたようですが、ふたを開けてみれば予想以上にうまくいったようです。
もちろん現場では、スタッフが歓声を上げるわけにはいきません。そのかわり、青と白のきれを力いっぱい振り上げて、その喜びを表していたのではないでしょうか。

○「生態放送」の “隠れテーマ”
実は、長野局をはじめとした各放送局の「生態放送」への挑戦には “隠れテーマ” がありました。
それは「地域から中央へ!」です。
当時のラジオ放送には、中央(大都市)の文化を地域に広げるという目的もあったといわれています。つまり「中央が送って地域が受け取る」という形です。そんな中で、地域から中央に打って出ることのできる貴重なコンテンツの1つが「生態放送」だったのです。
おそらく、地域局ならではのものを全国に届けたいという関係者の思いが、野生動物相手の生放送という冒険にも踏み切らせたのでしょう。

今回紹介した長野局の取り組みは成功しましたが、中には放送枠の30分間に鳥がまったく鳴かなかったという壮大な失敗談もあります。
それも含めて「放送研究と調査 2016年4月号」では、初期の「生態放送」について詳しく紹介しています。
興味のあるかたは、ぜひご覧ください。