みんなでプラス メニューへ移動 メインコンテンツへ移動

みんなでプラス

#がんの誤解 がん情報のいまを学ぶ

いま『がん』やその治療法についての研究は、日進月歩。

その一方で専門家以外の人にとっては、理解するのが難しかったり、知識を更新する機会がなかったり、結果的にがんを”誤解”しているケースも少なくありません。

このサイトでは、最新研究にもとづく情報を紹介しながら、がんの当事者も、そうでない人も一緒に、がんについての「誤解をとく」場にしたいと思っています。

  • フェイク・バスターズ番組サイトに飛びます
#がんの誤解の記事一覧
のもうし
このような話を私も最近聞きました。まだ、金銭が絡んでないのでオモシロ話としては気楽なのですが。本当に追い込まれた人に情報を提供する輩は効能詐欺です。どうしてもこのような情報が横行する社会。ネット社会だから尚更です。俯瞰的に世界を見る事が必要な時代です。
チャオ
「余命」…たった3文字の言葉なのに、そこには命の終りの意味がある。 私の場合は余命ではないけれど、命と向き合ったのは中学生の頃だ。難病が発覚し、主治医から「二十歳まで生きられない」と言われた。だけど、医学・医療機器の進歩のお陰で生きられている。気管切開による啖の吸引や人工呼吸器、胃ろう等…簡単には生きていけない。だけど、「生きる」という選択肢がある。いつまで生きられるのかはわからない。だけど、生きたくても生きられない人より幸せだと思う。
kara
何でもかんでも男性側に責任を押し付け「女性=被害者」という思考がそもそもおかしい。男性の感染だって女性の感染だって自分のせいだと思わず、他人に責任を押し付けている事が間違い。
しゅうけんママ
仕事中にも関わらず一気に読みました。 17年前の自分達を思い出しました。私達よりも若いのにキチンと向き合う姿に素晴らしいと思う反面、そんなに綺麗事で終わらないのに、という意地悪な気持ちにもなりました。夫が33歳、私が35歳、長男が3歳、次男が10ヶ月の時に、神経膠芽腫という悪性腫瘍が見つかりました。怒涛のように手術と放射線治療をし、通院しながらの抗がん剤治療がトータル2年続きました。病気になった当初から、夫はエンジニアでもあったので正確な情報を求め、私も歯科医師という医療者だったので、常に病状は共有していました。その上で、夫本人は必ず回復すると強い希望を持ち続けました。だから、決して自分が死んだらこうして欲しいという事を口にしませんでした。私や子供達に何かを残そうとするよりも病気と向き合い、戦い続けたように見えました。今も夫は私達に何をしてもらいたかったのかと自問自答しています。
れい
私は、子宮頸がんワクチンの対象年齢にギリギリ入ることができませんでした。公費の補助がない場合の接種費用は、2価ワクチン(サーバリックス)および4価ワクチン(ガーダシル)では3回接種で約4-5万円、9価ワクチン(シルガード9)では3回接種で約8-10万円、2回接種で5-7万円ほどだと知りました。なぜ、ワクチン接種に年齢制限があるのかわかりません。27歳以上の私達は見捨てられたのでしょうか。
アル
私も同じ肺癌ステージ4と診断されました。 私が診断されたのは26歳の時。若すぎる発症と病期が進んでしまっていることに未来が見えないこともありました。幸いなことに新薬が効果を示しており、病状は安定していますが、告知を受けた時の衝撃に勝るものはありません。私も新婚の夫が笑っていてくれる人です。普通にしていることって難しいはずなのに、それを出さずにいつも通りにしてくれている夫には感謝しかありません。私の場合、両親に悲しい思いをさせてしまったこと、先に死ぬかもしれない申し訳なさもあり、両親の前では感情を出して泣けませんでした。今では家族で病気に対して前向きに取り組んでいます。モデルとなった方のご多幸をお祈りしています。
Tico
夫が肺がんステージ4、妊孕性温存療法を行っている者です。西川さんの言葉一つ一つ、頷きながら読みました。 精子を凍結保存できたは良いものの、それから先に進むか、1年悩みました。いざ顕微授精を始めても1年全く成果が出ず、夫のタイムリミットへの焦り、経済的負担から辛い日々を過ごしていましたが、このドラマのおかげで一人では無いと思えました。妊孕性温存療法のこと、もっと知られて欲しいです。素敵な番組作りをありがとうございます。
ぽー
主人がステージ4のがんであると宣告された時、「がん」という言葉の重さに押しつぶされそうでした。こちらに書かれているように、医師と患者の言葉の重さの違いに戸惑うばかりでした。子供が産まれたばかりで、未来を共に見たいのに先が見えず、本当に苦しかったです。担当する医師の接し方によって、患者とその家族の心のあり方が変わります。我が家は、担当してくれた医師が、患者に寄り添ってくれる医師だったので、がん宣告→衝撃→悲しみ→熟考→治療に向かう、という気持ちの遷移が比較的スムーズに行われた方だと思います。セカンドオピニオンでお伺いしたがん専門病院の先生は、突き放した言い方しかせず、治療方針も言わず、不安になることばかり言う先生だったので、その病院にしなくて良かった、と今でも思います。家族みんなで、一日でも先の未来を共有出来るよう、今でも全員で闘っています。どうかどの患者さんにも、幸せな未来が訪れますように
浪花のショー姉さん
おはようございます。「幸運な人」後編観させて頂きました。安易なハッピーエンドではなくリアルなハッピーエンド?であったことにホッとしました。拓哉さんと咲良さんの会話が夫と交わした会話と似ているところもありました。「しんどかったら、、我慢してないで言ってよ、、、迷惑かけるなんて言わないで」と言う私に「せやな、吐き気と痛みと、どっちがしんどいんやろな?」「そんなん、どっちも嫌や??」2人で軽く笑いました。あれから4年経ち5月には夫67歳の誕生日を向かえます。夢は孫に爺じぃ???と呼ばれること??と言ってた夫です。夫なき後1年後に生まれた初孫(男児)は2歳半になり「爺じぃ、チョウボウシャやで(消防車)」遺影に向かって話すようになりました。病気、事故、災害、、、色々な「死」があり、そこには其々の悲しみや後悔もあると思います。朝ドラちゅらさん「命(ぬち)どう宝」を思い出しています。ありがとうございました。