
"子宮頸がんもHPVワクチンも何も知らなかった" 俳優と共に伝え続けた最期の10日間
「命の炎が燃え上がる瞬間に立ち会わせていただいた」。
俳優の宮地真緒さんは、"余命3か月"と告げられた自身の所属事務所代表取締役兼マネージャー・井出智さんとのラジオ収録に臨んだあと、こう語りました。
2023年4月19日、いつも通りの穏やかな声で「子宮頸がんとHPVワクチンのことを知ってほしい」と語った井出さんは、この数時間後、息を引き取りました。
30代なかばで子宮頸がんと診断されるまで「自分には関係ない」と思っていたという井出さんは、「同じ後悔をする人を一人でも減らしたい」と、事務所に所属する俳優たちと共に発信を続けてきました。彼女は亡くなる直前まで、何を伝えようとしていたのか。
井出智さんと俳優たちの“最期の10日間”をみつめました。
(2023年4月4日放送 ドラマ「幸運なひと」の関連取材をもとに記事を作成しています)
「知るという、がん予防」 俳優と共に始めた啓発活動

2023年4月9日。
子宮頸がん予防のための「子宮の日」とされるこの日、東京・渋谷のハチ公前で、あるステッカーが配布されていました。
書かれているのは、「知るという、がん予防」という言葉です。

これは、芸能事務所Andmo(アンドモ)の代表取締役・井出智さんが「何も知らないまま子宮頸がんを他人ごとだと思っていた」という自身の反省をきっかけに、産婦人科医や公衆衛生の専門家などと議論を重ねながらつくったキャッチコピーです。

ステッカーを配布していたのは、井出さんがマネージャーを務めてきた俳優やアーティストたちです。

「子宮頸がんのことって考えたことありますか?」


「実は女性だけじゃなくて、男性にもすごく関係がある話なんです」

ステッカーを受け取った人々と一緒に写真を撮りながら、子宮頸がんやHPVワクチンについて、若い世代にも実は身近なものであること、男女問わず知ってほしい情報であることなどを気軽な会話の中で伝えていました。
【小学生から予防できるHPV関連がん(動画あり)】【小学生から予防できるHPV関連がん(動画あり)】

俳優たちの啓発活動の様子や、YouTubeでの配信イベントの案内は、逐一、SNSでも発信されていました。

その発信を行っていたのが、井出智さんです。
井出さんは、療養している沖縄のベッドの上から発信を続けていました。
「何も知らなかった」 30代半ばで子宮頸がんに
啓発イベントから3日経った4月12日、井出さんは在宅治療を担当する医師が帰った後の時間を使い、オンラインで話を聞かせてくれました。

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芸能事務所Andmo(アンドモ)代表取締役・井出智さん
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「最近、結構髪が生えてきたんです。抗がん剤をやめて結構経ったから」
大学卒業後、芸能プロダクションでマネージャーの仕事を始めた井出智さん。

「天職だと思った」と話すほど、俳優たちのマネージメントにのめり込み、20代は仕事に没頭するうちにあっという間に過ぎたといいます。
転機は30代半ばになった2019年、健康には自信があったという井出さんは、お腹に痛みを感じることが増えるようになりました。

当時、人気が急上昇していた若手俳優を担当していたこともあり、痛み止めの薬で紛らわしていました。しかし、徐々に薬も効かないほどの痛みに変わり、「人生で1、2回しか行ったことがなかった」という婦人科クリニックを受診しました。
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婦人科クリニックの医師
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「子宮の手前にポリープのようなものがある」
そう告げた医師に、大きな病院で詳しい検査をするよう勧められました。
受診すると、がんの一歩手前である「前がん病変」が見つかりました。

結婚の予定はなかったものの、将来的には子どもがほしいと思っていた井出さんは、今後の治療法として子宮を温存することを希望し、がんの拠点病院に転院して経過を見ることになりました。
1か月ほどが経った2019年6月、転院した病院で再度検査を受けた井出さんは、そこで思ってもいなかった診断を受けます。

