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【被災地の声】石川県輪島市 外武志さん「よく頑張った ゆっくり休んで」

  • 2024年01月22日

2024年1月1日に発生した、石川県能登半島地震。

疲れが出て体調が悪化する人や、避難生活の中で亡くなる人も相次いでいます。

そんな大変な状況の中で取材にこたえてくださった被災者の方たちがいます。

輪島市の外武志さんの声です。

輪島市 1月4日に自宅から救助された母

1月4日、倒壊した自宅から助け出された、輪島市の外節子(89)さん。

救助時は意識があり、市内の病院で治療を受けていましたが、その後容体が急変し、今月6日に亡くなりました。

長男の武志さんが、当時の状況や今の心境について、胸のうちを話してくれました。

外武志さん

「生きてると聞いた時には『助け出してくれてありがとう』、ですね。消防隊の方々への感謝と、それと母には『よく頑張ったな』という思いが強かったです」

病院での節子さんの様子に、回復を信じていたといいます。

「会話にはならないんですけど、声を出してちゃんとうめき声とかではなく単語になるような声を発していたので、回復してきているかなと思いました」

しかし、状況は厳しいものでした。

倒壊した建物のがれきなどの下敷きとなることで、体にたまった毒性物質が全身に回る「クラッシュ症候群」の危険性を指摘されていました。

「病院に運ばれた時に先生から電話で、『今は意識があるけど、危ないのは変わらない』と言われていました。それでも母は、夕方には体の症状を訴えるような話し方だったので、だいぶ戻ってきていてこのまま回復するとその時は信じてましたね。帰り際に看護師さんにその話をした時には『いつ急変するか分からないので』と言われましたけど、僕らの目から見ると回復しているように思っていました」

「体を触っても、手を触っても」

しかしその後、血圧が下がるなど、容体が急変しました。

「電話で連絡を受けて、血圧が下がるぐらいならもしかしたらまだ大丈夫、と信じて、『頑張ってくれ』っていう思いで駆けつけたんですけど、着いた時にはもう呼吸が止まっている状態だったので。何が起きてるんだろう、って感じでした」

まだその時には体を触っても手を触っても、温かかったといいます。

「『もう1回息を吹き返すかな』とも思いつつ、でも『そんなことはないんだろうな』と自分に言い聞かせながらという感じでした」

「もう苦しまなくていいからね」

外武志さん

「父が早い時期に亡くなっているので、そのあと1人で僕ら兄弟2人をしっかり、よく面倒を見てくれたなというのと、周りの人を大切にする母でしたね。年末の29日に実家に行ってるんですけど、『一緒に家族で忘年会しよう』と言ってくれて、おいしいものを用意してみんなで食べて。帰ると絶対そういうのやろうと気遣いしてくれましたね」

「救い出してくれた消防本部の方々には、感謝しかないです。ただ高齢だったし体への負担というのはあったんだろうなと思います。最後まで治療をしてくれた病院の先生方にもありがとうございますという思いです」

「いろいろな感情が入り組んでいるんですけど、『もう苦しまなくていいからね』と、『よく頑張ったね』と。『もう苦しい思いしなくていい』ということが一番です。もう3日間あそこに挟まれていたんで、『3日間よく頑張った、つらい思いしなくていいからあとゆっくり休んで』という、思いですね」

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