ブログこまち~NHK秋田アナ・キャス便り~

2021年10月15日 (金)

この道わが旅 【吉田一貴】

どうも吉田です。

 きのうの朝、「おはよう日本」で、山中翔太アナが取材したWEB記事が紹介されました。

IMG_0236.JPG

爽やかですね。

渋谷から大館に移った鉄道車両「青ガエル」についてのもので、

山中アナの青春時代も垣間見える素敵な記事です。ぜひご覧下さい。

リンクはこちら!

さぞかし、賑やかな渋谷の町が似合うキラキラした青年だったんだろうなあと思うと

人影まばらな地元の大学に通い続けた身としては、今後山中アナを見る目が

これまで以上に温かいものになりそうで、嬉しい限りです。

 

もう一つ若手のお仕事を。

本日、10月15日(金)夜7:30からは「きんよる 松井大の実況させてください」

巷のお仕事を、松井大アナが解説者と共に実況!

身近な職人技の数々を、どう言葉で紡いでいくのか。

松井アナが、普段実況に臨む準備なども垣間見える挑戦的な番組です。ぜひご覧下さい。

 jikkyou.png

それにしても、「松井大の」ですよ、冠番組。冠番組をゴールデンタイム。

秋田のディレクター陣どうかしてるな、

思い切ったタイトルつけたなあ、と思うと同時に、わき上がる複雑な気持ち。

アナ歴およそ20年、タイトルに名前なんて入ったことないですよ。

いや、もちろんですね、アナウンサーはあくまで番組の補助役です。

主役になるべき存在のはずもなく、

今回の番組も主役はもちろん、

我々の生活を支えて下さる「町の職人さん」たちです。

だからタイトルに名前が入るとか入らないとか、そんなのどちらでもいいんです。

 

まあでもですね、アナ歴20年、

一度くらいあってもそれはそれで嬉しかったかもなあなんて思うわけですよ。

 

「吉田一貴のメタル天国」

「吉田のシャウトさせてください」

「一貴のゴアメタルすごいぜ!」

 

うわあ、誰も見たくない。いや私は見たい。でもこれはダメだ。

え?「きんちゃんの○○」があるじゃないって?

あれは別に私じゃないですから。何言ってるんですか。

 

とにかく若い世代が、自らの仕事に生き生きと向かっている姿は

本当にまぶしいものがあります。

 

そして

自分にもそのような時があったのだ、そう思わせる出来事が先日ありました。

 

ええ、そうなんです。おそろしいことにここからが本題なんです。

どうかしているのは私かもしれません。

 

 

 

作曲家のすぎやまこういちさんが、先月30日、亡くなりました。

今月伝えられたこのニュースは、

多くの音楽ファン、ゲームファンに衝撃を与えたことと思います。

 

あの「ドラゴンクエスト」

数々の名曲・神曲を生み出したすぎやまさん。

 

子どもの頃、コントローラーを握りしめ

序曲に興奮し、戦闘のテーマに心躍らせ、おおぞらをとんで感動を覚え

おきのどくですがぼうけんのしょがきえてしまい、涙する。

すぎやまさんの音楽に彩られたあの頃、私は確かに勇者だったはずです。

 

そして今から15年前、

そんなすぎやまさんとお仕事ご一緒する機会がありました

 

当時富山局に在籍していた私。

県内でコンサートを開催したすぎやまさんに、会場でインタビューしたんです。

名曲の数々をフルオーケストラで味わった後、

ご本人にゲームとクラシック音楽について伺い、夕方ニュースで放送。

短い時間のインタビューながらも、贅沢な経験でした。

 

その後も話は続きます。

 

その頃、FMで「ホリデーミュージックウェーブ」という番組がありました

全国のアナウンサーから企画を募り、1時間自由に音楽を綴るというもの。

 

一瞬「あ、メタルを…」と思いましたが、

ちょうどその時、「ドラクエ」発売から20年という節目の年。

ここは「ゲーム音楽」でどうだろう。

それならばゲストはすぎやまこういちさんしかないでしょう!

ということで企画を提案。

 

当時私は5年目のアナウンサー。

たいした実績も企画力もない若手の、しかもなぜか富山からのオファーにも関わらず

すぎやまさんは快く引き受けて下さいました。

本当にありがたいことです。

 

そこからは、できないなりに必死で番組を構成し、

ゲーム音楽の権利処理をすすめ、

すぎやまさんとのお話を夢想しながら質問項目を練り続ける日々。

不安を感じながらも前に進んでいく、

心に流れるのは「広野を行く」です。

 

迎えた収録はとても幸せな時間でした。

東京のスタジオ、すぎやまさんは

本当に温かく、やわらかいお話ぶりで

あの名曲の誕生秘話や

ゲーム音楽楽への思いを伝えてくれます。

 

「全く未開の土地で、何にもない荒地をわれわれが一生懸命耕して、

種撒いてっていう時代。開拓者の時代でした。

それだけに大変だけど、面白くて、刺激的でもあります。」

 

その開拓者として生みだした数々の音楽を聴いている最中、

本当に楽しそうにタクトを振る仕草を見せるその姿は、

今でも目に焼き付いています。

 

(ちなみに、テーマが「ゲーム音楽」でしたので、

すぎやまさんの楽曲以外も紹介し、それについて

コメントを頂いたのは、今思えば実に貴重な事でした。)

 

あっという間に過ぎた50分。

思い出せば今でも多幸感が蘇ります。

 

 

それから15年。

この間

新作が出た時も

30周年でNHKが特番を放送したときも

オリンピックの入場行進で

あのファンファーレを聞いたときも

すぎやまさんの笑顔とタクトを思い出しては

幸せな気分になってきたものです。

 

そして先日の訃報。

NHKでも様々なニュースで伝えられました。

 

その中の一つ「ニュースウォッチ9」を見ていた時のことです。

すぎやまさんの功績を伝えるリポート、

その締めくくりに生前のご本人のインタビューが流れました。

ハッとなりました。

 

字幕には2006年撮影とあります。

 

それは、15年前に私が富山で伺ったものでした。

 

ああ、

下手なインタビュアーに、

やさしく答えて下さったその言葉が

こうして時を経てまた伝わることがあるんですね。

 

「ゲーム音楽というのは作曲家すぎやまこういちにとって

天職、天から与えられた職業だと感じています。

ますますいいゲーム音楽を作っていきたいし、

ますますいいオーケストラの演奏をしてみなさんに感動してほしいし、

今の活動はとにかく死ぬまで続けたいと思っています。」

 

この言葉の通り、活動を続けてこられたすぎやまさん、

聞くところによると、開発中の最新作の音楽も手がけられていたそうです。

どこまでも「いい音楽」のために努めてこられたということでしょう。

 

翻って自分は最近どうだろうか、考えます。

若手をまぶしく見つめるのも、

温かく見守るのも、ちょっと嫉妬するのも

いいですけど、

ますますいい放送を自分が作るつもりでいられているでしょうか。

いつでも今を学んで、不安ながらも前に進んでいるでしょうか。

 

今から「勇者の挑戦」とはならなくても

「かつて勇者だったおじさんの挑戦」

くらいはしてもいいんじゃないかな。

 

15年前のすぎやまさんに、

その映像の見えない所にいた20代の私に

そう教えられた気がしています。

 

あまりにも長い文章となりすぎてしまいましたね。

管理職の長い一人語りほど厳しいものはないのは重々承知していますが、

若い世代とパーティーを組んで、

まだまだ続く「遥かなる旅路」を進んでいきたいです。

 IMG_0756.JPG

 

 

 

改めてすぎやまこういちさんに

心からの感謝と哀悼の意を表します。