完治を目指すには子宮をすべて取らないといけない段階とされる「ステージ2B」に病状が進行していたのです。
治療は一刻を争うと言われ、迷う暇もなく手術を受け、子宮を失いました。
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井出智さん
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「小学生のときから生理痛がひどくて、生理は痛いのが当たり前。子宮を摘出するときに筋腫がいっぱいついていたし、筋腫があることも知らなかったんです。からだが痛いということはそういうことを発信していたんだなと思うけど、『生理=痛い』みたいに考えてしまっていて、体のことなんて考えていませんでした。病院にそもそも行かないんですよね」
(旅行中も仕事の電話が多かった井出智さん)
「寝れば治るからと思っていたから。一年に一回高熱が出たり、めまいで倒れたりとかがあってもだいたい『ストレスが原因です』で済まされてしまうので、『働き過ぎだよな』と思うけど働かないと生きていけないしなとか考えていました。本当に病院そのものが近くない存在だったと感じています」

その後、抗がん剤治療や放射線治療など3か月続けた治療は完了し、定期的に経過を見ていくことになりました。
体調も、経過も順調だった井出さんは、前向きに生きていこうと思い、事務所を辞めて独立する決断をします。

2020年7月7日、井出さんは一緒にやりたいと言ってくれた俳優たちと共に、芸能事務所「Andmo(アンドモ)」を設立。しかしその3日後、別の臓器にがんが転移していることが見つかり、医師から「完治は難しくなった」と告げられました。

井出さんはできることはすべてトライしたいと考え、脱毛などの副作用を伴う抗がん剤治療にも取り組みました。

しかし2022年10月、これ以上できる標準治療がなくなり、担当医に「予測でしかないが、残された時間は3か月」と告げられました。
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井出智さん
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「本当に私は何も知らない状況で子宮頸がんになって、良くなったと思ったら再発して、治療法もなくなって、余命3か月と言われてしまった。祖母が乳がんだったから乳がん検診には行ったことがあったけど、子宮頸がんは言葉だけは知っているという感じで、自分に関わるがんだとは1ミリも思っていなくて・・・」
「だから捨てちゃっていました、子宮頸がん検診の案内はすべて。何も分からないから、情報を調べようともしなかったんです。妊婦さんは初期に検診があるので、結婚している友だちは子宮頸がんの検診を受けているけど、独身の私は、そういう情報にも触れてこなかったし、周りにも子宮頸がんの当事者は目につかなかった」
「でも聞いてみたら、実はいたんですよね。子宮頸がんの前段階の状態の人も含めて言わないだけで、周りには結構いる。でも、聞こうともしていなかったのかもしれないです。日々の生活でいっぱいいっぱいで。だから何も知らなかった。子宮頸がんのことも、HPVワクチンのことも」
井出智さんと共に思いを伝えるアンドモの俳優たち
「何も知らないまま、後悔しないでほしい」。
「働き過ぎは禁物。健康第一」。
井出さんが、子宮頸がんを経験して感じていたこのことを、真っ先に伝えようとした相手は、一緒に歩んできた俳優たちでした。
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井出智さん
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「宮地真緒とか手塚真生には、検査を受けるところや診断結果を聞く場面で同行してもらっていました」
(井出智さんに同行する俳優・手塚真生さん)
「だって、めったにないですよ。がんの患者が実際に診断結果を聞く場面に立ち会うなんて」
(井出智さんと俳優・宮地真緒さん)
「役者としても、私のがんを生かしてもらえたらと思いましたし、一人の人間としても、家族のような子たちなので、私の一部始終から何かを感じ取ってほしいと思っていました」
井出さんが伝えようとしたのは、病院に連れ添った俳優だけではありません。
事務所に所属する小学生から大学生の俳優にも、男性の俳優にも、子宮頸がんやHPVワクチンについて学ぶ機会を持ってほしいと思うようになっていたのです。

もともと子宮頸がんが、「HPV=ヒトパピローマウイルス」の感染が主な原因であること、この感染が主に性交渉で起きること、HPV感染が男性の中咽頭がんや肛門がんなどにもつながってしまう恐れがあること、HPVワクチンでこの感染を予防できること・・・、井出さんは自分ごととして調べるようになって初めて知ったと言います。それが、あの「知るという、がん予防」という言葉につながっていきます。

“余命3か月”と告げられた井出さんは、俳優たちを集め、「一緒にやりたいことがある」と伝えました。それが、子宮頸がんとHPVワクチンの啓発活動でした。
井出さんにとっては、自分自身の経験を少しでも多くの人に伝える活動であると共に、俳優たちに自分の言葉で発信する機会を与えることで自分ごととして学んでもらう機会を与えたいと考えていました。

井出さんが協力を依頼したのは、「みんパピ!みんなで知ろうHPVプロジェクト」。
産婦人科医や公衆衛生の専門家、小児科医などが有志で発足した団体で、子宮頸がんやHPVワクチンについての情報発信を続けています。
俳優たちは、そもそもこれまで知らなかった素朴な疑問や怖いと感じている不安などをイチから専門家たちに危機ながら、学びを深めていきました。

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井出智さん
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「子宮頸がんについて学んだり、ステッカーを配ったりしている俳優やアーティストたちの行動を、私は人としてすごくかっこいいことだと思います」
「いろいろなしがらみがある中でも、その活動を役者自身がやっていることもかっこいいし。仲間のためにやっていることもかっこいいし。どのくらい世の中の人に残るかは分からないけど、私はすごくかっこいいと思う」
「役者は人との関わりがどうしてもなくなってしまうし、実際関わろうとしない役者も多い。でも、人生経験としてもいろんな人と関わるようになって、社会とつながる必要がある。それは演技としても、人と関わっていないと、年齢ごとにかわる振る舞いができなくなってしまうということももちろんあるけど、人ともっと関わっって、人として育っていないと演技もリアルじゃないと思っているんです。社会とつながって、できることを続けている人たちは、言葉の重みも振る舞いも違ってくる。だから、大好きな俳優たちには、できることをできる範囲でいいから、役者をやめようが何しようが生涯続けていってほしいなと思います」
井出さんがこの話を聞かせてくれた4月12日、取材時間は30分を予定していました。
しかし。
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井出智さん
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「楽しいからもっと話したい」
そう言って、予定を2時間に延ばして自身の経験を語ってくれました。
多くの人に知ってほしいことをたくさん教えていただいた後、それにも負けない熱量で語ってくれたのは、「大好きな人たち」についてでした。

隣で連れ添ってくれている家族や、共に歩んできた俳優たち一人一人を”褒めちぎり”ながら、「私は周りの人に恵まれている」と話す姿が印象的でした。
「命の炎が燃え上がる」 4月19日 最期の日のラジオ収録
その7日後の2023年4月19日夜、井出智さんは子宮頸がんで亡くなりました。亡くなる数時間前、井出さんは療養していた沖縄のベッドの上から、ニッポン放送のラジオ収録にリモートで参加していました。

収録現場には、俳優など、井出さんがこれまで一緒に歩んできた人たちが集まっていました。収録開始前は、消え入りそうなほどか弱かった井出さんの声は、収録が始まると一変。
いつもの井出さんの声に戻り、「HPVワクチンについて多くの人に伝えたかった」とご自身の言葉で語りました。
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井出智さん(ラジオ番組引用)
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「子宮頸がんは予防できるがんです。10代20代は男女問わずHPVワクチンの接種を検討してほしい。女性は定期検診に必ず言ってほしい。健康第一」
そして、収録の最後、井出さんと俳優たちは、普段気恥ずかしくて伝えることがなかった言葉を伝え合いました。

「みんな大好き。ありがとう」

「ありがとうございます。私も大好き」
収録を終え、回線を切った井出さん。
その後の様子を、隣で見守っていたご家族が教えてくださいました。
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井出智さんのご家族
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「無事に収録を終え、リモートを切った瞬間に眠りました。その後意識が朦朧とするなかでも俳優たちの仕事を気にかけ、はっきりと言った最期の言葉は、『まだ続けたい。この(HPVの)活動』でした。"最期はよく眠るように"とよく聞きますが、姉は最後まで必死に息をしようとしていました」
井出さんの訃報を受けた宮地真緒さんは後日、改めて収録に臨みました。
マネージャーとして、代表取締役として、いつも通りの声で収録を終えた井出さんを、宮地さんは「私が知っている中で一番の役者かもしれない」と表現しました。
体調が悪いのを隠していたのか、それとも伝えるときだけは力がみなぎったのか。それはもう誰にも分かりません。
しかし、知らないまま後悔する人を減らそうと最後まで伝え続けた井出さんの姿は、俳優たちに「自分たちにできること」を探すきっかけを与えているように見えました。
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宮地真緒さん(ラジオ番組引用)
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「知ってほしいという強い気持ちでやりきったのだと思います。命の炎が燃え上がる瞬間に立ち会わせていただきました。男性にも知識として知ってほしい。一度ご興味を持って調べていただいて、メリットもデメリットのことも知った上でどうするかはご自身の判断でいいと思います。ただこうやって強く生きた女性がいて、彼女が多くの人に伝えたいと思っていることがあったことを知ってほしい。彼女の意志を広める活動を続けられたらいいなと思っています」
さいごに
井出さんにお話を伺う中で、とても印象に残っている話があります。
それは、芸能事務所「Andmo(アンドモ)」という名前に込めた思いです。
もともと井出さんは、一人で何かをやるのではなく、誰かと一緒に何かをやることが好きで、誰かと誰かをつなぐ「&(アンド)」という言葉が好きだったことから、井出智さんの「智(とも)」という名前をつないで「&智(とも)=アンドモ」と名付けたそうです。
当時は、安易に考えたものだと笑っていらっしゃいましたが、アンドモの俳優たちと歩む中で、そして、自身がいつ亡くなってもおかしくないという日々を過ごすなかで「アンドモ」という名前が、「井出智とこれからも一緒にやれること」のように感じられると話されていました。
井出さんと共に歩んだ俳優のみなさんがステッカーを配られる様子を拝見しながら、感じたのは、子宮頸がん予防の啓発をとても楽しそうにやられていたことでした。
それは、最初は井出さんのための活動だったものが、自分たち自身や大切な人のためだということを知り、自分たちなりに楽しく継続していく始まりのように見えました。
そして、井出さんが亡くなられる2日前、日本医学会総会のステージで筆者は、宮地真緒さんと一緒に登壇させていただく機会をいただきました。
そこで、宮地さんは「自然と来たくなって、ふらっと帰れるくらいの場所で、がんの話をできたらいいな」と話し、気軽なお茶会のように、医師も、患者も、がんに無関心な人も関係なく集まれる場所が、いつか生み出せたらいいなと話されていました。
たとえ会えなくなったとしても、一緒にできることはこれからも作り続けることができる。
そのことを「アンドモ」のみなさんの姿を見ながら、教えてもらったような気がします。

【次に読むなら】小学生から予防できる"HPV関連がん"(動画あり)

【動画つき記事】小学生から予防できる"HPV関連がん"(動画あり)
HPV=ヒトパピローマウイルスは、主に性的接触を通じて男性にも女性にも感染し、がんを引き起こす原因になります。このHPV感染の予防は小学生から始められます。
ぜひこちらの記事もご覧になっていただき「がんから身を守る方法」を知ることから始めてみませんか。